はじめに
「ざんぐり」とは刀剣の鑑定・鑑賞用語で、堀川国広一派の地鉄を説明する時に使われる言葉である。刀剣の鑑定・鑑賞用語は、刀を観た時に識別しやすいように、視覚に直結する言葉が大半なのだが、一部の用語は刀剣関係者・刀剣愛好家の中でも、使う人によってイメージする内容が異なる言葉もある。「ざんぐり」も、そうした言葉の一つである。
美術品の状態、出来映えを言葉で表現しようとするのは難しいと言ってしまえば、それまでであるが、今は堀川物の地肌というと何でも「ざんぐり」と表現されることが多く、それでは実際に御刀の状態を観ていないで、固定観念で言っているだけではないかと疑問を持った。
「ざんぐり」は誌(紙)上鑑定の際に、堀川物に答を誘導する言葉として使われることによって、現在のような使用状態になっているのではなかろうか。
刀剣の鑑定・鑑賞用語の示す概念を明確にして統一することは、刀剣の調書のレベルのバラツキをなくして、信頼性を高めるためにも不可欠である。近年は刀剣の刃紋、地鉄の写真もよくなっている。拙論は一つの問題提起に過ぎないが、識者の間で写真の活用も考えて統一して欲しいと念じている。
1.具体的に「ざんぐり」とは
(1)「ざんぐり」の語源ー江戸時代、戦前の使用例
『日本刀大百科事典』(福永酔剣著)は<ざんぐり>の説明として、次のように書いている。(注:以下のアンダーラインは筆者が引く)
「刀の地肌。地鉄が細かく詰まらず、地肌がよく現れ、荒れ気味に見えることの形容。元来、左官屋が砂壁を塗り、梨地に見える場合をいう言葉。(刀剣刀装鑑定辞典 清水孝教 昭和12年、刀剣問答録 服部政久 天保)
ここに元の出典と記されている天保時代に発刊された『刀剣問答録』の内容は調べていないが、『刀剣刀装鑑定辞典』(清水孝教 昭和11年(注:原著は昭和12年でなく、昭和11年))には、204頁に<ざんぐり>の項があり、次のように記されている。
「今日の刀剣書に、往々「地鉄ザングリとして」云々という言葉を記し、鑑定家も亦これを口にするが、これは左官屋の言葉であって、壁の砂塗が梨地になるのを云ふのである、従ってザングリとは梨地様になるのを示すのである。」
これらの本の解説から、江戸時代にも、また戦前の刀剣ブームの時には「ざんぐり」は使われていたことがわかる。
『刀剣刀装鑑定辞典』の著者:清水氏による「ざんぐり」の解説を読むと、この言葉の使用に批判的な様子を感じるのは私だけであろうか。いずれにしても本来の「ざんぐり」が梨地の様子を示すのであれば、肥前刀の梨地肌(梨の実を切った時に、身に細かい粒がみずみずしく見えるような肌)の説明にふさわしい言葉となってしまう。
(2)「ざんぐり」の別の語源説ー京ことば、茶道具鑑賞語
拙論をホームページで公開後、近藤邦治氏(日本美術刀剣保存協会岐阜支部長)から、「自分も「ざんぐり」という言葉に問題意識を持っていた」として、『刀銘集覧』(辻本真幸著…日本美術刀剣京都府支部副支部長))を教えていただいた。『刀銘集覧』(辻本真幸著)は押形集であるが、国広の幡枝八幡宮に慶長四年に奉納したとされる太刀の説明文の中で「堀川地鉄に対して”ざんぐり”とした地鉄と表現するが、これは京ことばで”柔らかくフックラした”質感のことで、板目が練れて肌立ち気味の物を指す。しかし堀川物の総べてが”ざんぐり”しているわけではなく、よく詰んで冴えた地金もある。今では死語に等しくあまり使われない」と記されている。
そこで『京ことば辞典』(井之口有一 堀井令以知 編 東京堂出版)を調べると、「ざんぐり」に次のような意味が挙げられているのを知った。
