寝床での鉄鐔愛玩日記


所蔵品の鑑賞のページ
 毎日、鉄鐔を寝床に持ち込んでいることに、畏友のH氏が「オタクなんだから」と呆れる。そういうH氏の方がもっとオタクなのだが、オタクと開き直って、鉄鐔愛玩日記を記していく。
朝起きたら、百万円を超える鉄鐔が身体の下にあることもある。こんな楽しみができる美術品は鉄鐔。加えて古い時代の鉄鐔は触れれば、触れるほど鉄味が良くなるのだ。

2016/12/1から鐔ごとに記述を集めた。


    
古甲冑師鐔 唐花透かし 2016/10/30
古甲冑師鐔 結び雁金・丁字透かし  2016/12/22
古刀匠鐔 二つ角紋透かし 2016/10/30
室町古鐔 車透かし  2018/9/15
金山  湯沸文透かし  2018/9/14
金山  松皮菱透かし  2018/11/11
尾張 桐・三蓋松透かし 2018/9/19
尾張 輪に外四つ鐶透かし 2018/12/5
 勝軍草透かし  2018/9/29
古萩  枝菊透かし  2018/2/15
信家(放れ銘) 題目・生滅者必  2018/9/6
信家(太字銘)  戦争と平和図  2018/8/30
遠山頼次  素文  2018/8/11
平田彦三  二引き両透かし  2018/12/8
平田彦三  色金丸線鑢文  2018/11/1
林又七  王者又七  2018/12/2
林又七  クルス透かし  2018/10/10
初代勘四郎 巴桐透かし 2018/11/19
初代勘四郎  海鼠透かし  2016/5/22
志水初代  梟図 2018/10/21
志水初代  放れ牛・騎牛帰家図 2018/8/9
柳生  水月透かし   2018/12/11
赤坂初二代  四方松皮菱透かし  2017/6/9
赤坂初二代 歳寒三友透かし 2018/5/6
二代勘四郎 巴・桐透かし 2018/7/27
林重光  三つ浦透かし  2018/10/28
林又平  茗荷蕨手透かし  2018/11/6
神吉深信  雪輪花桐透かし  2017/9/17
神吉楽寿  笠透かし  2018/11/9
中根平八郎  左右大透かし雷文繋ぎ銀象嵌  2018/2/19
肥後御家拵(写)    2018/8/5
肥後「の」の字拵    2018/7/1
 
     
     




志水初代:梟図

  2018/10/21
日本美術の奇想の系譜の一人として、白隠の画が挙げられている。白隠は禅僧でもあり、その白隠の前に、この志水初代仁兵衛が位置づけられるのではなかろうか。

2018/10/19
海外旅行に出向き、寝床に鉄鐔が無い暮らしが続いた。この鐔は下部が上部より少し脹れている撫角形だが。茎孔を対象軸とすると少し左側下部の方が下に引っ張られているようだ。右下部には松の幹があり、左下部は松の先端が抜けた空間という彫り面の高さによる錯覚かもしれないが。

2018/8/19
この鐔も、放れ牛(騎牛帰家)の鐔も、志水初代の作品は、観る人に問いかけて来る感じがする。それだけ作家意識が強い鐔工だったのだろう。あるいは製作時の思いがよほどに強い人物だったのだろう。

2018/7/31
梟の廻りの地鉄や、松の木の廻りの地鉄は、輝く鉄錆ではなく、一種荒れたような地鉄だが、これは作者の意図で、このようにしたのだろう。梟と松の枝を闇夜から浮かび上がらすためだ。

2018/2/28
江戸時代の絵画の中から辻惟雄は『奇想の系譜』として、伊藤若冲など当時の画壇における異端の人を取り上げた。鐔工の中から選べば、志水初代仁兵衛はその一人となるだろう。

2017/10/16
この鐔を購入したのは昭和57年(1982)12月20日であり、35年間観てきたことになる。今、思っている作者の狙い「帰家穏坐」が正しいかはわからないが、自分の眼が進んだのか、あるいは老境になった私の心境の変化を表しているのかはわからないが、感慨に耽っている。

2017/10/14
では禅の図であるとすれば何を意味しているのであろうか。現時点では「帰家穏坐」(きかおんざ:禅の言葉であり、解釈に小異はあるが「家に帰って落ち着くように、人間が生まれながらに持っている仏性に帰入して安らかになる」)を意味して制作したのかなと感じている。
「放れ牛」図鐔が「騎牛帰家」図であるのと同じような心境なのかと感じてきた。

2017/10/10
狩野山雪の梟は「松梟竹鶏図」として、もう一双には「竹鶏」だ。その「竹鶏」図の重要文化財(浅野家旧蔵)が、東京国立博物館にある。作者の蘿窓は南宋末の禅僧で、牧谿と並ぶと評価される。自賛によれば本図は五更(午前四時)の時,未明の幽暗の中に文,武,勇,仁,信の五徳を備えるといわれる鶏を描いたものであり、その姿は五更の時に大悟した禅僧の姿のようにも思われると画評にある。
元々は禅で好まれた図なのかもしれない。

2017/10/7
狩野山雪は京狩野の狩野山楽(永徳の画風を継ぐ)の養子で、父と同様な作風だけでなく、水平・垂直を規範とした装飾性の強い幾何学的構図や、形態の執拗な追求や精神性を感じる造形など、奇矯な表現を先行した画家として、伊藤若沖や蕭白などの個性的画家の先駆者と言われる。『本朝画史』の草稿を書いた人物でもある。

2017/10/5
狩野山雪の作品に「松梟竹鶏図」(根津美術館蔵)があり、この梟は面白い描写だ。狩野山雪は異端の画家の嚆矢で、面白い人物だ。志水初代と同時代だ。
(根津美術館 https://twitter.com/nezumuseum/status/566092188912603137)

2017/10/4
「放れ牛」の図が「騎牛帰家」図であると、この梟の鐔も何か禅に関係する画題なのかもしれないと思い始めている。

2017/2/22
鐔に茎孔も無視するように大きな絵を据えたものとして、この鐔と東龍斎清寿の鬼の鐔、それに安親の象の鐔くらいだ。この3人が独創三大鐔工と思う。

2017/1/8
松と思うが大きな枝である。そこに大きく梟を止まらす。梟のそもそもの大きさを考えると、大きな枝と言っても、そうでもないのかもしれない。もっとも、そう考えると、この大きな枝の下から出ている枝の細さはこれでいいのかとなる。色々とアンバランスなものをまとめて絵にする力。

2017/1/7
今年は酉年。酉とは鶏と思っているが世間では鳥であればということで、種々な鳥をTVは放映している。「鳥カフェ」なるものもあって、そこでもフクロウは人気で、それに触れて癒やされるなどの場面を映していた。
この鐔の梟は私が大事にしているもので、観ることで癒やされているのかもしれないが、鑑賞の都度、「おまえの目は大丈夫か?」と鑑賞力を確認されるような気になる。

2016/12/3
伊藤満氏から、肥後八代には「八代異風者」(熊本では”いひゅうもん”と言う)という言葉あると教わる。八代の人は変わった人、個性の強い人が多いということらしい。志水家は八代で栄える。”いひゅうもん”に好かれた鐔工なのだ。

2016/12/1
留まっている松の幹、枝が主幹の裏側から出ているというのも面白い。有名な真鍮据文の鷹の鐔と同じ趣向だ。松に鷹は画題であるが、松に梟は留まるのだろうか。そして、左の方には、松の枝葉が丸く、宙に浮いて彫っている。枝などを彫らない発想は凄いと思う。また右側にあって上部に伸びている枝は梟の身体から出ているみたいに彫っている。

2016/11/30
しかし、わからない鐔工だ。そして、この鐔工を存在あらしめた当時の肥後の需要層も理解できない。買う人、求める人、愛好する人がいるから、このような鐔が残っている。

2016/11/18
この鐔は、図取りは大胆だが、施された毛彫りの細部はなかなか細かい。それぞれの羽毛を表す毛彫りを区別して、そこにおいては同じ調子のタガネを狂い無く揃えている。尾羽根の上の斜めに横線的に彫った彫りだけは平行線ではなく、乱雑である。
そして嘴における起点部分(鼻部分)に当たるところのタガネはきれいに打ち込んでさすがである。

2016/9/11
梟の右から上に伸びている木、枝の先端は浮彫が浅くなって地に吸い込まれている。だから梢が背後の闇に溶け込んでいる。

2016/9/10
夜明け前、窓が白み、ほのかの光が寝床に入る。その時に、この鐔を観ると、そのほのかの光によって地鉄が輝き、まさに闇夜に梟が浮き上がっている。改めて、この魅力を再認識する。

2016/9/9
梟の部位ごとの区切りの線を使わないで済ます発想は凄いと思う。顔とか、頭部とかの線をどうしても書きたくなる。そして毛彫りを変化させて頭部、眼の周り、眼、嘴、周りの髭、背中、腹部、背中下部、そして止まり木を経てから、尾羽とそれぞれの毛彫りだ。面白い発想だ。

2016/9/7
ところで、この梟が止まっている木は何だろう。丸い中に放射状に毛彫りしている葉から、松の樹としてきた。真鍮象眼の鷹を据えた鐔の木も松としている。生態的に梟が松に止まるかはわからない。今までは気にしていなかったが、改めて考えると面白い。樹皮も直線的に大胆に入れている。そして枝振りも独特で迫力がある。向こう側に枝を出すような独特の遠近感だ。面白い鐔工だ。

2016/9/6
この鐔の裏は、松葉を丸く毛彫りして銀の布目象嵌を入れただけである。『平田・志水』(伊藤満著)には真鍮象眼の梟図の鐔が4枚掲載されているが、1枚は松の枝を真鍮象眼、他の3枚は細い三日月である。内、2枚は真鍮象眼、1枚は銀布目象嵌である。松の枝を真鍮象眼した鐔は表側に三日月が真鍮象眼されている。他に鳥居に梟が乗った鐔が掲載されているが、それは裏に三日月の銀布目象嵌だ。
この鐔は、新月の時だから月は無い。そして新月の時だから梟は真鍮でもなく、銀布目象嵌も施していない。考えているのだと感心する。

2016/9/5
この鐔は艶のある地鉄に対して、梟や松の周囲に艶の無い地鉄がある。今まで、錆の影響かと思っていたが、昨夜、図を闇夜から浮かび上がらせる工夫して、このような鉄にしたのかなとも思うようになる。意図的な工夫だったのではなかろうか。所有して30年以上、観るたびに新たなことを発見する。私の目が甘いという面もあるが、見方に囚われるところが無くなってきたのかもしれない。
 


遠山頼次:素文

  2018/8/11
今日はこの鐔からはじめて繊細さを感じる。碁石形の整った形状に平肉、密に詰まった地鉄などから来るのだろう。2016/11/26に「女性的」と書いたが、それに共通する印象かもしれない。

2018/5/9
昨日、東京国立博物館で「名作誕生」の美術展を拝観してきたが、帰りに本館に出向き、刀剣室で「遠山よさんひやうへ 源頼次作」と在銘で、木瓜形で馬を素銅や真鍮で高彫象嵌している鐔を拝見した。照明が暗めであり、地鉄の調子などは確認できなかったが、作風はこの鐔とはまったく違う。馬の姿態は独創的で、面白い鐔工である。

2018/1/19
これまで、何枚かの遠山の鐔を観てきたが、作風は様々である。ただ、この鐔のような垢抜けた感じ(=彦三に近い感)を抱くものはない。

2018/1/16
鉄は不思議である。刀を観てもわかるように、錆の無い磨かれた状態でも美しいが、鉄鐔のように黒錆に覆われていても美しい。その黒錆も多種多様であり、輝きのあり方も違う。この鐔は密度が締まった鉄である。

2018/1/14
本当にシンプルな鐔なのだが、触りたく鐔である。艶やかな地鉄の肌と、切羽台から耳にかけてなだらかに肉を落としている調子が、その理由であろうか。

2017/6/22
18日に記した遠山の小柄櫃の形状に関して、諸書を参照すると、平田、志水にもあることがわかる。だから遠山の見所というよりは肥後鐔の見所の一つと訂正したい。

2017/6/18
この鐔は小柄櫃があるが、櫃孔上部の肩が張り気味、下部の肩は撫で肩気味である。『林・志水』や『肥後金工大鑑』に所載の遠山鐔にも同様の傾向がある。この傾向が他の肥後金工にあるかは、確認していないが、これが遠山の鑑定上の一つの特色だ。

2016/11/26
この鐔も、何か女性的な感じもする。艶が美しいせいなのか、形が小ぶりで整っているせいなのか、肉置きが中高の碁石形で豊満な為であろうか。不思議な感じである。

2016/11/24
彦三の有名な鐔「ひご彦三」の銘があるものと、似ているようだが、この遠山の鐔はキチンとしている。平田、西垣、志水の雅味があるような系統とは異なっている。肥後四派の中では林(春日)系だと感じる。ただ板鐔で透かし鐔ではない。やはり加藤清正時代の鐔であろうか。

2016/11/22
この鐔は「遠山 源」と銘を切っているが、「遠山」と姓を切っているのは武士階級だったのであろうか。作風も様々であるから、武士が林派に学び、趣味で作ったのかとも思うが、頼次と頼家の2人の作者がいるから、慰作ではないのだろう。
私は「肥後遠山派(鐔)の活躍時代」銘の中に「九州肥後」と切りはじめる銘があることから、同田貫の銘の切り方と共通することで、時代も同時代。すなわち同田貫派が抱えられた加藤清正時代の作との仮説を展開したが、今回は「遠山姓を作品に切っていることから、武士階級に属したか?」との仮説も提示しておきたい。(江戸時代に、非公式に姓を名乗ることは寛容だが、公式に姓を名乗ることはうるさかった。刀や鐔の銘は公式か非公式かはわからない。また遠山派が桃山時代であれば、姓を名乗るのにやかましくはなかったとも考えられる)

2016/11/20
「味がある」という評は、地や耳に鉄骨が多く出ている鐔や、素朴な影透かしがあるような鐔に使われることが多いが、この遠山は透かしは無く、形もほぼ真丸、地は磨き地でやや碁石形の肉置きの鐔だが、「味がある」との言葉を使いたい。懐かしくなり、寝床に持ち込む。

2016/11/17
この鐔は、透かしも無く、形も真丸(ただし少し碁石形で耳にかけて微妙に薄くなる)で実にシンプルな鐔だが、私が好きな鐔である。鉄色がいいが、それは錆付けの技法もあるだろうが、鍛えの密な点からも来ているのだろう。質感が高い鐔だ。

2016/7/14
5月に遠山の鐔を所持している方にお会いすることをお約束したが、やっと昨日にお目にかかり、ご所蔵の鐔を拝見できた。『林・神吉』(伊藤満著)こも所載されているものだ。私の遠山の鐔よりも一回り大きい。阿弥陀鑢(中心から多くの放射状に線彫り)が表裏の全面にあるだけの鐔だが、肉置きは私の鐔と同様に、切羽台が厚く、耳に行くに連れて薄くなる碁石状の造り込みである。この阿弥陀鑢の線の太さがまちまちで、力強い。地鉄も黒く艶のある良い作品である。この方は、私の遠山を御覧になり「よく手入れされていますね」とおっしゃるが、手入れで輝いているのではなく、作成当時のきめ細かい地肌が損なわれないで照り輝いているだけだ。
この方は、小道具の大名品だけでなく、鉄鐔も非常に良いものをお持ちであり、このような人も遠山を所蔵されているわけだ。世評に遠山又七との言葉があるが、なるほどである。

2016/5/13
この遠山の櫃孔は肩が張り心でコンパクトに整っている。『林・神吉』を見ると、私のと同種の櫃孔のもあるが、語弊があるが少しダラシがないもの、大きく縦に伸びて締まりがないものや、少し平べったいもの、甚五のような四角のものまである。よくわからん鐔工だ。
この日記を見た知人から「自分も遠山を持っている」との連絡が入り、今度、見せていただくことになる。

2016/5/12
銘は「遠山」「源」と切り分けてあるだけだが、「山」と「源」はともかくとして「遠」はシンニュウが無い略字である。行書でも草書でもない感じであるが、昔の人はこのように書いたのであろうか。シンニュウが茎孔で消えたようにも見えないが、茎孔を開ける前に銘を切ることがあれば可能性もあるが。書道の勉強も必要なのか。

2016/5/11
昨日、国立博で「遠山与さんひようへ源頼次作」の群馬図鐔を観る(『肥後金工大鑑』にも所載)。木瓜形で真鍮で馬を三頭彫って象嵌した鐔である。馬の一頭ずつの姿態は珍しくダイナミックな変わった姿で、意欲的な作である。銀の布目象嵌もあるようだが、はっきりとはわからない。櫃孔は横に広い大きなもので左右同形である。金工鐔のようなものである。

このように作域も広い一派で、『林・神吉』を見ても、芦を簡素に毛彫りを施したものから、龍を鉄地に濃密に高彫りしたものから、私の所蔵品のように無文様の鐔まであり、不思議な鐔工だ。金工大鑑には自分の銘を文様のように大きく彫った鐔まである。
私の好みは、自分が所蔵しているような地鉄の美しさだけを表現した鐔(平田彦三のたった1枚しかない「ひこ 彦三」の鐔のようなもの)だが、不思議な鐔工だ。作風も色々、銘も色々。

2016/5/10
ここ数日は、肥後の遠山の鐔である。持っていると重さを感じる鐔だ。透かし鐔でなく、板鐔だからかもしれないが、密な鉄と感じる。密が故に、鉄の表面の肌理(きめ)が細かく、いい艶が出ている。少し赤みを感じる。

遠山の活躍した時代を、同田貫の刀における同様な銘から、同じような時代(天正末年、文禄、慶長)で、林又七に先行するのではと推論した。
同作を何枚か観るが、作風は古く見えるものから、時代が下がるような感じのものまである。また銘ぶりが異なるものも多い。現在は有名工ではないが、昔は遠山又七と言われていたように評価が高く、偽物があるのかもしれないとも感じる。


金山:松皮菱透かし

  2018/11/11
木綿の布で拭き込めば拭き込むほど良くなる。今は裏の切羽台を拭き込んでいる。一時的に切羽台の責金の銅が光ってしまうが、銅は問題なく、すぐに落ち着いた色になる。

2018/11/10
久し振りに観たら、ドキッとするほど、いい鉄色だった。存在感のある鐔だ。

2018/6/5
磨地に対して槌目の面白さは、地鉄の細かい変化が黒錆の輝きの変化につながるところも一つある。

2017/11/8
しばらく布で擦っていた。裏面の切羽台には表面に出た大きな鉄骨を磨いて平らにしたような痕跡もある。この鐔には耳の表面にも塊状、粒状の鉄骨が出ているが、大半の鐔は耳の横に鉄骨が残る。表面の鉄骨は取り除くのだろう。実用の道具なのだから。

2017/10/29
この日記の6/17に記したが、鐔の表面に4段階の高低と地模様の違いがあるので、同じ鉄の錆色でも異なり、また光の反射も異なるから、面白い。

2017/10/26
先日の日経新聞夕刊に、ある趣味人が茶杓の竹の艶を出すために何度も拭き込む。それでも駄目で百万遍も拭き込む目標に因んで茶杓の銘を「百万遍」としたと言うようなことが書かれていた。
これを読んで、鉄鐔も更に拭き込むことの大切さを認識した。それに答えてくれるのが、この金山だ。鐔立てに出した。拭きはじめるぞ。

2017/7/23
いい鐔は切羽台が時代なりの形で、丁寧に作られているが、この鐔の切羽台も見事な形で、櫃孔部分の窪みの整え方も実に丁寧だ。耳の金山らしいゴワゴワ感とは別のものだ。

2017/7/13
また1ヶ月ほど、いじくり回して、表面を撫でてきた。自己満足と言われるが、良くなったことは確かだ。今回は裏面を重点的に擦る。鉄は生きていると実感する。

2017/7/3
ずっと木綿で擦っている。わずかな変化だが、良くなってくる。トロッとしてくるのだ。今日、気が付いたのは粗い鉄ゆえに鉄骨の輝きが増すということだ。

2017/6/27
鐔を握りしめると、耳が掌(てのひら)に触れるわけだが、温かみを感じる。鎚目地、鉄骨が擦れて、こなれた感じなのだろうか。小ぶりの大きさが馴染むのだろうか。

2017/6/17
この鐔は立体感を感じる鐔だ。写真を見て欲しい。まず厚い。そして耳は角耳だが丸味を帯びて少し平地より高い。耳には塊状鉄骨も出ており、盛り上がっている。松皮菱は整った平地だ。ただし耳に接した角部分は耳の上に形を出して食い込ませている。切羽台も松皮菱と同じ平面だ。だから耳側より少し低い切羽台だ。さらに切羽台と松皮菱を接続している箇所が模様を邪魔しないように低い丸みを帯びた棒でつないでいる。都合、四段階の高さがある。

2017/6/15
この鐔は、耳がトロッとした少し肌理(きめ)の細かい鉄、中の松皮菱と切羽台は、そこまで肌理は細かくない感じの鉄と、触られた回数の違いなのか、あるいは表面処理(松皮菱は丁寧な表面仕上げ)の違いなのか変化があるのも面白い。こういうことで、よりいじくりたくなる。

2017/6/11
磨き地の鐔ばかり観ていると、この鐔のような鎚目地のゴツゴツが見たくなる。鉄の表情は面白い。

2017/3/5
鉄の肌理(きめ)は粗い。焼き手が弱いのだろうか。肌理が粗い鉄には輝きは出にくいのだが、それが鉄の不思議で、擦るたびに輝きを増す。鉄骨部分の輝きが特に目立つ。湯沸文の金山鐔は焼き手が強く、トローンとした鉄だ。こちらの鉄の方を好む人は多いかもしれないが、粗い鉄が輝くのは魅力的である。

2017/3/3
裏の切羽台上部、下部には少しザラザラした鉄が残っていて、その分、黒錆の輝きが少ない。購入当初に比べると、今では光沢の出てきている部分が多くなったが、今でも、この鐔を愛玩する度に、手と布で擦っている。これだけで輝きがでるが、あと百万回くらい擦るぞ。(この時、上下の銅の責金も光ってしまうが、これはすぐに直る)

2017/3/2
松皮菱の透かしの線の太さも良く吟味されていると思う。これ以上細いと繊細になりすぎて耳の太さ、ゴツゴツとマッチしない。逆にこれ以上太いと粗野になりすぎる。

2017/1/20
この鐔は今でも愛玩するたびに鉄味は良くなっている。鎚目地で、肌理の粗い鉄だから、愛玩するたびに、細かい摩耗があって艶が出て、鉄味が良くなるのだろう。楽しい鐔である。

2017/1/12
肥後の名鐔とは違った良さがある。それは鉄骨などの出る地の変化と磨き地に錆付けしたのと違う、焼き手による錆付けの違いだ。より素朴な感じなのだが、技術や芸術的センスは遜色ない。


