林又七ー透かし鐔の王者

所蔵品の鑑賞のページ

入手して約一年、机の横に置き、布団の中に持ち込んで、何度も何度も観ているが、やっと鑑賞記を書く気になってきた。

『透し鐔』(小窪健一、笹野大行、
益本千一郎、柴田光男著)

1.透かし鐔の王者

  つくづく思う、「透かし鐔の王者の一枚だ」と。
印象は、ふくよか、豊穣、威風堂々だ。強さと同時に気品もあり、圧倒的な存在感がある。

若い時に『透し鐔』(小窪健一、笹野大行、益本千一郎、柴田光男著)の本を購入して、本がボロボロ
になるまで観てきたが、これはと思うものは、尾張の花弁透かし、四方蕨手透かしに、この鐔(ここに
は「首つなぎ透し」とある)の3枚だった。尾張は流派の極めだが、これは林又七という個人銘の極め。

同時代の刀に寛文新刀があるが、刀で例えれば、その最上作虎徹の中の一級品という位置づけだ。

2.抜群の鉄色−羊羹色が澄んでいる(清澄、晴朗、気品)−

  鉄鐔に関しては、私自身これまでも水準の高いものを集めてきたと自負しているが、 同じ肥後鐔で同タ
イプの鉄色の又七(クルス透かし)、重光(三つ浦透かし)、遠山(素文)も照り輝く羊羹色の素晴らしいも
のだが、この鐔の鉄錆色には加えて清澄感と表現したくなる透明感があって、凌駕している。

同じ赤銅でも、後藤本家の赤銅の色はカラスの濡れ羽色と称されて、確かに違うが、同様に光が違う。

これは鍛えた鉄の密度がより密なのだ。晴朗とでも言うべき輝く黒で、作者の精神の高さが出ている。

3.名人の遊び−余裕、自信−

  又七は鉄炮鍛冶の出だから仕事は精密である。 切羽台の形状、小柄櫃孔、笄櫃孔の形も整って美しい
八木瓜の形、内側の円弧もキチンとしていて又七らしい。だけど、キチンとしていても堅くはない。大らか
な印象
である。

初見の折に、この鐔の円弧にある玉の中に、切り立て部分が斜めになっているのが下部左にあるのを発見
した。この遊びを観た時に、急にこの鐔が欲しくなったのは何故だろうか。

余裕というか、作者の自信を感じている。

4.観て感じるこのデザイン(1)−調和−

  中華料理を食べる時に円卓が用意される。円卓での会話が弾み、料理が美味しくなるのは8人用だ。
6人までなら3:3で向き合って座れば良い。10人となると円卓でも距離が出る。
この鐔を観ていると、8人が和やかに、かつ礼儀正しく食事をし、しかも実り多い会話を円卓で行っている
ような気がしてくる。

南総里見八犬伝には「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の玉がある。数は8である。8人が力を合わせて成し
遂げる。

調和というか安定感は王者に不可欠だが、こういうところでも感じる。

5.形状−堂々さと豊穣感−

  大きさも大きめ(木瓜の頂点を結んで縦80.3ミリ、横80.0ミリ))、厚さも厚め(耳6.2ミリ)であるが、
頃合いに感じる。この造形が堂々とした印象を与える。このような形態的な大きさもあるが、ともかく
ケールの大きさ
を感じさせる鐔だ。

外側の八木瓜を形どる線の幅(耳の幅5ミリ弱)は太めでしっかりだ。円弧の線の幅(耳の幅1.6ミリ)は
細い。そこに附けた玉の大きさは約7ミリ。外枠の太さが魅力的だが、他の線との調和もいい。計算ずく
ではなく、自然に出来てしまうのが又七なのだ。名人にはかなわない。

