日本刀・刀装具趣味雑感

このページは伊藤が、日本刀・刀装具の趣味を楽しんでいる中で、気が付いたこと、メモを記しています。日本刀の研究、日本刀の鑑賞・鑑定、刀装具の研究、刀装具の鑑賞・鑑定に含めにくいものをまとめています。


   

刀装具の証書「無銘 後藤」と「無銘 程乗」の違い(2017年2月21日)

最近の刀装具の保存、特別保存の証書に「無銘 後藤」だけのものがあり、一方で「無銘 程乗」などと個銘を極めているものがある。協会の審査に詳しい人から、キチンと個銘が極まるものは、例えば「無銘 程乗」と記し、そこまで作位が上がらないが後藤派の作品を「無銘 後藤」、場合によっては「無銘 後藤(桃山時代)」などと記すことを聞く。ここまでは想像して通りである。
そして「無銘 後藤程乗」とは記さないと聞いたので「何故?」と尋ねると、それは「無銘 後藤」の証書に、悪い人間が書き足して「無銘 後藤程乗」にするのを防ぐ為と言う。欺しの手口は色々とあるものだ。
ここでは「程乗」を例に書いているが、「徳乗」でも「顕乗」でも同様である。また「無銘 後藤(桃山時代)」なる極めも見たが、これも「後藤」の後ろに個銘を書き入れられるのを防ぐ偽造対策なのであろうか。

「無銘 西垣」と「無銘 勘四郎」の違いも同様で、「無銘 西垣勘四郎」との極めも無いのだろう。

ちなみに今は「脇後藤」の極めや「京後藤」の極めは無く、「加賀後藤」の極めはあるようだ。「無銘 後藤」が「脇後藤」「京後藤」に該当するのだろうか。
いずれにしても”姓名”や”流派名+個銘”の証書は疑って見た方がいいようだ。(もっとも昔はそのような極めがあったのかもしれないが、協会に問い合わせれば教えてくれるだろう)

昨今の偽物事情(2017年2月4日)

相変わらず振り込め詐欺とか、還付金詐欺に遭う人が多いようだ。銀行や保険会社から妻にかかってくる投資信託の勧誘の電話なども、私から言わせれば詐欺のようなものだ。彼等は手数料稼ぎで、運用などは大したことはやっていない。
それはさておき、刀剣界も相変わらず、あの手、この手で悪いことをやっているようだ。刀剣に偽物が多いのは昔からである。私が実見したこと、信頼できる人から聞いた話で目新しく「なるほど」と思った話をまとめておく。

  1. 金象嵌切断銘にも偽銘がある。最近は外国人が切断銘入りを好むそうである。証書が付いていたが、銘はいいが、切断銘は違う。
  2. 重要刀剣の証書は紛失すると、重要の証明書を再発行してもらえる。悪い奴は「紛失した」と届け、証明書を入手する。そして本物に似た刃文の偽物を用意して、その中心(なかご)を本物に似せて仕立てる。無銘ならより簡単だ。刃文を似せるのは直刃調は簡単だ。同じような刃文が多い大和系の重要は要注意である。重要証書の刃文とか調書の中には、現物と異なる記述もあるから、目の利かない人は騙される。銃砲刀剣類所持許可証の方も「紛失しました」として、本物の刀を持参して新たに交付してもらう。そして売り方だが、偽物の方に、本物の重要証書、元の銃砲刀剣類所持許可証を付けて販売するのもあると聞く。本物は重要の証明書をつけて、別の機会に販売する。(もちろん、偽物に重要証明書というパターンもある)
  3. 有名な現代刀匠の偽物もあると言う。現代刀匠の作品には「特別保存」などの証書が付かなくても流通しやすい。銃砲刀剣類所持許可証は一度海外に現物が持ち出されると再交付が原則だから、こうして再交付してもらう。あるいは紛失したとして再交付してもらう。そして現代刀匠の作品に似せた新作刀に、偽銘を切る。

この外に、重要とか特別保存の証書の偽造もあると言う(これは協会に問い合わせるとわかるようだ)。インターネットに掲載の写真などは修正も簡単である。
自分で現品を観て買うのが鉄則だが、インターネットにしても信用のある刀屋さんとお付き合いした方がいい。

刀屋さん(2016年9月12日)

ある刀屋さん曰く、「刀屋だからと言っても、間違うこと、失敗は結構あります。「刀があるから来てくれ」との連絡で出向きますが、蛍光灯しかないところなど光線が悪いとわからないです。また、どんな刀を見せられるかどうかわからないし、やはり手元にその刀工に関する資料(押形集のような本のことか)が無いと確認できないです。」と。
「まあ、自分の店に持ってきてもらって観るのならば、そうは失敗しませんが」と続けたが。

正直なところだと思う。もっとも、いいものでも刀屋さんが購入する価格は市でさばいても損をしない価格だから、素人から見ると「安く買い叩いている」と思えるものだ。市場価格で100万円程度のものなら、半値の50万円、それに研ぎ直し費用、白鞘手直し費用などを頭ではじいて20~30万円程度か。このクラスの刀だと初心者にも売りにくい。一方、愛好家は見向きしないから長く在庫になるリスクもあるからこうなるのだろう。

だけど、こういう仕入れをしていれば利益も取れるから、一本、二本失敗があっても何とかなるはずだが。

ある刀屋さん(A)で、他の刀屋さん(B)に売って、その刀屋さん(B)がお客に販売。お客が保存の審査に出したら通らない。そこでお客が刀屋(B)に返品。そしたら刀屋(B)が、元の刀屋(A)に返品してきたという話を聞いた。刀屋(A)が刀屋(B)に、売る時に保証でもしたのだろうか。プロ同士でも、こんな取引があるわけだ。

上記の話は論外だが、刀屋さんの失敗は、所有あるいは預かっている高価な御刀に対して、「お客がいるから貸してください。売ってきます」という同業者を信じることだ。貸して、何やかんやで御刀が戻らないことになったら大変だ。悪い業者は事前に同様なことで何振かを売って信用させている。

もちろん、自分の実力以上に浪費したら、終わりになるのは刀屋商売に限らない。100万円で売っても、仕入代金60~70万円と在庫金利を除いた額が粗利益だと言うことを忘れて使っては仕方がない。扱っている商品は、いつ売れるかわからない商品だ。買う方だって一生に何振かの世界だ。刀=札束が仕事をしないで寝ている。

一番見える人は(2016年9月7日)

先日、ある方から刀剣界で一番見える人は誰かとの話題でお話を聞く。その結果、やはり現在でも刀屋さんの中にいるだろうとなった。では今の刀屋さんの中で誰かになるが、全ての刀屋さんを存知上げているわけではなく、刀屋さんのお名前までは出なかった。

短時間で、数多くの御刀を観て、命の次ぎに大事なお金を払って買い取る。偽物であれば大変だ。真剣さが違うから、私も納得する。5本の鑑定刀で4本当たって喜んでいる素人とは違って、外れた1本の為に4本の利益が飛ぶ。

その方から、昔、刀剣柴田の柴田光男氏とのやりとりを教えていただいた。「どう、御覧になりますか?」…「少し、引っかかるところがありますが」、「さすがです。これ、先日、良いと思って買い入れたのですが、改めて観ると偽物でした。よく出来ているでしょ。」、「そうですか…でもいい出来ですね」、「私が騙されたくらいだから、市(刀剣商の交換会)に持っていけば、騙される人がいるから、損はしませんが」と例の調子で話されたそうだ。

もっとも、今は刀屋さんでも身体を張っていない人も多い。「証書がついていますか」とか「委託でお預かりしましょう」では真剣味がでない。柴田光男氏の言を借りれば「証書がついているから、市に持っていけば、買う人がいます。お客さんも同様です。だから損はしませんが」となるだろう。委託であれば「売れなくても、置いておくだけですから」だ。

こういう状況だから、刀屋さんを馬鹿にすることもあるが、本当の刀屋さんは侮れないし、そういう刀屋さんとお付き合いして良い御刀を入手していくのが本当だと思う。

刀で商売と言えば研師さんも同じだ。研ぐ前の観察力が必要だし、研いでみての研ぎ当たりの感触は他分野の人間にはわからない。でも、研ぎは仕事をすればお金は入る。
鑑定機関の方も、観ている御刀、刀装具の数は膨大だし、鑑識眼では当然に私などより上だ。ただ「最期は合議ですから」との逃げ道もある。

もっとも素人でも、私もそうだが、買ったら真剣になる。ある識者がおっしゃるが「買う前は100%良いと思う。買うと、それが90%、80%と下がることもある」は事実。つらい趣味です。

鑑定会のあり方(2016年3月9日、12日追記)

鑑定会とは、茎(なかご…銘が切られているところ)を隠した刀剣を5~6振程度を並べ、上身だけで、その刀の作者を当てる催しであり、刀剣の会イコール鑑定会ということが多い。
刀剣団体のホームページも多いが、更新されている内容は、鑑定会で何か出されて、どうだったと言う内容が大半である。ベテラン愛好家になると、鑑定会大好きという人も多い。

判者(鑑定刀を出題し、結果を解説・講評する人)は協会から呼ぶこともあるが、この場合は経費がかかるので、旅費程度で済む刀屋さんにお願いすることも多いと聞く。いくつかの会の判者が共通している場合は、その判者が直近に別の地区で出品した刀が、出される可能性があるとしてチェックして、高得点を取ろうとしている人もいるようだ。

刀の美は、日本刀の美を構成する刃文、地鉄、姿に関する基本的識別知識を学び、それらを観る方法(刃文は強い光源にかざすetc)を学ぶ必要がある。これを学ばずに、刀剣の美を鑑賞することは難しい。刀剣女子のように刀の前にたたずんでいてもダメなのだ。この基礎的識別知識、鑑賞方法を学ぶのには鑑定会に出席して勉強するのは良い方法である。

それは、いいのだが、多くの人数が集まる鑑定会では、一人が長時間、刀を観るのを防ぐ為に、一人一分程度の時間制限をせざるを得ない。短時間で見所を観て、判別するというと、刀剣商が市で次から次へと刀を観て購入の判断をし、価格を付けていくのと同じである。結局、愛刀家を、ミニ刀剣商のように育てているのだ。そして見方は刃文中心主義となる。

ミニ刀剣商と書いたが、協会の各種認定証頼りで、自分の眼での真偽の判断はしなくて済むから、愛刀家が刀剣商になるのは簡単だ。(本当は古物商の免許も必要で、素人が行ってはいけない)
セールストークも、相変わらず「一つの上の認定を狙えますよ」でいいのだ。

私が鑑定会に出ていた頃は、自分が知っている刀が出れば「見知り」と書けと教えられたが、今はそのような風習は無いと言う。むしろ見知りを多く記憶に留める為に、ハバキや彫物という覚えやすいものに重点を置く人間もいると聞く。
こういう人種を”鑑定会ゴロ”と言い、このような鑑定会を”当てっこゲーム”と言う。”鑑定会ゴロ”に堕してはいけない。

私は、今の刀剣界の権威とされる先生や、高名な研師の方や、鑑定会の判者もつとめておられる愛刀家や刀屋さんを存じ上げているが、「鑑定会では判者も解説できるものを出しますが、わからない御刀、当たらない御刀の方が多い」と謙虚に話される。そうだと思う。

それが、鑑定会で少し当たるようになると、天狗になり、今度は、その会に出席された愛好家の入札にコメントして馬鹿にしたりする。これでは愛好家は増えない。

山梨支部では、グループを作ってグループで話し合って入札するようにして、初心者を育てていると聞いたが、色々と工夫して欲しいと思う。
岐阜支部では鑑定会、鑑賞会にも偏らないとして研究会として、鑑定では武士らしくカンニング、私語無しで自分で考え抜いた結果を入札している。
新潟支部では鑑定はせずに、はじめから茎を見せて鑑賞中心としている。
また判者、鑑定会の中には、出品した刀の押形を必ず配布して、勉強に資している人もいると聞いた。

天位、地位、人位の発表を止めるのも効果があるのだろうか。
あるいは刀剣関係の職業に就いている人は別にして、判定するのも一案であろうか。今の鑑定会は刀職関係者の方が半分近いとも聞く。
ともかく、初心者が当たらないのは当たり前として、嫌にならないようなコメントも判者にお願いしたい。「ほとんどの人が○○と観ていましたが、これはこういう点から××です」とコメントされたら、○○にも観られなかった人は恥ずかしくて来られなくなる。
時代と刀剣の位を知るのが大事なのだから、初心者には、そのような視点で教えてあげて欲しい。(これも鑑定会に出てくる刀となると、最上作、上々作と割り切る人がいたら難しい)

鑑定会ではなくて、鑑賞会にするのも一案だが、この方が御刀を集めるのが大変かもしれない。

価値観の変遷(人気、美の発見、稀少性など)(2016年1月24日)

今(2015年から)、刀剣乱舞というゲームで、そのゲームの登場人物である加州清光、和泉守兼定、堀川国広、長曽弥虎徹などが人気になって価格が上昇していると言う。これなどは一時的な”あだ花”的な人気なのであろう。もっとも之定、国広、虎徹は”あだ花”人気が剥げても実質があるが。

和泉守兼定(会津の新々刀)は新撰組の土方歳三の愛刀として人気になっている。新撰組の近藤勇の愛刀虎徹については真偽が色々と取り沙汰されている。新撰組は京都の治安維持で脚光を浴びてからは、会津藩、あるいは幕府、上方の大商人から恩賞、献納としての刀の拝領も多い、また金回りも良くなる。このような時に入手した刀は高価なものがあるが、池田屋事件の頃は大した刀は所持していなかったと考えた方が正しいだろう。そして、今でこそ新撰組人気だが、明治の頃から戦前までは薩長主導の世界であり、そこでは鞍馬天狗の敵役(かたきやく)が新撰組だったのである。

今は人気が無いが、戦前からちょっと前までは赤穂浪士が人気で、赤穂浪士の誰それが持っていたという刀の偽物は多くあった。人気による価値観は遷り変わる。赤穂浪士のテレビ番組が生まれ、イケメン俳優が演じれば、再度、火が付く可能性もある。

昔から一般の人にも知名度の高い刀がある。刀と言えば正宗である。酒にも○○正宗は多い。
徳川家に祟ったことで妖刀とされた村正も高名である。反徳川の志士も求めたと言う。
虎徹も多くの逸話があり、昔から人気が高い。語呂も良い関の孫六もそうである。このような刀の人気は根強い。
講談にあるという五字忠吉は講談が聞かれなくなり、今は人気下降中である。落語にある浜野矩随も、今は知られていない。

あるコレクターが真価を発見して価値が上がる刀もある。近年では靖国刀がそうである。トム岸田氏が本を出してから見直しがなされている。

弟の人気が波及して価格が上がっているのが山浦真雄である。真雄は荒試しで名高く、実用面では評価されるべき刀工である。
清麿一門は師匠の価格高騰で、概して堅調である。

一方、刀剣を購入する愛好家が少なくなっている状況で厳しいのは、作品が多い刀工である。肥前刀が該当し、近江大掾忠広は作品の質に比較して価格は低迷している。
虎徹以外の江戸新刀の価格も低迷していると言う。実質のある刀はお買い得だと思う。

刃文も、今は直刃は人気が無いらしい。派手な刃文がいいとは、どういう風潮なのであろうか。

刀装具の方では、現在は正阿弥勝義などは非常に高価で夏雄に匹敵する価格と聞く。全体に明治金工の細工が細かく、派手なものの人気が高い。これは清水三年坂美術館の館長が、積極的に蒐集して、その美を広く、世間に訴えたことの結果である。それまでは、明治のその手の金工作品は「ハマモノ」と蔑称で呼ばれていた。ヨコハマからの輸出品用として製作されたもので武用など一切考えていないものという意味である。
それが今では”明治超絶技巧”として、各地の美術館で展覧されている。こういうのは「美の発見」と言えるだろう。

一方、昔は高かった古美濃、古金工などは安い。古美濃は昔のコレクター小窪健一氏が評価を高めたと認識している。

世間の人気、世評に関係無く、自分の感性で良いと感じた御刀や刀装具を求めていただきたい。刀剣・刀装具などで儲けようとは考えないことだが、現在、人気が低迷している分野で、あなたの感性に合うものがあれば、良い時期である。

今は世間で認められていない作家、流派を、自分が良いと信じて買い集める人は立派なコレクターである。

江戸時代の太刀贈答の裏側(15年8月19日)

江戸時代の大名は、将軍、幕府重職、他大名に対して贈答の機会が多い。同じようなものをいただくことも多い。そこに献残屋(けんざんや)という商売があり、献上物で不用なものを買い取り、他の献上者に売るわけだ。武家の贈答で大切なのは「太刀」と「馬」。しかし「太刀」も「馬」も、そんなに必要ではない。そこで太刀は「上り太刀」(あがりだち)と言って、木で作った太刀を黒漆で塗り、真鍮の金具を付けたものが使われる。そして目録に「御太刀一腰 御馬代」として金銭を添えたわけだ。金銭は役職・官位で慣例として定額だったようだ。大名が官位を叙任され将軍に御礼では金十両、旗本が官位を叙任された時は銀一枚だった。(『大江戸世相夜話』藤田覚著より)
「上り太刀」は木刀であり、維新後は燃やされたのか、ほとんど残っていないようだ。

この他に次のようなケースもあると言う。金銭を贈りたい場合に、本阿弥家に贈りたい金額の倍が代付けされている折紙付きの刀剣を用意させ、それを相手に贈る。これだけだと武家にふさわしい贈答形式だ。贈られた先は、その刀剣を本阿弥家に払い下げ、本阿弥家から折紙代金の半額相当の金を受け取る。一方、本阿弥家は贈り先から該当する金額相当の代金をもらう。もちろん本阿弥家は手数料分も取るのだろう。こうなると、本阿弥家も巻き込んだ贈収賄だ。(『日本刀大百科事典』(福永酔剣著)の「折紙」の項より)
こういうのは後藤家の折紙でも時代が下がると行われたのであろう。

昭和23年の刀装具の価格(2015年6月1日)

『鐔入門』(柴田光男著)は昭和42年に出版された本である。当時の刀剣ブームに乗って、鐔に焦点を絞って、刀剣商の柴田光男氏がまとめたものである。そこに当時の愛鐔家が自慢の一品を出品して、入手の経緯、その鐔に惹かれた点などを投稿している。その中に北海道の大収集家の藤井学氏が、林又七の九曜紋唐草象嵌鐔(『肥後金工録』だけでなく『肥後金工大鑑』にも作品22(23頁)に所載されている名鐔)を入手した経緯が書かれている。藤井氏の原稿を一部抜粋する。

「昭和23年の夏、故工藤勝衛氏(刀剣商)が来道された。その折、持参されたのが『肥後金工録』所載の八つ木瓜二重唐草金象嵌鐔と『金工名作集』所載の政随寿老之図小柄の二点であった。氏いわく「この二点を二万円で買ったのだが、一万八千円以上の値をつけてくれる人がなく、損をするので売らずに持ってきた」と。私はすかさず「さらば何ほどで売って下さるか」と問い、二万五千円で入手した。当時、東京ー北見間の乗車賃は八円くらいだったと記憶する。」

この乗車運賃8円がどうしても信じられずに、「鉄道運賃の推移」というウェブサイトを調べると、 昭和25年(1950)に山手線の初乗り運賃が5円、東京から大阪までの特急つばめの運賃が2480円、特急料金(一等車)が1200円=3680円というデータを見つけた。ちなみに当時の教員初任給が3991円だそうだ。昭和23年と昭和25年は違う可能性もあるが、やはり、東京から北海道の北見までの運賃が8円というのは藤井氏の記憶違いか、誤植であることがわかる。

現在の東京と新大阪の新幹線代は、乗車券8750円、グリーン車料金10480円=19230円 である。この料金は当時に比較して5.23倍である。山手線初乗り運賃は今が140円だから28倍になっている。
昔の貨幣価値を米価で比較したりするのは一般的だが、米価は昔から時の政権によって管理された価格であり正しいとは思わない。また鉄道運賃というのは飛行機、高速道路料金との競争、一列車当たりの乗車乗員などを考慮されて決定されるから、これと当時の物価水準を比較するのも無理がある。

当時の生活全般に資する収入、すなわち教員初任給と比較するのはどうだろうか。2009年には教員初任給は239500円だそうだ。これは1950年に比較すると、60倍である。

すなわち藤井学氏が当時25000円で購入した又七の鐔と政随の小柄は、現在だと60倍の150万円くらいのものなのだ。又七の鐔も名品だが、政随の小柄も私がこれまで観たことのないような名品である。「当時は安かった」という人がいるかもしれないが、終戦直後、誰もが生活に追われていた時代だ。しかも刀剣などは米軍に没収されるかもしれない時代だ。加えて鐔や小柄は、その付属品だ。それに対して150万円だ。

このエピソードに対して、感想は様々だと思う。私は「いいものは時勢に影響はされても、それなりに高いもの」と思った。また藤井学氏は刀剣でも名品を多く持たれていたが、このような買い方をしてくれれば、刀剣商は名品が入手したら高い金を出しても津軽海峡を渡ったことだろう。

刀剣保存における現代的方法(2015年4月24日)

高野山の霊宝館で、刀身に黒漆を全面に塗られた簀戸国次の太刀を拝見し、改めて昔の保存方法を認識した。お城に備えていた御用意刀も、このように漆を塗っていたと聞いたことがある。漆は研がなくても角のようなもので落とすことができるから、刀身を減らすこともなく、それなりに合理的だったのだろう(完全な錆び止めになるかとか、美術的な点までの保存に適しているかは私にはわからない)。

刀剣の保存は、昔からの伝統的方法を踏襲しているが、それでも、刀身に塗る油として純粋の丁字油を使っている人は少ないだろう。私も岡村平兵衛の丁字油を持っているが、塗ると拭う時が大変だ。だから刀屋さんで売っているもの(成分はわからないが合成のものだと思う)を使っている。また油を拭う拭い紙も、手漉き和紙の高級なものもあるが、それを細かく折って、揉んで柔らかくして使うことはなくなった。今は新しいティッシュペーパーで打ち粉もふらずに油を拭い取るのがヒケも付かずに、優れていると思っている。刀屋さん、研ぎ師さんの中には高級なセーム皮で拭っている人もいる。

