西垣勘四郎初代「御紋図」縁頭

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はじめに

肥後の縁頭も、多くの人に、その美しさを知られていないという意味でマイナー肥後の一つであろうか。
刀装具の趣味をはじめた頃(今から40年近く前)から肥後の縁頭は価格が高かった。刀剣柴田の青山氏も「肥後の縁頭は昔から高いんだ」と言って、それが当たり前と言う感じで述べていた。

地味なものだが、当時は、「肥後拵の人気が高い」→「肥後拵を作るためには肥後の縁頭が必要不可欠」→「だから高い」という構図かなと思っていた。

関心がなかったせいか、その後、私の前には肥後の縁頭で欲しいと思うようなものや印象に残るものは、二王清貞の非常に出来の良い短刀の拵(網屋拵)におけるキノコの縁以外は現れなかった。

そんな折り、伊藤満氏が『西垣』『平田・志水』『林・神吉』の3部作を上梓された。
これら本にはそれぞれの作者の縁頭も掲載されている。その写真は、下に掲示したように、「頭を上から見た写真」、「頭を横から見た写真」、それから「縁の横から見た写真」が表裏の2枚、「縁の天井金のある面」の写真の5枚からなっている。
この5つの視点からの写真が、伊藤満氏の工夫であり、肥後の縁頭の美しさを伝える意味で効果的だと思う。(『肥後金工大鑑』にも肥後の縁頭が掲載されていて、それぞれの視点からの写真が掲載されているが、全ての縁頭に、このような5つの視点からの写真が掲載されているわけではない。)

これら3部作に掲載の縁頭も、当初は前述したように関心がなかったので読み飛ばしていたが、ある時『西垣』における縁頭の写真を観ている内に、頭(かしら)の写真による形(上から、及び横から)に魅入られるようになった。
そこで伊藤満氏に、一度、現物を見せていただきたいとお願いし、拝見し、そして譲ってもらったのがこれである。

『西垣』(伊藤満著)より

1.肥後の縁頭における「取り合わせ」

この縁頭は、縁と頭が、それぞれ西垣勘四郎の作であるが、「取り合わせ」である。今では本来の揃いの縁頭とは別のものは「離れ縁」と呼んで、経済的価値は劣る。目貫において片方しか無い目貫を「片目貫」というのと同様である。

肥後の縁頭には「取り合わせ」が多い。しかし肥後の縁頭は「取り合わせ」だからと言って、鑑賞価値が大きく劣るとは考えられていない(もちろん、価格は揃いものに比べて若干は安くなる)。

肥後拵においても縁頭は「取り合わせ」が普通で、有名な歌仙拵も頭は山金(本によっては四分一)の平山道彫り、縁は革着せ青漆塗りである。信長拵も頭は四分一の波毛彫りに山道の深彫り、縁は樋腰小豆革包みである。肥後拵と並んで評価が高い天正拵も、頭は角、縁は地味なものが多く、これも「取り合わせ」と言えるものである。

「取り合わせ」は縁頭に限らず、目貫、小柄、笄においても同様である。細川三斎が信長拵を作成する時に、小柄の配合に思案して千利休に問い、銀の無地丸張のものにした逸話はよく知られている。
肥後拵、肥後金具は細川三斎の影響で茶道の影響が強いと言われているが、上述した千利休との逸話もあるように、この通りだと思う。

茶道においては、亭主が客をもてなす時に、掛け軸から水指、お茶碗、お茶、お花、お菓子と、季節や客にあわせて、道具を選びお手前をすることが普通である。すなわち、茶道では御道具の「取り合わせ」が基本なのである。そこに亭主の力量(審美眼も含めた)があらわれる。まさに、このようにもてなされるから一期一会となるわけである。そして茶会記なども生まれる。
一作のティーセットが美しく、それでおもてなしをするというのはヨーロッパ、中国、茶道とは無縁な日本での考え方である。

拵でも同じである。同じ作者の一作拵(例えば荒木東明の粟穂の一作拵)では、美的センスはその作者に委ねることになる。拵を指す本人の美的センスや教養が現れず、面白くないのだ。もっとも私ごときが取り合わせるより、楽寿一作拵の方が良いが、考え方は「茶道における取り合わせ」と同じだと思う。
私程度では、同じ作者ではなくても、図柄を秋草で統一しようとかの考えも浮かぶが、それまた当たり前過ぎて、安直で面白くないと思う人が肥後藩には多かったのではなかろうか。

この縁頭は、取り合わせであるが、図柄を細川家の御紋で統一している。ある面で安直な取り合わせであるが、三所物に紋金具の揃いものが多いことでもわかるように、御紋ゆえに、このように取り合わせたものであろう。

2.肥後の頭(かしら)の造形美

この頭(かしら)の形は肥後では丸形と呼ぶ。高さがもう少し高いのを深丸形と呼ぶ。また頭の縦の長さが、もう少し長く、幅が細く、高さが低いのを棗(なつめ)形と呼ぶ。いずれも味のあるものである。私が譲ってもらったものより、いい形のものが伊藤満氏の肥後3部作には掲載されているから参考にして欲しい。(頭の形については、この他にも、猫背形、袴腰形、鼻繰形、行合浪形、結袋形、眠鶴形などがあり、それぞれにいいモノは良い)

