1.私の手元に来た経緯
私は京都生まれである。2008年8月16日に大文字を家族と一緒に見に行った。この時、昼に従姉妹の家族と食事をした。そのおりに従姉妹から、祖母が嫁入りの時に持参した短刀を私が持ってくれとのことで、持ち帰った。
先年、出向いた時に、従姉妹夫婦が料理屋にこの短刀を持参し、その時に拝見していたものだ。写真のような立派な鍵付きの箱の中に、きれいな刀袋に入っていた。
この箱は次のように鍵がついている。鍵がついていても、箱ごと盗られれば仕方がないのだが、手の凝ったものである。
白鞘にはおそらく曾祖父の手によると思われるが、写真のように「折返銘 国光 五寸五分」と鞘書がある。
白鞘から抜くと、一面に茶色の錆びがでており、肌も刃紋もわからない状態であった。もちろん、目釘抜きも持参しておらず、中心も抜くことができない。刀身は比較的に健全であり、キレの良い彫物がある。刃も、地金も見えない状態であったが、姿、健全さから、一見して新々刀かなという感じ。上身が新々刀に見えて、銘が折り返し銘で「国光」では「おそらく偽物だと思う。偽物にしても、ともかく発見届けを警察に出さないと専門家にも観てもらうわけにもいかない」とアドバイスをした。
その後、京都府に従姉妹が発見届けを出しに行ったら、中心も錆びついていて、登録審査員が中心を抜くのにも、えらく苦労されたようだ。登録審査をした人のご意見も「江戸時代末期から明治」のものでしょうとのことであった。
今回、預かってきて、改めて錆びを見ると、茶色の錆びはベタベタしている。これは油錆と判断し、石鹸も使用して落とし、写真のところまでになり、刃紋は細直刃であることが判明した。ただ刃の沸・匂はよくわからない。また地鉄も皆目見当がつかない。
中心は本当に抜くのが大変だったが、ご覧のような折り返し銘で新藤五国光を似せた偽銘である。折り返しの部分に錆びが出て、浮いてしまい、鎺(はばき)が途中でひっかってしまい抜けない状況であった。中心の錆を何度か落としている内に何とか抜ける。
折り返し銘だから、刀身を下に逆さまにしている。 銘はダメだと思うが、「光」などは特徴を、それな りに写している。 |
拵も昔はあったようであるが、おそらく戦後のどさくさで道具屋が価値の少しでもある拵の方を持っていったのではなかろうか。
祖母が嫁入りしたのは明治33年と聞いている。曾祖父が可愛い娘の為に用意したのだと思う。女性が帯にたばさむと、普通の短刀の長さでは長すぎると言われている。5寸程度がちょうどである。
明治も半ばを過ぎて、零落していたと言え、家格から国光を用意したのかもしれない。この短刀が代々にあったのか、曾祖父が道具屋からだまされて用意したのかはわからない。
ただ、私としては祖母の嫁入り短刀であり、研ぎ直して、生かしていきたい。研師さんに持参したら、「時代が上がるものかもしれない。ともかく研いでみましょう」とのことで楽しみにしている。
研ぎ終わってからのことになるが、偽銘と思われる折り返し銘をどうするかも考えておく必要がある。切り落とし、これはこれで保存し、短刀は無銘にするのがいいのかなと考えている。鞘書は、何となく曾祖父の手のような気がしているから、これは残しておきたい。そして、この経緯を鞘に追記していくのが良いと考えている。
2.研ぎ上げ後の短刀(2014.4.30追記)
研師さんにお願いしたのはいいが、忘れていたが、娘が結婚することになった。結婚式の花嫁衣装における懐剣として、娘の守り刀の短刀は小振りで造ってもらっているのだが8寸以上ある。帯の間に懐剣として差すのは長すぎる。そこで、この短刀を思い出し、研師さんに急いで仕上げていただくようにお願いする。
