刀装具の観賞(『刀和』2005年7月号)

後藤光寿 「波泳ぎ龍」小柄

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白黒写真は刀和掲載、ともに拡大

夏にちなんで海を泳ぐ龍の小柄を紹介したい。玉を獲った龍が嬉しそうに捧げ持ちながら、急いで泳ぎ戻ってくるところだ。龍の泳ぐ速さと浮かぶ重さに波は裂け、波頭は飛び散っている。

「波泳ぎ龍」の図は後藤家代々に存在する。全てを調べたわけではないが、通乗光寿までは、波を彫り、その上に龍を据えた図が大半である。「波に龍」「波浮かび龍」と称した方がよい静的な構図である。これに対して光寿は「波泳ぎ龍」という動態を彫った。「動き」に着目して新味を出したが故に後藤家歴代の中で「祐・光・通」とも並び称して高く評価する人もいるのだ。芸術は独創を尊ぶ。

養子として宗家十一代を継いだ光寿は後継ぎとしての自覚を持ち、毎朝の食事の前に青海波を彫ってから食事をしたと伝えられている。こうした修養の過程で波の動きに関心が向き、「動きの通乗」に成長したのではなかろうか。この波も、うねり、波頭の崩れ、波しぶきなどをうまく使いながら表現している。肉置きの良さなのか、波頭の部分は陽光を浴びて光っているように見えている。

一時代前に、大坂新刀の巨匠津田越前守助広は寄せ来る濤瀾を刃紋において表現して絶賛を博している。光寿は刀装具で「負けるものか」と彫っている。江戸期の各分野の才能が波の表現にこだわり続けたことが、世界に誇る北斎のビッグウェーブ(富嶽三十六景「神奈川沖波裏」)に結実したと感じるのは私だけであろうか。

龍の顔には先祖の彫りにある威厳はない。これを批判する人もいるが動物の表情にも「感情の動き」が付きものと考えると、玉を獲た嬉しさを彫った龍はこのような表情でもいい。これが通乗だ。

龍の尻尾にいくほど金色は薄くなる。当初は手擦れかと思ったが観ている内に気がついた。これは「遠くのものは薄く」という遠近法を試みた為ではなかろうか。当時の遠近法は「遠くのものを小さく」「遠いものを上部に描く」が主流であり、上部空間が使えない小柄では限界がある。龍の泳ぐ姿など見たことがないから不自然さは残るが、このような工夫で宗aを筆頭とする「町彫り」諸工が台頭する時代に「家彫り」宗家として対抗した光寿は偉いと思う。

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