刀装具の観賞(『刀和』2006年10月号) |
「刀和」の写真は白黒ではっきりしないので差し替えたげど、これも良くないですね(写真共に拡大)
表目貫は鶴、裏目貫では多くの唐人物が上を向いて群がり、騒いでいる。この図は江戸の百科事典『和漢三才図会』において、東方に有るとされた小人国の情景を想像して彫っている。相対的に鶴が巨大な生物になり、小人は驚き、逃げ回ると言うわけだ。
鉄元堂尚茂は、この目貫もそうだが、鉄を使った彫りに特色がある。もちろん鉄以外の素材の彫りも上手いが、師匠の長常とは同じ土俵には立たず、鉄を使いこなすことで勝負した。また図柄にも新味を出し、この図と同類の「手長・足長」や「韃靼人」などの異界の世界を取り上げたものも目につく。当時の京都画壇も若冲、応挙、蘆雪、蕭白など個性的であり、時代の息吹でもある。いずれにしても後の世に残る芸術は個性の発露、すなわち独創なのだ。
鐔は護拳という実用の必要性もあるから鉄製も多いが、他の刀装具では少ない。鉄は鋭く彫ると鋭利になり過ぎ、擦れやすくなり、そこの錆が取れて光ってしまうという問題もある。保持する人の怪我も心配する必要もある。鋭利さを抑えると彫りにキレがなくなり、ナルくなって絵にならない。また鉄は酸化しやすく赤錆の問題は常につきまとう。この作品でも彫りの凹地の部分の赤錆は取りにくく、本来の線と鉄色を損なっていることは否めない。
鶴は首、足、羽の形までは鉄地にきちんとした鏨を入れて高彫して、頭部や眼と、羽脈に金で細かく象嵌を入れている。舞鶴は本来は優雅なものであるのだが、この鶴は絵の意と鉄地が相俟って、強く、堂々とした鶴になっている。小人たちには恐ろしい生物だ。
小人たちは姿だけでなく、顔の目鼻立ちや頭部の帽子、髪形や着物の模様に、金、銀の象嵌を使って、一人一人を彫り分けている。鉄地で細かい人物を彫るのは難しいが、各人のあわてている仕草、おびえている表情までわかるのはさすがだ。
尚茂は対比の面白さも狙ったのだと思う。大勢で大騒ぎして、逃げ回る小人たちに対して、鶴は一羽で堂々と飛翔している。また人間と鶴の関係が逆転する世界にも興味を感じたに違いない。異界への興味は、異国が来訪する近代を先取りしているようでもある。