日本刀の鑑賞・鑑定ノート

このページは伊藤が、日本刀について、刀剣会や、刀屋さんに出向いて見た品物などについて記しています。そんなに熱心に回っていませんから、狭い範囲での話です。


 

窪田清音の『撰刀記』から考えたこと(15年7月21日)

窪田清音は、源清麿のパトロンとして刀剣界では有名だが、兵学・武術の達人であり、兵学では山鹿流兵法、甲州流軍学、越後流軍学、長沼流軍学、能島流水軍を習得し、教授する。兵学門人は諸侯、旗本以下3000人余と伝わる。

武術では吉富流居合、田宮流剣術・居合、関口流柔術、宝蔵院流槍術、無辺夢極流槍術、小笠原流弓術、日置流弓術、大坪流上田派馬術、中島流砲術、井上外記流砲術を習得、皆伝である。剣術門人は600人余である。

兵法と武術のみならず、伊勢流武家故実、国学、和歌・書を学び、師範免許を得ている。

そして、兵書50部、剣法38部、水軍2部、砲書3部、雑書11部、武家故実類書13部など生涯で130部を著している。
その一冊『撰刀記』の内容が、『刀剣人物誌』(辻本直男著)における「窪田清音」の項で紹介されている。刀を選ぶ時の心得である。

  1. 地鉄とそして鍛えのよろしいこと。そのような刀には必ず潤いがある。刃紋が直刃、乱れ刃、地肌が板目か柾目かなどや、地景や金筋の有無など問題ない。
  2. 重ねが薄めで身幅が広く、そして切っ先が延びごころ。これは切れ味がいい。反りは適当にあること。長さは身に合うことが不可欠だが、一寸でも長い方が有利であり、それに慣れるようにすること、身幅は元先釣り合いのとれているのがよい。
  3. 疵のこと、刃ぎれ、しない、烏口などは最も悪く、ふくれ、刃がらみ、地あれ、埋め金などは場所と程度で許せるし、刃染みは大目にみてよい。
  4. 当今の刀の目利きといえば、その作人を当てることにあるようだが、それも難しいことだろうが、当てた所で何の益があるのだろうか。それは一種の遊びに過ぎない。本当の目利きとは実用にあうかどうかの点で作のよしあしを見極めることである。

1項の「潤い」は私の言葉で言うと強靱性だ。2項の「身に合う範囲で長い方が有利。長い刀を扱えるように修練が大事」と、4項の鑑定=当てっこゲームの弊害を記した所などはなるほどと思う。

現代は実用から離れているが、鑑定力の修練は、研師などでは刀の良さを引き出す為に必要であり、刀剣商にとっては真偽の判別に必要だ(協会の紙頼りでない刀屋を目指す)。愛刀家にとっては、欺されない為の真偽判定力も大事だが、鑑賞力の向上の為が一番ではなかろうか。特徴重視で観ている人が多いが、その刀の良さを観ることに留意すべきだ。

末備前の魅力ー与三左衛門尉祐定の乱暴力ー(15年1月9日)

通販雑誌の内容紹介を2015年からやめたら、日本刀柴田の「刀和−平成27年1月号」には駿河打ちの南紀重国の刀、刀剣柴田の「現存の優品79」には与三左衛門尉祐定、大永四年二月吉日紀の脇差、林又七の唐太鼓(首つなぎ)透かし鐔などの魅力的な作品が売りに出てきた。ここでは祐定について記しておきたい。

私は与三の名品を何振かを拝見しているが、この与三は実に面白い。地鉄は地景が密にからんで強靱な感じで素晴らしい。最近は老眼で近い所は観にくく、加えて刀剣柴田の店頭では鑑賞に限界があるが、自宅で楽しめばこれ以上の感を持つのではと心残りを抱きながら店を去った。

刃紋が面白い。表題に”乱暴力”と書いたが、この評は的確ではないと思うが、自分の国広の刃紋についても”(気宇の大きさを感じさせて、何とも言えない自然な感じ)適当に刃取りしたら出来てしまった感じ”と書いた男だ。口が悪いと言うか表現力が乏しいのだ。
具体的に書くと、刃紋の焼きが高く、鎬地の近くまである。不規則な大互の目刃の頭に丁字刃も不規則に入る刃だ。不規則に不規則だから訳がわからないのだ。複式互の目刃というのだろうか。その丁字乱れも形が様々であり、逆がかる丁字もあれば足が長いのもあれば、そうでもないのもあるという感じで何なのだろうか。飛び焼きもあるように感じるが、焼きが高く激しい刃紋だから本当に飛び焼きなのかわからない。刃中にも丸い刃(島刃のイメージよりも池刃みたい)があったり、どのように表現すべきか迷う。小沸出来だと思うが匂出来のところもあったような気もする。匂口が明るいところもあれば、そうでもないところもある。きぶく感じるところまであったような気もする。匂口も深いところもあればそうでもないところもある。

「おまえは何を観てきたのか」と言われそうな表現でお恥ずかしいが、そんな印象なのだ。店頭での印象に加えて年齢による記憶力の陰りで仕方無いと開き直るしかない。物打ちの方の刃の方が華やかで、元の方が穏やかな感じもして私好みである。蟹の爪状の刃紋などあったかどうかもわからない。蟹は刃紋で鑑賞するより食べればいい。だから無くても差し支えない。

そんなに光が強くないような金筋(これも店頭だから光の強さもよくわからない)もあったような気がする。葉、足もあったのかもしれないが、全体がメチャクチャだから確かな記憶には残っていない。だから”乱暴力”なのだ。でも実に面白い。「現存の優品79」における解説では「覇気ある焼刃は特筆ものであり、姿・地刃ともに動感にあふれ」とあるが”姿・地刃ともに動感にあふれ”はうまい表現だ。

鋩子もしっかり、くっきりだ。「備前は鋩子が薄い」なんてことは無いのだ。軽くのたれ込んで丸く返っているのか、尖っているのかも忘れたが、力強い印象を感じたことは覚えている。

そして、さらにいいのは平肉がたっぷりついて、まさに蛤刃なのだ。
金無垢で葵紋を透かし彫をしたハバキがついており、ただ者ではない。徳川家当主の枕刀にでもしたのかもしれない(そう言えば家康の枕刀が備中草壁打ちの勝光で、同じ末備前だ)。

加えて、姿がいい。写真で見ると、わずかに先反り心はあるのだが、全体に反りがある感じで、店頭であるが振ってみたくなるほど良かった。

もう一つある。茎の錆び色が実に良い。私は鉄鐔愛好家だが、古い時代で焼き手をかけていない鉄で、これだけ良い感じの鉄味は少ないのではないか。国広の堂々とした銘は同時代の信家の銘に似ていると書いたが、信家は焼き手をかけており、鉄味は違う。銘字は国広だが、茎の鉄味はこちらの方が上だ。うぶの目釘孔の上に小さな目釘孔は開けられているが。

入手して、じっくりと拝見したいと思うが、価格が昔の相場のようで、脇差にも関わらず半端ではない。ただ、この価格を付ける刀剣柴田の見識を立派だと思ったことも付記しておきたい。

私は末備前のこの手の御刀に惹かれるようだ。書いた後にこの欄を見ると「末備前に始まり末備前に終わる(08年7月9日)」や「備中草壁打の勝光・宗光(2000年5月6日)」を既に投稿している。

「国広から正宗、清麿を観るー平成26年の展覧会からー」(14年10月17日)

2014年は春に根津美術館で清麿展、秋は永青文庫で国宝4振を中心とする展覧会を拝見。後者の展示では包丁正宗(安国寺恵瓊所持)を拝観したが、この時、私の国広によく似ているとの印象を強く持った。清麿では本三枚造りのことを知り、これが私の国広の造り込みでもいいのかなとの感を持つ。国広から正宗は約270年前、清麿は逆に約250年後になる。国広を中心において、上記展覧会で観て感じたことなどから「国広から正宗、清麿を観る」として取りまとめている。

岐阜県支部の押形カレンダー応永9年紀の兼吉ー映りの諸相(13年11月7日)

2014年の岐阜県支部の押形カレンダーは「濃州住兼吉」「応永九年八月日」の太刀である。中直刃より若干細めの直刃調に足(逆足、京逆足も含めて)入り、表だけに一つ大きな斜め肩落ち互の目が入る。
元から物打ちまで棒映り、それが物打ち少し下から乱れ映りなのだが、大きな山形の映りが出る。これを作成者の近藤邦治氏は富士見西行ではなく耳成(山)見西行と仮に呼んでおられる。そして、押形で拝見すると、棒映りが途絶えた部分から、刃中に二重刃が入る。

映りと刃中の働きは相俟って連動している感じがする。最近、青江の段映り(2重棒映り)の上に乱れ映り、しかも乱れ映りの白さに濃淡(関物で、この濃い映りが出ると白け映りと言う)があるものを拝見した。
映りも研究すると、色々あるのだと思う。

ざんぐり考

「ざんぐり」は堀川物の地肌を説明する時に使用する鑑賞・鑑定用語だが、それに関して問題提起をしている。

ざんぐり考−堀川物の地肌の特色を表す言葉ー

「狂う」ことの価値

先日、根津美術館で「名物刀剣 宝物の日本刀」 の展示を拝観して以来、名物に指定されている志津(展観されなかったものも含めて『図説 刀剣名物帳』から拾うと稲葉志津、分部志津、浮田志津、堺志津、戸川志津)の刃文のメチャクチャさが引っかかっている。巷で拝見する志津は沸出来で相州伝を強調して、尖り互の目刃などが少しあるというものが多い。名物ほどのメチャクチャな刃紋は残念ながら私は拝見しない。もっとも無銘の相州伝は志津も含めて、下記の「古刀に化ける新刀」にあるように確信できないものが多いから、志津をどうのこうの言うつもりはない。

私が、ここで触れたいのはメチャクチャな刃紋=「狂う」ことが、鑑賞の世界では大事なのではなかろうかということである。

至文堂の「日本の美術」シリーズの142に『正宗 相州伝の流れ』がある。この中に「相州伝聞書抄」という章があり、この本の編者の本間薫山氏に相州伝について聞いた内容をまとめている。
本間薫山は、ここで『粉寄論』という室町末期から慶長にかかれた本の内容を紹介している。行光のことだが「正宗貞宗などほど華やかでなく、焼刃も狂わずして見所なし」と書かれているようだ。そして本間薫山は「「狂う」ということは正宗などの大事な見所なのです。正宗に限らず伝書などで刃文の狂っているものを賞める。定まった刃文の(初心手)ものは名刀でないということになっています。狂っていることが賞め言葉なのです」と述べている。

