彦三の色金鐔である。見飽きない鐔だが、「この色相がこの彦三の魅力を伝える」と確信が持てる写真がなかなか撮れない為に、HPへのアップをためらっていたものである。
同時に、私自身が「この彦三の魅力を自分の言葉で語れる」ようになるまで控えていたものである。何度も何度も観ている内に、やっと自分なりに平田彦三の魅力を語れると思うようになってきた。
もちろん、以前に紹介した彦三の「引き両透かし」鐔の鑑賞で気付いたことも基礎になっている。この色金鐔の鑑賞記のアップと同時に、彦三の「引き両透かし」鐔の鑑賞記も加筆している。あわせてご覧下さい。
縦73.9ミリ×横70.5ミリ×耳厚4ミリ |
1.様々の色調に見える魅力
「この写真の色でも違う」と何度も撮り直したり、補正をしている内に、そもそも彦三は光の加減で、色々な色に見えることを狙ったのではなかろうかと思いはじめて、霧が晴れてきた。
以下の写真も、もちろん同じく、この鐔の写真である。背景が違うので、その影響も加味されているかもしれないが、鐔そのものの色合いがわずかであるが違うことが、ご理解いただけると思う。
これらの3枚の写真も「ちょっと違う」という感じがする。今も妻が横から「こんな色じゃないわよ」と言っている。いつか変更することもあると思うが、ご了承ください。もっともHP上の写真は観る人のパソコン・ディスプレイの環境でも左右されるから、こだわっても意味がない面もあるのだが。
いくつかの本に掲載されている有名な彦三色金鐔の写真も、本によって差異がある。『平田・志水』の著者伊藤満氏は、彦三の色金鐔を掲載するに当たって、ご自分なりに一番、真価を捉えていると判断した写真を掲載されていると思うが、それでも彦三色金鐔の魅力の全貌を引き出せているとは思っておられないのではなかろうか。この思いは、本に彦三の色金をカラーで掲載された先人に共通する思いに違いない。
(1)素材の色金の工夫
彦三の色金鐔の素材については、そもそも”彦三がね”とか”平田がね”という言葉もあるほどだ。これは言葉で説明すると次のようなことになる。この鐔には日本美術刀剣保存協会の特別保存の証書がついているが、それには「山銅地」と書いてある。これは素銅地である。協会が調書を間違えては困るが、このようにも見えるということである。
すなわち、彦三の色金の地金自身が様々な色調に見える性質を持っているのだ。
『平田・志水』の著者伊藤満氏によると、初代彦三は色金の鐔にも焼き手を加えるとのこと、すなわち、焼くことでの変化(色と地金表面の変化)が地金に加わるということだ。このように焼いたり、あるいは酸につけたりして独特の肌合いにしているの初代彦三の特色だと教わる(色金を焼くと細かいひびが入ること、また酸とは梅酢につけて腐食させることも氏に教わる)。
(2)表面の彫りの工夫
上記のような色金の素材そのものの変化に加え、この鐔では丸線鑢(今では翁鑢の方が一般的だが、『肥後金工録』にある丸線鑢のようがわかりやすいと思うのでこれを使う)とロクロで削ったような処置を行って、素銅の地に変化をつけている。地に変化をつけるとは光の反射に変化が出ることなのだ。光の反射が出ると、色合いも変化するというわけだ。
この丸線鑢、ロクロ文の一部が黒くなっている箇所があるが、これが酸につけた結果なのか、あるいは漆でもかけて、それを拭った結果などか私にはわからないが色合いの変化が効果的に現れていることは間違いがない。汚れで黒くなっているわけではないのだ。(もっとも丸線鑢の中には汚れが入り込んでいることもあるかもしれない、そこまで厳密には手入れをしていない。手入れをしない方が味があると信じている)
(3)狙いは赤楽茶碗の肌のような変化
以上の工夫で、素銅の赤みを基調にして変化を付けたこの鐔の肌は、お茶碗、赤楽茶碗のような地肌になっている。私は彦三の狙いがここにあると思う。後の章で、赤楽茶碗と言っても千利休、古田織部、小堀遠州のそれぞれの美学で違うことを明らかにしたいが、茶碗の肌を意識していることは間違いがないのではなかろうか。
