肥後鐔工・春日派:林三代の苦心と個性
-「三つ浦図」透かし鐔を例に−


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はじめに

写真の鐔は長く所蔵しているが、当初は「網がゆるんだようなところ」を感じることから三代藤八かなと思っていた。その後、肥後鐔三部作の御著書を著した伊藤満氏に観ていただいた時に、私が「ゆるんだようなところ」と感じた点こそが、二代の特徴と教えられ、「なるほど」と感じたことは、林重光「三つ浦透かし」鐔で記した。

今回は、私が感じた「網がゆるんだようなところ」を具体的に説明して、他の「三つ浦図」透かし鐔と比較して、考察したい。林三代の特徴と個性が浮かび上がってくるところもあり、興味深い。


1.「三つ浦」図透かし鐔の「網の歪み」の比較

この図は「三つ浦」と呼ばれているが、諸書に掲載されているもので比較する。ただし初代又七とされているのは未見である。今回は二代重光と三代藤八とされている以下の6枚を比較した。ただし全て無銘である。

「ゆるんだところ」の確認として、切羽台の上下にある網の目を結んだ補助線を引いてみた。この補助線の傾きを、ご覧いただきたい。以降は線の傾きなどから論を進めるから「ゆるむ」ではなく、「ゆがむ」という言葉を使いたい。

(注)それぞれの鐔のご所蔵者には、写真上に当方が勝手にラインを入れて美観を損ねていることをお詫びいたします。また各書に掲載の写真をコピーし、そこにラインを入れ、それをスキャナーで撮って掲載してますので、鐔ごとに写真の縮尺が異なってますので、ご了承下さい。あくまで補助線の傾き(ゆがみ)の確認用です。
A
2代重光−所蔵品

縦7.95p、横7.36p
B
2代重光−『透鐔』(笹野大行著)

より、『林・神吉』(伊藤満著)66
と同図  
縦7.8p、横7.25p
C
2代重光ー『林・神吉』(伊藤満著)

67図
縦7.78p、横7.03p
D
2代重光『東京国立博物館図
版目録 鐔篇』より、大小の大

縦8.0p、横7.75p
E
2代重光『東京国立博物館図
版目録 鐔篇』より、大小の小

縦7.4p、横7.05p
F
3代藤八
−「刀装具優品図鑑」
(尚友会図録第13集)より、『林・
神吉』(伊藤満著)117図と同図

縦7.87p、横7.55p

この6枚に引いた補助線をご覧いただきたい。
補助線が真っ直ぐに横になるのは下段中(E)と下段右(F)の2枚である。他の4枚はゆがんだり、たわんだりしていることが、ご理解いただけよう。

真っ直ぐに引ける一枚、下段右(F)は三代藤八であり、二代重光には”ゆがみ”があるものが多いと言える。

『林・神吉』の中で著者の伊藤満氏は、上段中(B)の重光(同書66図)について「透かしも正しいが、良く見ると網が中央に行くに従ってやや力がかかったように歪んでいる。そのせいか、このように硬く作っても、ゆとりというか柔らかさが感じられる」と述べられている。

上段右(C)の重光(同書67図)も「こちらの方の網が細かく緻密であるが、やはり網の中央に力がかかったように仕上げている」と解説している。
まさに、これらの鐔では上下の補助線が、切羽台に沿うように曲がっており、「中央に力がかかっている」という表現は、このことを示していることが首肯できる。

東京国立博物館所蔵の大小鐔における下段左(D)の大の鐔は、上部補助線はやや右下がりになり、最右の網目が左側に倒れ込むようになり、下部補助線はわずかに切羽台を包み加減である。

私の二代重光(上段左:A)は、上部補助線は右側の上方にわずかに引っ張られ、下部補助線はその先端部が裏側に気持ち引っ張られているように、ゆがんでいる。他の二代重光よりは、ゆがみ方が崩れており、正直なところ驚いた。

