刀装具の観賞(『刀和』2006年2月号)

後藤光寿 「韋駄天・捷疾鬼図」小柄

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節分の鬼ではないが、韋駄天(いだてん)に追われて逃げる愛嬌のある鬼の図を紹介する。韋駄天はバラモン教の神であったが仏教に入って仏法の守護神となり、捷疾鬼(しょうしつき)が仏舎利を奪って逃げ去った時、これを追って取り戻したという言い伝えから、走力の象徴となり、転じて盗難除け・身体健全(特に足腰)・小児加護、仏教守護・伽藍守護・厨房守護に功徳があるとされている。後藤家十一代通乗光寿が彫った小柄も、そのような願いを込めて所持されたのであろうか。

韋駄天は、ゆっくり走っても捷疾鬼をつかまえたと言われている。光寿の彫った韋駄天は、たなびく布で速さを象徴しているが、確かにせわしく足を動かしてはいない。ドーン、ドーンとやってくる感じだ。顔は神様だけに威圧感を持っている。バランスから考えると大きな掌だが、それで「待てぇ」と言われて、どんどん迫ってこられては捷疾鬼も早い鬼だが勝ち目はない。

振り向いた鬼の顔は、あきれて、こりゃたまらんという顔だ。鬼の顔が持つ愛嬌は、いたずら心で盗みをしたという解釈にもとづくのだろう。また韋駄天の神様としての真剣で威厳のある顔と対比の妙もこの図の面白さと思う。鬼の肢体は素銅で彫っているが、筋肉の付き具合、素銅の色付け具合もよく、躍動感が良く出ている。

韋駄天と捷疾鬼の図は、足利将軍家ゆかりの東山御物に初代祐乗の作品があるように昔から彫られていた図であり、構図である。光寿の独創ではない。では、どこに先人と違う個性があるのか。

六代栄乗作、距離感の違いを見て欲しい(『日本装剣金工史』桑原羊次郎著より)

それはこの図を棒小柄に彫ったことである。通常の小柄と違って縁取りがないだけであるが絵は不思議なもので、一挙に空間が広がった。その結果、韋駄天と捷疾鬼との間の距離をできるだけ離すことが出来た。これによって絵全体のスピード感が増している。加えて両者の躍動感。このようなダイナミズムが光寿の良さである。

 
 

この小柄の裏も注目して欲しい。銀を写真のように大きく稲妻に入れている。元禄模様は大形になって、全体が華やかになった模様や、片身の形や色が違う模様、市松模様などを言うが、元は後藤家の刀装具から生まれたのではなかろうか。そんなことを思う。

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