私が購入したもの | 『透鐔』No68 所載、「武士の意匠 ー透かし鐔」No71所載 |
久しぶりに透かし鐔を購入した。これは古いものだ。京透かしも尾張透かしと同様に、古いものは非常に少ない。昔は古い京透かしを平安城透かしと呼んだが、その手の名品である。
購入後、笹野大行著『透鐔』を見たら、私が購入したのとまったく同じ図の鐔(No68)掲載されていた。「京 沢瀉透 天文前後 室町後期 16世紀前半 縦76.2 横75.8 厚さ 耳5.3切羽台4.5 小肉角耳」と調書が書いてあり、「沢瀉(おもだか)を透かしている。 沢瀉は、勝軍草・将軍草ともいわれ、尚武のしるしとして好まれた。平安期から、武具の意匠に多く用いられ、武士とは縁の深いものである」と解説されている。なお『透鐔』所載の右の鐔は佐野美術館の「透かし鐔」展にも展示されており、その時の図録「武士の意匠ー透かし鐔」にもNo71として所載されている。(また『鐔鑑賞』という昔の網屋の番頭さんだった野田さんの本にも平安城透かしの代表の5枚の内の1枚に同種の鐔が掲載されている。直径65ミリ、厚さ4ミリと、少し小さ過ぎるものである。一時は写真もアップしていたがカットした。2009年2月9日追記、2010年3月30日修正)
私の購入したものの方が若干大きい(縦81ミリ,横80ミリ,厚さ5ミリ、切羽台は少し薄くなる)が、同じ作者の手になるものであることは間違いがない。
この手の京透かし鐔は透かしの意匠の素晴らしさに眼が行き、また透かしの線が細く地鉄が目立つ部分は少ないので、地鉄については語られることが少ないが、ねっとりした肌理(きめ)の細かい鉄が見事である。黒錆の色も深い。(2010.3.30追記)
笹野氏のこの著書をはじめて読んだ時、私などが従来に考えていた以上に、時代を古く設定してあるのにとまどったことを覚えている。この鐔も「天文頃」とされている。私と違って多くの透かし鐔を手に取って、長年にわたって研究されてきた著者の説であり、尊重したい。
ただ私のアバウトの感覚として、桃山時代の初期かなとの印象を持っている。西暦で言うと天文頃とは1550年前後であり、私が言う桃山時代の初期とは1575年程度であるから、要は同じことかもしれないが。
私は、図柄が刃を上にして差す打刀拵を当然のように前提とした図として迷いがなく造ってあること、繊細だが、強い動きのある図柄を非常にセンス良く取り込んでいることと、耳から少し切羽台が低くなっている造り込みに信家などと同じ時代を見るという意味で桃山時代の初期と考えただけである。上記に挙げた理由はむしろ室町時代説を補強する理由かもしれない。いずれにしても古い時代の透かし鐔である。(時代に共通する作風は尾張透かし「桐・三蓋菱透かし」鐔参照)(2010.3.30追記)
この沢瀉(面高とも書く)、実に生き生きとしている。生命力に溢れている。1日経つと、葉がぐーんと伸びる雑草のような生命力が表現できている。沢瀉(おもだか)の葉は左へ、上へ、右上へと思う存分に伸びていく。
そこに、鍬(くわ)だと思うが、左上から下へ突き抜けるように配置して図柄全体を締めている。名作だと思う。
なお沢瀉は、葉が人の顔のように見えて、しかも葉の葉脈が高く隆起していることから面高とも書かれている。一説に茎が高くなり、偉そうに見えるところから面高となったとも言われている。また葉が武具の鏃(矢じり)のように見え(英語名もアローヘッドと呼ぶらしい)、その繁茂する力も強いことから勝ち草、勝軍草とも呼ばれ、転じて将軍草とも書かれることがある。また面高の文字が面目が立つとも解釈されて、武家に好まれ、日本十大家紋の一つにもなっている。
別名に「花慈茹(はなぐわい)」、「慈茹(くわい)」とも呼ばれているとインターネットでは出ている。また葉と長い葉柄が、農具の「鍬(くわ)」に似ていて、
「芋(いも)」のように根が食べられることから「くわいも」と呼ばれ、それが「くわい」になったとも書かれている。
この鐔に鍬と沢瀉の根が描かれているのは、このためなのであろう。
なお、『透鐔』には同じ天文頃の京透かしとして、次のようなものが掲載されている。左下図(No70)は、上部の透かしと右側の雁金でつないだ面高の透かしが、私のとまったく同じ手であり、同じ作者と思う。この作者を京透かしの名手Aとしよう。
右下図(No66)は左下図と今度は左側と下部右側の沢瀉の彫りと同じ調子であり、これも京透かしの名手Aの作品と思う。切羽台も同じ調子だ。
No70 この鐔の右側の笄櫃 を兼ねて、雁金と沢瀉で構成 した図柄は私の作品と同じ図 柄である。 |
No66 これは地透部分が多く、 逆に最も古色が強いとされて いるが、私はこの鐔左側の沢 瀉の葉の透かしが左のNo70 と同じであり、同作者と思う。 |
図柄は少し違うが、菖蒲(尚武)を透かした鐔も京透かしの代表的図柄として諸書に掲載されている。杜若(かきつばた)透かしとあるが、勝軍草と同じく、尚武の語意も意識した菖蒲透かしと思うが、これらの鐔も左下のNo65を除いて、私の鐔と同じ時代、同じ作者の京透かしの名手Aの作品と思う。
No65 笹野氏は強さがあって 京風になりきっていないから、 少し時代は上がるとしている。 そうかもしれない。 |
No67 これは私の鐔と同じ時 代、同じ作者と思う。切羽台の 調子は同じである。 |
No69 雁でなく八つ橋でつな いでいるが、笹野氏は時代が 上がるとしているが、同じ時代 同じ作者と思う。 |
No72 左よりやや年代が下 がると笹野氏はコメントしてい るが、ちょっと切羽台が横に 広がっているが同じ時代、同 じ作者と思う。 |
上の4枚の中で、確かに左上No65は、他の3枚や私が所有しているものとは違う感じである。絵柄としても、茎が出る元の所の彫り方が違う。他は、太く、しっかりと彫っているが、No65は同じような細さで彫っているからである。
言い換えると京透かしの名手Aの手癖は、元をしっかり彫ることである。
元の方の彫り方に関しては、沢瀉を透かしている鐔ではNo66がやや細い。笹野氏は「古色がある」としているが、確かにやや元の方の彫り方が細い。ただ私は、この程度の差は同じ作者の時代による変遷と考えたい。
変わった図柄では、次の作品も同じく天文頃として掲載されているが、これも京透かしの名手Aの作品と思う。根の強さがある。梅樹の線の動きがきれいで迷いがない。そう、京透かしの名手Aの美術的な良さは線の美しさ、躍動感である。
No71 笹野氏は「大きな梅の 花が全体を引き締めている。 さきの沢瀉透No70とともに おおらかである。 |