娘は、式は洋装で、お色直しも洋装だったが、別途、和装で写真を撮る。写真撮影の時は、私は海外旅行中で一緒に行けないので、娘には刀袋の紐の結び方を教えておいた。着付けの人、写真館の人は驚いたようだが、この短刀を帯に差しての花嫁衣装の写真が出来ている。刀袋が、上記の写真のように時代色が付いていて、衣装全体の中で、短刀が浮いている面もあるが、これでいいのだ。
さて、研ぎ上がり後の短刀だが、折り返し銘の偽銘は、このままである。だから日本美術刀剣保存協会の審査に出しても、偽銘として戻ってくるだけだ。そこで、私なりに鑑定してみた。こういう時の為に、今まで刀の勉強をしてきたのだ。その素人鑑定の経緯を書いておきたい。
(イ)祖母の嫁入り短刀の調書
まず、この短刀の調書は次の通りである。
短刀の直刃というのは鑑定が難しいもので、しかも短刀でありながら磨上げている。地も健全かと思ったが、地鉄がきれいに詰んでいて、平肉が付いている為に健全に見えたと気が付いた。研ぎ上がってみるとそれなりに研ぎ減っている。それは彫の形の崩れ具合からわかる。また刃幅も狭くなっており、減っていることが理解される。
(ロ)姿、地鉄からの鑑定
私の手元にある
末関の兼国ほどに、映りの白色部分に濃淡がない映りだが、よく似た映りが出ている。これは研いだ結果であり、認識を新たにした。当初、研師さんが「時代が上がるかもしれない」とおっしゃっていた通りに、室町期の古刀だと思う。
短刀の元の姿は身幅の割りに寸が延びたような感じはする。身幅の研ぎ減りをどうみるかという点も考慮に入れないといけないが、何となく応永頃の姿かなとなる。
(ハ)彫物からの鑑定
私が、着目したのは特徴的な彫物である。この彫物は、手前褒めではあるが、なかなか上手な彫りである。研ぎ減っているが、鏨の起点、彫り下げるところ、逆に流すところ、止めの箇所などメリハリが利いていて、しかも流暢に彫られている。ためらいを感じず、柔らかみもあるし、強さもある。彫の深浅も、彫物の特徴を生かして自然である。
表:梵字(大日如来) に素剣(茎中に略三 鈷剣として続く) |
表:茎中の略三 鈷剣 |
裏:梵字(薬師如来) 素剣 |
そして、この短刀の彫の形状・特色を挙げ、それに関する鑑定上の掟を表にすると、次表のようになる。
(彫の特色) | (鑑定上の掟…『刀剣鑑定読本』永山光幹著、『刀剣に見られる梵字彫物の研究』伊藤満著などを参考) |
@彫が刀身の中央に寄る | 山城物、大和物に多い(『刀剣鑑定読本』) |
A彫が連れて重なる | 貞宗、京信国、延文兼光、末備前(『刀剣鑑定読本』) |
B略体だが三鈷柄付き剣 | 京信国にはこの上に梵字。剣の頭を深く彫る。末相州は剣の頭が角形になり、梵字を上に彫る。末備前は三鈷の彫りが整然として剣の頭は円味。末三原、末関にも多い。交わり物は剣が延びたり、剣の頭が大きく、つぶれて調和を欠くものが多い。(『刀剣鑑定読本』) |
C素剣の肩が張る | 貞宗、信国(『刀剣に見られる梵字彫物の研究』) |
D表の梵字は大日如来 | 差表に主尊と彫るのは相州系刀工。他の諸尊の種子(梵字)や倶利伽羅、三鈷剣、素剣と一緒に彫られていることが大半(具体的には、陸奥新藤五から始まり、正宗、綱広、隆広、京信国、長谷部国信、備中次直、備前忠光、冬広、村正など)(『刀剣に見られる梵字彫物の研究』) |
E裏の梵字は薬師如来 | 大原真守からあり、来国行、畠田守家、新藤五国広、相州貞宗、相州広光、応永信国。総体に資料は少なく応永信国以降の古刀には全く見られない。(『刀剣に見られる梵字彫物の研究』) |
以上の彫の特色からも理解できるように、京信国がすべてに該当することが判明する。薬師如来の梵字が「総体に資料は少なく応永信国以降の古刀には全く見られない」というのも重要な情報である。
