甚吾 「梟」 鐔

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これは、このホームページの表紙にシンボルとして使っているものである。特色のあるものであり、皆様も肥後の甚吾であることがすぐにご理解されると思う。
なお、この鐔については『刀和』(2005年12月)の「刀装具の鑑賞」に鑑賞記を記している。よりご参考になると考えます。

1.甚吾

肥後鐔は、林派(神吉派)、西垣派、平田派とも個性的であり、素晴らしいが、その中でも志水甚吾は不思議な鐔工である。

肥後拵には茶道の美学があると言われるが、甚吾の鐔は、どこが茶道の美につながるのだろう。

甚吾の特色であり、魅力は、大胆な真鍮の据紋象眼、あるいはこの鐔のような大胆な構図と彫り、加えて鐔の形はデフォルメしてあり、彫る対象もデフォルメされていることにあると思う。ここに「近代」を感じるのは私だけであろうか?

甚吾は、日本の美術全体の中で、もっと高く評価されるべき鐔工だと考えている。

甚吾の地鉄は良くないという声も聞くが、それは甚吾には、漆を全面にかけている鐔 が多く、その為に、その漆が剥がれた後が荒れているのだと思う。当初から漆がかかっていなかった鐔や、早い段階で漆が取れた鐔の地鉄は、ねっとりとして良い地鉄である。

この梟の鐔は、「薄手であること」、「櫃穴が整っていること」から二代と鑑せられると当初は書いていたが、伊藤満氏の肥後鐔の新研究の成果『平田・志水』を観ていくと初代であると思う。その根拠をアップしたい。

PDFファイルで引用する表は、『平田・志水』に掲載されている初代甚吾(伊藤満氏は初代は仁兵衛とされている)の鉄鐔36枚(碗形の鐔2枚は除く)を左側に、2代甚五(甚五郎)の鉄鐔26枚を右側に対比させて、各鐔の縦・横・耳厚・切羽台厚を抜き出し、その中に筆者の鐔の法量をあてはめたものである。

『平田・志水』(伊藤満著)に掲載の初・二代甚吾の鉄鐔の形状の比較

2代作かと考えた根拠となる「薄さ」を確認するために耳厚の順に並びかえている。また櫃孔の点も2代作かとの根拠と考えたので、初代甚吾の各鐔では「整っている櫃孔」欄を設け、比較的整っている櫃孔を持っている鐔には○をつけている。

この分析のために、測定用のノギスを購入して精密に計ったが、拙蔵の甚吾は縦長68.9、横長67.4,耳厚4.2、切羽台厚4.7ミリである。
見ていただいてわかるように、拙蔵のこの鐔は、初代の中ではやや厚い方に位置づけられる。そして2代の中に含めると、かなり厚くなってきて、これ以上厚いのは1枚しかない所に位置づけられることが理解できる。

なお、2代甚吾の特色は、『平田・志水』を読み、また図版を眺めると次のようなところにあると思う。

甚吾初代は有名な松に鷹(英雄独立図)の真鍮象眼の鐔があり、”強烈”との印象が強いが、『平田・志水』所載のものを見ても、全てがあのような感じではない。ただ私の梟を観てもわかるように、穏やかではあるが優しいとまでは言い切れないものがある。

また「櫃孔が整っている」ということも初代にも多いことが理解できる。

以上から、初代作と考えたい。(2010.4.2追記)


2.地鉄

肥後独特の艶のある地鉄である。拭い過ぎといえるほど艶がある。この延長に虎屋の羊羹のような肥後の林一派の地鉄があるが、この甚吾の地鉄も同種の鉄である。

これを購入したことを青山氏に話したら、「知っている。その人が、俺の甚吾はまっくろに輝いている地鉄だぞと言っていた。」とのこと。

これだけなら良いが、私が買った値段を聞いた青山氏は「それは高すぎる」と言った。でもね、青山さん、今になって思うけど、このような肥後鐔、これ以上の甚吾は結局は出てこなかったよ。

フクロウが闇夜に大きな樹の上にとまっている。その漆黒の闇を、この黒い地鉄が表現している。彫りの下部などは拭い込まれないから、光沢がでていない。その艶の差が、この鐔 の味わいを深めている。

肥後鐔のように錆び付けされて、きれいな地鉄と、自然のままに、控えめな光沢が出ている尾張、金山、信家鐔の地鉄のどちらが良いかという質問は難しい。結局は好みの問題であるが、今は「飽きない」という視点から、自然のままに控えめな光沢がでている方かなという気になっていることは記しておきたい。古刀と新刀の違いと言っても良い。

3.彫り

写真で見ていただいてわかるように、丁寧に彫り上げ、そして彫り下げている。

甚吾について、下手(げて)なモノを、野趣がある、放胆さがある、味があるといって、評価して、初代〜三代にしていることが多いように感じる。

これは違うのではなかろうか。真鍮象眼でも良いもの、本科は丁寧に彫ってある。大胆、放胆に彫っているように見えても、丁寧なところが感じられる。このような点のない下手な甚吾は、写しモノ(坪井派など)なのではなかろうか。

『肥後金工大鑑』の中にも、そのような手が、初代と掲載されている。現物を拝見しない内は断言はできないし、私ごときがコメントしても本所載の方が重みがあるので市場価格は高いであろうが、一つの問題提起をしておきたい。

