刀装具の鑑賞・鑑定ノート

このページは伊藤が、刀装具について、会や刀屋さんに出向き拝見したものなどについて記しています。



細川家の忠利と三斎の対立と肥後金工(19年5月8日)

細川忠利』(稲葉継陽著)という本を読むと、細川忠興(三斎)と次ぎの藩主忠利との間で藩を二分する対立があったことが理解できる。小倉藩時代から三斎が治めた中津隠居領が本藩の統治が及ばない状況であった。寛永9年(1632)に肥後熊本藩に転封になった後は熊本と八代との対立となる。細川忠利は寛永18年(1641)に逝去する。子の光尚が熊本藩主になるが、その時に家臣が光尚に差し出した起請文には「三斎様とは一切通じない」という文言が入っていて驚く。重臣だけでなく、その下のクラスの家臣まで「八代に親戚があるが通じていない」というような起請文を提出している。

八代の三斎と、その後継者の立允が逝去したのは正保2年(1645)である。ここで立允の子の行孝が八代から宇土に3万石で移り、八代には熊本の家老松井興長が城代として移り、三斎派の主立った家臣は藩を去り、対立はひとまず解消する。

大名家の創業者と二代目の対立が職人に及ぼす影響はそれほどのことはないのかもしれないが、平田彦三は三斎派となるが寛永12年(1635)に逝去し、二代は熊本に呼び召される。西垣勘四郎は彦三逝去の年で22歳であり、この歳か三斎逝去後の正保2年(1645=勘四郎32歳)以降に熊本に移っている。
八代に留まったのは志水初代であり、延宝3年(1675)に逝去する。

春日派(林)は加藤家からの縁で、こちらが肥後鐔の主流となり、そこに西垣が流れ込み、志水は当初から異端だったと考えられる。しかし、江戸時代後期〜幕末になると志水家の作風が広く流行する。
諸書では肥後鐔として、春日派まで含めて「三斎公の影響」を書くが、違うのかもしれない。
肥後拵にしても三斎公遺愛の形式は、江戸時代前期にはそれほど喧伝されなかったのかもしれない。

肥後金工・春日派:三代の苦心と個性(14年11月13日)

「猛禽補猿」図の真意は?(13年6月14日)

「刀剣美術」(平成25年6月号)に、飯山嘉昌氏が、かの有名な「猛禽補猿」図(従来は志水甚五作とされていたが、『西垣』(伊藤満著)で西垣勘四郎とされている鐔が代表)について、面白い視点の話を聞いてこられたことが掲載されている。

熊谷市にある歓喜院聖天堂(国宝)に、左甚五郎作と伝承されている激流の上で大鷲が猿を捕まえている彫刻があり、その説明として「これは激流に落ちかけた猿を鷲が救っている図で、猿は人間の制しがたい煩悩、それを救う鷲は聖天さまの化身」という説明だったそうだ。

『鐔』(小笠原信夫著)には、「柏樹猛禽図」と対比させて「前者(柏樹猛禽)には獲物を狙う鋭さが(表情に)あり、後者(猛禽補猿)には獲物を得て安堵した落ち着きがある。いずれの鷲も端然としているのに対し、猿は肩口に爪を喰い込まれて声もない」とコメントされている。

飯山氏は「鷲の脚は猿の肩の上で開かれており、爪をたててはいないことに気づきます」「鷲の表情は険しくなく、威厳の中に穏やかさを秘めており、慈愛の顔に見えます。猿の表情も畏敬を込めた感謝の顔に思えます」と記されている。

『鐔』小笠原信夫著
より(国立博所蔵)
歓喜院聖天堂の
額(飯山氏写真)

小笠原信夫氏のコメントの通りに見ていたのが、伊藤満氏から「あの鐔は勘四郎」と言われると、今では「なるほど勘四郎だ」と思い、今度、飯山嘉昌氏から「あの図は猛禽補猿ではなく聖天様の化身の鷲が、人間の煩悩の見立てた猿を救う図」と言われると、「なるほど、そうかもしれない。爪は立てていない」と思う。

私だけかもしれませんが、人間の目は、先入観に毒されていることを気づかせてくれた指摘でした。

彫刻のような鉄鐔の王者・信家(12年6月4日)

この章で、「鉄鐔の品格ランク」として又七と尾張透かしを評価したが、品格とは別だが、王者としての風格では信家かなと感じる。

題目・生者必滅」鐔を見るたびに、彫刻のような立体感を益々強く感じるようになっている。
これは「所蔵品の観賞」でも書いており、いつもながら第一印象も馬鹿にできないと思う。
造形的にも@やや厚手、A耳の打ち返し、B耳から中心穴にかけて薄くしている中低の造り込みという立体感は、確かにある。また造形ではないがCひげ題目の線彫りの深さ・強さという面もある。
でも、そういう物理的条件を超越した感覚で迫ってくるのだ。(同じ信家の「紋散らし鐔」も同様なのだが、この鐔では鉄色に感動して時間を忘れる)

笹野大行氏の書くところの「塊(かたまり)としてみる外ない」という感覚だろうか。(笹野氏の具体的記述内容は「題目・生者必滅」鐔の鑑賞参照)