<ざんぐり>…4つほどの意味があるようだが、読んでわかるように「ざんぐり」の評は悪いものではなく、基調は「風雅な自然な味わい」という意味のようだ。これが後述する茶道具鑑賞用語に転用されたと考える。
国語辞典の中では『新明解国語辞典 第7版』(三省堂)に次のような語釈がある。
<ざんぐり>
大まかであるために、かえって趣が感じられる様子。茶道具を鑑賞して評する時などに言う。
ここに、「茶道具を鑑賞して評する時などに言う」とあるので、『角川茶道大辞典』(角川書店)を調べると、次のように書かれている。
<ざんぐり>
茶道具鑑賞上の用語。大まかで茶味のあることをいう。「土草色細やかに、ざんぐりと本糸切ほそく」(茶盛茶碗目利書)
(3)戦後の刀剣界における「ざんぐり」についての具体的説明
戦後に「ざんぐり」を多く使いはじめた佐藤寒山氏は、『刀剣』(至文堂「日本の美術」シリース 佐藤寒山編
昭和41年)の中で取り上げた堀川国広の「山姥切」の刀の解説で「ざんぐり」を次のように説明している。
「鍛えは板目に杢まじり、総体に流れごごろ(板目の肌模様が柾がかった感じ)となって肌立ち(肌がはっきりと現れている有様)、ザングリ(サラサラとしてねばり気の少ない鉄の様子)として地沸よくつき地景入り、飛焼・棟焼などがしきりにかかっている」
畏友のH氏は、本阿弥光博氏について学ばれた方だが「ざんぐり」の状態を次のように説明される。
「言葉で説明するのは大変難しいですが本阿弥では板目肌の肌目が立つ状態をいい、かんなで板を削った時、逆目が立つような状態にあるものをいった言葉と理解しています。程度にもよりますがザラ付いた感じ。」
なお、H氏は以前に美術刀剣保存協会で学芸員を務めた方(列品解説の中の言葉であり、真意が伝わらないとご迷惑になるので匿名とする)が次のように解説されたのを覚えている。
「肌目を針でつついたような状態」
「ざんぐり」と言う表現を「ざっくり」と誤解する人もいたようで、『日本刀の歴史と鑑賞』(小笠原信夫著 平成元年 1989)における「国広とその周辺」という章で、小笠原信夫氏は次のように述べている。
「その作風をみると、鍛(きたえ)は「ザングリ」したと表現されているが、決してザクザクと軟らかい地鉄ではなく、細かく肌立って沸のよくついた強い鍛であって」
私が教えてもらい、認識している「ざんぐり」とは、地鉄において、肌がよく見えて(肌には板目肌、杢目肌、柾目肌の模様があるが、この模様がわかりやすい状態。これを鑑定・鑑賞用語で「肌立つ」と言う)、その肌目に白っぽい鍛接面が見える状態(言い換えれば鍛接が密でなく、少し荒れているように見える肌)である。
刀剣商の銀座長州屋は自社のホームページに「銀座長州屋 刀剣用語集」をアップしている。そのNo262とNo263に、「ざんぐり」の意味が次のように掲載されている。
「ざんぐり」(No262)
国広を代表とする堀川一派の地鉄の状態を形容する言葉。よく鍛えられた緊密な地鉄ながら、板目肌がやや肌立ち、鍛え肌が目立つ状態をこのような言葉で表現する。
(4)「ざんぐり」の具体的状態のまとめ
この他にも、識者によって別の「ざんぐり」の定義があるかもしれないが、以上をまとめると次の通りである。
これらの定義の中では、今の刀剣界で「1.左官屋用語と同じく梨地のように見える肌」をイメージする人はいないと思うが、壁土は丁寧に塗っても乾けば細かいボツボツがでる状態は「2.地肌がよく現れ、荒れ気味」、「4.カンナの逆目が立つような肌」、「5.肌目を針で突いたような状態」、「6.細かく肌立って」と結びつかないことはない。