最近、この「狂う」ということの大切さを感じ始めている。確かに定まった刃文のもの(これを初心手と書いてあるのはきつい言葉だが)は飽きやすい。
観るたびに発見があるのは、ある面「狂う」ものだと思う。たとえば一見した時の美しさという視点から観ると島刃などは美しくはない。だけど面白いものである。

私が新々刀である薩摩の元平(末広がり元平)が好きなのも、物打ちから上の、沸でメチャクチャになっている地金であり焼刃なのだと改めて思う。

本間薫山も、この章において、新刀で一番正宗の作意を表しているのは誰か?との質問を受けて、「技量の点は到底問題にならないけれども、姿・刃取り、あるいは刃の中の狂っているような点から言って、出来のよいものは間違いそうだというのは、薩摩新刀じゃないですか。薩摩新刀の出来の良いものには、間々、正宗に近いものがあります。賞めて言えばですがね。」と語っている。

古刀に化ける新刀(11年12月5日)

ある刀屋さんとの話の中で、「昔の刀の位列を見ると、大与五国重の評価は高いですが、大与五の刀でいいのをご覧になったことがありますか?」「大与五は確かに昔から評価は高いが見ないね。たまに見るのは棟焼きがあったりの刀だね」「大与五のいいのは化けているのかもしれませんね」という話をした。
昔、私の父が偽物承知で大与五の偽物を買ってきたことがあり、私は昔から大与五国重という刀工には関心を持っていた。

刀装具だけでなく刀の方も、よく観られるコレクターと話をしていたら「相州伝の無銘など、私はハナから慶長新刀と思って観るようにしています。棟焼きも消せるし、反りも直せますよ」と明快に言われ驚いたことがある。

先日『今村・別役刀剣講話』を読んでいたら、古刀に化ける新刀鍛冶の話題が出ていた。紹介したい。

『今村・別役刀剣講話』から「古刀に化ける新刀」について

鋩子(ぼうし)の大切さ(11年3月29日)

鋩子は切先の中の焼刃である。(「古剣書には多く帽子と書く」『日本刀大百科事典』福永酔剣著とあり、帽子が今でも使われているが、昔は音が同じであれば気にしないところもあったのだが、Hat,Capとは違うから、鋩子を使う)

先人の鑑定書も次のように鋩子の大切さを記している。(古書の引用に当たっては原文が帽子であれば帽子を使う)

『日本刀の掟と特徴』本阿弥光遜著より
鋩子は刀匠の焼入作業中最大の難作業であって、鋩子の技量に依ってその作位が極められる程である。
『刀剣鑑定手帖』佐藤貫一著より
帽子は人間にたとえればその顔面である。従ってここには個々の刀工の特色が最もよく現れるものであり、その巧拙は即ち刀工の技量のバロメーターでもある。例えば下の刃が如何によく出来ていても帽子の拙劣なものは決して上工の作ではない。又下の方が如何に良い出来でも帽子にいってすげなく働きの乏しいものは古刀にはなく、この一事だけでも新刀であると断言し得る。
『刀剣鑑定読本』永山光幹著より
切先は人に例えれば顔のようなもので、その表情に当たる帽子もさまざまである。焼きの温度が上がりやすい小さな部分に、上手な刃文を表すことは非常に難しく、帽子の状態を見極めることは作者の技量と特徴を知る上で最も大切である。
私は鋩子の鑑賞が好きである。私の所蔵品で言えば、公鑒兼光の突き上げて煙るロウソク鋩子は力強く、豪刀かつ大切先にマッチしていて楽しんでいる。一方、末広がり元平はほぼ一枚鋩子にバアッと沸づいている感じで、まとまりという面では下手であるが、元平若打ちらしい覇気と捉えている。

最近は、あまり鋩子のことをうるさく言う人は少なくなったと感じている。畏友のH氏も「今、重要刀剣になっている古備前などには鋩子が無い刀も見かける」と述べて、研ぎの技術の進化で、描き鋩子が判別しにくくなっていることを警鐘している。

今は実用の時代では無く、鋩子が無くても、他の部分が十分に美術的価値があれば大切に保存すべきだと思う。重要刀剣の審査においても、鋩子の無いことを承知で認定しているのだと思いたいが、指定書に「鋩子が無い」と明記してあるものは少ない。

「鋩子が判然とはしない」「鋩子が薄い」と言う言葉で満足してはいけない。「今は研ぎが悪いから見えにくいですね」で誤魔化されてはいけない。
刃紋を観て、角度を変えれば鋩子も同じような匂口で見えるのが本来の刀なのである。(刀の写真では描き鋩子でも、鋩子らしく写る。また押形は書く人によって刃紋の印象は異なり、特に売り物であればお化粧する。私の末広がり元平の押形として「現存の優品」からコピーしたものを掲載しているが、ここでは小丸に整って描かれている)

「鋩子に焼き無き場合は三割乃至五割安」(『刀剣要覧』飯村嘉章著より)とあるように、南北朝以前の古刀をそれなりの価格、また「鋩子が無い」ことを承知で購入する分には問題が無いが、新刀、新々刀では大きな欠点であると認識して、実物をよく確認して欲しい。
どの押形でもいいから、その刀に鋩子が無ければと想像して欲しい。締まりの無い刀になってしまう。

同時に鋩子の魅力(相州伝上位の金筋が入っていたり、火焔風に沸が掃きかけて粒が見えるもの、虎徹のグイッと力強いものなど)にも目を向けてもらいたい。

日本刀鑑定用語の疑問−4(互の目、丁字)(10年11月14日、12月1日追記)

鑑定は視覚に頼るわけだから、鑑定用語は見える形を元にしているのが多い。前述したが、牡丹の花に見えるから牡丹映りという言葉が伝承されているわけである。あとは作者、刀工群で特徴的な形から名付けていることが多い(三作帽子、三品帽子、兼房乱れ等)。
刃紋も見た目の形状によって、次の様に大別される。そして刃紋は地鉄や映りと違って、図に書いて説明されたものと実際に拝見する刀にあまり違いはない。

  1. 直刃(糸直刃、細直刃、中直刃、広直刃と幅でわかれる。この区分も感覚的なことが多い)
  2. のたれ刃(これものたれの波の幅、大きさで大のたれ、小のたれと分かれる)
  3. 乱れ刃(下記の互の目刃、丁字刃も含める場合もあるし、それらには分類しにくい不規則な乱れ刃をいうこともある)
  4. 互の目刃(丸い小山が規則的に連なるような刃、山と谷が交互に出るから互の目刃か。肩落ち互の目、尖り互の目、三本杉など山の形で呼び名が付く)
  5. 丁字刃(植物の丁字の形状で、この丁字の下が特に細くなったものをおたまじゃくし=蛙子に見立てて蛙子丁字という。また丁字刃の上に更に丁字刃のような刃を重花丁字と言う。握った拳のような刃を拳形丁字と言う)

私が通販雑誌の内容紹介で迷うのは互の目刃と丁字刃である。私は区別に自信がないから、通販雑誌の紹介では発行元のコメントをそのまま紹介することが多い。
本来の丁字刃は丁字紋にあるように、一つの山に3つ程度の小山があるような刃紋(『日本刀大百科事典』の「ちょうじは」も「丁字の蕾(つぼみ)の形に、乱れの頭が2つ3つに分かれているもの」とある)だが、現在では頭が丸く、細長い刃であれば丁字刃と呼んでいることも多いのではなかろうか。

互の目刃は頭が丸く、丁字刃のように細長くない小山の刃紋を呼ぶことが多い。私は、互の目は本来は山と谷が互いに連なるようなものだから互の目と呼ぶのだと思うが、連なってなくても、このような刃は互の目と呼ばれることが多い。本来は乱れ刃だと思うのだが。
そして、頭が丸く細長い刃(丁字刃)が互いに連なるのを互の目丁字刃(兼房乱れ)としている。

なお『日本刀大百科事典』で「ぐのめみだれ(五の目乱れ)」の項は、もうひとつわかりにくい。次のように書いてある。
「互の目乱れとも書く。賽子(さいころ)の「五」の目を訛ってグの目とよぶ。グの目を文様にしたものをグの目模様というが、刃文で五の目乱れは、それに全然似ていない。五の目乱れの基本型は、〜〜のような波型になっている。これは碁石を並べ、それを横から見た形に似ている。それで碁の目乱れと書くのが正しい、との説もある。しかし、実際には基本型のような整然とした乱れは少なく、右図(図省略)のような複雑な、碁石とは似てもつかない乱れが多い。それで竹屋流では五の目乱れとは言わず、横乱れと呼んでいた。」

互の目刃、丁字刃の区別は、さらに足が入ることでわからなくなる。足が入ると刃紋が、足の分だけ細長くなり丁字刃ぽく見えるのである。

<岐阜の近藤氏の見解>(12月1日追記)

日刀保岐阜支部長の近藤氏は、丁寧、正確な押形をとられる。刃紋を精査されている経験から、刃紋は大きくは「直調」「湾れ調」という調子で大別される。そして焼き刃は「直刃」「乱れ刃」「湾れ刃」に3区分される。そして乱れ刃の中の文様が「小乱れ」「丁字乱れ」「互の目乱れ」の3つに分けられると説かれる。これはわかりやすい。

そして「丁字」とは「丁」の字、すなわち直刃に足が入っていることを示すのではないかとされている。

「互の目」は刃縁の頭が丸い焼き刃を言い、語源は「碁石」の丸にあるのではと考えられている。

ともかく、各人のそれぞれの見解を統一しないと正しい調書が作れないだろう。

日本刀鑑定用語の疑問−3(映り、白気映り、沸映り)(10年10月17日、11月14日追記

明確な記憶ではないが、昔、「刀剣美術」で「映りは地鉄の澄んだ部分」みたいな投稿があり驚いたことがある。これに対して、佐野美術館の渡辺妙子氏(「古書にみる「うつり」」刀剣美術343号昭和60年8月)や研師の吉田秀雄氏(「「映り」とは」(刀剣美術345号昭和60年10月)が、それぞれ寄稿して、誤りを正したことがあった。

言うまでもなく、映りは地鉄に息を吹きかけたように白く見えるものである。この中で、美濃の関物にあらわれる映りを「白け映り」と呼ぶ。
白け映りについて『刀剣鑑定読本』(永山光幹著)では「まとまらずにボッと白く見える」と解説している。『日本刀大百科事典』(福永酔剣著)では「息を吹きかけたような白い映りが、連結しないで、平面的に現れるもの」と解説している。

「まとまらず」「連結しないで」というのがポイントのようである。私は関の兼国の短刀を所持しているが、映りがよく出ている。これで語れば、乱れ映りの中で、濃く現れる映りを言うのだと思う。表現を変えれば乱れ映りの中にあるより白く見える映りとなる。もちろん、これは私の見方で、識者は別の映りを白け映りと呼んでいるのかもしれないが。では「この白け映り、おまえはどう見る?」と問われれば、美術的に良い映りとは言えない、好きな映りではないと答える。