2016/11/15
昨日、下記のように記したが、「桃山時代の小ぶりな金山鐔-出雲阿国のファッションからか?-」を改めて読むと、<検討課題7:桃山期の一時期に流行したにしては、小ぶりの金山鐔の数が多すぎるのではないか>と問題提起をしている。この時は西鶴の『好色一代男』の記述を把握していなかったから、このように書いたが、この検討課題に対して、次のように考えることも可能である。
①小ぶりな金山手の鐔は出雲阿国のファッションから桃山時代に流行した。(第一段階)
②寛文~元禄期は町人の帯刀にどんどん制限が加えられてくる時代だが、当時のお大尽に「町人ごしらへ七所の大脇指、すこし反らしてあゐ鮫を懸け、鉄の古鍔ちひさく柄長く、金の四目貫うつて、鼠屋が藤色の糸」などが流行する。七所の金具、アイ鮫、金の四目貫や高級な下げ緒は買えないが、「古鐔小さい」のは買えた。しかし古鐔の数には限りがある。そこで、この時期に新作として多く作られた。(第2段階)
③この結果として小ぶりな金山は多く残っている。

では当時の新作の金山鐔は、どのようなものかと問われると思うが、在銘も無い現代で明確にするのは難しい。何となく、これは時代が下がるのではと思うものはあるが、御持ち主が室町、桃山と思われているものを指摘しにくい。
もっとも、時代が下がると言っても、寛文~元禄期は林又七も西垣初代勘四郎も古赤坂が活躍した時代である。

2016/5/27
これが「本当の金山だ」と言ったが、この鐔のような大きさで、透かしも紋を菱形に据えて透かしたような鐔がある。笹野大行氏の『透鐔-武士道の美』におけるNo100の「雷紋四つ割菱透」とNo101の「四つ割菱透」である。笹野氏は、これらの鐔を尾張に分類している。実際に現物を拝見しないと明確には言えないのだが、透かしの感じ、全体の形態から私の松皮菱透かしと同一作者と思っている。
ちなみに笹野氏は晩年の著書『透鐔』では、上記の「四つ割菱透」をNo132の「割菱透」として金山鐔の中に含めている。鉄骨の形状や有無で区別するのは難しいし、意味が無いのだと思う。

尾張の名称や製作地については所蔵品の「桐・三階菱透かし」における三階菱紋から刀剣愛好家を輩出した阿波三好氏が畿内に勢力を伸ばした時に作らせたのではないか。すなわち三好氏が勢力を及ぼした堺、京、奈良で製作されたのではないかと推論したが、この松皮菱も阿波の三好がらみが出自の紋であろう。松皮菱紋は室町末期から桃山時代にかけて流行した文様であり、尾張出身の丹羽長秀が本陣の旗にも使用しているが、この松皮菱透かし紋の鐔も堺、京、奈良あたりで製作されたのだと思う。

2016/5/25
一年ほど前、ある刀屋さんが「最近は協会の極めで金山が多く、金山鐔の真価が損なわれている。これが本当の金山ですよ」と私に見せていただいた鐔があった。良い鐔だが、私から言わせれば、それも今一歩のモノだ。私の所蔵品のようなのが数寄者が色めく本当の金山(桃山期)だ。厚さも耳は7ミリ、切羽台は6ミリあり、大きさは小ぶりだが、それでも縦横それぞれ7センチ以上あるのだ。透かしの線は力強いが粗雑ではない。きちんとした印象を持つ。
何よりも鉄骨の景色がいい。耳の表面に出て、適度な暴れ具合だ。鉄骨が耳の横に出て、出自を暗示しているだけではないのだ。表面で変化を付けているのだ。焼き物の釉薬の変化を愛でるようなもので、茶道の美意識の延長だ。

2016/5/24
この鐔の耳には塊状鉄骨の外に粒状鉄骨(米粒の頭のような小さく丸く黒光するもの)が表側だけでも、鮮明なのが1つ、これもそうだよなと言うのが2つある。諸書には粒状鉄骨は足利期に多いとか、粒状鉄骨が出る地鉄は澄んだ紫錆で精良、一方で塊状鉄骨の地鉄はやや質的に粗だが、深い紫錆で手強いとある。
このように同じ鐔(少し粗い鉄)に併存しているから、地鉄の質そのものの違いではなく、鍛錬や焼き手加工の温度による結果なのであろうか。私にはわからない。

2016/5/23
この金山は、本当に手入れで良くなった。手入れと言っても、赤錆を角で落とし、あとは、ただひたすらに木綿の布で拭うだけだが、光沢がどんどん出てくる。江戸時代の磨き地で鉄の密度が高い綺麗な鉄は手入れしても変わらないが、このように鉄の粒子が少し粗い鉄は触れば触るほど変わっていく。このコーナーで紹介するのに、もっともふさわしい鐔だ。
この松皮菱透かしは耳が角耳に小肉を付けるだけでなく、耳の表面にも小肉が付いて円環に近いような雰囲気だ。中の松皮菱の透かしや切羽台には小肉は付いていないから、そのような地の変化も面白い。さらに加えて松皮菱を切羽台に付けている部分が、もう一段下がっている。


金山:湯沸文透かし

  2018/9/14
寝床で触る、この鐔の耳の感触は、室町古鐔の耳と同じような感触だ。古い時代の角耳に共通する感覚であろうか。地鉄は太字銘信家と同じような感じであり、製作時代に決め手はない。

2018/9/9
耳の部分と透かしの繋ぎは、湯湧文の透かしを太くして、強度に配慮している。鑑賞上も安定感が出ているようで良いと思う。

2018/9/8
所有している松皮菱透かしの金山鐔とは、別の工房だと思う。時代はこちらの方が古いと思う人が多いだろうが、私はまだわからない。なかなか雄大な感をいだくが、重厚とか重々しい感じはしない。

2018/9/7
良い鉄味で、太字銘信家と同じような鉄質である。切羽台は堂々とし、透かしは曲線を使っているが逞しい。

2017/7/16
この鐔は焼き手が強いので、錆色は固定されているから、手入れのたびに良くなるという松皮菱透かし鐔のようなことはない。良い鉄味、鎚目地に鉄骨の味わい、頃合いに大きく、透かしのデザインも簡素ながら味があり、堂々とした鐔だ。耳、切羽台への透かしのつなぎがやや太くなっているところが堂々とした印象のもとなのか。

2017/3/11
不思議な鐔を見かける。この鐔ほど焼き手が強くないが、同様の良い地鉄で塊状鉄骨が多く、また耳横に筋状鉄骨がある。透かし鐔というより、板鐔に影透かしというもので、持ち主は尾張とされている。尾張鐔の良いものにある外に広がる感じは無く、この鐔と同様に、現在の分類では金山とした方がいいものだが。

2017/1/22
尾張と金山という分類も、戦前は無かったとも聞いたことがあるが、この鐔などは昔は尾張と極められていたのだと思う。今でも筋状鉄骨を尾張骨と見る人もいるのだろう。無銘の鉄鐔は本当のところはよくわからない。

2017/1/21
この金山鐔は「松皮菱透かし」と違って、焼き手が強く、鉄がとろーんとしている。だから手入れをするまでもなく良い地鉄である。その分、手入れで良くなるという感じではない。耳に筋状鉄骨が明瞭に2箇所。地は塊状鉄骨を潰して平らにしたような鎚目である。

2016/11/14
「刀装具の研究ノート」に金山鐔-「町人好んで用ゆ」の根拠(2016年1月6日)を記したが、西鶴が『好色一代男』で書いたように、当時のお大尽(大金持ち)が「町人ごしらへ七所の大脇指、すこし反らしてあゐ鮫を懸け、鉄の古鍔ちひさく柄長く、金の四目貫うつて、鼠屋が藤色の糸」というファッションを身に付けた為に、「古鍔で小さい」ものがもてはやされたので多く残っているのが小さいもの(脇差用)になったのであろう。七所や金の目貫はお大尽で無ければ持てないが、「古鍔の小さいもの」は手軽に買えたから、多く伝わったと言うわけだ。
同時に「古鍔の小さいもの」に似せた鉄鐔が元禄前の寛文時代に多く作られたのであろう。金山と言っても、時代が上がらないものも、世の中には多い。

そして、この鐔のように大きいもの(大刀用=武士階級の差料)は、当時の武士階級には好まれずに、いつしか消失し、現存するのが珍しいのではなかろうか。当時の武士は磨地の鉄鐔(肥後林派、西垣派、赤坂鐔、越前鐔など)を好んだのであろう。裃差しの大小には鉄骨が出た鎚目地のものより、磨き地のものの方が折り目正しい。

また金山鐔はこのように大きい鐔(大きいと言っても、常の金山より大型で約8センチの直径)もあるが、作られた量は小型のものが、そもそも多かったと思う。それは桃山時代に大刀にも小型の鐔を付けるのが出雲の阿国のファッションで流行したからとも思う。それは「桃山時代の小ぶりな金山鐔-出雲阿国のファッションからか?-」と取りまとめている。

2016/7/27
この鐔の表面には塊状鉄骨が出て、それを磨ったような跡がいくつかある。そして耳の外側に結構長い線状鉄骨が出ている。これは鑑賞記の中で写真付きで説明している。尾張骨と呼ばれる線状鉄骨よりも細く長い感じである。初二代忠正と思われる古赤坂に見る線状鉄骨よりはっきりしている。諸書に金山鐔が所載されているが、線状鉄骨が出ていると書いている本はない。何なのだと思うし、古い時代の鉄鐔のことはよくわからないというのが本当なのであろう。もっとも、わからないことと芸術的価値は別である。

2016/7/26
裏を磨ったような跡(片側が平滑になっている)があるが、何度観ても、錆色は表と同様である。裏の磨っていない箇所とも同様である。だから当初から、このように加工したものと考えられる。製品として、このような形で市場に出したものであろう。
この手の金山鐔に、このように裏を磨ったものが何枚かあることも、上記の考えを裏付けると思う(もっとも、私自身は笹野大行氏が、氏の著作で裏を磨ったと述べている鐔を拝見していないので、同様な感じかは不明であり、断言はできない)。
鐔は、当時は刀装における装具の一つであり、芸術品を目指したものではない。だから、このような形で残ったのではなかろうか。
別に鐔の切り立てに細かいヤスリ目が残っている鐔(良い金山)、表面に細かいヤスリ目が残っている鐔(尾張と極められた高価な鐔)を拝見したことがある。大らかに製品化したのであろう。

2016/7/24
意匠は、左右大透かし、海鼠透かしと同様でもある。左右大透かしは肥後信長拵にも使われているが、私の肥後信長拵の写しでもそうだが、この拵にはよくマッチする透かしである。肥後拵は天正拵の次ぎの慶長拵の亜流であり、このような透かし鐔は、慶長拵期に流行ったとも考える。
鉄の錆色は焼き鈍しが強く、太字銘信家とよく似ている。私は切羽台の大きさ(縦が長い)から、この鐔の時代を永正備前の前期頃ではと推測したが、この手の透かし鐔全体の時代をもっと下げて、この鐔などは慶長期にした方が正しいのかなとも思う。
左右大透かしを意図したのであれば、デザイン感覚も新鮮である。

2016/7/23
この鐔、金山にしては大きいということだけでなく、観て、触っての印象として、スケールの大きさを感じる。どうして、このように感じるかはわからない。


林五代又平:茗荷蕨手透かし

  2018/11/6
このデザインは又平の創意ではないが、華やかでありながらキチンとした印象も感じる優れたものである。

2018/11/5
この鐔が二代重光より劣る点は、①切羽台の形状(これは時代の傾向で作家本人の問題ではないのかもしれないが)が堂々としていないこと、②櫃孔を構成する茗荷が、茗荷を彫ったというよりも、先人の茗荷蕨手透かしの紋様を写した点(鑑賞記参照)、③切羽台のフラットな点は春日の掟なのだが、気持ち”張り”が無いという点である。

2018/11/4
春日派らしい、透明感も感じる照りのある地鉄で美しい。

2018/4/18
茎孔上下の鏨で、これが林五代又平の作だとしたのが『林・神吉』(伊藤満著)だ。それまでは、この手の鐔は三代藤八のものとされていた。三代は昔から又七に見紛うものがあると言われていた。今でも、この手の鐔を藤八と言っている人も多い。刀屋さんも藤八の方が高く売れる。協会も五代に関する見解は認めていないのではなかろうか。きちんと再評価していかないと、茎孔の鏨を消すとかの悪さをする人間も出ることが懸念される。

2018/4/16
肥後春日派は又平に至るまで、鉄鐔界の最高峰であると改めて思う。古さ、古雅を重視すれば古いところの鐔が評価が高くなるが、技術的、美的な側面では一頭地抜けていると思う。

2018/4/14
この鐔の鉄味も、肥後春日派独特の照りのある美しいものだ。その地鉄・錆付けの代別による違いについては、所持している各代の鐔の数が少ないから言及すべきではないが、やはり時代が若い感じはする。

2018/4/12
この鐔の切羽台を観ると、やや細く、小ぶりな感をいだく。家代々の図の写しだが、切羽台などは時代を反映するのだろうか。又平は明和7年(1770)~文政6年(1823)であり、神吉初代正忠の明和3年(1766)~文政3年(1820)と同年代である。正忠の作品として確信できるものがないから、時代と切羽台の関係は確認しずらい。
なお、切羽台が大きくなる神吉深信は天明6年(1786)~嘉永4年(1851)である。時代の違いと言えば言えるが、流派、作者の特徴とも言えなくはない。

2017/9/16
家代々の造形の写しと言え、これだけのものを造れるのは大したものだと思う。耳の面取りの妙は、その仕事の丁寧さに頭が下がる。内輪の蕨手の透かしも線の太さが整い、細く、丁寧に整えている。

2017/2/11
蕨手は外側の耳と内側の切羽台の間にある曲線だが、それぞれの枠ごとに両方から2つの蕨手が来て下に開いている。これが蕨手の先だが、さらにこの先の最後(両方に跳ねた先)まで神経が届くと、もう一格上がると思う。
しかし、鉄味が良く、堂々とした鐔だ。

2017/2/9
伊藤満氏が、茎孔におけるこのような隠し鏨の作品を5代又平と極めるまでは、この手の作品は三代藤八とされていたものだ。三代は二代以上に又七に似ていると高く評価されていた。この鐔も鉄味麗しく、透かしも華麗、丁寧で鐔掛けにも映えるものだ。

2016/11/12
王者又七五代又平を比較する。1枚だけで観ていると又平もいい鐔であるが、王者又七と比較すると残念ながら大きく劣る。具体的に書くと次のような点である。
①量感が違う。実際の大きさも王者又七の方が大きいのだが、それとは別の感覚である。
②地鉄の錆色が王者又七は滑らかにとろんとして奥から照り輝いている。五代は照りはあるのだが表面的な感じで地鉄は少しザラつくところもあり、鍛えの差なのか、地鉄の質の差なのか。
③王者又七の切羽台は堂々としている。五代は少し貧弱。
④いつもの又七は表面がフラットな感じなのだが、王者又七は微妙に平肉を感じて豊潤。五代は板鐔を丁寧に加工した感じである。

芸術は残酷なところがあり、比較は劣位にあるものにはつらい。そして紙一重の差が大きい。もっとも紙一重だから、違いがわからない人もいる。
紙一重の差が、価格の差では大きなものになる。厳しいものだ。

2016/11/10
昨夜感じたのは安心感である。伝統を受け継いだだけかもしれないが、江戸時代後期の時代(18世紀後半~19世紀はじめ)にあっても、透かしの繋ぎ、鐔の大きさ、鐔の厚さなどは江戸前期の風を継いでいる。切羽台だけが、少し力が足りないが、武用の面、刀装としての格式などでも安心感がある。自分の息子が拵に付けていても安心だ。娘の婿としても安心感がある。肥後春日派(林派)の伝統だ。

2016/11/9
この鐔は、観ていると謹直さ(慎み深くて正直なこと)があるとの思いを常に抱く。伊藤満氏が『林・神吉』の中で、この鐔の茎孔の上下に打たれている責めタガネと在銘品から再発見した作者であり、それまでは、この手の鐔は三代藤八(籐八)とされていたものである。
私は、他にも又平と考えられる鐔を拝見したことがあるが、少しゆるむところが感じられるもので、この鐔に感じる謹直さは感じなかった。だから、謹直さは又平の個性と同時に、この鐔の特徴なのであろう。
世の中、真面目さが一番である。今の学校では皆勤賞などは無いところも多いようだが、一日も休まずに6年間、あるいは3年間通うことは価値がある。就職試験においても、つまらんことを評価するより、真面目さを評価すべきだ。真面目さがあってこそ”狂う”ことの価値がわかるのだ。


平田初代彦三:二引き両透かし

  2018/12/8
彦三以前に耳を円環にした鐔工がいたであろうか。独創的である。「芸術は独創」という言葉もあるが、彦三のこの鐔などは最たる物だ。

2018/12/6
この照り輝く黒色、肥後金工録で言う「澤(沢)あり」の光沢の黒は、黒楽茶碗の黒ではなく、織部黒や瀬戸黒茶碗の黒と気が付く。利休の冷え枯れた黒ではない。

2018/6/13
これまで、この鐔に対して”躍動感”という言葉を使ったことはないと思う。”若々しい”という言葉は使っているが、同じような印象でもある。今日は”躍動感”という印象が当てはまる感じである。

2018/6/11
スケールの大きさを感じさせる鐔だ。他の鐔を圧倒する。

2018/3/1
桃山グローバリズム(私が今、造った言葉だから世間には通じない)の中で造られた鐔という感じがしている。以前にも(18/1/5)、南蛮人、オランダの文物の影響を受けたのではと書いたが、加えて中国、安南、シャムなどの朱印船貿易の世界の中で誕生したのではなかろうか。

2018/1/11
では、この金散らし紙象嵌(塵紙象嵌)が無かったらどうかと考えてみた。私の発想力が乏しく、現状に引きずられてしまって現状追認の為か、やはり今のように存在した方がいいと思う。
逆に、もう少し賑やかに塵紙が象嵌されていればどうかなとも考えたが、私ごときのセンスでは具体的な絵が想像できない。

2018/1/10
この鐔に施されている金散らし紙象嵌(肥後金工録では塵紙象嵌)の意図、狙いについて考えてきたが、やはりよくわからない。引き両の一箇所の欠損と同じく、茶碗における景色(中国人は完璧を求めたが、日本人は釉薬の乱れ、色ムラ、傷なども個性として愛でた)と同様な効果を狙ったのであろうか。

2018/1/5
この鐔は王者又七の鐔と並べても引けはとらない。この時代に渡来した南蛮人(ポルトガル、スペイン、オランダなど)の文物の影響を受けたのではなかろうか。円環を用いたサーベルの鐔のようなものを観て、それに茶道の影響が交じっているのではなかろうか。

2017/9/14
若々しい印象を与える鐔だが、これはこれで完成された造形であり、円熟期の彦三である。しばらく鐔掛けにかけていたが、今回もこの鐔の美を「これだ」と表現する言葉が思い浮かばず、鐔箱に納める。

2017/9/6
それから米野健一氏、伊藤満氏という肥後鐔の大コレクターを経て、私ごときがお預かりしているという状況である。

2017/9/5
次ぎは阿部行人氏が所有されたと聞く。『肥後金工大鑑』に所載されている阿部氏ご所蔵の作品は6点を数える。阿部氏のことは詳しく存知上げないが、往事の肥後物のコレクターである。

2017/9/3
昭和27年に松坂屋で「鐔の美術展」が開催される。当時、所在がわかっていた名鐔が大々的に展示された会である。そのパンフレットには当時の所有者が掲載されているが、細川護貞氏の父で日本美術刀剣保存協会の会長もされた護立氏は肥後だけでなくあらゆる分野にお名前を見るが、長崎伊太郎氏も肥後物だけで、数えると11点も存在する。

2017/9/2
次ぎにこの鐔の所有者になったのは長崎伊太郎氏である。細川護貞氏が永青文庫の季刊誌NO17(昭和61年発行)の中で「肥後の金工」という一文を掲載されているが、その中で肥後金工の名を高からしめるに与った人物として、西垣四郎作(勘四郎家の後裔で明治期に東京財界の熊本県人に刀剣・刀装具趣味を鼓舞した。自身が集めた蒐集品は永青文庫に入る)と長屋重名(土佐出身で熊本鎮台にいる時に楽寿に師事して『肥後金工録』を著した。蒐集品は土佐山内家に入るが戦後四散した)が双璧だが、その次ぎに長崎仁平・長崎伊太郎父子を挙げている。仁平は熊本の素封家で古美術商で楽寿とも親交がある。伊太郎も古美術商として肥後物を高く評価・宣伝し、非常に高額な価格を提示して世間を驚かしたプライスリーダーと書いている。

2017/9/1
この鐔は細川刑部家に伝来したものだが、細川刑部家は室町幕府の管領職を務めた細川家(本家は京兆家)の分家の一つで和泉国守護を務めた和泉上守護家の流れである。細川藤孝(幽斎)が継ぎ、その後、幽斎の三男幸隆が継ぎ、その後は細川忠興の五男の長岡興孝が継いで2万5千石で幕末まで続く。ちなみに幽斎の長男の忠興は足利幕府の指示で細川奥州家を継いでおり、これが熊本細川家である。
紋所が、この鐔の丸の内に二引き両である。だから、この鐔は大切にされてきたのだろう。

2017/8/29
鐔は鉄などの金属の板を打ち抜いて模様を残す。打ち抜き模様で見せるのが古甲冑師や古刀匠の陰の透かしで、透かし鐔は打ち抜いて残った鉄板が模様をなす陽の透かしである。
この鐔の耳は板から加工と言うよりは、鉄の棒を曲げて円環としたような感じである。引き両は板からの加工だが面を取ることで、より棒状にしている。切羽台だけは板からの加工という感じである。
鉄の板でなく、鉄の棒を加工したように見えるところが従来にない感覚の一つと思う。そして耳の円環は切羽台よりも高い(厚い)。鉄の板(切羽台と同じ面)から加工したとすると、耳の円環は叩いて盛り上げたのであろうか。逆に耳の厚さが基礎の鉄板から、耳を円環状に削って加工し、引き両と切羽台はさらに低く平板状に削ったのであろうか。あるいは耳の円環を後から溶接したのであろうか。

2017/4/8
光沢は表面を磨き抜かれて出ているわけではない。もちろんザラザラでもない。部分的に光沢がでているのでもなく、全体に出ている。円弧、引き両に丸みはあるが、それで光沢が出ているわけではない。

2017/4/5
この鐔はいい鐔だ。肥後金工録記載の「澤(沢)あり」の光沢は独特で美しい。枯れていないぞ、彦三は。

2017/1/10
「漲る(みなぎる)彦三」という言葉が、観ている内に浮かんできた。茶道の美の彦三とは違う姿で、私はこの感覚が好きだ。

2016/12/11
円形だが、やや横に広がり加減である。二本の引き両(引き両の紋と違って、面を丸みを感じるから棒のような感じ)で、横を突っ張っているから、横に広がり加減が丁度良いのか。これが力感の一つの理由なのだろう。

2016/12/8
”黒”が実に美しい鐔だ。”黒の持つ華やかさ”と書くと、違和感を持つ人がいるかもしれないが、実に華やかな感じなのだ。金の散らし紙象嵌の意味も、黒の美しさを際立たせる効果を狙ったのかもしれないと感じてきた。楽長次郎の”かせた黒”ではなく、照り輝く黒楽茶碗だ。