全般に「肌目が目立つ(肌立つ)」ことに言及している定義が多い。「2.地肌がよく現れ、荒れ気味に見える」、「4.肌目がたつ状態をいい、かんなで板を削った時、逆目が立つような状態」、「5.肌目を針でつついたような状態」、「6.細かく肌立って」、「7.肌がよく見えて(肌立つ)、その肌目に白っぽい鍛接面が見える状態」、「8.”柔らかくふっくらした”質感を感じるような板目肌が練れて肌立ち気味の状態」、「11.よく鍛えられた緊密な地鉄ながら、板目肌がやや肌立ち、鍛え肌が目立つ状態」、「12.良く鍛えられた肌目(板目、杢目、柾目の肌が交じり、縮緬(ちりめん)状となる)に、肌目に沿って地景が盛んに入るために肌が起こって見える状態」などである。
その肌目のとらえ方が「2.荒れ気味」、「4.カンナの逆目が立つような肌」、「5.肌目を針で突いたような状態」、「6.細かく肌立って沸のよくついた」、「7.白っぽい鍛接面が見える」、「8.柔らかく、ふっくらした質感を持つ」、「12.各種肌が交じり、縮緬状になった中に地景が肌目に沿って入る」となっている。
そうなると「3.サラサラとして粘り気の少ない鉄の様子」を、どう考えるのかが問題となる。「6.細かく肌立って」と言うことが似ているとも考えられる。「8.京ことば「柔らかく、ふっくらした」」とか、「12.縮緬状」が同じ状態を言うのかとも考えたが、やはり違うと思う。
京言葉の本来の意味である「8.柔らかくふっくらした」「9.自然な感じで風味のある感じ」を、堀川物の地肌に結びつけるのは無理がある。
しかし、茶道具の鑑賞などに使う意味の「10.大まかであるために、かえって趣きが感じられる様」を意味する「ざんぐり」は、実際に堀川国広の御刀を拝見すると、ある意味で的確な評で「なるほど」と感じられる。ただし、その印象は地鉄に限定したものではなくて、刃文全体の調子も含めた印象である。新刀の祖、堀川一門の総帥、新刀最上作としての風格である。
2.「ざんぐり」が堀川肌の代名詞になった経緯
戦前から「ざんぐり」という言葉は使われていたようだが、現在のように堀川物の地鉄と言うと何でも「ざんぐり」と言う風潮は、近年になってからと思われる。
(1)戦前の堀川物の地肌の表現−「ざんぐり」は使っていない−
戦前における堀川国広研究の金字塔として、『堀川国広考』(中央刀剣会 昭和2年)が発刊されている。これは、昭和元年に中央刀剣会本部が主催した国広会に出品された国広を研究し、代表作をまとめたものである。小倉惣右衛門氏(刀剣商網屋の当主)が国広の履歴や作風の説明をしている。
この中の地肌の説明に「ざんぐり」という言葉はないし、代表作の一振りごとの解説にも「ざんぐり」という言葉は一切使われていない。
『堀川国広考』の解説だけから、戦前は堀川物の地肌の説明に「ざんぐり」を使っていないと断言するのは言い過ぎかもしれないが、戦前における刀剣界の権威筋の公刊物であり、このような場では使用していないことは事実である。
(2)戦後の堀川物の地肌の表現−「ざんぐり」が広まってきた−
(イ)『国広大鑑』(日本美術刀剣保存協会編 昭和29年=1954)
戦後になると、昭和29年に『国広大鑑』(日本美術刀剣保存協会編1954)がまとめられる。主として佐藤寒山氏がまとめられたと思うが、全般の作風解説における「鍛」の項は次のように書かれている。
「天正時代のものは多く板目やや肌立ち、時に約ったものがあるが、両者ともに肌流れるこころあり、鎬地は大いに柾がかる。地鉄に黒味のあるものがある。
堀川打のものもほぼ同様で鍛に多少なり流れごころあるもの多く、鎬地或は棟寄が柾がかる。この傾向は他派の作にもあるが、堀川物に著しい。又、天正打と同様に肌立ちごころのものがあって、江戸時代以来の刀剣書の所謂ざんぐりとした地鉄の有様である。然しながら小板目のよく約まったものが前打よりも多く、中には梨子肌のごとくによく練れたもの、映り気のあるものもある。地景が前打よりも目立ち、地沸が細かく整ったものと、粗めの沸の交じるものとがある。