梵字の彫そのものから似ている彫を探すと、それぞれの研ぎ減りの程度でわかりにくいところもあるが「金剛界大日如来」と「薬師如来」は次のように貞宗と、やはり信国が似ている。
金剛界大日如来の梵字の比較
祖母短刀 | 信国(『刀剣に見られ る梵字彫物の研究』 伊藤満著より) |
物吉貞宗(『刀剣に見られ る梵字彫物の研究』伊藤満 著より) |
薬師如来の梵字の比較
祖母短刀 | 信国(『刀剣に見られる梵字 彫物の研究』伊藤満著より) |
伏見貞宗(『刀剣に見られる梵字彫物の 研究』伊藤満著より) |
略三鈷剣の比較
この短刀では磨上げで、茎の中に隠れてしまっているが、表の素剣の元にある略三鈷剣の彫もあまり見ない彫である。この彫も次のように信国と貞宗で見られるものである。茎の中で折り返されているが、「現存の優品4」(刀剣柴田発行)とよく似ている。
祖母短刀 |
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無銘貞宗(重文) 『日本の美術no107 山城鍛冶』佐藤寒山編 |
以上から、彫物からは応永信国と極めるのが妥当と考えられる。「信国」の銘の「信」をつぶし、「国」を残して、下に「光」を彫り足して「国光」にした可能性も考えられる。
(ニ)応永信国の特色からの検証
以上から応永信国と鑑定したが、次に応永信国の特色を調べ、検証することにした。
(a)鑑定書より
『刀剣鑑定読本』(永山光幹著)の168頁の「信国派」の解説は次の通りである。なお南北朝時代から応永までの各時代を通しての解説である。
<地鉄>
細かく詰んで大肌交じり、地沸つき、地景が交じる。肌立って白気のあるものも見る。後代になるに従って、肌立ってやや弱く、地景も少なく、白気が強くなる傾向がある。
<刃文>…直刃の説明に限定
(前略)また中直刃に小乱れの交じるものもある。後代では沸が足りず(以下略)
★祖母の御守り刀は、「細かく詰んで」はいても大肌は混じっておらず、肌立ってもいないが、後代になるに従って「地景も少なく、白気が強くなる」とか「後代では沸が足りず」は、この通りである。特に「沸が足りず」というのは、この短刀の差裏に該当する。
(b)作刀実例より
具体的な作刀実例を手元の本で探すと、 直刃調の刃文と、地鉄に白け映りが立つのは、次のように『鑑刀日々抄』(本間薫山著)の中に所載されている。
★祖母の御守り刀は、柾気は交じっていないが、地沸が棟寄りにつくところは同様である。
おわりに
なお、上記の結論を自分なりに持って、研いでいただいた研師さんに「あの短刀は応永信国ではありませんか」と尋ねると、「そうだね、応永信国が一番ふさわしいだろうね」とのお返事をいただいたことを追記しておく。(錆身の時に、私や京都の登録審査員の方が新々刀ではないかと観たが、この時から 「時代が上がるものかもしれない」と観られていたことはさすがであると、改めて感服する)
畏友のH氏にも観ていただくと面白いと思ったが、これは次の機会としたい。
太い地景は識別できるが、細かい地景と、刃中の光が薄い金筋を、手入れで出せると良いのだが、いずれにしても時間がかかる。
この後は、「国光」と切られた「国」が、応永信国の誰かに該当して、その「信国」の「信」を削り、下に「光」を切り足したのかどうかの検証をしていきたいが、今の感じでは折返した後に「国」も新たに切ったような感じはしている。
娘が結婚する時、父はこんなことや、母の象牙の実印を娘の実印にすべく、彫り直させたりと、世間的には変わっていることにお金を使っているが、いいのではなかろうか。