刀装具の観賞(『刀和』2006年6月号)

岩本昆寛 「大森彦七図」縁頭

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大森彦七は足利尊氏に味方して、湊川の戦いで楠木正成軍を破る手柄を立てた伊予の武将である。ある夜、領地で猿楽を楽しもうと出かけたところ、川を渡れずに困っている美女に出会う。見かねた彦七は美女を背負って川を渡る。ところが川の途中で美女が急に重くなったので不審に思い、月明かりで川面に映った美女の顔を見ると、なんとそれは鬼の顔。実はこの鬼は楠木正成の怨霊で、彦七に祟りをなそうとするのがこの図の背景となる物語である。

作者岩本昆寛は、彦七が「不審」に感じた時の一瞬の表情を的確にとらえている。この後「戸惑い」「驚愕」、そして間髪を入れずに「恐怖」「怒り」の表情に推移して修羅場が待ち受けている。

美女の方は鬼に変じ終わり、さてこれからという一瞬の表情だ。次に肩にかけた手に力が籠められ、彦七に襲いかかる。

縁に彫った馬は異変に気づき、首を下げ、前足を上げて彦七と共に戦わんとする様子が眼と姿態から感じられる。緊張感溢れる張りのある馬体だ。松の大樹は静かで神秘的な空気を醸し出している。

昆寛は細部の彫りも手を抜かない。肩にかけた鬼の手、烏帽子、太刀は遠近感を出すのが難しい彫りであるが巧みである。衣服は布、馬体は皮革、老大樹の樹皮という素材の違いもきちりと出している。浮世絵の彫師は髪の毛を彫れて一人前だが、彦七と鬼の髪、馬のたてがみ、尻尾を彫り分けて、特にたてがみは柔らかく美しい。

この図には名人奈良利寿に重要文化財に指定されている鉄地高彫色絵の鐔があり、先人は利寿の鬼は色気があると高く評している。

重要文化財「奈良利寿−大森彦七図」(『鐔(つば)』小笠原信夫著より)

昆寛は地金に細かく槌目を入れた四分一を用いて異様な空気を表現し、薄肉彫(地を鋤下げて文様を浮かし、低く彫り上げる)で技術を見せている。色金の使用は控えめだが、彦七の張りのある若々しい皮膚を素銅にすることで鬼の表情との対比を色でも強めている。そして彦七のしっかり結んだ口と鬼の襲いかからんとする割れた口の対比による緊迫感を補っている。また昆寛の個性は武勇の誉れ高い彦七をどこにでもいる人間らしく彫っている。一方、鬼は魔界の動物として彫り、ここでも対比の妙を見せている。

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