一門中で比較的に上記所謂ざんぐりとした肌合の作刀が多い者は大隅掾正弘、藤原広実、国安、国正、阿波守在吉等で、殊に国安には著しく肌立つものを見る。彼等に比して概して肌の約ったものを作っているのが越後守国俦、平安城弘幸、和泉守国貞、山城守国清、出羽大掾国路である。」
『国広大鑑』に一振ずつの図版が掲載された国広において、その作風解説の中で、地鉄の解説において「ざんぐり」という言葉を使っているのは次のような割合である。全部で107振が掲載されていて、鍛の解説において「ざんぐり」を使っているのが13振り(12%)である。
@年紀がある国広:全体で45振り。この中で「ざんぐり」を解説に使ったのは6振り。率にすると13%
A年紀のない国広:全体で58振り。この中で「ざんぐり」を解説に使ったのは5振り。率にすると9%
B後で所載した国広も4振りあり、その中では2振りが「ざんぐり」と解説している。
すなわち、この時点では、国広の地鉄の説明に「ざんぐり」を使う割合が少ないことがわかる。全般の解説においても、「所謂(いわゆる)ざんぐり」と遠慮がちに使用し、「堀川打ちには(ざんぐりとしたもの以外に)小板目のよく詰まったものが多く、中には梨子肌のようなものがある」と記している。
(ロ)『刀剣鑑定手帖』(佐藤寒山著 昭和30年=1955)
佐藤寒山氏は昭和30年に『刀剣鑑定手帖』(佐藤寒山著 1955)を著しているが、この中に、押形もない紙上鑑定問題を掲示している。そして第十二問に「鍛は板目肌ザングリとして地沸よくつき」の説明を載せ、その解答として「板目肌ザングリとする点から堀川物を第一の候補者として挙げ」として国広の答を誘導している。
(ハ)『日本刀の掟と特徴』(本阿弥光遜 著 昭和30年=1955)
刀剣愛好家のバイブルである『日本刀の掟と特徴』(本阿弥光遜 著 昭和30年=1955)には「国広本来の掟、特徴 刀、脇差、小脇差、短刀」の<地鉄、肌>において次のように述べている。
「能く鍛へて細かく、山城伝、新刀特伝のものは小杢目肌に鍛えて細かく、相州伝のものは大肌でザングリとする。いづれも地沸えて、湯走、チケイが現れる。」
(注)この本には最上作は、作者における名刀を個別に紹介しているが、国広も山伏国広、足利学校打ち平造り小脇差、加藤国広、沢田道円国広を解説しているが、この中ではザングリを使用していない。
すなわち、国広の全ての作風ではなく、相州伝が強いものは「大肌でサングリ」が特徴としている。
ちなみに、同書には私が読んだ範囲ではザングリの具体的特徴に触れた箇所はない。具体的特徴は、本阿弥光博氏に習ったH氏が「本阿弥では板目肌の肌目が立つ状態をいい、かんなで板を削った時、逆目が立つような状態にあるものをいった言葉と理解しています。程度にもよりますがザラ付いた感じ。」ということなのだと思う。
また出羽大掾国路における<地鉄、肌>の説明に「ザングリとして大肌になる。地沸、飛焼模様もある」としている。
(ニ)『堀川國廣とその弟子』(佐藤寒山著 昭和37年=1962)
昭和37年に『国広大鑑』の補遺も兼ねて、伊勢寅彦氏の蔵品を中心に『堀川國廣とその弟子』(佐藤寒山著 1962)が出版されている。
この著における堀川物の作風における<鍛>は次のようになっている。