2016/12/6
良い鐔だ。派手ではないが、華やかな感じもする。華やかだけど、浮ついていない。力強いが武骨ではない。洗練されているが、かよわさは感じない。

2016/11/7
この鐔は実際の直径も大きいが、印象として本当に雄大(雄壮で規模の大きいこと)な印象である。雄渾(雄大で勢いのよいこと、力強くよどみのないこと)と称する方がいいのかなと感じる。ただし、雄渾と言っても武骨ではない。
この鐔は『平田・志水』(伊藤満著)に所載で、そこに細川刑部家伝来とあるが、こういうのが彦三の本当の姿なのだろう。

2016/11/6
このように何度も鐔を観るのは、①芸術的感興に浸ること、②観ている内に新しい視点の美が発見できること、③魅力的な作品なのだが、その魅力をどのように言葉で伝えられるのかと迷うことなどからである。
鉄という素材は魅力的だ。鍛えて鉄錆が黒く付いても、それが美しい。鍛錬して日本刀になり、焼き入れ温度の違いで刃と地がわかれ、そのそれぞれに今度は磨いた美しさが生まれる。
この彦三の鉄鐔は造形と言い、黒錆の照りなどが美しく、①芸術的感興に耽ることができるものだ。③の作者の芸術的意図を伴った魅力の伝達には、まだわからないところもある。僅かにある金散らし紙象嵌の意図、引き両の一本に付けた欠けの意図など何だろうと思う。

2016/7/12
彦三というと、何となく枯れて、芸を極めた長老のようなイメージがあるが、この鐔は若々しい。長屋重名氏秘蔵の鐔も、この鐔と同様に若々しい感じだ。これも彦三と言うか、こちらの方が本当の彦三に近いのではなかろうか。

2016/7/10
抽象的な模様を透かすのは、尾張・金山にもあるが、この造形-円筒を大きく輪にして輪郭を造り、その間を切羽台を挟んで、二本の面取り角でつなぐーは近世(=安土桃山の新感覚)の発想だろう。そして、この造形は次の江戸時代には受け継がれていない。
彦三というと色金鐔が多く、名高く、金工と鐔工の間の名工の位置づけだが、鉄鐔のジャンルに入れて比較しても、この鐔などは尾張、金山の名品や信家、そして時代は下がるが又七、勘四郎とは別種の高峰であることがわかる。
色金鐔には茶道的感覚、南蛮風感覚があるが、この鐔は明るいが重厚、大らかだが緊張感があるような気がする。

2016/7/9
散らし紙象嵌は一体何なのであろうか。遠目には、鐔に何か輝いている箇所が見える程度だろう。接近して観ても「何だろう」「何かの模様が剥げた跡だろうか」と思う程度だろう。
二引き両透かしとしているが、本当の二引き両紋の姿とはほど遠い。
引き両の一部に削いだような箇所をわざと作っている。これはキズなのかと思う。
今朝、思いついた。観る人に「何だろう?」と考えさすことが抽象画の狙いだと。具象的な模様、絵であれば「二引き両紋だ」とか「桜だ」とかと認識されて、それで終わりだ。後は、観た人が持っている二引き両紋のイメージ、桜のイメージに収斂されてしまう。しかし、抽象的な模様だと、見過ごされずに観る人の頭に残る。これが一つの狙いなのだ。抽象的な模様は彦三以前の尾張透かし、金山、古正阿弥にもある。では、これらと彦三の違いは何かが、次のテーマとなる。

2016/7/7
『肥後金工録』にある「地鉄強くかつ澤(沢)あり」の沢=光沢だが、油を塗ったような輝きは不思議である。普通は地鉄を磨いて滑らかにすれば、ある程度の光沢は出るが、この鐔の地鉄は、そんなに磨かれていないのに、この奥深い光沢である。
そこに、ほんのわずかに散らし紙金象嵌。この感覚は、他の金工、鐔師ではマネができないだろう。

2016/7/5
この鐔は最近は鐔立てに飾っていたのだが、蚊取りの殺虫剤を使うにあたり、引き上げてきた。独特の迫力、口では言い表せないのだが、張りというか、緊張感がある。強さがあるのだが、うまく言えない。本当に魅力があるのだが、言葉で伝えにくい。英語で言うと、beyond my appreciative power だ。
  


平田初代彦三:素銅丸線鑢

  2018/11/1
赤銅の縄目覆輪が引き締めている。鐔の表裏から見える覆輪は細い。耳の縄目の傾斜は浅く、大胆だ。それでいて縄目の太さなどは整っていて美しい。

2018/10/31
彦三の色金鐔で、丸線鑢のものはいくつかあるが、皆、外周の丸線鑢の密度が濃い。一つの見所だ。

2018/10/30
彦三も茶道は嗜んでいたと思う。赤楽茶碗の肌の味を鐔で狙ったのだと思う。茶碗→轆轤(ろくろ)→丸線鑢と発想したのだろう。光線で色合いが変わる地金だが、赤銅覆輪の黒色で締めている。この幅は狭く、きりりとした感を与える。

2017/12/26
耳には赤銅の覆輪がかかっているが、この覆輪には斜めに縄目を彫っている。線で彫っているのでなく、彫り込んでいるように深く刻まれている。丁寧な細工であり、改めて感嘆する。私は南蛮風覆輪(これは私の造語であり、世間では小田原覆輪と呼ぶ)よりも、この鐔には合っていると思う。

2017/12/22
『刀装具鑑賞画題事典』(福士繁雄著)の画題として「翁鑢」(おきなやすり)が項立てされていた。私は翁鑢をつかわずに『肥後金工録』にある丸線鑢を使用しているが、この項でも「だれの命名かは定かではない。江戸時代にそのような名称はなかったようで、おそらくは明治、大正時代の識者が名付けたものであろう。その状態がまるで翁の髭のようだということから名づけられたというが」と記し、福士氏もとまどっておられる。おかしな名称だと思う。

2017/12/7
冬の朝の光の元では本当に渋い色合いだ。また、小ぶりな鐔であり、茶を嗜む老武士が腰刀(脇差、短刀)として愛好したものであろう。

2017/12/4
今は冬の暗い朝に観ているから全体に渋いが、色の変化も面白い鐔である。丸線鑢の凹んだ箇所が黒く見えるのは、長年の汚れもあるのかもしれないが、一度黒漆を全面に塗って、それを簡単に落とす。凹んだところには黒漆が残ったということだろうか。もちろん、味をつける為に作者自身が行ったのであろう。
あと、光は面の湾曲によって反射が違うことで色の微妙な変化が生じるのだろうか。
茶映りとは、茶碗にお茶の緑が入ることで変化する焼き物の色合いの変化を愛でる言葉だが、この鐔は拵でも感じが変化するのかもしれない。

2017/12/2
この鐔は寝床に持ち込んでも、身体から離れたところに置いて寝るが、じっくりと丸線鑢を観ると複雑さに驚嘆する。浅い線から深い線まで深浅の変化、そして線の間隔もごく狭いものからやや広めまでの広狭の変化、そして外側のように線の密度が高いところと比較的に粗なところという密度の変化、丸線のつながりも全部が繋がっているいると言うより、ところどころ断線しているようだし、その断線を生かして楕円のようにしてたり、形状の変化もある。

2016/10/17
先日、東美特別展で古染付(諸説があるようだが、明末に日本人の注文で作られた)を拝見。中国陶磁器なのに絵付けの線がラフであることに驚くと同時に、そのラフさに何とも言えない安らぎを感じる。こういうものだから今、盛んに日本から買い戻している中国人は好まないらしい。
江戸時代初期の作品だが古田織部の豪放な歪みと小堀遠州の綺麗さびの間のような美意識である。
この美意識は、同時代の彦三とも共通すると感じる。丸線鑢の線には深浅があるし、全て繋がっているわけではない。丸線の延長に正円があるわけではない。整っているのは目立たない縄目覆輪だけだ。

2016/10/16
何でも、その場の光で印象は変わると思うが、この鐔は仄暗いところでは実に渋い。銅の地鉄が山銅(やまがね:不純物が多い銅)に近いのだろうか。時代を経ての落ち着きだろうか。線の中や凹んでいる所への漆の残存のせいであろうか。よくわからない。
茶道=渋好みという単純な見方は取らないが、「渋い」色合いは精神の安らぎを求める心から来ているのだと思う。

2016/10/15
この鐔には赤銅の覆輪がかかっている。この覆輪は横から観ると、斜めで力強い線が刻まれていて見事である。刻まれているというよりは、丸い線を斜めにおいているような覆輪(縄目覆輪)である。
鐔の表面の丸線鑢は円形は円形だが、線のつながりが途中で切れたり、無造作に見えるような深浅を付けている。
無造作のようで、意図的な仕事である。

2016/10/14
彦三の色金鐔である。私が現時点で感じている彦三の美の要素は、「茶道的感覚」、「南蛮風感覚」(南蛮には中国も含まれる)、それに伸びやかさ(近代的創造力、明るく力強い感覚)=「安土桃山的感覚」である。
この鐔は「茶道的感覚」である。もう一枚所有している鉄鐔の引き両透かし鐔は「安土桃山的感覚」である。ただ地鉄は光沢があって黒楽茶碗の肌であり、「茶道的感覚」もある。
この鐔は赤楽茶碗のイメージである。陶器の肌を金属で出す為に、色金の素材の調合で色合いを、丸線鑢と軽く円形のえぐりを入れて肌合いを出す。そこに漆をかけることで、お茶碗を使い込んだ雰囲気を出す。肌合いに関して、一度火にかけて崩れを出すこともやっているようだ。
 

信家:題目・生滅者必(生者必滅)

  2018/9/6
「南無妙法蓮華経」の文字の彫りは鏨が太く、立派である。「信家」の銘の彫りも深い鏨でためらい無く堂々と彫っているが、この時期は充実していたのだと思う。

2018/9/5
「信家は木瓜の形だけで真偽がわかる」との言があるが、一理ある。言葉にして説明しにくいのだが、絶妙の形である。この鐔では上下の開の部分は大きく、柔らかく出て、左右の開はそれほど出ずに、茎孔に合わせて長くしている。バランスもいいし、巧みな造形力だ。作鐔の過程で出来てしまうのだろう。

2018/9/4
日蓮宗(南無妙法蓮華経)が圧倒的に多いが、次はキリスト教に関する透かしだ。キリスト教関係の信家はもっと多かったのかもしれない。透かしがキリスト教とわかりにくいものだけが残ったと言うわけだ。

2018/9/2
関ヶ原の戦いが終わった頃に、江戸に「かぶき者」と名を馳せた大鳥(大鳥居とも伝わる)逸平は、自分の長大な刀の鞘に「いきすぎたりや二十三、はちまんひけはとるまい」、「二十五まで生き過ぎたりや一兵衛」と書いていたと伝わる。このように刀装に、自分の信条を書くのが流行った時代に、この鐔は生まれたのだ。関ヶ原の戦いが慶長5年(1600)、大鳥逸平が捕らえられ、処刑されたのが慶長17年(1612)年だから、この頃の作品だ。

2017/12/11
この「信家」という銘字の力強い鏨。自分の作品に対する自負は相当なものがあったのだろう。これに気圧されるところもある。

2017/12/10
「生滅者必(=生者必滅)」の文字だが、若い内は勇敢に突っ込む時におのれを奮い立たせる言葉だが、歳を取ってくると、現実を突きつけられる言葉になる。仕方のないことだが。

2017/12/9
書は芸術だが、この「南無妙法蓮華経」は美しい。太く力を入れた鏨線、それほど力を入れない鏨線、ゆっくりと鏨を入れた線、逆に早く鏨を入れた線、それらが文字であるが、鐔全体を覆う線による文様になっている。(3/8にも同様な感想を述べている)

2017/3/10
信家鐔は武骨なようだが、洗練されていると思う。全ての信家鐔に当てはまる評ではないかもしれないが、その思いを強く抱く。形も木瓜形に独創があっていい感じだ。地の造り込みも切羽台にかけて薄くなる変化も自然だ。デザインとなる文字も生き生きして躍動的。裏の文字は、あくまで文字だが。

2017/3/8
「南無妙法蓮華経」の文字は字ではなく、絵画になっている。小さな鐔一面に描いている。裏の「生滅者必」は文字だが。

2016/11/4
3次元の作品と書いたが、それは切羽台部分の地造りが低くなり、耳にかけて厚くなり、さらに耳を少し打ち返している地鉄の造り込みが立体的なことと、題目の文字の彫りが深く、やや幅広めのタガネで凹になっていること、銘は題目よりは細いタガネだが、深く彫っており、手指で彫りの凹部が意識できることから述べている。板鐔とは違う感じを述べた。

2016/11/2
古刀匠や古甲冑師鐔の大きな鐔を触ってきたから、この鐔は特に小さく感じる。信家の良さの一つは形の良さである。鐔を2次元の作品としてでなく、3次元の作品と意識しているような造形力がある。

2016/10/31
この信家の小鐔は、心に浸みる。南無妙法蓮華経の髭題目の毛彫りは深く、強く堂々と大胆に彫っている。銘も題目の毛彫りよりは細いタガネで、強く鮮明に彫っている。作者の自信が溢れている。
裏には慣れない漢字でヨタヨタしているが、上部から生滅者必と彫る。すなわち生者必滅だ。
「盛者必衰 会者定離 生者必滅」が、この世の中だ。

2016/7/3
この鐔の櫃孔はうぶだと思う。小柄櫃だが、笄櫃のように州浜形である。そして大きい孔である。小柄、笄櫃は後開けも多いから断言はできないが、『信家鐔集』所載の鐔から、小柄櫃なのに州浜形のは10、12、13、15、19、25、29、35、36、39、48、54、62、66、70(小鐔)、80(小鐔)、82、85、86、87、88、89、90、95,96、97、98(140)、99、100、102、104、107,109、110、111、112、113、117、127、129、130、132、137の各図と多い。
銘のある方が裏と考えると、笄櫃で州浜となるが、図の調子などを観ると、銘は表であろう。

また、この鐔のような大きな櫃孔も結構、存在する。どういうことなのだろうか?

2016/7/1
中村覚太夫の『信家鐔集』の第21図に、放れ銘で長丸形に生者必滅を彫った鐔がある。裏は「十」「や」の字が上と下にある。「生」は上、「滅」は左側、「者」は下、「必」は右側に彫られている。
この字体と所蔵品は同じである。「生」の真ん中の横線は縦棒に対して、突き抜けずに右と左に線を分けている。「者」は上部と下部でずれている。
銘字も判別しにくい所もあるが、「信」の「口」の切り方などは同一だ。
特に興味深いのは、この大きな鐔も「者」の右肩に丸い小孔が開けられるように観られるところである。また「滅」の右にも孔らしきがある(共に裏の押形には観られないので、孔が貫通しておらず、打ち込みで凹んでいるだけの可能性もある)。
私の所蔵品は木瓜形の食い込み部分の四隅に丸い孔が開いている。ここに猪目(ハート形)を彫ろうとしたとの説もあるが、21図の鐔の孔を観ると、生者必滅と関係のある記号(語弊があるが)なのかもしれないと思う。不思議である。また裏の文字「十」「や」は何だろう。

2016/6/28
「生者必滅」(しょうじゃひつめつ)はまさにこの通り。関連する四字熟語には「盛者必衰」(じょうしゃひっすい)や「会者定離」(えしゃじょうり)があるが、うまく四字で表すものだ。もっとも、この鐔は上から「生滅者必」(しょう、めっするはひつなり)と切っている。表の髭題目と違って、たどたどしく彫っているが、戦国を生きた者が共感し、自戒の念を籠めたのであろう。

2016/6/26
小鐔だが、良い形だ。木瓜形の鐔は、後世になると少なくなるが、桃山時代までは鐔の形状が自由で、伸び伸びしている。埋忠明寿も、金家も彦三も様々な形状がある。耳の打ち返しも、適当でいい感じ。

2016/6/25
小鐔だが、丁寧に造られていると感じる信家だ。これまで南無妙法蓮華経の題目は毛彫りではないぞ。毛彫りのような細いものではなく、堂々と深く、大きく彫っている。鑑賞記の4章でも記したが、リズム感を持って、加えて美術的なデザイン感覚も加えて彫って魅力的である。銘字まで、その一部のごとく堂々としている。


林初代又七:王者又七

  2018/12/2
観ているだけで気持ちが豊かなになってくる。包み込むような暖かみも感じる。

2018/7/25
「寝るときはエアコンをつけて熱中症にかからないようにしましょう」との呼びかけ。つまらん呼びかけだ。「寝るときに鉄鐔を持って寝るほど熱中しましょう」が日本男子への正しいアナウンスだ。

2018/7/4
このところ、肥後鐔を観ている。活力を感じる鐔である。はじけるような活力ではなく、充ちているような活力である。

2018/5/16
ホッとする気持ちが生ずるところもある鐔だ。立派な鐔なのだが撥ね付けるようなところはなく、包み込むようなところがある。

2018/3/7
又七の鉄と言えば羊羹色と称して、古人は激賞してきたが、本当に、底に赤を沈めての黒色で、ねっとりと湿って固まったような鉄味は無類である。

2018/1/4
小柄・笄櫃は、どの鐔においても、実用の為のものとして、デザイン・形状に大差は無いが、この王者又七の櫃は形状が整い、優美でありながら強く感じる。切羽台に突き刺さるように彫られているのは又七の特徴だ。笄櫃も同様に優雅で洲浜はそれほど強くつけずに、全体の透かし彫りと調和しながら存在感を出している。切羽台の左右に、夫婦のように存在している。

2018/1/2
地鉄の光が強いと、冷たい感じを与える鐔が多いが、これは包み込んでくれるような温かみがある。

2017/11/28
底から輝いてくるような鉄色は温かみがある。寒い朝に目覚めた時には何よりだ。

2017/11/27
「冷え枯るる」室町古鐔を観た後は、この豊潤な又七だ。気分が明るく、豊かなに満たされる。

2017/11/13
切羽台の形状と櫃孔の形状、切羽台に刺さるがごとき様は狂いがない。それでいて堅苦しい感じはしない。こういうのが又七。

2017/11/3
存在感が圧倒的である。別種の存在感で、こういうのが芸術の力なのかとも思う。

2017/10/31
赤坂忠正の歳寒三友図透かし鐔の鑑賞記において、切羽台の長さが43ミリと記したが、この又七の切羽台の長さを計ると44ミリだ。寛永~寛文の頃はこれぐらいと言うことも可能だが、桃山時代以降は作者と時代が判明している鐔工がいるから、もう少し体系的に検討すべきである。ただし無銘が多い点、大小の式制が決まり、小の脇指用があることも考慮しないといけないだろう。

2017/10/24
観ていると至福の時間が流れる。切羽台の形も堂々。小柄櫃・笄櫃の形状も整いながらも張りのある形状でしっかりと切羽台に食い込んでいる。

2017/9/7
鑑賞記の「3.名人の遊び-余裕、自信」において「初見の折に、この鐔の円弧にある玉の中に、切り立て部分が斜めになっているのが下部左にあるのを発見した。この遊びを観た時に、急にこの鐔が欲しくなったのは何故だろうか。」と書いたが、細川護貞氏が永青文庫の季刊誌NO17(昭和61年発行)の中で寄稿された「肥後の金工」という一文において「又七の透し彫りは、決してプレスで抜いた様に垂直ではなく、部分的に傾斜しており、表裏の透しに微妙なズレがあり、それが何とも云えぬ味をもたらしている。この様な技法は、故意が目立ってはイヤ味になる。あくまで自然に、あたかも真直ぐに打抜こうとしたのが手の加減で少し乱れ、却って味が出たと云う感じに仕上げたのがミソである。無作意の作意と云うか、凡手の及ぶところではない。又七の名人と云われる所以である。」と記している。
この時の展示に、この鐔は出品されていないと思うが、まるで、この鐔を観ての感想のようだ。他の又七の鐔にも、このようなところがあるのだろうか。

2017/6/7
眺める時、至福の時。造った又七も凄いが、その価値を見出し大切にしてきた人々の思いが入っている感じだ。

2017/5/9
刀の世界の鑑定においては、同時代の国に入札されると「能(よく)」であり、確かに作風に共通点はあるが、肥後の林(春日)、平田、西垣、志水の初代は個性的である(勘四郎が又七として所載されているのも見かけるが)。こんなことを考えていると、刀工の大和五派は違うよなとの感も持つ。江戸石堂と虎徹(間違う人はいないが)も違う。「能」は鑑定会用のサービスの用語なのだろう。

2017/4/16
黒光りとか、照り輝くとかの鉄錆の輝きとは別に、造形の雰囲気も明るい感じがする。このような明るさも万人に好まれる要素の一つなのだろう。

2017/4/13
昨夜は、この鐔を掌上で観ていると「豊潤」という印象が浮かんできた。豊潤とは「ゆたかにうるおいがある」という意だ。書いてから、過去の鑑賞記を読むと2016/6/20にも同じようなことを書いている。

2017/1/2
重要刀装具に指定されているから高価だった。でも手に入れて良かったと心底思う。作者又七の美意識というか想いが、高い技術を超越して表現されている。緊張感もあるのだが、同時にゆとりがある暖かみも感じる。

2016/12/9
この鐔は鑑賞記の段階から、図柄の名称は書かずに「王者又七」と書いてきたが、あなたも御覧になるとわかると思うが、図柄がどうのこうのということはどうでもよくなる。本当に堂々たる鐔で、ご縁があってありがたいことであった。

2016/11/1
昨夜、寝る前に鐔掛けにある又七を見たら、一箇所の灯りを消して、たまたま鐔掛けの角度によるのだろうが、又七の鐔が全体に黒光り(厳密に言うと、光沢をある程度消しての黒光り)しているのを発見した。
改めて堂々として美しいことを発見した。

2016/10/19
この鐔は整っているが堅くない。きちんとしているが懐の深さというか暖かみを感じる。大したものだと改めて思う。

2016/6/23
鉄色は鑑賞記に「照り輝く羊羹色」、「清澄感と表現したくなる透明感」「晴朗とでも言うべき輝く黒」と書いたが、塩野七生の文章の中に「セレーノ」と言うイタリア語を男の褒め言葉として使っていたことを思い出す。静かに晴れて澄み切った空のような意味だと思う。黒錆に覆われた鐔に「晴れて澄み切った」と言うのもどうかとも思うが、深みのある澄んだ明るさを感じる鐔だ。

2016/6/20
鑑賞記の冒頭にも書いたが、この鐔は本当に豊かな気分にしてくれる。鑑賞記に記した「豊穣」の本来の語義は「穀物が豊かに実ること」であり、同音の言葉に「豊饒」「豊壌」があるが、いずれも「穀物が実る豊かな土地」に関係している。だから鐔に「豊壌」はおかしいのかもしれないが、観て、触っていると私の心の大地が豊かな気分になってくるのである。だから覇者ではなく王者なのだが、これが芸術の力なのかもしれない。

2016/6/18
肥後鐔は何故、このように流派も多く、優れ、その結果、残存している作品数も多いのだろうか。肥後藩の武士に、何枚も鐔を取替える文化があったのであろうか。
肥前刀と同様に、他国へ輸出していたのではなかろうか。しかし、輸出品であれば、当然に鐔にも銘を入れさせると思う。銘=ブランドが大切になるのは、肥後細川藩の要路の者もわかると思う。だから無銘が大半という意味で輸出品説も疑問が出る。むしろ長州藩の長州鐔の方が輸出品であろう。
肥後鐔が優れているから、結果として多く遺されているのであろうか。
あるいは、優れていることが知れ渡り、もてはやされて来た時(明治期以降)に坪井地区で多くの上手な写し物が生まれたのであろうか。