いつもの又七は地がフラットな感じを与えるが、これは微かな肉置きがある為か、豊穣感が出る。

6.観て感じるこのデザイン(2)−荘厳−

  この鉄色の為なのか、堂々とした造形の為なのか、荘厳な感じもする鐔である。その為に、こんな幻想も
浮かんでくる。
お堂の闇の中に安置されている仏像が内側の円弧にある玉で比喩されている。八大菩薩、八大竜王の
言葉もある。 光輝く鐔を観ていると、お堂の中に鎮座する仏様からの後光が差しているような感じもする。
あるいは円弧がお数珠の紐、八つの玉は数珠玉でも良い。信じて、頼りたくなる感を抱くと言うべきか、守
っていただいているという感であろうか。

主家の細川家家紋は九曜である。切羽台を中心円と観れば、九曜紋と見えて畏れ多い。

7.世評

私の独善的な感想を読んでも参考にならないと思う方に、この鐔が掲載されている資料から先人の評を紹介する。
『肥後金工大鑑』  首繋の表現が当たっているか否かは問題であるが同風の透が柳生鐔にも見られる。神吉鐔絵本には、
唐太鼓とある。 
 『透かし鐔』(小窪、益本、
笹野、柴田 著)
 深みのある紫鐔と、わずかに中高に仕上げた平肉の働き、又七の風格を充分表した一枚である。図柄
は古来首つなぎといわれている。
 『これからの鐔収集』
(小窪健一 著)
なんの衒いもなく淡々と作られている。平地は槌目を残して仕上げてある。平肉の微妙なつけかたと精
良な地鉄は、肥後で又七の右に出るものはない。
 重要刀装具の証書 又七の作風は、羊羹色にたとえられる如く、鍛えのよい艶のある鉄地が見どころである。本作は同作中
では端的な意匠であるがその透かしの均衡が絶妙であり、加えて地鉄はまさに前述の羊羹色で、ねっと
りと艶のある又七独特の様相を湛えている。頑健ながらもゆったりとした豊かさを感じさせる鐔であり、
又七の風格をも存分にあらわしている。

8.図の変化

購入して、自宅に持ち帰り、妻に見せる。たまたまリビングに又七の「クルス透かし」を飾っていたせいか、妻はすぐに「あれと同じじゃない」と言う。「鋭いね。その通り同じ作者のものよ。どっちがいい?」、「こっちの方がいいけど、何百万もするとは思えないわ」との評だ。

同種の図柄についてコメントしていきたい。

図の変遷は左から下図のように変化したと思うが、左から2番目の鐔は、又七の「クルス透かし」より古いかはわからない。同時代かもしれない。
         
 玉簾、根抜鐔  玉簾  クルス透かし(又七)  唐太鼓、首繋ぎ(又七)  唐太鼓「神吉鐔絵本」

一番左の鐔は古書に根抜鐔とあるが、「根抜」(ねぬけ)とは、茶道の用語の一つである。「陶磁器で、同系統の窯中の最古製。茶器では瀬戸窯中の最古のもの、また建武から文明年間に製した古唐津の最も古い碗を指した呼び名。ねぬき。」(『広辞苑』)と説明されているように古いもの称である。江戸時代には根抜鐔という分類用語があったのである。切羽台も細長く、櫃孔は細長く、室町末期から桃山初期の京透かし鐔、あるいは古正阿弥鐔のように見える。

「玉簾(すだれ)」の名称はよくわからないが、思い浮かぶのは「南京玉すだれ」である。南京玉すだれは「さては、南京玉すだれ……」との口上とともに、色々な形状に変化させて客を楽しませる芸だが、丸くすると、この鐔の円弧のような形が出来るのだろうか。いずれにしても、この名称は後の時代の名称だと思う。

又七の「クルス透かし」は、伊藤満氏が『林・神吉』の中で、八木瓜を仕切っているところに十字架があり、円弧上の星形はイエズス会の紋章にある光(神の御霊とも解説しているものもある)を象徴していると解説している。この鐔には円弧の星形に金布目象嵌が施された痕が残っており、確かに光(神の御霊)と考えても良いと思う。