「鍛は古屋打時代から堀川打時代にかけて、殆ど変わりがない。それで板目に杢交じり、流れごごころとなり、稀には柾鍛もあるが、例外であり、すべて肌がザングリして、いわゆる粘りけの少ない感じのもので、地沸がよくつくものと、中には反対に地肌が細かく地沸が厚く、地景などが頻りに入っているものがある。匂口の沈みごごろのものと反対に極めて匂口の冴えるものとの同様がある。」
そして、所載の国広7振りの内、4振りの解説に「ざんぐり」という言葉を使用している。
昭和37年頃には「ざんぐり」の使用を拡大して、具体的には「粘り気の少ない感じ」を「ざんぐり」の具体的説明にしている。そして前述したが昭和41年発刊の『刀剣』(至文堂「日本の美術」シリース 佐藤寒山編
昭和41年=1966)で「ざんぐり」をサラサラとしてねばり気の少ない鉄の様子と明記している。
(ホ)誌上(紙上)鑑定の隆盛が広める
今回、幅広く資料を渉猟しているわけではないが、昭和40年頃は、堀川物の地肌を何でも「ざんぐり」と言う風潮はなかったと考えられる。その例として、昭和39年に発刊された刀剣商の柴田光男氏の著作『百人百剣』(柴田光男編 昭和39年=1964)には、4人の愛刀家が国広を出品されているが、その解説では「ざんぐり」という言葉は一言も使用していない。
「堀川物にザングリした地刃を持つ刀がある」「堀川物の地肌にザングリしたところがある」という限定的な表現が、「堀川物の地刃はザングリ」と全体的な表現になっていったのは、刀剣雑誌(通信販売の雑誌も含めて)における誌上(紙上)鑑定刀という問題が掲載されるようになった為ではなかろうか。
誌上鑑定は刃文は提示できるが、地鉄は言葉でしか表現できない。そこで、堀川一門の刀工の問題が出されると、その地刃の説明文には「ざんぐり」という表現が使われるようになった。慶長新刀の諸流派を、誌上鑑定において区別する言葉として、三品派は鋩子の姿、康継一派は地鉄の黒み、沸のバサつきを記すのが、決まりのようだ。
このうちに、鑑定会における判者も、堀川物の特色として、肌が「ざんぐり」であることに言及するようになっていったのではなかろうか。鑑定会とは判者が説明できる刀を出す場でもある。
また、「ざんぐり」は堀川物だけに使用する言葉になっており、同じように見える別の刀工の作品で使えば、鑑識眼を疑われかねない状況になっているのではなかろうか。
ただし、識者によっては、「ざんぐり」という曖昧な言葉を使わない人もいるようである。藤代松雄氏も、『日本刀工辞典』や、昭和53年4月から発刊され、平成5年6月の第28集まで刊行された『名刀図鑑』(藤代松雄、興里著)における堀川物の解説では、「ざんぐり」と言う言葉は使用されていない。
3.「ざんぐり」という言葉の問題点
ここで、刀剣界の「ざんぐり」という鑑定・鑑賞用語において、私が問題ではないかと考える点を、改めて整理しておきたい。
(1)「ざんぐり」の定義の曖昧さ
そもそもの語源の「左官屋さんの言葉で、塗った後の梨地の状態」、「京言葉で”柔らかく、ふっくらとした質感”」、「京言葉で、”自然な感じで風味のある感じ”」、「茶道具鑑賞の言葉としての”大まかであるために、かえって趣が感じられる”様」などが想定されている。語源の中では、茶道具鑑賞用語の”大まかであるために、かえって趣が感じられる”が、堀川国広全体の印象として的確だと私は感じている。しかし、それは地肌の印象ではない。刃文も含めた全体の印象である。そして堀川物全ての印象ではなく、総帥の堀川国広に限定されたような印象である。
使う人によって、下記のように定義が違っている言葉を使うのは問題だと思う。1章でもリストアップしたが、これまでの定義例は次の通りである。
<梨地の状態>
@左官屋の言葉と同じく、梨地様になるのを示す
<細かい状態ではなく、全体の印象を言う言葉>
