刀装具の観賞(『刀和』2005年11月号) |
刀和の写真は白黒だから別のを掲載、拡大。折紙も写真はよくないが縮小して掲載。2つに折るから折紙で虫の食った跡がある。
灯火親しむ季節である。蝋燭(ろうそく)を彫った目貫を紹介したい。無銘であるが後藤家十一代廉乗光侶作として明和四年十二月に十三代光孝が代金一枚五両(十五両)と極めた折紙付きである。
後藤家では器物の彫りは人物、龍、獅子などに比べて格下と見て、代付けをしている。芸術は作成した当時と後世で、価値が大きく変動するのは珍しくない。一枚十文で庶民が買った浮世絵の中に、上層の武士が十五両で購入した刀装具より高くなっているのもある。
後藤の器物の彫りは、龍や獅子のように家の伝統をある程度踏襲せざるをえない図柄よりも創意が溢れていて面白い。この目貫からも作者の精神の自由が感じられる。これは芸術に不可欠な精神だ。
何で蝋燭を彫ったのだろう。暗闇を照らすという意味で験(げん)をかついだのであろうか。あるいは蝋燭問屋の注文であろうか。いずれにしても題材の蝋燭は細長く、単調な形で色数も少なく、絵にしにくいものだ。一本であればそれなりに絵にできるが、廉乗は工夫し、蝋燭の組み合わせ方で、自分なりの作品に仕上げることにした。観ていただきたい、この構図を。観ている内に、これ以外に絵にする方法はないよなと思わせてしまうセンスの良さに感動を覚える。
表目貫の、三本目と四本目の間にさらに少しずらして上に乗せた一本の蝋燭は、夜に備えて用意している感じがする。裏目貫の、やや右にずらして並べた四本から大きく外した一本の蝋燭。これから使おうという情景が思い浮かぶ。
蝋燭は銀でくるみ、芯の部分をつまむように彫り、金の結び目をつけているだけだ。金属は材料を吟味して、立体的に彫れば、あとは光が手助けしてくれる。作者廉乗は、光の手助けをはじめから計算できた男に違いない。
銀は後藤家では先代の程乗から多く使われはじめたが、補助的材料であった。廉乗はこの作品で主役に抜擢した。そうだ蝋燭を彫ることで銀の魅力を引き出そうとしたのだ。そして廉乗らしい「品が良く強い彫り」を生み出すことに成功している。観ていると、存在感に圧倒されて、小さな蝋燭がダイナマイトに見えてきた。