日刀保の岐阜支部長の近藤氏は「白気映り」という言葉に潜む関物蔑視感を問題にされているが、確かに、関物故に「白け映り」と解説していることがあるのを感じる。私は本当に白け映りが出ているのであれば、「乱れ映りの中に白け映りが交じる」だと思うのだが、どうなのであろうか。
ただ私の兼国は映りがよく見えるが、巷で見る末関物はこれほどの映りはあまり見ない。特に顕著な白け映りはあまり観た記憶がない。だけど、講評になると「白け映りがある」となり、聞いている方はそんなものかと流していく。

蔑視とは逆に賞賛の意味で使うのが「沸本位の上作に見られる」と解説にある「沸映り」である。来の作品などにみられる映りを、来だから、刃が沸出来だから「沸映り」と呼んでいるが、これで良いのだろうか。ただの「映り(形状で乱れ映り)と違うのであろうか。
古備前の「地斑映り」となると、そもそも私など古備前の名作をそんなに観ないから、解説の場で「これが地斑映りです」の説明を受けるとわかったような気になるだけである。(ある刀剣界の権威の方から「地斑映りは沸映りと同じで沸出来の刀に出る映り」と言われた。また、ある刀屋さんで「地斑映りは雲類の見られる指で押したような映りで、しかも黒い部分をさすのでは」とも言われた11月14日追記)

なお『刀剣鑑定読本』では「牡丹映り」を「断続してボッボッと現れるもの」と解説しているが、「乱れ映り」「丁字映り」「棒映り」が形状を示すように、「牡丹映り」だって形状を示すはずだ。私が「所蔵品の鑑賞」における「公鑒兼光」で藤代興里氏に撮っていただいた写真も添えて解説しているように、「杢目状の地景が牡丹の花芯となり、その周りに現れる乱れ映りと相俟って牡丹の花のように見える映り」であることをご理解いただきたい。

「棒映り」も時代が応永に下がるということで一格下のように見る人がいるが、現代刀匠は棒映りはまだ再現していないと聞く。

日本刀鑑定用語の疑問−2(杢目肌)(10年10月9日)

協会の人ではないが刀剣界の権威の方からお話を伺う中で調書の話になり、「杢目肌をご覧になりますか?」と聞かれる。「私の兼光には見られますが、あまり見ないです」と答えると、「そうでしょう。でも杢目肌と記す人も多いんです」とお答えになる。

『刀剣鑑定読本』(永山光幹著)では次のように記しており、理由はこのあたりにありそうだ。

杢目肌主体に分類する人と、板目肌主体に分類する人にわかれるとのことだが、本間薫山氏の『鑑刀日々抄』は基調は板目肌である。私も板目肌主体で、杢目はあくまでも木を横に挽いたときに見る年輪に似た肌目。形は真円ではなくても丸く現れる肌が混じるか否かで「杢目が交じる」としている。

もっとも板目肌主体でも、どのくらいから小板目肌と大板目肌に分けるかとなると、感覚の世界である。たまたま手にした『鑑刀日々抄 続二』においても、ペラペラめくって抜き出しただけでも「鍛板目、大肌・流れ肌交じり」「鍛小板目よくつみ」「鍛板目杢目交じり、大肌目立ち」「鍛板目意地はり」「鍛概して小板目、柾け交じってよくつみ」「鍛板目やや肌立ち」「鍛小板目つまって立ち」「鍛小中板目立ち、柾け交じり」「鍛小板目無地のごとくよくつまり」「鍛流れ柾小板目交じって立ち」などの表現がある。

刀の世界、このような感覚も大切であり、奥が深い。

日本刀鑑定用語の疑問−1(地沸)(10年10月7日、9日追記)

「重要刀剣」には、指定した理由と、法量、調書がついている。この調書を読むと、全然、この刀のことではないのじゃないと思うものが意外にある。刃紋もまったく違うから驚いたことがある。
このように、刀の鑑定用語は決まっているが、使う人によって概念が異なるものが多い。まずはこの統一から手を付けることも大切と考える。そうでないと、刀の調書が信頼のできないものになり、研究も進まない。(だから私は本間薫山著『鑑刀日々抄』のように同じ人が書いたもので比較することも忘れないようにしている。この問題は刀の押形にも見られる。同じ刀でも画く人によって異なる感じになることも多い。)

その一つとして今回は「地沸(じにえ)」を考えてみたい。
本阿弥光遜の『日本刀の掟と特徴』には「地沸とは焼刃以外の地の中に現れる沸で、研の関係上黒く見える」とある。
『刀剣鑑定読本』(永山光幹著)には「刃縁につく沸と同じ性質のもので、これが地の部分にもあるもの。どんな刀でもいくぶんはつくが、地沸が顕著なものは「厚くついている」と表現する」とある。

今、名の知られた研師の先生や知人で鑑定に長けたH氏などにもこの問題をぶつけている。
研師の先生は「地沸は地にこぼれた沸で、黒く見えるもの。それ以下でもそれ以上でもない。だから「地沸微塵につく」なんて言葉がおかしい。微塵についたら地が真っ黒になる。」
これに対してH氏は「黒くまではならないが、全面に細かくきれいに粒立つように見えるものがあるでしょう。これを地沸といって、「厚くつく」とか「微塵につく」と言っているのではありませんか」と言っている。

永山光幹氏もアンダーラインを引いた箇所のように、H氏と同じ感覚かとも思うが、正しいのはどちらであろうか。
なお、私は所蔵の元平にも顕著な「地にこぼれて黒く見える」ものを地沸と呼ぶのは認めたい。ただH氏が言うような働きもあるから迷っている。協会はどう判断しているのだろうか。

10月9日追記。
『日本刀の掟と特徴』の「梨子地肌」の説明において「小杢目肌に地沸がよくつき金蒔絵の梨子地を見るごとく、または金砂子を撒いたごとく、あるいは梨の実を両断したようにも見える」とあり、ここでは黒く見えるとは言っていない。H氏の言っていることと同じことだと考える。
こういうことであれば、地にこぼれた沸ではなく、地にこぼれた匂なのではなかろうか。粒が細かいから黒くまではいかず、細かくきれいに粒立つということになるのだろうか。

2011年1月11日追記

所蔵の「末広がり元平」において「地沸微塵につく」状況を素人写真ならが撮れたのでアップする。これがそうであり、地沸は黒く見えるものなのだ。

初期江戸新刀の棟焼き(10年1月16日)

暮れ、新年に、それぞれ別のところでだが、初代康継と和泉守兼重の良い刀を拝見した。ともに非常に健全な刀で、刃は直刃調の沸出来だ。康継の方が刃は明るい感じ。ただ地刃は思い返すとよく似ている。
兼重の方を中心に記すと、刃は私の所持している薩摩の元平と刃紋の形、沸が少し薩摩の鼻たれ的なところもあることなどが似ている。ただ帽子はきれいな小丸、地は地沸の初期状況や地景もみられるが、元平のような強い地沸はなく、また刃の沸も元平ほど強くはない。そして棟に棟焼きがある。焼きだしもあるので、真改ほど鎬地が澄み黒ではなく、刃もそれほどは明るくないが、「真改ですか?」と言ったら兼重。姿は寛永・寛文の間というより、寛文新刀と同じに見える。
帰宅する途中で、「そうだ、この前、拝見した康継にも棟焼きがあり、地鉄はよく似ている」と思い当たった。
棟焼きが多い刀工として、新刀では水田、兼若、伊勢大掾綱広が挙げられているが、初期江戸新刀にもあるわけだ。そして康継と和泉守兼重との作風の共通性も認識した。

左文字の地の冴え(09年2月6日)

東京支部の新年鑑賞会に出向き、刀装具と鑑賞刀だけを拝見。その中に左の短刀がある。少し中心(なかご)が朽ちていて銘は判然とはしないが「筑州住」と「左」を表裏に切り分けてある。

よく左文字の説明に「地刃が冴える」と表現される。刃の冴えは匂口が明るいことの延長にあるのだが、地が冴えるというのがピンと来なかったが、この短刀を拝見して、なるほどと感じた。地鉄が青いと言うか、晴れ晴れしているという感じなのだ。
他の刀、短刀があったから気付いたのか、自分でもよくわからないが周りの刀、短刀とは違うのである。古人はよく観ているものだと感心した。

この短刀、ふくらが枯れて鋭い姿、板目に沸がからむような出来だった。特に欲しくなるという感じでもないのだが、ただものではないという感じであった。

面白くない之定(08年12月14日)

いつもは出向かない刀屋さんであるが、そこで重要刀剣に指定されている之定の刀を拝見。匂口が沈んいる互の目丁字刃主体の刀であるが、魅力を感じないもの。こういう之定であれば他の末関諸工と出来は変わらない。ただ之定というネームバリューだけのもの。
『日本刀職人職談』(大野正著)において、刀鍛冶の吉原兄弟が「兼元にしても兼定にしても一段に刃が眠く、匂口の締まらない、陽にやけたような地鉄であり、少しも名刀らしくありません」と酷評しているが、このような之定を拝見してのコメントであろう。また隅谷正峯氏も実用についてはそれなりに評価しているが「兼定・兼元なども美術的にはあまり感心できません」と言い切っている。
研師さんも、墨賢蔵氏は「関には兼定や兼元・兼常などのように出来の優れたものから、数打ちのようなものまで種々雑多です。ー中略ー砥当たりの良し悪しも、不思議に刀の出来と関係があるようです。備前物は比較的平均した砥当たりがしますが、この関物の場合は同じ作者でも刀によって砥当たりが大きく異なることがあります」と述べられている。本阿弥日洲氏は「関物の兼定が思い浮かびます。一般に関物の刀は刃がねむいといわれますが、これは沈みごごろと表現するのが妥当でしょう。こういう刀に限って詰んだ地鉄は少なく、大模様で杢目や板目の流れ気味のものが多く、互の目で匂口の冴えないものです。鑑賞の上からは決して賞められませんが、いかにも実戦向きの日本刀です」と述べている。

兼定は出来に差が大きいと思う。虎徹が範としたような明るく冴える名刀から、私が拝見した重要の之定のように、つまらないものまである。刀屋さんは「之定ですから、すぐ売れます」と楽観していた。

匂口の沈んだ刃の方が切れ味がいいと言われるが、出来の悪い刀を売るためのセールストークではなかろうか。いい虎徹は明るく、冴えていて最上大業物である。私の兼光も明るい刃である。

兼定と兼元展を拝観して(08年11月25日)