G京言葉の意味である「柔らかくふっくらした」質感を感じるような板目肌が練れて肌立ち気味の状態。
H京言葉の意味にある「自然な感じで風味のある感じ」。
I茶道具鑑賞用語で、「大まかであるために、かえって趣きが感じられる」様。
<地肌の肌目が密でなく、少し粗の状態で肌目が見える状態>
A地鉄が細かく詰まらず、地肌がよく現れ、荒れ気味に見えることの形容
C板目肌の肌目がたつ状態をいい、かんなで板を削った時、逆目が立つような状態にあるものをいった言葉
D肌目を針でつついたような状態
F肌がよく見えて(肌立つ)、その肌目に白っぽい鍛接面が見える状態
<肌目が見える状態なのだが、地鉄はよく鍛えられることを強調>
E細かく肌立って沸のよくついた強い鍛
Jよく鍛えられた緊密な地鉄ながら、板目肌がやや肌立ち、鍛え肌が目立つ状態
K板目肌に杢目や柾目の肌が交じって縮緬(ちりめん)状の肌合いとなり、鍛え目が粗雑ではないにもかかわらず、地景が肌目に沿って盛んに入るために肌が起こって見える。このように良く鍛えられた肌目が目立った地鉄の状態
<サラサラして粘り気のない状態>
Bサラサラとしてねばり気の少ない鉄の様子(これは、「ざんぐり」を広めた佐藤寒山氏の言葉だけに悩ましい。「E細かく肌立って沸のよくついた強い鍛」と同義で、具体的には肌立って白い鍛接面が見えるが、それが細かく断続した線の為に、観ようによってはサラサラと見えることを言うのかとも考えている。佐藤寒山氏ほどの人が定義した内容だからと考え、堀川国広の刀を何度も光線の具合を変えて観てみた。刀の地肌を観る時は、北向きの窓辺で刀を手元に引いて、上から見るのが通常の方法だが、刃文を光に当てて見る方法と同じにして、光源に対して斜めから国広の地肌を観ると、肌立つ鍛接面が、細かく白っぽくサラサラ見えないこともないことに気が付いた。しかし、これは意識して「サラサラと見える」ように観たという面もある。人間の眼というのは素晴らしいのだが、いい加減なところもあるものだ)
ちなみに、私はEの状態を「ざんぐり」として教わってきたが、具体的に写真で示すと次の国広の地肌写真である。この写真における白く見える肌目が細かく断絶して、散らばっているのが佐藤寒山氏の言う”サラサラ”なのであろうか。
『名刀図鑑』第4集「国広」。松雄先生の解説は「地鉄板目肌美しく立ち 心 刃文 浅い五の目乱れ 匂口明るく冴えて足よく入る 地刃共に優 れたる作」 |
『名刀図鑑』第25集「信濃守国広」。解説は「地鉄杢目板目地景入り美 しく現れる。刃文小錵五ノ目浅い湾れ交える。元から先へと乱れが次第 に大きく変化する。区際に水影状に映りがつく」 |
『名刀図鑑』(藤代松雄、藤代興里著)は、地鉄と刃文の両方の写真がわかりやすく、重宝させていただいているが、藤代松雄先生は前述したように「ざんぐり」という言葉を使用されていないので、私が『名刀図鑑』の写真を転用して、これが「ざんぐり」の肌と説明しては、先生に叱られるかもしれないが、刀剣界の今後を思った為の問題提起の一環として寛恕を願うしかない。
また、拙文を読まれた方の中で、自分はこの写真の方が「ざんぐり」を正しく表現しているという方がいらっしゃれば教えていただきたい。佐藤寒山氏の言われる「サラサラとしてねばり気の少ない鉄の様子」は、光源に対して刃文を観るように、斜めから地肌を撮る写真で表現できるのであろうか。
今回、「ざんぐり」の語源、「ざんぐり」の定義を調べてきたが、私は茶道具にも造詣の深い昔の刀剣愛好家同士が、堀川国広の御刀を観て「国広はザングリと感じられますね」「確かに国広には新刀の創始者としての位があって、こだわらないところがあってザングリ(大まかであるために、かえって趣きが感じられる)がふさわしいですね」と言うような会話をしたと想像している。
