躰阿弥永勝(古美濃ではない)「柳鷺(りゅうろ)図」目貫


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何度も拝見しているうちに、安土桃山時代の知られていない名工:躰阿弥永勝(たいあみながかつ)の作品だと考えるようになる。「刀和」(405号令和6年7月発行)に「安土桃山時代の名作「柳鷺図」目貫ー躰阿弥永勝の作品では?ー」を発表したので、お読みいただきたい。

1.購入の経緯


この金の目貫は、今年(令和4(2022)年)の1月に、ある刀屋さんの店頭に陳列されていた。拝見すると、写真の通り、なかなかに優れた出来であり、裏を拝見すると陰陽根なのである。柳に鷺の図は室町期の障壁画にもあるが、雰囲気的には桃山期のものと鑑定できる。

   
 

金地だが、「少し銀色が強い金だね」と私。店員さんも「そうなんです。これでも私が磨いて、ここまで金色が出てきたんです。もっと銀色が強かったんです」と。

ちなみに「古金工」として証書が付いている。「無銘」のものや、「古金工」という極めのものは買う人が少ない。加えてコロナ禍であり、客数の絶対数も少ない。だから、セールの期間後にも必ず売れ残っていると何故か確信した。
私も歳で、それほど執着は無くなり、「売れてしまえばそれでよし」という心境だし、すぐに購入の決断をしなかった。

2週間ほど経った後に出向くと、店頭に無い。あれ、売れたのかなと思い、聞くと、売れないから、明後日の会に持参し、そこに金目貫をよく買っている業者さんがいるので見せる予定とのこと。そこで、「ちょっと待ってください。購入するから」となった次第である。


その業者さんは、金価格の高騰も見込んで買っているようで、刀屋さんは「金の目貫の相場は強く、お買い得ですよ」とも言われる。美術品として購入するわけであり、それほど金の地金価格とは連動はしないと思うのだが。その後のロシアのウクライナ侵攻によって金価格が大きく上昇しており、この業者さんはなかなかの目端の利く人だと思っている。

2.古美濃としての本所載品

年初に観た時に、古金工ではなく、古美濃ではないかと思っていたので、購入後に、自宅で『金工美濃彫』(小窪健一著)と『特別展 金工 美濃彫』(岐阜市歴史博物館)の2冊を紐解く。

すると、同作が出ているではないか。次の写真は『特別展 金工 美濃彫』に掲載されているものである。写真だけの比較であり、断言はできないが、私が購入したものと、本の所載品は同一品ではないかと考えている。

所蔵品の法量を図る(凸凹が多いのでノギスで計り難いが)と、表目貫は縦12.2o、横37.1o、裏目貫は縦11.4o、横38.3oであり、本に所載の法量と1oの範囲で誤差はあるが同一と思う。(小道具の法量のはかり方は難しい。鐔でも本に所載のものを、自分が所蔵して計測すると本記載の値とは誤差が出る。この目貫でも一番長い部分は斜めになっているし、それをどうするかでも長さは変わってくる)

この目貫が収まっている箱は、通常の小道具の箱よりも長く、柾目が細かく詰んだ良い桐箱であり、大事にされていたものであることがわかる。

   
 『特別展 金工 美濃彫』60,61ページ、図版番号6−64「柳に鷺図」法量12.0、38.1/12.5、37.3
   
今回、購入した所蔵品。写真同士の比較だと、光の当てかたによる影の部分の映り込みで小差も見られるが、同一のものと思う。
 この右の写真も 『特別展 金工 美濃彫』に所載のもので、
「美濃彫の意匠」の特集で取り上げられたもので(76ペー
ジ)、品物は同一のものである。


こちらの写真の方が明るく、比較しやすいかと考えて掲載。
 


3.この手(同作者)の古美濃作品


この目貫と、恐らく同じ作者の作品と思われるものが、次ぎの2つの金地の目貫である。絵の趣向と、陰陽根であること、それに地金が共通なのである。

(1)木菟(みみづく)図目貫(金地)

   
   
写真は『金工美濃彫』(小窪健一著)99ページより
同じものが 『特別展 金工 美濃彫』60ページ。図版番号6−61「木菟図目貫」法量15.0、48.1/14.8、46.1

私は、この木菟の目貫に長く憧れを持っていた(今でも憧れがある)のだが、『金工美濃彫』(小窪健一著)における解説は次の通りである。
「枯木の図取りもよく、鏨も冴えている。地金が銀割りなので古雅な味がある。木菟の目貫では春日大社の沈香木地造り腰刀の目貫が有名だが、この目貫も桃山らしい鷹揚さがあって面白い。」