この中で、三代藤八と極められているのは下段右の鐔である。これは 補助線がまっすぐ横に引ける。『林・神吉』117図に取り上げられており、「非常に精巧な透かしで、その仕事ぶりは驚異的である。ゆったりとした形、黒く艶のある鉄地、穏やかな肉置きと小判形の切羽台は、これが三代籐八の作品であることを物語っている。まったく隙がない造形ではあるが、穏やかで親しみもあり、傑出した出来栄えである」と評している。

もう一枚、補助線がまっすぐに引けるのが東京国立博物館所蔵の大小鐔における下段中(E)の小の鐔である。この鐔は二代重光とされているが、補助線の直線だけの判断であるが三代藤八の可能性も考えたい。

2.「三つ浦」図透かし鐔の「網目の数」「縦横比」の比較

次に網目数(上記で引いた補助線上の網目)と縦横比(横長÷縦長:値が1に近いほど丸形)を比較する。これは作風の特色ではないが、鐔を観た時の印象に影響する。

  上表における位置 所載等 推定の作者 上部補助線
網目数
補助線の歪み方
縦横比
横長÷縦長
上段左(A) 所蔵品 重光 ゆがみ有り、上:右上がり、下:後ろに引っ張り 92.6
上段中(B) 『林・神吉』66図 重光 ゆがみ有り、切羽台を包むよう 92.9
上段右(C) 『林・神吉』67図 重光 ゆがみ有り、切羽台を包むよう 90.4
下段左:大小の大(D)   重光 ゆがみ有り、上:やや右下がり、下:切羽台包むよう 96.9
下段中:大小の小(E)   重光?藤八? 直線的 95.3
下段右(F) 『林・神吉』117図 藤八 直線的 95.9


網目が多いほど、網は細かくなり、手が込んで緻密だが、網目が少ないと、ゆったりした印象が出る。

また縦横比を調べると、三代は95.9%と丸に近いことがわかる(国立博物館の小も三代とすると95.3%)。二代重光は、国立博物館の大の鐔を除くと、縦長であることがわかる。

ちなみに、縦横比におけるこの傾向は、あくまでも比較した「三つ浦図」透かし鐔だけの話であり、他図の林二代、三代の作品に当てはまることではない。『林・神吉』を観ると、二代にも丸に近いものもある。形状の特色は、三代が時代の傾向を受けて、やや小ぶりなものが多いことくらいであるが、これとて例外はある。
 


3.「三つ浦」図透かし鐔の初代から三代

上記の比較によって、二代には「ゆがみがあり」、三代には「ゆがみが無い」ことがわかり、興味深かった。ただし、全て無銘であり、しかも6枚だけの分析であり、当初は第1章だけのまとめにしていた。

(1)初代又七ではないか?

これら6枚の補助線を観ていくと、以下の鐔(『透鐔』(笹野大行著)所載、『林・神吉』(伊藤満著)66図所載、B図)は、ゆがみがゆがみなりに整っていることに気がついた。そして、それぞれの網目の大きさ、形状も揃っている。

『透鐔』(笹野大行著)より 同左、伊藤が補助線記入(B)

この鐔について、笹野大行氏は『透鐔』の中で、次のように書いて、二代重光とされている。
「網目を透し「三つ浦」といわれる図取りである。黒みのある鉄色で、細美で精良な鉄質であり、平肉が微妙に働いて、単調な図取りに風趣をそえている。そして、透しの手法が入念で、切羽台・櫃穴も慎重に造込み、一段と品位をたかめている。林の家風の偲ばれるもので、竪ながの切羽台、やや若い鉄味などから、二代重光の作品と考える。」
笹野大行氏は”透かしの手法が入念、一段と品位が高い”と観られている。