畏友のH氏などは、昔ながらの打ち粉(研ぎ汁から水分を抜いて精製した粉)を打って、本当の丁字油で手入れしてこそ、地肌が起きるともおっしゃるが、中途半端に真似をしない方がいいだろう。今の研ぎ師は、研ぎ上がった時が最上の状態となるように研いでいる。御手入れで良くなることを想定している研ぎ師さんはいないと思う。

白鞘は、現代の名人にお願いしても、どうしてもわずかに当たりが出るものである。刀身に塗った油が乾いている箇所などでわかる。だから日常の手入れが必要なのだが、長期に保存する時用に何か現代的な方法が生み出されているのであろうか。
親が刀剣愛好家だったが、自分は受け継いだだけという人の元に出向いた時に、錆びが浮いている箇所があり、残念に思ったことがある。私自身は長期に保存する必要もないから試してはいないが、刀身にラップを巻くようなことも考えた。しかし副作用の弊害も確認しないと、人には勧められない。

伝統は守るに価することを守ることである。鞘師の高山師の個展で、お話を伺った際に「漆は千年持つことは実証されてますから」とおっしゃった。これを聞いて「うーん」と唸ったが、長期の刀剣保存方法などは昔ながらの方法を墨守する必要は無いと思う。現代の進んだ技術での新方法が生まれるのを期待したい。

蒐集するということ(2015年2月24日)

文士と骨董 やきもの随筆』(森孝一編)は焼き物(陶磁器)愛好の話ながら、刀剣・刀装具の蒐集にもつながる話があり苦笑すると同時に共感するところもある。いくつか紹介したい。

青柳瑞穂(仏文学者、詩人、美術評論家)は、骨董病の本質として「この病気は不快、苦痛は無く、愉快、快感を伴うが完治しない、苦しいゼニを出して、わがものとするのが、この病」と見抜いている。そして「美とは一つの決闘だそうだから、やっぱり、飛び込まなければはじまらない。飛び込んでから、勝負は決まるのだ。何より冒険をおかすことだ」とまで書いている。

秦秀雄は井伏鱒二の書いた『珍品堂主人』のモデルになった人物であるが、「新作品だからといって見のがせはできない。安ものだからといって軽視しない。値高しといって恐れてもおれない。きず物だといって遠ざけたりはしない。重文だ、国宝だ、名物だ、といってひれ伏しもしない」と意気軒昂だ。「買うという仕草は勇気のいることで失敗することかもしれない。だから真剣になれる。その経験の積み重ねが真贋美醜を自得することになる。人に教えてもらってわかる知恵ではない」と喝破している。

白洲正子は秦秀雄のことを評しながら、「骨董は自分自身の眼が造りだした芸術であり、人生の表現でもあるからだ。彼は骨董の上でも、わかり切った一流品や、名のある優等生を軽蔑し」と賛辞を贈っている。また秦は「贋物を怖れるな。贋物を買えないような人間に、骨董なんかわかるもんか」と豪語していることを紹介している。

以上の言葉を真に受けて実践すると怪我をしますぞ。ただ買わないで鑑定会での勉強だけとか、買うのも証書という紙頼りでは”自分自身の眼が造りだした芸術であり、人生の表現”はできないのも事実。こういうところが不治の病。
不治の病だから、この病気に罹患している人は買わないと元気が出ずに、活力が無くなるのも事実。逆に買っていれば健康で長生きできる。 

もちろん、刀剣・刀装具が好きだけど、お金を出してまではという愛好のスタイルも私は否定しない。趣味のことであり、色々あっていいのです。

眼の不思議(2014年10月25日)

先日、刀身の彫物も良い新刀の名作三振りを拝見した。それぞれの地鉄、刃文の妙を鑑賞しての記憶は感銘を伴って鮮明だが、彫物の記憶が驚くほど薄い。もちろん私の粗見であり、情けないことなのだが、自分なりに「何故か」と考えた。その答えの一つが”眼”の性格にあると思い至ったので記しておきたい。もちろん、この記述は私なりの考えであり、世間に通じるかは別である。だから、あなたなりに考えていただきたい。

私がこれから書きたい”眼”は美術品を観る”眼”のことである。「目利き」と言うときは”目”、「審美眼」と言うときは”眼”だから、どちらの漢字を使うべきか迷ったが、ここでは”眼”を使って記していく。
眼からの情報量は、一瞥するだけで対象物だけでなく、地平線などの周辺物まで見えるように、耳からの情報量よりも豊富である。また同じ眼からでも画像情報は文字情報とは比べものにならないぐらい多い。そういうわけだから眼は画像情報を自然に捨象して、処理してくれる。要は、脳がその時点で関心を寄せているもの、注意を喚起させるものだけが入ってくる。

だから、刃文を観ている時は刃文の形状、刃文を形成する沸、匂の状態に、そして映りの出具合などに関心が向く。地鉄を観ている時は地鉄の構成、地景、地沸などの働きを注視する。だから刀身彫りなどは「彫がある」ということだけで粗見してしまう。

また、脳が関心を寄せるもの、注意喚起させるものに眼は注意を向けるということで、日常的に見慣れたものは見なくなってしまう。モナリザでも、自分の部屋に飾っておけば見なくなるというのはこういうことだ。常日頃に頻度多く拝見するものは、どうしても疎かになってしまう。刀剣でも、多く出回る肥前刀で、刃文の変化が少ない直刃などは見過ごしても何とも思わなくなる。

刀屋さんも含めて道具屋さんが「目垢(めあか)が付く」と言って、売りたいものを長く飾っておかないのは、この効果がお客さんの購買に大きく影響すると考えるからである。

鑑定会では、その刀の作者を当てることが第一である。だから姿、鋩子も含めた刃文の形状、地鉄等はよく観る。少しの傷などは見ない。しかし、実際に買うと、その小さな傷が目に付く。そして気になると傷は大きく見えてくる。また鑑定会では正真のものが出されていると疑わない。しかし手元に置くと、銘の微差が気になったりする。棟から観たりすると、銘のある側が少し減っていることなどに気が付く。小道具だって、自分のものにすると、小さな補修の跡を見いだすこともある。

「芸術は驚きだ」と言われているが、これも眼の性格から来る。見慣れている美しさを表現したものは驚かない。そこに新鮮な視点から美しさを見い出したものが出現すると評価は高くなる。美術史をたどっていくと、同じテーマの宗教画、ポーズが同じ肖像画の中世の時代に、まったく新鮮な画題(ギリシャ神話に準拠した神々の新しい姿態)などを表現したボッティチェリが出現すると、ルネサンスの旗手として歴史に残る。技術的な差などわずかなものだ。メディチ家などの宗教にそれほど熱心でないパトロンの注文が大きいのかもしれないが。
風景画の中に雨、雪などの気候、夜とか朝などの時間も取り入れた歌川広重の浮世絵に印象派の連中はびっくりしたのだ。慌てて外に出て写生した連中が評価されている。
アフリカ美術に存在したデフォルメを下手と思わず、作者の意図として取り込み、2次元の絵画に新たな驚きを与えたのがピカソなどのキュビズムだ。そして、それが歴史に残っている。

その時に新しいことをした画家は、それなりに苦労し、試行錯誤しているから芸術性も高い。そして、一度出来たものを踏襲している追随者は「売り絵」に堕して、歴史の選別に耐えられずに消えていくのだ。かと言って、驚きを与えれば何でもいいかと言うと違うわけで、そこに芸術家の苦悩がある。

鑑賞する側の”眼”に話を戻そう。ここにおいても”驚き”は大事である。何に対しても驚くのは、感受性があるからではなく、観ている量が少ない勉強不足の者なのだ。観ている量が多い人は、わずかな時間、眼を向けるだけで”驚きに値するもの”を見い出すのだ。業者間の市で、長く観ている刀屋さんがいれば笑われる。
我々も、我々なりに多くを拝見した中で、「えっ、この鍛冶には、こんな凄いのがあるの!」という驚きが大事となる。
そして、こういう”驚き力”は、刀剣・刀装具だけを観ている中からでもなく、他分野の美術品の鑑賞の積み重ねでも生まれるのかなというのが、私が尊敬する数寄者を観察しての最近の感想である。

刀剣一筋でもいいのでしょうが、この場合は「鑑定の見方」(違いを際立たせる見方、はじめに格ありきの見方など)の意識に毒されないことが大事なのではないでしょうか。最上作と言われて見せられても、これまで拝見した刀剣と比較して驚きがなければ買わなくていいのだ。(もっとも普段、買っていないと、こういう感覚も生まれない。また勉強の為に買っていないと、この感覚が掴めないところが、つらいのだが)

以上、書いてきたが、新刀名作の彫物を粗見したのは、その場での関心が後順位だったからに他ならない。再度、拝見に伺えとの刀からのメッセージと捉えたい。

「新たに刀を買うのは、奥さんも新しいのがいいと言うことと同じよ。やめときなさい」(2014年1月11日)

堀川国広を購入しようかどうしようかと迷っていた時に、藤代興里先生のとこで「国広を買おうと考えているのですが、買う前に持参できないのですが、モノは間違いがないと思います。ただ価格が私にとって高いからどうしようかと迷ってます」との話をする。先生からは「一般論だが、自分がカメラを買う時に実感したのは、迷ったら高いものということ」とのご助言を受ける。そこに藤代先生の奥さんが来られる。先生が「伊藤さんが、刀を買おうとして迷っている」とおっしゃる。奥様曰く「伊藤さん、新しく刀を買うのは、奥さんも新しい方がいいと言うのと同じよ。やめときなさい」と。

一面の真実を貫いたお言葉である。買った後に藤代先生のところに持参した時に、今度は奥様から「買ったの。買ったら、好きになることね」と。

私の親しい刀友は、私生活の詳しいところまではわからないが、皆、愛妻家とお見受けする。浮気心を刀を買うことで紛らわしているのかはわからないが、藤代夫人の言は貴重である。そうなのだ。あんまり買うのも考えものだ。そして、買ったら、何よりも御品に対して、愛情を注がないといけないのだ。

銃砲刀剣類所持等取締法に対する刀剣界のスタンスの変化、証書の役割変化(2013年9月20日、2018年5月21日改定)

一昔前の「刀剣美術」(日本美術刀剣保存協会)を読むと、刀剣界としては銃砲刀剣類所持等取締法の適用を受けなくても済むように働きかけようという論説が掲載されていたものだ。一例として「刀剣美術」93号の「刀剣の所持取締法を撤廃せよ」(黒田政重著)の論旨を紹介したい。

福永酔剣氏は『日本刀大百科事典』の中で、昭和33年の刑事部長からの通達には「発見届の受理にあたっては、善良な届出人に迷惑をかけないよう、その取扱いに考慮を払う」とあるが、実際はこれが無視されている場合が多く、愛刀家はもとより、一般国民の不満と怒りを買っていると、感情的な説明を加えている。

このほか、世界に冠たる美術品なのに、まずは武器と見ることへの反発も多かったと認識している。

昔は暴力団等の犯罪において、まず銃刀法違反で逮捕状を取って、「それはさておき、この件でおまえはどうした?」という別件逮捕によく使われていた記憶がある。当時の捜査には便利な手段だったかもしれないが、今はこのような捜査手法は聞かないし、やれば問題となろう。

アメリカの銃規制の緩さが問題になっているが、向こうは個人の自由を守る為という国家成立の理念が影響している。特に共和党は”小さな政府””自分の身は自分で守る”意識が強い。

日本の武士社会では、武士身分は自分で善悪等の判断ができ、自分の身は自分で守れる人間として、その身分の象徴としての刀剣の携帯が許されていた。だから、不祥事を起こせば自ら切腹して責任を取るの前提だった。百姓・町人が無礼を働けば斬り捨ててもよく、また武士階級の尊厳を守る為には斬り捨てが義務だったが、無礼討ちには証人が必要であり、いなければ切腹だった。相手が武士・浪人ならば、殺しても理由・事情によっては切腹、殺した事由が認められても相手の親族から敵討ちの相手として狙われる覚悟が必要であり、相手を殺せなかったら恥辱、卑怯な方法も恥で切腹、もちろん自分が逃げたら御家断絶を覚悟する必要がある。こういう覚悟での大小の携帯であり、抜刀だった。

日本もアメリカも、武器を保持する人間は大人(精神的な意味)で、それに伴う責任も負う覚悟を持つことが求められていたと言うことになる。武器の所持に関する議論は、広げると大きくなる奥深い内容を含んでいる。

現在は、日本美術刀剣保存協会の刀剣審査の都度、審査結果と同時に、銃砲刀剣類所持許可証の番号をコンピュータ登録していると聞いた。同じ刀剣を審査に出されて、その都度、審査結果が異なるのを避ける為と聞いている。「この前の審査では無銘・直江志津の極めだったが、今回の審査では無銘・古宇多だった。協会の審査はおかしいでは」との批判を避ける為だ。無銘の刀を研ぎ直して、極めが変更されることを期待して改めて審査に出しても、同じ登録証である限りは審査結果は変更されないというわけだ。(どうしても今の審査結果に承服しがたい場合は、現在の鑑定書を添えて、その旨を申し出て再審査をお願いすればよいと聞いているが、これは協会に再確認して欲しい)
すなわち、銃刀法の趣旨とは別に審査上の都合で所持許可証が活用されていることになる。すなわち今の協会は銃砲刀剣類所持等取締法の存在を活用する立場になっているわけだ。

刀剣商も、この法律を必要以上に遵守している。法律では規制の対象となっていない刃長15㎝以下の小刀、槍、剣なども、登録証が無いと買い取りもできないとしている刀剣商が大半だと思う。2008年にダガーナイフの規制で、刃長5.5㎝以上の、この種の剣が規制に追加され、境界がわかりにくくなっている面もある。小刀や肥後の馬針などはどうなのであろう。

銃刀法成立の経緯も興味深い。敗戦後、占領下の日本において出された「日本国中のあらゆる武器を連合国軍に引き渡すべし」の条項には日本刀も含まれていた。そのような時世において、占領軍から日本刀を守るために、美術的価値のある日本刀は武器ではなく、例外的に個人の所持を認めてもらうように努力され、更に所持禁止令から所持等取締令に改められるように尽力された本間順治(薫山)氏、倉田文作氏(文部省の役人で語学の天才)、武井貞賢氏(文部省)、横尾勇次氏(内務、警察)、佐藤貫一(寒山)氏、キャドウェル大佐(第8軍憲兵司令官)、長尾米子氏(長尾欽弥氏夫人)、遠田勝雄氏(憲兵司令官付通訳)などの御努力には頭が下がる。(終戦直後の刀剣受難時代のことは『刀剣鑑定手帖』(佐藤寒山著)に「終戦時に於ける刀剣の処理問題」と冒頭に章を設けており、そこに詳しい。また本間順治氏の『薫山刀話』の「終戦秘話」も同様に非常に参考になる。この論はその抜粋である)

今は真偽の鑑定や、格付け(価格の裏付け)に使われている協会の認定書制度も登録証制度から派生している。
登録証制度では進駐軍から日本刀を守ることを優先して、偽物・再刃・研ぎ疲れの刀も含めて登録したが、そのままでは後世に禍根を残すと考え、所持許可は許可として、日本側として本当に「残すべき美術的刀剣」としての防波堤になるように貴重刀剣を認定する制度を昭和23年9月に設けた。この制度の裏の狙いとして、進駐軍が「日本側の登録認定が甘い」と言ってきた場合の備えという意味があり、なおかつ更に美術刀剣の定義を厳しく言ってきた場合の最終的な歯止めとして特別貴重を設けたと『薫山刀話』こ記されている。2重、3重に日本刀の保護に心を配って、尽力されてきたのだ。

私は、このような先人の努力を忘れない為にも、また美術品ではあるが武器という側面があることを踏まえると、銃刀法下にあるのは仕方がないと思う。所持の規制を外しても、今の状況では愛好者も増えないだろう。アメリカにも銃規制を強めてもらいたいと思う。アメリカ人の全てが、個人の自由を守り、誇りに思う大人(精神的な意味)だけではないのだから。

以下は、上記のように銃砲刀剣類所持刀等取締令を考えた契機となった、所持許可証に関する最近のこぼれ話である。

チャフラフスカを支えた日本刀(2013年8月30日)

2013年8月21日の日経新聞スポーツ欄に、チェコの元体操選手で東京五輪の花と讃えられたベラ・チャフラフスカの記事が載っていました。そこにおいて、共産ソ連の圧力の中で「二千語宣言」(チェコの民主化)の署名を撤回しなかったのは、日本で、ある方の家宝となっていた日本刀をいただき、その日本刀をつらい時期に観て、耐えることができたからだと述べてます。
この時、人間機関車と言われたザトペックなどは、圧力に負けて署名を撤回しているのです。こういう立派な人物が日本刀を讃えているのを忘れていけません。

外国人が驚いた日本人の武器愛好(2013年8月16日)

外国人が見た近世日本』(竹内誠監修 山本博文+大石学+磯田道史+岩下哲典 著)は、安土桃山期、江戸時代初期、中期、後期~幕末と、その時代ごとに、日本に来て、報告書、旅行記などを書いている外国人(主として欧米人)による日本人への印象を集めたものだが、そこに日本人の武器愛好ぶりに驚く記述が多く含まれている。

ザビエルは「名誉は、富よりもずっと大切なものとされているのです。他人との交際はたいへん礼儀正しく、武具を大切にし、たいへん信頼して、武士も低い(階級の)人たちもすべてが、刀と脇差をいつも持っています。彼らは14歳になると、刀と脇差を持つことになっています。」(1549年書簡より)
「武器を尊重し、非常に大切にし、よい武器を持っていることが何よりも自慢で、それに金と銀の飾りを施します。彼は家にいる時も外出する時も、つねに大刀と小刀とを持っていて、寝ている時には枕元に置いています。私は、これほどまでに武器を大切にする人たちをいまだかつて見たことがありません。」(1552年書簡)

シーボルトは「刀剣の佩用は日本に於いて一般の習俗にして、僧侶・商人・乞食・蔑まされた種族の穢多を除きて、誰人も日常生活にはなくとも、祭祝の日・祝賀のとき、便宜の訪問・職務中・旅行中には剣を帯びる」(「シーボルト日本の武器」)

スエンソンは「刀は日本人のもっとも愛好する装飾品で、贅沢を尽くす対象となるものはこれ以外にない。……刀は細心の注意と最大の畏怖をもって取り扱われ、父から息子へのと受け継がれ、緊要なとき以外には決して鞘から抜かれることもなく、しばしば誉れ高い名がつけられている……帯刀した者たちの間で流血事件が起きたと耳にするのはめったになく、この国の人間の生来の善良さと礼儀正しさを存分に物語っている」(E・スエンソン『江戸幕末滞在記』)

幕末において、日本人が異国船に招かれると子どものように武器に飛びつく様子が、しばしば欧米人によって記録されている。
オズボーンは「日本人に銃と銃剣を贈っているが、受け取った者の喜びようから察すると、大いにありがたられたらしかった。武器を贈られた者の誇りは、まったく限りがなかった。そして、その職務が平和的なものと思われていた森山(筆者注:通詞の森山多吉郎と思われる)でさえ、砲兵のカービン銃とその長い銃剣に飛びついたところは、まるで軍事の礼だけが彼の特別な人生の目的であるかのようだった。このような子供じみた武器愛好を見ると、微笑を禁じ得なかった」(S・オズボーン『日本への航海』)

中国、朝鮮は「武」よりも「文」が重視されるが、日本人の「武」重視によって、利欲的な行動、頽廃的な行動を厳しく戒められる性格、奢侈贅沢に関心をもたずに質実剛健を大事にする風習が生まれ、ヨーロッパの国王や貴族と違い「日本人は財産を衣服と武器と家臣扶持のために使い、財宝を蓄えようとしない」という驚きの記述になり、中国、朝鮮における私服を肥やすのに励む文化とは無縁になったのだと思う。(もちろん一般論であるが)

また、「武」重視から生まれる果敢な行動を重んじる気風や、武器重視=性能重視になることからの工業への関心、工業への尊敬、進歩への関心という性癖、「武」重視=修練重視から文武両道、教育への高い関心による識字率の驚くべき高さなどが、近代化につながった面もあると思う。

刀を帯刀し、それを抜く事態になれば、命のやりとりに直結するだけに、礼儀正しく、秩序を守る性格も形成された面があるようだ。

日本人の性格、民族特性を育んできた日本刀愛好の心を大事にしていきたいと思う。

昭和30年代の刀剣界の一側面(2013年5月26日)

下に引用した本間薫山氏や辻本直男氏による昔の愛刀家の思い出を読むと、昔の愛刀家は偉いと思うが、時代も違うし、今から見るとふざけた話も多い。奥さんに「刀を買うなと言うなら女を買う」なんて言ったら、今では離婚だし、人間として尊敬できない。杉山茂丸と平井千葉が在銘の平戸左重次の脇差を切断して、上半は平井の研ぎで無銘行光にしたなんて言うのも言語道断である。こんな調子で無銘行光などがたくさん作られているのではなかろうか。戦前の愛刀家には政治家(黒幕も含めて)、高級官僚、あるいは軍人(これも軍官僚)も多いが、彼等は国を誤らせた人間と言える。山岡重厚も陸軍軍務局長を歴任している。また実業家の中には軍需産業で大儲けした者もいる。こういう経歴と、愛刀歴、刀への思いは別とはわかっているが、手放しでは尊敬はできない。

今回、紹介するのは昭和31年~35年にかけて岡山で横山宅美氏によって全11巻が発刊された「鏨をたづねて」(後に「たがね」に改題)の巻末に「なでぎり御免」としてペンネーム(おそらく横山氏自身)で書かれたコラムの内容である。当時の刀剣界の現状がわかるが、今にも通じる内容もある。

