後藤廉乗「蝋燭」目貫
これは2001.4.9付けで「刀装具の鑑賞・鑑定ノート」に記した内容に青字で2002年1月7日に大幅に加筆したものである。この作品には折紙がついているので、皆様の折紙に関する勉強が進むように配慮した。
『趣味の目貫』や『刀装小道具全集2−後藤家−』の口絵写真に掲載されている無銘廉乗の後藤光孝折紙付きの蝋燭の目貫を入手した。
1.構図
表裏とも5本の蝋燭を彫っているが、それぞれ1本の蝋燭の配置をずらして構図を創っている。簡単に見えるが、ああでもない、こうでもないとやりながら、最終的に、この配置になったのだと思う。
そして目貫全体の向きも、目貫裏についている四角の力金の向きにあわせると、上記の写真のように、やや逆ハの字になる。私もいろいろと試してみたが、この向きが一番収まりがいい。たいした美意識だと思う。
小柄において彫物の配置を決める時は、私でも、何となく「ここだ」というのがわかる気がする。しかしこの目貫を観ると、すごいと感心する。
2.廉乗の彫り
銀地に金でアクセントをつけただけの地味なもので、後藤家らしく品の良いものである。ずっと見ていると銀の持つ静かな魅力にひきこまれる。銀の多用するようになったのは程乗からと言われているが、その伝統を上手に引き継いでいる。
買った時は、上記のように「地味なもの」と思ったが、よく観ると、これは派手な目貫である。この目貫を柄に巻き込んだりしていたら、よく目に付くのではなかろうか。大振りの銀色で、しかも丸まっているものが5本束ねてあるから、どのような光の具合でも、銀色が光ると思う。
細かくは彫っていない。色も多くつかっていない。別にそれほど肉置きを高くして彫っているわけではない。それどもこれだけ立体感をみせるのは、肉置きのとりかたがうまいのだと思う。
いつか、この場でご紹介すると思うが、私は廉乗の小柄も所有しているが、廉乗の彫りは本当に品が良いと思う。線の細い品の良さではなく、たくましさを感じさせる品の良さである。
先人は廉乗について次のように評している。
「おとなしく大様なる所あり、かの光源氏の物語を読むに、明石の上の事をしめやかに書きし面影ともいわんか。」(『装剣奇賞』)
「気格抜群にして面白く、見所ある作なり。ー中略ー上彫荒く、濶達(闊達に同じ)の気象見ゆる。」(『金工鑑定秘訣』)
この目貫に関する限り、上記の『金工鑑定秘訣』の言葉通りである。蝋燭というものを彫ってものにしたところは、まさに「気格抜群にして面白く」である。そして私が持った印象「たくましさを感じさせる品の良さ」を『金工鑑定秘訣』では「濶達(闊達に同じ)の気象見ゆる」としている。『装剣奇賞』では「おとなしく大様なる所あり」と表現している。
廉乗は名門に生まれたが、なかなか線の太いところを持った人物だったのではなかろうか。廉乗は、時代の趨勢に従ったと言えばそうだが、後藤家の京都から江戸移住を実現させている。不仲説などもあるが、養子として優れた通乗を見いだしたのも廉乗である。後継者の選定に失敗している企業も多い。この点、たいしたものである。不仲であったというのが事実なら、それでも廃嫡にしないで技量を見込んで養子として跡を継がせた廉乗は偉いと思う。
3.画題について
蝋燭という画題になりにくいものをどうして彫ったのであろうか。後藤家は七夕に代表されるような人物の代付けが高く、次いで竜、獅子である。そして植物になり、最後が器物である。代付けはこうだが、後藤家は器物が意外に面白い。言い方を変えると、「面白い」、「なるほど」と思うような器物の彫りでないと、違うのかもしれないと考えている。
この目貫は、注文主がいたと思う。その注文主は蝋燭問屋だったのであろうか。それとも闇夜に明かりを照らすというような意味で好んだ武士がいたのであろうか。皆様で何か言われを思いつく人がいれば教えてほしい。
私は蝋燭の専売制で儲けた藩の大名からの注文か、大手の蝋燭問屋の注文ではなかったかと考えている。
4.折紙
この目貫は折紙などが完存している。本物を保証するときに、今でも使われている”折紙付き”の語源である。
後藤家の折紙の場合、獅子や竜などは各代がたくさん作っているので、あわせ折紙も多い。この点、この目貫は蝋燭という変わった図柄であり、この心配もない。また作自体、折紙なしで出てきても、程乗、廉乗に極まることは間違いがない。
光孝の折紙は明和四年十二月七日付けで、「銀金色絵蝋燭目貫 作廉乗 代金一枚五両」となっている。そして表の光孝と署名した箇所のちょうど裏面に右下のような光孝の印が押してある。
代金における一枚とは大判1枚=10両であるので、当時の価値で15両のものである。当時の換算レートについては諸説があるが、私が「清麿の武器講中断の理由」の論文をまとめた時に、米価などの換算では、天保年間で1両8〜12万円という説があるが、手間賃のような収入から比較すると1両は30万円程度の価値があったと推論した。1両10万円ならば、この目貫は150万円、1両30万円ならば450万円となる。いずれにしても当時は高いものだったのである。もっとも当時高かったから、今も高くてしかるべきというようなことは言うつもりはない。
今も昔も価格と芸術的価値が一致しないのが芸術の世界である。1枚何十両もした狩野派の絵より、当時は1枚十文で販売されていた浮世絵の方が、芸術としては高く評価されている。当時の町彫り作家の相場がわからないが、後藤家よりは安かったと思う。
明和4年は田沼意次が側用人に就き、相良城主となった年である。まだ俗に言われている田沼時代ではないが、賄賂のための田沼折紙が頻発されたという時代に入りつつある。
5.折紙の真偽の見分け方
一時代前に、偽折紙がだいぶ出回ったことがあった。その当時に、私も懇意の刀屋さんを通して、程乗の折紙付きの偽物を購入したことがあった。その偽折紙は「色絵木賊月目貫 作程乗 代金一枚参両」の天保九年卯月七日付けの光晃とあった。折紙には縦に線の透かしが入っているのだが、この間隔がちょうど3センチだったのでおかしいと思い、見てもらって気がついたのである。この時は刀屋さんも知らなかったようで、1割損して引き取ってもらった。刀屋さんは、かなり頭にきていたようで、だました男に心あたりがあるようなそぶりであった。この事件に関して、様々な噂を聞くが、確かなことは私は知らない。
この時に刀剣博物館の檜山さんから学んだ偽折紙の見分け方は次の通り。
6.折紙に付随するもの
この折紙は次の2重の包みに入れられている。(これが正式かどうかはわからない)
左下の包み紙に折紙が入り、それを右下の包みに包んでいる。この包みの上に貼ってある「第弐百弐拾七号」との紙は、昔の有名なコレクターの田辺氏(元後楽園の社長)が貼ったのではないかと刀屋さんが述べていた。なお、この「第弐百弐拾七号」の紙は外箱にも貼ってある。
他に誰が書いたか不明であるが、亥年につけたものであろうか「古折紙の通り、相違無きものにござそうろう」と書かれた小さい改め札もついている。
外箱も折紙が入る大きさの立派なものである。箱にも「第弐百弐拾七号」との紙が貼ってある。桑箱自体は、もう少し古く、どこかの伝来なのかもしれない。このような箱を見たことがある人がいたらご連絡ください。