林五代又平「茗荷蕨手透かし」鐔

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「目の眼」(平成23年2月号)における伊藤満氏との対談において、編集部の「肥後鐔に興味を持ったとして、手軽に買うことはできますか」との問いに応じて、私が「よいものがまだあって、安く買える」ようなことを述べている。

この対談記事を紹介した際に、私の真意は、後代でも肥後の良いものがあり、それは安く買えると言う意味だと注釈した。基本的には良いものは高く、数は少ないのである。
では、「おまえが言ったような、後代でも良いものは?」という問いに対して答えるために、この鐔を紹介したい。

林五代の又平の鐔である。

1.はじめて観た時の印象

この鐔のことは、私のブログで2009年5月15日に記したから、その内容を紹介したい。第一印象で良かったものは良いのだと最近思うようになっている。

 「刀屋さんで、いい鐔を見せられる。一見して、すぐに肥後の名鐔とわかるもの。「楽寿ですか」と、楽寿の隠しタガネのことを忘れて聞くと、「どうも肥後の林派五代又平のようですよ」と。
最近、伊藤満氏が『林・神吉』という肥後鐔研究シリーズの書を著し、その中で、これまでは三代藤八とか、二代重光などとされていたものの中から、五代又平の作品を新たに定義し直した。その見所は、切羽台における中心穴にあるタガネが上に3つ、下に5つということだ。その例として、この本にもいくつかの鐔を掲載されている。確かに、今回拝見した鐔にも、その隠しタガネがある。『林・神吉』の紹介(私のブログでの紹介)

図柄は「茗荷蕨手透かし」で、六枚の花弁に見立てた模様を透かし、その中に蕨手を組み合わせた透かしを入れ、櫃穴は茗荷を向きあわせたような形で作っている鐔で、『林・神吉』にも又七(38図)、重光(80図)にそれぞれ掲載されている図である。『肥後金工大鑑』にも重光在銘(115図)のが掲載されている。
透かしの図柄もいいし、地鉄も肥後の林派特有の真っ黒に艶がでる錆びで見事である。きちんと作りながら華やかさがあり、林派(春日派)らしいものだ。
伊藤満氏の本にも五代又平は「三代藤八に近い謹直な作風で名工」とか「この刻印が打たれたものを総合すると相当な力量の持ち主」と書いてあるが、このような林の代下がりの名工をきちんと定義した伊藤氏の著作『林・神吉』は意義のある出版だったと敬意を表したい。同時に確かに五代又平にも名品があると賛同したい。(もちろん、私程度でも、時代を上げずに楽寿?と言ったくらいだから、古くは見えないが)
刀屋さんも「林派の鐔とか言っているのは多いけど、本筋の林は後代と言えども無いですよ」と述べられていた。
そうなのだ、”尾張”、”金山”ではなく、”尾張手”、”金山手”の鐔と同様に、ちまたに多いのは”林手”のものだ。
もっとも愛好家は、代が上がるのを好むから、五代にされるよりも、従来のまま、二代、三代で通したいのかもしれないが。」

2.林五代又平とは

『林・神吉』によると、五代又平は重之、重春、重房と銘を切っているとのことで、活躍時期は文化年間である。
作風は、三代籐八(伊藤満氏の本における藤八は竹冠の「籐」であり、以降は籐八、あるいは重光を使う)に近い謹直な作風の名工で、上に3つ下に5つの鏨で識別される。籐八より毛彫りが深く、抑揚はなく堅い。また少し強い感じとある。
四代平蔵が三代籐八が死去する7年前に亡くなったので、藩の命令で林家は神吉家に技術を伝授。五代又平は親の四代が亡くなった時は7歳で、祖父の三代が亡くなった時が14歳となる。
だから又平は、神吉初代の正忠と同時代となる。

同書で、伊藤満氏は「主流が神吉に移ってしまったことを憂い、発奮して己を磨き、次元の高い作品を多く残している。又平は、長屋重名翁が「肥後金工録」に記しているような「四代以下は取らず」というような軽いものではなく、もっと高い評価が与えられるべき存在である。」と再評価を提案している。

3.林初二代と又平の同図による比較

五代又平と林又七、林重光の同図を比較したい。(なお、在銘の林重光は『肥後金工大鑑』からでなく『透し鐔』(小窪健一、笹野大行、益本千一郎、柴田光男共著)から写真を借用している。解説は、それぞれの掲載書籍におけるコメントである)

五代(70.0(78.5、79.0)×75.8×5.7)
初代又七(無銘)
77.9×81.2×5.3(5.0)
二代重光(無銘)
77.7×75.4×4.3(4.6)
二代重光(在銘)厚さは5㎜ 
肥後金工大鑑には80×81×5.5
『林・神吉』伊藤満著38図 『林・神吉』伊藤満著80図 『透し鐔』小窪、笹野、益本、柴田著
表面が錆びて荒れている。謹直でゆ
ったりした造り込み。余韻の残る透か
し、蕨手の形がすべてそろってみえ
る。丸耳に粒状鉄骨、焼き手をかけて
いる。
蕨手が不揃いで即興性がある。
やや小ぶりであるが、大らかで明る
い印象。鉄色も黒く輝きがある。
几帳面につくってある。2代重光の性
格が表れているような鐔。鉄色もよく、
透かしもうまい
である。(『肥後金工大
鑑』では「繊細な彫り」とコメント)


初二代の鐔は、実際に拝見しておらず、写真だけであるが、伊藤満氏が二代の個性とされる「おおらかな感じ」は右の在銘の鐔で顕著に感じられる。また、こうして同図を比較すると、二代は「優しい」感じもする。
この4枚を比較すると、やはり初代は品格が高いと素直に感じられる。興味深いものである。