本間薫山氏の愛刀家に対する助言(2013年5月21日)

徳間書店刊『日本刀全集』第9巻に本間薫山氏が「思い出の刀剣人」として、氏の思い出に残る刀剣人のことを書いている。辻本直男氏の『日本刀人物誌』とともに、私には興味深い内容だった。
その内容は私のブログで確認していただくとして、ここで記しておきたいのは、その中の最後に本間氏が愛刀家に対する助言(一部苦言もあるが)を述べているところある。要旨をまとめると次の通りである。1968年と今から45年ほど前に書かれた内容だが、今に通ずる。

新々刀の本にある偽銘の章(2013年4月13日)

『新々刀大鑑』(飯村嘉章 著)を通読していたら、後半部に新々刀の偽銘として、押形が掲示されていた。刀の趣味を長くやっていれば、偽銘があることは常識であり、「何を今更」と思う人が多いと思うが、実際に、以下のような有名でもない刀工の偽銘押形を見せられると改めて怖いなと思う。
正秀、直胤、清麿、行秀という新々刀の有名鍛冶はもちろんのこと、是一、真雄、、助隆、、綱俊、直勝、永貞、長信、徳鄰、信秀、正良、正義、宗次、宗寬、烈公の偽銘の押形もある。さらには、氏繁、会津兼友、清人、貞吉、綱廣12代、8代忠吉、正廣6代、久幸、 義隆の偽銘まで掲示されていて、驚いた次第である。
それらの押形、正真と比較しても、違いがすぐにわからないものが並んでいる。

そこで『新々刀入門』(柴田光男著)を紐解いたら、この本にも「新々刀の偽物」という章がある。ここに、偽物作りの鍛冶平こと直光のこと、昭和まで存命された現代刀匠が終戦時の苦しい時に偽銘を作ったこと、戦前にT県にいた刀屋のTさんが、宗寛、宗次、直胤などの銘を切っていたこと、さらに特定工、例えば左行秀を専門にそっくりの偽銘を切っている人のこと、東京郊外でさかんに偽銘をきった人の話が出てくる。そして「最近は有名刀工ばかりでなく、2・3流工の偽物も出てくるようになりました。白川重秀、池田一秀などがそれで、「まさかこの程度の刀工の作に偽物が」とい愛刀家の盲点をついたやり方です」と記されている。昭和44年に出版された本における警告である。

ついでに『新版 日本刀講座 5 新々刀鑑定編』(本間薫山、佐藤寒山監修)も読んだら、ここにも「偽銘の見方」という章が設けてあり、時代偽銘(鍛冶平こと細田直光による偽銘)、近代偽銘(昭和10年頃に洋鉄昭和刀で某刀商が偽銘をつくる)、現代偽銘(終戦後に関東の刀匠2代にわたる偽作、四国に行秀専門の偽銘、その他相当の数の人が偽銘作り)に分けて説明し、その後に、清麿、真雄、正雄、信秀、清人、正秀、正義、直胤、直勝、弥門直勝、綱俊、是一、宗次、貞一、行秀、八代忠吉、元平の偽銘の実例が解説付きで出ている。

古刀、新刀の本には、このような章は見ないから、新々刀特有である。これは柴田光男氏の著作にもT県の刀屋T氏とで偽銘作者を特定してあるように、当時のこれらの本を執筆した人が近代偽銘と現代偽銘の作者をよく知っていたのだと思う。
いずれにしても油断も隙もあったものではない。

今は現代刀で人気の大野義光にも偽物があるそうで、小刀などになると登録証も無く、判別も大変なようだ。

新々刀でも、こんな状況であり、新刀、古刀も推して知るべしであろう。私も、このHPで記したことがあるが、八幡北窓治国で不思議な経験をしたことがある。古刀の大銘物で同時代の他工よりも在銘品が多い鍛冶や、銘振りが多くある鍛冶などは、たとえ指定されていても、上身で感動するものに限定しないととの思いを改めて持つ。

刀剣・刀装具のコレクション論(2012年12月28日→12月31日追記)

コレクターとは、どんどん買い進んで集める人、これをやめたらタダのおじさん、おばさんと言うのは中島誠之助氏の言葉であるが、コレクションをしている人間としては、ここまで言われて苦笑しているだけと言うのも悔しい。そこで、何の為に自分は刀剣・刀装具を買っているのかを考えた。

古陶磁真贋鑑定と鑑賞』(出川直樹著)では陶磁器には、価値としては美的価値、学術的価値、経済的価値、機能的価値、希少価値、個人的心情価値があると書いている。これを応用して、刀剣・刀装具における自分のコレクションについて考えた。

私は「美的価値」、「経済的価値」、「個人的心情価値」は陶磁器と同様に考える。また学術的価値は「資料的価値」としたい。そして刀剣・刀装具には現代においては機能的価値は無い(少なくとも私がコレクションをする中では無い)と考える。刃物としての切れ味や、その鋭利な刃物を守り、飾るというのが機能的価値だが、居合をやらなければ不要だろう。

そして、新たに「勉強の為の価値」、「コレクション方針としての価値」を挙げてみたい。もちろん、これらの価値は共存する。「美的価値」があれば「経済的価値」はついてくるし、そこに「個人的心情価値」が加わっていることもある。
それぞれの価値を具体的に補足して説明したい。

「個人的心情価値」は、例えば家に伝来したもの、父母が買ってくれたもの、出身地の刀工作品とか、あるいは自分の人生における特記する時期の思い出に重なるものである。私で言えば父譲りの兼国の短刀や子供たちへの守り刀、母が危ない時期に購入した「題目・生者必滅」の信家鐔などである。
また何かよくわからないが大好きであるというのも「個人的心情価値」である。私の刀で言えば兼光がそうであり、刀装具で言えば甚五(仁兵衛)の梟の鐔、浮世絵で言えば広重の「名所江戸百景」の「赤坂桐畑」、絵画で言えば舟越保武の女性のデッサン画などである。(12月31日追記)

「資料的価値」とは、希少な在銘、年紀銘や注文銘があるもの、その作者の作風の異色作などである。私で言えば、石黒政常の小柄の銘、如竹の持つ技法を総て表現した八駿馬の鐔などである。ただ「資料的価値」のあるものを私が持つ必要があるのかは自問するところである。

「コレクション方針としての価値」とは、例えば後藤家の17代を小柄で集めるとか、肥前8代を集めるとか、長船4代を集めるとか、奈良三作を縁頭で集めるとかのコレクションのテーマを人に言えるものである。ある程度集まってきてから、「そうだ、ここまで揃えたら、あれも」ということで集めることも多い。私で言えば京の三名工と言われる長常、光興、鉄元堂尚茂が、それぞれの作風の特色が顕著な、しかも目貫で揃っているという具合である。肥後の三角や、宮本武蔵あるいは赤坂鐔などの特定の作者・流派の品物をたくさん集めていたり、地元の刀工、金工などのコレクションをお持ちの方は立派なものだと思う。

「勉強の為の価値」は、文字通りに自分の鑑識眼や鑑賞眼を高めるために買って勉強しようというものである。コレクターとしてのコレクションができあがるまでの過渡期に集められた作品である。あるいは鉄味の基準として持っているような鐔である。
「勉強の為の価値」がコレクターとしての問題であると思う。そうなのだ。買えば、何でも勉強にはなるのだ。偽物も一つの勉強材料なのだ。

「美的価値」「経済的価値」は説明するまでもない。問題は「美的価値」と「経済的価値」が妥当な連動をしない時だ。買う時は「美的価値」に比して「経済的価値」が低いのがコレクターにとって望ましいが、重要、特別重要などの肩書きによって後者が異常に高くなったり、無銘は審査の極めで大きく変動したりする。こういう要素があるから、コレクターの中には「経済的価値」を上げることに熱中してブローカーのようになって顰蹙を買ってしまう人も出てくるのだ。私だって無関心ではない。しかし、昭和40年代はじめのように、時代の風を受けて、買えば売るときには経済的価値が上がっていたという時代ではなくなり、買えば下がる時代になっている。趣味なんだから楽しむ分、経済的価値が減るのは仕方がないと思っている。

「経済的価値」の一つに人気という要素がある。名刀の代名詞の正宗、徳川家に祟る妖刀として反徳川の武士に愛好された村正、甲冑師から50歳に刀鍛冶に転じて切れ味鋭い名刀をつくった虎徹、酒好きで最後は自刃するが、その鮮烈な作風で人気が高い清麿などが代表だ。最近では新撰組人気で土方の愛刀の会津11代兼定や、最近の小説・漫画にでる胴田貫などだ。また古来からの最上作は同程度の弟子作に比して「経済的価値」は高い。これらは「美的価値」に比較して「経済的価値」が高過ぎるのだが、「経済的価値」はその刀を求める人(需要家)の多寡で決まるから、これはこれで一理ある。
逆に世の中に比較的多くある刀工作品は「美的価値」の高さに比して「経済的価値」が低めになる。肥前刀などは、その傾向がある。(12月31日追記)

どの美術の世界でも、先人が見落としていた「美的価値」を自分が見い出すのがコレクター冥利につきるのだが、オタクの世界は、昔から我々のような人間が観て、観て、観て、そして比較して美的価値の序列が出来ているわけで厳しい道である。皆がいいと言っている品物がいいものだとつくづく思う。ただ、自分が新たに「美的価値」を見い出すという道はあきらめてはいけないと思う。

『古陶磁真贋鑑定と鑑賞』では、蒐集にあたっての基本は、「金額に関係なく、そのものを入手したいか」、「そのものを下取りや転売に出すことなく一生持っていたいか」ではないかとも書いてある。
だけど、普通の人にとっては「金額に関係なく」は無理である。いいものは高いのだから。また、「一生持っていたいか」は私が言うところの「勉強の為の価値」を無視したものだ。取りあえず買わないとわからないものもあるのだ。命の次に大事なものを投入して、買う時に正真100%と思ったのが、買ったとたんに90%になる経験が目を高めるのだ。

正真かどうかの鑑定眼を高めるだけではダメなのだ。審美眼を高めないといけない。「美的価値」を見極める眼を高めるのだが、これは見飽きるかどうかではないかとも思っている。その品物を見飽きた時に、自分の眼が品物を超えたことになるのではなかろうか。見飽きるために、買うのだからつらい趣味だ。また眼というのは不思議なもので、モナリザでも毎日観ていれば飽きる。一度は見飽きても、しばらく経って眼が変化すると、その品物において、また新しい魅力を感じることもある。こうなると、見飽きたからと言って売り払うわけにはいかなくなり、コレクションは増える一方となる。

私は特に一つの流派や作者に、今のところ思い入れもないから、「コレクション方針としての価値」は考えていない。そこで、コレクションは「美的価値」の高いものを中心にして、あとは「個人的心情価値」のものに絞っていきたいのだが、道は遠い。「勉強の為の価値」を求めるとキリが無い。だけど勉強は必要だと常に思う。そして買わないとわからないとも思うから困ったものである。こうして中島誠之助氏の言うスタイルに嵌ってしまう。
私の兼光における幸運(「美的価値」と「個人的心情価値」の一致)は例外だと思う。難儀な趣味だと思う。

「美術刀剣」という言葉(2012年12月7日)

昨日、刀剣界の現状を憂う人とご一緒した。その方が「”美術刀剣”という言葉が」とつぶやかれた。
私は「兼光との30年」を書いたばかりであるが、これまでも「なんで、あまり買わなくて満足できるのか?」と聞かれることもある。その時はこちらの気分や相手によって「私の兼光は本当に凄いんですよ」とか「あなたと違って浮気しないタイプなんです」とか「30年間、目が進歩しなかったんですかね」とかと返答してきた。

昨日、”美術刀剣”に問題意識を持つ方と御目にかかり、私の御刀に対するスタンスは”美術”もさることながら、”心の支え”的な側面も強いことに気が付いた。
”美術品”であれば、様々な美のありようを求めて、色々な御刀を購入する。現に私も刀装具などはそうだ。より美しくとして研ぐことにも抵抗を覚えないのだ。美術品であれば経済的価値も考える。特別重要や重要などの指定の有無で経済的価値は変わるから、これに強い関心を示す。

”美術刀剣”の言葉を否定するものではない。”美術刀剣”の言葉としての恩恵も大きい。武器、凶器と認識する人から日本刀は別のものとして守って、保存してきた面がある。文化行政において、美術品としての地歩を築いてきた。この側面はこれからも大切にしたい。

しかし”美術刀剣”だから、刀剣の中における美術的側面の刃文の美に重点が置かれ過ぎてきた面もあるのではなかろうか。現代刀の作刀においても、また刀剣の鑑賞においても。

美のもう一つの側面の地鉄については表面の傷(錆)に第一の関心が向かう。これが研ぎ、しかも不要な研ぎを何度もかけて、もう一つの大切な保存を疎かにしてきたのだ。
強靱さを求める地鉄の鍛えから生まれてくる景色よりも、刃文の一種として映りの出現に関心が向いていたのだ。

”美術刀剣”は観た眼が優先。切れるなんて言う機能面は二の次である。切先が破損したり、切先の焼きがないという機能面では重大な欠陥も、研ぎで修復すれば是認しようとなる。

御縁があって、新しく入手した信家鐔がある。地に鍛え割れ、フクレ破れもある。傷だらけだ。だけど秋山久作も「鍛え割れ、切れ、フクレ破れのある信家は名品が多い」と述べているそうだが、観ていると「キズが何だ」となる。

美術品は絵でもそうだが、技術的に完璧なもの、写実が本物そっくりなものが名品なのではない。そんなものより”心を打つか””感動するか”なのだ。

”美術刀剣”の狭い概念で製作していたら、いつまでたっても「平成の一文字写し」を脱却できない。
鑑賞においても、狭い意味の美術に拘ると、日本刀の美術史講座や鑑定講座になって本数はどんどん増えてしまう。

刀剣鑑賞におけるライトの大切さ(2012年11月2日)

刀の刃紋を鑑賞するライトは大事である。どうも、これは人によって好みが違うようだ。
私は自宅を建て替えた後は、書斎コーナー机上に埋め込まれている60Wミニクリプトン球(曇りガラス)が実に具合が良く、愛用している。
昨日、電球が切れて、同じクリプトン球の透明ガラスのに変更したら、光が強すぎて良くない。そこで同じものを使っている他の部屋の取り替えて、以前の状況を維持している。今日、予備の電球を買いに行くが、今はLED照明になっており、心配である。(まだ売っており、確保した)

畏友のH氏はクリアガラスの電球がついたスタンドで明るさを調節できるもので観られているし、研師さんの仕事場のライトも、出向く刀屋さんでも、ちょっとずつ印象が異なる。例えば大丸の刀剣柴田の売場は、明るすぎて、私などは疲れてしまう。
たかがライトと思わずに、ご自分の好みを見つけて楽しんでください。

ネットだけでなく刀屋さんへー初心者の方へー(2012年9月28日)

ネットで購入しても、今はクーリングオフの期間があって、気に入らなければ返品もできるから便利ということを聞きました。
でもね、刀屋さんに行きなさい。行けば、刀・刀装具に関する雑談に付き合ってもらえるでしょう。常日頃、疑問に思っていることを質問するのもいいでしょう。該当する現物があれば、それで教えてくれますよ。雑談の中で勉強できます。こういう効果も大きいと思います。

素人の数寄者で目の利く人とおつき合いをするのもいいですが、こういう人はえてして自分の好みが強いです。だから影響を受けると偏ってしまいます。例えば私が一目を置いている畏友のH氏は相州伝礼賛者ですが、この方の基準とする相州伝は、そこらにある重要刀剣クラスの相州伝ではないわけであり、そこをわかっていないと間違ってしまいます。私は目利きではないが、好みは強いです。手前の金で楽しんでいるわけであり、自分の好みも出せないなら一人前ではないですよ。こういうのが数寄者です。

鑑定会も大切ですが、鑑定会は判者が説明できる刀を説明する場所。「北国物は地鉄に黒味があります」「白け映りがあるから関物です」と言われると、その場ではわかった気になりますが、実際には自分で買って比較しないとわからない。

数寄者、学芸員と違って、「切った張った」で刀を観ている刀屋さんの目は、また違いますよ。我々の身近にあるのは刀屋さんにある刀です。そこで勝負しているのだ。
また刀屋さんで「白け映りと、普通の映り、どう違うんですか?」と聞いてください。現物があれば比較して見せてくれたり、また「私は同じだと思う」とか本音が聞けて面白いですよ。
もちろん、刀屋さんに行けば、たまにはおつき合いで買うことも必要です。でも買えば勉強になりますし、そういう付き合いをしていて、ちゃんと店を構えている刀屋さんならば下取りしてくれますよ。

自分が出向いている時に、刀屋さんの懇意のお客さんが来たら、「ありがとうございました、また来ます」と言って、商売の邪魔をしないように謙虚にふるまえば刀屋さんにも可愛がってもらえます。

刀屋さんも若い人を育ててください。古名刀、名品を追い求める客とか、私のような60歳以上の客相手ではジリ貧になります。

大コレクターの刀屋さんとの付き合い方(2012年8月30日)

刀・刀装具に限らず、美術品の蒐集にあたっては、それを助けてくれる美術商が大事なのは言うまでもない。

柴田光男著『鐔入門』
「刀剣、小道具ばかりではなく、古美術の買い物は品物半分、店主の人格半分といわれている。このことはよい店を選ぶこと、すなわちよい品を選ぶことになるということを意味している。」

珠玉の大川美術館を作ったサラリーマン・コレクター大川栄二氏
「(名品が集まったのは)よい画商が好きな絵を売りたくなく、せめて大川さんにでもと持参したもの」

北関東の名家で伊藤若冲の名品も持ち、美術館を建て行政に寄付した人
「ご先祖に眼が利く方がいらっしゃったのですね?」「そうじゃなくて、先々代が付き合っていた青山の美術商から入ったものが名品だったわけで、他の道具屋から買ったものはガラクタも多かったです。刀は全部ダメだと言われました」

刀の畏友H氏から伺ったのですが、往年の大コレクターの田口儀之助氏は、刀屋さんが持参する名品を言い値で買っていたそうです。

刀装具の大コレクターの笹野大行氏は、刀屋が50万円と言ったのに、100万円を出すとかで買われた話をある刀屋さんから聞いたことがあります。

現存されている大コレクターのお話はしませんが、出す時は出してます。

当たり前のことですが、刀屋さんにも儲けてもらわなければ、刀屋さんだって、この人の為にとは思わないです。名品が入ったら、いの一番に電話するのは、このような人に決まってます。店主の人格とは関係がないです(店主が眼が利くことは大前提)。これが世の中の常識。

ここまででなくても、刀屋さんとの良い関係を作りたいのであれば、買わないとダメです。多くの刀屋さん廻りをしても、名品に廻り会わない。買えば駄品も混じります。でも道楽なんですよ。この道は。

先日、「ラ・マンチャの男」を観ましたが、「見果てぬ夢」を追い求めるのは、コレクターも同じ。傍から見れば滑稽ですよとH氏と雑談。

世評・名前で買わない(2012年7月26日)

この欄の真贋と本物の見分け方の違いで、大川美術館を創られた大川栄二氏の言葉を紹介したことがある。大川氏は三井物産からダイエーの副社長まで勤められた方だが、絵が好きでサラリーマン時代から、こつこつと蒐集され、識者には知られる珠玉の美術館を遺された。
あなたが知っている作家の作品もあるが、松本竣介、野田英夫、清水登之など、有名ではないが心に染みる作品が展示されている。有名画家のもあるが、売り絵などは一切無い。
だから自分の眼で蒐集している美術ファンの中には大川氏のファンが多い。

大川氏がご著書『美術館の窓から』の中で、大川氏の元に相当数のミュージアム・ピース(美術館に収蔵され、しかも常陳に耐える作品)が手に入ったのは、鑑識眼ではなく、次の要素だと振り返っておられる。(鑑識眼ももちろんあるのだが、謙遜されている)

  1. 欲ではなく、好きで買ってしまったもの
  2. 世評や流行に逆行して自ら選んだもの
  3. よい画商が好きな絵を売りたくなく、せめて大川さんにでもと持参したもの
  4. 絵が絵を呼ぶように、偶然に名作が手の届くところに転がっていたもの
同じく美術品のコレクターである武田光司氏が書かれているコレクション5箇条もこの欄の蒐集の道で紹介した。ともに含蓄に富むお話である。刀・刀装具の蒐集にもあてはまると思う。

今回は大川氏の「2.世評や流行に逆行して自ら選んだもの」を刀・刀装具の蒐集に置き換えて述べてみたい。

○「世評、名前で買わない」

絵画と違い刀剣・刀装具は現代作家のものでなく、時代の選別を既に受けている作家のものを集めるわけで、そこが違う。各時代を生きた我々のようなオタクが「どれがいい?」と比較して、選別してきているわけであり、最上作~中作のランクは「なるほど」と思う。藩内の御留め刀も、維新後は情報公開されて評価のテーブルに載っている。ただし、時代ごとの流行はあると思う。(江戸絵画でも伊藤若冲は当時から評価されていたから相国寺のふすま絵などを描いている。しばらく忘れさられ、外国人の評価で、近年、また人気になっている)

だから、今の時代に合わなくなっているが、自分が感動したものを集めるのは良いことだと思う。(直刃系、数が多い肥前刀、応永備前、末備前や古金工、後藤、肥後などが人気下降中か)

以下は世評が高い、有名鍛冶についての話である。

最近、刀の畏友H氏とは、最上作となっている有名刀工の作品でも、それにふさわしい刀は本当に少ないと話題にしています。
古刀だと研ぎ減っていたり、鋩子がなかったり、地肌が荒れているものが多い。そういう物理的な欠点が無くても、感心するものを観ない刀工が多いです。
長船兼光もそうです。広木刀匠が私の兼光を観て「兼光がこんなに上手いとは思いませんでした」と言われたのも一理あるのです。名品は少ないのです。

和泉守兼定でも同様。美濃の地元で目利きの方も「私もノサダの短刀で目を奪われたものは今迄に一振りしか経験ありません」と述べられている。
H氏も之定では「秩父の方にある肥後物の研究家長屋重名遺愛の之定は凄かった」と述べられているだけです。