この連休に彦根城、湖東三山、犬山城を観て、標記展覧会にも出向きました。展示におけるライトの当て方は良く、刃紋と映りはよくわかり、非常に見やすい展示でした。図録は写真の印刷が悪いので、残念ですが、兼元の銘の変遷、之定の刃紋の様々など、わかりやすくまとまっており、之定、孫六に興味のある方には役に立つと思う。
好みもあると思うが、私は孫六より之定、それも匂口が明るく冴えた時期(和泉守受領前後の永正初期)のが良いと思う。之定は、こうでなくては。

之定−岐阜県支部の押形カレンダー(08年11月17日)

09年の岐阜県支部の押形カレンダーは「濃州関住兼定(之定銘)」の刀である。刃は互の目丁字である。兼房乱れの前駆のような刃や、やや角張る刃、尖り心の刃など変化に富んでいて砂流しかかる。帽子は乱れ込み尖り心に返る。鎬に角止めの樋が彫ってある。地には水影が出ていて、全体に乱れ映りが出ている。時に濃い映り(白気映り)も出ているように押形からは観られるが、実際はどうであろうか。長さは2尺1寸6分で、それほど先反りは目立たないと思う。
押形では匂口の冴えなどの刃の明るさは実感できない。今秋は岐阜市歴史博物館に拝観にいく予定であり、その時に確認したい。

之定には「来写し」と呼ばれる直刃の短刀がある。このような短刀が鑑定刀に出されると、来との違い(すなわち、帽子が倒れ心になったりしている点、直刃中に観られる節など)に目が向きがちである。之定の良さを鑑賞する姿勢ではなく、之定が来に比べて劣っている点を探すような鑑賞姿勢である。本当は失礼な姿勢なのだと思う。今度拝見する時は、之定の良い点を見つけてみたい。

古備前吉包の名刀(08年11月14日)

刀屋さんで、一振りの太刀を見せられる。元の方は刃の焼き幅もあり、直刃調に匂口深く、足が繁く入る。帽子もきちんと焼きが入り、金筋も入る。刃は沸ずくところも多く、観ていて楽しい。地には映りはなく、地景が入り、見事。
鎬にかけての肌がつるつるして、やや異様な地模様が出ているところもあり、これが来金(らいがね)の一種かなと観て、「来国行ですか」と言うと、古備前吉包の銘が中心先にある。
映りは見えず、沸が目立ち、直刃調に足が入る刃紋と上記の肌から来に入れたが、本当に名刀。ハバキに立ち葵の紋があるから、元は本多家に関係しているところにあったものか。昭和26年の登録で1万番台だから、しかるべき家にあったものであろう。
『日本刀工辞典』で吉包の項をみたら、「古備前派の他、一文字、古青江、来国行に近いものがある」と書かれているから、来国行と鑑するのも許容範囲かと慰める。
有名な太刀のようで、知人に連絡したら、知っており、彼が言うには、もとは北海道の有名な愛刀家が持っていたもののようです。
この刀友も「あれは名刀。ただ研ぎで地がやや肌立っていたのをつぶしてしまい残念だ」と言っていた。刀工辞典には「古備前の作風でも元暦前とは云え丁字足盛んに入る。板目少し立ち気味であり肌にからむ」と作風の紹介をしている。肌が立つもので良いのを研ぎで、つぶしていたのを、私が異様と観て来金(らいがね)と判断してしまったようだ。古名刀は現代の研ぎで悪くすることが多いと刀友は嘆く。

祖母の嫁入り短刀(08年10月21日)

保昌の名刀と網屋拵(08年9月3日)

末備前の忠光のいい刀があるとの連絡で、出向いた刀屋さんで、無銘であるが、保昌の非常に良い刀を拝見した。忠光も健全で出来も良く、いい刀だが、「刀和」に出ていた忠光の方がいいと思う。

この保昌、非常に明るく冴えた刃紋で、小互の目が乱れる刃であり、中に少し尖り心の互の目と見えるような刃もある。匂口が深く、明るい冴えから刃だけなら郷である。金筋もみられる。地鉄は柾目、地沸がよくついて一部に鍛え割れがある。地景も目につく箇所もある。帽子は丸く返りがある。
地鉄と刃紋、姿から「当麻ですか」と言うと、保昌とのこと。

保昌は柾目肌、直刃、帽子は焼き詰めで掃きかけるというのが本にある掟だ。帽子の焼きが気になり、後日、出向いて再見するが、キチンとあり、返りが長い感じ。ただ掃きかけるようなところは見られない。『藤代刀工事典』にも掃きかけてはいるが、返りがみられる保昌の押形が掲載されており、これでいいのだと思う。
ともかく、この刃は素晴らしい。沸出来というようり、匂出来のような細かい沸。「匂に包まれた沸」と上作の表現にあるが、このような状態を言うのか。

拵も、網屋拵と言われている良いものがついている。鞘は鮫鞘風の塗り(実際の鮫鞘でなく、塗りだと思うが)で色は濃緑、縁頭や栗形、小尻は桃山期はあるような波の金具。目貫は山金のような濡烏、鐔は西垣勘四郎の真鍮地の波の鐔。柄は革の菱巻きで鮫は漆で染めてある。

前に拝見した二王短刀の網屋拵を思い浮かべると、網屋拵とは肥後拵と天正拵(桃山拵)をミックスしたようなものと感じた。もちろん、他のスタイルもあるのかもしれないが。

末備前に始まり末備前に終わる(08年7月9日)

「末備前に始まり末備前に終わる」とは「釣りは鮒釣りに始まり、鮒釣りに終わる」という格言を転用したものと思うが、刀剣界では使われていた。
確かに、末備前は数が多い。はじめての古刀が末備前という人も多いと思う。
終わりの末備前とはどういう意味だろうか。私も最近、末備前、それも時代の上がる末備前(応仁の乱後の文明、長享、延徳、明応、文亀、永正、大永初年頃までの約50年間)は面白い、いいなぁと感じる。私は公鑒兼光と比較してしまうから、買おうというところまでいかないが、その魅力の理由を改めて列挙すると次ぎの通り。

  1. 地鉄がいい。地景もよく入り、精気を感じる。
  2. 刃中にも金筋などが働き、奥が深い。
  3. 刃も、末備前前期は明るいものが多い。
  4. 刃紋はここで紹介した能光の一文字のような丁字刃から、同じくここで紹介した草壁打ちの勝光、宗光のような丁字乱れに葉などが激しくからみ華やかな刃、忠光の刃中働く広めの直刃や、先日拝見した勝光・宗光の細直刃で、細かい働きのある刃、同じく最近拝見した治光の蟹の爪の先駆のような刃紋など、変化があって面白い。(もう少し下がると、蟹の爪と清光のような直刃でパターン化してきて当たりやすくなる)
  5. 姿というか、手持ちがいい。下記の永正頃の兼常もそうだが、この時代の刀、脇差は持って、しっくりくる姿、手持ちである。(ただ短刀は鋭すぎたり、両刃など、私の好みとは違う)
  6. 古刀であるが、比較的健全なものが多い。
  7. 年紀まで明記してあり、時代を具体的にイメージできる。中には注文主も切られており、イメージは更に膨らむ。

之定のような兼常(08年2月22日)

刀屋さんでいい兼常を拝見した。姿は2尺と少し、非常に手持ちの良い刀。直刃調にほつれがあるような刃だが、その匂口が締まって、非常に明るく冴える。「締まって明るく冴える」というと虎徹を思い浮かべるが、虎徹は之定の影響を受けたと言われているように、虎徹の原点のような刀である。地鉄もよく、片面は柾が目立つが、細かい地景が見られ、味わい深い。もちろん関の白気映り(ちょっと濃い映り)も元の方に目立つ。帽子は少し沸が強いような気がして、やはりいい刀は先に行くほど働きがあると感じたが、それほど細かくは観ていないから疎見しているかもしれない。

私ごときの鑑定でも「之定」ではなく「之定の傑作」と入れた。山田英氏の著作にも掲載で、もちろん褒めて紹介されている。関ものは之定、孫六でもあまり感動するものは観ないが、兼則に次いで2振目だ。

丁字刃の名刀(一文字と能光)(08年1月16日→18日追記)

大丸の新春刀剣即売会で拝見した一文字は、価格も高いものでしたが、良いものでした。明るい丁字刃に逆がかるところもあり、何より素晴らしいのは刃中に金筋、稲妻が繁く入っていること。これだけで満足します。乱れ映りです。拵もよく、また伝来も尾張徳川家の家老竹腰家のものとのこと。もちろん私は買えませんが、高いと言っても他の美術品と比較すれば安いものだと思います。
別の刀屋さんに備州長船能光という延徳3年紀の脇差。この丁字刃もいいものでした。私は末備前というと蟹の爪のような腰の開いた刃紋と広直刃で葉入りしか思い浮かばず、姿は鎌倉ではないし、このような素晴らしい丁字刃から新刀の「是一の傑作」と入れたら刀屋さんに怒られました。(畏友のH氏は、新刀の常光に一文字に見えるほどのを観たとのことですから、石堂一派にも素晴らしいのはあるはずです)
姿は改めて観ると、片手打ち用の先反りという室町の特色なのですが、脇差になると、どうも姿の拝見が疎かになります。先の身幅も細く、抜けるようなところが私の好みではないのですが、これは好き好きでしょう。
よく観ると腰の開いた刃もあり、逆がかるところもある。地金も非常に良い金で地景もよく入り、乱れ映りが出て、勝光の傑作と言ってもいい脇差でした。勝光で私が高く評価する備中草壁打ちと4〜5年の差。この時期は良いものが多い時なのかもしれませんね。

関の白気映りー岐阜県支部の押形カレンダー美濃千手院(07年12月5日)

今年の日刀保岐阜県支部の押形カレンダーは「千手院」の3字銘の美濃千手院の刀である。美濃千手院は江戸新刀の源流の一つとも言える流派であるが、あまり作品は見ない。流派銘を名乗らず個銘だけ切ったものも多い。その中で珍しい作品である。中心を少しいじった痕もあるようで大和千手院に見せようとしたのではと近藤支部長は推測されている。

この映りが、刃紋のやや尖り心富士山形の互の目に対応した、逆三角形の映りで、刃と映りで囲まれた地の部分はお団子のように見える。映り、刃紋の形状は異なるが、備前の吉井派に、このように刃紋と映りに囲まれた御団子に見える地を観たことがある。

この映りにちなんで、関の白気うつりについてコメントしたい。私は自分も関の兼国の短刀を持っているから、その実見から書くと「白さが少し濃さを増して顕れる、やや大き目(相対の話だから、そんなに大きくはない)の面積の不定形な映り」と認識している。

ちなみに刀剣書では次のように説明している。

「息を吹きかけたような」という表現もいいのだが、『日本刀の掟と特徴』の「地映り」の説明は「地の中にあたかも息をふきかけたごとくに見えるものである」とあり、他の映りとは区別しにくい。