もちろん、この場合は地肌の様子ではなく、むしろ刃文の調子、沸の強弱の調子などから来る印象である。このように国広に限定して、刃文も含めた全体の印象で評した言葉が、一人歩きをして、堀川物全般の、しかも地肌の説明になってしまい、鑑定家は苦しい説明をすることになったのではなかろうか。
(2)「ざんぐり」は堀川物に限定される言葉か
上記のように、具体的な写真を明示して、これが「ざんぐり」だと述べると、人によっては、「このような肌なら堀川物以外にもある」と指摘する人も出ると思う。『名刀図鑑』にも「板目肌立ちごごろで、白っぽい鍛接面が見える」刀は存在し、この定義だけだと古備前などにも該当するものは出てくる。
以下は、ある通販雑誌に掲載されていた宇多国宗に極まっている無銘の短刀である。私は、この地鉄の写真を見ると「ざんぐり」だと思う。もっとも、刃文を観るように光源に対して斜めから地肌を観ると違うのかも知れないが、そこまでは断言できない。
ある通販雑誌で無銘宇多国宗と極まっている。解説に「板目 に杢目交じり、やや肌立ち、地沸明るく、地景顕著に現れ、 地沸映り立つ」 |
この無銘の短刀は、今の極め通りに宇多国宗かもしれないが、堀川物を無銘にして、相州上位に見せようとしたのだが、及ばなかったのかなどと考えてしまう。
(3)同じ刀も観る人で表現が変わるという事実
私は「ざんぐり」という言葉は使わない方が良いと思うが、その一例として、同じ堀川国広の刀を、刀剣界の識者が、どのように説明しているかを示したい。刀は重要文化財の加藤清正が所持という加藤国広である。有名な刀で諸書に掲載されているので、地鉄の説明の比較がしやすい。当該箇所を抜き書きすると、次の通りである。
@『堀川国広考』(中央刀剣会 昭和2年)…小倉惣右衛門氏(刀剣商網屋の当主)の解説か?
「杢目鍛細美にて、地沸の美しき模様 あたかも砂を蒔きたるごとし、磨地は柾目なり、差表:横手より5寸下、鎬に玉のごとき飛焼きありて、そのあたり地沸強し」
A『国広大鑑』(日本美術刀剣保存協会 昭和29年)…佐藤寒山氏の解説か?
「板目肌よくつみ、地沸細かに厚くつく」
B『日本刀の掟と特徴』(本阿弥光遜 著 昭和30年)
「能く鍛えて、細かく小杢目肌、地沸えて、湯走り、チケイが現れる」
C『正宗 相州伝の流れ』(本間薫山 編 至文堂 日本の美術シリーズ 昭和53年)…解説者は不明
「板目肌立ちごころに地沸つき、ザングリとする。」
他の有名な堀川国広でも、同様の傾向である。こういう解説の違いを知ると、自分の眼で拝見しないと本当のところはわからないという気になってくる。
いずれにしても「ざんぐり」にこだわる必要はないことが理解されると思う。ちなみに戦前の方が、御刀への尊敬が出ているような解説であるが、調書であれば気持ちを入れない方がいいと言う意見もあると思う。
(4)固定観念を持つことの弊害
堀川物の地鉄=「ざんぐり」となると、モノを観ないで、その言葉を発するようになるのを憂う。
固定観念は目の働きを阻害する。堀川物の地肌が何でも「ざんぐり」と片付けてはダメだと思う。『国広大鑑』でも「いわゆる「ざんぐり」とした地鉄もあるが、小板目のよく約まったものが多く、中には梨子肌のごとくによく練れたもの、映り気のあるものもある」と説明しているのである。
清麿にも映りがあれば明記すべきで、ともかく、自分の眼で観たことが大事なのだ。そして刀工の苦心の中から、良い点、美しい点をくみ取るのが、後世の鑑賞家の役割だと思う。
(5)研ぎの状態、地鉄の疲れ状態との関係