他の有名刀工でも同じようなものです。鑑定上はそうなるし、在銘のつまらん最上作も多いのです。

結局、我々素人は、名刀の中でも、本当の名刀というのは実はほとんど観ることができていないのが現実だと思います。色々な鑑定会で名刀を拝見しても、見所は備えていても一流品(名工の傑作)とは違うものが大半です。
H氏は本阿弥光博氏に教えを受けた人で、本筋の名刀で学んだ人ですが、これまでご覧になった最上作の中の名品を伺うと、昔、拝見されたことのある国宝、重文を上げられます。

古人は、こういうことから「買うのは一流刀工の並作よりも、位が低い刀工の傑作を」と言ってきたのだと考えます。(もっとも、位が低い刀工の傑作も極希にあるだけ。多くあれば位が上がり、人気刀工になっている))

ただ、最上作を目の前にすると、自分には、よく見えなくても、それは、こちらの鑑賞眼が足りないからだと考えてしまいます。買えば見えてくるだろうと考え、買ってしまいます。こういう効果も否定できないところに、この趣味の難しさがあります。「勉強の為に買っておこうか」です。

でも、基本的には、世評で最上作でも感動しないものは買わない方が正解です。(最上作でなくても、私の元平など、いつ観ても面白い。逆に尾張鐔は買ってはじめて良さが見えてきたものですが、初見の時に迷ったのは、図柄が紋ということと、価格の高さがありました。知人の刀装具の目利きI氏が紹介してくれたことも大事ですね)

難儀な趣味だと思います。「たかが趣味、それも人生」で、歩んでいきます。

●『刀鍛冶の生活』よりー刀匠の厳しい生活ー(2012年6月20日)

先日、『大江戸事典』(山本博文著)の中で、江戸時代では刀鍛冶は貧乏の代名詞のように言われていたことを知ったが、福永酔剣氏の『刀鍛冶の生活』を再読すると、具体的に次のように記されている。

碩学の福永酔剣氏は「つまり貧乏神宗の信者にならねば、刀鍛冶は勤まらないというわけで、これは刀鍛冶の生活を古今にわたって貫く原則のようである」と結んでいるが、厳しいものである。

このようなHPを運営しているから、時に「刀鍛冶になりたいのですが」との問い合わせを受ける。いつも冷たい返事をしている。私の冷たい返事であきらめるような奴はダメなのだ。

絵でも音楽でも陶芸でも、芸術を志す人は、皆、厳しい。しかし、刀と違って、それらは愛好者層が広く、一般家庭の中でインテリアになったり、実用にもなる。また絵画教室、ピアノのレッスン等の教育でお金を稼ぐこともできる。材料費など知れている。刀鍛冶は材料費も高く、手間もかかる。研師、鞘師にも仕事をしてもらう必要もある。もちろん習う人などいない。加えて愛好家も少ない。厳しさの程度が違うのだ。

このようなことを書くだけでは、現代刀匠の応援になっていないと批判されるかもしれないが、これでも子供のお守り刀として廣木弘邦刀匠の短刀は購入しているのだ(廣木直刃は一つの個性で後世に残る)。畏友のH氏も金剛兵衛盛高刀匠に注文している。御守刀を頼む前に、H氏から「子供に喜ばれませんよ。カネで残してくれたらと言われますよ。」と忠告を受けたが、こんなことを言う子供になったら、当方の教育=生きざまが悪かったのだ。

現代刀匠の作品づくりの視点として、下に記した「切れ味追求」への原点回帰をヒントとして提示した。今回は、副業も考えてみたらと提案したい。すでに生活の為に実施されていると思うが、あの虎徹も、前半生では甲冑、鐔や、おそらく建築金具(日光東照宮の金具の長曽祢才市の一族)も造っていたのだ。

日本では「武士は食わねど高楊枝」とあるように「貧」は、卑しさなどと違って恥ではないのだが、色々と手を広げることで技量も上がる可能性もあると思う。加えて「貧」に安住することなく、生活を作り上げることも人間として大事なこと。

切れ味追求の大切さー最上作と最上大業物との関連ー(2012年4月12日、2013年2月18日追記

山田浅右衛門とその門人が刀の切れ味のランキングを作成している。実際に斬って、試した人たちの結果である。ここで最上大業物とされた8工(新刀のみ)の内3工は美術的ランクにおける最上作、4工は上々作である。

すなわち、切れ味を追求すれば、名刀が生まれるのではなかろうか。独創的なズブ焼きの現代刀匠杉田善昭氏が自裁されたが、切れ味追求で現代に名刀を生み出す現代刀匠が現れることを祈念して取りまとめている。

切れ味追求の大切さー最上作と最上大業物との関連ー(PDFファイル)

新々刀の巨匠源清麿も、真田藩荒試しに耐えた兄の山浦真雄と一緒に「折れず、曲がらず、よく切れる」に励んだことが、後年の大成につながったのではなかろうか。

(注)清麿の切れ味追求に関して補足する。

  1. 兄・真雄は幼少の頃より剣道の修業に励み、小諸藩剣術師範諏訪清廉(一刀流中西派四代中西忠兵衛子正の弟子)について修業後、23歳の時に江戸に出て一刀流を修める。文政9年には小笠原十左衛門の心形刀流に入門。文政10年には小石川の相原氏に真心流剣術を学ぶ。(使い手の立場からも研鑽)
  2. 兄は、刀剣そのものにも関心を持ち、水心子正秀への注文も含めて200余口を試したが一刀も意にかなわなず、作り直しも頼むほどであった。文政11年に氷心子秀世に入門。翌文政12年には上田藩工河村寿隆の門を叩き、本式に鍛冶修業。しかし2年あまりの間、用務の余暇に通う程度で、多くは弟との独学自習であった。
  3. その結果、嘉永6年の真田藩の荒試しに耐える(しかも真雄が自信があるという匂出来ではなく、沸出来の方で試される)刀を作る。
  4. 清麿の剣術修業は、松代で真田藩長巻師範植柘嘉兵衛にならっている。江戸でお世話を受けた恩人の窪田清音は田宮流居合の継承者で剣術・柔術等武芸十八般の達人である。剣法に関しては三十八冊の書物を著している。また刀剣評論家としては『剣法略記』『刀装記』『刃味記』『ねた刃の記』『撰刀記』を残している人物である。
  5. 清麿の長寸で茎も長く、そして刀も茎も一体となって鳥居反りになり、加えて切先から7,8寸下った辺りを芯として先反りをつけるという独特な刀姿は剣術から切れ味を追求した結果ではなかろうか。そして脇差に多い菖蒲造り、鵜の首造りは、姿の頑丈さと切先部の鋭利さを強く意識したものと辻本直男氏は指摘している。
  6. 刀剣製作は兄とともに河村寿隆に習うとされていたが、花岡忠男氏の研究によると、寿隆には師事せず、兄に学び、ともに修業したとのことだ。その兄は前述したように切れ味に意を注いだ刀匠である。
  7. 清麿本人も「焼刃のあらん限りは、刃味毫も相替わり候儀、決而有之間敷」と保証している。
  8. 刃寄りは柾、地は大板目流れ、鎬地は柾を通すとして柾目を意識したのも丈夫さを考えたのではなかろうかと言うのは辻本直男の論である。
  9. 明治の政治家黒田清隆は、自ら試し斬りもするという切れ味大好きの怖い愛刀家だが、新々刀の清麿を所持。(2013/2/18追記)

摂州(大坂)ものは折れやすいか(2012年2月8日)

下記の論で、山田浅右衛門家が実証的に検証した刀剣の切れ味ランクに、大坂新刀がむしろ江戸新刀より多く含まれていることを紹介した。

ここで、古来、大坂ものは武用に適さないとしてきた先人の論を紹介し、その不合理な点を明らかにして、武用面からの大坂新刀を再評価したい。

まず、新撰組の近藤勇が、江戸に「相損じ候剣」(破損した3本の刀)を江戸に送る旨を書状に記し、「粗刀、武用いささか相立ち申さず候。……剣は、摂州者決して御用い成されまじく候」と書いていることについてである。

『新撰組隊士録』(相川司著)によると、これは、山南敬助(「やまなみ」ではなく「さんなん」が正しい)が文久3年に大坂の岩城升屋で不逞浪士捕縛の為に出動したとき、刀が折れて大怪我をした時の刀について評したことである。
この時の刀は『異聞録』に押形が掲載されており、「摂州住人 赤心沖光」の刀とのことである。

刀剣愛好家は、この「沖光」を聞かないと思う。『日本刀銘鑑 第三版』(石井昌国編著)にも、島根県にいた昭和の陸軍受命刀工と島根県で昭和41~45年で作刀した刀工が掲載されていて、幕末の大坂刀工は記されていない。

要は、今に残らないような粗製濫造の刀が、たまたま大坂物だったというわけだ。

もう一つ、多くの書、談話に引用される「またも負けたか8連隊、それでは勲章9連隊」である。大阪にあった歩兵第8連隊の弱兵ぶりを唱ったとされるが、これも実証的に検証すると、決して弱兵ではなく、むしろ名誉の隊であることが明らかになっている。(『大阪と八連隊-大阪師団抄史』中野公策著)

詳細はウィキペディアの歩兵第8連隊を参照して下さい。大阪人、京都人は、こう言われてもムキになって反論しない都会人なのだ。

水心子正秀は『刀剣実用論』『刀剣武用論』で「刃紋の大出来なものは切れ味悪く、折れやすい」との趣旨を述べ、晩年から自己の作刀において実践している。

山田浅右衛門家の切れ味ランクで、角津田は大業物なのに対し、丸津田がどこにも含まれていないのが気になるが、丸津田より大出来の助直、一竿子忠綱が良業物であり、一概には言えないことは明かである。

「荒沸は折れやすい」も、武の国薩摩の刀は江戸期は荒沸が見所である。

また、嘉永6年の真田藩の荒試しに先立って、山浦真雄が自信がないと言った沸出来で試され、直胤が4~5回で折れたのに対して、34太刀に耐えたことも、匂、沸の問題ではないことを立証していると思う。

往古の人の刀剣の利鈍に対する強い関心(2012年2月5日。7日改定)

『首斬り浅右衛門 刀剣押形』(福永酔剣著、上巻・下巻))や『大江戸死体考』(氏家幹人著)、『日本刀大百科事典』(福永酔剣著)を読んで、山田浅右衛門家代々のことや関連記事を知ると、江戸時代中期~末期でも、武士の間では刀剣の利鈍に対する関心が非常に強かったことが理解できる。(特に江戸時代末期はテロが荒れ狂う動乱の時代で、この時代は大いに理解できる)

山田浅右衛門家は山野勘十郎に学んだ山田貞武の子吉時が享保5年に幕府のお試し御用を受けて以降、吉継(俳句をはじめ、以後各代も嗜む)、吉寛、吉睦、吉貞、吉昌、吉利、吉豊、吉亮と続く。養子も多く、列記した名には途中で廃嫡になったもの等も含んでいる。そして幕府の御用は受けているものの代々浪人である。

試し斬り以外に罪人の処刑も請け負うようになる。幕府以外のいくつかの藩の御用も務め、門人は全国の藩にわたる(試し斬りの場の門人は15名前後の記録だが、この場には限定された門人しか出席できなかっただけであり、裾野は広いはず)。

昔は人間の身体の一部が薬であり、山田家は人間のキモ=胆嚢などで多額の収益を上げ、実質1万石の大名並だったそうだ。

『古今鍛冶備考』を文政十三年に発刊。天保3年に浄福寺に供養塔を建てることなどをしている。

山田家の記録などを見ていくと、幕府お抱えの康継、是一などは腰物奉行が山田家に試し斬りをさせていた様子がわかる。豊後行平、志津などの古刀も試している。浪人の強みを活かして幕府以外の他大名家や、旗本・藩士も差料からの依頼も受けている。当時の武士は刀剣の利鈍には関心が強く、脇差はもちろん短刀の試し御用のことも記述にある(槍は槍で頭部で試している)。

各藩にも腰物奉行と同等の職があれば職務上、利鈍の確認は必要だし、武士は基本的には「主君の命で戦って、いくら」の身分であり、直結する刀剣の利鈍は、武士同士の会話に頻繁に出たと思われる。美術的観点より、利鈍を言わなければ、ご奉公の意味はないであろう。

江戸時代の中期以降、特に5代将軍綱吉の服忌令以降、実際に截断の現場を観たり、截断したばかりの刀を忌避する武士もいたようだが、徳川吉宗などは試してすぐの刀を鑑賞していたとある。

利鈍に関心が強いから山田吉睦、弟子の須藤五太夫が試した結果を唐津藩士の柘植方理が選定して、山田や門人の今井信猶、小松原良正、山田吉隆が校訂した結果を『懐宝剣尺』に記し、次のような基準でランク付けしている。

最上大業物 力仕事で逞しい男子の胴の堅い部分をずばり截断の切れ味を10中8、9示したもの 12工
大業物 同上 10中7、8示したもの 21工
良業物 同上 10中5~7示したもの 50工
業物 同上 10中2~4示したもの 84工

当時から切れ味で名高い備前長船兼光を加えておらず(元重は最上大業物)、山野加右衛門尉で五つ胴まである大和守安定が良業物の末の方に位置づけられるなどに対しての疑問はあったようだ。そこで『古今鍛冶備考』では改訂して、最上大業物には備前長船兼光、和泉守兼定(之定)を加えている。(『日本刀工辞典』(藤代義雄著)では『古今鍛冶備考撰』から注記している)

私は、ランク付けの基準の「10中5~7」などの考え方から、実際に山田吉睦とその門人が10振り以上試したことのある刀工でのランクだと思い始めている。だから鎌倉時代の古名刀が含まれていないのかもしれない。(将軍家御用の試し斬りの場には腰物奉行の他に研師も同席している。私見だが、古名刀を研ぎにかける前に試し斬りをしたのではなかろうか)

山野勘十郎の截断銘が多い虎徹は最上大業物だが、同じく截断銘が多い上総介兼重(和泉守兼重はなく、当時は同人と思われていたか)や、山野加右衛門尉の截断銘の多い安定が良業物の理由も、実際に截断した刀での実証主義的な結果なのかもしれない。将軍家御用の名誉の初代康継は良業物であり、幕府の権威に遠慮した様子も見られない。(後述する薩摩の正清、安代は名誉の刀工であり遠慮したかな?)

これが実証的な結果となると、大坂新刀もソボロ助広、多々良長幸が最上大業物、角津田、親国貞、肥後守国康、照包が大業物、助直、一竿子、大坂初二代が良業物に入っており、大坂新刀の切れ味もそれなりに保証されている。真改、国輝などは業物で入っている。

ちなみに江戸新刀は虎徹興里と弟子の興正が最上大業物で2刀工と大坂と同じ、大業物はゼロと大坂より劣る。良業物が7刀工である。法城寺一派は見えない。

山野父子の金象嵌截断銘が印象に残るために、江戸の鍛冶が切れ味に留意したと思っていたが、実証的な結果はそうでもないようだ。

また沸出来、特に荒沸が多い薩摩の正清、安代はともに大業物、大与五国重は良業物であり、「大坂ものは切れない」「沸出来は切れない」との通説はちょっと違うのかもしれない。ただし、当時の新作刀(今では新々刀)では固山宗次などに山田家の截断銘が多く、宗次の刀の斡旋もしており、やはり沸出来よりは匂出来という傾向は感じる。

また山田家は江戸時代前期の山野家のように、二つ胴、三つ胴などの截断銘は私が把握している範囲では見ない(皆無ではないと思うが)。それよりは一つ胴で、そこにおける部位(脇毛、一ノ胴、二ノ胴、車先、両車)や切り方(大袈裟)などの試しを重視している。
この理由について、私は、当時の死体の貴重さから、無駄に罪人の胴を使う二つ胴などをやめたのではないかと推測している。(安政の大獄時は別だが、試し用の罪人の胴は潤沢には出回らなかった)

●「豊臣秀吉の出自の刀鍛冶有縁説」の紹介。(11年8月1日)

雑誌「歴史人」2011年6月号の特集「戦国武将と刀剣の歴史」において小笠原信夫氏が「(豊臣)秀吉は権力を得て名刀をただ蒐集しただけと思われがちだが、彼の鑑識眼はやはり一流であったと思う」と書かれ、例の朱塗金蛭巻大小拵の刀身の孫六兼元の地刃が抜群であったことを書かれている。

『戦国期職人の系譜』(永原慶二・所理喜夫編)を読んで調べていたら、「秀吉の出自と職人集団ー『太閤素生記』の再検討を通してー」(小和田哲男)の論文があった。

小和田氏は歴史学者であり、文献の考証もしながら次のような論を展開している。

  1. 『太閤素生記』は『太閤記』よりも後の本で信憑性にかけるとされてきた。この『太閤素生記』では父が織田信秀の鉄砲足軽で尾張中村の木下弥右衛門、母を御器所村の出身としている。
  2. 聞き書き中心の本だが、著者の土屋知貞の父は盲目の検校、検校は口による伝承者でもある。また祖母は飯尾乗連の娘である。秀吉が松下加兵衛に拾われ、引馬城の飯尾乗連のもとに連れていかれ、そこで皮つきの栗を与えられて城主の子供たちを喜ばせたとある飯尾家の子の一人である。
  3. 全般に『太閤記』を意識して書かれているが、純然たる聞き書き部分は史実を伝え、それに土屋知貞が解釈したところは『太閤記』を意識している為に真を置きがたいところがある。
  4. 母の出身地の御器所村とは木地師集団がいたところで、母がその出身の可能性もある。(木地師は日吉山王権現への信仰を持っている。秀吉出生と関係)
  5. 妻の禰は尾張朝日村で、ここも木地師集団との関係がある場所である。
  6. 秀吉は針を売りながら家を飛び出すが、針という当時の最先端な鍛冶製品を商っていることが注目される。
  7. 秀吉の母が美濃の刀鍛冶関兼貞の娘という所伝がある。あるいは秀吉が近江草野鍛冶の鍛冶師の弟子になっていたという所伝がある。近江の草野郷は村々の中程にあたり、中村といっていた。この中村に生まれ、鍛冶屋集落の源兵衛という鍛冶師の徒弟となるとも伝えられている。

明智光秀も若狭の刀鍛冶冬広につながるという説も読んだことがあるが、秀吉が刀鍛冶に縁があるというのも捨てがたい。

●『月刊文化財(2011.5)』に藤代氏執筆の「刀剣の記録手法について」(11年5月30日)

文化庁は月刊で『月刊文化財』を発刊している。その中に「文化財を記録する」という連載があり、2011年5月号(572号)に研師で、斬新な刃紋の写真を撮っている藤代興里氏が「刀剣の記録手法について」として、刀剣の全身、刀剣の茎、刀剣における彫物などを写真で撮影する時の方法を具体的に記されている。

たとえば刀剣の全身を撮る場合は、次のようなセットを構築すると図示されている。

  1. 上記のようなハコの上にガラス板を置き、そこに刀身を置く。
  2. 刀身は鏡のように周囲を写し込むから、必要に応じて部屋全体を暗幕等で対処する。
  3. 図のように照明を当てるが、茎と刀身は照明効果の差があるから茎の方に照明をカットするものを立てる。
  4. 刀身の棟を白く表示するように、ハコの中の棟寄りに斜めに白色アクリル板を立て、その内部に40ワットの蛍光灯を入れて棟に反映させる。

他にも、茎の撮影、彫物の撮影方法があり、御興味がある方は読んでください。
なお、真鍋純平刀匠のHPに、「写真教室」があり、ここにスキャナーを活用した記録方法を掲載されており、大変に参考になります。

出でよ、刀剣界の林忠正(11年5月4日)

林忠正とは明治期に、日本の美術を海外に知らしめた人物である。偉大な人物には毀誉褒貶はつきもので「日本から浮世絵を流失させた国賊」とも言う人がいる。
私は「海を渡る浮世絵-林忠正の生涯-」(定塚武敏著)で詳しく知ったが、ウィキペディアに要領良くまとめられている。単なる商人ではなく、美術にも文化全般にも見識のある人物である。

刀剣は「武士の魂」であったために、明治期に武士階級が没落しても海外には流出が少なかったと言われている。戦後はわけのわからん米兵が略奪していっただけだ。
最近はアニメ等の影響か、日本刀に興味を持つ外国人も多く、刀剣博物館に行くと、日本人より外国人の方が多く眼に付く状況である。

ここにおいて、日本刀、刀装具の良いものをどんどん海外に輸出したらどうだろうか。悪いものではダメだ。名品をだ。
古来、日本人は海外のコレクターによって自国の美術品の真価を再発見することが多い。写楽もそうだ。伊藤若冲もそうだ。
刀剣、刀装具は世界に誇るべき美術品である。このような流出を続けていけば、必ずや海外から日本刀、刀装具再発見の動きが出るはずだ。こうなることを長い眼で期待したい。

若い刀剣商は、明治における林忠正のように、日本刀の良さを世界に広めると使命感を持って羽ばたいてほしい。
世界の金持ちは桁が違う。知己を得たら十分に喰っていけると思う。「名刀、名品を流出させた国賊」と言われてもいいではないか。
特別重要刀剣、重要刀剣などの制度でおかしくなった日本の刀剣界の立て直しも大事だが、このようなことも平行して進めていくべきだと考える。悲しいことだが。

昭和(戦後)、平成の刀剣価格史(11年4月20日→18年6月27日→19年8月7日)

2011年に刀剣柴田の通販カタログ「現存の優品」の71号までで、近江大掾忠広の脇差を例に、刀剣価格の推移を調べてみた。2018年6月に他の刀工も幅広く取り上げ、併せて戦後の経済成長期の刀剣価格がわかる資料も参考にし、インフレの視点も取り入れて、まとめ直した。刀剣価格に影響を及ぼす要因も調べている。
昭和(戦後)から平成までの刀剣価格史になっていると自負している。19年8月7日に当該論文の全文を掲載する。

