この鐔は、いかにも西垣勘四郎(初代)作という鐔であり、私が惚れ込んだものである。『肥後金工大鑑』の所載品である。
『肥後金工大鑑』所載 縦8.3p、横7.9p、厚さ0.7〜0.75p 改めて計測すると厚さは0.55p |
<形状> 鐔全体は長丸形だが、この透かしの図柄において、最もふさわしい長丸形で、実に伸びやかである。このセンスだけでも凄い。 耳は丸耳である。勘四郎の作風は丸耳の先が尖り気味とあるが、確かにその通りである。 8センチを超えて大きい鐔だが、与える印象も堂々としており、スケールの大きさを感じさせる。逞しい感じと同時にゆったりした余裕も感じさせられる。 切羽台に透かし文様が入り込んでいるのは勘四郎作によく見られるが、勘四郎は切羽台どころか茎孔も意識しないで桐の葉を自然に彫っている。勘四郎の鉄のキャンパスは切羽台で区切るような窮屈なものではないのだ。 <地鉄> 黒が強い、生気が輝いているような地鉄である。黒みが強いのは西垣派の見所と言われている。ねっとりした感じもするが、これは同時代の肥後鐔に共通する。 <透かし> 桐と巴の文様は勘四郎に多く、所有の二代勘四郎の鐔も同様であり、勘四郎の得意なモチーフである。紋章的な図だと、桐紋、巴紋の他に、引き両紋、桜紋もあり、いずれも細川家に大事な紋所である。御紋図縁頭も参考にして欲しい。 大切な主家の紋所だから使用しているのかもしれないが、大事な紋所を、この鐔の図柄もそうだがためらうことなく崩して使用している。こういうことも許される藩風土だったのだと思うしかない。 紋所というものは、例えば桐紋であれば実際の花穂を付けた桐の葉を少し抽象化・デザイン化して創られる。そして花穂の数で五三の桐、五七の桐などの紋が派生していく。 勘四郎はこうして創られた桐紋を、自然の桐の葉のように動態化していく。自然の桐の葉を写したのではなく、桐紋から生まれた桐文なのだ。 巴紋も同様だ。抽象化されて美しくデザインされている巴紋を、勘四郎は分解して水か空気の流れのように動かしていく。 紋様を動態化することで、それぞれに命を宿らしたのだ。 このように勘四郎のデフォルメには、動き、躍動感を表現したいとの衝動を感じる。その結果として全体の形も歪んだり、変形するのではなかろうか。 巴はたなびく布のようにも見える。巴は右回り(時計回り)に中心(切羽台)に向かう。桐紋は左回りというよりは、中心(切羽台)に沿うように上方に向かう。 このアンバランスな動きが、躍動感を更に強める。 切羽台に頭を突っ込む巴が鐔の中に空間をつくる。 巴の頭幅は下の巴の方が太い感じである。上の巴の方が立ち上がりが大きい。下の巴は緩やかに横たわることで安定感が自然と出ている。その巴が作る空間の制約の中に桐の葉が居場所を求めている。 下の桐は下部の巴が作る空間において、寝ていた桐が起き上がってくる感じで描く。やっと顔を出して、窮屈ながら、これから上に伸びようとしている。 上の桐はもう跳ね上がっている。さらに巴を踏み台にして上方に向かう。下の桐より大きく育っているが、さらに上方に大きく成長するだろう。これも躍動感の強調だ。 桐の毛彫は細かく浅く、精密な感じでなく、柔らかい毛彫だ。葉脈を彫ったというよりも、桐の葉に羽毛を感じて彫ったようだ。 一方で桐の花穂は逞しい。これから伸びる方向を模索して、生命力が溢れている。生き生きとして生気の溢れる桐だ。羽毛の葉脈を使って上に羽ばたくのだ。 |
『肥後金工大鑑』 | 地がねがよく、丸形の形も優れている。 |
佐藤寒山氏箱書 | 箱表面「勘四郎 桐巴透 鐔」 箱裏面「丸形 鉄地 透彫 無銘勘四郎 傑出之一也 昭和卅八年冬 寒山 (二種類の印が押印してあり、上の印字は読めないが、下は「寒山」の落款印) |
「刀装・刀装具初学教室(50)」福士繁雄著…「刀剣美術」H8.10 499号 | この鐔は、二つ巴に桐の文様を透かした、勘四郎の掟物と言われているものですから、ほかにも同様の鐔が何点か現存しています。作行としては、比較的大形の鐔ですが、地金が勝れ、平地の処理も巧みであり、桐の文様には細かい毛彫りが施され、耳は丸く、古正阿弥の趣があります。 |