鉄元堂尚茂「小人国図」目貫


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これは鉄元堂尚茂の鉄目貫である。鶴に中国人風の人物を彫ってある。この図は「小人国」の図と称されている。

刀剣柴田で、青山君から入手したものだが、彼は「この目貫は通信販売のカタログに、かなり安い値段で出品されていた。値打ちのあるのをあんなに安く出すのは目が利かない」と言っていた。彼が目が利くのを自慢するのはいいが、買う私の立場としては、目が利かない刀屋さんから安く買った方がいい。複雑な気持ちであったことを覚えている。

この目貫は惚れ込んで買ったものではない。鉄元堂は長常と光興に並んで、「京の三名工」と呼ばれている。私は長常、光興の目貫をすでに持っていた。そこで購入した。好きで買ったというより、コレクション的な意味で買ったと言える。

1.小人国の図とは

『和漢三才図会』に「東方有小人国」として紹介されている国の風俗をあらわしている。鶴が普通の大きさであり、それに比較しての人物の大きさが小人であることを示している。
この図は鐔に時々みかけることがあり、いずれも、このような舞鶴を上部に、下に腕を組むなり、綱をもって繋がっている人物が何人か描いている。鶴に呑み込まれないように、あるいは連れさられないように群れて出かける様子を示しているようだ。

2.鉄元堂尚茂

鉄元堂尚茂は、鉄屋伝兵衛こと国治(後に改名して治国)に学ぶ。鉄屋源兵衛として、鉄源堂と名乗っていたが、壮年から鉄元堂と改める。初銘は敏行であり、敏行銘は印銘に見ることがある。また正楽と名乗ることもある。一宮長常より2歳上だが、同時代に活躍した京都金工である。

『装剣奇賞』に「近代独歩ともいふべき名工なり、第一鉄物を冶(こな)すこと、古来其右に出るものなし、もとより金銀赤銅四分一など各鏨痕奇麗なること、半時庵(俳人)が発句に出る日を「松にはかせて初ざくら」とかけてきどりし風情なり。惜しいかな、安永九年、にはかに没せり、しかれども其の名今に高く、其の作ますます賞玩せり」とある。

このように非常に高く評価されている金工である。
現存する作品も鉄の作品、特に鐔が多く、また上手である。夕立の図や、韃靼人の図などが多い。目貫も希にあり、特に行幸の図の大小目貫は名作である。他に五丈原の図の目貫もある。

前述したように安永9年に没したが、2代も同銘を名乗る。ただ初二代の区別については、定説はないようである。

3.作風

ご覧のように、鉄地にもかかわらず、巧みに彫ってあり、鏨のキレも感じる。鶴の羽は力強く、また優雅である。
地上では小人が逃げまどっているにもかかわらず、鶴は堂々と飛翔している。鶴の飛翔は舞いを感じさせる。
象眼と毛彫りも効果的に使っている。

小人たちは、逃げ回っている。「鶴がくるぞ、鶴が襲ってくるぞ」と言いながら、大騒ぎをしているようだ。各人物のあわてている表情、おびえている表情など巧みである。生気あふれる彫りである。なお各人物の着物の象眼は、一人ずつ変えている。

4.鉄の細工

鉄で細かく彫るのが、どのくらい細工がしにくいのかわからないが、鑑賞の立場から評すると、鉄は必ず錆びるものだけに、細かく窪んだ彫り口に生じた錆びが取りにくく、どうしても彫り口のキレが損なわれるように感じる。またそこに錆び色が目立ってしまう。上記の目貫にも、金の象眼とは別に、赤錆色も生じている。

そういうマイナス要素を持ちながら、これだけの作品を造るのは、やはり名工だと思う。

5.芸術は独創

このホームページで、京の三名工の、いずれも目貫を紹介している。

写実の中に、近代人の実証的精神を感じさせるような長常の作風。
観る人の心の根底を動かすような精神性を宿した光興の作風。
そして鉄の上手として、扱いにくい素材を元に、生気宿る作風に仕立てた尚茂の作風。

それぞれの特色がよく出たものである。参考にしていただきたい。

芸術で大切なことは独創である。長常、光興、尚茂は、それぞれ独自の作風をうち立てている。だから京の三名工と讃えられているのである。


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