刀にまつわる漢字の見直しについて(11年1月11日)

地沸(じにえ)問題で、識者とやりとりをさせていただいている中で、沸(にえ)は錵(にえ)の漢字の方がいいのではないかとアドバイスを受けた。

私も末広がり元平の中で、次のように述べた。
「「沸が華咲く」という表現もいいなぁ。沸は、「錵」という漢字もあるんだ。金属の花が「錵」なんだ。刀鍛冶や研師は金属の花を咲かせる花咲爺(若い刀工、研師の皆様ごめんなさい)なのだ。

沸という漢字もいい。鉄の花、鉄でできた小惑星が沸いて出てくる感じがする。どんどん、どんどん沸いてくる。その鉄の花がまき散らす匂いが鉄の表面にくっついたのが「匂」なんだ。」

「鉄を沸かす」とも使うので、「沸」字も一理あるが、刀剣を知らない人には匂はそのまま読めても、沸は「にえ」とは読めない。これならば錵をルビを振って使用する方が、イメージとしてもいいのかも知れない。

同様に帽子も刀剣を知らない人はhat、capのイメージであり、鋩子の方がいいような気がする。(ともにJIS第2水準の漢字である。)

これは刀剣界全体で見直すことだ(既存の書物の問題もあるが、昔は○を使っていたで済むか)。

素人が刀屋になる方法(10年8月17日)

私は刀屋さんに出向いて、御刀を拝見したり、小道具を前にして、刀屋さんとお話するのが楽しい。
そして刀屋さんの長い経験に基づくお話を伺うのも何よりも楽しみにしている。

ただ、聞くところによると、素人が刀屋さんになったような人も出てきているようだ。その方々のセリフ、行動パターンを聞いて、まとめてみた。

  1. 自分の眼など関係無しに、協会の証書が付いているかどうかを大事にする。(セリフは「保存がついていますよ」、「重要です」)
  2. 証書を元に、一格上になると、お客さんの欲を刺激する。(セリフは「重要候補です」、「特重候補です」、「もちろん特別保存はつきますよ」)
  3. 加えて次のように補う。「今は研ぎが悪いから」、「研ぎ直せばよくなりますよ」、「研ぎ直せば○○(相州上工の名でも挙げる)になりますよ」
  4. 大手の刀屋さんの価格を出して自店の価格をアピールする。(セリフは「○○刀剣店で、いくらで出てたものです」「こんなの銀座の○○刀剣店では△万円は言いますよ」)
  5. 客を焦らす。おだてる。欲を煽る。(セリフは「まだ誰にも見せてません。はじめて、お目にかけます」、「わかる人にもってもらいたいです」、「こういうのはなかなか出ませんよ」

以上のようなセリフが全部、悪いわけではないです。古来、お客の購買意欲を高める行動は販売の基本です。私なども5のセリフでよく買わされる。

要は、刀屋さん自身が見識を高め、協会ではなく、刀屋さんの眼で商売して欲しい。本当に研ぐ必要のある刀とそうでないものをお客さんに指導して欲しい。(こういう刀屋さんも多いのですが、周りに合わせて重要価格をつけざるを得ないというお話も聞いた)

刀屋さんだけの問題ではないです。昔は「いいものですね。重要にでもなっているんですか?」と聞くと、ニヤッと笑って「無冠です」という愛刀家もいましたが、今は見かけなくなりました。

最近は、小道具など、重要になっているというだけ300万円、400万円。付いていなければ半額以下で買えます。重要のものなど買わない方が悧巧だと思いますよ。

良い研ぎとは?(10年8月9日)

日本刀文化振興協会の研ぎのコンクールを観た時に、色々と感じたことはブログにアップした。
その後、私の信頼する刀関係の方々(複数の愛好家、研師、専門家、刀剣商など)に、「研ぎの審査員はできますか?」「良い研ぎとはどういうものですか?」と聞いてまわった。言葉というのは全体の流れの中で把握しないと誤解を生むことが多いから、ここでは伺った内容をアップするが、匿名にしておきたい。

研ぎの審査については「やるなら現代刀で(言い換えると先人の下地研ぎなどを利用したらわからないということ)」「審査結果は伊藤が言うようにどこが良いのか、優れているのかを言葉で書くのも一案だが、日刀保がやっていたように入賞順位の上から順に並べてもらい、出品した研師が手に取って確認できるようにすること(ガラス越しではわからず、勉強できない)」と言うことが最大公約数的な意見であった。

良い研ぎについては『技法と作品 研磨彫刻編』(大野正 著)において例えば小野光敬氏が「下地では鎬の歪みや、丸くなって決まっていないもの、刃ムラを正し、整える」と言う、研ぎムラをなくす、研ぎ目を残さないというのは基本。

今回、伺った中では「古刀は平肉を落とさないようにして欲しい」と言う人がいて「そもそも研がない方がいいんです」と言って、それ以上の回答に口を閉ざす人もいたが、歪み、ムラを整えることがまず基本条件だ。

以上を基本とした上で、『技法と作品 研磨彫刻編』で小野光敬氏や、平井松葉氏、永山光幹氏などが同じことを各人の言葉で語っておられるが次のようなことが大切となる。

「研ぎの本質というものは、刀の本質を生かすところにある。ー中略ー時代なり、国の特徴、流派の伝統などを踏まえ、作者のいい癖を出してやり、そこに自然に品格が現れるようにするには容易でありません」

「研師には鑑定力、あるべき姿を想像できる力が必要」

「刀の持ち味を生かすという基本の姿勢が問われる」

「長所を、より強調し、短所は抑え、全体を調和させ、より美しく見せていくのが現代の研磨の基本姿勢です」

今回お聞きした人の中では「在銘は、その刀の良さを引き出すように研いでいけばいいが、無銘は、極めを踏まえて研ぐ必要があり、そこが難しい」という言葉が印象に残っている。

ある愛好家が「古刀は今、研いだら基本的に悪くなります。研がない方がいいといつも言っている」という言葉に次のようにつながるわけだ。

「無銘の古刀で、上位に極まっている刀」→「昔の名人研師が上位に見えるように研いでいる」→「だから現代の研師で技量が足りていないと、極めが変わってしまうような結果になる」→「だから研がない方がいい」

刀屋さんの中には「研げば良くなりますよ」「研ぎ直せば重要候補です」と言う人も多く、それを信じる人もまた多い。
人間と同じで、本当に美しい人は化粧は関係なく美人。化粧して相州上位(例えば行光)になったものもあるでしょうが、一部がそれらしくなっただけで、そんな刀は長く楽しめません。

「研げば良くなりますよ」で、どれだけの刀が減らされていることか。

●伊勢神宮徴古館「現代刀の100年」展のカタログより(10年2月12日)

伊勢神宮徴古館の「現代刀の100年展」のカタログに、土子民夫氏が「近現代の日本刀ー帯刀禁止・民間 武器回収と作刀の興廃をめぐって」、深田一郎氏が「「現代刀の100年」展覧会概説ー第59回神宮式年遷宮の御太刀調整過程を中心に」の論文を書かれている。

前者には維新後の廃刀政策のいきさつが詳しい。森有礼は野蛮な風習だから廃刀しようという論。この人は鹿鳴館時代の立役者の一人だ。大村益次郎は国家的な徴兵制の前提として今の官軍の解体、加えて武士は廃刀という立場、これらを受けて山縣有朋などが廃刀を実現した。

ただ保持することは問題はなかったわけだ。とは言え刀鍛冶にとっては悲惨な状況で、明治37、8年頃に栗原彦三郎が鍛錬所の設立に動くまでの間は需要が無く、壊滅的だったというわけだ。

日本刀の保有も禁止されたのは終戦後の昭和の刀狩りだ。本間薫山氏がキャドウェル大佐に会うまでに多くの刀が被害にあった。刀鍛冶にとっても昭和28年9月に作刀が許可されるまでは造れない時代であったわけだ。

需要が無くなった明治時代に刀を造る機会を与えたのが、第56回の伊勢神宮の御遷宮での太刀66口の命(明治19年)である。
明治39年に帝室技芸員に宮本包則と月山貞一が選ばれる。昭和4年の第57回の御遷宮では月山貞勝がご用を勤める。
戦後も伊勢神宮の第59回御遷宮が、現代刀匠に造る喜びを与えたわけだ。

深田氏の論文は、特に終戦後、しばらくの間、刀が造れなかった当時の刀匠の声を集めている、59回の御遷宮に際しての作刀依頼がいかに刀匠に喜ばれたが具体的に理解できる。また、この時に直刀製作が必要になるのだが、その製作上の苦労の声を拾っていて興味深い。この時の刀匠たちのその後についても詳しく調べられており、先人の苦労に思いを馳せることができる。
刀匠が不遇の時代は研磨師においても同様であり、当時の研磨師の声も興味深い。

今の現代刀匠は、経済不況と、刀剣界不祥事に起因する愛好家放れによる刀剣相場の低迷で苦しいのだろうが、作りたくても、作れなかった先人の苦労を知って、がんばって欲しいと思う。
刀だけで食えなくなれば、他の分野も開拓することも必要ではなかろうか。千代鶴是秀は大工道具鍛冶に転じて名声を博し、今ではノミが100万円近くする。他の分野を開拓することも、立派な人間の道だと思う。
もちろん、貧しくとも、日本刀一筋で生きるというのも立派な態度である。日本では貧は恥ではない。ただ芸術は残された作品が全てである。再販時に価格が大きく下落するようでは、購入する人は二の足を踏む。

●最近(2010年初頭)の刀剣・刀装具の価格動向(10年1月1日)

外部環境としては、08年11月のリーマンショック、その後の09年全般にわたる経済の低迷。もちろん株価も伸び悩んでいる。消費も冴えない。生活必需品以外の不要不急のものは買わなくなっている。刀・刀装具など最たるものだ。
刀剣界自身も、中心となるべき日本美術刀剣保存協会が①元事務局長等の解任を巡る裁判沙汰、②重要刀剣審査を巡る不透明さ(2つの刀剣商扱いが異常に多いなど)による文化庁との軋轢、会員の不信感の高まりで、会員は減り、熱も冷めている。
また協会は審査中心で、刀剣愛好家を増やす努力はしていないから、愛好家の裾野も増えない。古くからの愛好家だけだから、これら愛好家の求めるものは位列が高いものに向かうだけ。

重要刀剣といっても、無銘の古刀上々作、上作(手掻、尻懸、三原、青江、宇多、直江志津、三原、長船傍系)などは買う人が激減して、価格は低迷。業者の市で120~130万円、店頭で180万円程度で売り出されることもあるようだ。安く買えたと喜んでも、まだ底が見えないから、気にいったもの以外は買えない。
新刀、新々刀の重要刀剣でも、最上作以外の上々作、上作の健全なものは、健全さだけが取り柄みたいなところもあり、特別重要刀剣になりそうもないとのことで、買う人がいない。昔は700万円前後だったのが300万円台となっている。

重要刀剣になりにくいということか、新刀の脇差も人気がないようだ。南紀重国の良いものでも200万円を切っているのが実態である。近江大掾忠広の脇差など100万円を切っている。新刀は脇差の方に出来の良いものがあるにもかかわらず。
刀剣愛好家の裾野が広がらないためか、近江大掾忠広などの肥前刀、江戸法城寺派、出羽大掾国路、親国貞、薩摩刀など、数が多い刀工の値下がりも大きいと聞く。新たに買うのならば、持っている流派のものより別の流派となるのが自然であろう。
愛好家の裾野が広がらないから、「勉強の為に買って、飽きたら下取りに出そう」という動機で買うとひどいめにあう。まともな価格で下取りしてくれないのだ。だから本当に欲しく、長く愛好できるものしか買わなくなる。

また刃紋は、地味な直刃が人気がなく、まだ乱れ刃の方が売りやすいようだ。地鉄を楽しむ人が少なくなった為であろうか。あるいは世の中の風潮であろうか。
同様に無銘のものは安いようだ。無銘でも個性があり、個銘まで判定できるところに刀の世界のすばらしさがあるのだ。確かに無銘は怖い。特に相州もの、来ものなどは怖いところもある。ある人が「研ぎで個銘、評価が変わるような刀は怖くて買えない」と言ったのを聞いたことがあるが、一理あるところがもどかしい。
直刃も観られないわけだから、無銘も同じなのだ。

古くからの愛好家は高齢化するだけだから、鑑賞しやすい短刀が根強い人気を持つという人もいるが、長いのが下がっている時に、短刀だけが価格を維持というのも無理があろう。だって買う人はそんなに増えないのだから。

こういう情勢にもかかわらず、時々、昔のままの価格で、割高に感じるものもある。こういうのは昔、この店で買った愛好家が委託で刀屋さんに預けているのが多い。あるいは下取りでやむなく高く取っているものなのだろう。これが混じるからますます相場がわからない。

刀装具の方は、当方も高い価格で買っているが、これまたよくわからない。刀剣以上に愛好家の層が薄いから、たとえば古金工の笄が、刀装具美術館が倒産して、市場に大量に出たため、大きく値下がりしたなどのことが生じる。
何で、こんなものがこの値段で売れるのかと思うようなものから、「えっ、これがこんなに安いの」と驚くものまで様々である。

以上のような状況だが、世界の中では、本当に割安な美術品と思う。今は外国人の方が買うとの話も聞く。今の低迷相場下で、重要刀剣が好きな人などは退場してもらっていいから、本当に好きな人の世界になればいいと思う。

●認定書が紛失している重要美術品刀剣の証明書発行(09年9月14日)

重要美術品制度は、日本の優れた美術品が海外に流れるのを防ぐために昭和8年に法律が作られ、昭和24年まで続いた制度である。(昭和25年の文化財保護法で廃止)

当時の国宝は寺社仏閣の所蔵品が多いのに対して、重美は民間の所有品が多かったと言われている。「制約が多い国宝に指定されるのは嫌だが重美ならば」という旧家もあったと聞いている。
分野としては刀剣、浮世絵、古筆など海外に流出しやすいものが多いと言われている。(すべてのジャンルで8200件くらい認定されて、現存するのは6千数百件と言われている。

日本刀の重要美術品については『日本刀重要美術品全集 全8巻』で整理されている。青賞社(現在は舟山堂が吸収)が、本間薫山監修のもと文化庁の広井雄一氏の編集で発刊したものである。

認定書が紛失されているのも多く、それらについて希望があれば証明書を発行するとのことである。受付は舟山堂飯田高遠堂

『画商の「眼」力』から鑑定について(09年3月22日)

この本は日動画廊の2代目経営者である長谷川徳七氏が書かれたものである。画家との交流の中でのエピソードも興味深いが、長谷川氏はTV番組から端を発した鑑定ブームに疑問を感じられているようだ。刀剣界と同じような風潮(にわか画商が出てきて、ネットで販売。これら画商は鑑定書を欲しがり、それで商売)があるようだ。鑑定に関する箇所を抜き出してみる。

そして、本物の見分け方については、次のような抽象的な言葉ではあるが、含蓄のある言葉を記している。

そして「画商はブローカーになってはならない」と記して、今の風潮に警鐘を鳴らせている。翻って今の日本美術刀剣保存協会も、往時のように『国廣大鑑』『康継大鑑』『肥前刀大鑑』などのいわばカタログ・レゾネにあたるものも刊行していない。

佐々淳行会長に賠償命令(09年3月20日)

09年3月19日の読売新聞朝刊の記事で知りましたが、日本美術刀剣保存協会の元事務局長ら3人が、協会会長の佐々淳行氏の発言が名誉を毀損するものであると訴えたことの判決が東京地裁で出され、原告の訴えを認め、佐々会長に125万円の損害賠償を命じたととありました。
佐々会長は、原告らが勝手に文化庁に対して協会幹部名義の報告書を提出したり、自分の給与を不正に増額したと指摘し、雑誌にも書いてましたが、判決は「文化庁に提出した文書は協会幹部も了解しており、給与の不正増額も認められない」とのことです。

私は、昔は佐々氏を評価してましたが、協会の会長になってからの一連の動きは目にあまります。取り巻きからの情報に問題があったのでしょうか。

買ったら大事に(09年2月18日)

今年、ある刀屋さんの即売会に、与三左衛門尉祐定の短刀で森次郎兵衛秀佐の注文銘があるものが500万円で売りに出されていた。
この短刀、確か去年か一昨年、別の刀屋さんで、私に350万円でどうかと見せられたもの。沸出来のいい短刀でしたが、買う方向ならば取っておくがと言われたが、そこまでは結構と言ったものだ。
その後、『麗』の巻頭の名品紹介にも出たと思う。同じ森次郎兵衛秀佐の刀の方はすでに重要刀剣になっている。
売りに出されたのは、どうやら、重要刀剣の審査に落ちたからのようだ。
たかが趣味の道、そして人それぞれだから、どうのこうのと言うのも何だが、せっかく買ったら大事に愛蔵してもらいたいと思う。加えていいもの何だから。この人は刀より重要刀剣が好きらしい。こういうことでは刀の祟りがありますぞ。

桐箱の質の低下(09年2月12日→16日追記)

今回、購入した金山鐔の桐箱も、その前に購入した京透かし鐔の桐箱も、落としは丁寧に作ってあるのだが、ふとんを入れて鐔を収納すると箱の蓋が少し浮いてくる。要はピタッとしていないのだ。
これが気持ち悪い。材料の桐材を中国あたりからの輸入に頼っているから細工の前の乾燥が不足しているのではなかろうか。
あるいは細工そのものまで中国で行っているのだろうか。それとも日本の桐箱制作者の技量の低下なのだろうか。(もっとも私の狭い体験だけで皆様は感じていないかもしれませんが)

昔、刀剣柴田に青山氏が健在だった頃、私が岩本昆寛の縁頭用の桐箱を新しくしたいと言ったら、彼が「笹野先生が褒めた縁頭用の桐箱が一つ残っている。少し日に焼けているから残っているものだが、これを売ろうか」と出してきた。日に焼けているから安くしてくれるのかと思ったが、定価通り5000円だったが、確かに、この桐箱は今でも、季節に関わらず気持ちの良いほどピタッと締まる。桐の柾目も綺麗だし、もちろん桑縁も付いていない桐だけのものである。白鞘は季節(乾燥)によって、締まったり、緩くなったりするが、それは朴の木と金属のハバキの関係だからだ。桐箱は蓋が乾燥する時は身の方も乾燥するから、締まりは変化がないのが原則で、緩いのはいつも緩いのだ。

ここまで上手くなくても、今までの箱は、ここまでひどいのはなかった。箱が新しいこともあるが、桐の色が少し白っぽい。桐箱の良いものも貴重になる時代が来るのかもしれない。

以上のことを書いたら、日本刀柴田で、こういうことだからとして、自ら歌舞伎役者の指物を作っているような腕の良い職人を選び、桐の1枚板で作らせたという箱を拝見。確かにいい方だが、①桐の柾目が密ではない(もっと柾目が細かいのにと注文したが、継木をしなければこれ以上の材料はないと言われたとのこと)、②まだピチッと締めると片側がわずかに浮く、③中のふとんと台がない(これから用意するのかもしれないが)という欠点がある。
これでも1万円と8000円。浮世絵商に浮世絵保存用の箱(B4が入る大きさ)で、桐も肉厚のが12000円だから高いと思う。でも、鐔箱に問題意識を持っている刀屋さんがいて、これじゃいけないと思っていいものを作ろうとしているのを見て、少し安心した。この箱は水準以上です。

元平の白鞘ー高山師の仕事ー(08年12月8日)

末広がり元平は購入した時、油を付けて、1週間くらいたつと、切先のところの油が取れているような状況であった。あまりにひどいので鞘を割ったところ、内部を掻き通した削り屑が切先の該当部分に残っていた。ひどい仕事で、購入した刀剣柴田に文句を言って直してもらったことがあった。

その後もがたついたり、当たりがあるようで割ったりもしていた。知人に拭いをかけてもらい、割った鞘を貼ってもらったが、長年、割ったままにしていたので、付きが悪く、そくい糊を多く使ったためか、糊がはみ出て、棟に錆びが出た。

そこで、もう我慢ができず、藤代師を通して、高山一之師に白鞘の新調をお願いした。
できあがったのを拝見すると、ふっくらと丸みを感じるのが高山師の造形である。安心感を持つ姿・形である。面取りの線はすっきりと美しく、さすがは名人と感心する。
名人は材料も吟味する。非常に年輪の目が詰まった朴の木で、しかも芯材の部分を使っているようで、やや青黒い色調である。直接、高山師から聞いていないが、長年、自然乾燥させた木である。密度が高いから堅く、重たい感じである。
この鞘には、うれしいことに、虎の斑のような縞模様が浮き出ていることである。
これが虎斑の鞘である。

昔、刀剣柴田で「現存の優品」にも所載の八幡北窓治国の、いい脇差を買ったことがある。この時の白鞘が虎斑の鞘で、それを大切にする為か、白鞘なのに、入れ子鞘にしていた。その記憶があるから、今回の虎斑に気がついたわけである。(なお、昔、この北窓治国を藤代松雄先生に観てもらったら、銘がいけないと言われて驚いたことがあった。もちろん証書はついていたが、今、考えると中心の錆び色に異風を感じられないこともないが、今でも真偽半々の気持ちである。また物打ち辺の片側の平肉が落ちていた記憶がある。)

『日本刀職人職談』に広井師が虎斑を、風が強いところに育った朴の木ではないかと書かれていた。広井師は虎斑を高く評価しているわけではないが、数寄者としては嬉しい。長年にわたる手入れで、白鞘が油で飴色になったらどうなるか、非常に楽しみである。

「研ぎ直せば重要になります」で研ぎにお金を費やす人は多いが、白鞘が良くても高く売れるわけでもなく、関心を示す人は少ない。

兼光の白鞘も新調することを考えて、昔、高山師に直接相談したことがある。今の白鞘の竹中公鑒の鞘書きは是非残したいので、鞘書き部分の額銘方式はできないかと打診したが、、高山師は「古い鞘は鞘で残した方がいいのでは」とのアドバイスであった。鞘だけの保管になると、どうしても紛失しやすい。それで躊躇している。

下取りの慣習は刀剣界だけか(08年10月29日)

最近、「そもそも下取りなんて、どの業界でもやってませんよ。刀剣界だけの異常な商慣習ですよ」と言う刀屋さんに会った。これはおかしい。こう言っている方が異常だ。

私は浮世絵も集めているが、浮世絵商は下取りをする。また絵画、と言っても現代作家の絵画ではなく、物故作家の絵画だが、ついこの間も下取りをしてもらって別の作品を購入した。絵画商では「下取りはします。ただ最近の相場は勘案させてください」と明言している。
現存している作家の絵などは、現代刀剣作家の刀と同じで、どうしても大きく下がる。「H画伯の版画などは会に出れば二束三文です」とも言っていたが、古いもので、それなりに”時代の眼”の洗礼を受けてきた美術品には相場がある。刀剣もそうだ。ごまかして売っている骨董屋とは違うのだ。

ただ、刀屋さんの気持ちもわかる。委託品が多いからだ。下取りで売ったら、委託先には預かった価格で支払いが必要になる。一方、現金はなく、下取りした刀が残るだけでは、運転資金が回らない。
また、今は、業界全体で、新しい需要(刀好き)を開拓していないから、下取りした刀を売る相手がいない。このツケが回ってきているのだ。
もう一つ大きな問題は、相場をゆがめてきたことだ。「近江大掾忠広の脇差が高くて70万円でしか売れませんよ」というのなら下取りの買い取り相場を、4~50万円にすればいいのだ。ここで問題なのは重要、特別重要と言って、紙だけで変な相場を作ってきたことだ。紙の価値で+何百万円も出すのは美術品ではない。家元の箱書きでグーンと上がる茶道具と同じだ。あれは美術品ではなく茶道用品なのだ。刀の証書は家元などの権威のある家が発行するわけでもなく、特定の業者からの出品に偏っているなど異常である。このような相場形成を改めないと下取りができない状況がずっと続いてしまう。株式だって半値以下になるのだ。相場を本来の需要に合わせて下げることも必要ではないか。
刀屋さんは売ったものに誇りを持って、下取りをすべきだ。当たり前のこと。客を育てていくことをしないと、どんどんマーケットは狭くなり、自分の首を絞めることになる。

最近の刀剣・刀装具の愛好家事情(08年9月30日、10月5日追記)

最近、刀屋さんや、刀友と話すと、刀・刀装具を買う愛好家は昔とだいぶ様変わりをしているようで、次のような特性を聞く。( )内は私のコメント。

要は、重要になりそうな刀(新刀であれば必然的に刀で上々作以上の中心も健全なもの)を買って、なったら儲かったということか?あるいは手放す時に買いたたかれて安くなるもの(直刃、無銘)は買わないということか?

