伊藤三平
1.彦三の小田原覆輪とは
平田彦三の主として色金鐔に、赤銅あるいは真鍮などの少し幅広の覆輪がかかっている。外側に大きな粒状突起、内側に小さな粒状突起があるものが多く、味のあるものである。これを小田原覆輪と呼んでいる。
『肥後色金鐔』(園平治著) より。有名な鐔で各書に 掲載されている。 |
彦三の小田原覆輪という呼称は明治期に刊行された『肥後金工録』でも使用している。
名称の由来については『刀装小道具講座7諸国編(下)』の平田彦三の項に「小田原覆輪は彦三の創始であろう。全く他に類を見ないものである。ただ、この種の覆輪を始めから小田原覆輪と称したか否かについては大きな疑問があり、おそらく明治以降の呼び名であろうと想像される。それは、元来彦三の覆輪は、下の鐔地を傷つけないために、僅か一ヶ所で、カスメたものであろう。当時はそれで動かなかったであろうが、永い年月の間にややグラグラと動くようになったことは致し方ない。その動く現状を見て、小田原提灯から連想したものと言われている。また一説には、覆輪のデコボコの様が、小田原提灯の蛇腹に似ているからであるともいう。」と解説している。
2.南蛮覆輪(南蛮風覆輪)の名称変更案
私は、これは以下のような南蛮鐔に見られる耳の形から、「南蛮覆輪」、あるいは「南蛮風覆輪」と称するのが良いのではなかろうかと考えている。
『鐔鑑賞事典(上)』より | 『刀装小道具講座1鐔工編』より | 『刀装小道具講座1鐔工編』より |
南蛮鐔については『刀装小道具講座1鐔工編』に南蛮鐔ははじめ中国人によって制作されたが、後には長崎などに来住した異国人によって、我が国で造られたと推測していることが記されている。
現存する南蛮鐔には本当に南蛮人が佩用していた剣の鐔を、中心穴を改良したもの(上図左)から、江戸初期から後期にわたるものまで存在している。在銘品は少ないが「張可法」などの銘があるものもある。後に平戸国重は南蛮風の鐔で一家をなしている。
すなわち刀装具で言う南蛮の範疇には中国風も含まれていることになる。
この提案を『平田・志水』を著した伊藤満氏にしたところ、氏は「自分も由来について文献を捜したがわからず、肥後金工録にも使用しているところから小田原覆輪の名称を踏襲している。このような覆輪のある鐔については古正阿弥と見える鐔で見たことがある」とのことであった。
伊藤氏が見たことがあるという覆輪の付いた古正阿弥鐔も、南蛮人は天文時代(1540年代)から来日しているわけであり、影響を受けていた可能性もある。
平田彦三が活躍した時代は、桃山時代である。海外との渡航も朱印船貿易で合法の時代である(寛永10年(1633)に第一次鎖国令、寛永16年(1639)第三次鎖国令で寛永18年(1641)に平戸のオランダ商館を長崎出島に移して鎖国の完成)。影響を受けてもまったく不思議ではない。
古人の彦三の評に「西洋(南蛮文化)の影響を感じる」と言うことも、この覆輪が南蛮の影響を受けたものと捉えると素直に頭に入ってくる。
3.形状から「星打ち出し覆輪」案は?
鐔の耳には形状から「土手耳」、「打ち返し耳」などの言葉もある。このように形状から「星打ち出し覆輪」というのも考えられる。
前掲した彦三は外側に大きな粒状突起(星)、内側に小さな粒状突起(星)の覆輪であるが、中には一重の粒状突起(星)のものもある。これを「大小二重星打ち出し覆輪」とかで区別しても良いと思う。
4.鏡師鐔との類似性から「古鏡風星覆輪」案は?
刀装具の識者の一人I氏から、『鏡師鐔』(笹野大行著)に掲載されている8図が、平田彦三の鐔に良く似ていると教えていただいた。
『鏡師鐔』(笹野大行著)より |
もちろん、この耳はかぶせたものではなく、全体が一体となって鋳造されたものだが一重の星を鋳出している。
加えて同心円(ロクロ紋)も、彦三にあるデザインに似ており、興味深いものである。ちなみに、笹野氏は、この鏡師鐔は南北朝期のものと考えられている。
鏡師鐔の耳は、全てこのようなものではなく、丸い土手耳風もある。だから他の耳の形と識別するためには「古鏡風星覆輪」とでもなろうか。
5.海鼠(なまこ)覆輪
刀剣・刀装具の第一人者の先生に尋ねると、「小田原覆輪は最近の言葉でしょうね。昔は海鼠(なまこ)覆輪という呼び名もあったと聞いている」ということを伺った。
肥後鐔には海鼠透かしが多い。加えて星を細かく打ち出した様子を海鼠の体表に擬すことも可能である。
なお「なまこ壁」は壁に平瓦を貼り、間を菱形に漆喰でつないで竹矢来のようにしたものを言う。
終わりに
「4.鏡師鐔との類似性から「古鏡風星覆輪」案は?」と「5.海鼠覆輪」の章は、ここで問題提起をした後に識者から教えてもらった内容である。
このような形で問題提起したことが深まると良いと思う。
いずれにしても、彦三自身が「私の覆輪をそう名付けたか」と納得できるものが望ましいのではなかろうか。
中には少しグラグラと動くところがよく、それを表現するには小田原提灯の揺れるさまをもイメージできる小田原覆輪がという人もいるかもしれないが、武用のものであり、製作当時に動いていたと私には思えない。(ある識者の方は、「当時は漆を塗って動きを抑えていたのではないか」と述べておられる)
古くから伝わった言葉は大事にしたいが、「小田原覆輪」に違和感を持つ。
現代の刀装具愛好家の間で、名称の見直しをお願いできないものであろうか。(もちろん上記案より良い名称があればそれでいいのですが)