横谷宗珉「雨下竹虎図」小柄

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はじめに

横谷宗珉の片切彫・縦図・棒小柄である。雨が斜めに降りつけている中で、竹薮から虎が顔を出して舌舐めずりをしている。獲物を食べた後か、あるいは水は描かれていないが水を求めているのかもしれない。証書の画題も「雨下竹虎図」で、同図の宗與作品が掲載されている尚友会図録でも、この画題となっている。
彫られている雨、竹、虎という事物を羅列しただけの画題とは別の画題があるのではないかと思うのだが、私には教養が無く思いつかない。もちろん主役は虎である。


写真は表裏とも拡大している。

宗珉の銘は研究が進んでいて、民の最終画や花押の右側の2つの点の位置などから、この銘は45~50歳前後の銘と考えている。晩年は2つの点の位置が下方に移動していく。
寛文10年(1670)に生まれたから、この作品は正徳5年(1715)~享保5年(1720)頃に制作されたと考えられる。

1.宗珉の技量ー宗與との比較ー

私は片切彫の作品としては宗與の仁王図縁頭を所蔵している。この宗與の片切彫作品も上手なものであり、片切彫はこれでいいと思っていたのだが、手元で比較すると、やはり宗珉のこの小柄の方が上だと改めて認識する。
何が違うかと言うと、「片切彫と毛彫での線の勢い」が違う。

片切彫の面白さであるところの片方を幅広く彫る技は、この小柄では竹の葉、虎の縞に使われているが、怖ろしいほど達者な鏨使いである。鏨使いに迷い・ためらいが無く、えぐりとって絵になっている。竹の幹の片切彫は、竹のしなやかで強靱なところと、風の程度まで表現している。虎の口の周りや手指の太い曲線なども片切彫だが、渋滞が無く、柔らかさよりも力強さが出ている。
宗與の仁王がたなびかせている布も幅広の片切彫で上手だと思っていたのだが、宗珉の方が力強い。

毛彫では、宗珉は雨の線も美しい。「線の長さ」「線の太さ」「線の密度」「線の角度」で、雨風の程度を表現している。下書きもあったと思うが、それを無視して無造作に彫られているように見えるところに勢いが現れている。
没骨法(輪郭線を引かずに面で形取る技法)で、描いた虎において、虎の前脚の上側だけを毛彫りの強い線で表現している。この潔(いさぎよ)い線も見事である。

細かい毛彫の線も生気がある。この小柄では虎の体毛や、虎の髭に毛彫が使われているが、宗與の仁王の頭髪、仁王の髭、仁王の眉の線に比べると強さを感じる。虎の体毛は剛毛で、そこは仁王の頭髪とは違うからだと、宗與を擁護したいのだが。

宗與は仁王の姿態において曲線を柔らかく上手に彫っている。宗珉のこの作品では曲線を使うところが少なく、虎の口の周りや手指の太い曲線などだが、柔らかさに加えて力強さが出ている。

個別に線を宗與と比較したが、絵そのものも、没骨法威のある虎を正面から遠近感を持って力強く描いている。雨にも打たれる竹の葉にも風圧と雨滴の重さを感じる

四分一の地金の色は、宗珉と宗與のこれらの作品にはわずかな違いがあるが、これは保存状態等の経年による変化の違いだと思う。他作者の四分一よりも銀色が出る感じの地鉄で、宗與は宗珉と同じ地金を使用したと判断している。地金は前述したように保存状態で変化するからわかりにくいが、流派の識別には役に立つと考える(ただし、私は幅広く多くの作品を観ていないから流派ごとの違いは指摘できない)。

<妻の感想>2018.3.5追記
私の妻は、あなたの家庭と同様に、刀剣、刀装具には興味を持たない。ただし美術は好きであり、私と展覧会には同行する。何年か前の正月に、私の所蔵する鉄鐔を箱から出して並べ、「どれが好みか?」と尋ねたら、林又七、林重光、林又平と、全て肥後春日派の鐔だけを選び出したのに驚いたことがある。好みの筋が通っている。
今回は、宗珉と宗與の上記作品を見せ、「どちらが上手だと思う?」と聞く。もちろん宗珉、宗與という作者のことなど知らない。私の本を読み、「”みずこころこ”とは何なの?」と、私が自明のこととしてルビを振らなかった水心子正秀のことを聞いてきたほどだ。