また『林・神吉』の中で伊藤満氏も、同じ鐔を二代重光の作品の中に含め、次のように評している。
「ほとんど焼き手をかけないもので、透かしも正しいが、良く見ると網が中央に行くに従ってやや力がかかったように歪んでいる。そのせいか、このように硬く作っても、ゆとりというか柔らかさが感じられる。この鐔は故笹野大行氏の愛蔵品で、最初の「透鐔」に重光の作品として載っている。重光としては謹直な作りで、特別な注文であろう。」
伊藤満氏も”重光としては透かしも正しく、謹直で特別な注文”と印象を記している。

そして、私はこのHP上で林重光「三つ浦透かし」鐔として発表した中の「第4章 比較と考察」で、上記鐔のあくまで写真からだけの印象だがと断って、次のように書いている。
「写真だけでは鉄味などはわからないが、写真だけでの比較でも『透鐔』所載の鐔の気品は抜群であることが理解できよう。『林・神吉』において「重光としては謹直な作りで、特別な注文であろう」と評されている。芸術は比較で優劣(格)が決まる。ある面、容赦のないところがある。」
私の見解などはどうでもいいのだが、写真だけで”気品は抜群”と述べている。

この鐔は、そもそも二代重光ではなく、初代又七の「三つ浦図」透かしなのではなかろうか。

繰り返しになるが、私は現物を拝見しておらず、写真上で網のゆがみだけからの推論であり、現物を観て鉄味(笹野氏は「やや若い鉄味」と明記)などを把握されている伊藤満氏や識者からは異論もあると思うが、一つの見方として提示してみたい。”ゆがみはゆがみなりに整っている”というのは相当な境地と思う。


(2)二代重光の苦心・工夫

二代重光の作風として、『林・神吉』に「又七に憧れた謹直な透かしと、味わいのある即興的な作風、伸びやかな印象でおおらかでゆったり、あるいはおおらかで堂々という印象」と著者の伊藤満氏は記しているが、この背景として「精妙・精巧な初代とは違った方向を目指したのでは」と述べられている。これは一理ある。

昭和史の本を多く書いている保阪正康は「現帝は先帝を否定する」のが古今東西の王の政治に多いと言う。これは企業経営の二代目社長を見ていても理解できる。先代の経営を引き継ぎながら、自分なりの経営を模索し、苦闘する。そして、より優れた経営者になる者もいる。そして三代目は、徳川宗家でもそうだが、二代目を否定して、祖父にあたる初代に憧れることが多い。

初代又七の作品と比定した鐔(B図、笹野氏旧蔵の鐔で、補助線上の網目6、縦横比92.9%)の境地を目標に二代重光は精進したと考えたい。

切羽台を包むようなゆがみを取り入れて、網目の数を増やしたのが、C図:『林・神吉』67図所載の鐔である。網目を8に増やして、縦横比は90.4%と、より縦長にした。緻密になった分、堅苦しさが少し出ているが、伝統を受け継いだ謹直な作である。ただし網目の形状には不揃いな点がある。

網目の数を8に増やすのは同じだが、縦長ではなく丸く(縦横比96.9%)して、網目のゆとりがでるようにしたのがD図(東京国立博物館所蔵大小鐔の大の作品)である。
横長にした分、網目にゆとりがでるようになった。ゆがみも整ったゆがみではなく、網目の上部の最右側が少し左に倒れているが、気にしない。

そして、下図A図:私の所蔵品のような、網目は6だが、上部は右上に引っ張られ、下部は裏側に引っ張られるような大胆なゆがみを入れた作品を作った。
こう書くとかなりゆがんでいるように感じるが、実際は下図のように違和感は無く、規則的で緻密な図柄が持つ堅さに、ゆとりが出て、自然な感じがする。当初、私がゆるんだようなところと感じたところである。(ちなみに、この鐔の櫃穴には赤銅で責金が埋めてあり、切羽台の形状が写真では丸く見えている)