2016/6/17
この鐔は、本当に堂々たるものだ。スケールの大きさが違うが、一体なぜなのだろうと思う。信家の豪放な感じとはまったく違う。磨き地で美しいが、美しさが持つ弱さはない。では強さかと思うが、強さが際立つわけでもない。なんとも言えない安心感がある
 


古刀匠:二つ角透かし斬撃痕

  2016/10/30
私の所有する古刀匠鐔も、古甲冑師鐔の2枚も、陰透かしの文様が大きいことを改めて認識する。もちろん、大きいといっても限度はあるが、大きな文様を堂々とポツンと透かしている。これは、好みかもしれないが、大きめの透かしは屈託がなくて良いものだ。
今回、改めて古刀匠鐔、古甲冑師鐔を寝床に持ち込んで観たが、新しい認識を得た。やはり、寝床での鉄鐔愛玩は楽しい。

2016/10/29
この鐔も、昔は錆と朽ち込み跡だらけと思っていたが、意外と光沢のある地鉄もあり、また、もう少しボテついていると思っていたが、尋常な薄さでスッキリとした、いかにも古刀匠鐔らしいものだ。透かしは丁寧で、稚拙なものではない。大きい鐔だが、良い鐔である。ただ、このような朽ち込みがあれば、江戸時代の武士は差料には用いなかっただろう。戦場往来の時代に本来の役割は終えているだろう。

2016/10/28
この鐔の斬撃痕は強烈だ。敵が思い切り打ち込んできた刀を、この鐔でがっちり受けたのである。半端な力ではない。薄い線跡として斬撃の跡が残っている鐔はたまに見るが、このように斬撃の跡が食い込んで、周りの鉄が盛り上がっているようなものは無い。持ち主の命を救った縁起の良い鐔である。
斬撃痕はキズである。しかも大きなキズである。美観上使用に耐えないとして捨てられるのだろうが武具のこのようなキズは誉れ傷である。この鐔は、持ち主の命を守ったから、大事に残されたのであろう。あるいは神社にでも奉納したのかもしれない。
このように持ち主(持ち主の先祖)にとって特別な来歴がなければ、新々刀期に荒試し用として、何度も斬撃に供して廃物としたと思う。
刀でも、大名家伝来で、いつぞやの婚礼の時の引き出物として伝わったなどの来歴を好む愛好家も多い。この鐔などは、そういう箔が付く来歴では無いが、無名の持ち主だが、その命を守ったに違いないという来歴が想像できるものである。夢があるではないか。

2016/10/27
古甲冑師鐔と同様に、民芸的な鐔の古刀匠鐔を寝床に持ち込む。実は昨日、ある所で昔笹野大行氏から「100万で譲って欲しい」と当時の持ち主に言われたという古刀匠鐔を拝見した。ある本に掲載されている鐔である。いい古刀匠鐔であるが、今はそんな値段はとてもだせないと現所有の方と「うーん」と唸る。昔は笹野氏のような大コレクターがいたから鉄鐔も全体的に高かった。刀剣柴田の故青山氏も「いいのが出ると笹野先生が買っていく」と言っていたものだ。私も含めて、今のコレクターのレベルが下がっているのかもしれない。
それはさておき、改めて、私の古刀匠鐔を見ると、その鐔よりは時代は下がるものだが、それなりに良いものだ。
 



古甲冑師:結び雁金・丁字透かし

  2016/12/22
薄い鉄板だからであろうか、この鐔は手指で愛玩すると音が聞こえる。軽く叩くと乾いた音も跳ね返る。大きく陰透かしを斜めのラインに施す。古甲冑師の透かしは賑やかな感じがすると言われている通りだ。

2016/10/25
「そこに素朴な美を発見する」と書いたが、今朝気が付いたが、美ではなく、「なごみ」というような気持ちである。武具に「なごみ」とは何事かと言われそうだが、何かホッとするような気分である。

2016/10/20
この鐔はホッとするところがある。民芸の良さなのだろうか。
 



古甲冑師:唐花透かし

  2016/10/23
民芸とは、柳宗悦が唱えた言葉で、無名の工人が製作した日常雑器に「用の美」を見出したものである。識者によって「用の美」があるとされると、皮肉なことに安価な日常雑器が高価になる。無銘の簡単な武具(鐔、小刀など)も範疇に入るだろう。
古甲冑師鐔は、護拳の武具:鐔の機能から来た”丈夫さ・安価から用いられた鉄という素材”、”拳を守る大きさと腰に差した時に邪魔にならない大きさ”、”強度を保ちながらも必要以上に重くならない為の薄さ、補強する耳の打ち返し”、”赤錆を防ぐ為の黒錆”、そこに”ちょっとした飾りになる透かし模様”で生まれたわけだ。加えて”歳月によって使い込まれ、朽ちてきた跡”が何かを語る。
そして後世の我々は、そこに素朴な美を発見する。

2016/10/22
同じ古甲冑師鐔の唐花透かしも引っ張り出して、観てみる。結び雁金・丁字透かしとは地鉄が違う。こちらは艶消しをしたような地鉄だが独特の輝きがある。地鉄の照りは結び雁金の方があるが、この鐔には縦の薄い鑢の線が見える。篠鑢と言うほどに作為的なものではなく、地鉄加工の途中のような鑢である。
また、耳の状況などは、唐花透かしの鐔の方が丁寧な感じである。厚さはほとんど同じである。大きさは雁金の方が大きい。この手の鐔は、各地で室町から桃山にかけての各時代ごとに作られたものであろう。
古甲冑師鐔は民芸を愛でるような感覚、骨董いじり的感覚に気が付いたが正解のような気がしてきた。


神吉深信:花桐透かし

  2017/9/17
肥後の新々刀期の鐔を観ている。この鉄と錆色は別種の鉄という感がある。透明感のあるような、あるいは洋鉄のようなもので異彩を放っている。赤錆を寄せ付けないような鉄である。在銘だし、大小で納められたものであり、特別な注文作なのだろう。

2016/10/12
切羽台は大きい。深信は天明6年(1786)ー嘉永4年(1851)の生涯である。在銘年紀作に天保14年(1843)(58歳)がある。文政(1818-1829)と天保(1830-1843)が盛んに製作していた時期である。
同時代の志水家では、4代志水が延享3年(1746)-文政6年(1823)であり、5代志水茂永は2人扶持を得たのが文化10年(1813)で逝去したのが嘉永7年(1854)である。5代茂永にも切羽台の大きな鐔がある。所蔵していた雨竜の鐔も大きい方である。時代の嗜好なのであろう。
ちなみに天保の頃の新々刀は長大な刀も多い。

2016/10/11
この鐔は在銘であり、同図で同じ銘の切り方の大きめの鐔が現存している(『林・神吉』伊藤満著に所載)。この鐔と大小となっていて、この鐔が小のものだろう。
特別の注文作であり、鉄の質も特に密度が高いような感じで、錆色も独特であって、常に観る深信の作品とは違っている。
柔らかい図柄を堅く彫ったような違和感を感じるところが、深信の個性なのであろうか。あるいは特別な注文作だからなのであろうか。

2016/10/9
2代勘四郎の桐を観てきたから、深信の桐を透かした鐔を持ち出してきた。昨夜、気がついたのは深信は桐の毛彫りにおける葉脈の先をほとんど閉じていないことだ。左右からの毛彫りの線を閉じないで、密に接して2本の線のままにしていることだ。何か意味があるのであろうか。
 


西垣二代勘四郎:巴桐透かし

  2018/7/27
先日、国立博で「縄文」展を観に行った時、縄文土器にすでに巴のような図が彫られており、それを雲形文と説明してあった。
巴は水流とも聞いたことがあるが、縄文からの紋様なのだ。

2018/7/20
絵としては巴に押されて、花桐が爆発したのだ。そういう点が下記した「何か心のいらつきがあった」と感じるところなのだろうか。

2018/7/15
これを作鐔した時の二代勘四郎は何か心のいらつきがあったように感じる。時代(元禄後半以降)の風潮に対するものか、家庭的なものかはわからないが。
数日、寝床で観ている感じである。

2017/12/31
勘四郎永久が抽象化してきたから、観る方も図柄を放れると、巴の密集軍が押し寄せて桐軍を圧迫する。その中から桐軍の花穂部隊が分かれて包囲に向かうような図にも見える。

2017/12/29
初代勘四郎が亡くなり、武張った将軍吉宗が出る享保までの時期、すなわち元禄、宝永、正徳頃の時代を反映しているのだろうか。

2017/12/28
初代が作った巴と桐の紋の一部を組合わせた図であるが、この図自体も現代の我々から見ると変な図である。藩主の紋といっても、どうして肥後藩士に喜ばれたのかと不思議に思う。肥後藩の一部組織の合い印のようにしたのであろうか。
そして、二代のこの鐔は、さらにデフォルメをして、抽象化にも踏み出している。抽象化と同時に装飾化も図っているところに違和感を感じる。

2017/7/8
この鐔は、何か生々しい感じを抱かせる鐔である。

2017/7/7
あるところで勘四郎の良い鐔を拝見。それは初代作と思うが、鉄味はこの鐔とよく似ている。また形状も、この鐔同様に、少し歪んでいる。この歪みの感覚が勘四郎なのだろう。

2017/2/12
この鐔は、花桐のところは切り立て部(透かしの際)に入るところを全体にわずかに面取りをしている。林二代は初代の図をデフォルメしているところがあるが、西垣二代はより以上に華やかにしている。時代の影響だけでなく作者の個性の違いだろうか。

2016/10/8
この鐔は小柄の櫃孔を赤銅で埋めている。また笄櫃の内側に当て金として赤銅を付けている。拵の都合で後世の人が埋めることが多いが、この鐔は2代勘四郎自身で埋めているように感じる。小柄の埋金は、少し膨らみを付けるような肉取りで実に上手である。笄櫃の当て金も真ん中辺りを膨らませて上手なカーブである。
作者本人が行ったかどうかは確証はえられないが、このようなところの加工も丁寧に行っているものは、良いものが多い。昔の人だって、当然に良いものを識別し、それは大事にしたのだ。

2016/10/5
「西垣の鉄味は黒い」と読んだことがある。鉄味は私の所蔵している鐔、全てで若干異なるように、難しいものと認識している。保存の状態で異なる。その伝来の過程で、江戸時代には鍔屋があり、それぞれの家に秘伝の錆付けをして、改めて販売していたことは、このHPで紹介している。
ちなみに所蔵していた初代勘四郎の「海鼠透かし鐔」はやや赤味がある柔らかみを感じる鉄であった。雁金屋彦兵衛と極められていたが、実は2代勘四郎と考えられる「雪輪雁金透かし」の黒い錆とも少し違っている感じである。

この2代勘四郎の鉄味は黒い。そして、茎孔の周りの責めタガネも同様に黒く錆付けされている。責めタガネは、後に自分の刀に合わせて調整する時に孔を小さくする時に使う。こう考えると鐔製作時点とは後順位であり、錆の状況が変化が当然なのだが。
一方、赤坂鐔にも、同様な茎孔周りの責めタガネがあり、鐔の作者自身が、銘代わりに打ち込んだものもあると考える。
この鐔における責めタガネが2代のものかは、他の2代作と比較する必要はある。鉄鐔ではないが、初代彦三の色金鐔には、茎孔の周りに丸い責めタガネが打たれている。

2016/10/4
この鐔は鑑賞記に、2代と極める経緯を書いた。肥後金工録における「美なる方にて初代より密なり」の評の通りである。この鐔における桐の花穂は密がやや過ぎて、うるさいところがある。櫃孔から出している桐の花穂はいらないと思う。
だけど、2代勘四郎がさすがと思うのは、少し華やかに作っても、弱さが出ないところである(改めて鑑賞記を読むと、この時にも2代の強さに触れており、伊藤さんはよく観ている)。
華やかなところは、製作した時代が元禄に入り、時代の好みを取り入れた為であろう(初代勘四郎も元禄6年まで生き、この時、2代勘四郎は55歳であるから、晩年に工夫して製作した鐔であろう)。
 



肥後拵:御家拵写し肥後拵:「の」の字拵

 
2018/8/5
この拵は実用を感じさせながらも美しい。それが肥後拵の魅力だと言われれば「そうですか」とうなずくしかない。鹿皮の柄巻きにある汚れの使用感まで愛着を感じる。巻き込んでいる鮫は黒漆で染めているが研ぎ出していないから漆の光沢はない。それが汚れの使用感を落ち着かせているようだ。目貫は大きく長めの羽箒である。羽部分は黒四分一なのか、あるいは赤銅の質が劣るのかわからないが、落ち着いた黒で、下の黒く染めた鮫とも違う色で存在感を出している。羽箒の持ち手の金象嵌も映える。

柄の形も中程がわずかに狭まる形で握り易さを感じさせる。縁は黒四分一のくすんだ黒で真ん中を凹ませて、ナナメの直線だけの鑢だ。頭は波に山道文でこちらは曲線の彫り込みだ。巻き込まれて一体となって、存在を消している。

鐔は武用に適した大きなものだが、大きな透かしを入れて重厚感を和らげている。真っ黒ではなく、やや赤茶に輝く鉄地に綺麗な線の雷文。華やかさ、緻密さを感じさせるが、派手さや、緻密な彫りによる堅苦しさを感じさせない。装飾よりも実用感が出ている。
下げ緒の色が実に良い。薄紫でふっくらと織り上げている。褪色しているのかわからないが華やかさを出している。

鞘の鯉口、栗形と返り角は拵全体の中にあって、真っ黒な漆塗りで締めている。黒の中で、この黒だけが研ぎ出した漆黒の輝きで拵全体を締めている。この色の面積割合も調度いい。

鞘に張った鮫皮は自然の紋様として細かい○文が一面を覆っているが、その大きさ、形状、色合いが微妙に変化している。白が濃くなったところ、逆に黒が濃いところと変化してが調和している。時代を経て鮫の色も落ち着きが出ている。
もちろん、鞘は日本刀の反りに合わせてた形状であり、曲線も美しい。
鐺(こじり)は羊羹色に輝く鉄の鐺である。黒漆ではないから堅苦しさはない。

2018/7/1
「の」の字拵の方だが、これは鐔と笄が後補である。鐔については2016/9/28に金象嵌がある華やかな方がいいのかなと書いたが、肥後の小ぶりな色金鐔でもいいかなとも感じる。また笄は肥後象嵌のある馬針のものがいいだろう。

2018/4/10
慶長、江戸時代前期に鮫皮(実際はエイの一種)は南蛮船や朱印船で多く輸入された。そして高価なものであった。こういう鞘を観ていると、当時の武将が愛好したのも理解できる。堅牢という実用もあるのに加えて、黒と白の斑点の織りなす模様の美しさ、しかも自然の模様であり、色目であり、同じものが一つと無く、他の武将の鞘とも差別化もできるのである。

2018/4/7
桃山時代のこの手の拵が一番良い。肥後拵の信長拵、歌仙拵ももちろん、江雪左文字が入っている拵も、同様である。柄は黒塗鮫に燻皮で巻き、鞘は研出鮫である。
桃山時代の拵には、この手のもの以外にも次のような拵があるが、気が引けるところもある。山鳥毛一文字の合口スタイルの拵もいいが、鐔が無く特異過ぎる。黒田如水の安宅切りや圧し切り長谷部の拵のように、金霰鮫青漆打刀は豪華だが、金を張っており、豪華過ぎる。前田利家の犬千代拵ともいわれる雲龍蒔絵朱漆大小拵は朱塗りであるので恥ずかしい。太閤秀吉→溝口家の朱塗金蛭巻大小拵も同様に派手過ぎる。
この点、革巻きの柄に、研出鮫は実用性と適度なオシャレ感がいい。

2018/4/6
私の拵は格好が良くて好きなものだ。色の調和もいい。時代を経て白が増した鮫鞘の色だが、黒地に小さく不規則な斑が一面だ。自然の鮫皮だから適度に色ムラがある。鐺(こじり)は見事な錆色(羊羹色)の鉄地だ。栗形と返り角に鯉口は黒漆で締めている。
下げ緒は感じの良い薄紫色である。目立たない派手さのある色だ。
鐔は中根平八郎の輝きの強い鉄で、耳には銀雷文象嵌だ。
縁は黒四分一に斜めの鑢、間に一巻き抉(えぐ)っている。シンプルなものだ。
柄巻きは鹿皮に手垢が所々に付いていい味だ。
その中の鮫は黒く染められているが埃がたまっているのか、艶は少ない。柄巻きの皮の間から覗く。
目貫は大きめの赤銅と思っていたが、今日、明るい昼の光で見ると黒四分一と思える。羽箒の図で、箒の柄の部分は金色絵だ。
頭も四分一だが、縁よりも光が強い。

「の」の字拵は、新しい分、鮫鞘の鮫が黒っぽい。笄と鐔は後補であるが、現在の四分一樋定規の割笄を、金象嵌の馬針(楽寿がいい)にしてみたい。縁頭も細かい彫りの釘谷洞石の押し菊だから、鐔は肥後の色金鐔の小鐔に替えて、松井家が造ったものらしくにしてみたい。

2017/11/11
根津美術館で光村利藻氏が作らせた拵の名品を拝見する。鞘の蒔絵、拵の金具は確かに素晴らしいが、装飾面が強く出過ぎていると感じる。最近、いくつかの刀屋さんで某大名家伝来という拵や、新作の天正拵、時代は下がるが肥後拵の良いものを拝見。やはり肥後拵が好みに合う。
所蔵の御家拵(写し)は、鞘の鮫が古く、焼けて白っぽくなっていて感じがいいと改めて思う。

2017/10/12
先日、『戦国武将の合戦図』という本で福島正則の旗が山道文であることを知る。古い時代の関ヶ原合戦屏風には、縦棒がクネクネとなる山道文の旗が描かれており、時代が新しい関ヶ原合戦屏風には、横にギザギザの山道文の旗である。縦棒がクネクネの方が正しいようだ。
縁頭の頭の山道文とは違う形だが、この時代に山道文は旗印に使うほど、流行していたことがわかる。

2017/9/10
波山道紋が伊達政宗の好みという細川護貞氏の文に関して、伊藤満氏に確認すると、長岡恒喜氏の『仙臺金工之研究』(1935年刊)にも同様の記事があると教えていただく。長岡氏は熊本で生まれ、熊本五高で夏目漱石に学び、東大でも漱石が移った哲学科・美学を一期生として習った人物である。以降は教育者として福島、広島、山形で旧制中学の校長を勤め、刀剣、刀装具に詳しく、『荘内金工之研究』(1933年刊)も上梓された。細川護立氏にも講釈されているので、細川護貞氏の文の根拠は、ここにあろうとのことであった。
長岡姓であり、細川家の一門の生まれとも推測できる。

2017/9/9
細川護貞氏が永青文庫の季刊誌NO17(昭和61年発行)の中で寄稿された「肥後の金工」から、これまで「王者又七の2017/9/8」や「小道具の楽しみ記」の「彦三・二引き両透かし2017/9/2」などで引用・紹介したが、ここには、この御家拵(写し)にも付けられている波山道紋の頭について、次のような興味深い内容を紹介したい。
「(千利休と)更に三斎は仙台の伊達政宗公とも交渉があった。ー中略ー刀装の金具に於いて、肥後と仙台に区別しがたい程にかよったものがあるのは二人の友情がしからしめたものと云ってよいのではなかろうか。特に縁頭に於て然りで、一例を挙げれば、三斎の佩刀として有名な信長拵の波に山道の頭は、伊達政宗考案のデザインであり、三斎によってその形が肥後に定着したものである。つまり利休の「わび・さび」と仙台物の小粋な華やかさ、いわゆる「伊達さ」とが三斎を通じて、渾然と一体化したもの、それが肥後物の良さである。」
この拵の鑑賞記における「6.慶長期の拵と肥後拵えの共通性(波山道紋の不思議)」で、私はこの模様の起源について疑問を呈しておいたが、「伊達好み」という伝承もあるのですね。でも何で波に山道なのだろう?