この解説にある「地金が銀割り」に注目して欲しい。これは小窪氏が金地なのに銀色が強いことを表現した言葉と思う。業界では「金割」として18金などで使うようだが、銀割の言葉は無いようである。初見の時に私が述べた「少し銀色が強い金だね」、店員さんも「そうなんです。これでも私が磨いて、ここまで金色が出てきたんです。もっと銀色が強かったんです」との会話を思い出して欲しい。

この木菟の目貫と、作風だけでなく、地金の質も同様なのだ。


(2)柳に燕の図目貫(金地)

   
   
写真は『金工美濃彫』(小窪健一著)』100ページより
同じものが 『特別展 金工 美濃彫』60ページ。図版番号6−62「柳に燕図目貫」法量14.7、36.6/14.7、36.2

上の木菟図目貫の次ぎのページに所載されているものである。小窪氏は同作者・同系統のものと判断したから、続けて所載したのだと思う。
『金工美濃彫』(小窪健一著)における解説は次の通りである。
「優雅な構図である。桃山時代の釘かくしに、同じような構図がよく使われている。桃山の雰囲気がよくあらわれている。」

燕が止まっている柳も、今回購入した目貫と同様な彫で表現している。

ちなみに『金工美濃彫』には、私が今回、購入した目貫は所載されていない。『特別展 金工 美濃彫』(岐阜市歴史博物館)に、この2つの目貫に続いて所載されている。


4.古美濃作品への思いと古美濃について

(1)古美濃作品への思い

私が品物を保持したこともない古美濃の本を2冊所有していたのは次のような経緯である。
『金工美濃彫』(小窪健一著)の本は、昭和48年の発刊である。私が刀剣趣味を本格的にはじめた頃の本である。この時に、上掲した「木菟図目貫」や「梅と柏の図鐔」(鐔の形状は菊花形。梅と柏を彫り、櫃孔が異形)に憧れたのである。

古美濃作品に憧れていても、古美濃の作品として私が欲しくなるような作品は、私の前には現れなかった。一度、重要刀装具に指定されている古美濃の目貫が出たが、価格は高く、また作品にもそれほど惹かれることはなかった。

憧れて半世紀あまり後に、今回、その憧れていた木菟図目貫と恐らく同作者の作品と思われる御品と御縁があり、喜んでいる。

(2)古美濃とは

古美濃と分類されるものの特徴は、古い時代の作品と想定されるもので、図柄に秋草が多く、それに唐草、蔓草、樹木、藻貝などの図もあることである。図柄の秋草や唐草、蔓草などは、さらに古い時代の蝦夷拵と称されているものの図柄にもあり、蝦夷拵の作風を垢抜けさせたような感じである。

鐔や笄では構図を垂直に彫り込むのが特徴である。目貫は垂直に彫り込むようなことはなく、抜け穴が多く、際端(キバタ)の腰の締まりが強いという特徴がある。

古美濃という流派の名称は、江戸時代に「美濃住光伸」とか光仲、光暁という在銘の作者が現れ(万治三年紀のある濃州住喜基という烏瓜図の縁があるという)、その作風が秋の草花と虫を彫った秋野の図が多く、それが古い時代の一群の無銘の作品と図の雰囲気が似ているから名付けられたと認識している。

金工界の大流派の後藤家の祖:祐乗は美濃の出身と伝え、後藤家の作品に似た古い時代のものを「美濃後藤」、特に龍の彫物では「美濃龍」などと分類する人もいる。「古後藤」という分類名称はあくまでも後藤家の古いものと言う意味であるが、このような分類名称も存在している。

また、この目貫の証書に「古金工」と付いているように、もっと広く漠然と称する考え方もある。「太刀金具師」という分類もある。

私が購入した目貫や、同作者と思われる目貫は陰陽根が付いているが、このようなものは非常に少なく、根のないものも多い。また根があっても力金はついていないものも多い。

秋草、秋野の景色を彫ったものが多いように、古美濃と分類されている鐔、目貫、笄、小柄(笄直しが多い)は日本人として琴線に触れる感じの良い作品が多い。

5.この手の古美濃作品の作者がフロイスが記録した信長お抱えの腕利きの金銀細工師では?

前章で古美濃の作風を概説したが、所蔵品の柳鷺図や、同作者のものと考えられる木菟図、柳に燕図の目貫は@図柄が絵風で鳥類と樹木であること、A金地であり、銀を多く含むものであること、B陰陽根があることなどから、一般の古美濃とは異質なのである。

このホームページにおける「刀装具の研究ノート」に、「フロイスの『日本史』に登場するキリシタンになった金銀細工の名人は誰か?(2019年12月4日)」といテーマで下記の文章を提示した。

「ルイス・フロイスの『日本史』は、戦国末期という激動の時代を宣教師、外国人として同時代に生きて記録した書物で、興味深い。調べものがあり、紐解いていたら次のような記述に出会った。

