●三原物

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先日、三原物の重要を二振拝見した。いずれも重要刀剣であるが、一振は無銘古三原(本阿弥光忠折り紙付き)、もう一振は正家在銘です。

私がお目にかかるような古刀は、概して無銘の方が在銘よりも出来が良い。(在銘で出来が良いものは国宝、重文に指定されていて、私が手を取って拝見できないものになっている)
この無銘の三原物は良い刀でした。地沸が一面について銀梨地のようで、刃紋は匂い出来の中直刃調に小乱れで、刃中に細かい働きがあり、帽子は綺麗な大丸帽子でした。

これを機会に三原物を本で調べると次のような記述が見つかりました。大和伝系ではあるが相州行光、但馬法城寺、因州景長、国分寺助国、備前雲次、中青江、二王、来、手掻に紛れるような記述が各書に書かれていました。

『刀工辞典』(藤代義雄、松雄著)
正家の解説に「刃紋直逆足入る」
正広の解説に「板目肌に少しからんで直小乱足入り砂流し交じり、備前雲次、因州景長にある」

『日本刀の掟と特徴』(本阿彌光遜著)
「大和伝の作風を十分具備している」、「正家、正広などには名品も多く」、「焼き幅狭く、中直刃多く、刃縁は締まって沸え小乱れがまじる。小杢肌に大肌が交じる。」

『日本古刀史』(本間順治著)
「国分寺助国と共通のものがある」、「鎬幅の廣いもの、鎬の高いもの」、「地肌がよくつまって地沸細かにつき、地がねが綺麗であるが、少しく白けがあるもの」、「板目やや肌立ち流れるもの」、「刃紋が直刃あるいは少しのたれるものがあって、小乱れ、小足いるものもあり」、「匂口柔らかく小沸つくもの」、「刃中働きなく沸ずくが、締まり、直刃であるもの」、「沸ややつよく刃中に砂流しかかるもの」

『鑑刀日々抄』(本間薫山著)
88ページの刀の解説に「手掻とも三原ともみられるが」

『鑑刀日々抄 続』(本間薫山著)
重美の正広の解説に「大和物に紛れるが、地の白けと丸い帽子に三原の見所があり」、「すみ肌から青江に紛れるが、鎬の高い造り込み、総じて白け、丸い帽子から三原と絞られるであろう」

『鑑刀日々抄 続3』(本間薫山著)
173ページの無銘の正家の解説に「重ね薄く庵棟、鎬幅がせまい。鍛え板目よくつみ、地景細かくよく入り、地沸細かにつく、刃紋は細直ぐ、匂いを深く敷いて小沸つぶらによくつき、ほつれ気味あり、多少小乱れごごろあり、こまかな金筋が掃き掛けごごろによくかかる。帽子大丸ごごろにおだやかにかえる」、「地刃の出来優れ、作風が一見行光をおもわせるが、大切先の姿と大丸帽子がそれと相違し、帽子に重点を置けば、三原の祖正家と鑑することも一理あろう。なおよく研究したい。」

(注)相州行光自体も相州伝ながら大和伝風から山城伝風まで持つ、ある面で鑑定家の避難港的な刀工である。
『日本刀大百科事典』(福永酔剣著)
三原物の解説には「鎬高く、鎬幅が廣い。古三原は沸え匂い廣くやきまぜて、板目の肌を上に現す。」このほか、次のような言葉を紹介されている。
「三原請け見」:但馬法城寺派の刀を見て、備後三原物と疑うこと。薙刀直しは三原物に多いからである。
「三原寄せ」:但馬法城寺物の薙刀直し。備後の三原物に似ているからである。
(注)なお但馬法城寺派については、『日本刀の掟と特徴』(本阿彌光遜著)に「地景入った大肌に茶花の乱れを焼く。その作柄から見て、何等貞宗に似た点もなく、(貞宗三哲は)頗る疑わしい」とあるように、一部識者の間では吉岡一文字の長刀直しも混じっているのではないかという説も有力である。

『日本刀伝習録』山岡重厚著
「無銘の刀の中には色々の刀があって鑑査の困難なるものである。」
大三原の解説として「地鉄杢目所々大肌交じり地沸強く地沸の映り豊富にて地鉄やや堅き感じのするものである。また刃紋は直刃仕立、刃沸多く元の方丁子足多く、刃中に入り、帽子沸付き返り強き方である。切先はまず詰まる方にて、備前の刀に似通うものは雲類に近似したもののように思われる。」
島津家より宮内庁に献上した正家2字銘の刀について、大三原に似ているとして「雲類でなければ来一派とも思われるものである」
「地鉄は杢目詰まりて地沸がつきて地沸映り多く、丁子風の映りとなり、強き地沸杢肌にからみて備前の刀よりも沸の強い地鉄に思われる。古き二王の清綱の地鉄をも連想せしむるものである。従って地映りは備前のごとく鮮明ではないのである。なお地鉄をよく鑑査すると備前のものより潤い少なく、杢目に大肌処々まじり時に渦巻き風の肌もみゆるのであって、やや堅き感じのする点がある。また白気風の映りがあるものが多いように思われる、時には中青江の末のものに似たものもある。」
「古三原の造り込みは鎬の高いものが多く鎬幅も広い方にて切っ先は詰まる方である、時に菖蒲造り等もあって吉野朝末及び応永頃には三原にはこの造り込みのものがよくあるようである。」

三原(古三原)と極められた刀には、名品があることは間違いがない。ただ在銘品が少ない為か、備後三原鍛冶の研究が進んでおらず、鑑定の幅が広すぎることは否めない。今後の研究に期待したい。

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