では、又平と、これら初二代の同図との違いを、あくまでも私の印象であるが、次のとおりである(鉄味などは現物を拝見しないと比較できないから造形中心の違いである)。

  1. 手元において、又平だけを観ている時も「強さ」があって、しっかりした鐔という印象があったが、こうして写真を並べてみると改めて「強さ」「しっかり」は他の3枚より感じる。耳の幅が厚いことから、その強さが生じているのかもしれない。

  2. 耳側の6つの花弁状の環において、真横の環を長くして、鐔全体を縦長にしている。二代は全体が同じような長さで、結果として丸味が強いが、五代は初代(やや縦長)の方を意識している。

  3. 初二代は、写真だけでわからない面もあるが、又平の櫃孔の茗荷を観ると、「茗荷」で櫃孔を囲むと意識していない。ハナからこのような形の櫃孔ということで写している感じで「写し物」の特色が顕著である。一方、又七と重光は「茗荷」を組み合わせて櫃孔を構成しているようにみえる(特に下右の在銘重光でわかりやすい)。

  4. もう一つ、切羽台の形が、時代を受けて武張っていない感じである。全体は「強さ」「しっかり」でも切羽台はそうではない。時代は文化文政の頃であり、江戸で化成文化が花開いた時代である。美術の分野では浮世絵がいよいよ盛んにになってくる。この後の新々刀隆盛の時代(天保頃)は、深信の作品でもわかるが、大きくなる。

  5. なお、切羽台全体の形は、ここにおける同図では比較できていないが三代の小判型に似ている。切羽台に比較して中心穴が大きいから、切羽台が頼りなく感じる面もある。

私が感じる「強さ」も、伊藤満氏が「主流が神吉に移ってしまったことを憂い、発奮して己を磨き」から生まれた又平の精神の発露によるものなのだろうか。

同時に、三代重光が逝去した時に14歳であれば、三代の弟子が当然、五代を助けたと思われる。伝統工芸の世界は、皆、そのようなものである。三代と同等の作品が生まれるのは当然なのである。ある権威の方からお話を伺った時に、上記のようなお話を現代に伝統を伝える陶芸家の言葉として紹介されて、無銘ものを「初代だ」、「二代だ」と言い張る姿勢を苦笑されていたのを思い出す。確かに、いいものはいいわけであり、代別の問題は次の話なのかもしれない(金銭的価値につながるから大事にする)。
(上記の同図に林三代籐八の作品が存在していて、比較ができればいいのだが、三代は小振りのものも多いが、耳などが太くてしっかりしたものがあり、似ているのではないかと想像する)

4.林家後代と神吉正忠に関する残された課題

林五代は、伊藤満氏の『林・神吉』で在銘品を考証して「上に3つ、下に5つの隠し鏨(タガネ)」のモノであると極められ、それら鐔の作柄から再評価されたわけであるが、刀装具の世界で定説になっているわけではない。

ある刀屋さんで、同書に五代又平として掲載されている象嵌のある良い鐔(伊藤満氏が隠し鏨とするものがある)が、日本美術刀剣保存協会の審査で、重要刀装具として無銘神吉正忠と極められているという話を聞いた。

また、知人が中心穴にこのような鏨がある紋透かし鐔の良いものを所蔵されている。所蔵者は三代と確信しておられるし、私も拝見した時に、素直に三代の上作と観た。

伊藤満氏は『林・神吉』において、幻であった神吉初代正忠の作品も比定している。私は現物を拝見していないのでコメントはできないが、正忠についても五代又平と同様に、伊藤満氏なりに見解を述べて定義されている。
日本美術刀剣保存協会が異論があれば、同様に実証的に反論すべきと思う。

なお、私は林五代又平が、諱として「重之」、「重春」、「重房」を名乗っているというところに引っかかりを感じている。幼名は変わるが、諱は主君から一字を拝領とかのケース以外は変えないのではないかとも思っている。(ただし林家は、又七についても重治、重吉、三代籐八も重吉、房吉、重方(一書に重房)の諱が伝わっている)
伊藤満氏は「重」の字の書体の共通性などから判断されているようだが、銘字は意識して変えれば別だが、似ていることが多い(「康継」などは名そのものが同じだから字体における点やハネを意識して変えているが、「重之」「重春」「重房」は諱そのものが違うから「重」の字は敢えて変えていない可能性もある)

上記のような課題はあるが、伊藤満氏が『林・神吉』で、氏なりの定義をされたから、このような議論ができるわけであり、私は高く評価している。

芸術は独創、個性の発露。これを成し遂げた芸術家が残るわけであるが、研究も鑑賞も独創が大事である。なぞっていても仕方がない。だからと言って、独善的に恣意的に極めるのは勘弁して欲しいが。

(注)ある刀屋さんに行ったら、無銘の肥後物を、協会は「西垣」と付けたり「勘四郎」にしたり、そこに「伝」の字を付けたり、「神吉」「後代肥後」だったりで、訳が分からないと怒っておられた。怒る方も悪い。怒りの対象となったものは、私が拝見しても「昔は坪井もの」と言ったものでしょうと審査員に同情してしまう。高い審査料を払うほどのものではない。審査なんぞに出さなければいいのだ。審査の方も、上記のように付けるならば「西垣」と「勘四郎」の違いとか、そこに「伝」を付けた時の違い、はたまた「後代肥後」「神吉」の違いを明確にすべきである。明確なのかもしれないが。)

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