清寿 「鬼図透」 鐔

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東龍斎清寿のいわゆる東龍斎風の透かし鐔です。「我一格」「竜叟法眼(花押)」と銘がある。保存の証書では「鬼図透」とされているので、図の名前はそうしておきます。たしかに風神でもないし、雷神でもない。節分の図なのかもしれない。

1.同じ図柄での東龍斎清寿と弟子達との比較

これは以前に「刀装具の鑑賞」の中で比較しました。清寿の本歌と弟子達の写しの違いをよく見ていただきたい。

2.東龍斎一派の鉄透し鐔の特色

清寿は幕末三名工として後藤一乗、加納夏雄とともに名があがるが、この手の鉄鐔が、その名声のもとではあるまいか。

芸術家は模倣では名声を得られない。その人の独創をどうだすかである。独創をどうだすかというより、自然に出てくるのであろう。

蒐集家の中には、清寿のこの手の陰透かしよりも、若打ち時代の高彫りを評価する人もいる。確かに、この手の鐔の中には、あまり良くないものもある。そういうものと比較するとこうも言えるが、やはり東龍斎清寿の良さは、面白い図を中心穴、櫃穴も含めて構図をとった陰透かしの鉄鐔にあると思う。

高彫りならば、別に清寿でなくても良いものは手に入る。なお私は個人的には禅味のある模様を彫った鐔は好みではない。言葉も、その意味もわからないから感情移入ができない。

私は以前に清寿の赤銅磨地の縁頭を持っていたことがある。頭に柳に烏、縁に橋の図を高彫りしたものであった。縁の高さは低い。細かい鏨ではなく、太い鏨で彫ったもので、何ということはない図柄であったが、飽きのこないものであり、清寿はやはり上手いなと感じたことを覚えている。仁王を彫った有名な鐔があるが、彫りは、このように簡素な図柄が多いと感じる。

東龍斎風の鐔は次のような特色を持つ。

  1. 鉄鐔である。さび色は少し赤みがかるこことが多い。これを識者は「小豆を煮しめたような色合い」と言っている。

  2. 地は磨き地より、工夫をして荒らした地が多い。いいものは地が面白い。

  3. 模様を切羽台、中心穴、左右の櫃穴も含めて、あるいは利用して、構図を作り、中には大きく陰透かしするものもあり、このような陰透かしをしたものの中には非常に魅力的なものもある。

  4. 形は少し小ぶりなものが多く、真円形は少なく、あおり型とか、少しデフォルメしたようなものが多い。

  5. 耳は打ち返したり、雲形に鋤き残したりして、変化をつけたものが多い。

  6. 透かし模様を補足するように金、銀、赤銅で象嵌して絵にしていることが多い。

  7. 中心穴には、素銅でこの図のような責金を埋め、そこに梨子地を象嵌することなどもやっている。これを見ただけで東龍斎一派とわかるものである。

  8. 図柄はユーモラスなもの、飄逸なものが面白い。禅の思想を表したものも多い。

3.デザイナー清寿

江戸時代の金工が、今の時代に生まれたらと考えると、清寿などは、高名なデザイナーとして人気を馳せているのではなかろうか。

江戸時代は才能のある者が刀装具の作者になった。それが食える道だからである。そういう才能のある者が集まった分野であるから、当然に名工として名をなす者も多く出る。現代は同じ程度の優れた才能のある者は、金工ではなく、画家、服飾デザイナー、イラストレーター、映像技術者など多様な道を目指している。

