「刀は地金ですよ」と私も通ぶって言いますが、文章にしてみると、地金の魅力を伝えるのは難しいと改めて思いました。地鉄の鑑賞用語も、識者の間でコンセンサスが出来ていないところがあると思います。この点も魅力が伝えにくい点だと思いますが、このようなことも含めて書いてみたいと思います。
なお、地鉄の働きの一つに「映り」(うつり)がありますが、これについては「映りの諸相」としてまとめてあるので参考にしていただきたい。
1.地景(ちけい)とは何か?
地景(ちけい)とは、『刀剣鑑定読本』(永山光幹著)に「鍛え肌に沿って線状に黒く光って見える部分。刃中の金筋や稲妻と同種のものである」とある。私はこの通りのものと認識していた。
以下の写真は公鑒兼光の差表(本来は太刀だから差裏)のハバキ元から15センチ前後の写真(研ぐ前)だが、薄いグレーに見える地の部分に、少し濃度の濃いグレーで曲線状になった部分が地景である。
写真では、刃に接して二山型の前方後円墳のような濃いグレーの地景の方が、上部でウネウネした地景よりもはっきり見えるが、光は上部の地景の方が強い。この地景はハバキ元4センチくらいから、ウネウネとこの辺りまで続き、太さも段々と細くなりながら、この先も添樋の方に行ってから、さらに地に戻って全長で20センチ近く連続している。
研ぐ前の写真だが、地に黒く見える肌目が地景、上の細い方が長く輝く。(藤代興里氏写真) |
今回、研ぎ上がると、刀の物打ちから上部の方には、このように刃に沿って横に伸びる地景ではなく、肌目に沿って入る地景、それも縦方向の地景が目立つ。長さは短く、また光はそれほど強くはない。中には肌目に沿いながらも横に直線的なのもある。
またハバキ元近くには、 私が牡丹映りの説明で「地景で杢目(輪状)になった部分を花芯に見たてて、その周りの乱れ映りの様が花弁のように見える」と説明してきたような、杢目状の地景もある。
この刀の地鉄は板目肌に杢目肌が一部交じるものだが、板目肌が流れるようなところはない。だから20センチ近く、ウネウネと続く地景は肌目を超越している。この地景が目立つ為だと思うが、重要刀剣図譜には「板目、肌流れごころに地景入り、乱れ映り立つ」とある。20センチ近くの地景は流れた肌に沿っていると認識したのだと思うが、そのようなことはない。
ハバキ元から全長で20センチ近く、ウネウネと続いている地景は細くなるに従い、光が強くなるが、他の肌目に沿って入る地景は、それほど光は強くない。
前者は肌目を超越して、光が強いところもあるが、後者は肌目に沿って、光は強くないから、別の種類の働きかと疑問に思う。しかし上記の写真では同様に見える。
そこで、改めて刀剣書から「地景」の説明を読むと、次の通りである。
『日本刀の掟と特徴』(本阿弥光遜著)
地景は「稲妻同様のものが地の中に現れる」と説明し、稲妻の説明は「沸(にえ)の凝縮したもので黒く筋に成って現れている。あたかも黒雲の中に稲妻の光るようである」と説明している。
『刀剣要覧』(飯村嘉章著)
「地に髪(かみ)の如く細く黒光りするもの」とある。
『日本刀大百科事典』(福永酔剣著)
「刀の地にある模様肌。広狭の二義がある。①狭義 地のなかに、地より光が強く、黒ずみ、うねっている線状のもの。鍛え目ではない。刃中の稲妻と同じ性質のもの。血系、千景とも。折り返し鍛えの終わる少し前に、鍛え数の少ないものを少しまぜておくと、それが肌のような形の地景になる。したがって分析してみると、地景の部分は、地の部分より炭素が多い。冶金学的にいえば、ソルバイトかパーライトの地のなかに、それより固いトルースタイトの曲線がうねっているのが、地景である。地景は上作でなければ出ないので、珍重される。今日、地景といえば、この狭義の場合をいう。②広義 刀の地に現れる、鍛え肌以外の、沸のからんだ文様風のものの総称。半月・玉・水引きの鍛え・浮雲・縮み・小柾目・白鬚肌・外し・沸え筋・沸え巻き・浮き樋・松葉・鯰肌・掻き込み肌など、種類が多い。今日は用いられない。」
ちなみに、金筋と稲妻は地ではなく、刃中に出るもので、金筋は短い直線状に輝くもの、稲妻は屈折した輝く筋である。
『日本刀大百科事典』は模様肌とした後に、鍛え目ではないと説明しているが、地鉄の一種のような定義である。『日本刀の掟と特徴』では沸の凝縮したものとしており、両書が同じ意味なのか疑問に思う。
ただ、『日本刀大百科事典』の解説の「模様肌で、鍛え目ではないが、地鉄の一種」という説明は、公鑒兼光の20センチほどの地景を説明するのには納得しやすい。
一方、この刀の上部に多く見られる肌目に沿って黒く見える地景は『刀剣鑑定読本』の「鍛え肌に沿って線状に黒く光って見える部分」の説明のとおりであるが、それほどの光はない。
そして、各書にある「地景は刃中にある金筋(短く直線状に輝く筋)、稲妻(屈折した輝く筋)と同じものが地に出たもの」と言う説明が、しっくり来ない。拝見したことがある金筋、稲妻は細く、短いものばかりであり、これらが「沸が凝縮したもの」という説明は理解できるが、公鑒兼光の地景の太さほどの金筋、稲妻は他の御刀で拝見したことがない(私の少ない経験から述べているだけで、あるのかもしれないが)。
