無銘「笹売り」目貫


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無銘の金無垢目貫である。この作者を以下に私なりに推測したが、皆様はどうお考えになるだろうか。

1.図柄の解説

この図柄は、「笹売り」である。『鐔・小道具画題事典』(沼田鎌次著)に、この目貫と表裏を反対向きにした赤銅容彫、象眼の目貫が掲載されている。
ご覧のように笹売りの姿態、人物の表情などまったく同じ作者の手である。『鐔・小道具画題事典』である為か、掲載した目貫の作者までは記していないのが私にとっては残念である。もちろん、こちらの目貫も無銘なのかもしれない。

『鐔・小道具画題事典』から「笹売り」の解説を要約すると、次のようになる。

「笹売り」とは笹葉を切り残して竹箒のようにして、それを売り歩く商売で「笹竹売り」とも呼ばれていた。
そしてこの笹竹は大掃除の時の煤払いに用いられた。城、神社、仏閣、農家などの高い場所のほこりをこれで落としたわけである。だから江戸では師走の13日の煤払いの日に向けて売れる。

忠臣蔵の大高源吾が笹竹売りとして「笹や笹、笹、笹や笹」と言いながら宝井其角に遭ったとも伝えられている。

2.作品の鑑賞

コロッとしてかわいらしい目貫である。裏の目貫が肩に背負っている笹竹は少し重たいようだが、表の目貫では、笹竹らしく軽々と持ち歩いている。

大きな、長い笹竹を持っている姿が面白い。「絵になる」姿である。笹竹のしなりは、この作者が楽しんで曲げてみたのであろう。そんな作者の気持ちも推測できる目貫である。

表情ものどかである。笹竹が売れなかった顔ではない。よく売れて、残り1本になった安堵感がでている。

今、お客さんから、「笹竹屋!」と声がかかり、そちらの方を振り向いたところである。今日はこれで完売だ。

上を向いている目貫は、2階から声がかかったのであろうか。声の方に向かっているように見える。

3.画題に異義

この目貫をホームページ上にアップしたが、最近、ふと、この「笹売り」という画題は違うのではなかろうかという思いを持つようになった。

それは何故かというと、「笹売り」という商売ならば、笹をたくさん持っているのが普通ではなかろうかという疑問からである。表目貫、裏目貫とも、抱えている笹は一本である。

上記の2章では「笹売り」という画題に即して、この図柄に対して「残り1本になった安堵感」という表現を使った。
これで良いのかもしれないが、表裏の目貫とも残り1本というのが気にかかる。

これは「笹売り」ではなく、「煤払いに出向く人物」ではなかろうか。笹売りから購入した笹竹を持って、頭には手ぬぐいをかぶり、これから煤払いだ。
あるいは煤払いを終えたところであろうか。
それとも表裏の目貫で、煤払いの前と後を描いたのかもしれない。これから煤払いを行う人物と、煤払いを終えた人物である。

ただ、「煤払い」という画題で私が彫るのであれば、どちらかの目貫には、笹を立てて、天井等の高所を見上げて、煤払いをしているところを絵にすると思う。こういう図柄の方が面白い。
この見方に対して、笹を立てて煤払いをしている図を一方にすると、これが縦長の図、片方が横長の図となってしまうという課題は残る。だから煤払いの前と後の図という横長の図で統一したのかもしれない。

鐔・小道具画題事典』に異を唱えるのは気がひけるが、どなたかが、この疑問を解決する図を江戸時代の本や浮世絵版画から見つけだしてくれるかもしれない。疑問に感じなければ更なる追求もおろそかになる。

つまらないことに疑問を持っていると思われる人も多いと思う。鑑定だけに興味があれば、こんなことはどうでもいい。だけど、こういうことも面白いです。せっかく購入したものなのだから楽しみましょう。(04.4.7追記)

4.目貫の作者は

これは桐箱に、『趣味の目貫』の著書の一人の竹之内博氏の所蔵の印(マーク)が描かれているので、氏の持ち物であったようだ。

(1)古金工か

刀屋さんは「笹野先生にお見せしたら古金工とおっしゃった」と言っていた。確かに古金工には次のような目貫がある。(『刀装具の鑑賞』より)
この古金工の目貫は、「笹竹」というより、「竿竹売り」である。これも面白い構図である。

これに似ているから、古金工なのであろうか。

筆者所蔵の目貫の裏を見ると、次の写真のように、たたき出している地金はそれほど薄くはない。裏の仕上げは丁寧だが、古くて時代があるという感じではしない。
根は丸みを帯びた長方形で、表裏同じだが、4枚の力金でとめられている。裏から見ると、この目貫は江戸時代中期以降の作ではないかと判断する。

刀屋さんは笹野先生に見せたと言っていたが、恐らく売らんが為の嘘であったと思う。笹野先生ならば古金工とは見極めないと思う。

もっとも古金工という極めも、幅が広すぎると思うが。

(2)後藤ものか

笹売りという庶人を彫っているが、ご覧のように品の良いものである。何となく後藤の匂いもするから、後藤という鑑定ができるだろうか。

後藤物の人物は武者や中国の皇帝、仙人、神様、能における人物などが多いが、高野聖や磯舟の船頭なども彫っている。しかし笹売りはどうであろうか。彫らないとは断言できないが、可能性は少ないと思う。

また後藤の作品であれば、持っている笹竹に、例の虫食いなどを彫ると思う。そのような彫りはない。頭にかぶっている手ぬぐいには点々の鏨が入っている。

足の部分の彫り方も後藤ものではないなと感じる。後藤ならば筋肉のくぼみをつけてくるのではなかろうか。

脇後藤(現在は京後藤と呼ぶ)という鑑定もあるが、京後藤という極めそのものに、逃げを感じるので、ちょっと使いたくない。(刀の鑑定における宇多とか直江志津などの鑑定家の避難港と同じ)

(3)京都金工か

昔、青山氏に見せた時、彼は「そんなに古いものではないと思う。京都金工に見えるけど」と言っていた。何となく穏やかな品の良さを見て、そう言ったのであろうか。

京都金工で江戸中期以降となると、一宮派、大月派、鉄元堂、一乗一派、山崎一賀などが思い浮かぶ。これらの中では山崎一賀にはあってもおかしくないのかなと思うが、一宮、大月、鉄元堂は違うと思う。

(4)地方金工か

水戸金工とか、加賀、正阿彌などはどうであろうか。私は「笹竹売り」という商売が成り立ったところは、やはり大都会ではなかろうかと思ってしまう。水戸金工は作風が広いから、あるいは、このようなものもあるのかもしれないが、水戸金工であれば、もう少し、やり過ぎてしまうのではなかろうか。

(5)江戸金工か

横谷、柳川、大森、石黒、菊岡、佐野、桂の雰囲気ではないと思う。
浜野派も違うが、矩随の系統にはあってもいいのかなとも感じる。
吉岡、安田の御用彫師系でもなかろう。
村上や染谷の作風ではない。
河野派、東龍斎一派とも違う。

このように絞っていくと、岩本派、奈良派、土屋派が残る。

でも、なんか違うような気がする。

(6)山崎一賀

以上の検討から、私は現時点では山崎一賀と鑑定しておきたい。偉そうに「以上の検討から」と書いたが、検討と言えるほどのことはしていない。何となくの感じの羅列で、お恥ずかしい限りである。

皆様の中でおわかりの方がいらっしゃれば教えていただきたい。
『鐔・小道具画題事典』所載の上記目貫をお持ちの方がいて、それが在銘であれば簡単なのだが。


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