肥後細川藩は、ガラシャ夫人が厚くキリスト教を信仰していたが、幕府のキリスト教禁教令は当然に遵守している。幕府は慶長18年(1613)9月以来、何度も基督教禁教令を出している。元和8年(1622)には「元和の大殉教」として長崎でキリシタン55人が処刑されている。そして島原の乱が終息したのが寛永15年(1638)である。

又七の生年は2説があり、島原の乱終了時がA説だと30歳、B説だと25歳となる。又七が活躍する時期は禁教令が出ている時期であり、キリスト教の図とわかっての製作は考えにくいが、島原の乱前までは又七に注文したキリシタン武士が肥後藩にいた可能性もある。

あるいは又七は古作のデザインを応用していることも多くあり、上掲した根抜鐔を単に写しただけとも考えられる。

いずれにしてもキリシタン禁制の時代には、図の名称は変えなくては存在もできない(信家にロザリオを透かし、十字架を毛彫りした鐔が尾張藩重臣の石河家に伝わっていたが、もちろん図柄の名称は「木の葉透かし」とか「桜花透かし」「鍵透かし」「中結び祇園守透かし」と伝わっている)。

そして、『神吉鐔絵本』が作られた時代には「唐太鼓」で同種のデザインが描かれる。ただし『神吉鐔絵本』では、八木瓜の区切り部に鼓のような四角形がついている。

唐太鼓がどんなものかわからないが、俵屋宗達の有名は風神雷神図で雷神の周りに同様な太鼓が描かれている。そしてこの絵の太鼓は首つなぎのように太鼓の真ん中に円弧が貫いている。

 
 俵屋宗達「風神雷神図
屏風より雷神。(『日本の
美術 江戸絵画T』より)

9.風神雷神の留守模様

以上のように書いて気が付いた。このデザインは「風神雷神の留守模様でもいいのかな」と。
  内側が雷神の太鼓であることは述べた。そして八木瓜形で、それぞれに膨らんだところが風神の持っている風の袋の表現なのだ。ただ風神が大風を起こし、雷神が雷を落としまくるような暴れるような感じはしない。王者の風格がある鐔で、むしろおだやかな感じだから、風神雷神が出動する前で、道具の準備完了という感じだ。あるいは風神雷神が大暴れした後のおだやかな趣だ。

俵屋宗達は生没年不詳だが、1570年代〜1630年代を生きた扇絵を中心とした絵画工房の主である。又七よりも少し前に活躍した人物である。

おわりに

伊藤が勝手に思い込んで書いたことを読んでいただき、感謝しています。伊藤の解釈などは参考にしなくてもいいのです。私は、自分の大事なお金をつぎ込んで購入した美術品だから、自分の眼で観て、自分の言葉で表現しなくては面白くないと思っているだけです。「出来が良い」などの批評は誰でもできる、つまらん言葉だ。

この鑑賞記で、又七のこの鐔の図柄について感じられることを書いてきたが、又七はこの時点で、具象から抽象に踏み出しているような気がする。あるいはデザイン化された図をさらにデザイン化したのかもしれない。いずれにしても日本の職人は凄いと思う。
又七は自分の感覚で、この抽象的な鐔を造った。だから私は、私の感覚で、この鐔を観る。作者の感覚と自分の感覚が共振すればいい訳だ。共振する人の数が多い抽象画が名作なのだ。あるいは共振する感覚要素が多いのが名作なのかもしれない。「唐太鼓」とか「首繋ぎ」などの言葉にとらわれると理解しにくいと思う。

この又七、『林・神吉』の著者伊藤満氏も林又七の晩年作として絶賛されている。もっと驚いたのは刀の畏友H氏も「自分が購入することを考えた」とメールされてきたことだ。相州伝の名作入手をひたすら考えておられるH氏のような方にも浮気心を生ぜしめた鐔である。

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