今回(第18回)の特別重要刀剣に指定された「額銘の延寿国村」に関して、ある識者からご指摘をいただいた。
この刀は、以前は切断された「国村」在銘の茎尻がついていたものを、額銘に改竄したものだという内容である。
改竄というと、不当に改めるという意味が強いので、私は改造という言葉を使いたい。
以前の茎尻が切断の国村
(第22回重要刀剣図譜より) |
現在の額銘の国村
(刀剣美術550号より) |
確認すると、次のような変遷を経て、改造されている。
<切断された在銘の茎尻が付属の「国村」>長さ74.9p、反り2.1p、元幅2.7p、先幅1.6p、茎長17.8p
昭和49年(1974年)の第22回重要刀剣に「無銘 国村(附)在銘茎尻」で指定されている。
2000年6月号『銀座情報』に販売品として580万円で掲載される。
<額銘の「国村」>長さ74.8p、反り2.2p
『刀剣美術』第550号(2002年11月号)に、「十月本部定例鑑賞会」の鑑定刀1号として出品されての講評が掲載されている。
2004年6月に第18回特別重要刀剣に指定される。
すなわち、2000年6月から2002年10月までの間に、額銘に直されていることになる。
なお、この「国村」は本間薫山著『日本古刀史』(昭和33年発行)には茎尻が切断される前の状態(国構えの上部も識別できる)で掲載されているのと同じようだ。識者に尋ねると、昔の鑑定家が「銘が悪い」と言った為に、銘のある茎尻を切断したという事情があったと聞いた。これも悲劇である。
『日本古刀史』106ページ |
皆様は、額銘への改造をどうお考えになるだろうか。私は以下の3点の理由から危険な改造だと考える。
切断されたままの状況の方が、国村の生ぶの姿がわかる。
現時点で、一振りの同じ「国村」に対して、銘の標本が3つあることになる。後世に銘の研究をする人が同じ銘振の押形が3振りあるから「国村」の代表的な銘はこれだと決めつけたらどうなるであろうか。
このような改造が許されるならば、しっかりした銘が残っているが、刀身は減って、大きく価値を損耗させている刀の銘を切り取り、それらしく見える無銘の茎に額銘として嵌めることで、しかるべき鑑定を得られる可能性を提示していることである。
「特別重要刀剣に指定してもらう為に改造した」とは思いたくない。「額銘にした方が切断片をなくさずに済むし、収まりがいい」という程度の動機で改造したのだと思いたいが、もし相談された人がいたのならば見識を持ってもらいたかった。もっとも特別重要刀剣の審査の場で、このような議論があったのだと思うが、そのあたりのことについては部外者であり、私にはわからない。
今後発行される「第18回特別重要刀剣図譜」に、「この国村は、元は切断された茎尻に銘が残っていたものであるが、それを額銘にしたものである」というような注書きが入ると信じているが、一筆したためておきたい。