私は、このような風潮を批判はしない。次の理由からやむを得ないのかなとも感じている。

そして刀装具の方は、良いものは刀屋さんより、素人間の売買で動くことも多いようだ。紙が付いていればいいわけだから、素人の先生的な立場の人から直接買うことも多いと聞く。先生的立場の人は「ほしがるから売る」のが基本のスタンスだから、売りたいときは、「ほしがらせる」ような行動を取る。だから驚くほどの高値で動くこともあり、怖いという人もいる。(素人間の方が刀屋さんに落ちるマージンがない分、お互いにいいはずなのだが)

素人間売買と言っても、刀屋さんも紙を頼り売っているわけだから、紙さえあれば素人が売買しても同じ。だが古物商の免許は何のためにあるのだろう。税金問題も無視していいのだろうか。こういう先生的素人は刀屋さんなどから陰口を叩かれていますが、刀屋さんが紙頼りでは、偉そうに言えないです。

市場の売買が「重要になりそうだ」「特重になりそうだ」とかの思惑が鍵だから、研究・普及活動より審査が大事という協会の体質も改まらない。論文を書かない学芸員は審査の為だけ。これは刀屋さんの眼の肩代わり業務。私は会員やめてます。「研ぎ直せばよくなりますよ」のムダな研ぎも多い。本質が悪ければ研いでもダメなのだ。協会だけに問題があるのではなく、刀屋さんも職人さんも愛好家も問題なのです。

刀、刀装具などでは結局儲からないのです。他の趣味でも、趣味はムダ金を使って心の平安・満足を買うだけです。自動車の趣味も買い換えて金銭的には損をしますが心の満足を得る。絵なんかもほとんどタダになるのです。
ムダ金を使うのが趣味と考え、美術品とのご縁を大事に、自分の心に響くものを買うのが大切です。「買いたい」「欲しい」と動き回るより、自分の目の前に出てくる品物とのご縁を大事にした方がいいと思います。ご縁があれば名品は来る。

私自身を振り返ると、勉強の為に買っておこうと思ったもの、後藤を代々揃えようとか、時代ごとに揃えようなどと買ったものは楽しめないです。出会った時に心に響くもの、興奮するもがいつまでたってもいいです。

刃紋も地鉄もよくわかる大丸東京店の平台ケース展示(08年6月24日)

昨日、大丸東京店の刀剣柴田の店舗に出向く。ここの平台に刀を寝かせて置いてある展示は、刃紋、地鉄もくっきりと見えて、非常に良い展示方法と感心した。ちょうど真上から強い光がきているからと思うが、この光の当て方が刃紋を写真に撮る時のヒントかなとも感じた。

今、大慶直胤の備前伝の脇差が陳列してあったが、少し小ずんでいるが兼光風の刃紋。それが沸ずいているところなど直胤らしさがくっきりとわかる。
月山貞一の短刀は、家伝の綾杉肌もよくみえ、楽しい。

多くの人がぶらりと入って刀を観られる場所で、このような良い展示はうれしい。多くの人に刀の美しさを知ってもらえたらいい。

(財)日本美術刀剣保存協会の前事務局長への解雇通知無効の判決(08年5月21日)→09年5月19日に協会の控訴が棄却される

東京新聞の5/21の記事に日本美術刀剣保存協会が、一連の問題に関して、元事務局長の後藤氏と職員2人に対して行った解職通知が、無効であるとの原告勝訴、協会敗訴の判決があったと出ています。新聞記事からですが、内容は次の通り。

  1. 後藤氏の事務の方向性(協会役職員や親族の刀剣審査は受け付けないとの指示に基づく調査結果の作成、提出)は文化庁の方針に合致していて、協会の主張(ありもしない文化庁の指導を持ち出して虚偽の事実を申し立てた)は採用できない。
  2. 後藤氏や部下が文書を偽造して文化庁に提出したとの事実も認められない。
  3. 後藤氏が給料をお手盛りで増額したとの協会側の主張も、会長や専務理事の決裁は受けているとして退けた。

一昔前の檜山さんの解雇も無効になったし、おかしな組織です。昔から武家の法度は喧嘩両成敗なのですが。

ちなみに、今回の特別重要刀剣の審査結果は文化庁の目が光ったせいか厳選主義で、慶長新刀の一振を除くと、おかしいものはなかったと、ある数寄者が言ってました。

悲しい展示ー大倉集古館の「備前一文字展」(08年4月25日)

「華やかな日本刀 備前一文字展」が佐野美術館、林原美術館に次いで大倉集古館で展観されている。
展示されている刀は素晴らしいのだが、この展示がひどい。刃紋を拝見するのに腰を深くかがまなくてはいけない。そのことは好きな道だから我慢するが、白熱灯がなく、まったく刃紋が見えない展示が多いのには怒りを覚えた。特に平台に並べてあるところなどは蛍光灯だけ、しかも横からあてているだけだから刃紋はみえない。刃取りがみえるだけである。また立派な陳列ケースの国宝の片山一文字則房も蛍光灯だけで何も見えない。南泉一文字も結局は徳川美術館に行くしかないのか。是非とも拝見したかったのに残念だ。

「華やかな日本刀」とは一文字の華麗な丁字乱れの刃紋のことなのだ。それが見えない展示はおかしい。開催する資格はないのだ。

受付の女性に言ったら「学芸員を呼びましょうか」で学芸員が来たが佐野の渡邊さんにも指導を受けて、これで良いと言われたとか言って、直す気などもアドバイスを受ける気など何もない。刀など鑑賞したこともない学芸員なのだろう。刀の良さを東京の真ん中で観てもらうのに非常に良い機会なのに残念だ。予算がなくてスポットライトでも準備できなければ、刀剣博物館がしっかりしていれば貸すことも出来るだろうに、本当に困ったもの。刀剣界全体が馬鹿にされている感じ。悲しくなりました。

佐野美術館とか林原のようなところでの展示であれば、こんなことはないのでしょうが、本当にがっかりしました。

日本刀の優れている点ー日経新聞08.4.20の「サイエンス」より(08年4月20日)

日経新聞の「サイエンス」に「材料開発 日本刀に学べ」という記事が出て、日本刀が優れたハイテクの宝庫であることが最近の研究でわかってきたということが書かれている。私ども愛好家に言わせれば「今頃わかったか!」ということだが、内容を簡単に紹介する。(私が要約したから、全て正確かは保証できません)

  1. 炭素分の多い堅い鋼が、炭素の少ない軟らかい鋼を包んでいるが、これは特性の違う2つの材料を貼り合わせる「傾斜機能材料」という新素材を先取りしている。
  2. その堅い鋼と軟らかい鋼の境界部は「超鉄鋼」になっていて、強く結合している。(結晶を非常に小さくして折れにくくする鋼が研究されていて、それが「超鉄鋼」)
  3. 砂鉄は不純物が少ないうえ、たたら吹きは1500度で溶かすために、2000度で鉄鉱石を溶かす高炉に比べ不純物が混ざりにくい。硫黄やリンなど鉄をもろくする不純物はわずかで、金属疲労を起こす微少な欠陥も少ない。
  4. さらに鋼を何回も折り返してたたいて鍛錬することで不純物を追い出している。
  5. 何度も折り返して、たたくうちに鉄の結晶が微細になり、結晶の間に微少な隙間ができて、欠陥が少なくなる。
  6. ケイ素やチタンという微量の金属が鉄の中に広く散らばっている。これが結晶が大きくなるのを防ぐ。
  7. 焼き入れの時に刃先の焼き刃土を薄く塗ることで、刃先が急冷されて、堅いマルテンサイトが出来る。
  8. 一度刃側に反り、次に背側に反る。これで元の形に戻ろうと刃先に圧縮方向の力が働き、その圧縮力が働くことで衝撃に強くなる。

変な東京新聞の批判記事(08年3月10日、21日)

08年3月5日付けの東京新聞に、2月28日に衆議院予算委員会第四分科会で共産党の佐々木憲昭議員が行った質問のことで日本美術刀剣保存協会を批判した記事がでている。
記事の内容は、重要刀剣等審査申請書に、「国不詳 時代鎌倉後期」と書いてあるのを2本線で消して「伝新田庄・時代鎌倉後期」と書かれ、財団の理事の名があって、その「理事の指示により変更」と書いてある。また別の書類のコピーにも「伝古吉井・時代鎌倉末期」が「伝新田庄・時代鎌倉末期」と書き換えられており、この書き換えにより刀の価値を高めた疑惑があると文化庁を問い質したとのこと。

新田庄の鍛冶としては助依、氏依、則次などが銘鑑に上げられている。これらの在銘品の研究が進み、今まで国不詳、あるいは古吉井と極められていたのが、このように極まったのであれば、別に問題視することではないと思う。古吉井でも新田庄でも作位は同じ程度であろう。価値が高まったとは思えない。佐々木氏は色々と協会のおかしな点を取り上げているが、今回ばかりは的外れと思う。東京新聞も同様だ。(衆議院TVの衆議院ビデオライブラリィ→ 2月28日→予算委員会第四分科会→佐々木憲昭氏の項で、実際の質疑の内容を聞くと、「新田庄は群馬で、ここのものだと価値が非常に高くなる」なんて言ってます。この質問とは別に日刀保を批判している内容にはまともなものもあります。皆様なりにお考えください。)

もっとも無銘の極めには流行がある。昔は直江志津が多かった。そのうち古宇多も多くなった。どっちにしろ鑑定家の逃げところだろう。(もっともこのようなことは江戸時代から行われていた)
小道具にしても京金工などと理解に苦しむ鑑定結果が出ている。

明治の浮世絵商林忠正の刀装具に対する意見(07年10月4日)

『海を渡る浮世絵-林忠正の生涯-』(定塚武敏著)を読んだ。
林忠正は明治の時代にフランスで浮世絵を商ったということを知っていたが、2003年、上野の芸大美術館における「工芸の世紀」展で、鈴木長吉が林忠正の指導で作成した12匹の様々な鷹の姿態の彫物に驚いた。鈴木長吉という職人とは別のプロデユーサー、あるいはパトロンとでも言うべき人物(ここでは林忠正)の役割の大きさを改めて認識させられたことを思い出す。

この著作で、林が単なる語学屋ではなく、長崎家に生まれ、和漢の学、蘭学を修め、富山藩大参事を養父に持つ家に養子に行き、藩の貢進生として大学南校で学んでいたことを知る。フランス語を学んでいたが、大学の教育が英語に統一されることなどから、中退して、博覧会の通訳として渡仏する。その後片付けもかねて起立工商社が設立されると、働き、その後、美術骨董商の若井兼三郎と知己となり、日本美術の商いをはじめ、成功する。

林の偉いのは、元は理数系の人間だが、美術を勉強し、フランス人に正しい日本美術を教え、啓蒙したことである。林の人柄、教養が当時のフランス文化人、画家から政治家にまで信頼されて、ジャポニズム運動を盛んにする。これが印象派画家、ゴッホなどに大きな影響を与えたことは知られている。ルイ・ゴンス、ゴンクールなどの文人、日本美術研究家から画家まで林の知識に頼る。林忠正も美術の目利きとして、良いものを紹介した。日本政府高官(伊藤博文など)からも信頼され、民間人でありながら1900年のパリ万博の事務総長に任じられ、フランス政府からもその功績をたたえられる。

一方、日本に西洋の絵画を紹介し、日本の美術家を覚醒させることにも勤め、黒田清輝の画才を発見した一人でもある。岡倉天心、フェノロサが日本美を意識して西洋画排斥に動く中、黒田などを助けながら、西洋画の正しい普及にも力を注ぐ。林が希望し、実現に努力した国立西洋美術館が開館したのはなんと昭和30年。その間、林の収集した西洋絵画の逸品は散逸している。

刀装具に関する林の手紙を紹介したい。郷里高岡の銅器職人の指導的立場にあった白崎善平が工人を救いたいとのことで林に助言を求めたことに対する林の手紙である。「高岡銅工ニ答フル書」となっている。
「金属は本来冷たい感じのものですから、金属製品は潤色を増して冷たく見えないようにすることが大切です。潤色は彫刻の肉合(ししあい)と金味(かねあじ)、色金の組み合わせによってできるものであります。後藤一乗は近来の名工ですが祐乗はもとより徳乗にさえ遠く及ばないといわれているのは、全く仕事に潤色が少ないからです。
祐乗、利長(伊藤注、利寿のことか)、宗珉、安親、乗意など古来名工といわれる人の作品を十分理解して製作すれば、三尺の花瓶、四尺の壺といった大作を作らなくても、名を世界にとどろかすことができましょう。
現在の彫金家では加納夏雄は名工だと思いますが、浜野の末門には優秀な工人はいません。改霊、信霊(伊藤注、霊は「よし」と読ませるようだが、伊藤は聞いたことのない作者。誤植かもしれない)などがいるが作品の潤色が薄く、品が悪く雅味がない。工芸家はこのようなことにも注意してみるべきだと思います。
お手紙のなかにどのような品がよいか、また図面でもあったら送って欲しいとのことですが、図面などは作者自らの発想によるものでなければ取るに足らぬもので、他人の図によって美術的工芸品をつくることは極めて悪いことです。」

明治のハマモノを馬鹿にし、粉本とは違う独創を訴えている。私も一乗晩年作の評価はこんな程度で良いと思う。

清水三年坂美術館コレクション 幕末・明治の鐔・刀装金工」(07年9月12日)

これは緑青という骨董関係の雑誌の中の特集号である。ここの館長と懇意の友人からいただいた本である。
主に、幕末・明治の刀装具を掲載しているが、石黒政常や大森英秀なども掲載されている。また明治と言っても、出来を加味したら、夏雄、勝珉、一乗一派が中心となり、この本もそれら金工が中心である。

雑誌だけに図版が大きく、見やすい。和田一真の二所物の3点、今井永武の小柄、佐藤東峰の明烏の小柄などは、これら作者の評価を上げたいと感じる良いものです。他に吉岡因幡介の達磨図小柄、ハッとさせるものです。河野春明も、つまらない売り細工のものを市中で見かけますが、この本所載のものは、名品です。このようなものがあるから高く評価されているのでしょうね。

『日本刀-日本の技と美と魂』小笠原信夫著(07年7月4日)

元、東博の小笠原氏の著作である。文春新書の一つとして、刊行されたもので、日本刀愛好者とは別の一般の読者を相手に書かれている。
日本刀を一般の人に紹介するのは難しい。紹介する側は刀剣界の中で標準となっている言葉(例えば、匂、沸、地景など)に染まっているが、一般の人にはまったくわからないだろう。氏はこのような言葉を使わずに書いているが、一般の人の中には、刀=切る=殺す=怖いというようなイメージで凝り固まった人もいる。いくら日本刀は美しいと言ってもサルに話すようなものだ。

小笠原氏は、一工夫した章立てで記述していく。刀剣の崇められてきたことを書いたと思えば、正宗や虎徹の作風やまつわる話を書いたり、刀剣目利という世界でも珍しい職業を紹介することで日本刀の美しさ、特異性を浮き彫りにしている。

また、外装、風俗に言及して武士の精神の変化にふれたり、はては日本刀愛好者がまったく興味を持たない模造刀、粗悪刀のことを書いたりしている。
刀剣界ではあつかっていない分野の資料を引用したりしていて興味深い。
まったく日本刀を知らない人の読後感を聞きたいものだ。

日本刀の愛好家にとっても、興味深い問題提起をしている。たとえば次のようなことだ。

なお、明治の月山貞一について、「自分の渾身の作刀に偽銘を入れるという屈辱に耐えながら外国へ輸出するなどして、結果として伝統の技を残してくれることになった」と記されているが、私は偽物を作ったことはあくまでもマイナスで評価し、一方で、帝室技芸員に選ばれたほどの技量をそれなりに評価したい。

また截断銘をわざわざ(さいだんめい)とルビをふっているが、これは切の旧字で(せつだんめい)と読むべきと思うが、もう刀剣界は裁断と截断を区別しなくなっているのであろうか。刀はハサミと違って裁ち切らない。

(財)日本美術刀剣保存協会のもめごと(06年8月24日)

本日(06年8月24日)の読売新聞朝刊の社会面のトップで、協会のゴタゴタが紹介された。
新聞によると、文化庁が協会の理事、役員、職員などは重要刀剣や特別重要刀剣の審査に出すのを遠慮するように要請し、協会側からも、そのようにするとの回答があったにもかかわらず、それが守られていないのはどういうことかと文化庁が問い質した。
協会側は、その通達に対する回答は、当時の事務局長が、理事会にはからず回答したことである。また理事だから審査に出さないというのもおかしいのではないかと回答しているようだ。

協会内部で、協会側と文化庁側に分かれて対立があり、文化庁側の後藤事務局長と日高課長が罷免されたとか聞いている。
なお、会長には佐々淳行氏が就任したが、8月11日に緊急理事会の招集案内がきて、8月14日に14人の理事の内8人の出席で決まったとか聞いている。(伝聞であり、確認が必要)

私は、この記事以前から数人の方々から、この件に関する話を伺っているが、一致しない点もあり、私自身はまったく関知していないことから、これ以上のコメントは控えたい。いずれにしても文化庁と協会が対立している構図であるのは間違いがない。

なお国税庁が協会や複数の刀屋の税務調査に入るとも聞いている。ウミがあれば出して欲しい。

協会の理事、役員、職員などが審査に出さないという内規は作り、守るべきと思う。いずれも社会的地位のある方であり、当然だと思う。「李下に冠を正さず」である。
このホームページでも「虎徹に関する確認したい話」としてアップしたが、あのようなおかしなことが生まれる背景にも、今の審査制度の問題があると思う。

<追伸1>東京新聞8月26日朝刊にも掲載される。

読売に出ていなかった情報は、亡くなった鈴木嘉定専務理事兼事務局長に都合の悪いことは押しつけている協会の姿勢である。
また文化庁の通達が出て、協会が改めるとした01年12月から06年3月までの間に、協会の理事、職員、その親族、審査員が刀剣審査を申請した件数(すなわち違反件数)は515件、内、理事が4人によって34件あったという文書を文化庁に報告したとのこと。
なお佐々会長は、同じ警察官僚の平沢勝栄氏を財団の顧問に迎えると決めたようだ。

<追伸2>東京新聞9月1日朝刊

罷免された後藤事務局長が協会に対して裁判を起こしたとの記事があったようです。

<追伸3>東京新聞9月4日朝刊

8/24付けで後藤事務局長、野原会計課長、日高庶務課長に解職の通知。その理由は「後藤氏は定年の70歳を超えているので8月末。1年ごとに雇用継続の野原、日高氏も職員定年の60歳を超えたので、野原氏は来年3月末、日高氏は今年12月末で退職。それまでは出勤に及ばず自宅待機」ということだったようだ。

なお3氏は「歴代事務局長は73歳とか78歳まで勤めている」こと、野原氏、日高氏は警察OBで、財団と警視庁が結んだ「70歳まで雇用するとの約束を破った」として、地位確認訴訟を起こした。

一方、協会は後藤氏らが文化庁の要請でまとめた「刀剣審査に係わる申請等の調査結果及び改善方策について」が勝手にまとめたもので私文書偽造・行使罪及び偽計業務妨害罪で逆に訴えると言っているようだ。