2016/10/2
拵の話になっているから書くが、昔は識者が語るところの「肥後拵には関物があう」とかの話を信じていたが、この歳になって思うと、中身の刀と拵は関係しないと言うことだ。
要は本歌の歌仙拵の中身が之定、信長拵の中身が加州信長の末古刀だから言っているだけだ。もちろん、中心が極端に長い幕末の刀を歌仙拵や、信長拵にすると、柄を長くし、その結果、ふずべ皮の巻きを多くするかで対処せざるをえずに、全体のバランスが崩れるだけだが、別に寛文新刀を入れようが、大磨上げの古刀を入れようが関係はない。
伯耆流居合術に適した刀はあるかもしれないが、居合は短めの刀を抜くだけではない。むしろ長い刀を抜くことに習練の結果も出る。
宮本武蔵の武蔵拵も肥後拵だ。
昔の識者の話には傾聴すべきものもあるが、適当な話も多い。

2016/10/1
自分は拵は好きだが、拵のパーツの中で一番魅力的なのは鞘だと思う。鮫鞘は鮫の模様が自然のものであるだけに千変万化して、魅力的である。あと自分の好みの明智拵は春慶塗が古びたような色の鞘が魅力だ。結城秀康の拵の鞘は朱鞘だが、色が少し淡くなっているのが感じがいい。黒田如水のは金板をあられ状に打ち込み、それを下部に貼って豪華である。秀吉の朱鞘にナナメに金を太いのと細いのを蛭巻きにしているのも華やかである。鳥居元忠の朱鞘に銀で藤の花穂を大きく入れているのも凄いと思う。遠山友政のは青漆で濃い緑色だ。それに銀を水流のように貼っていて、見事な色彩感覚だと思う。

全部、天正・桃山時代に本歌があり、容易なことでは入手できない。現代の写しもあるが、それは写しものらしく、しかも意外と高価である。

糸巻太刀拵は儀式用だから古いのが残っているが、儀式用だけに形状は同じで、金具も紋が多い。特に欲しいと思わない。黒呂塗の鞘は、その塗りを鑑賞できる素養もないから金具の魅力になるが、それだけなら拵など無い方が鑑賞しやすいとなる。もちろん変わり塗りの鞘もあり、それはそれで技術に感心する。

こういう中で、気に入った拵えが入手できたのは幸運であった。

2016/9/30
拵というものは、総合の芸術だから美術品としての鑑賞も全体を観て判断する必要がある。もっとも昔の人も、全体のバランスを考えて拵に組んでいるから、ある金具だけが拵全体の中で群を抜いて良いと言うことは少ない。
廉乗の良い三所物が付いている短刀の出し目貫の合口拵を拝見した時、柄の鮫皮も親粒が見事なもので、鞘の塗りも美しいもので「なるほど」と思ったことがある。
後藤の品物を拝見すると、三所物では目貫が一番見事である。その目貫を短刀用の出し目貫にして使うのは理解できるが、柄糸の下に巻き込んでしまうのは普通の感覚だったのであろうか。柄糸の下から所々に見えるところに、奥床しい美があるのだと唱えることもできる。繁華街を”目貫通り”と言う言葉は、巻き込んでも目立つから出来た言葉なのだろうか。

私は、出し目貫の拵ならばともかくとして、柄糸で巻き込んでしまう目貫に、それほどのものを使わなくてもいいのではと、思ってしまう。
貧しい感覚なのであろうか。
所蔵の御家拵の目貫(羽箒)、「の」の字拵の目貫(牛)は、赤銅地に金象嵌があり、後藤風だが赤銅の色はそれほどでもない。しかし巻き込んでいるために汚れているとも言える。いずれにしても、どこの誰の作かがわからないのが正直なところである。

2016/9/28
今、拵と鐔の相性を考えはじめている。御家拵に、この中根平八郎の鐔が実にマッチしていると思うからだ。もっとも中根は本歌の信長拵についた同様な古正阿弥の鐔を写したわけであり、合うのも当然なのだが。
よく「信家はどんな拵にもかかる」と言うが、この御家拵には「戦争と平和」の太字銘信家よりも、中根の方がいい。
また「の」の字拵も引っ張りだして見ているが、縁頭が釘谷洞石の「押し合い菊」の緻密なものだけに、派手な鐔(金象嵌をしているような)がいいのかなとも思う。
もっとも、拵に合う、合わないを感じるセンスが、万人と一致するかも大事であり、私のセンスに自信を持っているわけではない。

2016/9/26
この鐔の大透かしの内側の切り立て部分は、左右、表裏ともに面を取っている。その面の取り方は上下の方はあまり面取りをせずに、左右の一番横に広がった部分を広め-と言ってもわずかに広い程度だが-に取っている。柄を握った時の拳の上部と鐔面との当たりを和らげているのだろうか。美的には、このことで光の反射も微妙に変化しているような感じがする。ただし、これが中根平八郎だけの工夫かはわからない。
また、中根の鐔は銀象嵌の雷文が、線が細く、一定で見事である。耳は銀象嵌が落ちているところもあるが、表裏の面の銀象嵌は落ちておらず、美観を損なってはいない。

鮫鞘は面白い。自然の生き物の皮だから、全面が同じ調子の文様だが、その模様は規則的ではない。細かく観ていくと、円の大きさなど微妙に違っていて飽きない。もちろん円の色合いも変化している。エイの皮を鞘に貼って、それに漆をかけて研ぎ出しているが、昔の日本人の発想は素晴らしい。

2016/9/24
中根の鐔は肥後御家拵に付いている。大きさを感じさせる鐔である。物理的にも82ミリ×80ミリと大きい方だが、それ以上にスケールの大きさを感じさせる。これはやはり作者の力なのかと思う。
この鐔が付いた御家拵は実に感じがいい。時代を経た鮫鞘も一因である。そこの薄めの紫の下げ緒も色の調和がいい。そして締まった小ぶりの柄はふすべ皮の手摺れも良い感じである。柄に巻いた鮫は黒く染めてあるが、それも時代を経て照りも少なくなり渋い。
そこに、この中根の鐔だ。私が好きな拵だ。
 



林二代重光:三ツ浦透かし

  2018/10/28
オタクらしい視点のコメントであるが、この鐔は透かしの切り立て部分を観ると楽しい。重光が鏨で鉄板を打ち抜いて、整えた跡がたくさん(網目の数だけ)見える。もちろん、そこには350年以上の錆が付いているのだが、しばらく寝床で見入っていた。

2018/10/26
肥後春日派の作品はキチンとして折り目正しい。登城などの正式な場でも違和感はなかったと思う。西垣、志水、平田との違いだ。この鐔はそういう面でも安心感がある。

2018/10/24
鉄色がもう一段明るく清澄な感じがする。清澄(せいちょう)とは字義の通り「清く澄んでいること」だが、この鐔はそんな感じがし、それでいて暖かみを感じる。

2018/10/23
昨日「写しもの的な弱さもなく」と書いたが、それは網目模様というものがあって、それを彫ったという感じではなく、網を広げたのを描いて彫ったような感じ、あるいは網模様を楽しんで彫ったような感じがするという意味である。

2018/10/22
穏やかな良い鐔と思う。作家意識を強くだして気負うところもないし、写しもの的な弱さもなく、自信を持って作鐔している。

2018/5/3
赤坂鐔のことを調べている中で『赤坂鍔』(丸山栄一著)を紐解く。その142頁に7代忠時が「三ツ浦」を写した作品が掲載されていた。写真を掲載すれば誰でもわかるが、網目の大きさの不揃いは是認するとしても、網目の形状の不揃い、網目の線の太さも統一が取れていないのはいただけない。ただし掲載されている他の7代忠時作品は赤坂らしいそれなりの作品であり、この肥後写しだけの問題なのだろう。
なお『赤坂鍔』には「三ツ浦」に似た「桜川」(網と、そこに桜の花を透かした文様)の作品も掲載されている
ともかく、肥後鐔の優秀さを再認識する。

2018/4/24
春日派の透かしは手が混んだものが多いが、この網目の透かしは手間がかかると思う。網目の一つずつに膨らみをもたせて、しかも網目の線は一定の細さで、しかもムラなく彫る必要がある。4/22でも紹介した西垣勘平の透かしと比較して欲しい。技量の違いが明白である。

2018/4/23
なお、「三ツ浦」の図は、林家代々が製作しており、その違いについて「肥後鐔工・春日派・林三代の苦心と個性-「三ツ浦図」透鐔を例に-」として取りまとめている。参考にして欲しい。在銘品があれば、もっと明確なのだが、そこは仕方が無い。
敢えてラフな感じで作鐔し、特にこの鐔での”歪み”の面白さがわかる。もっとも、私はこの”歪み”を伊藤満氏と、その著作『林・神吉』で教わるまで、長く、三代の特徴と思ってきたのだが。

2018/4/22
同時期に如竹の「八駿馬」の鐔を鑑賞しているが、そこに「群馬」とされていた画題を「八駿馬」とした経緯を書いたが、この図は肥後では「三ツ浦」と称している。これは同様な図を彫った西垣勘平七十歳在銘の鐔に「根元三ツ浦」(「手元においての鑑賞」における当該鐔の「5.画題の「三ツ浦」について」参照)とあるから、画題の方は正しいことは言うまでもない。
しかし、地名なのか、何なのかがわからない。こういう点からも画題は難しい。

2018/4/21
以前に書いたような気がするが、偉大な父又七の跡を継いだわけであり、重圧は大変なものだったと思う。伊藤満氏が、父・又七の完成度の高い端正さに対して、敢えてラフな感じに作鐔したと書かれているが、「なるほど」と感じる。

2018/4/20
鉄味を文章で表現するのは難しいが、又平の輝く地鉄よりも、少し落ち着きのある輝く地鉄である。堅くなりがちな図だが、ホッとするような感もいだく鐔である。

2017/8/21
肥後春日派・林の透かしは、手間がかかっていると思う。この網目の透かしもそうだし、王者又七やクルス透かしの又七も内側にもう一つの円環を彫っている。林又平の茗荷蕨手透かしも手間のかかる彫りだ。

2017/8/18
櫃孔の切羽台側に入れてある責金(せきがね)は質の良い赤銅で丁寧に造って嵌めている。もちろん後世の人が自分の拵に応じて入れたのかもしれないが、良い鐔は、このようなところでもわかる。誰だって良いものは大事に使うものだ。
この鐔の網目のたわみ(歪み)は大胆である。これを「肥後鐔工・春日派:林三代の苦心と個性」で分析したが、この鐔は二代の特色が顕著である。”ゆとり””やわらかさ”が表現されて、しかも破綻しておらず、大したものだと思う。

2017/8/15
地鉄の”照り”がいいのだろうか。明るい感じもする鐔である。

2017/8/14
今朝起きたら、この鐔は私の身体の下にあった。長丸形の形は自然であり、切羽台の形は整っている。やすらぎを感じる鐔である。錆色も黒の輝きは穏やかに存在感を示し、模様の網も堅苦しいところはなく、やわらかい感じでいい。

2016/9/23
網目文様はデザイン的にとらえられやすい。縦型の菱形を基本とした網目が続く。左右から斜めの線を等間隔に引いてできた菱形をアレンジすれば書ける。この時に線を一部ズラすのは統一が取れなくなり難しい。林重光が敢えて、このような下絵を書いたのは網目をデザインではなく、実際の網を干したような情景として描きたかったのではなかろうか。これが、網の目を歪めたりした重光の工夫だ。この結果、暖かみを醸し出している。

狂いのない、破綻が感じられないデザイン的な網目文様は、それはそれで美しい。芸術は難しいが面白いものだ。

2016/9/21
透かし鐔製作の技法に詳しくないが、このような透かしは、鉄の板に、下絵を貼付(あるいは下絵を線書き)し、透かす箇所ごとに鉄に孔を開け、その周りをヤスリで整えていくのだろうか。いずれにしても、透かす箇所が多く、細かいと手間のかかる作業だ。
昔の鐔の価格の付け方もわからないが、手間が多い透かしが高価だったのだろうか。

2016/9/20
肥後春日派の鐔の錆色は照りが強く、かつ透明感もあるような錆で美しい。羊羹色と世に喧伝されるだけのことはある。

2016/9/19
この鐔は長く持っている鐔で、好きな鐔である。網が少したるんだようなところが三代藤八と思っていたが、伊藤満氏の指摘により、それが二代の特色と教わり、納得したことは鑑賞記に記した。襟を正すような品格もあると同時に、何か暖かみというかホッとするところも感じられる。
鉄鐔に本当に良いものは少なく、一時、鉄鐔収集を諦め処分したが、この時に残した一枚である。その後、京透かし、金山のいいものが手に入り、そこから鉄鐔運が上昇したが、ご縁のものだと思う。
 



古萩:枝菊透かし

  2018/2/15
去年の3月25日の日記に記してますが、『わが愛鐔 透し鐔100選』(進藤武夫著)に所載の古萩を、「手元に置いて鑑賞」の鑑賞記の比較写真に追加でアップ(
この色で記してます)。優美な感を抱く鐔です。

2018/2/2
古萩とされる鐔は不思議だ。私はもちろん、これが長州で製作されたとは思っていない。これも尾張と称される鐔と同様に京、奈良、堺あたりの畿内だと思う。
正阿弥の一派であるなら、この図以外の作品にどのようなものがあるのだろうか。肉彫り透かしで、透かしは実に細かい。際だって特異で優れているから先人はわざわざ古萩という分類名称を付けたのだと思う。
越前記内の江州銘が肉彫り透かしだが、この鐔とは感じが違う。同種で異図柄の鐔を見つけたい。そして、この図柄が良い為か、意外に写し物が多い。
もう一つは、細かい上手な絵取りと透かしだが、菊花の肉彫り透かしだけは、稚拙である。上手に彫れるはずなのに、わざと稚拙にしているように見える。何なのだろうか。

2018/1/31
櫃孔が実に丁寧で上手である。また切羽台の形状も先が狭まり、元がどっしりして堂々たるものだ。

2017/4/3
実際の大きさも大きいが、スケールの大きさを感じる鐔である。陰刻の多さが開放感を与えているからだろうか。

2017/3/25
昨日、気が付いたのだが『わが愛鐔 透し鐔100選』(進藤武夫著)の165頁に古萩鐔が掲載されている。私の鑑賞記に掲載したものとは違うものであり、近いうちに加えたい。私のものに最も似ているものだが、下部の陰の葉の葉脈は私のほど細かくなく、他の同種鐔と同様だ。ただ本の中に、当該鐔には銀象嵌の跡があるとのことであり、興味深い。

2017/3/23
一方で、葉の方は、そのようなバリ的なものも無く、キチンと形通りに彫っている。だから花の方は意識して、そのように彫っていると思うのだが、何だろう。

2017/3/22
この鐔に限らず、古萩の鐔は、陽刻の花の彫りが花型どおりにシャープに彫るのではなく、バリのようなものがある。鋳物でもバリはとろうと思えば取れるものだし、一体何なのかと思う。

2016/12/18
透かし鐔において、切羽台の形状と櫃孔の形状は大事である。切羽台が貧弱なものは好みではない。この鐔は大きく、堂々としている。
櫃孔も歪んでいたり、貧弱なのはダメだ。上下が膨らんでいて、室町古鐔の櫃孔と似ていないこともない。

2016/12/14
巧みさ(葉)と、拙さ(菊花)が交じるのは不思議である。何か意図を感じるのだが、見えてこない。
切羽台は大きく、下部がふくれており、堂々たるものだ。櫃孔は一転して繊細で丁寧だ。

2016/9/17
枝の存在感を改めて認識する。これは鑑賞記においても記しているが、面白い。陰陽のリズムの良さの中における、陰と陽の調和の良さといい、何か世の中の2側面を考えさせられる鐔である。

2016/9/15
古萩には「枝菊透かし」以外の図があるのだろうか。以前、ある刀屋さんのショーケースに古萩として展示されていた鐔を観たことがあったが、正阿弥、少し繊細だったから京正阿弥というものだった。手にも取らずに通り過ごしたが、わからない話である。

鑑賞記にも紹介したが、枝菊の図は古くからあり、蝦夷拵でも観た記憶がある。また古美濃の目貫にも感じは似ている。もっとも蝦夷という名称、古美濃という名称も、本当に蝦夷の拵なのか、美濃で造られた目貫なのかはわからない。古美濃は江戸時代の美濃の金工が同種の刀装具(縁頭に在銘を見る)などを作成したからだろう。長州鐔に同様な図がある古萩と同じことだ。闇の中。

2016/9/14
陽の彫りの葉は上手なものだと感心する。一方、陽の彫りの花はきちんと整えて彫っておらず、稚拙な感じを与える。陰の彫りは左側の花、下の葉は上手い。一方、上左の花の彫りでは上部の陽の花側との花弁と接合させている為か写実が崩れている。稚拙な感じを与える所、崩れた所は、この作者の技量であれば上手に彫れると思うのだが何なのだろうと思う。

この鐔よりも遅く造られたと思う古萩鐔(鑑賞記の2章の写真をアップした4枚)も同様に陽の彫りは稚拙である。3章に掲示した長州鐔の方が巧みである。不思議と思う。

2016/9/13
この古萩鐔は、現存している古萩の中でも一番古くて上手(じょうて)のものだと思う。浮世絵では、初摺りから、後摺りにかけて、徐々に手を抜いていく。この鐔の下段の陰の彫りの枝葉の彫り、他の古萩よりも陰刻の数が多い。鑑賞記の2章の比較図の通りである。

耳は丸耳である。古い時代の鐔は角耳と思う人がいるが、有名な尾張の花弁透かしは丸耳だ。切羽台も長く、先が尖り気味だ。櫃孔も左右同形で細長い。


信家:戦争と平和の図

  2018/8/30
『中村覚太夫信家鐔集』には48図に「槌車」(水を汲みやすく、桶がついた車)、62図に「槌水車」、75図は三信家だが「槌車」、80図がこの図と似た「源氏車」(ただし外輪がより車らしく3重の線)、81図に遠景に「槌水車」、126図に「片輪車」(スポークが少なく、軸も太い)とある。いずれも、この鐔と異なる図であり、「日笠」でいいと思う。

2018/8/27
裏の松葉の線彫りは五つ彫られているが、内の四つは「折れ松葉」だが、一つは折れていない。だから画題は「折れ松葉」ではなく「こぼれ松葉」でいいと思う。毛彫りに深浅があり、不明瞭になっているものもある。地は荒々しく、塊状鉄骨が大きいものから小さなものまであり、湯だまり(表面が溶けて崩れたような変化)や地の鍛え割れもあり、荒々しい。戦いが終わり、勝者、傍観者の略奪も終わったような戦場風景を暗示している。

2018/8/26
表の図柄、これまで「花に(淀の)水車」とか「花に源氏車」、あるいは「花に笠」と迷っていたが、最近は花見見物に出た人の日笠かなと思い始めている。もちろん、そうだと確信したわけではない。ともかく平和な風景を象徴したものだ。

2018/8/25
鉄という丈夫な素材の性質を知り、信頼した上での、鉄の景色の面白さを表現している。

2018/8/24
力強いが、力強いに直結する武張ったところや、剛胆なところ以上に、どこか洗練したところを感じる鐔である。洗練に直結する線の細さや優しさはないが、諦観からくるような洗練さなのだろうか。なかなか言葉では表現しにくい。

2018/8/23
鐔として、ぎりぎりの重さだと思う。それを実現した長丸の形状と大きさ、薄くもないが厚くもないという厚み。この重さが刀の斬撃力を高めたような気もする。

2017/6/9
厚手の板鐔だが、切羽台付近が耳より低い(薄い)中低の造り込みである。

2017/6/7
厳しいところのある鐔だと改めて感じる。

2017/6/6
透かし鐔でなく板鐔であり、面積も大きく、厚みもある。だから重量が所蔵品の中で一番重い。そういう存在感だけでなく、観る人の心を掴む存在感がある。作家意識が明確だった鐔工だったのだと改めて思う。

2017/2/19
耳に塊状鉄骨とその前段階のようなものが7~8箇所、そして線状鉄骨の前段階のようなものも上部にある。耳際の地にも塊状鉄骨と湯だまりがあるが、一つ塊状鉄骨の小型で、粒状鉄骨の大型のものが表側右下部にあり、強い光を放っている。

2017/2/16
作風と言い、銘と言い、国広に似ている。あまり細かいところに拘らず、地の鍛え割れ、湯だまり(表面が溶けて崩れたような変化)があっても構わない。国広の湯走りのようで、全体の印象も本来の意味のざんぐり(自然な感じで風味がある)である。銘字は二字銘でタガネは深く、強い。同じ時代だ。

2016/12/2
鎚目地であり、表には下右に塊状鉄骨が地に出ている。裏は鉄骨が周囲に出るだけでなく、茎孔の周りには鍛え割れもあり、折れ松葉の彫りと相俟って、荒涼たる戦場のようだ。こういうのも作者信家は意識していたのかもしれない。また求めた武士も、その景色を了解したのだろう。

2016/9/4
鑑賞記では地に高低は無いと書いたが、気持ち切羽台の方が低いのかなと感じる。裏の地におけるふくれ破れ的な景色、鍛え割れのような線、それは折れた松葉と相俟って、荒涼とした感じである。戦の跡との情景をさらに高めている。

2016/9/3
この信家にしても、同時代の金家、明寿にしても板鐔が多い。私は彦三の透かし鐔を持っているが、彦三も色金の板鐔が中心である。肥後遠山も板鐔だ。
桃山時代は透かし鐔よりも板鐔が主流だったのではなかろうか。

そして桃山時代の鐔は、形状が円形よりも、木瓜形とか、長丸形、あおり形、ひねった形などが主流と感じる。なお次の時代(寛永~寛文の頃)の肥後の又七、勘四郎、志水初代なども形状は変化に富んでいる。

慶長の一つ前の拵(天正拵)に付いている鐔は古刀匠、古甲冑師のような鐔が多い。

こう考えると、室町時代や桃山時代とされている京透かし、尾張、金山、古正阿弥の透かし鐔の位置づけも考え直した方がいいのかもしれないと思う。もっとも、この時代に透かし鐔を造った鐔工集団は銘を入れなかったと済ませばいいのか?

2016/9/1
形は長丸形なのだが、気持ち上部が狭まっているような感じ(鑑賞記においては「気持ち下膨らみの穏やか長丸形と書く)である。良い形だと改めて感じる。鑑賞記では「迫力がある」と書いたが、迫力は形から来ていると言うよりは透かし鐔ではなく板鐔であること、鎚目で焼き手をかけて鉄骨が出た地鉄の力なのかもしれない。
改めて形だけの印象を述べると、形は優しい感じもする。武骨な中の優しさである。

2016/8/31
裏の「こぼれ松葉」の彫りを、折れた矢が散らばる戦場の跡の象徴と観ると、鎚目が戦場を往来した武者の無数の足跡だ。
一方、表は桜を愛でる平和の象徴だ。こちらの鎚目を下述したように桜が散る水面のさざ波か、桜を散らす風と見える。あまりに自分勝手な見方であろうか。
でも、眼とはそういうものだ。あるいは、そのように見せてしまうのが芸術家なのかもしれない。もちろん信家は自分を芸術家などとは思っていないが、優れた個性は作品を芸術にする。
常在戦場を意識させるのも一つだが、戦後の平和を謳歌するのも一つだ。この時の信家の心境は後者だったに違いない。

2016/8/30
この鐔の鑑賞記で、この鐔の表は「源氏車と桜」で平和の象徴、裏は「こぼれ松葉=折れ松葉=折れた矢」で戦争の象徴とした。源氏車だが、他の絵画や後藤家の彫物、あるいは源氏車紋では車の外枠は二段になっていて、外側の輪は木材で例えば八等分して丸く輪にして、内側の輪は、外側の八等分した木材の隙間を埋めるように、同じく八等分して輪にしている。そして、そこにスポークに当たる木材をつけて車軸に繋げている。
この絵では、外側と内側は同じ車軸が貫いている。絵は簡単に画いたのだとも言えるが、車とは違うのかもしれない。
一方、淀の水車との説もあるが、淀の水車も多く絵には描かれているが、こちらは桶のようなものを外側に付けていたり、外側の水を汲む部分が明確になっていたりする。
もう一つ、頭に被る笠の図とも考えられる。桜見物に来た人の上に桜花が散る風情である。
地鉄に少し放射状に打ち込まれたタガネの跡が水面の寓意とみれば、水車かもしれないし、それを桜を散らす風の寓意とみれば、源氏車か日笠なのかもしれない。
 



赤坂初二代:四方松皮菱透かし

  2017/6/9
新しく入手した初二代忠正は小柄櫃(櫃というように整っていないが)は大きく、笄櫃(これも櫃として整っていない)は小さい。これも検討を要する点である。
①大小柄として後藤顕乗在銘のを拝見したことがあるが、他では私は見たことがない。
②後藤家の三所物は古い時代は目貫と笄であり、小柄は取り合わせか、後世の笄直しの取り合わせである。(小柄はより実用的なものであり、装飾的なのは少なく、中には大きいものがあったのか?)
③ではこのような小振りの笄の存在だが、いいものではないものに観た記憶があるが、もちろん数は少ない。
③鉄鐔で、小柄櫃と笄櫃に、これほどの違いがあるのは赤坂初二代である。他の地域の同時代の鐔では志水初代にあるが、志水は櫃孔そのものがデフォルメされている。。
★すなわち、江戸の地域特色ではなく、特定の時代相を物語っているのだと思う(顕乗、志水初代、赤坂初二代)が、裏付ける資料も少なく、また小柄、笄櫃孔は後で開けられたものも多く、よくわからない。研究が遅れている分野だ。

2017/5/26
何度も観ているが、今度入手した鐔とこの鐔の似ているところは、デザイン感覚が一ひねりしていて洗練されている点と、耳が小肉付き角耳がより丸耳に近いところと、笄櫃が小柄櫃に比して小さい点である。