鳥越一太郎氏は『鐔観照紀』で、鐔の第一義的役割(武具としての地金の質、鍛錬および金味(鉄味)。さらに鐔の形、地肉の取り方、切羽台や櫃や耳の構造等)を、第二義的な役割(構図、肉彫り、毛彫り、透かし、象眼等)に比して高く評価しているが、第一義を強く進めると、このように立体感を感じさせるのだろうか。

金工鐔だが、鐔という形の制約の中で造形して作品を造った安親を愛好された宮崎富次郎氏は『安親』の中で、西洋のレリーフ(浮彫り)との共通性に言及され、アッシリア、ギリシャなどのレリーフに、ひけはとらないと記述している。鐔の名品に彫刻的雰囲気を感じるということでは同じことだろう。宮崎氏は信家をどう評価していたのだろうか。

鐔という基本的には2次元(平面)的な作品なのに3次元(立体)を強く意識させるという力と、以前に信家の作家魂で述べた、一作ごとの創造性という芸術家魂。これが王者の風格なのだ。

稀代の批評家で、古美術を愛好した小林秀雄も「鐔好きの間で、古いところでは信家、金家と相場が決まっているという事は、何となく面白くない事で、私も、初めは、鐔は信家、金家が気に食わなかったが、だんだん見て行くうちに、どうも致し方がないと思うようになった。」として、「茶碗は井戸」、「鐔は信家」と脱帽しているのだ。(小林秀雄の具体的記述内容は「題目・生者必滅」鐔の鑑賞参照)

鉄鐔の品格ランク(12年3月28日)

「所蔵品の鑑賞」などに、それぞれの作品について感じたことを書いているが、横並びに評価したことはなかった。以下に述べることは、あくまでも私の所蔵品の範囲で、しかも私自身の、今現在の評価であるので、あまり参考にはならないと思うが、自分の目の推移を後に知る為に、現時点の感想として書いておきたい。

刀装具に関心を持ったはじめは鉄鐔であるが、なかなか良いものに廻り会わずに、大半を処分したことがある。

今は古甲冑師、古刀匠、信家(放れ銘2枚)、平安城、金山、尾張、彦三、又七、重光、又平、遠山、甚五、5代甚吾、初代勘四郎、2代勘四郎、古赤坂、深信、中根などであり、この範囲のランクである。

毎日、鉄鐔をとっかえひっかえ寝床に持ち込んで、観ている。品格というと又七尾張が双璧と思う。何だ、世間で言われていることではないかと思われるだろうが、しょうがない。先人に敬意を払いたい。

『広辞苑』には「品格」は@物のよしあしの程度。A品位。気品とある。私が言うのはAの方の意味である。では「品位」をひくと「人に自然にそなわっている人格的価値」とある。また「気品」は「どことなく感じられる上品さ」とある。

『広辞苑』でも「自然にそなわっている」と「どことなく感じられる上品さ」と抽象的に書いてあるから、私が、具体的に説明できなくてもいいのだが、そういうものである。

「格」の意味に「きちんとしていること」というのがあるが、崩れておらず、きちんとしていて、多くの人が認めるような感じである。

又七は図柄が独創的で、加えて鉄砲という狂いが許されない機械製作の経験に起因すると思う精妙さがあり、それが堅くない点が凄いと思う。

尾張は鑑賞記にも記したが、観ている内に襟を正すような気になる。私の所蔵品は紋透かしで、図柄が面白いわけではありません。堅い図柄なのですが、堂々と、かつ闊達、伸びやかなところを感じます。こういうのは相当の境地でないとできないと思います。後藤祐乗が鉄鐔を作るとこうなるような感じもしています。

又七、尾張以外のランクはと、問われるかもしれないが、今回は勘弁して欲しい。品格とは別の価値基準(美の基準)で評価したい。価値基準が一つでないところが鉄鐔の深いところである。

マイナー肥後「三角」の魅力(10年12月30日)

マイナー肥後とは平田、林、西垣、志水、神吉以外の肥後金工として、私が造語したものである。マイナーとは有名でない、知られておらず、コレクレターも少ないという意味であり、芸術的に劣るという意味ではない。以下の記事は私のブログ(2010.12.9)にもアップしたものだが、今回、もう一つのマイナー肥後の「遠山頼次」を所蔵品の鑑賞にアップしたから、この欄に転載するものである。

肥後金工の中に三角(みすみ)という一派がいる。何度か拝見したことはあるのだが、これまではどこがいいのかなという感じだった。
今回、伊藤満氏のコレクションの三角の目貫13点を拝見して、その魅力がわかりました。
すべて無銘で、目貫の根が△形のものだ。質の良い後藤の上手(じょうて)と同じような赤銅で、真っ黒である。そこに彫った対象物に合わせて、目などの一部に象嵌を入れて、効果を出している。
伊藤氏の説明によると、たたき出して、彫っているのではなく、全て塊から彫り出しているとのこと。確かに裏を見ると、ざくざく彫っている感じである。
さて、三角の魅力であるが、猿の目貫を拝見した時に驚いた。写実的なのだが、猿を写実で彫っているというより、猿が実をとって、隠しながらも食べているようなところを写実的に彫っているのだ。写実そのものが細かくて、真に迫り、「うまいな」と誰にでも思わせるのが一宮長常だが、そういう「うまさ」はないのだ。(もっとも私の長常の筍の目貫は、単なる写実で終わらず、筍のおいしさ、鮮度までわかる名品だと自負しているが。

