刀装具の観賞(『刀和』2006年12月号) |
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表目貫は、あばら骨が浮き出た狼が尻尾を足の下に巻いて顔を上げてたたずむ姿。裏目貫は月に芦である。大月光興の作品として戦前から有名な目貫で『刀剣金工名作集』などにも所載されており、そこでは月に薄とされているが、葉や穂の形状から芦だと思う。
狼の獲物がなくなり、芦も枯れてくる季節だ。狼は餓えた姿だが、顔は獲物を狙うと言うより、この境遇を受け止め、荒野をさまよう中で、ふと月に気がついたような雰囲気に彫っている。月は十五日の満月を過ぎて十九日頃の寝待月か、あるいはもう少しあとの更待月ではなかろうか。狼が元気であった時期が過ぎたことを、満月を過ぎた月でも表現している。煌々としている月と、不自然な芦の構図が、塵芥も吹き飛ばすような野分の風が吹き荒れる澄んだ肌寒い夜空を表現している。この芦の表現は苦心したと思うが、これによって上記のような情景が読み取れる作品に仕上がっている。
狼は四分一を地金にして彫りあげ、身体には細かい、うねるような毛彫を施して体毛を表現している。心なしか体毛にも力がないような感じだ。眼と牙、爪などは四分一を磨いて銀のような質感を出している。目玉には小さく赤銅を入れている。
月は四分一に銀をかぶせている。銀は変色しやすいが、それが現実の月らしい風情を醸し出している。芦の金象嵌は剥がれているのではなく、枯れている様子を摺りへがし象嵌で表現したものだ。
私は、この目貫を長年見続けてきたが、大月光興の真価は観てすぐに感興を催すことにあるのではなく、観てから、その光景に思いをはせると良さがわかってくるような彫物の創造にある。この目貫において、作者はひもじい中でも風雅な心を忘れるなと意図したのかもしれないが、観る人の人生観、置かれた境遇などで絵の持つ深みが変化していく。色々な解釈が生まれても良い絵と言える。
ガンに倒れた小道具好きの男が、数多くの小道具の中からこの目貫を選び、「いいなぁ」としばらく魅入られていた。彼の心象風景の中で餓狼と共に枯野を駆けめぐった思いは何であろうか。刀装具の世界を、ここまで奥深いものにした光興の芸術に感謝したい。