05年1月末に、かねて出向きたいと思っていた光悦寺を訪れた。
京都の北部にあり、鷹ケ峰、鷲ケ峰、天ケ峰の鷹ケ峰三山を見わたすことができる地にある。鷹ケ峰はご覧のように優しい山容である。
光悦寺内から鷹ケ峰を見る |
この地は、元和元年に家康から本阿弥光悦が賜った。光悦は、ここに一族ばかりか各種工芸家を集めたことでも名高い。この鷹ケ峰芸術村に、埋忠屋敷もあったことが内藤直子氏の研究論文「光悦村の金工」で明らかになっている。
光悦寺とは屋敷内の位牌堂が日蓮宗の寺となって存続しているから言う。後藤家も日蓮宗である。信家も日蓮宗信者と思う。当時の刀装具関係者の宗教的ネットワークなども興味深い。この地にいた埋忠明寿も日蓮宗だったという可能性も高い。
敷地内には、お茶室が五つほど散在している。庭には光悦垣があるが、現在の庭や茶室はおもしろいものではない。やはり鷹ケ峰の山容の景色が良い。
光悦の墓は鷹ケ峰を見る位置ではないが、光瑳(光悦子)、光甫(光瑳子)などの一族の墓は鷹ケ峰を正面から見る位置にある。
光悦の墓所 | 光瑳、光甫など一族の墓所(鷹ケ峰に正対する) |