三角の場合は、要するに、そのもの(猿)の写実+アルファ(猿が実を取って隠しながら食べている様子)を写実しているのだ。状況、場面を写実している感じだ。
こういうことだから、動物などの表情がわかるものを彫ったものの方が魅力がわかりやすい。大したものだ。

柳生鐔と御流儀鐔(10年11月5日)

今年の春に凄い柳生鐔を拝見したことを下記に記したが、『尾張と三河の鐔工』(岡本保和著)を拝読したら、本当の柳生鐔(寛文頃から元禄)とは別に宝暦頃の第二期のもの、文化文政の頃の第三期のものがあると明記されている。これに写し物が加わっているわけだ。

そして、尾張では第二期、第三期のものは柳生鐔とは言わず御流儀鐔と言っていたとある。
これはいい言葉と思う。柳生鐔=柳生連也が作らせ、強度を試したものとの誤解を生まずに済む。地鉄がザラザラした鋳物のような鐔で観ても感銘しないものを柳生と呼ぶのは連也に失礼ではなかろうか。

誤解が解け、価格もそれなりに安く流通すればいいのだと思う。肥後も赤坂も後代はそれなりの価格だ。

ともかく、本当の柳生は、世に喧伝されるほど凄いということを認識しておくべきと思う。ちなみに私がこの春拝見したものは、この本に幕末の尾張藩の柳生鐔愛好家今泉源内の箱書があるとして掲載されている「三日月三つ星」という角ばった鐔に似ている。同じものだろうか。

今年の大刀剣市で、ある刀屋さんと話していたら、その刀屋さんの古くからのお客さんの家で、「武州云々」の銘がある、無銘であれば柳生鐔として通るものを拝見したそうだ。そのお客さんは「自分は柳生鐔などは認めない。こんなもんだよ」とおっしゃっていたそうだ。2期、3期、写しものを観ていれば、この通りだと思う。

(2014年3月4日「所蔵品の鑑賞」に、私なりに確信を持てる柳生鐔「水月透かし」鐔をアップしました。参考にしてください)

柳生鐔(10年4月25日)

先日、柳生鐔の良いものを拝見。厚めの鐔で、小ぶりで角形のものであるが、やや赤みのある艶やかで肌理の細かい地鉄が見事で、耳に筋状の鍛え目も見られる。拝見したとたんに、その迫力に打たれるものでした。
この話を懇意の骨董商にしたら、この人も私とは別のところ(日本刀文化振興協会の鑑賞会らしい)で、やはり柳生鐔の抜群のものを拝見したとのこと。
2人で、巷にたまに出てくる柳生鐔は「鋳物みたいで、あまり良いものを見ないけれど、どういうことなのか?」と話合った。
私が信頼している小道具の目利きの方のお話だと、「鋳物のように見える柳生鐔の中にも迫力があって素晴らしいものもある」とのことである。
こういうことだから地鉄だけでは判断しにくい。

柳生連也が指導したという柳生鐔もあまり観るものではないが、本に所載の柳生鐔といえども、地鉄が鋳物のような感じのものが多い。
笹野大行氏の『透鐔 武士道の美』でも「地鉄は粒子のあらい、やや潤いのない独特のもので、耳に柾目の鍛え目が出るものが多い」と記されている。

柳生鐔は尾張藩で非常にもてはやされたものだけに、写しものも混じっているのだと思う。私は『柳生連也仕込鍔』のコピーを所持しているが、この本もいくつかの伝来本があるようだ。それだけ人気があったのだと思う。
昔、尾張の二子山則亮の鐔に、このようなやや粒子が荒いが強い感じの地鉄の鐔を拝見したことがあった。
粒子の粗さだけでは本歌かどうかは判断はできないようだが、本歌の迫力は相当なものだと考えておくのが良いと思う。

信家の作家魂(09年10月19日→11月19日追記)

先日、信家鐔を数十点、まとめて拝見した。私の信家2枚も持参し、それとも比較しながら拝見。
その時、感じたのは、信家鐔の多様性である。形は木瓜形が多いが、少しずつ変化させている。また、そこにおける文様も、様々と言い切るには大げさかもしれないが変化がある。厚さも厚いものから、非常に薄いものまである。また大きさも大きいものから少し小振りなもの、小鐔もあるということで多様である。鉄色は信家自身が意識して変化させたのではなく、使った鉄の材質、400年の間の保存状態なども大きいと思うが、これまた一枚ずつ微妙に違う感じである。
ただし、全体では信家らしいものである。信家は「放れ銘」と「太字銘」以外にも「三信家」も含めて数名いたのではないかとも言われているが、この時の印象は「信家は、製作にあたって、1枚ずつ独自性をだすべく創作をした」というものである。
銘を切ったこともあるが、作家魂を持った芸術家だったのだと、改めて思う。もちろん、芸術性も高いものだ。(10月19日)