「連結しないで、平面的に」と「まとまらずにボッと白く見える」はそれなりの表現である。

では、この千手院の映りはどうだろうか?上述したように連結しているのである。

私の兼国も上記のような白気映りがあるが、元の方は乱れ映りがかすかに見えるのである。

だから、関物に観られる映り=白気映りではないのである。鑑定の説明用には、このように割り切った方がいいのだが、正しく使うと「乱れ映りの中に、白気映りも観られる」とかにすべきと思うが、どうであろうか。

雲類の魅力(07年10月14日)

もう売れたかもしれないが、今月号の「刀和」に掲載の伝雲次の長巻直しの脇差はいいものだ。丁字映りが見事に立って、刃は染みるところなどない、小丁字、小互の目乱れで、少し逆心の刃もあり、また刃中も変化があり、楽しい。匂出来だが、一部小沸も観られたように記憶している。明るい刃で、帽子もきちんと鮮明である。鑑定刀に出されたら、この見事な丁字映りと、やや小ずんだ刃紋から、吉岡一文字ともいくのかなとも思った。

少し前だが、別の刀屋さんで、これも大磨上げだが、額銘に雲生と古雅な銘が入っている脇差を拝見。反りが何となく京反りで、映りがあり(それほど鮮明ではなかったと記憶している)、刃が直刃調に小丁字、小乱れが繁く入り、非常に刃中の働きがあるものであった。長光、二字国俊によくある刃紋をさらに細かく複雑にしたような刃だ。観てたら飽きないだろうと思った。地肌が気持ち肌立つ感じだが、名品であり、一時、気持ちが動いたが、備前は兼光があり、思いとどまった。

今は、雲類や了戒など、正系からはずれたものは人気がないと聞いた。了戒はともかくとして、雲類は個性がある流派であり、もう少し高く評価したい。世間では上作との評価だが、上々作はあり、最上作のつまらない作よりは、上記2振りなどは上位と思う。

三原と青江(07年7月2日、6日追記)

ある刀屋さんに出向いたら、一振りの刀を観せられる。帽子は南北朝体配で大切っ先で、反りは高く、京反り風。刃紋は、広直刃調に互の目、小丁字が混じり、逆がかるところもある。地鉄はややツルッとした感じ(地沸が少ないのか)だが、いい地金で地景もよく入り、名刀。
青江らしい縮緬肌や澄肌はあまり観えないが、「青江ですか。南北朝初期の中青江」と見解を述べると、刀屋さんも「自分も青江と思う。それもかなり良い青江と思う。しかし、協会に審査に出したら、三原と言われた。」と心外な様子で怒っていた。肌は研ぎの関係で特色が見えないのだろうと述べていた。

三原と言うと、大和伝で、地鉄が流れて、細直刃調のを極めているのが大半。このような青江らしいものを三原と極める根拠となる在銘の三原があるのだろうか。
当方も「青江ですよ。これは」と言って帰ったが、家に戻り、刀工辞典の三原正家の刃紋を観ると青江のような刃紋も掲載されている。

このことと、地鉄がやや固く感じられ、以前観たニ王清貞の地鉄とも相通ずる感じがしている。研ぎで縮緬肌、澄肌が見えないのではないのかなと感じている。
そういうことで、三原にあってもいいのかなと思いはじめている。

青江と言えば、昔、豊後高田の在銘品で、青江のように見えるのを拝見したことがある。畏友のH氏も高田の銘を消して、青江で重要にした刀屋を知っていると言っていた。

いずれにしても、三原、二王などの脇ものも、きちんと評価していかないといけないと思う。

畏友のH氏より、次のような連絡をいただいた。やはり青江に見える三原とか二王はあるようだ。

「かってある鑑賞会で青江に見える三原正家を見た事があります。
南北朝期のスタイルで肌は縮緬肌となり、匂口の締まった中直刃にネズミ足入りで段映りもあり、とがり心のぼうし、匂口がしずみごごろではあったが青江に見える物でしたので青江の入札をしたところ、中心尻に正家と銘があり、重美の三原正家でした。
重文の二王清綱の短刀で青江の逆丁字を焼いた物もありますのでやはり地理的に近い物は時として作柄が似ている物があります」

二王清貞の名短刀(07年4月2日)

ある刀屋さんで、二王清貞在銘の短刀を拝見した。短刀らしい直刃、小沸出来で、小沸にムラがなく、地鉄は細かいチケイが入っている非常にうるおいのある澄んだもので、良いものでした。帽子が大丸ごごろに返り、その延長にかすかな棟焼きが観られます。重ねが厚い点が、時代を表しているのでしょう。室町期の短刀としては最高レベルではないかと驚きました。

あるんですね。本にも二王には「良いものがある」と書かれているし、畏友のH氏も昔、良いのを観たことがあると述べられていました。短刀に非常に良いものがある作者なのかもしれません。

古い白鞘には、25枚の代付けがあったことが書かれています。観る人が観れば、鞘の形状から、どこの大名の伝来かがわかるのではないでしょうか。25枚ですから、立派なものです。昔はキチンと評価していたということでしょう。

重要刀剣に指定されていますが、拵も肥後の金具を使った肥後拵風のものがついていました。刀屋さんは網屋拵ではないかと言っていましたが、目貫は猿の容彫、縁頭はキノコを真鍮据紋した魅力的なものでした。

関の孫六五本杉ー岐阜県支部の押形カレンダー(06年12月11日)

2007年の岐阜県支部の押形カレンダーは関の孫六である。この孫六は三本杉というより五本杉の刃紋が大半を占めている。押形を採択した近藤支部長に教えていただいたが、中村観斎秘伝書に「関孫六の五間刃、三間刃とて乱刃を五か三か並べて焼く」とあるそうだ。

このような孫六を観ると、私も含めて大半の人は次のような態度で拝見するのではなかろうか。

  1. 特徴である三本杉を探す。
  2. そしてそれを刃紋の中に見つけて満足する。
  3. そして三本杉が目立たないところが孫六初代だと納得する。

以上のような見方は「鑑定」に毒された見方なのだ。モノを観るのではなく、あるべき姿と教え込まれた掟を頭中心になぞるだけの見方なのだ。
反省させられた兼元の押形であった。

また近藤氏は三本杉、五本杉は地を上にして杉の形を観るのではなく、逆に刃を上にしての足の入り方ではないかとも問題提起されている。一理あるお考えである。

いずれ岐阜県支部のHPに押形が掲載されると思いますから、よくご覧ください。

岐阜県支部の押形カレンダー為継(05年12月7日)

06年の岐阜県支部の押形カレンダーは「応安六年癸丑六月日」の「濃州住藤原為継」と在銘の短刀である。美濃でこの時代に作ったという銘が貴重である。年号は北朝年号で、「六月日」というのが意味ありげである(普通は8月か2月)。他の為継の年紀銘も調べないと結論できないが、何か特別な儀式等の為に打った短刀ではなかろうか。
このような立派な押形を観ていると、鑑定刀で出されたら、なんと観るだろうかなどとの思いが湧いてくる。1尺1分とやや寸が伸びて身幅を感じる姿から南北朝といくか。焼き幅が低い互の目乱れの刃などから信国あたりに入れるか。あるいは、棒映りと観て応永備前、小反り備前を迷うかというところであろうか。
近藤支部長によると押形では棒映りのように表現されているが備前の映りとは反対に、映りより上(棟寄り)が黒く澄んでおり、刃縁までの間が白け映りで、美濃の白け映りの原点のような短刀とのことである。

埋忠明寿の短刀(05年10月26日)

10月の東京支部で、埋忠明寿の短刀、宗吉銘、重長銘が鑑賞刀にあった。研究的な事柄は、これから博物館の岩田氏などが発表されると思うので、鑑賞面から述べておきたい。

昔、青山君に「城州埋忠」銘の短刀を刀剣柴田で見せてもらったことがある。五字忠に入れたが、刃が明るく、沸も細かくきれいで感動したことを覚えている。

今回の短刀の中では土田氏の所持銘がある短刀の物打ちから帽子にかけての沸と地刃は覇気があって、美しくいいですねぇ。地は柾が強いように感じ、それに沸がからんだ感じで見事でした。

相州伝は古備前(05年6月6日)

第6回の重要刀剣に指定されている伝友成の太刀を拝見した。刃は明るく、刃縁だけでなく刃中も沸づいていて、その中に金筋も入り、見事な出来でした。この沸が粒がはっきり見える輝く沸で、地にもこぼれている。刃幅も狭くないから、この刃中の沸が、本当に楽しめました。小野光敬さんの研ぎと鞘書にありました。

地景も入り、姿は違いますが、まさに相州上工の出来です。帽子が少し弱い感じがしましたが、他は本当にすばらしい刀でした。

あるんですねぇ。聞いたことがありましたが、相州伝の源流は古備前ということを実感いたしました。四国の揚家から出た刀と聞きました。

則重の南紀重国磨上げの刀(05年4月25日)

神田刀剣会に出向いたら、参考刀に則重の薙刀直しの無銘の刀があり、拝見した。白鞘に紀州徳川家の蔵刀であったことがわかる付箋が貼ってあり、その伝来と思われる。

地は大きな地景がうねうねと入り、面白い。生きている鉄だ。刃も沸出来で、金筋などの変化もあり、非常にいい刀でした。久しぶりに眼福でした。もちろん11回の重要刀剣に指定されています。

後で広井先生の解説で、「この磨上げた中心を見てください。南紀重国と同じでしょう。そして目釘穴も大きく、南紀の穴です」と教わる。
なるほど、そうだ。重要の証書の解説には、このようなことが記載されていないから、広井先生の発見かも知れないが、さすがに眼のつけどころが深いと感心しました。

神田刀剣会での入札は、一の札で5本の内、3本が同然という程度の、いつものような状態である。
私の所蔵品鑑賞で元平を掲載してあるが、まったく同じような地刃の刀が出た。一見真改であるが、一の札は少しおとなしいが元平にしてみた。そしたら角津田であった。
私の「末広がり元平」の方が荒い沸が目立つが、一段と覇気があって、この脇差より数段良いですぞ。

岐阜県支部の押形カレンダー兼則(04年12月15日)

2005年の岐阜県支部の押形カレンダーは天文17年紀の兼則である。天文17年は1548年であり、458年前となる。鉄砲伝来が6年前の1542年であり、美濃国にはもたらされていたのだろうかなどと考えると楽しい。
箱がかった刃、丁字刃(拳形丁字の嚆矢のような刃もある)、互の目刃、三本杉風の刃、飛び焼きなど変化に富んだ刃紋である。腰の方に「野晒し」のような刃紋の模様も顕れている。
水影が出ており、これは兼定(之定)にも見られる。堀川国広の水影も美濃の大道を通して、関の影響なのだろうか?