お茶碗も、水を通すことで肌が変わる。そして、そこに濃茶、抹茶を入れることで”茶映り”を楽しめる。このような効果を鐔でも出来ないかと彦三は考えたのではなかろうか。室内での光と外での光、あるいは観る角度によって色合いが変化する効果を狙ったというわけだ。
最近では私も「今日はどのような表情かな?」と思いながら彦三の鐔箱を開けている。もちろん、その時の光、観る角度に影響されるのだが、最近では私自身の心境などを反映しているのかと思うところもある。こういう点が見飽きない。
(4)抽象的な模様の持つ、イメージの広がり加えて、この鐔のように、具体的な模様でもなく、抽象的な丸線鑢、ロクロ文の模様は、観る人の発想を自由にする。
私がその時の自分の心境を反映というのも、このような点もあるのかと思う。これが彦三の魅力なのだ。
この模様はロクロを使用した焼き物の肌からイメージしたのだと考えるが、他に具体的なイメージを見いだすと、次のイメージが浮かぶ。
一つは水紋が考えられる。静かな水面に滴を落とした時に発生する水紋である。静かに均等に広がっていくイメージである。
二つめは北極星を中心に廻って星が運行している様子である。もちろん肉眼では見えず、カメラを北極星に向けて固定し、絞りを解放して撮った写真を通して現代の我々は、それを知る。求心力の強いイメージである。
三つめは独楽(コマ)である。忙しく廻ることでかえって安定するイメージである。
四つめは年輪である。生きてきた証(あかし)のイメージである。
水紋は、水=水色のイメージがあり、むしろ大地の色に近い、この色金とは結びつけにくい。
独楽は、この鐔の形が真円ではなく、下部が少し広がるあおり形であり、安定のイメージと廻るイメージが結びつかない。
北天のイメージは、私が一番はじめに感じたイメージだが、彦三の時代には考えにくいと思う。
年輪のイメージは、私が最近感じていることであるが、地面が平滑でないので素直には年輪と思えない。
やはり、模様は抽象的で、焼き物の地のイメージがいいのだと思う。
(5)あおり形のやさしさと覆輪細工の巧みな強さ、丸線鑢の強さ
この鐔の形状もなかなかに魅力的である。わずかに下ふくらみで安定感がある。横が左右にかすかに膨らんでいるところと相俟って、なんとなく優しい雰囲気を感じる。また自然な感じである。
お茶碗を両手で抱えた時の安らぎのようなものを感じる。彦三は、これを意識したと思う。
丸線鑢、ロクロ文の印象は、丸、円の形はなだらか、やさしいに結び付くが、この鐔の丸線鑢、ロクロ文を観ていると、優しさよりも強さを感じるところが不思議なところである。強さと言っても、生き抜いてきた年輪や人間の刻み込まれた皺が醸し出す強さである。
この鐔には、腕貫き孔が2つ開けられている。私のここまでの鑑賞記の流れであると、この孔の位置、大きさにも彦三の計算された美学があると書くように思われるかもしれないが、この孔は無造作な感じである。実用で開けたという感じが強い。もちろん、周囲の丸線鑢やロクロ文の彫りや色合いから、うぶのものである。
なんとなく、これはお茶碗における景色、それも窯の中でできた景色というより、使いこまれる中で生まれた景色を狙ったように思う。これは以前にこのページで紹介した彦三の「引き両透かし」における景色の出し方と共通している感じだ。無造作に、計算しないで作為的な景色を付けるのは勇気がいるし、自信がないとできないところもある。もっとも、この腕貫き孔は勇気、自信というようなものではなく、本当に実用から開けたような感じである。
なお、この鐔には赤銅の縄目覆輪(斜めの縄目のような模様の彫り込み)をかけている。横から撮った覆輪の写真は掲載していないが、この斜めの線が大胆で強い。これも魅力である。なかなか、このような強さは出ない。赤銅の真っ黒な色と相俟って、周りを引き締めている。ここがいかにも武士の持ち物の鐔らしいと感じる。
彦三の覆輪というと、世に言うところの小田原覆輪(私は、小田原提灯のぶらぶらするところから近年に名付けたという彦三には無礼な名称は使わず、南蛮鐔に見られる耳の形から、「南蛮覆輪」、あるいは「南蛮風覆輪」、あるいは形状から「星打ち出し覆輪」を提案している)が名高いが、幅が太く、赤銅以外の材質を用いたものは初代彦三にはほとんどないと伊藤満氏に教わったことがある。
