刀装具の観賞(『刀和』2006年9月号) |
刀和の写真ー拡大-(近いうちに、カラーに差し替えます)
この図柄は、近年では『三国志』の劉備(横向きの人物)と張飛(正面の人物)とされているが、戦前の本には『漢楚 (かんそ)軍談』の張良と樊噲(はんかい)と記されている。正対している人物を眼と髭の形状と矛から武勇を誇る張飛、横向きの人物を耳の大きさから劉備と擬すことも可能である。ここに関羽が描かれているか、留守模様として関羽の青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)があれば桃園の誓いの場面となる。しかし劉備に擬すと顔が怜悧過ぎて、読んでいる書の意味がわからない。一方、軍師張良と考えると人相にふさわしくなり、書は黄石公から渡された兵書となる。以上を勘案して張良・樊噲の図と考えたい。共に協力して漢祖劉邦の危機を救った鴻門の会における相談の場面だろうか。
初代矩随の鏨は、知略に富んだ張良と、武勇に優れた猛将樊噲の特徴を容貌を通して的確に彫っている。同時に二人が、お互いの軍略と武勇を信頼しあっている様子まで彫り上げている。
技術的な面では手(指も含めて)の彫りに注目したい。手は絵でも難しいもので、モナリザや写楽でも論議の的になっている。樊噲の矛を持つ手、指さす手、張良の兵書を持つ手、自然である。
私は浜野派の中では矩随の彫りが好きだ。穏やかな品の良さを感じる。この作品も薄肉彫(文様の周囲の平地を少し鋤下げ、そこに立体的の文様を彫り上げる)の名手との評価を是認できるもので、彫りに施された象嵌・色絵も丁寧である。
この小柄の見所の一つは縦図の構図にある。下部に人物の上体だけを斜め上からの視点で彫っているので、上部の空間が広く高い。樊?の矛が指す上空が印象的だ。ただし矩随が名工と呼ばれながら名人とまで評価されないのは、この広い空間を生かしきれていない点にあると思う。背景に松を彫るのは町彫金工の定法でもあり、それに従っただけと思うが、今ひとつ工夫が足りない。
しかし、この構図と彫りは実用面では安心感がある。保持すると下部の緻密な彫は当たることなく手の内に柔らかく収まり、上中部には邪魔になるものはない。現代の美術的評価とは別の、実用の道具としての配慮も矩随は評価して欲しいと思うに違いない。
【訂正】この画題について「三国志 劉備・張飛」に変更した方がいいと考えます。2017/9/28に「図は「張良と樊噲」か、それとも「三国志」か」を御覧ください。