尾張透かし「桐・三蓋菱透かし」鐔

所蔵品の鑑賞のページ

所蔵品の鑑賞のページにおける金山透かし鐔「松皮菱」の鑑賞記においても書いたが、室町期の尾張透かしの良いものは非常に少ない。私も40年近く愛好家を続けているが、売物はほとんどない。もっとも通信販売の雑誌でも、刀屋さんに店頭でも「尾張」としている鐔は多いが、時々、桃山時代のものが出る程度で室町期まで上がるものはほとんど観ない。

だから室町期の良い品は、何らかの本で紹介されているものが多い。今回、ご紹介するものも、『透鐔』(笹野大行著)の181ページ、図版157として所載されている。
昔からの知人で、刀剣柴田の故青山氏などと一緒に楽しんでいた鐔友から、「刀屋さんの○○に笹野さんの新しい方の『透鐔』所載の尾張が売り物に出ている」との連絡を受けて出向く。私が好きな
円が組み合わさって外に広がるような感じを持つ尾張とも違うのだが、”見事な黒く艶のある鉄味、きちんとした透かし”に感じ入る。
「購入する方向で検討します」と刀屋さんを出たが、この時は手元にお金もなかったので、手持ちの小道具四点を持参し、下取り価格を決めてもらい、刀屋さんが売りやすいというもの2点と交換したものである。

だから売値よりも実質は更に高いものになっているが、名品はそのようなものだ。
(鐔友から、この鐔が熱田神宮で平成6年1月に開催された「大太刀と小道具」展で出品され、同展のカタログの図版番号41に写真が掲載され、68頁に次のような解説がある。「桐文三階菱透鐔(尾張) 室町時代〜桃山時代 縦7.8 横7.6 耳厚0.6 切羽台厚0.5 小肉丸耳 切羽台の左右を三階菱で残し、上下を桐で透かした対称的な図取りはいかにも尾張風である。尾張鐔は室町時代から江戸時代まで続き、その形状は厚手で大振りの丸形が多く、所々に露出した鉄骨は力感が溢れる」とある。ただ、この解説文は間違っている。法量の誤差はいいとして(下記に正確な法量は記す)、耳は角耳でわずかに小肉付くである。また鉄骨はわずかである。昔は本やカタログ、証書にある記述をそのまま信用していたが、刀における重要証書での板目肌なのに杢目肌だったり、何でも地沸付くと同様に、刀装具でも同様で、いい加減な調書が多い)(2011年11月3日追記)

『透鐔』(笹野大行著)より

1.見事な鉄味は地鉄から

第一印象というか、この鐔を観た人は誰でも感じるものだが、実に見事な真っ黒に艶の出ている地鉄である。尾張透かし鐔の特色として「刀装・刀装具初学教室16」(刀剣美術)に福士氏が「地金が無類によく、鍛錬も勝れ、紫錆と称する独特の鉄色で艶のあるのが特徴」と書かれているが、なるほど、このような鐔のことを言うのかと感じた次第である。

地は槌目地というより、磨地のように見える。ただ微妙に凹凸もあり、磨地に近い槌目地と言うべきなのかとも思う。刀剣もそうだが、刀装具でも作風の特色を表す言葉には人によって解釈の差もあり、迷うものである。

要は、肌理(きめ)の細かい地鉄が鍵なのかもしれない。『透鐔』で笹野大行氏は尾張の名品の地鉄を「精良な地鉄」と称している。「精良」は『広辞苑』には「すぐれてよいこと」とあるから、抽象的であるが、このような肌理(きめ)の細かい鉄地のことではなかろうか。
そして、このような地鉄を用いたからこそ、かくのごときねっとりした艶のある漆黒の鉄錆になるのではなかろうか。

肥後の名鐔の錆色も艶があって美しいものだが、それよりも黒く光っている。「尾張の紫錆」は古来有名だが、紫と言う色にこだわれば私の所蔵の金山透かし鐔「松皮菱透かし」の方が紫錆であるが、古来、数寄者が愛でてきた”尾張の紫錆”は、これを言うのであろうか。

2.品のある、しっかりした造形

模様が桐紋と、三蓋菱(さんがいびし)という紋であることも相俟(ま)って、きちんとした透かしである。きちんとまじめに彫るべきものは堂々と透かしており、何か襟を正させられるような、改まった感じがする鐔である。

桐紋もいい加減には彫っていない。形は正しく、整えて透かし、表面の毛彫りが残っている箇所を観ると、葉脈の線もきちんと入れている。

また三蓋菱紋は、力強く、堂々と透かしている。透かしの線の太さも正確にほぼ均一の太さで透かしている。三蓋菱紋を横向きに構成し、下段に当たる一番大きな菱に櫃孔を代用させている。そして、この大きな菱だけを、作者はデフォルメして、更に天地に大きく張り出している。これが力強い。そう、端正に透かし彫りしたが、ここだけを冒険して、力強さを出しているのだ。

正式の場、公(おおやけ)の場の佩刀に着用しても恥ずかしくない品があり、同時に武家としての力強さもある鐔だ。

この鐔は、この鑑賞記を読んでもらってもわかるように、私自身、当初はそれほど好きなものではなかったが、模様も紋をアレンジしたものでおもしろみは少ない。しかし、何度も観ていると、この高い格調をともなった品格には本当に頭が下がる。透かしは本当に丁寧である。そして造形に加えて漆黒に輝く黒錆び、下記に後藤本家のひときわ際立つ赤銅と共通する色のことを書いているが、本当に真っ黒で照り輝いている。これが格調を一段と高めている。(2011.11.3追記)