2017/5/22
今、自宅の屋根と外壁の塗り直し工事中だが、この色選定も難しい。業者も同じ色でも製造ロットが違うと微妙に違うと言う。そして塗る面の質感などでも見え方は違う。
鉄錆も不思議なもので、同じ作者のものとされていても違う。保存の過程、手入れの方法、後代の色上げもあるのだと思うが、製造した時の鉄素材の違い、錆付け薬の調合具合、この鐔は関係無いが焼き手をかける時の温度などで変化するのだろう。この鐔と最近入手した赤坂初二代も違う。

2017/5/17
古いところの鐔に関しては、切羽台が大きい(タテの長さが長い)ほど、古いのかなと考えている(参考.湯沸文透かし鐔の鑑賞記における3-(2))が、この鐔のように先端が尖り気味なのはどう考えれば良いのだろう。同時代の肥後鐔にはないし、江戸の地域的特徴なのか、赤坂初二代の流派・個人の特色なのだろうか。2016年8月にも同様な疑問を書いている。

2017/5/14
今、同じく赤坂初二代のものの鉄鐔を入手して、切り立て部分の油錆を綿棒で手入れしている。切り立て部分はあまり手入れしない方がいいのだが、透かしの線が不鮮明になっているし、綿棒で擦るだけで取れるような油錆(黒いもの、赤いものが綿棒にこびりつく)は取った方がいい。この時間が楽しい。こちらの鉄も、いい鉄味だが、また少し違ってねっとりしている感じである。

2017/5/11
兄弟と伝わる赤坂初二代に、雁金屋彦兵衛が下絵を描いて指示したというのは本当だろう。鑑賞記に、同様に松皮菱を斜め四方に透かした鐔を掲示しているが、それに比較して何と垢抜けていることか。

2017/3/31
鑑賞記にも触れたが、古赤坂鐔において、この鐔の「松皮菱の段差」や他の鐔の「竹の節」、「かまきりの脚」などを、透かしの線の肥痩(明確な形に彫らず、線の途中の線を膨らませること)で表現する感覚は魅力的である。

2017/3/28
知人から、この鐔が『鐔の美』の91頁に所載されており、赤坂二代の松菱の図として「左右対称の簡素な図で、尾張の作風が残っているが、丸耳切羽台櫃孔等にまぎれもない赤坂の味わいがある」と説明されていると教えていただく。

2016/8/29
先(上部)が尖り気味で下張りの切羽台、この時代に使われた縁頭の縁も、このような形状だったのであろうか。一つも観たことが無い。所蔵している初代勘四郎の縁や、時代の上がる奈良三作の利寿の縁も、ともに腰は低いが、天井板の形式は、先が尖り気味ということはない。刀装具にも解明されていない謎も多い。

2016/8/28
紋の図だから、堅くなりがちであるが、この鐔は、それを克服して垢抜けている。鑑賞記に尾張として掲載されている鐔の写真と比較して欲しい。その理由は下記で記したようなこともあるが、四方に透かした時に耳の円、切羽台の楕円との間で間延びした空間を、切羽台の周りでは櫃孔で、上下の耳の間では中に小さな菱形を配した棒でつないで、嫌味無く埋めていることにある。結果として文様は抽象化され、華やかなものに変化している。大きな広がりを持つデザインに変化している。デザインを担当したという雁金屋彦兵衛の力などだろう。
ただ、耳や切羽台と各透かしの接点は実用を加味してか、しっかりと荒々しく彫り抜いている。こういうところは、後代とは違う初二代の大胆さというか屈託の無さなのだと感じる。

2016/8/27
赤坂初代作として有名な鐔に、鐔の形が円が2つ重なったような蹴鞠(けまり)形で、そこに斧を上に図取って透かし、その斧が松皮菱透かしを叩きつぶそうとしている鐔がある。松皮菱を松の盆栽と見立てて、それを切って薪として、旅の僧(実は北条時頼)をもてなした佐野源左衛門常世の物語「鉢の木」を寓意したものである。同種の鐔が3枚ほどあるようだ。
要はここに松皮菱が使われており、戦国からの時代の嗜好を現している。
それから赤坂初代作として有名な輪違い透かし鐔がある。これは、この鐔と同様に全体の模様を斜めに据えて、花のように広がる透かしを彫り込んでいる。この形体のあり方も時代推定になると思う。

2016/8/26
この鐔において、透かしの線の肥痩(線の太さと段差を入れること)で松皮菱の菱を軽く表現しているセンスは凄いと思う。松皮菱を4つも透かしたら段差のある線でうるさいものだが、線の太さを少し変えて段差を入れて表現しているから模様に膨らみを感じて、良い感じである。透かしの線が耳、切羽台とつながる部分は太めで安定感もある。もちろん実用にも配慮したのだと思う。

2016/8/25
この鐔は、私の鑑賞記においては「古赤坂」と紹介したが、近年「古赤坂」と極められているが時代が若いと思われる鐔、作も劣る鐔を2度ほど見かけたから、この鐔に対して「古赤坂」と言う言葉は使いたくない気分である。
これは赤坂初代か、一緒に仕事をしたという二代の作と思う。この切羽台は三代以下に時代を下げようがないと考える。

この鐔は、松皮菱の各菱形を目立たないようにデフォルメしている。鑑賞記に尾張とされていて、松皮菱が明確なものを同様に透かしている鐔の写真も掲載しておいたが、デザイン的には、私の方が図に膨らみがあって、より洗練されたデザインになってセンスがいいと思う。
焼物の古九谷に、私の鐔のように松皮菱の菱形を目立たせないようにデフォルメした皿を観たことがある。まだ白黒の写真しか入手していないから鑑賞記に追記はしていないが、古九谷は1640~1660年代に製造されたとされている。寛永17年~万治3年である。まさに赤坂初二代が活動しはじめた頃である。



尾張:桐・三蓋菱紋透かし

  2018/9/19
勘四郎と同じく桐紋を彫っているが、きちんと彫っている。だけど三蓋菱は下段を思い切り広げている。紋のデフォルメということは勘四郎の独創ではないことになる。いつ観ても、鉄錆の清澄な輝きは美しい。切羽台は細めに見えるが、それは肩が張っていないからであろう。これも時代判定、工房の判定に役立つだろうか。

2018/6/4
槌目地の表面における槌目を取り除くように磨いたのが磨地であろう。手間としては磨地の方がかかる。しかし、鉄の面白さは槌目地の方が出る。表面の凸凹も、光の反射の差となって味わいもでる。木綿の布で拭き込んで楽しいのは槌目地である。
磨地の魅力は整ったところから来る品の良さも、一つである。

2018/5/31
尾張透かし鐔を、もう1枚購入したので、改めて諸書を見ているが、尾張と分類されているもので、本当に良いものは少ないものだと実感する。10枚も無いのではなかろうか。この鐔は11枚目のようなものだ。(1/26にも同様のことを書いているのに気が付いた)

2018/3/15
「ほどの良さ」という感じがする。武骨に過ぎず、繊細に過ぎず、あらっぽくなく、かよわい感じもせずと言うことだ。

2018/3/9
最近、尾張を購入したので、比較の為に観る。今朝は三蓋菱が地震波が外に広がるような感じに見えた。茎孔が震源。左右に地震波が広がる。震源に近い方の波が大きな震幅ということだ。

2018/1/28
この鐔は「謹製」という言葉がふさわしい。丹精込めて製作したものであろう。

2018/1/26
巷(ちまた)で高名な尾張と称される鐔の写真と、改めて比較する。端正なスッキリした感、品の良さと言う面では最上位の方である。また美しい紫錆という面でも最上位の方だと思う(これは写真ではわかりにくいが)。ただし尾張の特徴は、そんな印象ではなく、スケールが大きく、簡潔ながら力強く、安定感があるということであれば上位を譲る鐔が8枚ほどある。また絵風尾張では3枚ほど、拝見したいものがある。

2018/1/24
「尾張」と言う名称はともかく、これに分類されている鐔にはいくつかの種類があり、私もよくわからない。「金山」を大きくして文様が華やかなもの、「京透かし」を武骨にした絵風な感じのもの、「京透かし」のような透かしの線だが文様がシンプルなもの、「古正阿弥」と同様だが文様の動きが少なくシンメトリーなものなどである。
所蔵品は地鉄が槌目地ではなく磨地で、耳の仕立ては角耳を丁寧に面取っている。そして桐紋には細かく浅い毛彫りで葉脈を彫っている。そして三蓋菱の線は太めで強い。

2018/1/23
家紋という堅くなりがちな文様を、このように配置したデザイン力、きちんとした透かしにした鏨の技術、美しく真っ黒な錆付けを工夫した探究心など見事なものである。時の後藤家の当主に、鉄で後藤の赤銅の色を現出せよと命じられて工夫した錆付けなのだろう。

2017/5/30
入手した赤坂初二代もねっとりした真っ黒な錆であり、この鐔と比較した。この鐔は特別だが、真っ黒に加えて澄んだ感じもする。品格があるから感じなかったが、赤坂初二代に比較すると強さを感じる。

2017/5/5
鉄の黒錆に美を見出した民族は日本人だけと聞いた。お茶碗でも、白磁のきれいな器で飲むのは欧州、中国等、世界の民族。土の色、肌触りが残る茶碗で楽しむのは日本人。日本人に生まれて良かった。

2017/5/3
”尾張”という鐔分類名称のおかしさを、この鐔を例にして述べているが、このように世間に広く流布している名称を改めるのは難しい。尾張に証拠が無いのと同様に、そうでないという論拠も、いわば状況証拠しか無いわけである。新史料の出現、新出土品史料があればだが。

2017/4/25
しっかりした造りの鐔である。細かいところに神経を使っている。桐紋と三蓋菱紋と言う固い図柄の注文を受け、そこに自分の個性(デザイン力)をどう発揮するかと悩んだと思う。あるいは「乗真作 廉乗」の小柄の松皮菱紋の中段を大きく伸ばした経験があるから、悩まなかったのかもしれない。

2017/1/14
永禄4年(1561)に、足利義輝将軍から、三好長慶・義興父子が桐紋と塗輿の使用を許された時に、一族の刀剣目利き・三好釣閑斎が後藤家を通して注文した透かし鐔と、大胆な仮説を提示したが、漆黒の錆び色、透かしの格調は見事なものだ。寝床で触っていると、角耳をわずかに丸みをつけ、その外面も微かに凸に肉置きを取った状態も丁寧な仕事だと感心する。

2016/8/23
この鐔の切り立て部分(透かしの横側の部分)の錆を、少し落とした方が良いのかもしれない。ちょっと錆が盛り上がっているようなところもある。落とし過ぎるのも問題だが、悩ましいところである。
それはそうとして、この鐔の黒錆は見事である。ご存じのように私は鉄鐔を愛好しているが、まだ黒錆についてはわからない。自然なものと言うより、各鐔工の錆付け薬などの錆付け方法に起因するのだと思うが、千差万別である。この鐔の黒錆は、柳生の鉛色が輝いたような色とは違って、質の良い赤銅(烏銅)が輝いたものである。だから私は、後藤家が関与したのではないかと推測しているのだが。

2016.8.21
この鐔は、角耳小肉、地は磨地、耳から切羽台にかけての落としは無い。尾張は角耳、地は鎚目地、耳から切羽台にかけて中低にするという説があり、有名な「四方蕨手透かし」はこの通りだが、「四方花弁透かし」は丸耳で、鎚目地、耳の方が切羽台より低いという逆の形状である。
『透鐔-武士道の美』に「尾張」として所載の他の鐔も様々である。
鉄鐔は戦前では秋山久作、戦後では笹野大行氏の所説が権威だが、研究は進んでいない。もっとも基準となる資料が無く、研究の進めようがないのが現状である。
ただし、上記の方々や、名の知られた識者が「良い」としている尾張は「なるほど」と頭が下がるものが多い。美術品はこんなものなのだろう。

2016/8/20
この鐔は角耳を丁寧に丸め、角耳小肉に仕立てあげたり、透かしの線も、例えば縦に伸ばした菱の部分などは少し線を細くしたりして、非常に丁寧に造っている。この部分などは、菱を伸ばせば、引っ張られる分、線は細くなるから、このようにしているのであろう。
尾張の良いものは、外に広がるような図柄があることは、金山鐔の鑑賞記に記したが、上述した三蓋菱の一番下段の菱を思い切り伸ばすことで、流派の個性を出している。
京透かしの繊細、優美な透かしに対比して、尾張は男性的な雄渾な透かしと言われる。「武人の目にかなうもの」という秋山久作の評価もある。しかし、尾張の良いものは「四方花弁透かし」にしても「四方蕨手透かし」にしても優美なところはあるものだ。雄渾だが武骨ではないと感じる。

2016/8/17
今年は阿波踊りに出向いた。私が、この鐔の作成に関与したと思っている三好氏の本貫の地である。大歩危の方に出向く時に三好郡も通る。
明石海峡大橋、淡路島、鳴門大橋経由で徳島に出向くが兵庫県沿岸からは近い場所である。また徳島市内の眉山(びさん)から展望したが、空気が澄んでいると紀伊半島が見えるとのことで、もちろん当時は舟が必要だが、畿内は身近な場所だったのだろう。
この鐔は本当に格調が高い。造形だけでなく、真っ黒に輝く黒錆色が、その印象を高めている。刀剣鑑定・鑑賞に造詣が深かった三好釣閑斎(ちょうかんさん)政康が後藤家を介して、堺か京か奈良の名鐔工に造らせたものとの推測は正しいのではなかろうか。


柳生:水月透かし

      
  2018/12/11
①実用としての鐔の役割、②三代山坂吉兵衛の職人技、③柳生心影流の教えを連也の指導の下に絵にした絵師、④庭作り・焼き物作りにも関心を示して黒錆の色に拘った柳生連也の美意識、加えてこの鐔には⑤連也の遊び心が融合して生まれた作品であり、柳生鐔の一つの頂点となるものと自負している。

2018/12/9
ビッグ・ムーンにビッグ・ウェーブだが、月の輪郭の上部は円環に近く、下部は平面的にと変化を付けていて面白い。波は切羽台を支えるための波と割り切っている感じで面白い。

2018/3/25
隅切り角という形状だが、こういう形を選択する発想も、何か作鐔する個人(今は芸術家と言うのだろうが、柳生連也には使いたくない)の意図、狙い、遊び心(これも語弊があるが)が出ている感じがする。

2018/3/18
柳生の良いものには、この鐔もそうだが、強烈な感をいだく。まず黒鉛色が輝く錆色、そして不思議で力強い造形だ。『刀装具の鑑賞』(尚友会)に所載されている5枚も、皆、この調子だ。そして、この5枚の茎孔も1枚を除くと、私の所蔵品と同様に長方形気味で先がややすぼまる形状だ。

2018/3/16
表現技法の面でも面白い。下部を観るとわかるが、地に現れた塊状鉄骨をそのまま残して波の飛沫としているのが一点。月の枠と切羽台の間は透かし、月は地を掘り下げ、平らにし、彫り残した地から立波を彫る。彫った立波の中を線で深く掘り下げ、波のうねりを表現する。すなわち遠近感をできるだけ表現している。透かし切り立て部の面を取ることでも立体感を出している。

2018/3/13
17/1/31に、この波をビッグ・ウェーブと書いたが、この月も大きい。ビッグ・ムーンだ。ともかく面白いし、力感に溢れている。

2018/3/12
この波の中に彫り込んだ線彫り。適当でありながら、面白い。いかにも本職ではない趣味人の手が入った感じである。

2018/3/10
スケールの大きさを感じる鐔だ。そして作り手の柳生連也の余裕、自信を感じる。こういうものがあるから、後の尾張藩士は大事にし、その結果として御流儀鐔も多く生まれたのであろう。

2017/2/13
昨日は、この鐔の切り立て部分の赤錆びを少し落とした。昔の麻雀の点数棒(何かの骨か角)を古道具屋で求めており、それで落とす。後は木綿の布で落とすだけだ。本来、切り立て部は時代判定にも使うから、手入れしない方がいいのだが。

2017/2/5
この作が柳生鐔の本歌だ。「地鉄は黒味が勝った鉛色で、極めて精練」、鍛えは「鉄骨が出て、耳・切り立て部分に層状の鍛え目」(三代山吉が鍛え、連也本人が錆付けだ)、そして「透かしの際を磨って鈍稜」(連也の磨き)にしている。図が柳生鐔の写本に掲載(柳生流の剣術極意に関係)されているのも当然不可欠だ。そして中心孔が長方形に近いのも連也の好み。

2017/2/3
このような波は柳生鐔には多い。土俗的というと、尾張地方特有かと問われるから適切な言葉ではないが、京・後藤物とは違って洗練されていない感じだ。ただし、その分、力強い。

2017/2/1
そして力強い。力強い分、野趣(垢抜けていない素朴な趣き)も感じる。

2017/1/31
グレート・ウェーブにTheがつけば、北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖波裏」だが、刀装具の分野では、この鐔の波がビッグ・ウェーブだろう。
「地上の星」が中島みゆきの名曲であるが、この鐔は「海上の月」の名作だ。

2016/8/14
地鉄は美しい。鉛色=くすんだ黒なのだが、それが照り輝いている。鉛が輝いたら、この色になるというものだ。これが柳生なのだ。昔、尾張の人がもてはやしたものだ。

2016/8/13
少し前の時代に肥後鐔山脈の中に剣豪:宮本武蔵の鐔が生まれる。こちらの方は手に取って愛玩したことがないから感想は記せないが、武蔵は絵でも名高い。また文においても兵法書『五輪書』を残している。
武蔵と同時代の柳生兵庫助と島左近の娘の間に生まれたのが柳生連也であり、柳生心陰流五世の道統を継ぐ。こちらも『御秘書』、『連翁七箇條』があり、柳生鐔とは別に柳生拵、焼き物にも、庭造りにも造詣があったと伝える。
焼き物にも本阿弥光悦や近年では北大路 魯山人や川喜多半泥子などの他分野からの素人的な作家の名品がある。
これも芸術の不思議である。

2016/8/12
この鐔は、塊状鉄骨が耳の横ではなく、表側地の部分に水玉のように出ているままにしている。鑑賞記において、柳生連也がこの様子を見て「おもしろい」と感じて、そのまま残すように指示し、その代わりに、切羽台に付けている水玉の一つを陰(丸い玉のままが陽ならば玉の中を透かすのを陰)にしたのではと書いた。
後日、三代桜山吉在銘の鐔に、地の表面に塊状鉄骨が出たままのものを拝見した。資料として購入することも考えたが、在銘品だけに資料として買うには価格が高く断念したことがある。
柳生鐔の作者の一人に、三代山吉も想定されているが、事実なのだと思う。ただし、造形、錆付けなどは柳生鐔とは違う。

2016/8/11
芸術、美術品とは不思議だ。この鐔は波の彫りなど細かくはなく、むしろ粗く、大胆だ。だけど不思議に心に感動を与える鐔である。力強く、また美しいと私は感じる。
絵画でも、細かく精密に美しく描いた作品が感動を生むのではない。芸大に行くようなクラスの若者なら、ある程度の精美な絵は描ける。卒業すればなおさらだ。斯界に入って大家に取り入り、賞をとり、それで「売り絵」、「パン絵」と言われる大衆の好むものを画く。だけど、そのような絵は後世に残らない。
そういう技術の上に、自分なりの個性をキャンパスに叩きつけて描いたものでないと後世に残らない。そういう絵は画家の個性が出て独創的になる。鐔でも同じだろう。

2016/8/10
暑い日だ。去年あたりから、夏の夜は28度で冷房しないと眠れない。古くから伝わる種々の柳生鐔写本において、掲載されている柳生鐔の茎孔の形状は長方形なのである。だから柳生鐔の本歌の茎孔は長方形と言う人もいる。
現存するものにも長方形のものはある。『鐔鑑賞事典』に柳生として1枚だけ所載されている「一本竹透」がその例である。これは『透鐔』に所載で、説明に馬場→服部→柳生家→金森一吉に伝来とあるのと同じものだろうか。
茎孔は後で加工することもできるし、実際に刀装にする時は長方形では使い物にならず、責金が必要である。
この鐔は完全な長方形ではないが、長方形に近いものである。下部と上部の方を叩き、狭めている。この鐔と同様な茎孔の線を持つものに『透鐔-武士道の美』の柳生の冒頭に掲載の「丸波透」(柳生家伝来)と、3番目に掲載され、諸書にも見る「波車」がある。「丸波透」が柳生家伝来ならば、完全な長方形ではないものも本歌にあることになる。いずれにしても長方形に近いものである。

2016/8/9
堂々たる鐔だ。寛文新刀期の鐔として、肥後の又七を頂点とする肥後鐔山脈と並ぶものだ。現在は後世の写しの御流儀鐔まで柳生とされているから評価が下がっているが、本歌は感動する。
造形の力強さ、斬新さ。それから錆色が鉛色で輝く美しさ、そこに、この鐔は鉄骨で遊んでいる。全てが柳生連也そのものだ。


志水初代:放れ牛・騎牛帰家

  2018/8/9
斜めから観ると、この牛は立体感を帯びてくることに気が付いた。頭部の出っ張りと、臀部・尻尾のへっこみだ。

2018/8/7
絵風の鐔の多くは鐔面の右側の一部に彫刻を施すものが多い。鐔面はその為の背景であり、キャンパスである。だが志水初代と安親と清寿などは鐔全体を使って絵を作り、鐔面も絵の一部にしている。

2018/8/2
梟の鐔では狩野山雪の画風との共通性にも触れたが、志水初代は岩佐又兵衛の画風とも共通性があるように感じる。又兵衛の人物画はたくましい肉体を持ち、極端な動きを強調する。そして描く場面は劇的なタッチとエネルギッシュな表現に溢れる。
それぞれの画風の共通性というより、江戸初期の個性的な画家(他にも鋭く力の籠もった描線と省略の多い画法の海北友松がいる)の一人なのだろうか。いずれも武士に出自を持つ点が共通する。

2018/8/1
”誰にも頼らず、一人で生き抜け”という気概を感じる。いい鐔だと思う。

2018/5/29
色々な感想は、この鐔における牛の彫り(形態、表情)に起因しているが、この牛の顔が無くても、この鐔の形状から来る鉄塊としての迫力、見事な地鉄の色(照り輝く黒錆の美しさ)だけでも魅力的である。光線の関係で牛の表情が見えない時に、そう感じる。

2018/5/26
誰にも頼らず一人になっても生き抜くという強い精神が基本にあるから、私が寝床で愛玩しながら感じる「孤独」「孤高」「自由」「going my way」「生き抜くんだ」「いひゅうもん(異風者)、我が信じる道を行け、人は人、己は己だ」という感想を持つのだろう。

2018/5/24
戦場で愛刀に付けられたこの鐔を見る。「生き抜くんだ」という思いが湧いてくるに違いない。「孤独」、「孤高」、「自由」、「我が道を行く」という感想を述べてきたが、これらの感想は平時の感想だ。戦時では上記のような思いを抱くに違いない。そんな鐔だ。

2018/5/22
「孤高」というと「ひとりかけ離れて高い境地にいること」、「ひとり超然としていること」だが、本人は”高い境地”という意識はなかったと感じる。だけど作品は”高い境地”だ。

