図は「張良・樊噲」か、それとも「三国志」か

 ー所蔵の矩随作品の画題ー

伊藤 三平

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はじめに

所蔵の浜野矩随の作品を、このHPで「刀装具の楽しみ記」として再観していく中で、自分が考えた画題「漢楚軍談 張良と樊噲(はんかい)」に対して疑問を感じるようになった。(「刀装具の楽しみ記」の矩随の2017年8月16日参照)
それ以降、検証してきた過程をまとめたものである。
まだ確信は持てないのだが、現時点では「三国志」の劉備と張飛と訂正した方が良いと考えている。場面についても仮説を提示している。

1.画題設定の経緯
   
1.保存の証書…平成元年(1989)発行
「三国志図」

2.「刀和」の「刀装具の鑑賞」…平成18年(2006)9月号
この中で私は「近年では『三国志』の劉備(横向きの人物)と張飛(正面の人物)とされているが、戦前の本には『漢楚 (かんそ)軍談』の張良と樊噲(はんかい)と記されている。正対している人物を眼と髭の形状と矛から武勇を誇る張飛、横向きの人物を耳の大きさから劉備と擬すことも可能である。ここに関羽が描かれているか、留守模様として関羽の青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)があれば桃園の誓いの場面となる。しかし劉備に擬すと顔が怜悧過ぎて、読んでいる書の意味がわからない。一方、軍師張良と考えると人相にふさわしくなり、書は黄石公から渡された兵書となる。以上を勘案して張良・樊噲の図と考えたい。共に協力して漢祖劉邦の危機を救った鴻門の会における相談の場面だろうか。」と記した。

→(注)ここに記した”戦前の本”だが、恥ずかしいことに書名を思い出せない。また心当たりのある本を探しているが現時点では見つからない。

 
3.『刀装具鑑賞画題事典』(福士繁雄著)…平成24年(2012)発刊
76ページに浜野兼随の縁頭を図示して「張良・樊噲」として画題を説明している。説明文では、「鴻門の会」の故事を紹介しているが、画中の人物を、どのような根拠で定めたかは記されていない。

福士繁雄氏は現在の刀装具研究の第一人者であり、この図を「張良・樊噲」とすることにお墨付きを得たことになる。

2.「張良・樊噲」という画題の疑問点

(1)画題の場面状況からの疑問

この画題について、私は”鴻門の会”で、項羽の陣所に出向いた劉邦を救う為に、軍師張良と樊噲が文書を前に救いの手立てを相談しているところと考えたのだが、物語では、項羽の陣所における酒宴に劉邦と一緒に張良も参加していて、そこで危急を察知した張良が抜け出して、樊噲に伝え、すぐに樊噲が酒宴に飛び込んで劉邦を救い出したとある。

危急の時で、手紙・文書で相談という暇は無かったわけだ。これが2017/8/16に感じた疑問である。

では別の時かと考えたが、当方には漢楚軍談、三国志に知識が無く、思い当たらない。

(2)「宗珉下絵帳」の下絵群からの疑問

以下の図は『宗珉作品控帳』から採録した図である。知人がコピーを所持しており、それを借用してコピーしたものである。表紙裏には野田喜代重(江戸の刀屋の老舗網屋を継いだ人物で刀装具に詳しい)所持の印が押されているが、各下絵の説明は無い。本当の宗珉下絵帳なのか、宗珉作品の写しを集めたものなのかもわからないが、宗珉の作品集であると思う。なお、この冊子は人物中心で、動物などは別冊にあるというが、私は確認していない。
下絵の中には書き込みが記されているのもあるが、いつの時代のどなたが書いたのかはわからない。

     
 A(左をA-1、右をA-2とする)  B  C

この中で、A-1とCは、A-1には矛は無いが同じ画題、同じ人物である。そして私の所蔵品の矩随の小柄の絵と同じ画題と思う。

A-1とA-2は場面は同じかもしれないが、人物は明らかに別人である。それを一緒にAとして掲げたのは、下絵帳に隣合わせで掲載されていることを示す為である。
すなわちA-2が三国志からの図であれば、A-1も三国志からの図と言えるのではと考えた為である。これが第2の疑問である。

A-2の左側の人物はBと同じである。Bの下絵の横には「関羽」の字が記されている。そして、A-2の下絵は三国志における「孔明・関羽」の図とされ、上記の下絵と同図と思われる宗珉作の高彫色絵の小柄は現存していて、重要美術品になっている。
 
4.横谷宗珉「孔明・関羽」図…『刀装具鑑賞画題事典』(福士繁雄著)・重要美術品より。
同書には「孔明・関羽」の図として、故事の説明に続いて、次のような説明がある。「これまでこの構図はほとんどの既刊書に「関羽・張飛」とされている。しかし、写真でも明らかなように実際は「孔明・関羽」で、巻物を前に軍略を計っているところであろう。張飛の場合は目玉がギョロリとして虎髭を生やし、いかにも精悍な面構えでなければならない。孔明の場合は頭に綸巾をいただき、身に鶴氅(かくしょう)をまとっている。」
なお、故事の説明の中に、関羽について「天下の偉丈夫として偃月刀をひっさげ、長髭をなびかせ数々の武勲を立て」と風貌に触れている。
(注)福士氏が書かれているように、この小柄は『刀装小道具講座 江戸金工<上>』(若山泡沫著)においては、「関羽・張飛」図として所載されている。
(注)綸巾(かんきん、りんきん)は、 頭に被るもので、正面から見ると縦の筋が幾本かある。この小柄の右の人物はそれらしい頭巾を被っているから孔明と推定できる。

