鐔好き土佐藩士森四郎の資料


伊藤 三平

刀装具の研究ノートのページ

 「幕末の鐔好き土佐藩士の鐔収集日記解析」として、高知県立歴史民俗資料館のカタログにあったコラムから少し突っ込んだ分析をしたが、不思議なことに、その日記を書いた土佐藩士森四郎正名のことが出ている資料に立て続けに出くわした。これも何かの御縁と考え、紹介させていただく。

1.『鍔』(柴田美術刀剣店図書部)

 この本に、今村長賀が鍔の押形を紹介したものが1枚だけ掲載されていた。それも唐突に。以下のような内容である。

掲載ページの部分、右に長賀の字で土佐
藩士森四郎春枝翁 云々とある

 今村長賀の説明を抜き出すと以下の通りである。(適宜、現代文に直している)

「北国猿(号)名物鍔の写し 今村長賀翁筆 
土州藩士森四郎春枝翁 鍔押形本の内にあり 同翁 明治初年まで存命

此押形は同県士秋山久作兄珍蔵
明治三十八年八月二日長賀写 現物は今は行衛(行方)知れず申す由

昔より徳川将軍の御巡見使来板の節は御覧に供すへき大坂名物の其一にて之有り候由  

新田義貞朝臣所用 北国と号す名物鍔 大坂豪商太刀屋所蔵 厚さ一分五厘 大きさ図の如く

四方透かしの内に猿の形彫りあり 表の櫃より脇へつりたる所 小猿三匹手を引き合いたる如し
古物 錆強くして摺写し取り難し」

 ここでは森四郎春枝とあるが、通称の森四郎が森四郎正名と一致し、明治初年(1868〜)まで存命ということから安政(〜1859)の日記を残している森四郎正名と同人と思う。春枝は雅号と推察する。

 この鍔は、新田義貞所用で「北国猿(櫃孔近くの透かしが小猿に似ている)」という名物鐔で、徳川の巡見使が大坂に来た時には御覧にいれたとある。

 この鍔の絵(押形とあるが、摺り写し取り難しとあるように、押形ではなく絵と思う)からは、そんなに良い鐔とは考えにくいし、また新田義貞の所用も疑わしいが、上記のように大事にされていたことが知れる。

 鐔オタクの森四郎が、大坂で豪商太刀屋に頼みこんで拝見し、筆写したものであろうか?
 後に同藩の鐔愛好家秋山久作がこの記録を所持していたことがわかる。

2.「秋山久作鐔押形集」(秋山久作が採った鐔押形を集めたもの)

 これは手拓の貴重な押形集で、「尾張鐔 金山 柳生」、「刀匠甲冑師 鎌倉鐔」などの付箋が貼られて、8分冊に分かれている。それぞれ30〜40頁ほどだが、各頁2枚ずつの押形が貼られている。分類はされていても、必ずしも付箋の表題通りではない。

 その内、表題が貼られていない分冊で、中には応仁鐔や京透鐔、金山鐔などの押形が貼られているものの中に、次のような書き込みのものがある。秋山久作の書き込みは非常に少なく、大半は鐔の押形が貼ってあるだけである。

掲載ページ部分、秋山久作の字で
森翁の押形のことが記されている

 秋山久作の書き込みの全文は次の通りである。(適宜、現代文に直している)

「或年 森翁の押形に出てたる松に釣鐘鶏の地透鐔 根抜鐔と書き入れする物出でたり 鐔其物の上より見て珍重すべき物にあらずとして打ち捨てたり 之が夫れに類す」

  森四郎の鐔押形集を秋山久作が譲り受けていたのではなかろうか。そこに「松に釣鐘・鶏」の透鐔の押形があり、それを森四郎は根抜鐔(昔の分類用語で古い鐔のこと、根抜は蔑称ではなく、茶道具の言葉で誉め言葉)としていたが、それと同類で、秋山久作は、そんなに良いモノとは思っていないが、それと同類の鐔だと言っている。

 現代の私が拝見すると、京透かしのような鐔である。

おわりに 

 現代の鐔研究の嚆矢である秋山久作(尾張鐔、赤坂鐔、古刀匠鐔、古甲冑師鐔など)や長屋重名(肥後鐔)の出身地である土佐藩の鐔愛好の伝統を改めて感じる。
 記録としての鐔押形も広く普及していたことが理解できる(『信家鐔集』中村覚太夫(八太夫が正しいとも言う)も鐔押形をもとにした本である)。

 この刀剣・刀装具の趣味の世界は、「名品は名品を呼ぶ」とか出会いに関する不思議なことを経験することがある。森四郎正名氏の霊が来ているのであろうか。 
 時代は超えても同好の士であり、土佐藩士森四郎正名のご冥福を心からお祈り申し上げます。

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