畏友のH氏は、最近は特に肌目をつぶしたような研ぎが多く、ザングリとした感じのものは少なくなってしまったのではないかと思うと述べて、研ぎとの関係にも言及している。
同様に疲れた肌との関係も、「ざんぐり」が地鉄が荒れた状態と思っている人もいるだけに、悩ましい問題であるが、私は研ぎに詳しいわけではないので、上記のように触れるにとどめたい。
おわりに
私は刀剣の愛好家として、長いだけの素人であるが、刀剣界には考えてみるとわからない言葉が多い。昔は先生、先輩から御刀の説明を聞くと、わかったような感じとなって、納得していた。人間の眼は「自分が見たいように観る」と言う、いい加減のところがあるのだと思う。長く刀剣界にいるだけに、今さら聞いたり、確認したのは恥ずかしい面もあったが、後学の人にお役に立てれば何よりである。
重要刀剣の証書に付随する調書なども、実際とはまったく違うのではと思うことも多い。今回は「ざんぐり」に問題提起をしたが、これは最近、堀川国広の御刀に御縁があったために気が付いたことである。私が拝見すると一部には「ざんぐり」としている箇所はあるが、それは一部分である。しかし証書の調書には「ざんぐり」で片付けられている。この御刀を所載している本の解説も同様である。私なりに表現すれば、地肌の一部にある「ざんぐり」と言う箇所は「板目に杢交じって、肌立って、肌目が白く細かく、目立つところがある」とでも表現したい。
なお、今回の調査で知ったことに、茶道具鑑賞の言葉としての「ざんぐり」(大まかであるために、かえって趣きが感じられる様)がある。私は、この印象は国広の御刀を実際に拝見していると「なるほど」と感じる。私の個人的印象なのだが、国広に「未完成の偉大さを見る」と評している識者もおり、こんな感じを持つのは私だけではないと思う。そこで、今は、国広の刃文も沸の調子も含めた印象としての「ざんぐり」が語源かな考えている。
昔は、刀剣に限らず美術の愛好者はお茶の嗜みがある人が多かったのである。お茶は日本美術の総合芸術として、お茶だけでなく、焼き物、掛け軸における書、絵画、生け花(当然花の名前の知識も含めて)、料理、織物、香道、各種道具に対する造詣が求められた。また書における言葉やお道具やお菓子の銘にまつわる故事来歴などの勉強も必要になる。昔の財界人の思い出話に、家に帰ってみたら松永安左衛門翁から茶道具のセットが来ていたので、仕方なしにお茶の稽古をしたとの話を読んだことがある。また、昔、名古屋の刀剣愛好家グループはお茶を嗜むことが、入会の前提だったと聞いたことがある。茶道具鑑賞用語には「花映り(花を生けた時の花器の見栄え)、「茶映り」(抹茶を入れた時のお茶碗全般の印象)など、刀剣鑑賞用語の「映り」と似ているものがある。
「ざんぐり」以外にも、美濃の映りを現す「白気映り」も使う人によって定義が違う。同じ映りでも備前に出れば「乱れ映り」、来派に出れば「沸映り」だが、美濃や脇物に出現すると「白気映り」として一格下に見る人も多い(注:私は私なりに「映り」とは違う「白気映り」の定義を持っているが、普遍性があるかはわからない)。一方、「来肌」が他流派に出現したら、単なる地鉄の疲れとしての欠点になるのではと思う。
こういう特殊な言葉でなくとも、加藤国広の地肌の解説で見たように識者でも同じ刀を観ても「板目肌」と「杢目肌」として把握する内容が異なるのが刀剣界である。これまで指定した重要刀剣の調書を、流派、刀工別にまとめて出版するだけでも、研究に大いに資すると思っていたが、こういう状況では難しいのかもしれない。
そういう意味からも、進化している写真の技術も取り入れて、用語の統一、定義の統一を考えていただきたいと願っている。