岐阜県支部の押形カレンダー、兼清(03年12月9日)

日本美術刀剣保存協会の近藤支部長より岐阜県支部の押形カレンダーをいただいた。
2004年は、室町初期の美濃の刀工兼清の刀である。

志津→直江志津の流れと、直刃の善定兼吉の流れとは別に、末関に直結する互の目刃、若干尖り刃も交じる刀である。

兼清ははじめて観る刀工であるが、乱れ映りが出ているとある。ゲームである鑑定の場では映り=備前で、関物は白け映りとすればいいのだが、現実はなかなか簡単ではない。

備前の乱れ映りと、この兼清の乱れ映りはどう違うのかとか、色々と興味も惹かれる。

映りと言えば白け映りという言葉も、その意味する状態が、人によって解釈の違いがある。言葉と画像のギャップの問題であるが、刀の場合、形状が特殊で鮮明な画像がなかなか撮れなかった点に課題があった。刀剣写真の藤代興里氏に、このような解釈の違いを正す資料作成をお願いしたいものである。

採拓された近藤支部長から、中心のヤスリ目について面白いお話を伺ったが、この場で簡単に紹介できるものでもなく、近藤氏ご自身の研究発表を期待したい。

相州伝の良さー志津ー(03年2月22日)

今日の東京支部の鑑賞会では正宗をはじめとして、相州伝の名刀が7振登場した。
仕事があったので、解説を聞かないで帰ってきたが、H氏の話によると、この正宗は成瀬家伝来のではないかということである。
今回、はじめて匂の中に沸がまとまる良さというのが、少し理解できてきた。新刀になると沸出来は沸出来となる。それが、どうも正宗は違うようだ。匂出来の中に沸がまとまるところが出る。これが良さなのかなという気がしている。もう少し多く拝見してから、自分なりの結論を出したい。

貞宗は帽子も刃中の働きもおもしろい刀、名刀である。
江の匂口の深さと新刀の真改などの深さの違いも少しわかってきた。同じような沸のつぶが幅広く分布しているのが江か。真改など新刀は刃縁の沸が大きい感じである。
則重も則重らしい肌と刃紋である。ただし、この肌は比較するとどうしてもガサつく感じにはなる。
広光も馬鹿にできない。さすがに相州伝の本家を継いでいる。おもしろい刃紋である。
長義も典型的なもので、帽子が力強い。あまりに典型なので一度しか拝見しなかった。

私は、志津に感動した。指裏か表かは覚えていないが、金筋、稲妻が数本はいる見事な大丸の帽子である。もう一面は三日月の打ちのけ状に見られる働きのあるものだった。刃中に金筋、稲妻や砂流しが入り、おもしろい。見飽きない。
地金も地景が入り、潤いがあり、中に少し流れて志津の極めどころのような地金も見られる。何度も拝見したが、もっとゆっくり拝見したい名刀である。
刃紋は日向正宗のような異形の焼きも入る。

岐阜県支部の押形カレンダー、今年は氏貞(02年12月13日)

日本美術刀剣保存協会の岐阜県支部の支部長近藤様より、支部で作成の押形カレンダーをいただいた。
今年は、氏貞の刀である。氏貞は新古境の美濃関の刀工であるが、一国氏貞という刀があることで名高い。また重美が一振存在する。

末関らしい刀が多いが、私は、氏貞の短刀で、沸が強い面白いものを拝見したことがある。このような刀があるから名高いのであろうと思えるようなものであった。

近藤氏が採られた押形の氏貞は、天正7年8月吉日の裏銘が入った刀である。匂を深く敷いた中に沸が混じるような出来で、箱形の刃紋が連なる出来である。その箱形の刃紋の中に丁字足が混じり、拳形丁字の萌芽とも見受けられるような刃もある。
長期にわたって活躍した刀工のためか、いくつかの銘振りがあるように感じる。

それにしても、いつもながら上手な押形である。刃紋の柔らかい感じ、堅い感じが、押形から理解できる。

再会 国広(01年10月21日)

10月20日の日刀保東京支部の例会は、慶長新刀の鑑賞会であった。そこに並べられていた信濃守藤原国広の寸延び短刀は、私が兼光を購入した家にあったものであった。

当時、H氏に見せられた時に、「信国ですか」と答えたことを覚えている。私の兼光と同じく、樋に添え樋があり、大小にしたらどうかと考えたことがあった。もっとも当時は兼光の出費で目一杯であった。

『百人百剣』に掲載されており、そこでは大河内完爾氏の持ち物として紹介されており、藤代義雄先生の鑑定書がついているとあるが、当時はすでになかった。H氏によると今村長賀旧蔵とのことである。

H氏と「あの国広はどこへ行ったんですかね」と話していたものである。研ぎ直されて重要刀剣となって再会したが、懐かしかった。ずば抜けた出来ではないが、健全で一派を作った創始者国広らしい放胆さを感じる。

現代刀の価格崩壊(01年10月1日)

今年になってからの刀剣通信販売雑誌に掲載される現代刀の価格下落が著しいように感じます。現代刀に限らず安くなっていますが、現代刀は危機的です。

人間国宝大隅俊平氏の昭和50年紀の2尺5寸9分の太刀が180万円、吉原国家氏の2尺6寸3分の刀で昭和63年紀で第5回現代名刀展図録所載のものが160万円、瀬戸吉広氏の平成8年紀で日本美術刀剣保存協会会長賞の2尺6寸1分の刀が100万円である。

現代刀は新作刀展の後に、即売会も実施していたような気がする。
11月に開かれる大刀剣市でも去年は販売されていたと記憶している。
これだけ下がってしまうと、こういう場での値付けも考慮せざるをえないのではなかろうか。そうでなければお客=愛刀家に不信感をもたらしてしまう。

制作工数などを無視して、純粋に美術的価値で古来の刀剣と一緒に比較すればこの程度の価格ということなのであろうか。それにしても安く成りすぎているような気がする。文化の伝承にも支障が出るのではなかろうか。

現代刀「天田昭次」刀匠の地鉄(01年9月3日)

8月25日に東京都支部で「栗原彦三郎と復興期の刀匠たち」というテーマで、講演、展示会があった。そこに出ていた天田昭次刀匠の短刀と、別の機会で刀屋さんに並べられていた天田刀匠の小刀を拝見した。

天田刀匠の地鉄の良さには定評があるが、いいですね。人によって感想は違うでしょうが、私は地景が密に入った地鉄にも関わらず”軽やかさ”、”清澄感”を感じます。これで刃沸に相州伝上作の光の強さが出ると凄いと思います。

古備前の地鉄(2001年6月25日)

23日土曜日に東京支部の例会があり、久しぶりに出かけました。古備前、古一文字という古い時代の備前伝です。人数が多く、待っているだけで疲れ、しかも拝見する時間が1分30秒程度に制限されたので、名刀を味わうところまでいきませんでした。

今回の発見は、古備前の地鉄も長船の地鉄もほぼ同様であることを認識した点である。これを畏友のH氏にしたら「伊藤さんの兼光の地鉄が良すぎるから、そう思うのであり、本来は古備前の地鉄の方が今一つ深みがある」とのことである。誉めていただくのは良いのだが、地鉄の基本は変わらないと思う。

そして兼光と比較すると、むらなく入っている地景は共通だが、兼光には、より大きな、長いものが混じるということだと思う。そして映りは、古備前が丁字映り的な乱れ映りであるのに対して、兼光は乱れ映りがもう少し広い。これを牡丹映りというらしいが、どれをもって牡丹と見るかは、正直に言ってよくわからない。

ともかく、備前の名刀の見られる春霞のような細かい地沸の中に地景が縦横無尽に入っているさまは本当に美しい。強靱さを秘めた柔らかさである。

額銘の正恒は腰元に蛙丁字も混じり、額銘がなければ、古備前にはきわまらないであろう。光忠や、守家にきわまるのであろうか。帽子は丸く返っていたようだが、短い鑑賞時間であり、よく覚えていない。

景安も綺麗な丁字映りが出て、味のある地鉄、刃中に働きのある刃紋で名刀でした。

音楽が聞こえる青江次直の刃紋(2001年1月26日)

東京支部の新年会に重要美術品の青江次直に極められている刀と、青江と極められている刀(特重と思いますが)が出品されました。
次直は刃中に傷もありましたが、刃紋は音楽が聞こえてくるような高低・広狭のリズムのある気持ちの良い丁字刃でした。逆丁字も交えています。そして、この刃紋の先の大切っ先において、帽子が力強くドーンと突き上げ心にかえっていました。この帽子の調子は、もう一振の直刃調の青江と同じでした。

地金は、綺麗に詰んでいます。面白さという視点で見ると、この時期の備前の上作のほうかなと思いますが、綺麗な地金はそれで魅力です。
この刃紋と帽子の調子はいいです。楽しく、ワクワクします。見惚れました。
音楽に造詣が深い人であれば、刃紋の高低・広狭を譜面に写せるのではないでしょうか。

2000年年末から新春の即売会(2001年1月16日)

大刀剣市、飯田高遠堂の創業120年記念展示、刀剣柴田の新春即売会、霜剣堂の新春即売会と、大きな即売会が続きました。
大刀剣市では、深津さんのお店に小道具の良いものがたくさん出品されていたのが印象に残っています。
飯田高遠堂では、太閤秀吉所持との伝来も持つ特別重要刀剣の左文字の短刀を拝見しました。刃が明るく、沸は白く穏やかな、左らしい名品でした。これはお値段で手がでません。

刀剣柴田では、出向いた時には既に売れているものもあり、拝見した中では、仙台国包の脇差に地鉄がよく、刃の沸も深く働いているものがありました。『麗』1月号の名品紹介のものが売品になったようで、価格は高かったですが、魅力的でした。
また細川正義の平造り脇差も、刃中に傷が少しありましたが、良いものでした。このように200万円を超える脇差に”さすが”と思わせるものがありました。

霜剣堂は名品が多く壮観でした。重要美術品も5振以上あった気がします。中に重要文化財だったのではないかと記憶しているような刀も見かけました。重要の短刀を1振、拝見しました。その他、手には取って拝見はしてませんが、丹後守兼道の重要刀剣など、なるほど重要に選定されているだけに良い刀だと思いました。

平安城吉房の槍(2000年11月22日)

平安城長吉によくある草の倶利伽藍と全く同じ彫りがある槍を拝見しました。
刃は小沸できで、地沸が細かく付いて良い地金でした。銘は「平安城吉房」で、平安城長吉の弟子か一族なのでしょう。
穂の長さは1尺弱だったと思います。

