無銘 後藤顕乗「網針(あばり)図」小柄


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1.網針とは

網針とは、文字通りに、漁具などの網を縫(ぬ)い、繕(つくろ)うために用いられるものである。網結針(あみすきばり)とも言うようだ。流線型の先端部分を網目に通し、ここに巻いてある細い紐(ひも)で網目を作るように結び、また網目が破損した箇所を、網目に先端部分を通しながら、巻いてある紐(ひも)をほどき、それで補強し、繕(つくろ)う道具である。
もちろん、私自身は使用したことがない。今は便利な世の中で、インターネットに「網針の使い方」の動画がアップされていて、参考になるが、実際に自分でやってみなくては、この便利さは理解できないだろう。

武士の持ち物ではなく、海や川で網を使って猟をする者や、狩猟に携わる者の持ち物である。このような猟を趣味とした武士か、あるいは網元のような裕福な者からの注文であろうか、いずれにしても後藤家の作品となった経緯が不思議である。
あるいは作者自身が、この形状が面白いと感じて、製作意欲を持ったのであろうか。網針の先端部分(船の舳先のようなところ)の流線型の形状と、そこが先に行くに従って薄くなっていく肉置きと、何重にも巻いてある紐(糸)の織りなす線と、重なる膨らみなどを面白いと思ったのではなかろうか。

私も長く、この趣味を続けているが、この図は初見である。後藤家の作品が掲載されている本や資料集にも、網針図は所載されていない(もちろん私が見た範囲の書物だが)。

細かく整然とした赤銅魚子地に、赤銅で網針を高彫し、糸は銀で、糸の細さを均一にして、糸にゆるみがないように、しかも何重にも糸が巻かれている様子を立体的に高彫している。網針そのものは、少し傾けて配置することで変化を付けている。

2.作者について

写真を観ていただいても後藤家の作品であることは理解されよう。赤銅魚子地であり、この魚子が実に細かく、丁寧に整然としている。また高彫は全体の形状、肉置き、巻き付けてある糸一本ごとの精密さと糸が重なっての膨らみの出し方など実に巧みで、また赤銅の色も真っ黒で美しい後藤家の中でも上工の作品と観られる。
魚子の素晴らしい状態から廉乗の自身魚子とは違うかなと考えられる。

そして棒小柄(縁取りがない)であり、江戸時代前期以降(顕乗、即乗、程乗、廉乗、通乗)の作品と理解される。

裏は無銘だが、金を大胆に入れてある凝った造りである。金板の嵌入は、「削継」として斜めに入れたり、稲妻形に入れたりが多いが、そのように気取ることなく、中心から少しずらした位置で縁に掛かることなく、大胆に入れてある。この嵌入方式を「割継」という。斜めに金削ぎを入れているのは栄乗にもある(裏の仕立てであり、後代が仕立て直すこともあるのだが)が、金以外の素材でも削継をしたりして、削継、割継に創意を凝らしたのが顕乗である。

網針という民具とも言うべき道具だが、実に品格高く彫り上げている。画題も大きく、堂々としており、闊達(物事にこだわらず、こせこせしない)な作風と称される顕乗かと思われる。

網針に巻き付けてある糸は銀であり、銀を多用したという程乗も考えられる。

以上から、加賀後藤の礎を築いた顕乗か程乗と考えられるが、のびのびと彫っており、独特な変わった削継ぎであることから顕乗かなと思う。
協会の極めも顕乗
である。佐藤寒山氏の箱書は「赤銅魚子地 高彫 地赤銅 銀線置金象嵌色絵 無銘 加賀後藤 最高之出来也 昭和甲寅年(昭和49年)初夏」である。

3.鑑賞

漁師が使う道具である。このような庶民の使う民具を彫っても、上品になるのはどういうことなのだろうと考え込んでしまう。
この作品を販売品として掲載した雑誌でも「七代後藤顕乗の渋く、上品な作品である。網針に巻いた糸をフワッと品良く表現しているところなど江戸期の人々の芸術感覚がいかに優れていたかを証明している」(「刀和」392号令和4年5月)と評している。