この鐔作成時には、二代重光は”ゆがみ”の効果(ゆとり、柔らかみ)を意識していたと思う。西垣勘四郎の影響も考えられる。技術が下手なら仕方無いが、そうでなければ、このようなゆがみを入れた作品を造るのは勇気がいると思う。一歩間違えば全てが台無しになるのだから。

重光にとって、父の重圧を無意識にゆがみで逸らしたと書くと、文学的であるが、重光は偉大な父の重圧に対する抵抗か、そもそもの性格かはわからないが、あまりキチンとするのは性に合わなかったような気がする。しかし、肥後春日派の二代目としての自覚も当然にあり、この結果として『林・神吉』での作風解説にあるような「又七に憧れた謹直な透かしと、味わいのある即興的な作風、伸びやかな印象でおおらかでゆったり、あるいはおおらかで堂々」という印象を与える作品を創ったのではなかろうか。

以上の3枚の比較考察だが、色々と試し、苦心している様子が感じられ、勉強になった。 

(3)三代藤八は初代の謹直さを

三代藤八は、素直に初代又七の謹直さを目標にしている。その結果、狂いのない網目の作品を世に送り出した。このデザインの下絵は、誰がやっても、まずはこのように網目が一直線になるように描くのではなかろうか。この下絵で、しっかりした技術で彫ったのが三代藤八だ。結果として、より文様的、デザイン的になってしまったと思う。又七は偉大なのだ。
しかし、謹直さという肥後春日派の伝統に忠実と言うよりは、より以上に謹直さを高めており、透かしの仕事も丁寧で確かであり、三代は三代として高く評価されているのも頷ける。

F
3代藤八−「刀装具優品図鑑」
(尚友会図録第13集)より
『林・神吉』(伊藤満著)117図
縦7.87p、横7.55p
E
2代重光とされているが藤八か?
『東京国立博物館図
版目録 鐔篇』より、大小の小

縦7.4p、横7.05p

(4)「三つ浦図」透かし鐔における肥後春日派:林家三代の総括

いずれも無銘の作品を比較しての論であり、在銘品が出現すれば、こんな小論が吹き飛ぶ可能性はある。しかし、自分としては面白かった。

図柄は網を広げただけで面白みのないものである。規則的な繰り返しの網目の図柄で単調であり、絵というよりデザイン、文様である。きちんとした図になるが、当然に堅い印象を与えるものだ。「三つ浦」という肥後での名称の由来についてもわからないが、鐔の図柄になる前に、何かの文様として存在したとも考えられる。

職人だから依頼があれば、色々な図柄を彫ると思うが、図柄的には初代又七が取り入れたのではなかろうか。同種の細かく、規則的な透かし鐔に「八重菊透鐔」(『林・神吉』32図)がある。二代重光が好んだ図柄とは思いにくい。

又七が並みの職人ならば、三代藤八作のような網目の結び目も一直線に揃った下絵を描いて仕事をはじめるのではなかろうか。それを、上述したように切羽台を柔らかく包むように画いて、彫ったのは凄いと思う。技術が正確を求められる鉄砲鍛冶出身だが、身に備わった芸術的感性があったと思う。又七は偉大だと改めて認識する。

二代重光は又七の技術・伝統を受け継ぎながら、新味として”ゆがみ”を強調した。上述もしたが、これは自信が無いとできない技である。私の所蔵品のような歪んだ下絵が来たら、私が親方ならば作成し直しを命じるであろう。あなたもそうなのではなかろうか。
そして、このような”ゆがみ”を受け入れる需要側(細川藩藩士)の美意識、これは細川三斎以下の茶道文化、そこにあった古田織部が見いだした”ひょうげもの”の美意識だが、この存在も大きかったと思う。同時に、すでにこのような美を刀装具に入れていた西垣勘四郎の存在もヒントになったと思う。二代は二代で伝統を受け継ぎながら工夫を続けた生涯だったと思う。

