「勝軍草透かし鐔」の新たな解釈

ー怯むな、突撃だー

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この手の京透かし鐔には、「八つ橋図」とか「武蔵鐙図」とか、『伊勢物語』に準拠した画題がある。この鐔の画題も、そういうものの一つかもしれないが、教養が足りずに探しあぐねている。
最近は、この図柄はこういうことではないかとの思いが湧き上がっている。

「左上方から、切羽台をはさんで右下に貫く鍬(くわ)は、鋭鋒するどい敵の突進を示している。

これに対して勝軍草(沢瀉、面高、勝ち草、将軍草)の一枚ごとが一人の指揮官に率いられた一つの軍勢なのだ。

そして下方の勝軍草の根の部分(芋の部分)は本営だ。ここから新手(あらて)の軍勢を繰り出すのだ。

雁が一羽、切羽台の右上で勝軍草をつないでいるが、雁は本営から前線の部隊への伝令だ。

敵の一撃を受けたが、怯むことなく、軍勢(勝軍草)は皆、上方に向かっている。上方に我々の戦うべき敵がいる。先鋒は2枚の勝軍草だ。
それを支える右上の軍勢は少し体制を崩しているが、伝令(雁)の指示を受けて体制を立て直し、また前(上方)に向かう。

左側の軍勢(勝軍草)も右上方に回り込みながらも上方に向かわんとする。本営から新手として出された軍勢(勝軍草)も、敵の突進を左に避けながらも迂回しながら左に向かい、この後、左上、そして右上方に進む。

結果として、突進してきた勇敢な敵も左右から包み込まれることになる。勝利は明白なのだ。怯(ひる)むな、突撃だ。」


これまで、このホームページ上では図柄の説明と、鑑賞に関しては以下のように記してきた。

「この沢瀉(面高とも書く)、実に生き生きとしている。生命力に溢れている。1日経つと、葉がぐーんと伸びる雑草のような生命力が表現できている。沢瀉(おもだか)の葉は左へ、上へ、右上へと思う存分に伸びていく。
そこに、鍬(くわ)だと思うが、左上から下へ突き抜けるように配置して図柄全体を締めている。名作だと思う。

なお沢瀉は、葉が人の顔のように見えて、しかも葉の葉脈が高く隆起していることから面高とも書かれている。一説に茎が高くなり、偉そうに見えるところから面高となったとも言われている。また葉が武具の鏃(矢じり)のように見え(英語名もアローヘッドと呼ぶらしい)、その繁茂する力も強いことから勝ち草、勝軍草とも呼ばれ、転じて将軍草とも書かれることがある。また面高の文字が面目が立つとも解釈されて、武家に好まれ、日本十大家紋の一つにもなっている。
別名に「花慈茹(はなぐわい)」、「慈茹(くわい)」とも呼ばれているとインターネットでは出ている。また葉と長い葉柄が、農具の「鍬(くわ)」に似ていて、 「芋(いも)」のように根が食べられることから「くわいも」と呼ばれ、それが「くわい」になったとも書かれている。
この鐔に鍬と沢瀉の根が描かれているのは、このためなのであろう。」

上記の解説も、「出来が良い」とかの一言で解説されてきた先生方の評よりは丁寧だと思うが、観たままの評であり、底が浅い。ただ何でも第一印象は的確なもので、「実に生き生きとしている。生命力に溢れている」との評は今でも変わらない。

従来の評を観たままであり、底が浅いと書いたが、今度のような画題の解釈が別に深い鑑賞だとも思わない。自分では囚われないシンプルな見方になってきたのかなとも思う。世間では京透かしは雅(みやび)、優美、洗練した図柄と言われている。私の解釈に戸惑うかもしれないが、何度もご覧いただきたい。伊藤の妄想だと、呆れられるかもしれないが、こういう風な鑑賞も楽しいでしょう。自分のものを愛玩しているのだから。
ともかく生き生きした躍動感のある勝軍草だ。これは鉄色が美しいことにもよると思う。

鐔の作者ー私が京透かしの名人Aと名付けたがーも、こんなことを考えながら構図を決めたのかもしれない。そして丁寧にカーブを付けながら、美しい線を彫り上げていったのかもしれない。

往時に、この鐔を差料に掛けた武士も、この元気な勝軍草に勇気づけられたと思う。”怯むな、進め、突撃だ”。「舞い降りる太刀の下こそ地獄なれ たんだ踏み込め あとは極楽」。



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