古刀匠鐔二つ角透かし・斬撃痕」鐔

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これは古刀匠鐔と分類されている鐔である。古刀匠鐔の中ではやや厚い方で、耳の厚さは計る場所でも若干異なるが、3.8oある。切羽台の厚さは厳密に測れないが、4o程度である。そして大きさも比較的大きい方で、縦が97.6o、横は99.0oである。後ほど説明するが、裏の右側の一条の盛り上がった線(斬撃痕)に注目して欲しい。
裏 右側に縦一直線が斬撃痕

当初、透かしの紋様は、家紋の「重ね菱」かと考えていたが、菱形を重ねたものではなく、正方形を重ねたものなので調べていたら、『鐔集成』(中村鉄青 著)に同種の透かしがある鐔を「二つ角」としているのを見つけた。
私が調べた家紋関係の本には「二つ角」という名称がなく、似ているのは「縦違い角」である。
紋の呼び方は色々とあるとも聞いたので、中村鉄青氏は、それなりの根拠資料に基づいて採用されていると考え、「二つ角」透かしと訂正したい。
(2012.7.31追記)
重ね菱 縦違い角

古い時代(室町初期か、南北朝時代がありそうな感じ)のものであり、地も朽ちこみが目立つ。透かしは丁寧に透かしている。小柄櫃が開いているが、これはうぶの櫃孔だと思う。(うぶの櫃孔に関しては3章参考)

1.斬撃痕

私は、古刀匠鐔や、古甲冑師鐔のような鐔は、それほど好みではない。だから、所蔵の古甲冑師鐔だけで良いと思っていたが、購入したのは、鐔の裏にある斬撃痕に衝撃を受けたからである。

裏を見るとに一筋の盛り上がった線。「何だ?これは?」と思っていると、店主が「刀傷ですよ」と言う。刀傷ならば、凹んでいるのではないか、これは逆に盛り上がっていると思い、ルーペで見ると、盛り上がっているところの右側は、細い筋が凹んでいる。すなわち、盛り上がっているのは、刀を打ち込まれた時の衝撃で周囲の鉄が盛り上がっているのだ。刀の中心(なかご)の銘字においてタガネ枕が立っているのと同じことである。

私も長い間、鐔を見てきたが、刀傷のあるものははじめてだ。刀では刀傷として、棟や鎬に三角形の食い込み傷がついているものを見る。刀傷は名誉の傷として欠点とはされないし、傷自体も研ぎが入るので、盛り上がった箇所は平らにして、斬撃痕は目立たなくなっている。鐔は研ぐわけにはいかないから、このような盛り上がった斬撃痕がそのまま残る。ただし名誉の傷であることには違いがない。

鐔の右面の全体で、斬り込んできた刀を受けた傷である。上部(刃部)の方が斬撃痕は少し深いのは、斬り込んできた刀を刀を少し立てて受けた為だが、鐔の面全体で刃を受ける結果になっている。相当な衝撃だったと思う。

実戦の場ではなく、この鐔を使って、刀の利鈍を試したものかとも考えた。真田藩で真雄の刀が試された荒試しである。しかし、試したものであれば、折れなかったわけであり、再度、再々度の切り込み傷があるはずである。
また試しに使ったのであれば、もう少しセンターを狙うと思う。
以上の理由から、実戦の場での斬込み傷だと確信している。(2012.7.31追記)

この斬り込み傷を見ていると、この鐔の持ち主は無事だったのであろうか?とか、戦い終わって護拳の役割を果たしてくれた鐔に感謝したことだろうとか、感傷にふけってしまった。

最近は、鐔で刀を受けた傷がある鐔をほとんど見ないことから、鐔は護拳の役割もさることながら、刀を振る時のバランス(調子)を整える役割とか、刀を抜く時に鯉口を切りやすくする役割なども言われているが、この鐔を拝見していると、鐔の副次的効用はともかくとして、持ち主の拳を守る役割が第一義と思う。

2.この鐔と同じ工房の古刀匠鐔

古刀匠鐔は製作された期間も長いから、いくつかの工房があったと考えられる。この鐔の感じと似ている古刀匠鐔として、各書から探すと次のようなものがある。
『透し鐔』小窪、笹野、益本、柴田共著
厚さは耳3ミリ、切羽台3ミリ、大きさは写真が
実寸と考えると縦104ミリ、横106.5ミリ
『鐔・刀装具100選』飯田、蛭田共著、
厚さは3.8ミリ、縦101ミリ、横100ミリ