(注)鶴氅(かくしょう)とは、『大字林』では「被布(ひふ)のような仕立てで、白地に黒く縁を取った服。昔、隠者などが着た」とある。小柄における孔明と思われる人物の衣服は金色絵で白地ではない。また生地に黒い縁取りもこの写真では確認できない。

(注)左の人物は、偃月刀を背景に、立派な長い髭を持つから関羽で異論は無い。


3.物語における人物の特徴

西洋の昔の絵では、人物の持ち物や周りに配置したもので、絵の主人公を暗示していた。日本でも下手な絵師を「竹があるから虎だろう」「牡丹と一緒だから猫だろう」と揶揄した話も残っている。
昔の中国の人物を想像で描くわけであり、風貌は絵師の解釈が交じるが、持ち物は人物を特定する為に欠かせない。三国志、漢楚軍談の物語から、それぞれの人物の特徴を抜き出すと次のようになる。ただし漢楚軍談の方は、容貌を詳しく調べられなかった。


三国志

張飛 身長八尺(約184cm) 豹頭環眼 燕頷虎鬚 聲若巨雷 勢如奔馬という男。(豹のようなゴツゴツした頭にグリグリの目玉、エラが張った顎には虎髭、声は雷のようで、勢いは暴れ馬のような男)
 『演義』初登場の場面で「豹頭環眼、燕頷虎鬚(豹のような狭い額、どんぐり眼、燕のような角張ったあご、虎のように突っ張ったひげ)」と記されている。
【武器】一丈八尺(約4.4m)の点鋼矛(てんこうぼう、(蛇矛)一丈八尺の鋼矛「蛇矛(だぼう)」
関羽 身長九尺(約208cm) 髭長二尺(約46cm) 面如重棗 唇若塗脂 丹鳳眼 臥蠶眉 相貌堂堂 威風凛凛という赤ら顔と見事な髯を持つ偉丈夫。
「美髯公」と称される長いひげと「重棗(熟したナツメ)」と形容される赤い顔。
赭ら顔に、膝に達する美髭(美髯)を蓄える。美男、長髭、大仰な青竜刀が関羽の決め手。
【武器】八十二斤(48kg)の冷艶鋸(れいえんきょ、(青龍偃月刀)
劉備 耳が大きい、上述の通り、貴人のシンボルである垂肩耳として誇張される。
【武器】雌雄一対(しゆういっつい)の剣
孔明 「羽扇」を持ち「綸巾」をかぶり「鶴氅」をまとう道士的な姿。

漢楚軍談  
張良 容姿は「婦人好女の如し」と書かれている。
軍師で黄石公から、太公望の兵法書
を授かる。
蕭何 兵站の責任者、優れた内政家
劉邦 鼻が高く、立派な髭をしており、いわゆる龍顔、顔が長くて鼻が突き出ている顔をしていた。
樊噲 剛勇の人。
韓信 背が高く、長い剣を持つ。剛胆だが、忍耐もでき、将に将たる将才がある。

4.画題は?

それでは矩随の小柄の画題は何だろう。下の縁頭を御覧いただきたい。

   
5.直随「草廬三顧(そうろさんこ)」図…『刀装具鑑賞画題事典』(福士繁雄著) より。
これは劉備が進物を用意して、関羽と張飛を伴って孔明のところへ出かけて、自分の軍師になってもらうように依頼した場面である。三度めに面会できたことから「三顧の礼」の語源になっている。写真が不鮮明で、彫りも小さく細かいのでわかりにくいが、人物は以下の通りである。
縁は孔明で、綸巾をかぶり、後ろに羽扇、文書を広げる。
頭には、三人。左側が劉備か、一番上の赤ら顔が関羽、その関羽の顎の下、劉備の斜め下のわかりにくい横顔が張飛であろうか。

劉備は三度、訪れるが、二度目に孔明宛ての書状を認めたと伝わる。この書状が、それぞれの絵における文書になっているのではなかろう?
  この2本の小柄で、宗珉は 草廬三顧の場面の4人を表現したとも考えられる。

すなわち左は草廬三顧において、劉備が孔明宛てに書いた書状を確認する劉備と張飛の図。
(私の所蔵している矩随の作品は、この図である)

右は草廬三顧において、孔明が書状を読み、それを関羽が見ている図。


ただし、草廬三顧は、草廬と称される孔明の屋敷に出向く場面が本来の絵であり、これら2本の小柄の絵で良いのかは確信はできない。各2人ずつが、書状を前にする別の場面があるのかもしれない。

おわりに

ここまで考えたが、正しいかはわからない。外にもふさわしい場面があるのかもしれない。調査も十分ではないし、私自身が『三国志』や『漢楚軍談』を読んでいるわけではない。
福士氏は『刀装具鑑賞画題事典』の中で「漢楚軍談 張良と樊噲」とされているわけであり、別の根拠があることも考えられる。私が昔、拝読して書名を忘れた本にも、同様に「漢楚軍談 張良と樊噲」の画題が付いていたと記憶している。

所蔵の矩随作品において、矛(これが蛇矛か)を持ってグリグリ目玉で髭の人物は張飛の風貌の通りだと思うが、文書に目を通している人物は劉備に擬するには耳が大きいことはいいのだが、風貌が知的に過ぎる感じは今でもしている。

最後に、ここで取り上げた同図の3作品を改めて比較して掲載して金工作者の個性・技量を見てみたい。
兼随は劉備と張飛が同じような鼻をしており、目も共に釣り上がっていて、人物に応じて彫り分けているとは考えにくい。また書状を持つ親指は2人ともに不自然である。手指の描写・彫りは難しいのである。
宗珉は下絵だが、劉備の顔は立派である。この顔に比較すると矩随は若き日の劉備と解釈して彫ったのであろうか。
     
 矩随  兼随  宗珉下絵


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