「そこ(安土)に集まってくる各地の多くの兵士や武将らもキリシタンになった。本年、三十名近い当市の者が受洗したが、その中には、日本でもっとも腕利きの信長お抱えの金銀細工師が一名いた。また彼の太刀を作り、修理する職人もいた。この両名はきわめて善良なキリシタンで、我らの修道院のもっとも親しい人たちである。」(第48章(第二部二十六章)『完訳フロイス日本史3 織田信長篇V』ルイス・フロイス著松田毅一・川崎桃太訳)

ここに登場する彼の太刀を作り、修理する職人とは、研師で名高い竹屋出身の竹屋コスメのことと推測できる。『日本刀大百科事典』(福永酔剣著)から紹介すると以下の通りである。 「京都の研師。キリスト教の日本二十六聖人の一人。慶長元年(一五九六)十二月、切支丹の故をもって逮捕され、耳削ぎのうえ、京都市中を引き回したのち、長崎へ護送された。翌年(一五九七)二月五日、西坂において十字架にかけられ、磔刑に処せられた。

では「日本でもっとも腕利きの信長お抱えの金銀細工師」とは誰であろうか。後藤家では四代光乗が信長に仕えて高く評価されたが、後藤家は熱心な日蓮宗の檀家である。」

このフロイスの文章にある”キリシタンで、しかも日本でもっとも腕利きの信長お抱えの金銀細工師”の作品が、これらの目貫なのではなかろうか。こんなことも考えている。

6.鑑賞

   

障壁画にある画題である。手持ちの画集では雪村の作品を観るが、中国の画家も含めて多くの絵が残されている。そのような絵を、そのまま目貫として彫っており、そこに感心する。筆で描いたのと同様に、彫金したわけであり、結構な、手間がかかっていると思う。

鷺の姿態は、鷺らしく、じっとタイミングを見て待機している様子だけでなく、飛び立とうとしている鷺も彫っていて、変化を付けている。柳の枝葉も、川の流れも、柔らかい線から構成されていて巧みである。大きな障壁画の世界を、小さな目貫の世界に収めたのである。

上で紹介した「木菟図目貫」も、「燕に柳図目貫」も障壁画にあるような絵をそのまま彫っているのは同様である。

優美な彫りで、柳は風にそよぎ、川の流れはゆるやかに動いている。鷺も飛び立とうとしているし、それなりに動きはある風景だが、全体に静かな雰囲気が醸し出されている。

そして品があって、格調が高い。

今回の鑑賞記は、このくらいにしておいて、また折りに触れて、観て、観て、鑑賞を深めていきたい。


おわりに

「1章 購入の経緯」に次のように記した。
「「無銘」のものや、「古金工」という極めのものは買う人が少ない。加えてコロナ禍であり、客数の絶対数も少ない。だから、セールの期間後にも必ず売れ残っていると何故か確信した。」

昔は、いいものだと足が速く、すぐに購入の決断をしないといけなかったが、最近は競争相手となるコレクターがいないと感じる。この目貫も金地で陰陽根のものなのである。これだけでも貴重だと思うのだが、売れない。
私が往時に収集を陰で競った旧知の有名なコレクターもおられるが、この方達はすでに十分にコレクションをお持ちであり、また私と同様に年齢的なことから積極的には購入されていない。

あるいは、私が最近欲しくなるようなものは、世の中の嗜好(時代の嗜好)とズレてきているのかもしれないとも思うのだが、「美」の真価は代わらないはずである。

また、最近のコレクターは、より賢明になって、むやみやたらと買うようなことはしないと、刀剣の畏友から伺ったことがあるから、そういうことかとも考えた。
私のように「買って、手元に置かないと、結局はわからないでしょう」という考え方とは距離を置いたスタンスである。

伊藤に「売れてしまったか」と悔しがらせるような刀装具界になって欲しいと思っているのだが。

初心者の頃は、無銘のものは買い難いと思うが、無銘のものの中から、自分の眼、感性で選ぶようになって欲しい。こうなる為に、鑑賞会に頻繁に通い、鑑定会で当てっこゲームに興じているのだから。
中には損をすることもある。でも人生であり、どこかで損をするし、逆に思いもよらぬ幸運にも巡りあうのだ。(刀剣・刀装具では金銭的には損をすることの方が多いが、心の栄養にはなっている)

刀装具、特に古い時代のものは基準となる品物が無いから難しい。私も鉄鐔の時代判定などは、まだわからない。その中では自分の感性だけで、自己満足するしかない。それに他の人が同調していただいたら嬉しいが、所詮、自己満足の世界である。

そして、今回の件でも、ご理解いただけたと思うが、資料となる本は手元に置いておくようにして欲しい。当方などは、年齢的に本の処分を考えているが、若い方は本を大事にして欲しい。それを繰り返し、観ていれば、いつか御縁が生まれるかもしれない。


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