肥後鐔、肥後拵に造詣の深い識者で、私の古くからの知人が「小田原覆輪は下品だ」とつぶやかれたことが記憶に残っている。この方は饒舌な人ではないが、私は、この知人の感覚にも一目置いている。伊藤満氏の「幅が太いのは初代にない」に籠められた感覚と、この方が「下品だ」という感覚が共通するのだと感じる。
なお「覆輪がぶらぶらする」などは時代を経て、緩んだに過ぎない。武士が命のやりとりをする刀に付属する鐔の一部が揺れるようなものを、あなただったら付けるだろうか。
「安らぎ」と「強さ」のように矛盾するような感じを、矛盾を意識させないで表現するような芸術は境地が高いが、この鐔も、そのような条件を持っている。
2.お茶の美意識から知る彦三の美
(1)茶道の美意識の系譜(利休→織部→遠州)
茶道の美意識と言っても、最近、勉強することで広いことがわかってきた。
室町期の天目茶碗を使った権威のある茶から、千利休が目指した”冷凍寂枯”の美意識、すなわち質素で内省的な「わび」は、必要最小限までそぎ落とした、質素で慎ましい状態の中に心の充足、美しさを見出す美意識と言われている。
また「さび」は、時間が経過しても、古びたものに情緒や美を感じる思想で、古いものの内側からにじみ出てくるような、外装などに関係しない美しさと説明にある。
千利休の美意識は、造形的には装飾性の否定を特徴として”冷凍寂枯”すなわち何も削るものがないところまで無駄を省いて、緊張感を作り出す美である。
次の古田織部は、「破調の美」も楽しんだ。器をわざと壊して継ぎ合わせ、そこに生じる美を楽しむことも入ってくる。利休は自然の中から美を見いだした人だが、織部は美を作り出した人とも評価されている。
織部は「ひょうげもの」とも言われるが、「剽=へうげる」は「ふざけている」「おどけている」の意の字音仮名遣いからきている。ここに「へうげる」という美意識が生まれたわけだ。
武家らしい華やかさのある古田織部は、個性ある道具を用い、物と物とが競合するような強烈な茶風で、自由、奔放、斬新、独創の精神「バサラ」(婆娑羅─華美で派手な服装をしたり、勝手きままな振る舞いをすること)を体現し、南蛮文化の影響も受けていると言われる。
そして次が小堀遠州だ。遠州は自然な雅やかさを出す。「わび」「さび」の世界は、無駄なものを徹底的に省き、その人独自の感性で創り出されたもので、余人の入る隙間がなく極めて主観的なものだったのに対して遠州は客観性を持たせ、多くの人が共感できる、「艶(つや)」を与えたと評価されている。
小堀遠州は、桃山の国際性(茶碗には中国、朝鮮からのものも流入、文化には南蛮風物が流入)を、日本風にアレンジしているというわけだ。日本風の要素の一つとして季節感を大切にしている。それは平安期の「雅」を代表する文化である和歌が、大自然の恵みのありがたさを知り、季節感を自分の心の表現に入れていることからも理解される。
ちなみに私の所蔵品の中では後藤光侶(廉乗)の小柄「枝菊図」が小堀遠州の美学に近いと感じる。私はこの小柄は大好きである。『刀和』の「刀装具の鑑賞」で取り上げ、その時に書いた「強さのある品の良さ」「益荒男ぶりの気高さ、品の良さ」という感想における「強さ」「益荒男ぶり」は武家の強さであり、気高さ、品の良さが遠州の「雅」の美学なのだと改めて思う。
先日、「上田宗固 武将茶人の世界展」(於 松屋銀座店)を拝観した。上田宗固は丹羽長秀の小姓からはじめ、数々の闘いで、常に一番鑓を目指し、達成してきた武将で、秀吉側近の大名として1万石を領し、関ヶ原では西軍に属し、所領没収にあうが、浅野幸長の客分として1万石、大坂夏の陣樫井の戦いで一番鑓。以降は浅野家の家老として1万7千石を領し、広島で過ごし、88歳で逝去。
この間、古田織部の弟子として茶道に励み、利休の「わび」と織部の「へうげ」の世界を融合した「ウツクシキ」のお茶を目指す。
私は、拝見すると、「ウツクシキ」というより「イサギヨサ」という感じだ。上田宗固は細川忠興(三斎)と、松井康之(細川藩の家老で八代を預かる。名が知られていないが、これまた評価の高い武将茶人)とも交流があることが、展示の書簡でよくわかる。
