三宅英充・根曳き松図小柄
-夭折の名工-

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この小柄は近年ネットオークションで出されたもので、私が落札者ではなく、私は落札価格の倍以上の価格(落札者が証書を付けた費用も込み)で購入したものである。それでも作品の出来からしたら安いものである。


1.三宅英充とは

『金工事典』(若山泡沫著)によると、三宅英充(ひでみつ)は肥前国長崎に寛延二年(1749)に生まれる。横谷二代宗與の門人とも伝わるが、大森家に師事したことが考えられるとしている。江戸で開業独立。毛利家の抱え工となるが、天明四年(1784)に36歳で死去する。「この人に長寿をかせば、名人たりえたであろう」という古人の賞賛もある。一門に自立軒あるいは自立斎を号して「英」あるいは「友」を名乗る門人がいる。

同じ若山泡沫氏の著作『刀装小道具講座3江戸金工編<上>』には「彼の力量にはみるべきものがある」と記されているから、若山氏は英充の作品を実見されたことがあると思われるが、同書には英充の作品は所載されていない。あるいは古人の言を引用されたのであろうか。

「刀装・刀装具初学教室(65)」(福士繁雄著「刀剣美術」514号)には『装剣奇賞』を引用して英充を解説している。それによると「自立軒(花押)三宅氏、名ハ英充、江戸京橋南伝馬町一丁目住、宗与弟子、毛利候御抱トナル 此人はじめはさして称すべき工(たくみ)なざらりしを、児島氏(江戸人、委ク付録ニ出)見所ありと、其志を励し、今已(すで)に名人と呼るるに至れり、其工は後編に評すべし」と記載されているとのことである。
しかし、同論には英充の作品は掲載されておらず、弟子筋の英光、友英、敬英、英政の作品を掲載して、出来を褒めている。

『日本装剣金工史』(桑原羊次郎著)にも掲載されている。「英充は三代宗與門人にして自立斎と号す。没年享年詳かならず」と書いた後に稲葉通龍の『装剣奇賞』(内容は福士氏引用とほぼ同じ)、野田敬明の『江都金工名譜』、田中一賀の『金工鐔寄』、栗原信充の『鏨工譜略』を引用している。『装剣奇賞』以外は簡単な記述である。
そして加納夏雄の彫金談を引用する。
「自立斎英充或い英光或は英秀などの号あり。肥前長崎の人、彫法は横谷家を承けたる者にして、作品中見るべき物あり」。
そして桑原氏は「予按ずるに、通龍は英充の技倆は既に名人の域に達すると激賞し居れども、予は不幸にして未だ英充特意の傑作と見るべきものを発見せず、夏雄翁も「見るべき物あり」と評せられし程度なれば、是亦晩年作に遭遇せられざりしならん」と結んでいる。

この本の図版編と言うべき『日本装剣金工史附圖』にも英充の作品は掲載されていない。

36歳で夭折した為か、作品は少ないことが理解できる。私ももちろん、この小柄が初見である。

2.画題

根曳き松(根曳の松)である。広辞苑によると「特に子(ね)の日の遊びで、根ごと引き抜いた松。もと正月の門松に用いた」とある。「寿門松(ねびきのかどまつ)」という近松門左衛門作の人形浄瑠璃の演目(正式の題は山崎与次兵衛寿門松」)があるとのことである。また「根曳の松」という地唄もあり、それは上方の初春の風景を唄ったものとのことである。

正月の門松に今でも「根曳きの松」を飾る地方は存在する。


3.作品の印象

    画題は「根曳き松」という面白くもないものだが、実に力強く、生気が宿り、迫力を感じる彫りである。
以前に後藤の作者銘は忘れたが「根曳き松」の三所物を拝見した記憶があるが、こぢんまりしたもので、お正月用の御道具という印象であったが、この小柄はスケールが格段に大きい。

根のところは赤銅に銀色絵ではなく、銀そのものを繋いで彫っている。斯界では「芋継ぎ」と呼ばれる手法だ。

松葉だから2本ずつの葉にして、一つの枝に片側5組ずつ彫り上げているから合計20本の松葉である。そして、それら松葉は、平面的に彫り上げるのではなく一本ずつアーチ状(枝との付け根から上に持ち上げるように彫り、末端を下げて膨らみを持たす)に彫っているように感じる。実際に、そのように彫っているのかも知れないが、そんな感じが迫力を増している。

加えて葉先は先端に向かいながらも緩くカーブを付けて僅かに下方にしている。そして上の方に位置する松葉は短く、下の松葉に行くほど長く彫って二等辺三角形になっている。葉の成長時期の違いである。ともかく勢いを感じる彫りである。

松の枝には松皮を表すような鏨の打ち込みを部分的に入れている。若松だから、それほどの松皮にはなっていないとしたのだろうか。

根も銀で生き生きと、しっかりと彫っている。「引っこ抜かれた根」と言うより「これまで地に生え、水分・養分を吸収して支えてきた根」と感じる。
両脇の根は少し外側に広げて安定感を出している。一本の根だけ、他の根の上に乗せて、変化を付けているのも効果的と思う。根という脇役の彫りで、見所も無いようだが、なかなかに力強い。

健全である。左の写真でもわかるが、根元に一番近い枝の一番下の松葉に当たりがある以外には傷はない。

裏の仕立ても眼を見張るものがある。鑢の先に細かい玉を作り、きらきらと輝いている。こちらは下職の仕事だと思うが、工房に人材が揃っていたことが理解できる。さすがに毛利家の御抱えになった金工である。英充は夭折しているが、門人は結構繁栄している。

夭折の名工と思う。


おわりに-ネット・オークション-


私個人はインターネット上のオークションで刀剣、刀装具は買わないし、浮世絵や絵も買ったことはない。浮世絵のオークションを利用して購入したことはあるが、それは下見会で実見した上で、浮世絵商に上限価格を伝えて落札している。

美術品は自分の眼で実際に観て、その時の感動で買うものではなかろうか。ネット上の写真は加工できるし、細かい傷、欠点は実見しないとわからない。私は加えて、実際に観た時のハッとする心の動きを信じる方である。

ただ、インターネット・オークションを否定するものではない。私の知人の中にはネット・オークションで購入し、中に「掘り出し物ですね」と感心するものを入手している人がいる。こういう売買形態が広まることで相場が実勢にあったものになることも考えられる。

この小柄を安い価格で落札した人は眼が利く人だが、こういう人でもネット・オークションでは失敗もあると思う。何度も言うが写真など加工できるのである。
初心の人は、信用のできる刀屋さんとお付き合いをして、その刀屋さんとともに成長していくようにすべきではなかろうか。刀屋さんは、それで妻子を養っているのだから、儲けてもらうことも容認しなくてはいけない。こういう人間関係の中で、いいものをお世話いただけることもあると思う。
買う方は趣味・道楽なんだから、儲かるものではなく、散財するものというのが基本である。その分、眼が進化し、心が豊かになるわけだ。
 

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