2018/5/20
背中の横にたわんだ線、尻からのほぼ直線的に下に引いた線、牛の角の曲線は強く、作者の自信が出ている感じだ。

2018/5/19
GOING MY WAYだ。自分勝手ではないぞ。人は人、自分は自分だ。独りよがりではないぞ。

2017/12/20
厳しい鐔だなと、つくづく思う。禅の精神なのだろう。これが志水初代なのだろう。

2017/12/16
銀の象嵌が施されているが、銀は空気中で変色する。この鐔でも、意識しないとわからないほどになっている箇所もある。銀というより鉄色の変化の一つに溶け込んでいる。

2017/12/14
バロック美術とはルネサンスの次ぎに生まれた様式だが、原語は「ゆがんだ真珠」。調和のルネサンスから破格であり、動的であり、志水初代などが生み出したものと共通する。

2017/8/13
この「放れ牛」が「騎牛帰家」ならば、志水初代の真鍮象眼で大胆に鷹を据えた鐔は「英雄独立」という画題にすべきなのでしょうね。
美術品の解釈は人様々でいいのだと思いますし、名品というものは、観る人に色々な感情を引き起こすものだと思います。

2017/8/11
今朝は不思議なことに気が付いた。ここ最近の鑑賞において、この鐔から「孤独」と「自由」を感じて書いてきたが、これは、この鐔本来の画題「騎牛帰家」図の精神に通じるのではないかと言うことにだ。

鑑賞記において、「作者:志水仁兵衛(初代甚五)は、牛を彫っている最中に、「騎牛帰家」の意味するところの「平穏・無事泰平の心となり、自由に操れるようになった牛と一体になって笛を吹きながら家に帰る」などという心境は忘れた。忘れたと言うよりはハナから無視をしている。この牛を観ていると、無事泰平の心を持って、平穏に家に帰っていくような牛には見えない。」と断言した。

当初の浅薄な見方を恥じる。禅の修業段階の6番目で「牛も手慣れ、幸せが心の中に定着した。心の中も平穏。無事泰平の心となり、自由に繰れるようになった牛と一体になって笛を吹きながら家に帰っていく心境」を志水仁兵衛なりに表していたのだ。

私が感じている「孤独」が「平穏、無事泰平の心」と一致するかだが、「孤独」は寂しい境地ではないのだ。他人の意見、思惑に左右されない状態とすれば、まさに仁兵衛の意図通りなのだ。

2017/8/7
これまで、この鐔を観て感じて来たことと同じだが、「孤独」に向かわないと真の「自由」は得られないのかとも思う。
私は、もう歳だから、今更「孤独」も「自由」もどうでもいいのだが、若い人は考えた方がいい。人恋しく、仲間を大事にする人は気を遣って生きねばならない。このような生き方の方が楽である。志水初代は覚悟が違うのだ。

2017/8/2
朝方、起きて観ると、「孤独」、「自由」という言葉が浮かぶ。この日記の中でも2016/12/27に記した感覚だ。

2017/7/26
何度、観ても不思議な鐔工である。この鐔は鑑賞記に書いたように細川本家の千葉館山の別荘にあって、そこから出たものだが、一度でも拵に使われたことはないのではなかろうか。
牛の肩から背中、尻尾にかけて斜めに直線を引くと、なだらかな山並みのように見える。暑さが続いておかしくなってきたのであろうか。

2017/4/27
いひゅうもん(異風者)、我が信じる道を行け、人は人、己は己だ。時代があなたを追いかける。周りがあなたをほっと置かない。

2017/2/27
鐔の方から「いいでしょう。凄いでしょう。」と、観る方(購入した人)へ媚びてくる所はなく、「オレの造りたいものはこれだ。」という感じだ。絵で「売り絵」という言葉があるが、この鐔は対極にあるものだ。寄ってきてくれない面、愛好家には冷たい鐔である。

2017/2/24
浮世絵の祖とも言われる岩佐又兵衛は荒木村重の子、人物表現において、野卑な表情、たくましい肉体を持ち、バランスを失する(ゆがみ)動きを強調した作品を遺す。海北友松も浅井家の武士の子である。雲龍図のような迫力のある絵を書く。志水仁兵衛は一幸と名乗り、平田彦三の甥で、明智家の家老志水丹左衛門に縁がある。職業絵師・鐔工ではなく、武士の出自からの絵師・鐔工の桃山から江戸初期の3人は共通するものがあるのではなかろうか。

2016/12/27
これまでも書いているが、「”我が道を行く”という強さを持った孤独感」が、志水初代仁兵衛の個性なのだろう。

2016/12/13
梟図鐔に存在する何種類かの毛彫だが、この鐔でも牛の後ろ脚の先端・裏側にやや深く、太い毛彫があり、蹄に接した部分には細かい毛彫がある。
そして牛の耳の周り、顔の左側部分の輪郭、大きな角の付け根に細かい毛彫がある。もちろん、牛の顔における目とか鼻、鼻筋には太い輪郭線の毛彫がある。
こういう毛彫が、真偽鑑定・代別鑑定の鍵になるのかもしれない。

2016/12/7
梟だと、鉄地が闇夜に見えるが、この牛では、鉄地の輝きが暑い時期の日中のように見える。梟は夜、牛の活動するのは日中という先入観が、眼をそのように仕向けるのだろうか。

2016/12/3
(八代異風者(”いひゅうもん”)のことを、梟図鐔に記載。参照)

2016/8/7
昨日、ブラームスの曲でヴァイオリニストのヨ-ゼフ・ヨアヒムに献呈されたという「F.A.E.ソナタ 第3楽章」を聴いた。そのF.A.E.とはヨアヒムの座右の銘である「自由だが孤独に」の頭文字と言う。「自由だが孤独に」とは、この志水初代の作品の印象だと思い至る。自由を放埒と把握している馬鹿には理解できないだろうが、厳しいものなのだ。

2016/8/6
細部を観て、どうのこうのと言うよりは、ともかく力がある鐔である。鉄色も、その印象を強めているのだろうが、照り輝いて美しい。地は鎚目地で、そこにレリーフなのだが、レリーフの周りは照りの無い地鉄が輪郭を廻らせているが、それがレリーフをさらに浮かび上がらせている感じもする。

2016/8/5
よく観ると、牛の頭部が身体に比べて大きいことがわかる。頭部の大きさは左側の中でもアンバランスだ。頭部が前脚、首、肩より前にあることを志水初代なりの遠近感(近景大、遠景小)で表現しようとしたのであろうか。そこに大きな立派な角だ。結果として、これらの点も、この鐔に迫力を感じる理由であろうか。

2016/8/4
この鐔は鑑賞記において、切羽台=茎孔を利用したキュビズム的な感覚を指摘したが、いつ観ても不思議な感覚である。左側の牛の顔と前部の絵に「動」を感じ、右側の牛の尻と後ろ脚、尻尾の絵に「静」を感じるようにもなる。


室町古鐔:車透かし

  2018/9/15
透かし鐔の中でも、もっとも贅肉、装飾を削ぎ落とした質素なもの、すなわち「わび」の境地で、いかにも古びて星霜を経てきたような感覚、すなわち「さび」の境地だ。桃山時代の前期に千利休が唱えた美学を体現したような鐔だ。今の時代の人には理解できないものだろう。

2018/9/12
この鐔は、耳を16等分にしてスポーク(輻…や)の部分に印をつける。そして切羽台の方に、切羽台と櫃孔のバランスを壊さないように16の印をつける。それを結んでスポークの下絵を画き、それに基づいて彫っていく。だから上下にスポークは通らない。それでいいのだ。

2018/9/11
冷えて枯れて寂しい中でも、長い期間、愛されてきたのは、生気溢れる鉄色の艶、輝きの為である。

2018/9/10
この鐔は「冷凍寂枯」そのものだ。これが冷凍寂枯だ。

2017/12/1
昨日、上杉家の名刀展に埼玉まで出向くが、そこに大太刀の柄前と、その鐔が展示されていた。山銅製の菊花透かし鐔でH氏は欲しがっておられた。車透かしと同じく、古い時代の定番の透かし文様だ。
昨夜は鐔の切り立て部が、確かに古そうな錆色(もちろん切り立て部だから光っていない)であることに目が行く。きちんと手入れもされている。

2017/11/30
昨夜はこの鐔から”室町時代(応仁の乱前、すなわち1467年以前)の秩序感”のようなものを感じる。近畿・西国では室町幕府を頂点とする秩序が、まだ維持されていた時代である。この秩序は冬枯れ時期に折れるのか。応仁の乱の前とは、永享・寛正備前の時代だ。関東では、もう少し前に享徳の大乱(1455~1483)が起きるが、寛正は前の時代だ。

2017/11/22
室町の美意識を桃山につないだ千利休の茶は村田珠光以来の「冷凍寂枯」も意識している。珠光の「ひえかるる」(冷え枯るる)の精神か。ちなみに珠光は応永30年(1423)~文亀2年(1502)という室町時代中期である。鑑賞記に永正備前の一時代前の寛正則光に代表される「永享・寛正備前」(寛正は1460頃)と同時代ではなかろうかと書いた通りであろう。

2017/11/19
下で”枯淡幽玄”たが、桃山~江戸初期の華麗な風俗を描いた「彦根屏風」において、刀を支えにしているかぶき者の若者の鐔が車透かしであることに気が付いた。若い時代はかぶき者の前田利家坐像の鐔が車透かしであることは鑑賞記に画像をアップして説明したが、この手の者に流行したのかもしれない。信家も明寿も法安も山吉も車透かしを作っているし。

2017/11/17
武骨な中に、どことなく優美で枯れた感じのする鐔である。これが室町時代の美なのかとも思う。武家+公家+禅宗の混じり合いである。枯淡幽玄の美とも言える。

2017/11/15
先日、千葉県の風土記の丘資料館で出土した鉄剣とともに卵形ながら車透かしの鐔を拝見。改めて、この透かし文様が透かし鐔の原点であることを認識する。全国から出土しているわけであり、当時の権力者の腰間に、太陽のように映えたのではあるまいか。そうすると、車透かしというよいは、日輪の日足を象徴したものなのだろう。

2017/1/17
ねっとりとして黒く輝く、良い地鉄である。鎚目地なのに、磨地のような錆色であり、不思議な感じを持つ。車軸の一本ごとに、微妙に太さが変化しているものもある。また元側(切羽台側)と先端側(耳側)の幅も微妙に変化してあるのもある。力強いというわけでもなく、また繊細というわけでもない。ただ存在感はある。

2016/8/2
この鐔は茎孔全体に銅を埋めて、通る刀がガタつかないように厚さを調整している。ハバキを輪切りにして、鐔の茎孔にはめ込んだみたいである。あまり見ない責金の形である。有名な尾張の花弁透かし鐔が、同様に茎孔全体に銅を入れているが、こちらは、ぞれを全体に叩いて広げている(尾張の花弁透かし鐔も鑑賞記にアップしており、参照)。
古い時代の透かし鐔で切羽台が大きく、それに連れて茎孔も大きかったものに、このような調整をしたのであろうか。あるいは、このような補修方法は、どこかの地域の特色なのであろうか。上下の責金だけで刀はガタつかないと思うのだが。
いずれにしても、このような加工までしても、この鐔を用いたかったわけである。昔の人も名品と思い、愛着があったのだろう。

2016/7/31
この鐔の表面は鎚目地である。表面を平らにする時に、鎚で叩いて滑らかにしたものだ。磨地は、これから更にヤスリで表面を平滑にするという工程が入る。だから磨地はツルッとして綺麗であり、鎚目地は微妙な凸凹が味わいを深めている。ただし、キチンとした刀装の中だと、磨地の方が合うように感じる。だから江戸時代の鉄鐔は磨地が多いのだと思う。
しかし、「信家の鐔は鎚目地だが、信家鐔はどのような拵にも合うと言われているではないか」との反論もあると思う。私は、信家鐔に関する上記説は、信家の形を賞した言葉だと思う。また拵に「似合う」「似合わない」の議論は、各人の感性や、各人がイメージする刀装も異なる中では意味は無い。
刀装の一部ではなく、掌中で愛玩する分には、微妙な凸凹がある鎚目地の鐔は、それはそれで面白い。鐔工の製作の跡がわかりやすく、また古く見えがちである。

2016/7/30
この鐔は切羽台の大きさ、櫃孔の形状から古いものだと思う。車透かし(菊花透かし)は古墳時代の直刀期から連綿と続いている意匠であり、それぞれの時代の車透かし鐔を、鑑賞記において写真も入れて記している。桃山時代の鐔工の在銘の車透かしの鐔があるだけに、時代推定に利用しやすいと思うが、切羽台の大きさから、かなり古い感じであることは理解しやすい。
もう一つの考え方として、製作地域の差の違いも考えられる。
縦、横の車軸は上下左右を通して直線的だが、その間の斜めの車軸は微妙に直線がズレている。これは古い時代の車透かしの太刀鐔でも、上杉家伝来の菊花透かしでも観られることである。桃山時代の鐔でも法安の1枚を除いてズレており、機械的な文様にも関わらず、不規則性があるのが興味深い。こういう方が刀の拵に納めた時に自然に見える車透かしの描き方なのだろうか。
 


林初代又七:クルス透かし

  2018/10/10
地の仕立てはフラットな感じなのだが、それが実に丁寧にフラットに磨き上げているという感じである。鑢で均しているという感じでもなく、一体、どのようにして鏡面仕上げをしているのか不思議である。

2018/10/7
切羽台の長さは42ミリ程度で、美しい小判型の造形だ。ここに突き刺さるような小柄櫃、笄櫃、見事である。耳厚は5ミリ程度である。細かい透かしであるが、技巧的で煩瑣という感じはしない。

2018/10/6
この鐔には金象嵌の跡が残り、寝床に持ち込めないが、寝床脇での拝見だ。「清香匂うが如く」という雰囲気を醸しだし、いかにも君子の風格があるという又七である。

2017/8/24
内輪にある星形の金布目象嵌の跡を精査。番号は右上から時計回りにつけている。表1:金残る、斜めの鑢目立つ、表2:真ん中布目、先斜め鑢、表3:全体に痕跡微か、表4:痕跡判別できず、表5:金残る、布目鑢の痕跡あり、表6:布目鑢の痕跡明確、先は横鑢、表7:金残る、痕跡ある、表8:痕跡ある。
裏1:痕跡あり、裏2:痕跡無し、裏3:金残る、痕跡ある、斜め鑢、裏4:痕跡無し、裏5:痕跡ある、裏6:痕跡無し、裏7:金残る、痕跡微か、裏8:痕跡判別できず。
以上から、布目象嵌の痕跡が見つからないところもあるので部分的な象嵌の可能性もあるが、全てに同様に金布目象嵌を施したが、年月で摩耗したか、あるいはキリスト教関係の痕跡を消す為に削いだ可能性もあるということを現時点の結論にしておきたい。なお、布目(檜垣)鑢が基調だが、横あるいは斜めの鑢だけが目立つところもある。ただし、これも痕跡を削る過程で生まれたことかもしれない。各星形には横を貫いている内輪にも星と同じ長さだけ金布目象嵌の痕跡はある。

2017/8/23
光のような星形の一部に、金の布目象嵌の跡がある。残っているのは剥げた跡だと認識していたが、昨夜は、はじめから、このように一部分だけにわずかに金象嵌させたのではなかろうかと思い始めている。彦三の金散らし紙象嵌と同じ趣向である。
まだルーペで拡大して痕跡を確認していないから、今日、じっくり観てみよう。

2017/8/22
丁寧に造られた鐔である。いつ見ても頭が下がる。狂いがあっては駄目な鉄炮鍛冶という出自が肯定される作品だ。この切羽台の形状、そこに正確に突き刺すような櫃孔の型枠。これが又七。

2017/4/19
端正・精巧な鐔である。隙が無い感じであるが、堅苦しいという感じはしない。

2016/7/19
又七のクルス透かしは「敬虔」な感じがするのに対して、信家の題目生者必滅の鐔は、賑やかな感じもする。題目は祈り、生者必滅は諦観から来る覚悟を示しているが、南妙法蓮華経の声は力強く、外に対して攻撃的な感じである。南無阿弥陀仏、ナンマイダーの声は陰に籠もるような静かな祈りに感じるが何だろう。各宗教の性格によるのだろうか。

2016/7/17
「まじめ、清澄な明るさ」という印象は、この通りなのだが、昨晩は寝ながら「この鐔は敬虔さの現れなのだ」とも思うようになる。又七の信仰はわからないが、この作品はキリストに帰依して、敬い、慎む人の思いに応える作品なのだ。寝床で拝見してはいけないか。

2016/7/15
又七のクルス透かし、この鐔を拝見していると、「人生、まじめが一番、特に若い内は」という感を持つ。今の就職において、エントリーシートなるものを書かせ、「学生時代に何をやってきたか」、「会社で何をやりたいか」などを聞く。こんな方法をとるから、日本の会社の業績が悪くなるのだ。まじめな学生が一番だ。小、中、高の時代に皆勤賞と取ったとか、体育会系クラブで4年間過ごしたとかも大事だ。学生時代にやったことは勉強が一番、それは学歴なのだ。遠慮することなく学歴も重視すればよい。会社でやりたいことなど聞くな。どうせ、採用した学生にやりたいことなどさせないのだから。
まじめさに加えて、この鐔のような清澄な明るさを備えていれば大成するのだ。
 


京透かし:勝軍草透かし

  2018/9/29
茎の線の力強く、優美な曲線と触れたが、「力強さ」と同義語になるとも考えられるが、「強靱さ」という言葉の方がふさわしいと思うようになる。

2018/9/27
将軍草の茎の力強く、優美な曲線も褒めておきたい。躍動感は葉だけではないのだ。そこに少し太めの鍬の柄の直線。京透かしの名手Aのセンスだ。

2018/9/26
この鐔における櫃孔の美しさにも、改めて言及しておくべきと感じる。櫃孔そのものの形状(細長く、やや平たく抑え、堂々とし、切羽台と接するところは円く弧を描いて丁寧)、他の透かしとの関係(将軍草の茎の曲線、茎の太さとの一体感)などである。、

2018/9/25
この手の鐔が出現した時は、デザインの斬新さ、秀抜さから、大きな話題になったと思う。以前に「勝軍草透かし鐔の新たな解釈」としてまとめたが、観ていると物語が浮かぶように、勝軍草(オモダカ)は生命力を漲らせて躍動している。

2018/9/23
角耳で、気持ち中低、縦長ではなく、横幅を感じる造り込みである。切羽台は細めながら大きく、先の方がやや狭まっている。そして茎孔の周りを全体的に鏨で責めている。古そうな造り込みである。昨日に述べた切羽台の裏は平滑な感じは、金山「湯沸文」鐔の感覚とも共通する。そして小柄櫃は縦長で大きく、「題目・生者必滅」の信家の櫃孔と感覚は共通している。図柄は小堀遠州が唱える綺麗さびの時代と感じる。制作時代の判定をどうすべきか。

2018/9/22
切羽台の裏は平滑な感じである。金山の「湯沸文」鐔の裏のように摺った感じではないのだが、何か共通した印象を持つ。だから同時代の手癖なのかもしれない。

2018/9/21
透かしの陽の部分=地鉄の占める面積が狭いが、黒錆の輝きが魅力的な鐔である。デザインの良さに目がいくが、地鉄の良さも見過ごせない。

2017/4/24
鑑賞記にも、この手の京透かしの名作を作った無名の名手Aと書いたが、芸術の分野というのは一人の天才が出て切り開くものなのであろう。

2017/4/22
この鐔は、作られた時代背景、作者の意図、所持した人の人物像など、色々と想像が膨らむ鐔である。

2017/4/21
オモダカなんて田の畦に生えている雑草だ。面高という字で面目が立つを意味し、形状が鏃に似ていて、勝軍草、転じて将軍草として武家に好まれたのだと思うが、こういう草をデザイン化する発想には感心する。地面に生えている草に、雁がねを配するのも、どういうデザイナーかと感服する。

2017/4/20
昨夜は、この鐔を観ながら「日本人に生まれて良かった」としみじみと思う。

2017/3/20
遠景に飛ぶ雁を、笄櫃を形造るように沢瀉に接して配置して絵にしているのは、凄い感覚だと思う。

2017/3/18
何か柔らかい感じの鉄である。でも、鉄というのは不思議なものだ。私の所蔵品でも同じと思えるものはない。

2017/3/16
この鐔を観た当時の人は驚いたと思う。ここまで細い線で、しかもこれほど華麗なデザインを鐔の中に閉じ込めたセンスを。もっとも、私の古萩鐔の方が造り込みから見て、古いと思うから、細い線の透かしはあったのだと思うが、デザインのスッキリした華麗さは素晴らしいものだ。
だから写しものも多く造られたと思う。

2017/3/15
同図のものがいくつかの本に所載されているが、この鐔が直径8センチを越えており、地鉄も良く、切羽台、櫃孔も時代が上がる形であり、一番上手(じょうて)だと思っている。また京透かし鐔のデザインは多々あるが、繊細・優美さに加えて、生き生きとした躍動感が力強く、名作だと思う。

2016/6/15
この鐔は桃山時代だろうと私も推定し、世間でもそのように見なされているが証拠は無い。この鐔に限らず、鉄鐔の時代推定が正しいかを検証することは出来ていないのが実情である。
視点を変えて、図柄の感じから詰めていくと、小堀遠州の時代がふさわしいと思う。千利休→古田織部→小堀遠州という流れである。小堀遠州になると、豪放・華麗な文化から日本の古典美に帰るような優美さがでる。まさに、この鐔のような図柄である。小堀遠州は慶長から江戸時代前期の正保が活躍期であり、桃山時代でも良いのだが、江戸時代初期にもかかる。すなわち、通説よりも少し時代を下げた方が正解ではなかろうか。

2016/6/14
オモダカの葉の形状も微妙に変化させている。三方向に出る葉の上部の葉の形状を見ても、すらりとして先端は右に曲げるものから、もっこりしているもの、逆に先端を左に曲げるものなどがある。下部の二方向の葉の形状も左右に広がっているのから、すぼまっているもの、端を跳ね上げているものなど様々だ。
日本画は線と言うが、線のやわらかさ、線の肥痩、線の長短など見事だと思う。

2016/6/12
この手の京透かしには、「武蔵鐙(あぶみ)」、「八つ橋」のように伊勢物語などを題材にした図柄がある。この手の沢瀉の図も古典をもとにデザイン化されたのであろうか。調べてみる必要がある。

2016/6/11
ヨーロッパの旅行から帰宅したが、この沢瀉が優美、かつ逞しく伸びる様透かした鐔を観ると、日本人の感性の素晴らしさを改めて感じる。
この鐔も含めて、一群の、この手の透かしデザインを考案した無名の鐔工に、心からの敬意を払いたい。



神吉楽寿:笠透かし

  2018/11/9
薄い鐔なのだが、このように触って存在感がある。これで平肉の妙と昨日述べたのだが、作者の力である。

2018/11/8
平肉の妙、これが魅力。

2018/8/17
何度も木綿布で擦っていると、皮革の艶も出てくる。机上に皮のマウスパッドがあるが、引っ掻き傷などの感じも似ているし、光沢の調子も良く似ている。

2018/8/14
表の地鉄上部に、右肩下がりに引っ掻いたような細かい線が幾筋か見える。右笠の縁(へり)の上部に形に添った流れ肌が見える。このような肌は左笠の縁の巾子形(こじかた)にも見られる。透かしを上から押しつけて開けた結果とも見える。また下部の左側にも地景のような肌が流れたところが見える。