老眼鏡をかけて、しばし観た後に、宗珉の小柄を差して「こっちの方が上手よ。線が繊細で力がある。深く彫っているところも崩れていないわ。こっち(宗與)も上手だけど」と述べる。
私が”線の勢い”と表現したのと同じ感想だと思う。だから、一点だけ観ていると理解できなくても、比較すれば、どちらが上かというものはわかるのである。

2.宗珉の位置づけ

宗珉の生涯は寛文10年(1670)~享保18年(1733)である。後藤家11代の通乗(光寿)は寛文3年(1663)~享保6年(1721)であり、同時代である。また奈良三作の一人奈良利寿も寛文6年(1666)~元文元年(1736)、土屋安親も寛文10年(1670)~延享元年(1744)と同時代である。ともに元禄文化における江戸金工での担い手であった。宗珉には画家英一蝶との交流や俳句の宝井其角との交際、紀伊国屋文左衛門とのエピソードなどが伝わる。

宗珉は後藤家の「家彫り」に対して「町彫り」の祖と称されている。祐乗の時代以前から後藤家以外に刀装具の金工がいたのだが、彼らは「ムラ彫り」とも称され、個人名が伝わる作者もいるが作品と結びつけられてはいない。現在ではこれら作者の作品は古金工、古美濃などと称されている。
後藤家の彫りは素晴らしく、権門勢家の御用を務めたので、後藤家の彫りは「家彫り」と称されていたのだが、宗珉が出現するに及んで、「家彫り」に対抗する位置づけとして「町彫り」という言葉が生まれたのである。

それまでの後藤家以外の多くの金工を差し置いて宗珉が「町彫り」の祖とされたのは、後藤家の彫りを凌ぐ技術、しかも後藤家の彫りとは違った斬新な図で登場したことが大きいと思う。具体的には獅子や馬を正面から見た姿で堂々と彫り、人目を惹く豪華さがある。世人が喝采したのも当然である。重要文化財にも4セット、重要美術品にも14点も指定されている程だ。

また鐔工では銘を切った者は桃山時代には出現しているが、金工としては、この時代までに後藤家以外に銘を切った金工はほとんど見当たらないが、その時に立派な銘を切って登場したわけだから目立ったのだと思う。ちなみに宗珉の銘字は立派だと感じる。いかにも王者である。

改めて、横谷宗珉の功績を整理すると次の通りである。本当に独創的で、技量も高い天才金工だと思う。

  1. 後藤の図柄とは違った構図(例えば獅子や馬のたてがみを工夫し、それを正面からクローズアップ、三国志人物も堂々と上半身だけをクローズアップ、牡丹も写実的かつ豪華など)で彫る。
  2. 小柄に縦図を多く取り入れる。
  3. 棒小柄(小柄の小縁(こべり)がない)をうまく活用する。
  4. 片切彫の魅力を生かす没骨法(対象の輪郭を描かず、形、色などで対象を描く)を駆使する。
  5. 縁頭にも本格的な高彫をほどこす。
  6. 片切彫で作品の魅力を高めたものを創り上げる(絵風片切彫)。

そして、弟子の育成にも手腕を発揮し、宗與、英精などの横谷派だけでなく、柳川派、大森派、古川派などの金工流派の事実上の始祖を弟子にしている。そして、これら流派からも別の流派が誕生しており、影響力は甚大である。

おわりに

宗珉の高彫の作品は重要文化財や重要美術品があるように、非常に高価だし、ご縁が無いと無理である。この小柄は片切彫作品だが、上記の宗珉の独創として挙げた項目の5以外の5条件に当てはまり、天下の名人の作品として魅力のあるものである。

以前に入手して楽しんでいたのだが、写真を撮るのが難しく、また良さを表現する言葉がしっくりこなかったので、発表していなかったものである。
この写真も満足できるものではないが、記録になるキチンとした写真ではなく、片切彫の魅力が出ればいいと割り切り、やや下方から、また棟側から撮っている。光の当て方が虎を中心である。
表現においても「線の勢い」ということを具体的に説明するのに悩んだ。同じような図の他作者の作品との比較も考えたが、こっちが優れていると書くことは一方の作品を貶しているとも取られるから、自分の宗與の所蔵品と比較した訳である。宗與の二王は曲線中心で別に勢いを強調しなくてもいいわけであり、比較対象として適切でないところもあるが、ご理解いただきたい。

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