後藤氏は林専務理事に見せており、まったくの言いがかりだと反論しているようだ。
理事の何人かは後藤氏側の説明を裏付けているようだ。

<追伸4>東京新聞9月24日

20日に理事会が開催されたようだが、結論は出ていないとのこと。職人さんは人間国宝に指定されるのも、技術のコンクールも文化庁の後援が必要であり、文化庁の指導を尊重する立場のようだ。

この理事会で平沢勝栄氏が顧問に就任することは決まったとのこと。

現協会側は罷免された後藤氏が770万円の年俸で入り、2年間で400万円をお手盛りで上げたことなども罷免の材料にしているようだ。もちろん後藤氏は、当時の会長、専務理事に了解を得ていると主張している。

1170万円は私には高い額と思うが、これでも前任者よりも低いようだ。また770万円は中堅の学芸員より安いとのこと。されているが、学芸員でも結構な給料をもらっているらしい。

<追伸5>協会の三匠会への説明書(10月18日)と、国会における質疑(10月20日)

10月18日付けで、協会側から刀関係職人の会である三匠会の人に事情を説明した資料が配られた。

  1. 8月14日の緊急理事会開催のいきさつを9月20日の理事会で説明し、その事情と、その時の日高庶務課長の対応のおかしな点を説明し、改めて佐々会長(無給の奉仕)の就任を確認している。

  2. 今年の5月頃からの文化庁へのやりとりに関して、後藤氏、日高氏などは林専務理事に無断で文書を報告していた。

  3. 「理事、職員、審査員やその家族からの刀剣審査申請」ができないという文化庁との平成13年のやりとりについても、後藤氏などは他の協会関係者に確認することなく、一方的に文化庁の約束だと決めつけている。

  4. 理事会に出席した後藤氏は違反の実態調査の実施と、違反したとされる林専務理事、田野辺常務理事、小林常務理事の辞職などを指示したのは文化庁の関根室長と答える。協会としては後藤氏が文化庁の職員でもないのに、協会の会議、指揮命令系統を無視したのは遺憾と考える。

  5. 文化庁とは佐々会長が小坂大臣、山崎課長と会談し、「理事、職員、審査員やその家族からの刀剣審査申請」は個人の権利を不当に制限をする、むしろ審査における公平さを守る審査方法の改善策を詰めていくと述べて、了承をもらった。

  6. 平成13年の話は林専務理事から当時の鈴木会長が独断でやったことと述べられる。よしんば、この通達があったとしたら、先回の審査の時に後藤氏が適切に対応もせず、黙認したのはおかしいというのが協会の立場である。

  7. 後藤事務局長の給与の急激な値上げは規定にも違反している。また日高氏、野原氏などの給与についても違反する値上げがあった。

  8. 東京新聞は一方的な立場で虚偽(例、警視庁と70歳まで雇用する約束などはない)、偏向した内容を繰り返しており、抗議している。

10月20日に衆議院文部科学委員会で、保坂議員が新聞記事を配り、文化庁(鴨川次長)の見解を質問した議事録がある。

  1. 文化庁は平成13年度に適正な審査が行われているかが問題となって、改善見直しを求めた。

  2. この折、文化庁と協会側が十分に話し合って結論を得て、協会が審査の透明性をはかるために「理事、職員、審査員やその家族からの刀剣審査申請はしないという自主規制をはかる」と言う報告がなされ、了解した

  3. 最近になって、これが守られていないとの匿名の投書があり、協会に事実関係を問い合わせしたら、一部違反があったと説明があり、より詳しい事実調査と改善報告を求めているのが現状。

  4. 自主規制は事前の話し合いもしており、「法の下の平等」に違反するとかの議論には該当しない。(法制局山本部長も、一般論ではあるが、違反云々の議論にはならないと回答)

  5. 現在の伊吹文部大臣にも保坂議員は質問したが、今少し事情を聞いてから佐々会長にお目にかかる。一番いいのはひとつしかない鑑定機関でもある協会が、同じような疑いを招かないように厳正に行動していただくことだ。文化庁としては、その方向で努力する。

<追伸6>後藤氏側からの説明書(07年2月22日)と東京新聞記事(3月4日)

協会から不適切な行為があったと指摘されている後藤氏、日高氏、野原氏が、連名で日本美術刀剣保存協会の理事、評議員、支部長宛に、これまでの経緯を説明して、現在、協会と佐々会長を提訴しているという文書が発送されており、それを見せてもらった。

  1. 平成13年に文化庁と協会が取り交わした約束が守られておらず、相変わらず理事の名前で重刀が指定されていることに、平成17年11月に文化庁より説明を求められ、後藤氏らは改善に動いた。
  2. 平成18年2月の理事会・評議会から後藤氏らが文化庁の意向にそうように動くが、現協会側(林専務理事など)は改善書提出に消極的。5月、7月の理事会・評議会では逆に後藤氏に対する風当たりも強くなる。
  3. 後藤氏らの調査の過程で、理事の中では林氏、森氏、小泉氏、鯉沼氏らが、各自の名前で申請していることが判明。また真玄堂、霜剣堂扱いが際だって多いことが判明。
  4. 橋本会長は7月に逝去されるが、橋本会長は文化庁の意向を受けて、協会の襟を正そうとしていた。
  5. 8月の緊急理事会で、前述したような事態になる。
  6. 協会側の「三匠会への説明書」に、書かれていることは否定する。給料のお手盛りについても、林専務理事が進めた話である。橋本会長の印についても偽のようなことが書かれているが、これも違う。きちんと手続きがされている。
  7. このような経緯であり、後藤氏ら3氏は地位確認の訴訟を協会に対して、名誉毀損の訴訟を佐々会長個人に対して行っている。

東京新聞記事(3月4日)の記事

この問題を衆議院予算委員会第4分科会で、共産党の佐々木憲昭議員が取り上げ、伊吹文部大臣に質問した内容を記事にしている。伊吹大臣の答弁の内容は、かなり踏み込んできている。なお佐々木氏の追求の内容は、前述した後藤氏の資料と内容はほぼ同じと思われる。この時の国会での質疑応答の内容がそのまま画像で聴取可能。(衆議院TVのビデオライブラリーの3月1日の予算委員会第4分科会における佐々木憲昭議員の質問)

  1. 「協会は文化庁に指導方針に対して開きなおった回答をしている。踏み込んだ対応が必要ではないか」と佐々木氏が質問。
  2. 伊吹大臣は「公益財団改革が言われている中で、国民に信頼を得ないといけない。いつまでもこういう事態をほっとおけない」と応じ、「法人内部の統治のあり方に疑義がある。必要があれば民法の規定で改善命令も考えている」と回答。
  3. 佐々木氏の「現職理事の違反は何件か」の質問に対して、文化庁は「27件と回答」。
  4. また佐々木氏は「審査の受付台帳や一次審査結果の一覧表が作られていないことや、特定の業者の申請が全体の57%を占めるのは癒着ではないか」とも追求。
  5. 文化庁は「公益法人としての客観性、透明性が求められているので、それにそうように努力したい」と回答。

東京新聞記事(3月21日)の記事

衆議院文部科学委員会でも3月16日に、保坂展人議員が取り上げ、伊吹文部大臣、文化庁次長が答弁した内容を記事にしています。伊吹大臣、文化庁は、今年度末(要するに3月末まで)に改善案を出すことを強く指導し、そうでない場合は解散命令まで出すような雰囲気で答弁しています。なお国会での質疑応答の内容がそのまま画像で聴取可能。

東京新聞の記事の内容は次の通り。

  1. 協会は2月26日に理事、評議員宛に「文化庁とのやり取りについて」という文書を出し、その中で従来の主張を繰り返し、そして公益法人改革三法が成立すると、文化庁が監督官庁でなくなるから、財団設立許可の取り消しなどはない」と公言している。このように文化庁の指導にまったく反する言動をどう考えているのかと保坂議員が3月16日の衆議院文部科学委員会で質問。
  2. これに対して、伊吹大臣は「まったくおかしな対応である。改善命令、しいては解散命令もありうるが、今は話し合いをして指導している」という内容の答弁。さらに保坂議員が新年度になる前に国会軽視の団体の方針を是正すべしと質問。
  3. 文化庁次長は3月末までに改善報告を出すように強く求めていると答弁。この答弁の時に伊吹大臣自ら文化庁次長に「いさめるなんていうことじゃだめだよ。きちっと答弁して」とヤジを飛ばした。

東京新聞記事(3月29日)の記事

3月27日の衆議院文部科学委員会で佐々木憲昭議員と保坂展人議員が質問し、参議院の文教科学委員会でも鈴木寛議員が取り上げたことを、東京新聞の3月29日の紙面で紹介しています。

内容は従来の延長ですが、伊吹大臣も文化庁にはいらだっているようで「(文化庁ナンバー2である)次長には、もう決着をつけろと指示してある。大臣の指示に従えない次長なら、それは次長が自らの進退は判断することだから、指示通りに仕事をすると思う」と強い調子で答弁したそうです。

国会衆議院での質疑応答の内容(3月27日での当該質問者をクリックしてください)がそのまま画像で聴取可能。

佐野美術館「虎徹と清麿」展図録のお勧め(06年7月15日)

佐野美術館で「虎徹と清麿」展が開かれている。その図録の写真がいい。藤代興里氏のお嬢様の冥加明子さんの写真である。

虎徹にもいくつかの作風があるが、私は「刃紋が締まって冴えて明るい」作風が好きだ。虎徹は銘字も細い鏨であり、銘も締まって冴えて明るい感じである。

この図録は、刃紋の写真がよくわかるので、「どの虎徹の刃が一番、締まって冴えて明るいか」と楽しみながら拝見した。写真で拝見した限りでは14の稲葉虎徹と、23の脇差がいい。(現物を拝見した人、御二人から聞くと、18の守山藩松平家伝来の重要文化財がいいとのことだが、この写真はいつもの写真が使われており、良さがわからず、残念である)
興正はこれまでいいのを拝見したことがなかったが、31の刀は虎徹と同様だ。

このような鑑賞ができる図録はこれまでなかった。3500円だがお勧めしたい。

故柴田光男氏の功績

06年1月に刀剣柴田の創業者柴田光男氏が逝去された。柴田光男氏と会話をして売り買いしたのは私より前の世代の愛好家である。私のように昭和48年頃からはじめた者は店員さんとの交流が中心であり、柴田光男氏との接点はほとんどなかったが、氏の功績は次のような点にあると思う。

  1. 刀剣界(主として刀剣商)における人材の育成。(刀剣柴田の出身者として活躍している刀剣商は多い。今の残っている社員もがんばって欲しい。)
  2. 刀剣趣味の大衆化としてのデパートの活用。(私もデパートの刀剣コーナーで刀剣柴田の社員から手ほどきを受けた。敷居の高い刀剣店は初心者はなかなか入れるものではない。また年2回のデパートで売り出しは大いに人を集めた。ちなみにデパートの価格とお店、通信販売の価格がまったく同じなのは刀剣柴田ぐらいではなかろうか。(他の業者はデパートでの販売では上乗せしているのがほとんどである))
  3. 刀剣趣味の大衆化として愛好家参加の入門書の発行(『○○入門』という安価な本を光芸出版などから多く出版された。その中に愛好家が登場し、自分の持ち物を紹介するコーナーがあり、刀剣類が自分たちに手の届くものであることを教えてくれた)
  4. 刀剣趣味の大衆化としての通信販売雑誌の充実(通信販売自体は藤代義雄氏、大村氏など戦前に嚆矢があるが、写真、印刷技術の向上に伴い『麗』を充実させてきた)
  5. 画廊の多い銀座に出店し、顧客の利便性と刀剣界の信用を高めた。

最近はTVの何でも鑑定団の鑑定員としてお茶の間に馴染みである。
笑顔を絶やさず、腰の低い人柄は、刀屋しかできない人ではなく、刀屋以外になっても大成した商売人と思う。刀屋でなかったら、もっと店が大きくなっていたと思う。
ご冥福をお祈りいたします。

光悦寺

05年1月末に、京都で法事があり、前日に光悦寺を訪れた。

他の美術品に比して刀剣・刀装具の良い点

絵画、浮世絵、茶道具などに比して、刀剣・刀装具の良い点を列記してみたい。
一つは「現代に作られた作品が異常な高値にならないこと」である。これは現代刀作家にとってはつらいことだと思うが、絵画の世界などでは現存する作家の価格が異常に高いと思える。このため、当該作家が亡くなると相場は下落することが多い。私は、現代刀を古作と比較鑑賞すると、今の相場もやむをえないと思うが、刀剣商に力がなく、現代刀の価格を支えきれないという側面もあると思う。

二つめは「箱書きなどの権威が価格に関わらないこと」である。茶道具の世界では、家元の書き付けの有無が価格に大きく影響する。刀の世界では鞘書の有無で価格が変わることはないと思う。もちろん、伝来はあった方が貴重だし、それは大切にすべきと思う。私が言わんとするのは、権威の眼に頼らずに公平に評価されるのが刀剣の世界だということである。権威として重要刀剣、特別重要刀剣などの制度が存在するではないかという声もある。個々で見るとおかしいのがあるかもしれないが、総体にはいいものが指定されていると思う。ただ価格が、指定の有無で左右されすぎているとは思う。こうなると素人でも商売できてしまう。刀剣商が自らの権威を落としているわけだ。

三つめは「無銘に対しても正しい評価ができること」と考える。無銘でも作られた時代がわかり、個銘まで判明するのは、刀が芸術であることの証左である。すなわち個性があるということである。「当てっこゲーム」という側面はあるが、鑑定学が発達していることの長所でもある。

もっとも、この長所の裏に「真贋が重視されすぎて、ホンモノの中における出来、不出来の差による価格差が少ない」という短所もある。浮世絵などは図柄の良さで百倍の開きがでる。図柄がある絵と刀は違うが、刀装具などは絵と同じであろう。これは我々の責任でもある。鑑定に偏って鑑賞がまともに出来ていないのだと思う。もっとオリジナリティを評価すべきと思う。

もっともオリジナリティをあまりに重視すると、現代絵画が一部で入り込んでいると思うが、わけのわからん世界に入ってしまう。

「武」の字義ー白川静『常用字解』の面白さ

「武」の本来の字義は「戈を止める」にあり、武士の象徴である刀もその精神に則ったものであるということを聞いたことがある。

そんなに奥深い意味があるのかと、釈然としないなりに納得していたが、白川静著『常用字解』が非常に面白い本で、疑問が氷解した。

武は戈と止の組み合わせた形として、止は足跡の形で、甲骨文字の字形では之(し、ゆく)と同じで、行く、進むの意味がある。戈(ほこ)を持って進む形が武で、それは戈を持って戦うときの歩きかたであるから、「いさましい、たけし、つよい」の意味となる。武は文と並ぶ徳の名とされ、文徳に対して勇を重んじる武徳をいい、文武と対称されると説明があった。

何ごともそうでしょうが、生半可な知識で、わかったようなことを言ってはいけないということですね。私も反省しています。

中島誠之助『ニセモノ師たち』からニセモノにひっかかる条件(03年11月23日)

陶器の鑑定家である中島誠之助氏が著した『ニセモノ師たち』を読んだ。
その中で、素人がニセモノにひっかかる三つの法則が記されている。

皆様ご自身、欲の深いと自覚している人はともかく、損はしたくないけど、それほどは欲深ではないと思っている人も多いであろう。私もそうだ。でも品物を観て、「これは安い」「下取りに出しても損はしない」と思って買うことはあるはずだ。ここに落とし穴がある。

出発点のレベルが低いとは、一流の店で高い金を出して買うことからはじめないで、素人がはじめた骨董品屋や、わけのわからないインターネットのサイトで買うことから趣味をはじめることである。はじめの目線が低いとなかなか目は高まらないし、結局は駄物の収集で終始してしまう。

適度に小金があると、確かに失敗する。私も「勉強に買っときますか」とか「最近何も買っていない。なんか買いたい」という心境になった時に甘くなっている。
教養もあるとだまされるのは舞台にだまされるからである。

この本の中には、目利きと鑑定家の違いとして、「目利きは目利きをした結果を話すことなく、あくまでも自分のためにする行為で、そのものがホンモノがニセモノが、そしてニセモノでも儲かるものか、ホンモノでも儲からないものかをすべて自分の頭の中で判断分析すること」とある。
そして鑑定は人に教えるものと記している。なかなか含蓄に富んでいる。

吉村昭の随筆に紹介されている関山豊正氏のこと(2003年3月3日)

私は吉村昭の小説も好きだが、今回読んだ『わたしの流儀』という随筆の中の「地方の史家」という章に次の一節があった。

「天狗党は、茨城県那珂湊で激しい戦いをするが、これについて「那珂湊の大戦」という私家版三冊にまとめた史家がいた。関山豊正氏で、那珂湊で酒類卸商を営まれていた。
広く事業をなされている人らしい寛容な方で、そのかたわらこのような研究をしていることに驚嘆した。七十九歳とは思えぬ、体格の良い若々しい方で、那珂湊の戦いについてこの人以上に造詣の深い研究家はいない。
二年前、故あってお電話をし、氏が逝去されているのを知り、茫然とした。
しかし、氏は亡くなられても、「那珂湊の大戦」という自家版の著書は秀れた史書として後世にまで残され、氏は幸せな方なのだ、と思い直した。」

私事になるが、「江戸法城寺派と肥後守吉次と常陸国」という論文を発表した時、発行元の刀剣柴田に関山氏がお電話をされ、私の元へ、わざわざお褒めのお電話をいおただき、加えて関山氏のご著書『水戸の刀匠』を引用していることのお礼まで言われたことを懐かしく思い出した。

むしろ、お礼を言うべきなのは、研究成果を活用させていただいた当方なのであり、大変に恐縮した。
これ以降、氏のもう一つのご著書『水府剣工勝村徳勝の研究』を送っていただいたことも記しておきたい。

私もいくつか論文を書き、その中で先人のご著書、論文を参考にさせていただいているが、多くの論文を読んでいると、どの人がきちんと研究しているかはわかるものである。これは地位、肩書きとは別のものである。

このような立派な研究をされている一人が関山氏であった。刀剣の分野とは別だが、吉村昭氏も関山氏の研究を高く評価されたのであろう。

刀剣と同様に、人物についても見える人には見えるものである。

ちなみに、私が高く評価している在野の刀剣研究者には関山氏の他に、近江関係の刀剣に関する岡田孝夫氏、清麿一門に関する花岡忠男氏などがいる。これらの先人についても、おりにふれてご紹介していきた。

02年秋の絵画相場動向=刀剣は(2002年10月14日)

銀座の画廊(洋画)の人が、「最近は、中堅作家の作品がまったく売れません。売れるのは若手作家と大家。それに物故作家が人気が高いです」とのこと。この要因に、大家と物故作家が好まれるのは、重厚な作風が見直されているということをあげていたが、若手作家の価格の値頃感と、中堅作家(=中途半端の作家)の換金性の悪さに原因があるのでなかろうか。

刀剣の方でも、新々刀の上作(最上作ではありませんぞ)の重要刀剣を、換金のために、買ったところ(大手の刀剣店の一つ)に持ち込んだところ、「今は相場が悪いから」ということで750万円で買ったものが250万円と言われ、憤慨されていた人のお話を伺った。

重要刀剣といっても、重量刀剣と言った方がよい健全さだけの刀は厳しいであろう。

高額なものは、株式とか土地の売買からのお金で購われることも多い。それがこのような相場では、高額なものの値動きが悪いのもやむを得ない。

逆に、このような相場だからといって、買いにまわる人もいるかもしれない。出会えばチャンスなのであろう。

詐欺的な刀剣商にはくれぐれも注意していただきたい。新聞紙上の広告で聞いたことのない刀屋さんを見かけるようになった。昔、同じような詐欺事件があったことを思い出す。

ご注意されよ、ネットでの刀剣販売(2002年4月7日)

私がリンクしている先の刀屋さんの中に経歴を詐称している先があるとのご忠告をいただいた。
でもリンクからは外していない。それが本当かもわからないし、たとえ本当でも別にかまわないと思っている。私は玉と石を混淆して紹介しているだけである。

何度も言うが、刀の購入は、本人が気をつけるしかない。これまで何度も刀剣界には詐欺師が登場している。だから今後も登場するだろうし、今も暗躍しているかもしれない。

悪い刀屋さんからも良いものが買えることがあり、良い刀屋さんからも悪いものを購入することがあるのが、この世界である。研師さんでも同じである。良い研師さん、悪い研師さん、下手な研師さんがいる。でも、これはどこの世界でも同じではないだろうか。また「良い」「悪い」は、そもそもどうして判断すればいいのだろう。たまには刀屋さんにも儲けてもらわないと、名品もこない。

「うちは安いです。大手の○○だと、いくらで出してましたが、当店ではいくらです。」という刀屋さんもいた。これも情けない。あんたも刀屋だろう。
「うちは仕入価格の倍なんて言う暴利はとりません。適正な荒利をとるだけです。」これも違う。良いもの、価値のあるものなら、10倍で売ったっていいんだ。これが美術品の世界だ。

私も含めて人間は皆、普段は良い人間でも儲けようと思うこともあるだろうし、悪い人間でも、「この人のために」と思うことがあるのではなかろうか。

自分が生きてきた経験で、人を判断し、自分の眼でモノを判断するしかない。人によっては証書で判断する人もいるだろうが、それはそれで一つの基準である。でも証書でだってだませるのがこの世界だ。だます時は、みんな良い人になるんだ。

2001夏刀剣界の話題(2001年7月16日)

6月28日に日本刀刀装具美術館を運営している三宅氏の会社中国パール販売が民事再生手続きを開始したとの記事が新聞に掲載された。現在、同美術館はしばらくの期間、閉館中と聞いている。

あれだけのコレクションであり、特に刀装具中心の美術館は他になく、行方は気にかかる。悪くなると誹謗中傷する人も多いが、武士の心をもった人は、そのようなことをしてはいけない。

重要刀装具に最近は、拵が多く指定されているのは良いことだと思う。しかしそれらの拵が刀屋さんの在庫として積み上がっているとの話も聞く。「重要だから」という理由で価格を維持しているので、売れないというのが理由であろう。刀に比べて刀装具のコレクターは少なく、さらに拵のコレクターは少ない。需要と供給の問題である。こういう時は市場価格に近づけて売りさばいた方が得だと思うが、どうであろうか。

