江戸寛文新刀の嚆矢となる刀工和泉守兼重の出身地には定説がない。著者はこれまでの出身説を洗い直して近江、越前有縁との説の妥当性を検証している。
また江戸千手院派についても、和泉守盛国の「和泉守」が和泉守兼重と同じことであることに着目した分析などから、従来、寛永とされていた時代が寛文に引き下げた方が良いのではないかなどを示唆している。
また千手院盛国に甲斐国打ちがあることから、当時の甲斐郡内の領主秋元氏(虎徹と有縁)との関係などにも考察を広げている。
この論文が後に「刀鍛冶、鉄砲鍛冶、試刀家の辻村氏と和泉守兼重」「江戸千手院派の作刀時代と鍛冶系譜」の論文につながっていく。