3.製作時代ー京透かしとの共通性−

この鐔は、『透鐔』(笹野大行著)に「時代 天文前後」と記されている。切羽台は上部が尖り気味であり、古い時代の特色とされている。この本は、全体にやや時代を上げすぎているように感じるが、室町時代後半のものであることは間違いがないと思う。拙蔵の京透かし「勝軍草透かし」の切羽台の形と共通するところがある。

この鐔で興味深い点は、中心穴の上下の責金の材料に素銅ではなく山金と思われるものを使用している点である。この鐔は以前に購入した金山鐔とは違い、手入れの必要がまったくないので、責金も光らしてはいないので、材質を断定はできないが山金だと思う。作成当時のものであり、これも時代を物語っていると感じる。

同じような時代の京透かし「勝軍草透かし」も改めて観ると、同じような「ねっとりして肌理の細かい地鉄」であり、時代の地鉄なのかなとも感じる。京透かしは、透かしの線が細く、地鉄の良さがわかる箇所の面積が狭いから、あまり地鉄のことは言われないが、いいものはやはり地鉄がいい。それも「ねっとりして、肌理(きめ)の細かい地鉄」である。ただし、この尾張との違いは黒錆の色と艶である。

この尾張の艶やかな黒錆は、後藤祐乗が造ったという赤銅=銅と金を混ぜて造った合金の漆黒な艶と共通するところも感じるから不思議である。時代の嗜好であろうか。

4.『透鐔』の解説

形は丸形、耳は小肉のついた角耳、鉄骨は観られないが、意識して観ればごく僅かに粒状鉄骨こころを感じる箇所がある程度である。大きさは縦77.8_、横76.1_である。
図柄は五三の桐紋を上下、三蓋菱紋を左右に透かし、尾張の特色である左右対称、上下対称の図である。

耳の厚さと切羽台の厚さは、ほとんど変化がない(耳5.9_、切羽台5.8_)。

『透鐔』における笹野大行氏の解説は次の通りである。
上下に桐、左右に三蓋菱を透かしている。精良な地鉄造り込みも慎重入念の作である。耳に肉をつけ、丸耳に近く、おだやかであるが、骨格のしっかりした骨太い造形である。

アンダーラインは尾張透かし鐔全般の説明として笹野氏が以下に掲げている特色と共通した表現の箇所である。
典型的な尾張鐔であることが理解できよう。

「「尾張は耳に鉄骨が出て、角耳。耳から切羽台にかけて肉を落とし、切羽台の上下が張り気味。ととのった櫃孔。槌目仕立て。対称的なものを透かし、武張っている。」といわれてきた。
しかし鉄骨のでないもの、丸耳、平地の平らなもの、対称的でないものなど、この条件に合わない作品は多々ある。
そして武張ったという感覚を、無器用・無雑・稚拙などと理解して、傍系のもの、写物などを尾張として評価するむきもある。
尾張は紫錆の精良な地鉄のものが多く、手強く深みがある。平肉・耳に動きがあり。造り込みは慎重入念で、切羽台・櫃孔など、すべて堂々としている。
重厚・謹厳で、骨格がしっかりし、骨太く、論理的である。

5.尾張の真価

自分で購入して、何度も触り、何度も観て、感じていると、尾張透かし鐔の真価は、笹野氏が言うところの「精良な地鉄」、福士氏が書かれている「地金が無類によく、鍛錬も勝れ」なのだと改めて思う。私なりの言葉で説明すると、「ねっとりして、肌理(きめ)の細かい地鉄」である。これがあっての艶のある黒錆だ。

前述したように、同時代の京透かし鐔も「ねっとりして肌理の細かい地鉄」だが、このような漆黒で艶のある黒錆はない。だから、地鉄プラスアルファがあるのだと思うが、それが何かはわからない。古(いにしえ)の工人の独創なのだと思う。この独創があるから芸術なのだ。

また、私の金山鐔「松皮菱透かし」も、1年余の手入れで艶も出てきたが、このような「黒く艶のある」という感じではない。地鉄も「ねっとりした感じ」ではなく、少し粗い鉄の塊らしい感じである。金山の鉄骨に出る艶が、この尾張全体の艶のような気もする。(艶の程度だけで芸術上の価値が上下するものでないことは言うまでもない。これはお茶碗の名品を観れば理解できることである)

なお尾張鐔の地鉄の調子は、いつか紹介するが、肥後の又七に通ずるようなところは確かに感じる。そもそも尾張鐔という分類そのものが、この点と、元は鉄砲鍛冶という又七の父の出身地の尾張が結びついて出来たようであるが、これは稿を改めて検討したい。

そして透かしは文様が文字通り紋様であり、キチンと丁寧である。雑なところは感じないが、固いだけの感じではない。
尾張鐔の魅力があるものには、デザイン・造形で、円の中に納める一方に、どこかで、そこからはみ出るような強さを感じさせるところがある。この鐔では左右の三蓋菱の櫃孔に代用した大きな菱を、更に大きくしたところである。私が「所蔵品の鑑賞」の金山鐔「松皮菱」透かし鐔において、尾張の名品は「少し華やかな感じがして、図柄が外へ外へと働くような感じ」と書いたが、この鐔では、この大きな菱が、それを体現している。

外側の花弁は
円をはみ出す
四方の蕨手を
大きく

もっとも、この鐔は上記の2枚とは違って「華やかな感じ」はしない。改まった感じである。

やはり、このような感じも、自分で手に取って、何度も何度も観る中で感じるものである。

そして、これまで所蔵していた鉄鐔とも改めて比較することが出来、これまでの鉄鐔の良さも改めて認識できる。
このようなことが購入して良かったと感じる点である。
自分で買わないと眼が進まないというのも情けない感じはする、またお金もかかりいやになるが。

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