村上如竹「富士残映」小柄

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村上如竹の「群馬の図」鐔をご紹介していたら、『愛刀』2002年1月号に、如竹の「富士山の図」小柄が売りに出された。
如竹の平象嵌を誉めていたから、如竹さんが、そんなに言うならこれを買えと言っているようで、購入しました。

残念ながら保存状態が良くないので価格も安いが、次のような墨絵象嵌の富士山である。

平象嵌は、磨地に見せる技術であり、磨地に傷があったり、地金の色が変色していると見にくいものであり、この小柄は、この点で惜しまれる。

小柄の裏も荒れているが、資料的価値が高い貴重な銘「行年六十二歳 如竹叟」が入っている。
草書で崩してあるので、書道の知識がない私には最後の字は確信が持てないが”歳”と切っているのだろう。
また花押はなく、そのかわり”叟”の字を使っている。

如竹の行年銘は『刀装小道具講座3』では「如竹叟 行年六十五歳 」と「江戸芝住六十一歳」、「行年六十歳如竹叟」があると書かれているが「六十二歳」はないようであり、資料的な価値がある。この62歳の銘字とほぼ同じ銘が『鐔』(小笠原信夫著)の45ページに掲載されている。

1.如竹の技法

この小柄は、質の良い赤銅地に、朧銀の板を嵌め込み、その朧銀に上に、富士山を四分一で平象嵌し、その四分一の富士山の中に赤銅で山頂、山の稜線を平象嵌をしているのである。下の写真でおわかりであろうか?凝っているでしょう。

(注)刀屋さんは、富士山も四分一ではなく赤銅による平象嵌で、その上に金の含有量を高めたより黒い赤銅を象嵌していると述べていた。そのようにも見えるが私は四分一かなと思っている。

そして富士山に横雲、あるいは霞と言ったほうがいいのかわからないが、それをこれまた赤銅と四分一で濃淡を出して平象嵌しているのである。四分一の霞雲と赤銅の霞雲が近接しているところの微妙な太さの差、四分一と赤銅の濃淡の色の差は絶妙ではないか。

また富士山の麓のほうには、これも霞か、樹木の陰かわからないが、銀が少し強いような四分一で象嵌しているように見える。”見える”と書いたのは、傷なのかとも思うからである。ルーペで見ると傷には見えないが、象嵌であればどのような象嵌かよくわからないのである。ただ細かいヒケ傷も多い。

(注)「刀剣美術」70号「金工村上如竹について」の中に、次のような一節があった。私が上記した傷か象嵌か、よくわからないものはケシ象嵌という技法なのかもしれないが、もう少し研究したい。(文中アンダーライン筆者)

 「如竹の平象嵌の一種に、ケシ象嵌がある。ケシ象嵌と云う言葉に当てるに芥子象嵌、又は、消し象嵌と説明して各書区々であるが、後述の如く芥子の字が妥当と思う。要するに雲や霞等の景色を現わすに柔らかい金粉をちりばめたものである。此れは如竹派にだけ取り立てて特技とする程の事でなく、大森派、一乗派を始め、各派夫々に自己の流儀で大同小異な方法でやっている。
 金芥子象嵌とは、ケシ粒という言葉が表明するように、ケシの実のように小さい金粉あるいは金片を、平象嵌した状況を形容したものである。
 消し象嵌と云うのは別手のもので、如竹派の場合幾ら小模様でも本象嵌の手法を使っている。
 何れにせよ鍔小道具の彫刻を文字で現わす場合に正確に統一された単語がないのが残念である。
 此の手法のものに不二山の小柄等がある。」(2002.1.2追記)

黒い富士山の左には夕陽を、銀で平象嵌している。上半の半円に、下部は細かい点象嵌である。そしてその一部は銀とは異なる金で同じように点象嵌して、夕陽の残照を出している。球状物体の大きさと、上半の半円ということ、半円の下部に点象嵌をして物体が欠けているのをくっきりとさせてないことから、沈みかけている太陽、すなわち夕陽と判断するが、通信販売目録では月となっている。月と見る人もいると思う。

2.絵としての魅力

この小柄は技術、技法はもちろんだが、絵として優れている。

夕陽に後ろから照らされた黒い富士山である。光りが後方から出ているので、当然に富士山は黒いシルエットとなる。私は「富士残映」と名付けたが、「黒富士」である。

富士山を描いた絵、小柄、鍔は古今に多いが、背景にも意味をつけて、小柄全体で富士山を中心とする絵にしているのは少ないと思う。背景は赤銅魚子地、あるいは鉄地で、意味を持つのが富士山だけというのが多い。彫金で、小柄の画面いっぱいに情景を作った如竹はすばらしいと思う。