清寿の作品を見ているとセンスの良い人だなと感じる。透かしが少しでもずれていたり、大きかったりすると野暮ったくなるというギリギリのところで彫っていると感じる。

清寿の図柄には、何とも言えない飄逸味、ユーモアが出ているものもある。

4.センスをまねることの難しさ

技術と違って、こうしたセンスまでを弟子が真似るのは難しいのではなかろうか。1章で比較しているように弟子が作った東龍斎風の鐔の中には、野暮ったいものを多く見る。

鉄地の地荒らしは、何もないとのっぺりしたつまらないものになってしまう。しかし逆にやりすぎると、嫌な、わざとらしい汚い肌となってしまう。

飄逸な図も、真似ると、剽軽になったり、下品になったりしてしまう。精神も伴っていないと真似できないような画境なのかもしれない。これは清寿が信仰していたと思われる禅の影響なのであろうか。あるいは清寿が身につけた江戸の粋から生まれるものであろうか。

形もデフォルメを誇張すると、かえってドテッとしたものになる。まじめすぎると面白くない。このバランスである。

色金も使いすぎるとうるさくなる。

センスが良い人は、普通の人なら合わせられないような色でも、その面積まで考えて合わせてしまうものである。あと1センチ長いと合わないというギリギリの線で。この陰透かしなども、そのようなバランスで生まれている。

こういうものを真似るのは大変である。職人の技術は長い間修行すればある程度は身につくが、センスは生まれた時の素質、育った環境が影響するのではなかろうか。

現代の名建築家は安藤忠雄を除くと、皆、良い家に育った人だという話を聞いたことがある。三次元の空間の感覚を研ぎ澄ますのは、育った環境を通して体感として会得していないと難しいと思わせる話で、私はこの話を聞いて妙に納得したことがある。

弟子の藤原寿良は、この微妙なバランスを必要とする図は真似ず、高彫り色絵の方を受け継いで、成功している。精神の太さを感じさせながら粋を感じるような魅力のある作がある。

この清寿作品の良さ

このような微妙なセンスで造られている清寿の作品では、清寿自身の作品の中にも傑作と平凡作の差を生み出すことがあるのが理解されよう。この作品は良い方だと思う。

清寿の地金は工夫していると思う。名工は誰でも地金に工夫をしているが、”さすが”と思われる。鉄は深みはないが、処理していると感じる鉄である。京都の鉄元堂尚茂の鉄と一脈通ずるところがあるように感じる。

図柄では、表情が良い。これが下品にならず、しかも軽薄にならず、それでいて、何となく軽やかな精神、暖かみのある心を感じさせる。

鬼の顔を見てください。色気を感じるでしょ。私は東龍斎清寿は、私と違って女性にもてたのではなかったかと想像している。

彫り口はシャープである。これが鬼の動き、躍動感を感じさせる。あるいは軽やかさを演出している。

この鐔の鬼の身体、手足など、厳密に見ていくと必ずしも写実的ではない。だけど陰透かしでは、この微妙なバランスが大切なんだと思う。

入手の経緯

この鐔は、もちろん刀屋さんから購入した。

ある時期、その刀屋さんに、毎月、なんらかの東龍斎一派の作品が売りに出されていた。ある時「東龍斎一派の作品がこの頃多いですね」と聞いたら、「そうなんです。東龍斎一派が好きで集めていた蒐集家の人が、歳をとって息子も趣味もないようなので手放すということになり、売らせていただいているんです。」とのこと。

そして「実は清寿のいいのがあるんですよ。それは最後に売るということなんです。」ということを聞いた。しばらく忘れていたが、ある日、伺うとこの鐔が売りに出ていた。

私は、それまでは、この手の東龍斎の鐔には、それほど魅力を感じていなかった。しかし、この鐔を拝見した途端に、「いいなあ」と感動して購入した。

今から思うと高かったと思う。

刀剣柴田が画廊にあやかって、刀廊としてオープンした時に、そこで東龍斎清寿展を開催した。

柴田光男氏は有名な狸が腹鼓を打っている図を陰透かしした清寿の鐔をもたれている。その鐔と一緒に出品されていたものである。

青山氏が「社長に聞いたら、昔のお客さんだったとのこと。うちで買ったのに、別の刀屋さんに出しちゃうのだから」と嘆いていたのを思い出す。


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