古甲冑師の透かし鐔である。花は何の花なのだろうか。桜ではない。
(注)唐花は、架空の花で、大陸から伝来した花模様として奈良時代から使われ、下右図のように家紋にもなっています。この鐔は花弁の先が尖っていることと、花心の形が違うところもあるのですが、架空の花なれば、このくらいの差は許容範囲かと考えています。(12.7.4追記)
1.入手の経緯
ある日、刀剣柴田に出向くと、青山氏が「ちょうど良かった。面白いものがあ
る」と2階に連れて行ってくれた。「この中では、これがいいけど、何でまたこれが一番高いの?」
「へ、へ、へ、なかなかの眼筋で。いいでしょ、それ」
「元の持ち主は、これよりも、これの方を高く評価していたみたい。」
「そっちは櫃穴はないし、大きいけど。桃山かもしれないね」
「これだけ並ぶと時代もわかる気がするでしょう?」
「安くならないの?」
「駄目、安くしない。別に伊藤さんに売らなくても欲しい人はいっぱいいるから。」
この後、一時的に刀剣柴田に何枚も甲冑師や刀匠が売りに出ることになり、この話をすると覚えている人も多い。「私も、その時の1枚を買いました」というコレクターにあったこともある。
私は、昔から、古甲冑師や古刀匠鐔にいれこんでいたわけではない。今でも、この手の鐔よりは肥後の方が好きである。
この鐔を見せると数寄者は「さすがに、良いものをお持ちで」と誉めてくれる。ただ、以上のような入手の経緯であり、誉められるほどのことはない。美術品は何でも比較である。比較すれば、「これと、こっちはどちらが上か」で比較上位を見極めることは難しくはない。
だから買ったし、買えたわけである。
鉄鐔は難しい。特に古甲冑師や、古刀匠は今出来のものも非常に多く、気をつけていただきたい。ご自分で尺度になる鐔を買い求められ、それと常に比較するようにして眼を進ませることが肝要である。櫃穴の開いていない古甲冑師や古刀匠が、あんなに多く、あるわけがないと思う。(小柄櫃について下記参照)
某現代刀匠から「古刀匠鐔とわからないようなものが出来たことがありますよ。悪用されると怖いから、もう作っていませんが」というお話を聞いたこともある。
青山氏は「古い鐔は、表は、この鐔のように比較的きれいだけど、裏は、やはりこの鐔のように、表より荒れているのが多い。」と述べていたが、切羽台の磨れ具合などに、不自然さがないことが大切である。新ものは、どうしても作為が出る。
もちろん鉄味(錆の具合)も大切であるが、比較したら簡単なことだが、文では説明しにくい。
2.この古甲冑師鐔の時代
この鐔は真円ではなく、上を少しつぶしたような感じで、下も真下ではなく、右下に円がいくような感じである。笹野大行氏の『透鐔 武士道の美』や『透鐔』にも同じような造形のものが掲載されている。
ただ、大きさは縦8.4ミリ、横8.3ミリと、むしろ縦の方が若干長い。厚さは地が2ミリ、耳が3ミリである。
笹野大行氏の『透鐔』が古刀匠や古甲冑師の時代区分・変遷に詳しいが、感じで判断すると、室町の応仁から、遡る応永頃までの間に位置すると思われるが、よくわからない。
笹野氏は古刀匠の説明で「時代の上がる紋透は、おおらかで、やわらかく、強い。時代の下がるに従って、小ぢんまりとし、硬くなり、弱いというよりも、もろい感じになる。しかし、みかたによるとあざやかである。」「
透かしが、この鐔のように右上にあるものは古いという説もあるが、笹野氏は『透鐔』において、透かしの位置についての時代区分は認めていない。一概には言えないというのが笹野氏の見解である。
もっとも、この笹野氏の透かし鐔の時代変遷については、具体的ではないので、批判もあるが、一つの仮説を提示されたことに敬意を払いたい。打刀拵が出現した時(絵巻物などを見ると平安時代から出現)から鐔は存在したわけであり、笹野氏の時代変遷について「古く見過ぎている」という批判は当たらないと思う。
