神吉深信「投げ桐透かし」鐔


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肥後の神吉深信在銘の透かし鐔である。鐔そのものの形、毛彫りなどがましな写真に差し替えました。(04/5/15)

1.肥後鐔の尺度

ご覧のように、この鐔は非常に健全で、鉄味は真っ黒に光っている。この鉄を見ると、みんな感心する。「凄いですね」、「きれいですね。鉄とは思えないですね」、「黒光りしていますね」と。

図柄もいい。肥後伝統の図柄の「投げ桐」であり、デザイン的にも優れている。

しかも貴重な在銘品である。そういうことから、この手の鐔の価格は高い。何年か前の大刀剣市で、この鐔より出来が劣るが、深信在銘の透かし鐔が百万円を超える価格で売りに出されていた。

私は、この「所蔵品の鑑賞」の中で、時々、鉄鐔は難しい。鉄味を確認する為に、自分なりの尺度となる品を持ち、それと比較することが大切と述べているが、この深信は、まさに私の肥後の一つの尺度(スケール)であった。

肥後の上位の鐔、少なくとも深信より位は上とされている林又七、二代重光、三代藤八の林派や、西垣初・二代勘四郎は、この鉄味よりももっと味わい深くないといけないと思って、この深信を保持してきた。

でも、無いですね。本当に良い肥後鐔は。お金を出せば、自然に出てくるのかもしれませんが、なかなか、これより良い林、西垣は見つからない。情けない話です。

なお、スケールになる鐔として、以前、私は無銘の赤坂鐔の小鐔を持っていたことがある。笹の葉透かしであった。

この鐔は、小さいこと、無銘なことから、安いものであったが、これから鉄鐔を収集していこうという知人に譲った。赤坂上三代の鉄味とは違うが、4代忠時以下、忠重なども含めて、後代の赤坂鐔を見極める時の良い尺度になるはずである。

何度も言うが、鉄鐔収集は、ご自分の尺度となる鐔、それも本筋のものを所持して、比較しながら観て、集めていかれるのが良いと思う。(04/05/15)

2.作品の説明

デザイン的に優れた「投げ桐」を丁寧に透かしている。それだけではなく、鐔の周囲の内側を波型に装飾して透かしている。少しうるさく感じられる。

深信らしく、切羽台は大きく、肩の張った小判型である。これが深信の切羽台の形である。

そして、銘はこのように堂々と切っている。しかし、深信の切羽台中心穴の上下の隠し鏨は、広げられて削り取られ、そこに素銅を詰められていて、わからなくなっている。なお、この神吉派の隠し鏨は、真似しやすいものであり、偽物にご注意して下さい。

透かしは垂直に透かしているが、幽かに面取りしている。このように、細かい点で丁寧に作っている。また櫃穴などは垂直に彫り抜いただけではなく、面を取って、カーブをつけている。こういう点が上手(じょうて)の作であることを示している。

この鐔に限らず、深信は、地の肉置きが平面的でおもしろくない。この鐔も、肉置きに変化がなく、その点はもの足りない。破綻なく作った鐔である。真面目な鐔職人、神吉深信の個性が出ていると感じる。

この作品に接した時の「驚き」は「健全さ」と「黒光する鉄味」にある。「黒光する鉄味」については、見慣れてくると、「綺麗だけど味がないよな」という感じになる。
肥後の羊羹色の鉄味は有名だけど、この深信の黒光羊羹は、もう少し古いところの本当に良い又七などとはちょっと違うと感じる。

でも伝統の技を林家から受け継いだ神吉家の2代目の頭領として、林派の鉄味を真面目に再現した点は評価したい。
そうだ、鉄味における林上位との差は、鉄の錆び付け技術ではなく、肉置きの違いなんだ。
このようなペタッとした磨き地の表面に、林家から受け継いだ錆び付け技術を施すと、このようになってしまうのではなかろうか。

次の楽寿には、これほど真っ黒な鉄味は見たことがない。楽寿の鉄はもう少し焦げ茶色が入るという印象がある。(あるのかもしれませんが、私は見たことがないです)

肉置きだけでなく、鉄そのものがより固く、稠密なのかもしれません。

深信は錆付け技術だけは林上代にも劣らないのではなかろうか。ただ肉置き、あるいは鉄素材の違いから今一つ芸術的感興を催さないのではなかろうか。

(注1)昔、入記内の透かし鐔を所有していたことがあった。桐一葉を名人記内らしく、シャープに透かした小鐔でしたが、これもウブな錆付け薬が残っていたような健全な真っ黒な錆味であった。でも入記内の真っ黒に光った錆は、”塗ったような印象(もちろん塗った錆ではないのですが)”が強く、深信の錆の方が深く、質がいいような気がしますが、言葉だけの印象論で失礼します。