左下は、北斎の傑作と名高い富岳三十六景「凱風快晴」である。右下は同じく北斎の富岳三十六景「山下白雨」である。これは浮世絵でも人気の高いもので、世界的にも高く評価され、相場が下がった現在でも、ある程度の摺りと保存状態であれば1枚2000万円くらいするものである。

この「凱風快晴」は俗に「赤富士」と呼ばれている。

 

如竹は私によって世界的に評価されている北斎の富士と比較されるとは驚いているに違いない。片や2000万円、この如竹は20万円である。(状態が悪いからこの価格であり、保存状態が良ければもっと高いことは言うまでもない)

でも如竹の「黒富士」もなかなかのものである。如竹は明和、安永、天明頃の人である。北斎の富岳三十六景は天保の頃である。如竹の方が北斎より早いのである。こういうのを見ると如竹は金工という職人から、独創を世に問うた芸術家だと言って過言ではなかろう。

富士山の稜線は北斎が誇張して鋭角的になっているのに対して、如竹の方が写実的でなだらかな稜線となっている。北斎は堂々と聳える富士を表現し、如竹は静かに存在感を持ってせまってくる富士山を表現している。

自分の保持している墨絵象嵌という特技を、残照によってシルエットとして浮かび上がった富士山に応用して、彫金でありながら複雑な色金の使用で写実を試みた如竹に敬意を払いたい。

2001年9月11日は、アメリカの世界貿易センタービルにテロにあった航空機が突っ込んだ日である。この日、日本の東京地方では台風が通り過ぎた。通り過ぎたと言っても、台風一過の青空ではなく、西の方から晴れつつあるが雲が飛んでいた。私はこの日の夕刻に新宿のパークハイヤットホテルの47階のロビーで、人と話をしていたのである。富士山と裾野に連なる丹沢山塊が黒いシルエットでこのように見えていたのである。不思議な一日であった。

この情景と重なっているから、よりこの作品に印象深い思いを持つ。

3.富士山の小柄

絵でも富士山を描いた絵はたくさんあるのと同様に、刀装小道具でも富士山を描いたものは多い。富士山に竜を彫って富士越竜としたり、富士見西行を彫ったもの、富士と三保の松原を彫ったもの、富士と桜を彫って大和心を表現したのもある。

刀装小道具では、平田道仁の富士山の図の七宝小柄が有名である。重要刀装具に道仁の1本の小柄を認定したら、同じような富士山の小柄がたくさん出て、いずれも重要にせざるを得なかったという話を聞いたことがある。平成5年までの重要刀装具指定目録では、平田七宝の富士山関連で14本も指定されている。

薩摩の金杉知常、知寿も富士を多く彫っている。富士越竜も含めて家彫りでも後藤光孝(『小柄百選』掲載)、光美にある。
『刀装金工銘集録』には園部芳英、川原林秀興、金杉知常の作品掲載されている。
『刀装小道具講座第3巻』には大森英秀106ページ、清寿192ページ、寿良198ページが掲載されている。
『刀装小道具講座第4巻』には安田家の作品285ページ、園部芳英302ページ、戸張富久306ページである。
『刀装小道具講座第5巻』には秀国122ページ、後藤一乗201、205ページ、一琴222ページ、一勝239ページにある。

皆様はどの富士山を評価するであろうか。どの富士山が好きであろうか。

4.小道具の傷、欠点

蒐集するのならば状態が良いものが望ましいのは言うまでもない。処分する時も、刀屋さんから必要以上にケチをつけられる可能性が高い。美術品であるから、傷とか荒れは欠点になるのは仕方がない。

欠点の無い美品となると、特に有名工の作品となると、価格がどうしても高くなる。
刀でも、古名刀で健全なものは手が出ないことと同じである。私は、傷があって、荒れていても楽しめるもの、勉強になるもの、感動したものは買っている。

本阿弥光悦の展覧会に行った時に光悦作という短冊が何枚か出ていたが、色が飛んでいた。絵、古い時代の大和絵のことは良く知らないが、あのような状態の短冊では、本阿弥光悦でも高くはないのではないかと思ったことを覚えている。だけど展覧会には並んでいる。こういう点では刀、刀装具の世界の方が狭量なのではなかろうか。

この小柄は、如竹さんの為に、もう一度、磨き直してみたいとの思いが強くなっている。そして再度色上げもしてみたい。もちろん私にはできないので、このようなことができる専門家がいればの話である。赤銅などの色金は、光らしても、意外に数年で色が戻るものである。

 

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