ここまで書いて、その後、次のようなことを思い出した。それは秋山久作のエピソードで40余枚の信家を大半手放したが、この中から1、2枚返してもらうと仮定した時に、すぐに「これを」と言えるものが思い浮かばないというものだ。もう一つ、旧幕時代に、土佐藩の鐔目利きの中西竹五郎が、鍛冶橋で通行人(実は中村覚太夫)の差料の信家を見て、これを藩公に話し、覚太夫から所望して来いと命じられる。76枚の信家を見せられ、選ぶに選べず、結局は見かけた時の差料の信家を選び、同藩の者から、「中西も口ほどにない」と言われたエピソードである。これについては秋山久作は、今になれば、中西の気持ちもわかると述懐されている。(以上は伊藤満「信家鐔」刀和所載論文より抜粋)

伊藤満氏も「人にはそれぞれ好みがあり、大きさ、保存状態、毛彫りの図や文句、地鉄の様子などでベスト1を選ぶことは、できるはずであるが、それが必ずしも客観的なベストであるかどうかは、確かに難しい所である」と結んでいる。

確かに1枚1枚を作家魂を持って独自性を出して製作したものであり、それぞれに見所があるのだ。これが信家の良さなのだ。(11月19日)

おかしな重要刀装の古甲冑師鐔(09年7月6日)

去年の年末、斯界では高名な方とお会いした時、「アラモノ(新作)の古甲冑師鐔が重要に指定されて400万円で売ってました」と怒っておられたことがあったのですが、私自身は見なかったので、その時は聞き流していた。その方は重要刀装具の審査に対して疑義を唱えられ、協会に対して怒っておられたというわけだ。

先日、ある刀屋さんの店頭に、重要刀装具に指定されている古甲冑師鐔が360万円で販売されていた。「これのことか」と思った。この錆色は黒くテカって不自然である。刀屋さん自体が「最近、錆び付けし直したんです」と私に言ったから、そうなのであろう。重要刀装に指定された時は、こんな状態ではなかったものと信じたい。
錆びを付け直したと言われると、アラモノかどうかも判断しにくいが、いずれにしても、重要刀装具の価値のないものである。中には重要だったら良いと言う人がいるようだから、とやかく言うこともないのだが、変な時代だ。

津尋甫の図柄(09年2月3日)

日刀保東京支部(今は会員をやめているからビジターで出席)の09年新年鑑賞会で、津尋甫の小柄、縁頭などを拝見。木賊の図の小柄などは、長常の写実とは別の個性の写実で生き生きとした名品だ。1721年生まれで42歳の生涯であった。長常も調べると1721年生まれである。写実は時代の然(しか)らしめるところだったのかもしれない。
今回の展示は木賊の図が小柄と縁頭の2点、柏樹に烏の縁頭が2点、中国将棋の駒という不思議な図の縁頭、猿の日吉使いを縦図に彫った小柄と鯉が藻にくるまれた小柄などである。
一般的でない図である。柏樹に烏と言っても、色金を使っていなくて赤銅一色だから闇夜の烏みたいであり、世間が喜ぶ彫りではない。諸書で調べると他に水辺に白鷺の図や秋草に虫の図、鰻の図、百合の図などがあるが、概して一般受けのしない図柄を彫っている。長常も名作は蛙、筍、蝸牛などにあるので、写実に進むと、このような図になるのかもしれないが、長常は目の前に置いて写生できたような題材である。この点、尋甫は写生をしたような図とも違って異質である。
絵に「売り絵」と言って識者がバカにするものがある。自分の芸術的な思いと言うか自分の感性や興味を突き詰めて描いたものでなく、お客に売ることを優先して描いた絵である。「バラに名品無し」という言葉もある。津尋甫は、お客が喜びそうな図を彫らずに、自分の彫りたいものを彫った芸術家的な金工とも言える。芸術は独創だ。
ただ名人はお客が喜びそうな図柄を彫っても唸らすところはある。では、このような図を彫りたかった津尋甫の作品に籠めた思いは何だったのであろうか。単に偏屈な男だったのだろうか。
自分が津尋甫の作品を持っていれば感じてくるのかもしらないが、ちょっと拝見しただけではわからない。拝見して感じる時があれば、また記したい。

古刀匠鐔について(09年1月16日)

古刀匠鐔の古雅な味わいを好む人も多い。数万円で安く買う分には問題はないが、高い価格のものは怖いと思う。
先日、拝見したものは、無櫃で無透かし、もちろん無紋の板鐔だったが、いい鉄色で所々朽ちこみもあり、それなりのものと見える。
ただ、次のような点で疑念も残る。

  1. 少し厚い感じがする。古刀匠は古甲冑師より厚めというからいいのかもしれないが。
  2. 地鉄が良すぎる感じがする。時に見る古刀匠はもっと朽ちこんでいる。(状態がいいから貴重と言われたらそれまでだが)
  3. 特に無櫃だけに、もっと朽ちこんでいるのが自然ではなかろうか。
  4. 透かしもない、ただの丸い板鐔だから、作品の美術性などはそもそも見るものではなく、時代の古さだけが価値なのであろうが、作は下手(げて)である。