(注2)なお深信には、他の肥後鐔と同様に、象眼が入った鐔の作風もある。これはまた鉄味が違う。

3.西垣勘四郎写しによるミスマッチ

この説明をアップしてから考えた。この鐔は深信の西垣勘四郎写しなのだと。

勘四郎の良さは「風雅」「雅趣」であり、「あたたかみ」「ゆとりがある」と、笹野大行著『透鐔−武士道の美』に書かれている。一方、林又七は「謹直」「厳しい」「すみずみまで神経を使っている」「君子」と評している。私もこの見解に賛成である。

深信は林派の伝統を受け継ぎ、前章で書いたように、深信自身も真面目である。『透鐔−武士道の美』においても次のように評している。
「深信のものは、いささかの誇張も、はったりもなく、誠実そのもので、実に品格が優れている。このおだやかな作風のため、楽寿の名声に押されて、深信の実力は過小評価されているように思う。」

すなわち西垣勘四郎写しを作るのに合わない体質を持っているのだ。

だから、何となく堅苦しいうるささが出たり、味が今一つでないところがあるのではなかろうか。自分の技、個性に合わない作品を作ったことのミスマッチである。林派の、左右対称のような謹直な図柄を作成すると、印象は違うのではなかろうか。もっとも、そのような図柄で作成すると、林上代との差が、もっと明確に出てしまうのかもしれない。

このような意味で、真面目な鐔職人深信は悩んだのではなかろうか。

なお、ただ深信は晩年(銘を切るようになってから)は勘四郎写しを好んだようで『透鐔−武士道の美』に次の鐔が掲載されている。(04/5/15追記)

『透鐔−武士道の美』 筆者所蔵品

5.深信の位

深信の磨地の透かし鐔の作風の中では、この鐔は最右翼のものである。だけど芸術的な視点で見ると、印象が”真面目”だとどうしても面白みに欠けてくる。

笹野大行氏は前述したように高く評価しているが、それはあくまで楽寿に比較しての低評価に対しての反論だと思う。楽寿の高評価は、『肥後金工録』を著した長屋重名が、肥後金工の知識を得るにあたって教わった楽寿を持ち上げ過ぎているのだと思う。

だから、『肥後金工録』に書かれているほどの差はないと思う。ただ楽寿と深信の比較だと、やはり楽寿の方が又七に近いと感じる。(04/5/15追記)

6.指導者の差か?

深信の位が、もう一つ上がらない理由を、さらに考えてみた。

それは、深信は、指導者に適切な人を得なかったためではなかろうか。

このHP上の「刀装具の鑑賞・鑑定ノート」における「「工芸の世紀」展を見て」で私は次のような感想を書いている。

また最近、面白かった論文として「刀装具の研究ノート」で大阪歴史博物館学芸員の内藤直子氏の論文「光悦村の金工−「光悦町古図」を紹介したが、そこにおいて、埋忠明寿が、稀代の美術プロデューサー本阿弥光悦と関連があるらしいことを指摘されている。

現代刀においても、ある研師さんが手がけるようになって、一格上がった作風に脱皮した人を知っている。

楽寿は明治維新に出会っている。身分制度のくびきから離れて、肥後金工録の著者、長屋重名とも親交を結んでいる。長屋重名を通して、刀装具鑑賞界の重鎮とも知り合い、意見をもらっている可能性がある。
また楽寿自身、あるいは長屋重名を通して、林又七、藤八、西垣勘四郎、平田彦三の本科を何度も観る機会があったに違いない。

この差ではなかろうか。一つの仮説を提示しておきたい。(04.5.22追記)

7.『鐔・刀装具100選』所載との近似

『鐔・刀装具100選』(飯田一雄、蛭田道子著)の51頁に下左図の神吉深信の鐔が掲載されている。筆者所蔵品と比較して掲載したが、まったくの同図で、鉄味、銘の調子など同一である。

『鐔・刀装具100選』所載 筆者所蔵品

本所載の鐔は大きさが縦81.5ミリ、横78.0ミリとある。私の所蔵品は縦75ミリ、横73ミリであり、本所載のが大の鐔で、私のが小の鐔で、大小鐔だった可能性も高い。切羽台の中心穴下部の素銅での埋め方なども同じ調子である。

もちろん、次のように細かい所は違っている。

  1. 左上部の花の出方が違う。(私のは切羽台と離れているが、本のは付いている)
  2. 左上部の葉の葉先(縁と接している所)の向きが、私のが少し上に跳ねている。
  3. 右上部の花で櫃穴に接している花が、本の方が大きい。
  4. 下部真ん中の葉の葉脈が本のは下の方で少し左にふくれて右にカーブしているが、私のは直ぐにほんのわずかふくれて右にカーブしている。
  5. 下部左の葉の櫃穴に接している所に、本の方はもう一つ切れ込みがある。(04年9月5日追記)

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