刀装具の観賞(『刀和』2006年7月号)

大森英秀「張果老」縁頭

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日本の七福神と同様の福神として中国には八仙人がある。その一人の張果老(ちょうかろう)は唐代の人で、一日に数万里を行くことができたという白驢(はくろ−白いロバ)を供にしていた。白驢は不必要な時は折り畳んで紙くらいの厚さになり、乗る時には水を吹きかけて戻せたと伝わる。

頭(かしら)は、張果老が白驢を折り畳んだところだ。見上げる張果老の口を起点に、煙のように毛彫りに金の細かい梨子地(なしじ)象嵌が拡がる。その中に、白驢が六角形の薄い紙状のものとして見える。写真ではわかりにくいが、銀四分一(ぎんしぶいち)の地金に少し黒みを強くした金属で墨絵象嵌されている。凝った象嵌による幻影のような不思議さだ。

張果老の顔は、赤みの強い素銅を肌にして、そこに漆黒の赤銅で特異な髪の毛、眉毛、髭を高彫りしている。頭の格好も異相である。眼は金で縁取り、赤銅を入れて、炯々としており、ただ者ではない雰囲気だ。金の瓢を肩からかけているが、ヒモの緊張感から瓢に入っている水の重さが想像できる。衣類の襞は、身体の動きに即して自然である。その模様の象嵌も襞に従って丁寧で、衣類の動きに対応している。手の彫りは難しいものだがそつなくまとめている。


縁は張果老が変じた姿と白驢が出現した様子を彫っている。まさに変幻自在の仙人だ。張果老は向こう側を向いて、顔を上にあげている。髪は白髪に変わっている様子を銀の毛彫りで表し、巻いた髪飾りは金色絵だ。瓢も金の槌目に変わり、そこからの水を細かい点彫りにして縁の裏側に続け、そこに白驢が元気に姿を見せている。白驢は足は短いが、肉取りは見事だ。この立体感、躍動感。一日で数万里も可能だろう。衣類は赤銅に細かい金糸と銀糸の線象嵌で模様を織りなしている。腰高の縁に彫られた松も堂々としており、達者に彫り込まれた松皮肌と、金の苔が老樹の年輪を表している。

英秀は大森波と称される波の彫りで高名だが、曲面・曲線表現が素晴らしい。ロバ、人物、瓢などに豊麗な躍動感を感じる。また英秀は金梨子地を平象嵌で表現する技法を創造し、蒔絵の感覚を刀装具にもたらした。蒔絵象嵌は華美になりがちだが、この作品では仙人張果老の幻術の世界を顕わすのに用いて、控えめで効果的だ。

 

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