3.この古甲冑師鐔の鑑賞
この花紋は何だろうか。本に掲載されている古甲冑師鐔の中から、同じ花紋の鐔を捜してみた。
『透し鐔』(小窪、益本、笹野、柴田共著137ページ。『鐔鑑賞事典』上巻83ページ、『刀装小道具講座』第1巻図版9ページ)にあった。これから花の名前を探っていこう。もちろんご存じの方がいれば教えていただきたい。ただ時代的には、私の鐔の方が古いのではなかろうか。
(注)花の名前については、上記の(注)にあるように唐花という架空の花と思う。架空の花であり、実在の花から探ってもたどりつかなかったのだ。(12.7.4追記)
『透し鐔』137ページ | 同部分拡大 |
古甲冑師鐔は透かしそのものには気をつかわないが、健康的でにぎやかな透かしというのが定評である。こういうことから詩情があると評価をする人もいる。
私の鐔の透かしはにぎやかではない。むしろ寂しい透かしだが、弱々しくはない。むしろ強さを感じるが、皆様はどうであろうか。
この花は、花びらが欠けているので、それほどは感じないが、全体のバランスから見ると大きな花である。「全きは欠けの始め」と嫌い、花びらをあらかじめ削ったのかもしれないが、おどおどはしていない。遠慮がちに透かしているわけではない。丁寧、細心ではないが、くっきりと明瞭に透かしている。詩情を感じさせるものでもない。むしろ手慣れたまじめさを感じる。
鉄味はいい。磨き地であり、拭き込まれて、いい艶が出ている。十分な鍛錬の成果であろう。
結論は荒くれ男の拳を十二分に護ってくれる鐔であるということだ。打ち返し耳は上手い。時代の古さによって耳が表は透かしの少し左上部、裏は中心穴よりわずかに左が欠損しているが、仕事そのものは堅実で上手い。そして厳しい雰囲気を持つ鐔である。
私は、これまで、この鐔に違和感を感じていた。それは古甲冑師に詩情を感じるとか、古雅を感じるとかいう世間の通説に惑わされていたためであった。今回、素直によく観てみた。詩情など感じなくて当然なのだ。立派な鐔職人の技に裏打ちされた、護拳の為にまじめに作った作品だったのである。
皆様もご自分の所有している作品を、もう一度、素直にご覧になってほしい。「○○はこういう作風だ」という先人の評価によって、かえって見えていなかったものが見えてくることがあるはずだ。
このように書いたら、古甲冑師鐔が生き生きとしてきた。そして、この鐔は私にこう言う。「おまえも、やっと少しは観えるようになったな。今まで誰の眼を気にしてたんだよ。買った時のことを思い出してみろよ。詩情で買ったのか?鉄味で買ったのだろう。」と。
4.耳の仕立ての上手さ
上記の文章においても、「打ち返し耳は上手い」と触れているが、何回も観ている内に、古甲冑師鐔においては、耳に言及しないといけないと感じるようになったので章を立てて記述する。
「刀和」の刀装具の鑑賞における「古甲冑師「花紋透かし」鐔(05年4号)」では「きりりとした耳の造り込みだ」と記している。また「薄い鉄板の強度を増すために耳を打ち返した」とも述べている。確かに実用から生まれた技術だと思うが、そこに職人の技を発揮して、美的センスを高めるのが日本人だ。
耳が、きりりとしているの表現も合っている。締まりも出ている。こう書くと固い感じなのだが、それが、何となく柔らかい感じもあるのだ。柔らかい中に、メリハリを利かせて、しまりがある。このような矛盾する要素を一体化できるから、見事なものなのである。
こう書いた後に、『透鐔 武士道の美』(笹野大行著)を読み返したら、笹野氏も古甲冑師の解説文において「甲冑師が骨を折った耳に対して、もう少し心をとめるべきではないかと思う」と記されている。この一文だけで具体的なことは書かれていないが、先人も同様に感じられていたのだ。