2018/8/13
この左右の透かしは笠、それも市女笠をイメージしたのであろう。中央の尖ったところは巾子形(こじがた)と呼ぶようだ。当初は市での物売り女が被ったことから来ているが、後には貴人女性も被ったようだ。また男子も雨天時には被るとの説明もある。
そして茎孔下の丸い透かしは、腕抜き孔(刀剣に付けて脱落を防ぐ皮緒を通す穴)になると思うが、雨粒を暗示しているのだろうか。
周りの銀線象嵌が雨なのであろうか。

2018/4/2
この腕抜き孔は丸く開けて、周りの面を取ったのだと思うが、何かを上から押しつけていって孔を貫通させたような感じもする。周りの鉄が絞り込まれているようだ。

2018/4/1
耳際の銀の線象嵌を、敢えて古びた味を出すために、一部を欠落させて象嵌しているが、こういうのは勇気が必要だ。注文だったと思うが、自分のセンスに自信が無いとできないと思う。

2018/3/31
昨日はボランティアの神社参道の清掃で、右腰を痛める。同じ方向の掃き掃除を続けたからか。この鐔は薄く、わずかに中高の肉取りだが、触れていると安らぐ。地鉄は俗に言うガマ肌で艶があるが控え目である。どうと言うことの無い鐔なのだが、不思議である。

2017/9/30
笠のてっぺんの先、笠のへりの先なども、鋭角にならずになるめているが、これも際を柔らかく、感じよく仕上げるのに生きているようだ。

2017/9/24
昨夜は「楽寿」とは”楽しい老後”とも解釈できることに気が付く。東龍斎「清寿」は”清らかな老後”だが、自治会長にされたり、自宅が関与する再開発の話が出てきたり、楽しく、清らかにはいかないなと思いながら眠りにつく。

2017/9/21
皮革の味わいもそうだが、蒲(がま)の穂の表面のような味わいもある。言葉での表現はこれまでも書いた通りだが、寝床に持ち込んで掌中で愛玩すると、特に楽しい鐔である。

2017/9/19
又平、深信と観てきたが、昨夜は楽寿。この3枚の中では一番地味であるが、趣きは一番ある。皮革の肌合いに、大透かしにおける際(きわ)の面取りの妙など飽きない。

2017/1/29
この鐔を観ていると、楽寿は穏やかな性格だが、内に秘めた金工としての自負は強く、自分の技量に自信を持っていた人と思える。
またガマ肌の地鉄は愛玩すればするほど味が出てくるような気もする。伊藤満氏は「楽寿はガマ肌の作品に傑作が多い」と言われていたが、そうなのかもしれない。もっとも私は楽寿の磨地の作品は入手していないから何も言えないが。

2017/1/25
ガマ肌ではなく、革(カワ)肌だとの思いは益々強くなる。そしてこの鐔の魅力=楽寿の技術は面取りの妙にあると感じる。地全体のやや中高の面取りだけでなく、透かしの際の面取りも見事だ。下の腕抜き孔のような丸い孔は面取りの妙で、吸い込まれるような感じである。

2017/1/24
どうと言うことはない鐔だが、良い鐔である。地鉄は黒錆が見事なわけではなく、ガマ肌である。透かしも凝った文様でも、特に優れたデザインでもない。鐔の厚みは薄い。象嵌も鐔の廻りを2重に銀で入れて、しかも一部はわざと欠落させている。肉置きはかすかに中高である。
こういうものだが、手に持って愛玩しても、鐔掛けにかけて眺めてもいいのである。作者の力なのであろうか。

2016/6/3
楽寿と父の深信の間には溝があったようだ。鐔工としての神吉家初代は寿平正忠、次が寿平深信(前名:国平)、そして甚左衛門正康(前名:寿平次楽寿)(以上は『林・神吉』(伊藤満著)より)と続く。
楽寿は寿平次とあるが、寿平の通称は続く。正忠と正康は「正」が通字(とおりじ)であるが、深信や前名の国平には含まれない。何か事情があったのではなかろうか。こういうことも楽寿と深信の溝の一つかとも思うが、不明である。(しばらく、日記は休み)

2016/6/1
この楽寿は『神吉鐔絵本』には掲載されていない。『神吉鐔絵本』は神吉家の下絵帳と言われているが、これは注文を受ける時に使うものではないかと考えるようになった。
「鐔を作ってもらいたい」「かしこまりました。図柄はどういたしましょうか。この中からお選び下さい」……(『神吉鐔絵本』をめくりながら)「これこれ、花桐の図柄で大小鐔を作ってほしい」「かしこまりました。大きさはこの大きさで良いですか」と会話が続く。
図柄によって、透かしの手間のかかり具合や、象嵌の有無で代金も違ったのであろう。

だから『神吉鐔絵本』に無い図は特殊な注文、あるいは作者の試作品なのではなかろうか。ちなみに所蔵品の神吉深信の雪輪投桐は所載である

さて、この鐔。「このような図は志水家が得意ですね」「そうだが、そちに作ってもらいたい。少し古びた味を出してくれ」「古びた味…うーん」…「象嵌を一部落としますか」→今朝も妄想は続く。

2016/5/31
『肥後金工録』の中において、著者の長屋重名がガマ肌について、「此の作、鐔及び縁頭等の地鉄に一種のハダものを見る。其の状、雲の如く、又或いは蝦蟇の肌の如く、或いは芋根の如し。蓋し此の法、やはり又七より伝来のものならん。妙趣他人の夢でも見るあたわざる所とする」と書いている。
これから、ガマ肌の語源は「蝦蟇の肌の如く」と信じられてきた。私も語源は蝦蟇蛙の肌と思ってきた。しかし違うのではなかろうか。蝦蟇蛙の肌には全然似ていない。
熊本の方言で、革をガマとでも言えば、私の触って観た感じの通りでうれしいのだが、あるいは訛って聞こえれば納得するのだが、これは地元の方に確認したい。

昨日、浮かんだのは「蒲の穂(がまのほ)のような肌」が語源ではなかろうかと言うことだ。蒲の穂は、円柱状で茶色のモコモコした部分である。大黒様の歌「♪蒲の穂綿に包まれて~♪」のイメージから柔らかくフワフワと思うが、円柱の表面の感じである。

私の説は思い付きであるが、所蔵品にして寝床で何度も観ていると、こんな発想が浮かぶ。発想ではなく妄想だとまずいが。

2016/5/30
鑑賞記でガマ肌は皮革をイメージしたのではと書いたが、鉄において皮革の味を意識したように感じる。林又七のガマ肌は、所有していないから何も言えないが、楽寿のこの鐔は皮革の味であり、地肌の模様は天然の皮革にあっても良い模様だ、そして地鉄の艶も革に出る艶だ。

2016/5/29
今日は薄手の楽寿「笠透かし」だ。この薄い鐔における平肉の微妙な変化には、いつも感心する。どこにもムラなく耳にかけて肉を落としている。透かしの際にかけて肉と落としてきている。笠の透かしは上部における肉の落とし方に対して、切羽台側の落とし方は少なくしているが、感じがいい。下の腕抜き孔は吸い込まれるように落としている。

西垣初代勘四郎:海鼠透かし

  2016/5/22
昨日は正円形と書いたが肥後金工録では真丸とある。そして鐔は「大かたは丸き下張りに作る。真丸、及びアオリ形、木瓜、等は稀」とある。しかし『西垣』に所載の鉄鐔は真丸も多い。ただ、何となく歪みがあるような感じはする。あるいは図柄が左右対称でないようなところはある。この鐔もセンターがずれているし、円弧の幅も左側の方がわずか(ミリ以下)に太い。

2016/5/21
縦・横約72ミリの正円形が、優しさを醸し出しているのであろうか。鐔は、切羽台が細長いものだから少し長丸形にする方が自然な感じである。この鐔も含め、正円形の鐔は小ぶりな印象を与えるような感じもするが正しいかはわからない。もちろん全体の印象は、透かしの形状、地鉄の調子などでも異なるだろう。これで”長丸型になれば”などと思いながら観ると時間を忘れる。

2016/5/20
海鼠(なまこ)透かしの名称だが、別にわざわざと海鼠をモデルに彫ったのではない。細川三斎が信長拵(後に御家拵)に付けた左右大透かしの模様における際(きわ)を柔らかく曲線状にした結果、「なまこ」に似ているとなって生まれた言葉だろう。「何で海鼠を透かしたのだろう」なんて考える必要はない。肥後鐔の透かしの名称は、このようなものもある。

2016/5/19
初代勘四郎の海鼠(なまこ)透かし鐔である。同様な図が『神吉鐔絵本』にあるが、林系や神吉系ではない地鉄(それほど肌理が細かくない)である。何か女性的な感じもする鐔である。小ぶりな鐔、暖かみ、優しさと地鉄の美しさが、その理由か。赤坂に繊細、すっきりという女性的な鐔を見るが、それとは違う感じで、強さもある。
 

中根平八郎:左右大透かし雷文繋ぎ銀象嵌

  2018/2/19
昨日、『林・神吉』の東肥親信(釘谷洞石ー本名信次)の項を見ていたら「釘谷洞石の図案集」の図版が掲載されおり、そこに、この鐔と同図が所載されていた。この図案集は本人作の覚えでもある下絵帳ではなく、彼が眼にした作品の図を書き留めたものと言う。

2018/2/18
『肥後金工録』に記されている「其の銀ホリ込み象嵌のごときは、最工(もっともたくみ)にて」を私なりに具体的に説明すると、①彫りの範囲が広く、彫りが細かいこと、②それらの形の乱れが無いこと、③彫り込んだ銀線の太さが均一で精密なこと、④できあがった銀彫り込み象嵌がうるさく無く、適度に派手な面もあって品位があること(むかしから銀には「いぶし銀」=見た目の派手さはないが、よく見ると人目を惹く魅力があること=という言葉もある)、⑤拵に使用し、150年以上経ているが、耳には象嵌が落ちているところもあるが、表裏の銀象嵌には無く、堅牢性もあることなどである。

2018/2/13
この鐔を刀屋さんで見せられた時に「肥後ですね」と言ったが、中根は思い浮かばなかった。それまで現物を観たことがないから当然だ。そして保存の証書を見せられた。「いい鐔ですね。いくらなの?」と聞いたら、実は拵に付属の鐔だと言う。それで見せてもらったものが所蔵品となった肥後御家拵写しの写しであった。
刀屋さんが鐔だけを観ている時に、私が訪問したのであろうが、不思議な経験だった。

2018/2/11
この鐔には茎孔の周囲に特徴的な鏨を打ち込んでいる。中根の隠鏨については『肥後金工録』には記載されていないのに、『肥後金工大鑑』には切羽台の茎櫃の周囲に細かい点のようなタガネを26個も打った絵を載せて、「家伝には、上図のように茎櫃のまわりに隠鏨のあるものが、その正作であるという。しかし必ずしも、無いからといって、中根の作でないと言い切ることも難しいであろう。」と述べている。そして写真図譜の347に、茎孔上部の周りに5個、下部の周りに9個(判別しにくいので不正確)な鐔を1枚所載して、本文の図とは違うのに、「茎櫃上下に見る鏨が中根平八郎のかくし鏨として家伝のものである。」と短評している。ただし同書所載の348、349、350は何も無い切羽台の鐔である。

『林・神吉』(伊藤満著)においては隠鏨の件は一切触れていない。そして中根家から熊本県立美術館に寄贈された鐔3枚の写真が掲載されているが、その切羽台(1枚は責金がある)をルーペで確認しても、鏨の痕跡は見つからない。
だから中根家家伝というのは誤伝であろう。
なお同書には、この3枚も含めて15枚が掲載されているが、所蔵品のような鏨が茎孔の周りに打たれているものはない。

2018/2/9
格調が高いとも言える。別の言葉で言えば、キチンと容儀が整っていて、それでいて堅苦しさよりものびのびとして雄大な感じがする鐔である。

2018/2/7
耳の横側の凸凹は、やはり63×2=126個だった。7×9=63だが、どうして模様を描いているのだろうか。円の360度を9で除すると40度になるが、こうして区切っても、ここに7つを描くわけだ。表裏の16組32個の雷文は4等分、8等分として枠が作れるが。

2018/2/5
この鐔の魅力は、耳にある雷文繋ぎ(2つで一組)銀象嵌の見事さにある。金と違ってそれほど派手でないし、銀特有の変色もあるが、オシャレなものである。『肥後金工録』に「其の銀ホリ込み象嵌のごときは、最工にて、中には真に迫る」(読み下しや仮名遣いは修正)と記されている通りである。
デザイン等は本歌(信長拵にかかっている古正阿弥鐔)に準拠しただけだが、表裏にそれぞれ16組(32個)あり、象嵌の欠落も無い。鑑賞記では、耳の横側に凸凹繋ぎの銀象嵌が合計で126個(ここは数カ所の銀象嵌の剥落がある)と書いたが、再度、数え直すか。

2018/2/4
中根平八郎の左右大透かし雷文繋ぎ銀象嵌鐔である。雷文繋ぎを銀で実に丁寧に象嵌している。もちろん耳にも銀象嵌してある。鉄味も肥後の錆付けで見事である。
この鐔は実に堂々としている。専門の鐔工ではなく、肥後藩士で四百石の武士の余技と伝わる。この堂々としたところが、作者の素性の良さを出しているように思うし、専門の金工でもないのに、金工史に名前が残っているところだと思う。。
売ろうとしたのではなく、自分の作りたいものを丁寧に作ったものである。
 

赤坂初二代:歳寒三友透かし

2018/5/6
赤坂鐔を所載している本を観ていくと、陽の透かし(形状を彫り残す)と陰の透かし(形状を彫り抜く)の併用が赤坂初2代の作品に多いことに気づく。有名な蹴鞠形で松皮菱(陰の透かし)を斧(陽の透かし)で折らんとする「鉢ノ木」の鐔もそうである。

2018/5/2
『透し鐔』(小窪、笹野、益本、柴田著)の「赤坂」鐔の説明に、(櫃孔)初代の笄櫃は小さく、二代もややこの傾向があり、三代からは普通になるとある。また(切羽台)初代は尖り気味、二代から丸味が出てくる。三代は肩が張るとある。
これも初代~三代までは無銘であり、明確に言い切れるものではないだろう。

2018/4/30
この鐔の切羽台長は43ミリある。鑑賞記にも書いたが、室町古鐔「車透かし」(47.8ミリ)、金山鐔「湯湧文透かし」(46ミリ)、古萩鐔「枝菊透かし」(44ミリ)ほどではないが、尾張鐔「桐・三蓋菱透かし」(43ミリ)と同程度で、京透鐔「勝軍草透かし」(42ミリ)、金山鐔「松皮菱透かし」(41.6ミリ)と続く。もっとも王者又七は44ミリである。
寛永~寛文頃も大きいのだろう。
なお、同じ古赤坂鐔の四方松皮菱透かし鐔の切羽台長は40ミリでありであり、切羽台長だけで分類は難しい。


2018/4/28
上下の横向きに写し陰彫した花。先人が梅としているから鑑賞記では梅にしたが、どう観ても梅には見えない。そこから上下の花を結ぶ円弧が左右に出ているが、何なのだろうか?

2018/4/27
小柄櫃の周りに松の木、笄櫃の周りに竹、凄い発想だ。デザインに好き好きはあるだろうが、おかしくないと思わせるデザイン力というか雁金屋彦兵衛、忠正の自信は大したものだと思う。

2018/4/26
昨夜のNHKの番組(ためしてガッテン)で貧血防止の為に鉄分と摂ることを勧め、その一つの対策として、鉄鍋での調理や、鍋の中に鉄の卵を入れて調理することを推奨していた。鉄分が手から吸収されるのならば、毎夜、鉄鐔を撫で回している私などは十分過ぎる鉄分摂取なのだが。
田中一賀が「にっとりとうるをひ有」と書くところの赤坂初二代鐔である。鑑賞記も参考にして欲しい。
改めて観ると、手が込んだ透かしである。今、「改めて観ると」と書いたように、これだけゴチャゴチャ透かしても、当初はうるさい印象を与えてこなかったわけである。ここに忠正、それを指導した雁金屋彦兵衛のセンスが評価されるのだ。


尾張透かし:輪に外四つ鐶透かし

2018/12/5
この秋、角のこすり赤錆を取り、木綿の布で拭き込む作業を続けてきたが、一段落させよう。本当にこの作業は楽しい。ただし、この鐔のように素性の良いものでないと作業は報われない。

2018/12/1
私は尾張という分類は間違いで京(みやこ)の近くで製作されたと考えているが、上京し京、伏見、奈良、あるいは堺で、この鐔が売られているのを見た人は、その精巧さに驚いたと思う。

2018/11/27
これまで当たった諸書には同図の鐔は掲載されていない。同様な図に七宝図があり、こちらは数枚見ている。
鐔は実用品だから商品として同図のものを多く作ったはずである。この図も特別な注文品とは思えないのだが。もちろん実用の中で消耗・破損していったのも多いだろう。

耳とのつなぎ部分を鐶の折り返し部分にして、強度を増したのが工夫である。

2018/11/25
鉄味が良くなると、鐔全体の印象に重厚感が加わることに気が付く。

2018/11/24
表側はだいたい元の佳い鉄味になってきました。素性が良いから戻るのでしょうね。油を塗るなんてことを一切することなく、このような輝く鉄味になるのだから鉄は不思議です。

2018/11/22
鑑賞記に写真を掲載しているが、太く短い線状鉄骨が1箇所あり、粒状鉄骨の痕跡がいくつかある。職人が丁寧に磨地にするために鉄骨を削ったのだろう。

2018/11/21
裏側の鐶の取っ手部分の一つに、まだ錆があり、角で擦る。こんな時間が過ぎるのが楽しいから鉄鐔道楽は続く。

3018/11/20
木綿の布で拭い込んできたから鉄味も更に良くなる。デザインにも凝り、透かしも丁寧であり、華美ではないが高級品だったと思う。

2018/8/21
昨夜、この鐔を観る。どこに付けていっても恥ずかしくないような鐔だ。鐔そのものを強く目立たすようなところは無いが、観られて恥ずかしいところは無い。野暮で田舎じみたところは無い。派手で軽薄なところもない。武張っているわけではないが、柔弱ではない。

2018/7/28
鐔も武士のファッションアイテムと考えれば、尾張と称されるグループは背広みたいなものだ。きちんとしている。背広でオシャレをすれば柄、色にわずかな形の変化(襟、ダブルかシングル、センターベンツかサイドベンツなど)である。

2018/7/12
これまでも真面目、几帳面と書いているが、小柄櫃、笄櫃も実に丁寧・正確に作っている。

2018/6/26
よく本に掲載されている尾張鐔に、花弁の先端が丸まって開放しているもの、洲浜の先端がやはり丸まって開放されているものも多く見かけるが、あれも鐶(カン:引き手、持ち手につかわれるもの)なのではなかろうか。そして鐶がこのように好まれたのは茶道の影響(釜の鐶)なのかなとも感じている。だから、これらの尾張鐔は茶道が盛んになった桃山期、茶道が特に盛んになった畿内地域で好まれたものではなかろうか。

2018/6/23
中庸という言葉がある。いくつか語意があるが「過ぎたるところもなければ、及ばないところもない。こちら側に偏ることもないし、あちら側に偏るところもない」という意味で使う。そんな言葉がふさわしいような鐔である。

2018/6/21
この派の名品にある華やかな印象はない。一方で地味ということでもない。切羽台は堂々としているが、鐔全体が堂々という印象はない。だけど存在感はある。目立った力強さは感じないが、弱いところもない。豪快さもないが、貧弱ではない。格調も品も高くは無いが低くもない。

2018/6/20
毎日、寝床で木綿の布で拭いているから、耳の薄錆も取れて、輝きも戻ってきた。鉄鐔はこれが楽しい。
この鐔工房で製作にあたった職人は前述したように真面目で丁寧な仕事をする腕利きだが、意匠を考えたデザイナーは機能性(透かしの繋ぎ部分の堅牢性)を加味し、この派伝統の中円(輪)を入れることを前提にして、考えたのだと思う。時代の空気なのか、派の伝統なのか、外向きに開放する円弧で中円(輪)と耳、切羽台を結ぶ。同様の透かし文様では星付き七宝紋の方が売れたのだろう(現存している同種鐔が多い)。

2018/6/18
これは耳の円に加えて、内側の円(輪)、それに外向きの円弧(外四つ鐶)、それから切羽台の上下の円弧、それに櫃穴の半円と、円を組合わせたデザインでまとめている。こういうのは各円の太さを変えるだけで印象がガラッと変わるのだろう。内側の円(輪)の太さと、外向きの円弧(鐶)の太さを変えても、面白かったと感じる。鐶の方を少し太くしたらどうだろうか。

2018/6/17
この鐔の作者は黙々と丁寧、正確に造ったのだと感じる。作者の昂揚感みたいなものは感じられず、その結果として観ている方に訴えてくるようなオーラは響いてこない。刀装に付けていればうるさくない鐔だと思う。

2018/6/16
大きく、堂々とした切羽台。私の所持品は切羽台の立派な鐔が多いが、先人も述べているが、これは大事な見所だと思う。

2018/6/15
この鐔の「手元に置いての鑑賞」の中では鑑賞的なことの記述はあまり記さなかったが、基本は真面目で、キチンとした印象である。ラフに作っているところは一切無い。デザインもうるさいところは無く、その分、目立つところも無い。堅実な鐔である。


初代勘四郎:巴桐透かし

2018/11/19
「躍動感」、「優雅な躍動」、「踊っているようだ」と書いてきたが、昨夜、「舞っている」と表現した方がいいと感じる。勘四郎は神官に縁のある家系の出身であり、「巫女が舞っている」ような作意なのではなかろうか。

2018/11/18
王者又七のような輝きは無いが、ねっとりした照りのある良い地鉄である。色は同一条件の光で比較しないとわかりにくく、寝床では言えないが、黒みを感じる。2018大刀剣市で各店のショーケースの鐔をザッと観てきたが、私個人の嗜好なのかわからないが、やはり肥後の水準が高いと感じる。

2018/11/16
この長丸形、単なる形なのだが観ていると、この形しかないよなという感じもしてくる。作者の力なのであろう。丸耳にした形状とも合致しているからなのであろうが、名人の仕事を言葉で説き明かすのは難しい。

2018/11/13
昔の鐔職人を今の職業分類にあてはめると、初代勘四郎はデザイナー的なセンスが高い人だったと感じる。なかなかデフォルメ、崩すというのは難しいものだ。その点、勘四郎は見事である。

2018/11/12
躍動感があるが、優雅な躍動だ。それでいて強い感も与える。

2018/10/5
花桐が布をたなびかせて踊っているようだ。

2018/10/4
切羽台は巴文と一緒になっていて、切羽台の長さを正確には求められないが、約44ミリほどある。これは王者又七とも同じである。耳の厚さが約5.5ミリほどである。肥後金工大鑑で記された値と異なるから修正した。

2018/10/3
散々に拝見して、鑑賞記をまとめたばかりだが、好きな鐔であり寝床に持ち込んでいる。長閑(のどか)な感じもするし、ゆったりした感じもするが、桐文の透かし彫や、それに施した毛彫などは意欲的に生々しく彫っている。


所蔵品の鑑賞のページに戻る