購入してから、しばらく拝見しているが、今はこの作品に対して、瀟洒端麗(しょうしゃ たんれい)という言葉が浮かんでいる。これは江戸初期の狩野探幽の作風を表現する言葉である。もっとも巷(ちまた)で拝見する狩野探幽の作品は、障壁画が多く、それらは桃山期の狩野永徳ほどの大胆さは無いが、障壁画だけに瀟洒端麗という言葉よりも、豪華さが目に付くものが多いが、ふすまから飛び出すほどの大木は描かず、たくみな写実絵が多い。

瀟洒とは「すっきりとして、あかぬけたさま」「俗を離れてあっさりしているさま」が語義である。
端麗とは「かたち、すがたがととのって、うるわしいこと」と言う意味である。
この作品の「垢抜けて、姿が整って、麗しい」ことを表現するのにふさわしいと思う。

網針の先端(船の舳先のような形状)は先端にかけて薄く肉取りをし、銀の紐(糸)は一本ずつをおろそかにしないで彫り上げ、自然に紐(糸)の本数の厚みで膨らんだように肉取りをしている。紐(糸)が巻かれる上下の箇所も自然である。巻かれている紐(糸)が外れた部分の紐(糸)も自然に柔らかく紐(糸)の束の上に乗っている。実に手が混んだ細工である。

非の打ち所が一つもない細工であり、佐藤寒山氏が「最高之出来也」と箱書したのも理解できる。

道具を細密な写実で表現すれば、道具のカタログのようになってしまい、面白くない。そこで顕乗はわずかに斜めに配置し、巻かれた部分から紐解かれた紐(糸)をフワッと彫ることで、変化を付けた。

瀟洒端麗が好まれた江戸時代初期の空気を、探幽が絵画で、彫金で顕乗が形にしたのである。

上品さ瀟洒端麗の他に、もう1点感じるのはスケールの大きさである。加納夏雄の評に「古法に泥(なず)まず、すこぶる滑脱(かつだつ)したる所あり、従って其作にも活気あるものすこぶる多し」とある。滑脱(かつだつ)とは「とどこおらす、自在に変化すること」という意味であるが、この作品も器具(網針)という命の無いものを彫っているのだが、何か伸び伸びと大胆に彫っている印象を感じる。

4.後藤の器物の彫り

後藤物は、人物、次いで龍・獅子、次ぎに動物、鳥、虫、魚貝類、そして植物、最後が器物という代付け(代金の格付け)になっていると言うが、私は器物が定番的な図柄は少ないだけに面白いと思う。

徳乗に極められている馬具図小柄を愛蔵している。この小柄から絢爛豪華な安土桃山時代の空気を感じる。混乱をまとめて天下統一を果たしてきた安土桃山時代の気分である。狩野派で言えば豪華雄大で緻密狩野永徳の世界である。

江戸前期の顕乗瀟洒端麗の狩野探幽の世界と比較して欲しい。

廉乗に極められている蝋燭図目貫も愛玩している。後藤家の彫物として、この図取りは他に無いものと思うが、それだけに作者廉乗の「気格抜群にして面白く」と評せられるのが当てはまる作品になっており、私は「ますらおぶりの品の良さ」とも評している。

後藤家=家彫りの伝統と、元禄時代に勃興した大商人(この場合は蝋燭問屋)の気分(元禄文化)が融合した江戸時代前期の傑作である。



おわりに

この作品も、通信販売雑誌に掲載品だけに、刀屋さんに「私以外に購入を検討している方がいれば、当方は遠慮するから」と言っていたのだが、購入希望者は現れなかったようで、私に御縁があった。
後藤家の器物の図柄で、ポピュラーな図ではなく、武士の持ち物らしくもないから、人気が無いのだと思う。私も昔のような収集意欲は無いのだが、このような名品が売れずにいると義憤を感じてしまう。


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