本阿弥光悦も時代は織部と同様である。織部ほどの奇は衒わず、のびやかさを感じる。
(2)初代平田彦三の美意識は織部に近い
私は、この美意識の系譜(利休→織部→遠州)の中では、平田彦三は古田織部の美意識に近いと思う。余談になるが織部の「へうげる」美意識は初代志水甚吾に濃厚に現れていると思う。
私は西垣勘四郎の御紋縁頭の鑑賞文で「行書の勘四郎」として、書道の真行草に当てはめれば、真(楷書)=又七、行(行書)=勘四郎ではと書いた。その時、では甚吾は草書かと言われれば、そうとも言えないと曖昧にしていたが、ここにおいて古田織部の「へうげもの」の美意識が初代甚吾には一番近いかと考えている。
もっとも古田織部と同様に、利休の弟子でもあった大茶人の藩主細川三斎、家老松井康之のお茶がわかると、彦三は細川三斎と同じ美意識、あるいは松井康之と同じ美意識とでも言えるのだが、私には詳しくわからないので、千利休、古田織部、小堀遠州の中で比較して、彦三は古田織部に近いと思ったわけである。細川三斎も松井康之も古田織部と同様に千利休の弟子で、しかも武人で大名であるところは共通する。肥後の細川三斎、松井康之の茶には古田織部とも通ずるものがあったと思いたい。
もっとも平田彦三自身もお茶人で、彼は彼なりに独自の美学を追究した結果の作品なのかもしれない。芸術は影響は受けても、自分なりのものにしないと、後世の人を感動させる作品などはできないわけだ。
以前にこのページで紹介した彦三の「引き両透かし」だが、この鉄、肥後金工録に”(光)沢あり”と特記されているように常に油をひいているような照り=黒の輝きは”冷凍寂枯”の沈んだ黒ではない。茶道の美意識、焼き物の基礎を学ぶと、黒=黒楽茶碗=楽初代長次郎ではなく、同じ楽家でも三代道入(のんこう)のイメージとか、瀬戸黒茶碗の黒のイメージである。すなわち利休よりも織部に近いものである。
そして、金散らし紙象嵌(『肥後金工録』では塵紙象嵌と称している)と、引き両の一部を欠いて景色をつけているところなど、意識して「破調の美」を狙っており、まさに織部の美意識に近いと感ずる。参考になる焼き物の写真をアップする。
金家錆がこの感じ | 彦三はここに近い | 光悦も彦三に近い |
楽初代長次郎「面影」 楽美術館所蔵、「上田 宗固展」カタログより 艶の無い沈みこむ黒 |
美濃焼 織部黒筒 茶碗「上田宗固展」 カタログより。ロクロ の痕を上部に残し 外面に茶褐色釉を 掛け、3箇所に光沢 のある黒釉を2重掛 |
本阿弥光悦「朝霧」「名品茶 碗の見かた」(矢部良明著) より。楽三代譲りの艶のある 黒。 |
(注)黒楽茶碗でも釉薬が禿げてかせたような肌は金家錆と共通していることを「刀装具の研究ノート」の「金家錆と黒楽茶碗の肌」に記したが、この侘びた色合いが千利休の美意識につながる黒、すなわち冷凍寂枯の黒と思う。
この色金鐔を、赤楽系統で探ると、やはり楽初代長次郎ではなく、楽三代道入(のんこう)に近いと感じる。この茶碗「鵺」(ぬえ)の解説によると「胴の一部に黒絵の具を刷いた景色が、まさに闇夜に踊る得たいのしれない動物、鵺を連想させる」「粘土は白土が用いられ、全面に鉄分の強い黄土を塗り、胴の一部に刷毛をもって黒絵の具を刷いている。全体に透明釉が掛かって、ところどころ霞みのように白く黄土を覆う。また窯変して釉は一部青黒く変色しており、これほど景色の豊かなのんこう茶碗は他に例をみない」とある。
楽三代道入(のんこう)の景色重視の姿勢は、彦三の色金鐔の地金を様々に変化させているところに一致する。またこの鐔のロクロ文などの造形は、上記の織部黒筒茶碗のロクロ痕と共通するところがある。
彦三に近い | |
楽初代長次郎 「無一物」「名品茶碗の 見かた」(矢部良明著) より、頴川美術館蔵 |
楽三代道入「鵺」 「名品茶碗の見かた」 (矢部良明著)より 三井文庫所蔵 |
(注)初代楽長次郎「無一物」の解説には「赤土を使い、じかに透明釉を掛けただけの単純な技術にしたがって、低温で焼いたために釉は融けきらず、一部透明化されずに白濁の霧のような膜が現れている。釉をくまなく掛けるところに、すべて一つの表情で終始しようとする利休の意図がみえる」とある。