こんな下手の鐔、江戸時代を経る中で、誰も拵に使わなかったのではなかろうか。そうであれば、もう少し朽ちこんで残っているのが自然と思う。鉄は酸化が早く、鉄色も判断しにくい。知人の現代刀匠が「作ったことがあるが、あまりに昔の鐔とわからなくなったから、今は作っていない」と述べていたのを覚えている。朽ちこみが少ないのは最近の手入れで良くなったとの反論はあると思うが。

「無櫃=うぶい」との信仰があるせいか、価格は高くなる。ご自分の目に自信がある人は手を出すのもいいと思うが、江戸期の刀匠が造り、在銘の鉄鐔は、鉄味は良いが、価格は10万円もしない。価値(価格)は冷静に判断して欲しい。

和田一真(08年1月1日)

07年の暮れに京都との清水三年坂美術館に出向く。三年坂に面していて、美術館の前面は、三年坂にある他のお店と違和感がないような美術館にちなむ小物を販売している。美術館はどこも経営が大変だが、この方法は一つの工夫だと思う。
所蔵品として展観してある刀装具はきらびやかなものが多いが、今回は和田一真政龍の作品に心惹かれた。
一真は後藤一乗の弟子となって政龍から一真になり、一乗一派として、くくられているが、ただの職人ではない気品を感じる。「金工事典」によると、但馬の郷士の息子で、後藤家の下職の藤木久兵衛の門に学んだとある。巷説によると医学の心得があって医者を開業していたとの説もあるようだ。そして和歌と月琴を好み、神道を信仰したとも解説されている。今井永武とは藤木家での同門とのことである。
こういう経歴のためか、何となく一介の職人ではないような気品があるのだろう。今井永武にも、同様の品の良さも感じる。この2人は一乗一派とは別の派として取り上げた方がいいのではと思っている。
なお「緑青34幕末・明治の鐔・刀装金工」に、この美術館に所蔵されている4点が掲載されているが、非常に良いものである。

西垣の縁

先日、紹介した二王清貞に付属の網屋拵。
そこに西垣勘四郎の作と思われる縁が付いています。
鉄地で、真鍮でキノコを2つほど小さく象嵌してある地味なものです。
でも、いいですね。全体の形のふくらみもいいし、ワンポイントの図柄
が何とも言えずに情緒を醸し出すものでした。
他の金工が制作する縁頭と違って、拵についている方がよく見えるのかなとも感じました。
変に主張しないし、かと言って存在感が十分にあるという感じです。

古来から西垣の縁として、好事家が高く評価するだけのことはあると認識しました。先人が評価しているものは、やはりどこかにいいものがありますね。
これまで、肥後の縁頭については、無銘であり、作風も前述したように地味であり、「味があるね」程度の印象で真剣に観てこなかったのですが、反省いたしました。自分で肥後拵を作ろうという気にならないと買えないというのが正直なところでした。

肥後の縁には、勘四郎だけでなく、志水にも平田にもありますが、伊藤満氏の『西垣』、『平田・志水』で勉強し直しました。

「高山一之 刀装の美」展を見て

高島屋で刀装の高山氏の近作を展示して即売する会が開催された。同時に国際刀装具会の特別展示会も開催された。
会場で高山氏からいくつかお話を伺ったが、次のような点が記憶に残っている。

  1. 化学物質はどれだけ持つか証明されていない。漆などは1000年以上持つことが実証されている。
  2. 昔は紺に皮を染めて、柄巻きに巻いたことがあるが、年月を経るに従い、紺がどんどん明るくなって困ったことがある。
  3. 柳鮫は一時病気の鮫と言われたことがあるが、これは一つの品種である。
  4. 鞘に今の日本の漆芸の第一人者に蒔絵を依頼したが、その人は「刀関係の技術は凄いですね。これだけの下地で仕事をしたことはありません」と述べられていた。
  5. 価格は高いけど、高島屋の関係者は他の漆芸を見ているから何も驚かない。

天正拵、桃山期の拵、肥後拵の写しが中心であり、やはり拵の美はこれら拵にあるのかなと最認識しました。

「工芸の世紀」展を見て

畏友のH氏が、東京芸大美術館で開催している「工芸の世紀」展は見応えがあるからと勧めてくれたので、本日出向いた。次のような感想を持ちました。

勘四郎の色金鐔

有名なコレクターから、信家や又七などの名品を見せていただきました。皆、良いものでしたが、その中で西垣勘四郎の色金鐔は感動しました。

尚友会図録に掲載されており、そこでは2代勘四郎とありますが、ご本人は初代と断言されてます。どちらにしても名工。

真鍮というより少し銅が強いような赤みも感じる地金に、少し燻されたような感じの銀で、唐草紋が高彫りしているのだと思いますが、真鍮地に銀で象眼したものを薬品か何かで真鍮を溶かして、銀部分を浮かび上がらせたような地です。切羽台のところは真鍮が変化して金砂子象眼のように見えました。