(現代絵画の中にも、そのような稚拙に見えるものが高く評価されていることがある。それと同様なんだと言われれば「はい」としか言いようがないが、絵でも、やはり良いものは、観た時にハッとする驚きがあると思う。これらの下手モノ(ゲテモノ)が甚吾初代として通用しているので、甚吾の真価が伝わっていないのではなかろうか。)

4.構図・図柄

大きなフクロウである。耳が目立つのがミミズク、目立たないのがフクロウと聞いたから、これはフクロウである。これを中心穴を避けることなく大胆に彫り上げている。留まっている樹も、このフクロウの大きさに見合う大きな枝である。

フクロウの丸い目は、闇夜の中で、獲物を狙う目であろうか。私は、このフクロウの目は獲物を狙う目ではなく、もう少し優しい目というか満足している目のように思える。身体全体も丸く太って見えるから、餌を食べ終わって満足している姿のような気がする。

また食事行動とは離れて、世の中に生じることを淡々と見つめる眼である。起こったことを全て受け入れるような眼と感じる。

留まっている巨木の枝には、丸く彫って、銀の布目象眼をしている葉(残念なことに銀の布目象眼は落ちている)があるから松なのであろうか。松に鷹なら王者の姿であるが、松にフクロウは何の象徴なのであろうか。

そういえば梟雄(きょうゆう−残忍でたけだけしい人)という言葉もある。昼の世界では鷹が王者だけど、夜の世界ではフクロウが食物連鎖の頂点に立つ王者である。

甚吾には、松に鷹の有名な鐔もある。昼の世界と夜の世界を陰陽で表現したのであろうか。

なお梟という漢字は、鳥が木の上に垂直しているという字である。木に鳥が留まるのは当たり前であるが、それを字にして当てはめるのにふさわしいのは、他の鳥のようには動きの激しくないフクロウなのであろう。

大きな松の枝は、この鳥が留まるのにふさわしい。

5.フクロウ

フクロウは西洋では知恵・学問の神様(ローマ神話におけるミネルヴァ)のお使いがフクロウとされている。「ミネルヴァのふくろう」という言葉もあるようだ。

紀元前2世紀半から5世紀に古代アテネで貨幣として使われていた世界最古のコインであるドラクマ銀貨にもフクロウの絵が使われている。ペストを伝染したり、農作物を食い荒らすネズミを捕らえるフクロウが人気になったという面もあるそうだ。

哲学者ヘーゲルは「ミネルヴァの梟は夕暮れになって飛翔をはじめる」と記した。事象がほぼその展開を終えた後に、学者がこれを理性的に把握して概念に高めることを上記言葉で暗喩したとされている。

永田町の首相官邸には4羽のフクロウのレリーフがあるという。これは上記ヘーゲルの言葉を「夕暮れ」、つまり時代の変革期あるいは文明の衰退期に遭遇して,初めて人間は英知に目覚めるということを表しているとも言われている。

中国では漢代までフクロウの鳴き声を凶兆としていたが、その後、唐代に進士に合格する前の知らせがフクロウの声であると言われたように吉兆としていた。

日本でも応神天皇の子の仁徳天皇が生まれた時に、フクロウが飛び込み吉兆となった例がある。

アイヌ民族ではシマフクロウをコタン・クル・カムイといって部落の守り神として民族最高の神様に位置させている。

一方、「フクロウが鳴くと人が死ぬ」などと凶兆にされていることもある。

この他、フクロウは首が360度回ることから見通しが効き商売繁盛につながるとされ 「商業の神様」的なイメージもあるそうである。

また当て字として福篭、不苦労(苦労知らず)、不老(不老長寿)と書き、福が舞い込む「縁起の良い鳥」ともされている。

鐔にフクロウの図は、信家にも見られるから、当時から何か言われがあったのであろう。あるいは武人に好まれる理由があったのだと思う。

甚吾の活躍した肥後地方、ここは熊襲(くまそ)以来の地である。日本書記によると、この地には、川上梟師(かわかみたける)と呼ばれる熊襲の首領がいた。

景行天皇の熊襲征伐の命を受けた小碓命(ヲウスノミコト)は、女装して新築祝いの酒盛りに忍び込んだ。そして川上梟師を討ち取った。この時、川上梟師は、小碓命の名前を聞き、「日本武尊」の名を献上して絶命する。
川上梟師は悪役であるが、征服した側からの歴史であり、これはやむをえない。南九州で毎年(新暦)十一月三日に行われている「弥五郎どん」という祭りにおける弥五郎は川上梟師を伝えているとの説もある。この梟師における梟と関係があるというのは無理な説明であろうか。(2002.3.7)

2001年の暮れに「ハリーポッターと賢者の石」の本、映画が大ヒットした。子供たちに聞くと、魔法使いのペットはフクロウ、猫、カエルのようだ。そして魔法使いの郵便はフクロウが届けるようだ。

ハリーポッターの飼っているフクロウはヘドウィグというメスの白いフクロウである。ヤフーが「ハリーポッターの登場人物になれるとしたら何になりたい」という投票をやっている。1位はハリーで2位がハリーの女友達のハーマイオニーだが、なんと3位にフクロウのヘドウィグが登場しているのには驚いた。(02年1月21日現在)

2002年のNHK大河ドラマ「利家とまつ」でもまつがフクロウの世話をしているシーンが放映されている。時代はフクロウに脚光を当てているのではなかろうか。そうだとすれば、それは時代の何を反映しているのであろうか。(2002.1.23)


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