西垣初代勘四郎「海鼠透かし」 鐔

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『西垣』(伊藤満著)より

肥後によくある海鼠透かしである。見事な鉄色である。この図と鉄味から肥後の名鐔であることはすぐに理解できる。

鉄味はやや赤みを感じ、そのせいで柔らかみを感じるが、地の仕上げが平滑なために強く輝いて見事である。耳に鉄骨もみられる。存在感のある鐔である。だから購入したのだが、何度も、何度も、何度も、近くから観たり、遠くから見たり、手に持って触りまくったりしてきたが、「優しい感じ」「暖かみのある感じ」という印象を持つ。
また当初の第一印象は、この鐔に色気を感じたことということも記しておきたい。

この”優しさ”と”暖かみ”は何から生まれるのか?
少し赤みを帯びた鉄という点もあると思うが、肉置きが、柔らかい感じなのだ。具体的に説明すると、耳の外側の方を若干なだらかにして、海鼠透かし側の方をわずかに急勾配にしている。そして、その調子で全体にむら無く仕上げられている。そして、上下の切羽台につながっているところはほんのわずかに平になって、スムーズに切羽台の平面につながっている。この平滑感が実に柔らかく、暖かみを生んでいる。また円相と耳のなだらかな曲線が優しさの源泉かとも感じる。

『西垣』(伊藤満著)に、初代西垣勘四郎として所載されている鐔である。著者は、この鐔を「まったく技巧を凝らさず、自然でおおらかである。肉置きや透かしも自然で丸みがあり、暖かみがある」とコメントしている。観る人が見れば等しく暖かみを感じるのだ。

この鐔は、この見事な肉置きだけを見せて勝負しているのだ。作者の「これで十分でしょう」という声も感じる。この平滑でかつ柔らかみのある肉置きの造形を伊藤満氏は「まったく技巧を凝らさず、自然でおおらか」と表現している。
”技巧を凝らさず”に見せることも大変な技術ということが理解できる。ムラなく、この微妙な肉置きを造れるということが名工の証なのだ。

私が、第一印象で感じた「色気」も、この柔らかく、微妙な肉置きを、鐔一面に施して、輝いていることから生まれてくるのだ。

なお、伊藤満氏は初代西垣勘四郎の作風として「ラフで、即興的に仕事をしている」と書いているが、この鐔においては、センター(中心線)が少しずれているような感じに、それは見られる。

この手の図柄は海鼠透かしと言われている。肥後拵の本歌の一つの「信長拵」にかかっている鐔が、古正阿弥の海鼠透かしに銀の雷紋繋ぎ鐔である(歌仙拵は正阿弥の影蝶透かし鐔)。また武蔵拵も武蔵自作の銅の海鼠透かし鐔である。だから、海鼠透かしは、肥後金工に多い。この中で、勘四郎初代は衒(てら)いなく自分の存在感を示している。さすがである。

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