浮世絵愛好(2001年5月21日)

私は、絵も好きですが、最近は浮世絵が素晴らしいなと思い、愛好しはじめています。もっとも浮世絵の中でも、広重の名所江戸百景シリーズに限定していますが、名作の条件である「見る者に驚き」を与える素晴らしいものが存在します。

世界では、刀以上に国際的評価が定まっているのも当然という気がします。(日本画や、洋画、やきものの中でも茶道具は、日本国内だけの評価で、国際的に通ずるものは僅少であることはご存じの通りでしょう)

畏友のH氏は最近は陶器に凝っているようです。刀装具の方で高名なH氏は硯を愛好しているようですが、刀だけの人よりお話していて味がありますので、私もそのようになれたらいいですが。

浮世絵は刀、刀装具と違い、妻や子供たちにも理解しやすいみたいで、その点は良いです。

両H氏もそうでしょうが、観る眼は共通です。買う前にいくつかの浮世絵商を廻り、たくさん拝見しましたが、私がいいと思うものは値段が高く、これなら買っても大丈夫だなと確信を持ちました。

この分野も刀屋さんと同様に「最近は名品が無くて」と言っています。

たまたま私の高校時代の友人が『広重のカメラ眼』という本を出版したので、それを応援する意味で、私が「広重のカメラ眼」というホームページを開設しました。私が買ったものも掲載しています。

私と同様に浮世絵が好きな人がいればご覧ください。

真贋と本物の見分け方の違い(2001年2月14日)

この欄で傑作と駄作とか良い刀と感動する刀などのコラムを書いたが、絵画関係の本を読んだら、私が言わんとすることと同じことを、よりわかりやすく書かれているのを発見した。

サラリーマンながらコレクターとして一流で、今では大川美術館の館長として本物の絵画の普及に力を発揮している大川榮二氏が書かれた『美の経済学』の一節である。

「このような真筆か贋物かということは、他にまかせ、私のいいたいのは、これとは別の意味の”ほんものかイミテーションか”ということだ。-中略-
 知名度や肩書で絵を買うことと、ほんものの絵ではなく本人が描いたというだけの本物の絵を求める日本人が多いことが、今世界中の巨匠といわれる印象派以降の、パン絵といわないまでも出来の悪い三級絵画が日本に一番集まってしまった原因である。
本人の真筆でも、ほんものの一級品と出来の悪い本物およびパン絵臭い三級品とは欧米では値段がまったく違う。油彩の場合で30倍くらい、版画の場合で50倍くらいまでの差がつく。したがって、ほんものではなく、本物、すなわち真筆にのみ神経を使う日本に、割安品、掘り出し物としての三級品が続々流入し、今や世界一の巨匠駄作展覧会ができるほどた。-中略-

ほんものとイミテーションが見分けられるよう、それがいかに至難の道であっても、それに少しでも近づけられるように、絵をみる姿勢を正しくすることだ。
画家の名前や肩書きに、箱書や保証書にとらわれず、好きな絵、それぞれの生き方の中で、何か詩情や画家の精神を感ずる絵、それはいつまでも新鮮で強烈になりこそすれ、けっして弱くならない、換言すれば、画家のオリジナリティのある飽きない絵を求めることだ。」(『美の経済学』大川榮二著)

鑑定会は他の美術品には見られない不思議な制度で、これはこれで勉強になるが、これは真贋の世界である。鑑定会で二流、三流は外しても一流は外さない畏友のH氏の話も書いたがH氏などは、大川氏が言うところの本物を探しているコレクターと思う。

私のコレクションには、勉強で買ったものも多い。これはこれで無意味だったとは思わないが、これからは感動した刀、刀装具に絞り込んでいきたい。(と言っても、好きな道であり、ついつい買い込んでしまう。)

傑作と駄作(2001年2月12日)

ここのところ浮世絵の本を何冊か読んた。その一冊の『広重の世界◎巨匠のあゆみ』(楢崎宗重著)に、広重の各作品を評して、次のような表現がある。
「広重の体験しない風景が多いから虚構の感が深い。-中略- 晩年歴史画を作った広重の平凡作への危機がすでにここに伏在している。」
「諸版元の求めに応じて乱作をあえてするジャーナリストとしての浮世絵師の弱さが、広重にも現れてきたといえる。芸術的なものだけが売れると限らない。むしろ俗悪なものが大衆に喜ばれるために好まぬとにかかわらずおかさねばならぬジャーナリズムの誤謬を広重も実証しなければならなかった。」
「この期間は広重自身にも精神的弛緩があったように思われ、-後略-」
「芸術性を追求するというのではなく、世俗的な雑画がしだいに多くなってきた。出版商品としての浮世絵版画にはさけることのできない運命であって、広重ひとりの責任ではないのである。」

多くの作品を残した広重であるが、傑作は、保永堂版東海道五十三次、木曾街道六拾九次、名所江戸百景などに多く、作品の価値のランク付けは固まりつつある。

刀剣、刀装具は版画と違うが、そうであっても、同一作者に、傑作も駄作もあるというのが本当ではなかろうか。
刀剣は、まだ刀工の名前で価格が決まっているところがある。同じ虎徹でも、明るく締まって、しかも冴えた傑作と、兼重、法城寺派等と紛れる作だが健全なものに、それほどの価格の違いはない。重要刀剣になっているか、否かの方が価格差の決め手になる。

相州伝などは、出来で作者の名前自体が代わってしまう。こうであれば、正宗の傑作、駄作ということはなくなり、正宗はみんな傑作となってしまう。
正宗より劣ると、その若干の作風の違いで、兼氏→志津→直江志津、金重、為継となる。あるいは江→古宇多、あるいは為継となる。

刀装具でも、高銘物は、その作者の傑作が基準となって、やたら審査が厳し過ぎたり、夏雄であれば何でも高いとか、今後の課題も多い。

例えば一宮長常は、作風の出来、不出来の差が大きいと思う。私は、不出来なのは偽物かと思っていたが、最近は正真であるが、出来が劣るもので良いのかと思い始めている。

いずれにしても研究が進めば、浮世絵などと同じような価格体系になるのではなかろうか。
すなわち、美術的に優れた傑作が高くなるのである。

個人鑑定-舟山堂山田氏の決断-(2001年1月8日)

今年の賀状に、舟山堂の山田氏が、個人鑑定も含めて、よろず刀剣コンサルタント的な業務をしていきたいと書かれていた。
これは良いことだと考える。刀のことに限らないが、「人はどう言おうとも自分はこう判断する」というスタンスは大切である。個人が自らの眼で判断しないと、結局は横並びで失敗することになる。こういうスタンスを取れば真剣に勉強せざるを得ない。

「我々社員は」、「我々消費者は」、「我々国民は」、「我々庶民は」、「我々労働者は」という集団名詞を使って述べる意見は、大所高所という立場を取り、一見もっともらしいが、他人の言葉の受け売りだったりして、結局は責任回避の評論家的な言になりがちであることは、皆様も経験していよう。

もちろん日本美術刀剣保存協会のように集団で判断することも大切である。ここでの判断は今の研究水準での判断として尊重した方が良い。しかし集団の判断では異論は出しにくい。
古美術の世界には異論を残しておいて、将来の研究に委ねた方が良いものもあるはずである。いつか定説を覆す品物が出現することもありえよう。
現に、権威のある人の判断で銘を削り、その後の研究で同種の代銘の存在が明らかになったものもある。

押形-岐阜支部のカレンダーを拝見して-(2000年12月1日)

岐阜県支部から近藤支部長がとられた押形が掲載されているカレンダーを頂戴した。
今年の押形は加藤清正の所持したと伝えられる大道の平造脇差である。
98年のカレンダーは私がこのホームページでも拝見して感動したと述べた草壁打ちの勝光、宗光であった。

押形をとるのは難しい。中心は石華墨でこすっているうちにズレてくるし、刃紋は、絵心、デッサン力以前に、刀そのものが鑑えないと特徴を掴んで描くことができない。

草壁打ちの勝光・宗光には、近藤氏の押形(表裏、全身)と、今、手元にある長船町史に掲載の押形(差表、上半部)がる。
この2つを比較して見ても小異がある。どちらも上手であるが、長船町史の刃紋、刃中の葉などは、よく写されているものの、刃中がうるさい感じがする。
近藤氏の押形では、うるさいという感じはしない。実際はどうかわからないが、近藤氏の方が、この刀に愛着を持っている感じが出ていると思う。

このように押形は、刃紋の形を忠実に写すことに重点がある場合、その刀の見所に重点をおく場合(どうしても見所は強調される)などでも違うし、写す時の刀への思いでも変わってくる。

私が草壁打ちの勝光・宗光を拝見した時の印象は、これらの押形以上に、この刀の匂口の柔らかさに感動した。
今、思うと、これは他の匂い口の締まった末備前がたくさん並べられている中で拝見した中での印象だからと思い至った。人間の眼はこのように影響を受けるものである。この意味でも押形を忠実にとる勉強は役に立つ。

刃紋を忠実に写した押形の蓄積の中から、流派の特徴を新たに発見された藤代松雄先生などの鑑定ぶりを拝見すると凄いと思う。(具体的には「京逆足」「虎徹、興正の刃紋の調子」「長義の刃紋」などは、今は広く知られているが、先生の新発見ではなかろうか)

東北の風土性-舞草刀に関連して-(2000年11月23日)

東北で旧石器発掘ねつ造事件が起こったのは皆様もご承知のとおりである。
去年、舞草刀の研究をしているA氏から、お手紙とともに1冊の書物をいただいた。『ネットワーク対談 東北を語る』(千坂げんぽう編)という本である。

この中で、A氏は対談形式ながら「舞草刀研究会」が「舞草刀が日本刀のルーツだ」断定しているような研究態度などを批判している。そしてこの科学的でない断定に乗って、一関市博物館が舞草刀に高いお金をだして購入していることに、対談者とともに疑問を呈されている。
なおA氏は、刀剣美術などの氏の論文を拝見しても、キチンと実証的に論を進められている方であり、舞草刀がルーツの可能性を全く否定しているわけではない。

この他、この本では『東日流(つがる)外三郡誌』の偽書問題や、安部頼時の遺骨が鯨の骨だったことなど、安易に偽物に飛びつく東北の風土を東北人自らが批判している。

その批判している側に、なんと東北旧石器文化研究会の鎌田俊昭氏が登場して、発掘の天才として藤村新一氏の事績を挙げながら、偽書『東日流(つがる)外三郡誌』やマスコミが取りあげる超古代のことなどを批判している。

結局、批判している鎌田氏が同じてつを踏むことになった。「対中央意識から偽物を安易に取りあげる東北の風土性」があるのであろうか。A氏もさぞかし残念であろう。

『日本刀21世紀への挑戦』を読んで(2000年10月16日)

『鐵のある風景 日本刀をいつくしむ男たち』は著者の森雅裕氏がふだんから親交のある現代刀匠や金工、職方のお話であったが、今回紹介する本(土子民夫著)は、無鑑査一歩手前で活躍している現代刀匠を幅広く紹介している本である。
昔、大野正氏が現代刀匠、研師などを紹介された本を書かれたが、その現代版でもある。

各刀匠の作風、経歴、これから狙っていこうとする分野、作風を取りまとめたものである。その中に現代刀、あるいは現代刀剣界の抱える課題を紹介している。また現代刀の先人の歴史、現代刀の礎を築かれた人の事跡なども紹介されており、興味深い。
これを読むと古名刀の再現がすぐにでもできそうな気になるが、現実に各刀匠の作刀を拝見すると道遠しの感を持つ。(なお私は、ここに掲載の全ての刀工の作品を拝見しているわけではないが、何とか後生に残るような素晴らしい現代刀を作り上げて欲しいと願っている)

先日、天田昭次刀匠の刀を拝見しました。地金は細かく詰んでおり、地沸が綺麗につき、底に細かい地景も見えるような味のある良い地金でした。刃紋は大丁字乱れで、数カ所きぶい刃があるところが難点なのですが、立派な太刀でした。価格は500万円を超えていたと思います。

刀屋商売(2000年9月11日)

刀屋さんは息子さんが跡継ぎになっていることが多い。
一般的に世襲が多いのは、政治家、医者、中小企業経営者などである。
子供は親を見ているから、これら職業については、子供なりに親がいい思いをしていると判断しているのだろう。また親も自分の職業が悪ければ「継げ」とも言わないから、親自身としても良いと判断していることが多いと言える。

もちろん、刀屋さんに言わすと「まったく儲かりません」となるが、刀屋さんの言葉よりも、刀屋さんの息子さんの行動の方を信じる人の方が人生では成功するであろう。

刀はどうしても手入れが必要だから、刀の趣味がない人が引き継ぐと手入れの問題、武器としての意識等から処分せざるをえない。愛刀家も厭きたら手放す。こうして刀は出回る。

一方、限られた分野だけに一定数の愛刀家はいつの時代にも存在する。

儲けることは悪いことではない。つぶれそうな刀屋さんばかりであれば、恐ろしくて買えない。
これまでの体験では、刀剣需要が広がる時には、いかがわしい業者が出現したり、偽造証書事件などが生じて、ブームをつぶしてきている。
インターネットでの刀剣販売が広がっているが、これらがブームになった時、過去と同様のことが起きるに違いない。

『鐵のある風景』を読んで(2000年9月6日)

先日、『鐵のある風景 日本刀をいつくしむ男たち』(森 雅裕著)を読んだ。
現代刀工の大野義光氏のことや、肥後鐔作者の玉岡俊行氏のことなど現代の刀剣関係職人のことが書かれている。

関係者を傷付けないように配慮されながらの執筆であるが、初めて知ることが多く、面白かった。
日本刀の世界は狭い世界であり、「なるほど」とか「この匿名氏は彼のことか」とか「刀剣界の体質について感ずるところは誰も同じか」など、初めて知ることではありながらも共感を持って理解できる。

作者は刀剣を題材とした小説をいくつか書いており、私も何冊か読んだが、刀剣を少しでも知っている人、全く知らない人のそれぞれが、何か足りないと思うような感想をもったが、今回はじめてこの作者自身のことを知った。今度、氏の最新作を読んでみましょう。

良い刀と感動する刀(2000年7月10日)

先日、大丸で行われている刀剣柴田の大刀剣展の内覧会に出向いた。
刀を拝見している内に、「良い刀」と「感動する刀」が違うことを痛感した。

その刀工の特色が現れており、健全な刀は「良い刀ですね」と言える。
しかし「感動する刀」は、また少し違うような気がする。また「買いたい刀」も違うようだ。

この大刀剣展では坂倉越後守照包の重要刀剣と、清麿の短刀に感動した。
この清麿は銘振りが、常とは異なるもので昔から有名である。上身の出来は、覇気、鋭さを感じさせる。

「買いたい刀」は、感動したという動機もあるだろうし、年来探していたとか、郷里が同じ、値頃感がある、流派の勉強の為、研究の為、高名な作者であるなどの理由も出てくる。

将来的にはコレクションを「感動したもの」に絞り込んでいくのが良いのかなと考え始めている。

蒐集の道(2000年4月6日)

刀屋さんに出向いていないこともあるが、熱くなるような品物が出ない。
熱心な畏友のH氏も、同様に言っている。H氏は、最近では陶器の勉強をしているそうだ。

私も最近、近くの画廊で絵を買った。刀・刀装具と違って、妻も子供も関心を持つところが違う。
そんなことから絵に関する本を読んでいたら、コレクターである武田光司氏が書かれているコレクション5箇条というものを知った。読んでいただいてわかるように、刀・刀装具蒐集の道と共通するところが多い。

「分野の絞り込み」は、コレクションがある程度の量になった段階で大切になることで、初期の段階から絞り込まない方が良い。私は一時期、鉄鍔中心にしていたことがあったが、こうした為に逃した金工物もある。
「ものは相場で買う」について思うのは、高くて買えなかったものに良いものが多いという当たり前の悔恨である。
特に大切なのは「好きなものだからと思いながらも謙虚に反省する」「勉強も忘れないこと」であろう。眼がすすんだ段階故にひっかかる偽物も多い。
このクラスの偽物になるとA先生は良いと言い、協会はダメと言う、B刀屋さんは良いと言うように専門家でも見解が分かれるものである。
自分が買ったものであるので、良いという意見を信じたくなるが、このような場合は「まずダメだ」と思って、謙虚に何度も何度も観て、勉強することが大切である。
なおかつ、自分が良いとどうしても思えるものは、大切にしたら良い。時の専門家の評価が100%正しくないということは美術品の世界ではよくあることである。よしんばダメであっても、人生に失敗はつきものであると割りきるしかない。

日本刀装具美術館での現代刀展(99年11月29日)
日本刀装具美術館で現代刀の展覧会を開催している。
今回は限られた刀匠の展覧会であるが、今後は日本美術刀剣保存協会が実施している現代刀のコンクールとは別の現代刀コンクールを開催するのかもしれない。
何事も競争した方が結果として業界は発展すると考えるが、反目せずに別の形でのコンクールになるのが、我々愛好家にはありがたい。
例えば我々のような一般の人にも作品を手にとって鑑賞できるような展覧会なども面白い。
また最優秀作を日本刀装具美術館が高額で買い取るような展覧会などはどうであろうか。賞金がかかるコンクールなどもあってもいいのではないか。

本阿弥光悦(99年7月6日)
サントリー美術館で本阿弥光悦の作品が展示されている。
光悦の茶碗の形状、焼き肌の色、模様などを観ていると、鐔を思い出してしまう。
本阿弥光悦、寛永14年没。埋忠明寿、寛永8年没。平田彦三、寛永12年没。これらの名工は同時代である。信家、金家については異論もあるが、ほぼ同じ時代としてとらえて良いと思う。刀剣で言うと慶長新刀の時代である。美術的に本当に素晴らしい時代であったことが理解できる。
光悦のお茶碗を観ながら「彦三は近代的な感じがするから、、やはり明寿かな。」とか「信家の鉄鐔の肌合いの方が近いのか」などと想いを馳せるのは楽しい。
光悦も含めて、これらの名工は形状にも大変に神経を使っていたことが理解できる。
なお鷹ヶ峰の地図には光悦の屋敷の隣に、養子で研ぎの名人と言われた本阿弥光瑳の屋敷が見られた。こんなところで研いで拵を作ったら素晴らしいだろう。

コレクションの怖さ(99年4月2日)
刀屋さんは皆次のように言う。
「品物を処分したいから見に来てくれと言われて伺うと、はじめの1、2点を見せられると、コレクターの水準がどの程度かはわかってしまう。」
これは事実である。なぜならば「集めること=自分の眼力(眼識)の結果」となるので、自然に同じ水準のものが集まるということになる。もっともコレクションの中には、自分の眼識とは別の思惑(転売して儲けたいなど)や義理で購入したもの、家に代々伝わるものなどもあるし、また眼力が進まない収集初期のコレクションが残っていることもある。
いずれにしても人にコレクションを見せると言うことは、自分の眼力を公開することである。鑑識眼を高めないといけない。美術品収集は真剣勝負。

ギャラリー・スコープのおすすめ(99年2月15日)
2月は特に感動するものを見ていないが、某刀屋さんで鑑定させられた中青江(無銘)の刀は地刃健全であり、特に大切先の帽子が健全で金筋も見えて、よい刀であった。
あまり青江の縮緬肌が見えないので「元重」と答える。大磨上にもかかわらず腰反り強い点が異風である。

ところでギャラリースコープと呼ばれる単眼鏡をお持ちであろうか。これは博物館に展示してある刀剣や刀装具を見るのに便利である。
刀の世界では「○○の刀を見たことがある」とは、実際に手に取って観ることを言う。ガラス越しで何がわかるかの世界である。私もこの意見に全面的に賛成である。さらに言えば「買って手元において観る」まで本当には観ないのではなかろうか。
NHKの番組で「ようこそ先輩」というのがあり、ある芸術家が対象を見ているようでいかに見ていないかをリンゴを例にして、生徒に実験させていたが、まさにあの通りなのであろう。

現実には名刀を手に取ることは不可能である。ギャラリー・スコープは倍率は4~6倍程度で明るいレンズのものが良い。私はカールツアイスのものを推奨され、藤代興里先生(カメラにお詳しい)に相談したら、ビクセンのものを紹介され、それを購入して重宝している。実売で7~8千円である。カールツアイスだと4万円以上するのではなかろうか。ともかくこれはお勧めである。

「青山谷男氏を偲ぶ会」の開催手配(98年7月9日)
青山氏とは(株)刀剣柴田にいた社員で、去年の7月に不幸にも病気で逝去された。一周忌になるので生前に彼と親しかった者が集まって、偲ぶ会を開こうということになった。青山氏は早稲田大学のミステリークラブに属し、私と共通の友人がいることもあって親しくしていた。小道具が好きで、当然に目利きであった。客と言うより友人関係であり、私の持ち物にも遠慮がなかった。病床にいる時に品物を見るのが一番良いだろうと思い、何点が持っていったが、その中では大月光興の「月下飢狼」の目貫が一番気に入ったようで、何度も観ていたことを思い出す。
7月27日に実施することにして、発起人兼事務局となっている。

藤代松雄先生の叙勲祝賀パーティ(98年6月5日)
研磨の人間国宝である藤代松雄先生の叙勲祝賀パーティに参加する。私が鑑定を学んだのは松雄先生が大京町のご自宅で開かれていた鑑定会である。ここの鑑定会は研師、刀屋さんなどプロの方々が大半で、今から思うとよく恥ずかしくもなく参加していたものである。名刀も多く出されていたが、大変な鑑定会で、例えば直刃の短刀が7振も並べられた時は、頭が真っ白になって、全てが来国俊に見えたものである。
ともあれ、先生には今後ともお元気で益々ご活躍されることをお祈り申し上げます。
また席上、国立博物館の小笠原先生に私の研究のことを励まされた。ありがたいことである。


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