『西垣』より。拡大している

私は、この頭の楕円の相を観ていると、自然で、優しく、暖かみを感じる。一方で隙の無さも感じるが、厳しさは感じさせない。あるいは無駄を削いでいって作った造形の緊張感なのかもしれない。これが勘四郎の個性なのかとも感じる。いずれにしても、なかなかの境地だと感心する。
(なお、勘四郎の個性について伊藤満氏は「李朝の焼き物のような暖かみ、安らぎ、おおらかさ、歪んだところ、そして一つ一つ表情が違うところ」などとの共通性を指摘されていて「自由・即興的・おおらか・ラフ・ゆったり・自然・あたたかみ」などと表現されている。また笹野大行氏はあたたかみ、ゆとりがあり、情の人というか悠々と月や花に遊ぶ高士の風格があるとか、風雅であると述べられている
。私も「所蔵品の鑑賞」における西垣勘四郎「海鼠透かし」鐔において、優しさ、暖かみ、色気を感じることを記している。)

他国の金工の縁頭においても、頭は同じく楕円で美しいではないかと言う人もいるかも知れないが、違うのだ。その楕円は、算術的に作った楕円形の台なのだ。そこに高彫り、あるいは片切彫りを施すための土台なのだ。

勘四郎の頭(かしら)は、頭の形そのものが彫刻のような立体的な造形、目貫みたいなものである。上から見た時の形も、横から見た時の形も、私は好きだが、どうして彫り上げるのだろうか。このような木型を作っておいて、それに金属板をかぶせ、曲げたり、叩いたりして形作るのだろうか。

この頭は、頭の形を整えた後に、九曜紋を彫るために後ろから叩きだしている跡も裏で確認できる。

そして、叩き出して、彫り上げた九曜紋を、伊藤満氏の解説によると、手ズレの味を出すために、なるめて彫り口を柔らかくしているようだ。「わび」「さび」の「さび」は「時間が経過しても、古びたものに情緒や美を感じる思想。古いものの内側からにじみ出てくるような、外装などに関係しない美しさ」とのことだが、これを狙っているのかと思う。

なお、この頭で使用している地鉄は、肥後独特の黒四分一という金属と教わった。黒四分一は『西垣』における「用語・人名解説」によると「砒素を加えた黒味銅3に対して銀1を合わせた金属。色揚げすると、濃いグレー、あるいは緑色がかったグレーの発色をする」とある。
赤銅がカラスの濡れ羽色で改まった黒ならば、黒四分一は、濃いチャコールグレーが輝いているような色合いで、少しくだけている。

3.縁の形と象嵌

この縁の形は太鼓形と呼ぶようだ。鐔の方に向かって、わずかに末広がりになっている。(以降の写真は現物より拡大している)


西垣勘四郎は、縁の高さが低く、奈良利寿や横谷宗aと同じような高さであり、時代を反映しているのかなとも思う。時代が上がる平田彦三の縁はもう少し高いものもある。また後代になれば縁は高くなる。

材質は鉄だが、ご覧いただいてわかるように、鍛えの良い柔らかい感じの地鉄を使用しており、艶もある。微妙な肉置きの変化が勘四郎らしいやわらかさを出している。そして、そこに真鍮象嵌で表に桐紋、桜紋、裏に二引き両紋を施している。

この桐紋、わずかに崩した形にして、丁寧に彫り上げている。

勘四郎の透かし鐔にもこのような崩した桐紋と引き両を組み合わせたものがあるが、この縁における桐の崩しはわずかで、品の良いものである。紋のように堅苦しいものだが、柔らかみのある写実で暖かみを感じ、安らぐものである。これ以上崩すと御紋という改まったものでなくなる。きわどいところを狙っていると感じる。

桜も同様に、花弁の大きさをわずかに変えたりして変化を付けている。

具体的に変化を述べると、左下の花弁がやや大きい。また右斜め上の花弁は花弁自体がわずかに下がっている。桜のような対称形のものは、変化が目立ち過ぎると見られないものになるが、この微妙な崩し具合、見事なセンスだと思う。

裏の引き両の線は一切崩していない。

妥協の無い線だが、そこにおいても、この斜めの線の角度と細い引き両と太い引き両の太さの違いが変化である。それで柔らかみを出している。巧みではないか。

縁の天井金には、左右に窪みがついているが、これは後に縁をわずかに広げた時に、天井金のがたつきがないように調整したものと教わった。

4.行書の勘四郎

書道に楷書、行書、草書があるが「真・行・草」は日本文化に広く浸透している考え方である。茶道にもこの考え方はあるし、我々が普段行うお辞儀にも真・行・草があり、自然と使い分けている。

この縁頭における御紋の姿を解説している内に、勘四郎は行書ではないかと感じるようになった。林又七は間違いなく楷書で真である。
勘四郎の芸術を、こうとらえて勘四郎の作品を見直すと、だいたい行書の範疇に入るのではなかろうか。
伊藤満氏の評する「自由・即興的・おおらか・ラフ・ゆったり・自然・あたたかみ」などは行書・草書の特徴ではなかろうか。

では甚五は「草」か?と問われるかもしれない。確かに「草」的なところはあるが、そこまで単純に言い切れないところもあり、今後の宿題としておきたい。
ともかく勘四郎は行書との印象が強い。『西垣』を再観しても草書と称するほどの作品はみない。あなたはどう思われるか?


5.勘四郎と鉄地に真鍮象眼

鉄地に真鍮象眼と言うと志水甚五を思い出す。私は『西垣』を読んだ時、甚五に見える鉄地に真鍮象眼をしている鐔を勘四郎と極めて掲載しているのに驚いた。いくつかあるが、国立博物館の蔵品にもあるが「猛禽捕猿」図鐔(真鍮象眼の鷹が素銅象嵌の猿の首根っこを掴んでいる鐔)を初代勘四郎に極めているのに驚いたことがある。

言われてみれば甚五の鷹とは雰囲気が違うが、このような極めを伊藤満氏が出来るのも、勘四郎の縁頭において、鉄地に真鍮象眼のものを観て、その印象を把握されていたからと思う。こんなことまで、この縁頭を観ている内に気がついた。



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