これまで槍で良いと思ったものはほとんどありませんでしたが、これは良かったです。
槍はどうしても刃は直刃調になるし、地金は柾目肌、流れ肌風になるということで作風が共通してしまいます。また穂も短いものが多く、見所も少ないです。
また中心も長く、鑑賞もしにくいものです。出来の良いものも少ないようで、剣書も「槍は消耗品だったためか、名作は少ない」と書いてあるものも多く、私に限らず専門家でも名品を拝見する機会は少ないのでしょう。
家での保存も難しいという面もあります。

この平安城吉房は、特に有名工ではありませんし、錆が少し出ていましたが、値段は高かったです。でも値段に見合う名品でした。
彫りの名手は色々とおりますが、平安城長吉一派の彫りはすっきりしたデザインでいいですね。好きになりました。(『刀工辞典−古刀編』の「長吉」の項に、これと同じ彫りが出ています)

私は、平安城長吉も印象に残るものは、まだ拝見していませんが、この吉房を拝見すると私の知らない名品があるのだろうと改めて思いました。

なるほど師光(2000年8月14日)

刀屋さんで小振りの短刀を鑑せられました。刃紋は互の目が連れて小ずんだようなもので景光、小反り風、地金は備前の地景が入った良い金に刃紋に沿って棒映り。姿は景光などに比するとやや幅広く感じました。独鈷剣などの彫りがありました。

小反り一派にしては出来が良いので応永備前の景光写しかと思い、「康光ですか」と言う。康光の父の師光の至徳4年紀の重要刀剣とのことです。
姿に、なるほど南北朝の匂いを残し、刃紋と映りに小反りと応永備前を偲ばせる短刀で、なるほど師光だと納得しました。良い拵がついていました。(『鑑刀日々抄』続2掲載)

昔、別の刀屋さんでも師光の短刀と拝見しましたが、年紀は応永の一桁台と記憶していますが、それはもう少し身幅が広く、寸も延びた短刀でした。

安いけれど良い刀(6代忠吉)(2000年7月4日)

ある刀屋さんで一振りの脇差を見せられた。
「肥前刀と思うが、ひょっとしたら真改ですか」と答えたら、「肥前刀でいいんですよ」とのこと。
それは肥前国忠吉銘の6代忠吉でした。

匂い口が深くて明るい直刃で、匂い口が帯のようになっているところもあるので肥前刀と観えますが、地金は肥前の梨子地肌というより、強く粘りのある地金です。地景が入り、いかにも感度の良いものでした。
大阪新刀の地鉄より、粘り気があるように見えます。

新刀の脇差で、しかも中心先が、少しつまんでいる為に価格は驚くほど安いですが、いい脇差でした。
刀屋さんは「3代陸奥のようでしょう。」と述べられていました。

「肥前刀大鑑」やいくつかの本を見ても、6代忠吉に特に出来の良いものがあるとは書いていないが、大したものでした。
時代は天明とのことであり、薩摩の元平の良い出来の刀と共通するところがあると感じました。

相州伝、堀川国広(2000年6月19日)

2000年6月の東京支部は、相州伝の鑑賞会であった。
名品ばかりであるが、細川正宗の短刀は地金が面白く、それに刃が絡んで、いかにも相州伝という魅力を堪能させてくれる。また紀州徳川伝来という小太刀の正宗(光常の朱銘)の地金も無類の変化で面白い。生気溢れる地鉄は本当に飽きない。

古刀が素晴らしいのは当然だが、今回驚いたのは国広と直胤(重美)である。
直胤は、なるほど重要美術品に指定されているだけあって売り物に出てくる直胤とは三格程度違う見事な相州伝です。

特重の国広は、堀川物のザングリした地金などではない。冴えて変化もある見事な地金である。銘がなければ本場の相州貞宗あたりに極まるような寸延び脇差である。

畏友のH氏と帰りに久しぶり喫茶店で話込んだが、H氏が拝見した中では加藤国広が同様に群を抜いた出来の名品だそうである。
私がこれまで拝見した国広の中では、信国に入れた短刀が最高であったが、更に良いです。

古来から「最上作」と言われている刀工には凄いのがあるとH氏と嘆息。
皆様も古来からの位列を馬鹿にしてはいけません。「最上作」の中には、あなたが見たことがない大傑作があるんですよ。

備中草壁打の勝光・宗光(2000年5月6日)

4月の東京支部で拝見した重要美術品の備中草壁打の勝光・宗光は素晴らしい刀でした。
丁字主体に互の目が混じり、飛び焼きも入り、刃中には小足、葉、砂流しが入り、華やかな刃紋です。小沸出来で、私は特に匂い口が深いのが印象に残っています。
文明18年12月13日の年紀があります。備中草壁打の勝光・宗光には、日光東照宮に文明19年2月紀の脇差があり、これは重要文化財で、徳川家康所持とのことで、良い拵がついているそうです。
領主でパトロンだったと思われる赤松政則が自身で作刀するほどの好き者であった影響か、勝光・宗光には良いものが残っています。感心しました。
眼が効く刀屋さんに、この刀の話をしたら「私は末備前の中では、あの重美の備中草壁打が一番良いと思っています。」と述べられました。

東京支部2000年1月例会−素晴らしい則重−(2000年1月24日)

22日に東京支部の会と、尚友会がかちあい、最後までどちらに行くか迷ったが、正月だから名刀が出ると思い、結局は、東京支部にでかける。
鑑賞刀の無銘の則重の短刀は素晴らしい。広直刃調の丁字刃で沸出来、地金が無類に良く、この感度の良い鉄の中に地景が入り、それが刃中に入り、金筋となってからみ、見事である。
則重は「鉄こしらえの上手」と称されているが本当だと実感する。刀友のH氏と一緒に何度も拝見した。他にも則重が2振出品されるなど、名品ばかりであるが、この則重には感銘する。

鑑定刀のほうは、人がたくさん並んでいるので見ないで帰ろうと思ったが、途中から人も少なくなり、拝見した。
判者の檜山さんも含めて、昔、藤代先生のところで教わった時にご一緒した懐かしい人が多かったので、興をもよおし、本当に久しぶりに札を入れる。
刀屋のM氏からは少し長めに刀を拝見していたら「そんなに難しいもんなのかい」とからかわれるし、藤代先生には入札の為の筆記具をお借りするなどバタバタする。
助広、基光、左行秀が当たりで、後の三善長道、来国光は外れで60点である。来国光を宇多と入れたのは反省している。格を間違えてはいけない。
長道も、江戸新刀でも大坂新刀でも、肥前でも京でもないからと、新々刀に入れてしまう。
最近はまじめに刀鑑定の勉強していないから、こんなもんでしょう。
楽しい一日であった。

日本刀装具美術館での現代刀展(99年11月29日)
日本刀装具美術館で現代刀の展覧会を開催している。
大野義光氏などはいつもの一文字写しとは別に古備前写しのような作品を展示されている。廣木刀匠も直調に互の目が入った長光、二字国俊のような刃紋を焼いている。三宅氏の作品は余技かと思っていたが、映りがよく入った刀を出品されており、面白かった。

99年10月に見た刀、小道具−市毛徳鄰−(99年10月29日)
11月号の「刀和」にも掲載されている水戸の徳鄰は助広写しの若々しい刀である。地金もよく、新々刀の脇差にも関わらず重要刀剣になっているのが首肯できる名刀です。値段もいいけど。

面白い兼光(99年9月18日)
兼光を拝見する。
「刃は丁字が目について兼光に見えませんね」
「そうでしょう。でも姿と地金は南北朝時代の備前でしょう。長義でもないし。」
「そうですね。青江でもないし、あってもおかしくないでしょうね」
「薫山先生も典型的刃紋ではないが、あり得る出来でありと書かれてますよ」
『鑑刀日々抄 続二』に所載の大磨上げ無銘の兼光である。京極高和所持で、 光温の寛永17年の折紙つきだそうである。
手持ちの重い刀である。(兼光は豪刀の磨り上げのためか、重たい刀が多いような気がする。どなたの鑑定の本かは忘れたが、やはり兼光は「南北朝時代であるが重ねが厚い」という見所を読んだことがある。)
乱れ映り、地景はそれほど目立たないが、健全な刀である。

99年8月に見た刀、刀装具−繁慶、住人忠吉−(99年8月25日)
 繁慶の平造りの脇差を拝見。大板目肌の肌そのものが地景になっているような地金に、沸出来で直調の互の目の刃紋である。刃中にも肌模様が入り、そこに沸がからむ。帽子も肌にからんだ沸が火焔風になっている。そういう地金であり、大肌も目につくが、疲れて荒れて肌立っているのではないので、魅力がある。”ひじき肌”という言葉があるが、ひじきのような感じでもない。龍の彫りがある。ロ又銘である。
自分は備前伝の良いものにみる細かい銀髪のような地景を好むが、新刀最上作だけのことはある。

住人忠吉の脇差を拝見する。刃紋は直刃調であるが、差裏の刃紋には二代以下に見る肥前独特の帯状の匂口も見受けられた。初代から、この特徴があると理解してよいのか、それとも住人銘の二代代作なのか?地金は細かい地景が入り、二代以下の肥前肌とは違う感を持つ。

99年7月に見た刀−日本一の細川正義ー(99年7月26日)
 細川正義の長大な刀を拝見した。水心子正秀や直胤が多くあるので細川正義も多いように感じるが、実際は数が少ない刀工であり、私は2振目である。
小沸出来の細川丁字の刃紋に力があり、地金もしっかりと詰まり、力強い、いい刀である。重要刀剣になっており、刀屋さんは日本一の正義だと言っていたが、そう言ってもおかしくない。価格も日本一かもしれない。

 近江大掾忠広の長刀を見る。詰んだ地金に地景も見え、欠点のない地金である。刃紋は直調におだやかにのたれて、小沸出来で足も入り、いい刀である。長刀のせいで価格は安いが名刀である。

99年6月に見た刀・刀装具−初代忠吉ー(99年7月3日)
初代忠吉の住人銘の片切刃の脇差。細直刃であるが、地景が入りいい地金である。
忠吉作という珍しい銘の刀も見る。一見すると親国貞のような刃紋である。

美濃伝(99年6月21日)
先日、東京支部の会で、美濃伝の刀を何振か拝見した。美濃伝は他の五か伝に比較すると美術的には劣るが、考えて見ると時代が違うのである。戦国時代を含む室町末期に流行したわけであり、備前伝でも末備前などと比較するのが筋であろう。

之定の両刃造りの短刀
姿がいい。これまで私が見た範囲の末備前の同種のものより姿が鋭いし、美しい。
兼則の刀
地鉄がいい。感度の良さそうな素晴らしい地鉄である。
兼常の刀
他の関の刀とは違う匂い口で、しっとりしている感がある。
孫六兼常の刀
三振出品される。三本杉ではなく五本杉、四本杉を見る。地鉄ががさつくものもある。
蜂谷兼貞の短刀
重ね厚く、細直刃で品の良いもの。地鉄も関系とは違う感じ。京の達磨系とのこと。

