現存する両刃造り短刀の資料(49口)を集め、製作時期と製作数、製作時期と長さの関係を分析し、それを踏まえ、出現の背景を考察する。製作地は圧倒的に備前(8割程度)であり、伊勢、島田の東海道筋と美濃などに若干ある。
当初(文明・長享・延徳・明応頃)は5寸前後と短寸だったのが、永正頃→天正頃と末備前末期になるに連れて徐々に伸びていく傾向を確認する。
出現が少なくなった時期が赤松政則死去の頃であり、両刃造り短刀も含め、当時の備前刀革新における赤松政則の役割を推測する。
そして、当時の武将の肖像画などから、右手差しとして使われた両刃造り短刀の使用方法を明らかにしている。左手側に差したものを、そのまま右手側にグルッと回したような差し方である。すなわち、右手側において、柄頭が身体の後ろに向かい、鞘を身体の前に出すという差し方である。このように差すと普通の刃は上向き、両刃の棟側の刃は下向きとなる。
こうすることで、右手で柄を順手に握り、右腕を肘から後ろに引いて抜き、肘を戻す動作=刃を前に突き出す操作となって、素早く攻撃できる。敵の鎧の隙間に貫入させることを狙いとするから、反りは少ない方が良い。
鎧の隙間貫入の第一次攻撃が失敗しても、刃が両方に付いているから、普通の短刀の時の動作で、下に切り払うなどの次ぎの攻撃ができる。