肥後にある少し小さめの鐔で切羽台、縁が低くなっている肉置きです。

南蛮文化というか西洋文化を感じるところがあります。渋いけれど華があります。頭が下がります。

(注)週末に少し肥後金工大鑑で勉強しました。勘四郎の象眼について次のように記されておりました。

「「其の法は平田にもあらず、春日とは又大いに異なる。第一張金は稍肉ふくれがちにて、且つ浮き出てたるこころあり、又葉先、ならびに蔓において見所あるべし」とあるように上手ながら、ただこせついてうるさく、簡素の実に乏しい。しかも、その象嵌が、やや高く盛り上がっている点など見どころであるが、それだけ卑しい感がある。又線がやや太く田臭をまぬがれない。」(『肥後金工大鑑』より「」内は肥後金工録よりの引用)

”浮き出たるこころ”は、私が上記したのと同じ感覚です。ただ私は「卑しい感」「線がやや太く田臭をまぬがれない」という感想は持ちません。本当に「西洋文化を感じさせるようで、かつ渋くて華があり、品もある」と思います。

なお肥後の象眼には、次のような多種類があるのを改めて知りました。「消込み象嵌」、「彫込み象眼」「摺りつけ(摺り込み)象嵌」「布目象嵌」「散紙象嵌」「ほつれ(虫食い)象嵌)」「スリはぎ象嵌」「枯木象嵌」「葛菱象眼」「渦巻象眼」「金唐草象嵌」(二重唐草もある)「据物象嵌」

技法からの言葉と模様からの言葉がありますが、こういうのも名品を見ながら一つずつ確認しないとわからないです。

ちなみに、私が拝見して記した「少し燻されたような感じの銀で、唐草紋が高彫りしているのだと思いますが、真鍮地に銀で象眼したものを薬品か何かで真鍮を溶かして、銀部分を浮かび上がらせたような地」とは、「銀の彫り込み象眼」なのでしょう。他で見慣れている象眼とは違った印象を持ちます。(お持ち主からお電話で、これは布目象眼であるとご指摘を受けました。12/17追記)

また切羽台の「真鍮が変化して金砂子象眼のように」と記したのは、「摺りつけ(摺り込み)象嵌」なのかもしれません。(同じくお持ち主から、これは真鍮を梅酢で煮て加工したものでアンチモニーが出ているのだと教えてもらいました。明寿にもあるそうです。12/17追記)

なおこの鍔は細川家の分家に伝わったものというように持ち主の方はお話されていました。(12/10追記)

下手な泥波で、西垣と極められているのがありますが、まったく違いますね。

昔、私は真鍮地に細かい丸を一面に打った十字木瓜の鐔を持っていたことがあります。それをある刀屋さんで処分したのですが、その時に「色金はふけるんです」と刀屋さんが言っていました。そしたら何年か前の大刀剣市で、別の刀屋さんで、それが彦三で売られているのを見つけました。価格は私が処分したのの4倍くらいの35万円でした。

肥後の、しかも色金鐔の良いものを観る機会は少ないですが、本歌の名品は全然違いますね。

廉乗の蝋燭目貫(2001年4月9日)

昆寛、如竹、尋甫(2000年7月25日)

尚友会の2000年7月は「昆寛、如竹、尋甫」であり、出向く。
如竹は大胆なデザインの据紋などが有名だが、私は、如竹の良さの一つは平象嵌がうまいことにあると思う。普通作とは別に、良い出来のものがあるので、工房的な作も多いと想像している。三国志の主人公を頭に大きく据紋した縁頭などは、各種色金の使い方、象嵌の線、絵としての描写力など凄いと思う。

尋甫が彫る構図は独特である。木の枝などが無理に曲げられているように見える。猿の姿態も変な構図である。
彫り口が写真のピントがピッタリ合っているようなシャープであることを高く評価されているが、確かに長い線の彫り(高彫りにしても、毛彫りにしても)が綺麗に感じる。しかし正直に言って、私にはまだ尋甫の良さがわからない。昔から騒がれているだけに、世の中には、驚くような作品があるのでしょう。
あるいは持ってみると、その良さがわかるのかなとも感じました。

昆寛はうまいと思う。好きな作者である。昆寛も先人によって、色々に評されているが、私は、昆寛は何を彫っても、優しい感じを受ける。
また簑、藁屋根などの彫りも質感を持って綺麗である。松はその木肌を猫掻き風のたがねと力強い三角タガネで彫っている。 人物にしても表情に感情まで彫れる人は少ない。

名品入手−後藤の獅子の目貫−(2000年5月1日)

皆様も喜んで下さい。品物が出ない、出ないと言っていましたが、グラッと来た名品に出会い、これもご縁と思って、思い切って購入しました。
後藤の獅子の金無垢目貫です。重要刀装具に指定されているので高かったです。もちろん刀屋さんから購入したのですが、現時点では特定できるように書かないほうが良いかなと判断しています。

