後藤通乗「波泳ぎ龍」小柄
後藤通乗光寿の「波泳ぎ龍」小柄である。通乗は後藤家十一代で廉乗の養子である。後藤家の定番は龍と獅子の彫りであるが、私が所持している後藤の龍は、この通乗の作品だけである。
1.作品の解説
ご覧のように派手な作品である。波を銀の高彫りに毛彫りを施し、そこに金の龍を埋め込んでいる作品である。地は赤銅魚子地で縁から裏は金哺金である。
こういう作品は値段が高いのである。この小柄も、もちろん高かった。
通乗は宗家の養子になって、非常にまじめに勤めたと伝えられている。
「平生の行儀も正しく毎朝食事前に鏨をとって青海波を彫り、その後に食事をしたと古書に記されているほど、堅実な性格の持主であった。」(『刀装小道具講座2後藤家編』より)
毎日、彫ったと言われている波が、この小柄には彫られている。力強い波濤である。波しぶきも生きている。
私は波泳ぎ龍の故事は知らないので、この小柄の図からの解釈だが、この龍は玉を握って嬉しそうに泳いでいる。この龍は玉をとって、のんびりと泳いでいるのではない。「玉を取ったぞ」と嬉しそうに泳ぎ戻ろうとしているようだ。その龍の早さを、青海波の通乗は、波の抵抗感を、うねり、波頭の崩れ、波しぶきなどをうまく使いながら、表現している。
日の光を浴びて光っている波の部分と、陰になっている波の部分が区別できるような彫りである。波濤の肉置きが良い為とも考えられる。
通乗は貞享2年(1685)に宗家の家督を継いでいる。これより前の寛文、延宝の時代に、大坂新刀の巨匠津田越前守助広は濤瀾を刃紋において表現して絶賛を博している。通乗はこれを意識したのではなかろうか。一方では大宗aが後藤家を脅かしている時代であり、通乗は波濤で時代の波を乗り切ろうとしたのかもしれない。
次ぎに龍の彫りに移ろう。この龍はどうであろう。拡大した写真をお見せする。
波も勢いがあるが、龍も勢いがある。生気あふれる龍である。ちょっと、この写真ではわかりにくいが、この龍の顔は威厳があるというより、朗らかな顔である。喜んでいる顔である。
ここに時代の差を感じる。もちろん、通乗の龍の顔は常に、このような顔ではない。この図は玉を獲たことに焦点が当たっているから、このような表情になるのである。威厳以上に喜びが大きいのである。
ただ龍全体の姿態は、もう少しうまく彫って欲しい。この龍の姿態には、胴体だけでなく、手足部分があるから、誤解を招くといけないから、皆様は尻尾と、波を隔てたその前の胴体を見ていただきたい。
つながりに不自然さが残り、遠近感にも違和感を感じるのではなかろうか。
この波泳ぎ龍の図には狩野派の画家の下絵があるのかもしれない。2章で説明するように、後藤家伝来の「波泳ぎ龍」にはない図柄なのである。
なお、同じように下部に波を彫り、その上に釣りをしている恵比寿を様々な色金で彫った小柄(津軽家伝来、重要刀装具)には、狩野常信下絵と切ってある。
龍の姿態については、きつい評になっているが、それは部分の話である。通乗の良さは、このように「動き」がある図で発揮される。この図は「波に龍」ではないのである。あくまでも「波泳ぎ龍」なのである。
2.通乗の創意工夫
以前の後藤家の波泳ぎ龍は、波地の彫りの上に、龍を据えたようなものが多い。ここで図を紹介できればいいのであるが、今回は図録にある龍を紹介する。ご自分で確認してほしい。
たとえば『後藤家十七代の刀装具』には、次の図が掲載されている。
『刀装金工 後藤家十七代』には次の作品が掲載されている。
以上に紹介した作品は、いずれも非常な名品である。ただ、通乗以前の波泳ぎ龍は、泳いでいるわけでなく、波文を魚子地に変えただけのものが多かったことを示している。
ここに通乗の価値がある。通乗は、後藤の彫りに、より写生の意を加えた当主なのである。それ故に先人は「祐・光・通」とも称えたのである。
通乗は軽やかである。でも、それは時代に要請でもある。私個人は、通乗よりは廉乗、廉乗よりは程乗、顕乗、さらに徳乗だと思うが、時代の流れを取り入れて、作風に新味を加えた通乗光寿は、それなりに評価したい。
3.通乗の銘
この小柄の銘は以下の通りである。こういう光のあて方で撮るのがいいかよくわからない。写真は後に入れ替えることも考えている。
この銘で、見てほしいのは、光寿の花押が、略体花押ではなく、本花押である点である。通乗の略体花押と本花押の件は以前にもふれたことがある。参考にしてほしい。
津軽家伝来の刀装小道具が、市場に出て、後に、それらを集めた展覧会が催され、その結果が尚友会図録「刀装具優品図譜−第十六集」としてまとめられた。
津軽家の刀装小道具は、廉乗、通乗の時代に集められたもので、そこには廉乗、通乗の名品が20点近く存在している。重要刀装具に指定されているものもある。(前述した恵比寿図小柄もそうである)
この中の通乗の作品で銘があるものは、確か、全て本花押だったと記憶している。(無銘や、変わった長銘も存在する)
通乗の略体花押にも名品がある。だから名品は本花押であるというようなことは言わないが、大名家からの注文品で、銘を切って納めた作品は本花押を切ったという仮説は成り立つと思われる(無銘で納めたのもあると思う)。伝来のはっきりした他の事例が集まれば、この仮説は立証されてくるはずである。
また真ん中に切ってある点もおもしろい。通常は小柄の銘は下方の右に寄る。そして、もう少し小さい。この点からも、この波泳ぎ龍小柄は、特別な注文で作成したものと考えられる。
もっとも、この銘の上記点をとらえて、この銘が偽銘であるのではと述べた人もいたそうである。何をかいわんや。
★龍の作品を見れば、額の八文字がどうだとか、蛇腹の筋はどうだとかをルーペで一生懸命見ている人もいる。いつまでも鑑定にこだわっているのであろうか。こういうのは鑑定家、刀屋さんに任せておけばいいではないか。
もっと鑑賞を楽しみましょう。刀装具の鑑賞・鑑定ノートに記したが、「工芸の世紀」展を見ると、桃山、江戸の刀装具の水準の高さが現代とは雲泥の差であることを痛感する。すばらしい作品が残っているのである。