古甲冑師鐔の耳は、信家、金家、山吉兵などの鐔における耳にもつながっている。信家はもっと打ち返しが大胆であり、金家は変化が多いが、ともに耳を意識している鐔工である。耳に着目すると、これらの鐔工は古甲冑師の流れと考えた方がいいのかもしれない。もっとも、埋忠明寿、平田彦三も耳を大事にしており、耳の変化を求めたのが安土桃山時代なのかもしれない。(2012年7月4日追記)
5.小柄櫃について
日本刀剣保存協会東京支部の会報「東都たより」第4号に、飯山嘉昌氏の鑑賞研究会講義抄録「小柄について」が掲載されている。
この中で飯山氏は、古い時代の笄は比較的残されているが、それに比して生ぶの小柄は少ないから、小柄は例外的に作られたという説が一般的であるが、多数残されている室町期の鐔には、生ぶの小柄櫃を持つものが多く、すべて後開けというのは無謀ではないかと問題提起をされ、次のような仮説を提示されている。
笄は、指表になるので、豪華なものを作ったが、小柄は指裏になり、簡素なものでも差し支えないと考えられた。
笄より小柄の方が使用頻度が高く、装飾より実用性を考えた。(この論拠として古い時代のもので現存する拵における小柄の事例を多数提示されている)
傾聴に値する意見であり、古甲冑師鐔や、古刀匠鐔の櫃穴についても、再度考え直す必要もあると思う。(2003.2.16)
6.谷川徹三の古鐔愛玩
哲学者で文芸評論家の谷川徹三は、一時期、古刀匠や古甲冑師の鐔に熱中した時期があった。そのことは『透鐔 武士道の美』(笹野大行著、藤本四八写真)に「「透鐔」刊行によせて」(谷川徹三著)というしおりに掲載されている。
このオリジナルと思われる文章が『愛ある眼 父・谷川徹三が遺した美のかたち』(谷川徹三著 谷川俊太郎 詩・編)の中の「古美術十話」に掲載されている。「「透鐔」刊行によせて」と大同小異であるが、これらから谷川徹三が古甲冑師にひかれた点が記されている箇所を紹介したい。
「鐔が江戸時代の専門鐔工のこまかい細工にならない前のものには面白いものがある。甲冑師や刀匠が、甲冑をつくったり、刀を打ったりする片手間にこしらえたもので、よく鍛えた鉄に、丁字とかゼンマイとか大根とか鎌とか弓矢とか五輪とか、ありふれたものを単純素朴なすかしにした鐔で、中に抽象的幾何学的文様のものがある。陰文陽文ともにタガネで打ち抜いて文様をつくるので、線が強く、中にはヤスリ仕上げをしないで、打ち抜きっ放しのものもあり、そういうものはいっそう強い線をもっている。もともとよく鍛えた鉄であるから、地肌が美しく、それに全体の肉取りが微妙で、中心部が厚くて縁辺に向かうほど薄くなる場合も、縁辺が厚くて中心部が薄くなっている場合も、総体が同じ厚さの場合も、それぞれ美しい面をつくっている。」「古美術十話」より
「それは一言にして言えば面と線との作り成す形に対する感覚である。私が特に愛着した刀匠や甲冑師の鐔が、概して素朴で単純な、それだけにきびしい面と線との構成をもっているだけに、複雑な面構成や線構成ではわからぬ、基本的なものをそこに見出すことができたのである。」「「透鐔」刊行によせて」
すなわち谷川徹三は、面と線に魅力を感じている。
もっとも、「古美術十話」には、次のような古甲冑師、古刀匠の愛好家にはがっかりの文章が記されている。
「鐔などというものは、そういう甲冑師や刀匠の古作にしても、もともと大したものではない。古い仏像や絵画や陶磁などのように、底の深いものではない。だから私も2、3年で熱がさめてしまったのだが、一つは発見の喜びもあり、一つは自分で手入れする楽しみもあって、一時はおかしなくらい夢中になった。」「古美術十話」より
古甲冑師や、古刀匠だけでは、谷川徹三のコメントも否定できない面がある。他の信家、尾張などの鐔を所有していれば2、3年で熱が冷めることはないはずである。(2005.5.3)