いつか写真をアップしたいのですが、同じような獅子をこれまでも観てきましたが、二格程度上手(じょうて)です。言葉では限界がありますが、少し具体的に表現してみます。

今まで見た後藤の獅子と違って、迫力があります。獅子が生き生きとしています。楽しそうに群れている感じです。山谷もキチンとしてメリハリがあります。
眼に力があり、腕、脚の筋肉に躍動感があります。鼻孔にも力があり、呼吸をしている感じです。
口も、たくましく、何でも喰いそうな口をしています。
眉、巻き毛も、線を入れているというような感じではなく、キチンと彫っているという感じです。
金性も、白っぽくなく、かと言ってそれほど黄色っぽくもなく、いかにも黄金という輝きです。
裏も良く、陰陽根です。見事に叩き出しています。

後藤の獅子の掟を、本を読みながら、一方で品物を観て、毎日、勉強しています。代別の違いなどは、比較するものがないから、明確には頭に入りません。詳しい方に教わろうと思います。

こうして勉強させてくれる品物はありがたいです。加えて眼福です。
名品は品物自身が、観る者の眼を進ませてくれる感じがします。

東京支部2000年1月例会−祐乗の龍の目貫−(2000年1月24日)

22日に東京支部の会と、尚友会がかちあい、最後までどちらに行くか迷ったが、結局は東京支部にでかける。

小道具では、代千貫の祐乗の龍の目貫は抜群であり、生きているようである。
祐乗の三番叟の目貫、栄乗自身銘の面箱の小柄も感動もので、目貫は舞っています。
他も名品ばかりで、眼福でした。福士先生のご所蔵品だと思うが、貴重なお品を見せていただけ、本当に感謝してます。

鑑定会があったので、ほとんどの人が鑑定刀に並び、小道具を見る人が少なく、こんな名品なのにと寂しく思う。小道具好きな人は尚友会に行ったのでしょう。

99年10月に見た小道具−肥後、一真−政廬−(99年10月29日)
肥後鐔の林重光の投げ桐の図、上手(じょうて)のものだが、林は端正な図柄の方が好みである。
和田政龍(一真)の朧銀磨地に紅葉を高彫した小柄。うまいです。いかにも一乗風です。
水戸の玉川美久の羅生門の図の鉄肉彫り透鐔、刀装小道具講座にも所載の名品です。良いものです。少し小さいのことをケチつけることができますが、あとは値段との相談です。
岩間政廬の鳩車玩具の目貫。可愛いものです。

99年8月に見た刀装具−染谷知信−(99年8月25日)
染谷知信の山水図の鉄鍔を見る。一見すると長州だが、鉄が長州と違ってねっとりしている。細かく見ると、彫りが細かい。真鍮地であったら欲しい。

99年6月に見た刀装具−夏雄−(99年7月3日)
夏雄のたばこ金具が売りに出る。片切り彫で松竹梅がそれぞれ彫ってある。巧いと思う。
夏雄だから高いのはわかるが、たばこ金具にそこまで出していいのかわからない。もっともたばこ金具を収集している人にとっては刀装具などにどうしてあれだけ出せるのかと言うことであろう。

この他、有名工の小道具が出る。その中にある名工の縁頭があった。昔の特別貴重がついており、ある雑誌の名品紹介にも出て、作風も一見それ風であるが、銘が小ずんでいる感じがした。
今でも真偽はわからないが「買っておこう」程度の気持ちで買うと、これまではいつも後悔してきたので見合わせる。

東龍斎清寿一派の本歌と写しの比較考察(99年5月31日、6月21日に写真追加、差し替え)
東龍斎清寿一派の同種の透かし鐔の写真が入手できた。地金の良さなどは写真では比較できないが、透かしと形等で比較して鑑賞した。審美眼を高めるのが大切であるが、基準となる品物を入手して比較していくと眼を高めることができる。品物に飽きたら、自分の眼が勝ったことでもある。因果な趣味である。

99年5月尚友会にて−信家、尾張、金山−(99年5月24日)
先週の土曜日に尚友会があり、久しぶりに出かける。信家、尾張、金山の名鐔が展示される。
信家は放れ銘よりも太字銘のが多く出品されていた。刀装具美術館に納められている笹野先生のコレクションが中心である。
信家の造形について橋本会長がスライドを使って講演されていたが、スキャナーでとってデジタル化して、より定量的に分析すると面白いと感じた。

99年2月に見た小道具−平田七宝と粟穂−(99年3月1日)
どういうご縁か、平田春就の大小縁頭(七宝)、平田就亮の小柄(七宝)、平田就将の三所物(高彫色絵)と立て続けに拝見した。
三所物は伊勢長島候の注文品で、自藩の特産品の白魚の図を注文したもので健全な名品である。
春就の七宝は良い出来であったが、模様・デザインであり、私自身は欲しいとは思わない。しかし七宝は昔から値段が高いので、根強い愛好家はいるのであろう。

荒木東明の粟穂の鍔を見た後に、後藤一乗の粟穂の二所を拝見。
一乗の粟穂は、全体に同じ調子で粒々を彫っている。東明はまとまりごとの粟穂の集まりで表現している。粟穂は東明の方がうまいと思う。
ただ一乗は粟穂を実らせた葉が枯れかかっているのを強く表現して、隆盛と衰退を対比させているが、東明は粟穂のみに集中して、これほどまでに葉を枯らして表現はしていない。