三代藤八は初代の作品、二代の作品を当然に知っていたと思う。だけど、あえてデザイン的、文様的にしたキチンとした図にして彫った。いわば”初心手”の図であるが、初代又七の精妙さに、自分なりの道から近づこうとしたのではなかろうか。それはキチンとしたものを彫らないとわからない。
同時に、時代の要請(江戸時代後期のサラリーマン化した武士側のニーズ)もあったのだと思う。
三代は「まだまだ」と思っていたであろうが、この方向は、後世の肥後藩士からは高く評価され、「一代の上手の名を博したのみならず、一時は二代より勝るごとき好評を得るに至るという」(『肥後金工録』)ような状況だった。

肥後金工録の作者:長屋重名は上記のような肥後藩の評判を記した後に、三代に厳しい評を続けていくのだが、それは生きた時代の違いなのだと思う。三代藤八の作品は、精巧さに華やかさが加わって、清々しい。

おわりに

この小論は、当初は第1章だけだった。算数、数学でも補助線を使うと、理解が進むと習ったが、歳を取ってから、そんなことを思い出しながら網目を結んでいった。みかんの入っていた網袋を引っ張ったりして、妻に「何をしているの?」とも問われた。私もオタクである。

第2章では網目の数と鐔の縦横比を求めた。鑑賞における印象をつかむ為には大事なことである。

一度、取りまとめた後に読み返し、補助線も改めて観てみると、笹野大行氏旧蔵の鐔における補助線が、きれいな弧を描いていることに気が付いた。ゆがみでも、ここまで整ったゆがみは又七の仕事ではないかと考えて第3章を展開した。無銘品の分析であり、在銘品が出現したら見直しが必要になる可能性もある小論である。

ここで、笹野大行氏旧蔵の鐔の極めを、二代でなく初代ではないかとか、東京国立博物館所蔵の重光の大小鐔の小は二代ではなく三代ではないかと推論したが、無銘のものであり、一つの見方として読んでいただきたい。本来は直に拝見して、様々な角度から鑑賞し、他の又七や重光、藤八の鐔との比較検討も必要だと思うが、一つの視点からだけの仮説として、今後の研究の叩き台にしていただきたい。

細川家旧蔵品で、林又七と極められている名鐔に対して、「いや、あれは正阿弥だ」とかの意見も聞くが、ともかく無銘であり、在銘で同程度の出来の正阿弥作があれば別だが、長い間の伝来を重視すべきと思う。刀でもそうだが、先人の見解を否定すると、目利きに見えるものである。だから私のような小人は言いたがるが、自戒したい(今回は、科学的まではいかないが、目に見える根拠で言っているから許していただきたい)。

今秋、「ウフィツイ美術館展」(於東京都美術館)に出向いたが、いくつかの絵の解説に「以前は誰々と作者が比定されていたが、現在では誰々とされている」というのが何枚かあった。絵の場合は、絵の具の分析や、X線撮影、キャンパス地などの分析などの科学的な分析の結果だと思うが、刀剣、刀装具なりの科学的分析は、現代の学芸員の課題であろう。


なお、私が記した林家三代の作風については、伊藤満氏が『林・神吉』の中でまとめられているものを追認しており、私の上記論は、それを「三つ浦」透かし鐔を例にして、少し具体的に論じただけである。勉強したい人は『林・神吉』で学んで欲しい。以下に同書から、二代と三代の作風の特徴としてまとめたものを「林重光「三つ浦」透かし鐔」から再掲しておく。
初代又七については「林又七「クルス透かし」鐔」の3章に同書の見解も含めて紹介しており、参考にして欲しい。

二代重光 三代藤八
  • 又七にあこがれた謹直な透かしと、味わいのある即興的な作風。
  • 伸びやかな印象でおおらかでゆったり、あるいはおおらかで堂々。
  • 清々しい雰囲気は好ましく、又七に通じるものがある。生真面目な作品が多い。
  • 繊細で明るい雰囲気、まとまりは良いが、やや内向的で優しい雰囲気

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