現代刀ー広木刀匠−(99年5月24日)
先週の土曜日に尚友会があり、久しぶりに出かける。

広木刀匠が来られていて、新作の短刀を見せていただいた。鍛冶研ぎの段階であるが、直ぐ調の湾れ刃、小沸出来で、乱れ映りが出て、肌は縮緬風に地景が働く面白い短刀である。広木刀匠は粟田口を狙いとされているようだ。これまでの作風とは違う意欲作であり、今後を期待したい。

現代刀二振−大野義光、高橋貞次−(99年5月8日)
大野義光氏の高松宮賞受賞作が300万円で売りに出ており、拝見した。
山鳥毛写の太刀である。見事な重花丁字の刃紋である。あえて難を言えば部分的にきぶい刃があってギラついて見えることであるが大したものである。大野氏は現代刀では一番の人気作家とのことであるが理解できる。
本歌の山鳥毛は手にとって拝見したことがないのでわからないが、この刃紋に加えて映りが立ち、さぞや見事なものであろう。

同時に竜泉高橋貞次氏の覗き竜景光写の太刀が600万円で出されていた。
これも本歌は拝見したことがないが、高橋氏の太刀は景光には見えない刃紋である。彫りが評価されての価格なのであろう。

銘を改竄された清麿か?(98年11月7日)
10月は、刀剣美術保存協会の全国大会などがあったが、いろいろとあわただしく参加は見合わせている。参加した人からいくつかの意見を聞いているが、自分自身が見聞していないことであり、差し控える。
ある刀屋さんで、文亀元年紀の長船祐定(彦兵衛)の長刀を拝見する。小錆が出ているが、地金に破綻のない健全な長刀であった。刃は沸づいており、典型的な末備前の刃紋である。拵もうぶい良いものがついている。
この後に、一振りの短刀を鑑定させられる。姿は身幅は尋常だが、ふくらが枯れて、やや反りがあり、鋭い姿である。地金は非常に綺麗に詰んでいる。刃紋は大互の目で沸出来で、谷の方が特に明るく冴えている。
地金から新々刀、姿と刃紋から清麿一派と見て、刃中がおとなしい点から栗原信秀と述べる。(砂流し、金筋などはない)
刀屋さんいわく「清麿です。ただし銘は末関の兼法となっています。」とのことであった。中心を開けると確かに兼法で檜垣ヤスリが切ってあるが、中心の形状に不自然な段差がある。また棟まちの所の棟にも削った後がある。棟側から見ると中心の表側を削ってあり、薄くなっていることがわかる。また銘の上部にはタガネを潰した後がある。
「拵も良いものが付いているんですよ」と見せられた拵は、幕末のもので後藤と見られる桐紋金具(縁頭は鉄地で、これは後藤ではない)が付いて白い革巻き柄の良いものであった。
「買うときは、拵も良く、良い兼法ですね、と言って買ったのだが、余りに地金が綺麗で、末関には見えない。また良く見ると姿、刃紋は清麿である。中心をよく見ると工作してある。アレと思って清麿大鑑を調べるとこの通りですよ。」とおっしゃって、清麿大鑑の晩年作の原寸押形が掲載されているページを開き、私の目の前で刀身を比較される。思わず拍手してしまう程、ピッタリの姿であり、刃紋である。焼き出しの刃紋も同じである。また中心を比較すると改竄の様子も良くわかる。
私が見たことのある清麿は地金がこれほど詰まずに、刃中にもう少し働きあるものであったが、刀屋さんの話によると、清麿は晩年になると、この短刀のように非常に詰んだ地金になるとのことである。清麿の姿は鋭いが、同時に何とも言えない優美さを感じる。
近藤勇が池田屋事件で使った刀が清麿の偽作であったという話は有名であるが、幕末には清麿より末関の兼法の方が高く売れたのであろうか。
「清麿には蘇生清麿とか金棺清麿など、改竄されていたものや、銘がつぶれていたものを直した有名なものがあるから、この兼法清麿も世に出しましょう。そして高く売ったらどうですか。清麿会にも持って行かれたら、皆さんが喜ばれますよ」と冷やかしてきたが、本当に珍しいものを拝見した。

98年9月に見た刀−月山貞一などー(98年10月5日)
月山貞一の小振りな短刀、嫁入り刀。彫りがあり、匂口がやや沈み心だが健全で可愛い刀。ただし値段も高いが、現代刀の有名作家の短刀でも、この値段に近くなるから、お値打ちかもしれない。
現代刀吉原荘二作丁字刃にきぶい刃が交じるのが難点。現代刀月山貞利、綾杉肌の寸延び短刀。姿と彫りも良いが、刃中がむらなく全体にもう少し沸づいている方が良い。両刀ともにそれなりにまとまっているが、感動するところまで行って欲しい。
二代越後守包貞、津田近江守助直の脇差、いずれも明るい刃はさすが。ただ刃文がうるさい感じ。包貞の焼き出しは目立たない。
伯耆守正幸の脇差。鑑定すれば、すぐに当たる刀である。これは正幸の水準を超える刀ではないが、一般的に個性が明快が刀の方が概して名刀が多い。

偽物ー継ぎ中心ー(98年9月2日)
先日、ある刀屋さんに行ったら「五字忠吉を買い取って欲しいと言われたので拝見したが、銘は住人銘で良いと思うが、出来が甘く、しかも中心を少し送ってあり、あやしいのでお断りをしました」と切り出され、以下、昔小田原にいた人が継ぎ中心の工作を盛んにやっていた話をされる。
村正などは、末関の健全な短刀を利用して、正しい銘の中心を溶接したら、ほとんどわからず、特別保存の証書もついているものもあるそうである。 「私は、その人が延べ500振りぐらい、そのような悪い工作をしたのを知っているので、銘と上の出来を自分の目で確認しますが、怖いですよ。」と締め括られた。
刀工には「最上作」「中上作」などの位列がついている。若いときは位列の上下に関係なく優れた刀があると思っていたが、最近では先人の位列は良くできているとつくづく思う。長い年月にわたって、様々な人が命の次ぎに大切と称されるお金を使い、何度も何度も取り出して観て、比較検討してきたのが位列である。「位列の割に大したことがない」と思う刀工に出会ったら、その刀がおかしいと思う方が良い間違いがない。

刀剣鑑賞の醍醐味(98年9月1日)
私はプロではないので、たいして名刀を見ていないが、位列の話をしたついでに、自分が実見した範囲で感動した話をしたい。ここには例として挙げていないが、古備前にも自ずと頭が下がるような名刀がある。
○相州伝の沸の輝き
沸出来の刀で感動したのは「相州伝名作集」にも掲載されている来国次の短刀である。沸が一粒ずつ独立して、それぞれが光りを放っているような印象を与える刀であった。来の刀は他にも見ているが、あの沸は他の刀では見たことがない。来国次には鳥養国次という名物があり、識者の中にはそれを非常に高く評価される人がいるが、理解できる気がする。(鳥養国次は未見)
○相州伝の沸の柔らかさ
刀友の持っている貞宗(重要刀剣、本阿弥光忠朱銘)の短刀の切先にかけての沸は、柔らかく、非常に細かく、ふわりとした印象さえもたらすような風情があるものである。相州伝というと沸出来の華やかなものを思い浮かべる人も多いが、良いものは穏やかなものに多いように思える。
○備前伝の地金
無銘の兼光であるが、地金が無類に良く、乱れ映りが立ち、地景がバリバリ入っている刀がある。地景が地刃に添って見えるのはよく経験するが、本当に良い刀は地景が刀身を貫いて縦・横・斜めに入っている感じがするものである。また鉄の中に銀の線が縦横に入っているように見える。古書の中には、この地景の様を銀髪線と称している。
○虎徹の冴え
虎徹は、出来の良いのから悪いのまで幅が広いが、私が好きなのは、匂口が豊富でありながら締まって、しかも非常に明るい刃のものである。末関をはじめ末古刀には匂口が締まって、それなりに気持ちの良いものもあるが、匂口は豊富ではなくむしろ寂しい感じである。このような様を見て、先人は「匂口が冴える」という言葉を使うが、文字通り「冴えている」のである。私は「にすい」の漢字が好きであるが、このような虎徹の刃は匂が「凝」まって「凛」とした印象を与えるものである。だから他の新刀を「凌」いで「凄」いということになり、新刀最上作なのである。ただしこのような虎徹は少ない。

98年7月に観た刀−大慶の義胤彫、三代陸奥の志津写し−(98年8月5日)
大丸で観た大慶直胤の重要刀剣は応永備前写しで、匂口が柔らかく(本歌の方が締まりがある)、また明るく、良い刀である。義胤彫も見事である。義胤彫はあるようでなく、私も今回で2振目である。村山市の文化財にもなっているそうである。
志津写しの三代陸奥を観る。やや磨上げている。肥前刀の志津写しは初代に多く見るが、三代では始めてである。三代陸奥らしい刃文の方が良い。
特別重要刀剣の来国行(無銘)を拝見する。鳥居反りが高く、広直刃調に働きのある丁字刃が交じり、名刀である。映りは目立たず、刃も小沸調で健全である。帽子はやや伸びて少しだらしがないような感もあったが、いい刀である。
元平の若打ちの刀を観るが、元平の若打ちにはもっとすごいものがある。津田助広の重要刀剣で井上真改のように沸の強い刀があり、沸が地中にこぼれて銀砂のように綺麗な刀があったが、元平の若打ちでも同様な地鉄のものを観たことがある。ただし帽子の出来、刃中にむらがある点などは助広。真改の方が優れている。

98年6月に観た刀−備前の尖り刃−(98年6月27日)
A刀剣店で尖り刃主体の刀を見せられる。一見して関物にみる。刀屋さんも「自分も時代の上がる美濃物とみたいが」と言いながら藤代松雄先生の鑑定書を見せてくれる。備前長船秀光に極められていた。表の映り気は関の白け映りに見えるが、たしかに裏の映りは乱れ映りである。そういえば藤代先生の鑑定会で備前長船基光在銘でこのような尖り刃主体の刀を見せていただいたことを思い出す。粗見であった。
B刀剣店で兼常をみる。刃文は末関らしい互の目だが、地鉄は良く末関には見えない。白け映りというより棒映りが出ている。新古境で慶長新刀に近いもののようである。相模守政常の初期銘ではないかと想像する。
C刀剣店で鑑定させられる。肌が流れているのが目につくことと全体の格から延寿と答える。来国俊の在銘の重要刀剣なり。


トップページに戻る