程乗光昌の虎豹三所物(99年1月22日)
12月、1月と展示即売会がいくつかあったが、ある刀屋さんで観た光昌の自身銘の二所に、同作と思われる目貫がついた合口拵が心に残っている。拵は古いものではないが、昔は埋忠明寿の重要美術品が入っていたそうである。
もちろん目貫は金無垢で他は赤銅魚子地の金紋であるが、目貫の出来は抜群である。
そして虎豹(豹は昔は虎の雌と考えられていた)の姿態は「のびやかに見える」ものである。父の顕乗は「詰まりて見える」とされており、おもしろいと感じた。
私は程乗自身銘の雪持ち竹に雀の小柄を所有しているが、それはよくいわれている「穏やかに丁寧」という感じがするが、この三所は光昌銘で若い時代の作なのかもしれないが躍動感も感じられる。(覇気横溢という感じではなく、穏やかさも感じられる)
まだ重要刀装具にはなっていないが、600万円を超える価格である。頭の下がる名品である。

母の死と信家鐔(98年12月28日)

98年9月に見た刀装具−後藤光孝、光代−(98年10月5日)
後藤光孝在銘の鐔。赤銅魚子金覆輪、扇(末広がり)図。昔の有名なコレクターのもので、本所載。小振り縦長で厚みがある。彫りは後藤らしく太いたがねを使っており、さすがに存在感のあるもの。同じ刀屋さんに高瀬栄寿の同図の赤銅魚子の鍔があったが、高瀬栄寿もそれなりに上手な作者であるが、位が二格程度違う感じである。値段もそれなりに高い。後藤は後代でも上手なものがある。後藤は人物、竜、獅子などの値段が高いが、私は後藤の器物の図も高く評価している。
後藤光代在銘の目貫。赤銅で二匹獅子。質の良い赤銅で、締まった獅子で、それだけだと時代を上げて見たいが、獅子の姿態には掟を外れた近代的な感じが見える。なるほど一乗と思われる作。もちろん百万円は越えているが当然であろう。

鉄鐔の鑑定(98年9月2日)
偽物と言えば、甲冑師鐔、刀匠鐔にも今出来の偽物が多いようである。知り合いの現代刀匠の方と話したおりに、「私も鉄鐔を造ったのですが、見た目では変わらないようなものが出来ましたよ。ただ変な噂を立てられると困るので最近はやっていません」とお話されていた。現代刀匠がこのように言うほどであり、鑑定は難しいのであろう。私は見たことがないが、新モノと思われる甲冑師鐔が特別保存がついて60万円程度で売られていたのがあると刀友が述べていた。
私も昔は鉄鐔を集めたが、はっきり言って鉄鐔は難しい。何枚も並べて同じ条件で比較すると、いいもの、悪いものがわかるが、一枚だけを刀屋さんの店頭で不十分な照明のもとで見て理解するのは年月がかかる。青山氏から鉄鐔蒐集で高名な某先生でも、必ず太陽の下で確認していたとの話を聞いたことがある。
鉄鐔の甲冑師鐔、刀匠鐔、尾張鐔、京透鐔などの良いモノはあるようでないのが実態である。肥後鐔も良いものは少ない。肥後の又七の鉄味を羊羹色と称されるが象嵌の無い又七には本当に羊羹でも極上の虎屋の羊羹のようなものがある。肥後もどきは多いが、本筋モノはほとんどない。
鉄鐔の勉強方法であるが、笹野先生が集められた鉄鐔が日本刀装具美術館に納められているが、刀と同様に手に取って色々な光りのもとで何度も観ないとわからない。まず比較の尺度となる鉄鐔を購入されることをお勧めする。赤坂鐔にはまだ良いものが出回っている。そして、それよりも鉄味が良いものを買って、基準値を上げていくしかないでのはなかろうか。
ちなみに私が現在手元に残しているのは古甲冑師一枚と後は肥後鐔である。やはり肥後がいいと思うが、尾張、金山には残念ながらご縁がなかった私の意見であり、また未だに鉄鐔はわからないと言っている人間の意見であり参考程度にしていただきたい。

刀装小道具の品不足(98年8月5日)
最近、小道具の良いものが少なくなった。私の友人も刀屋さんも口を揃えて述べられており、私だけの印象ではないようだ。私も青山氏が亡くなり、菅原氏も病気され、小道具を見せてくれる人が少なくなり、寂しい思いをしている。某刀屋さんは海外にもよく出かけられる方であるが、同じことを述べられていた。小道具もさることながら拵も品不足で、海外の方が評価が高いのではともお話されていた。最近は日刀保も拵を多く重要刀装具に指定する方向のようであり、これは保存の為にも望ましい。
なお「青山谷男氏を偲ぶ会」も関係者が集まり、彼の逸話、悪口も飛び交いながら無事終了しました。

98年7月に観た刀装具−大振りのもの−(98年8月5日)
尚友会で、薩摩小田の鐔(無銘)、長州中井善助の鐔などを観る。普段より大振りであり、昔、某氏が「小道具は常より大振りのものに良いものがある」とおっしゃっていたことを思い出す。先人がふと漏らされる言葉には勉強になるものがある。


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