特色は次の通り。

  1. 横に文様が透かされている。
  2. 左の鐔は八曜紋であり、重ね菱紋と同様に、紋所であるから少し固い感じである。
  3. 右の鐔は大きくて厚手である。
  4. ともに小柄櫃孔が開けられている。(これについては次章参照)


3.うぶの櫃孔

古刀匠鐔、古甲冑師鐔では、櫃穴がないのを”うぶ”として尊ぶきらいがある。古刀匠鐔、古甲冑師鐔では、透かし紋様が単純で、素朴で、しかも透かしの数が少ないので、櫃穴があることで櫃穴が目立ち、その素朴さを損なうと感じるのかもしれない。
そして櫃穴がある場合、全て後から開けたと解説しているのがあるが、私は購入したものと上記で掲げた2枚も含めて、これら小柄櫃は”うぶ”だと思っている。

古い時代の拵、特に打刀拵は、当時のあまり身分の高くない者が所持していたために、残っているものは少ないので、検証されにくかったが、法隆寺西円堂に奉納されて現存している室町時代の打刀などを考察して、『日本の美術 No332日本刀の拵』(小笠原信夫著)では次のように記している。室町時代と言えども無櫃は少ないのだ。

  1. 鎌倉時代の腰刀(短刀が中心)の完存作例を知らない。絵巻や曽我五郎の赤木柄刀では小柄、笄はついていたと思われる。
  2. 法隆寺の西円堂に、室町時代に奉納されたものが破損状態が甚だしいが、多く残っている。打刀では両櫃鞘のものは切鐺となり、丸尻のものは小柄だけの片櫃が原則で、意外と無櫃のものが少ないようだ。(鐔が付くものだけでなく、鐔のない合口拵もあるが、上記の傾向にある。
  3. 桃山時代は上級武士の服装が狩衣から小袖に変化し打刀が主となる。武将まで打刀を差すことで、鞘塗、柄鮫、金具などが技巧を凝らして高級化していった。そして桃山時代の拵には江戸時代と違って自由さがある。

あまり、無櫃の古刀匠鐔、古甲冑師鐔にこだわると、新物をつかまされたり、高い価格で買わされる。古刀匠鐔、古甲冑師鐔などはそんなに高い価格で買うものではないと私は考える。

古刀匠鐔、古甲冑師鐔を見ると、中心穴の上下に責金を入れているものがほとんどないことに気がつく。
これは、何度も、鐔が使われて、その時々の刀に合わせて調整されたことがないことを示していると思う。このような鐔が付く打刀は、身分の高くない雑兵が持ったことで、大事にされなかったのだと思う。また刀装のファッションとして、江戸時代では時代遅れになったことなどによると思う。だから中心孔に責金までして調整して使いまわすことがなかったことを意味していると思う。

だから今に残る古刀匠鐔、古甲冑師鐔は神社、寺、あるいは旧家で当初からの刀が入ったまま、顧みられなかったものが多いのだと思う。このことを反映して、次のような状態のものが多い。

  1. 全般に朽ち込みが多いが、切羽台のところは錆が深くなり、切羽台の形に、表裏とも朽ち込みが見られる。
  2. 表面の地の朽ち込みは、表より裏の方がひどい。
  3. 時々、透かしの一部が朽ち込んで、欠損して、わけのわからない形の透かしになっていることもある。(これは欠点である。意味のわからない透かしと言われ、当初からこのような透かしであると言われることがあるが、こういう事情であることが多い)

先日、ある刀屋さんで、江戸期のこの手の鐔を「刀匠鐔」「甲冑師鐔」と呼び、桃山、室町以前のものには「古」を付けて「古刀匠鐔」「古甲冑師鐔」と区別していると聞いた。

この欄で「肥後拵「御家拵」写し」で、拵について記したが、その中で、拵は江戸期になると外出着を飾る道具となっていった状況を説明した。鞘は塗りの剥げが無いように補修し、柄巻きは汚れが目立つようになれば巻き替えていたのである。そして江戸土産の一つとして、赤坂鐔を購入するなどして、それなりにお洒落をしていたのが江戸期の武士である。

このような場面において、古刀匠鐔、古甲冑師鐔を付けている姿は想像しにくい。まして、わざわざ古い時代の古刀匠鐔、古甲冑師鐔の写しの注文があるだろうか。

江戸期の、この手の「刀匠鐔」、「甲冑師鐔」など、ありえないと考えた方が良いのではなかろうか。(江戸期、特に新々刀期の刀匠が、信家写しなどを製作した刀匠鐔はある)

では何かとなると、新物(あらもの)ではないかと疑う必要があると思う。(もちろん例外があり、古いものだが、保存が非常に良いものや、江戸期にわざわざ作らせたものがあることも否定はしない)(2012.7.31追記)

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