また金筋、稲妻と地景が同じものであるならば、この御刀にも地景が刃に接して出ている所(例えば上記の写真の前方後円墳型の地景の先)には、刃中に金筋や稲妻が出てもおかしくないと思うのだが、公鑒兼光には他の部分も含めて金筋、稲妻は見られない。
備前の焼き入れ温度では出ないのかもしれないと思ったが、景光には刃中に金筋が出ているものもある。もっとも景光の金筋は光が少し弱く、「景光の銀筋」と言う識者もいる。
2.地景の太さと光の強さの関係
ここまで書いて悩んでいたが、最近、やっと地景の太さが諸書の定義を統一する鍵なのかと思うようになった。
「20センチ近く、ウネウネと続いている地景は細くなるに従い、光が強くなる」と説明したが、特に光が強くなるのは細くなったところなのである。
『日本刀大百科事典』における地景の解説「模様肌で、鍛え目ではないが、地鉄の一種」とあるように、地景も金筋も稲妻も地鉄の違う箇所に出る。そして、その模様肌の周りは沸が付きやすいのではなかろうか。それで光が強くなる。模様肌が公鑒兼光のように太いと、この肌の両脇に出る沸は、それほどの光にはならないが、模様肌が狭くなると、両脇に出る沸があたかも一筋のように見えて、光が強くなるという理屈である。両脇に二本の線になっていたものが、重なって一重線となって光が増すということだ。
刃中の金筋、稲妻が観られないのも、兼光における模様肌は太く入るから、模様の両脇に出る沸は刃の焼き入れ温度の加減で目立たないからではなかろうか。同時代の相州伝の刀工のように模様肌が細いと、模様肌の両脇に凝縮した沸で金筋、稲妻の輝きを生むというわけだ。
景光の銀筋という、光が少し弱い金筋も、景光の模様肌が少し太い為ではなかろうか。
以上の考察を経て、地景、金筋、稲妻は同じ性質(地鉄の一種)という諸書の説明に納得し、光の強さはこの地鉄の太さの違いによるもので二義的なものと、自分なりに納得している。
3.地景の鑑賞
地景の性格を上記のように、自分なりに分析したが、私は刀鍛冶ではないから本当のところはわからない。あくまでも仮説である。
以下に地景の鑑賞記を述べる。
20センチもウネウネと繋がっている地景は一つだけだが、これは細くなるに従い光が強くなって、美しい。銀かプラチナの鉱脈を辿るような感じで楽しい(本当の銀・プラチナ鉱山に、このような明確に光輝く鉱脈が無いのは承知しているが、比喩である)。
研ぎ上がったことで、板目状の肌に沿って絡む短い地景(それほど光が強くないものも多いが)を多く識別できるようになる。「ここにもある」とか「この地景は横向きだ」とかを発見して楽しんでいる。
また、板目肌に絡んで縦に入る短い地景は、短いだけに、この先はどうなるのだろうと想像力が膨らむ。刀の表面で見えている地景は短いが、地景の先は刀の表面から内部に突っ込んでいるのかなとも感じる。刀の内部で捩(よじ)りあって強靱な刀身を造り上げているのかなとも想像する。あるいは一度内部に入り込んで、今度は裏側の地に再度、地景として出ているのかなとも思って、裏側を見る。
なお、差裏の方も同様に、板目肌に絡んだ短い地景がでるが、物打ち辺りから上部に目立つ。
ともかく、地景を拝見していると、このような想像力が働くような御刀である。
なお、地景が杢目(輪状)になった部分もある。このように杢目=花芯と識別できる地鉄の色の違い(=地景)があるから、その周りの乱れ映りの様を花弁に見立てて牡丹映りとなるのである。ここにおける地景は地よりは黒く見えるが、それなりの太さがあるから輝いているというものではない。
杢目状の地景は、ここを含めて2箇所ある。何で丸くなるのだろう。そして、このような丸い地景が刃に出たら、一体どんな稲妻になるのだろうとも想像する。
後ほど、識者の方が地景、地沸に言及している文章を紹介するが、光が強くないが地色とは違って少し黒く見える肌目部分を「底に地景が沈んで見える」など表現している方もいる。地景=鉱脈を発掘していくような楽しみでもある。
ともかく刀はわからないことが多い。だけど美しい。
4.地鉄(じがね)鑑賞も難解だ
地鉄の良さ、楽しさ、美しさを鑑賞するのは難しいところがある。私も畏友のH氏に「粟田口の地鉄の色は青いです」とか言われてもわからないのが正直なところだ。でも左文字の地鉄を拝見すると「地刃冴えて」という表現は本当だと感じる。刃だけでなく、地も冴えるのだ。
このような地鉄の違いや美しさの感覚を、私如きの文章で伝えるのは難しい。
(1)肌目の模様
地鉄は鍛錬の中で、何度か折り返されて鍛えられる。当然に折り返し面の鍛接面が見えるわけで、これが折り返しの方向などで板目状に見えたり、柾目状になったり、板目に丸い杢目が生まれたりして、板目肌、柾目肌、杢目肌と識別されるのだと認識している。中には綾杉肌などもある。
この肌の模様など誰でもがわかると思うが、刀剣の場合は杢目肌を基本とする人と板目肌を基本とする人がいる。私は板目肌が基本で、杢目とは年輪のような丸い肌目と限定して認識している。杢目肌を基本とする人は「杢目」を「木目」と考えているような気がする。
このことはキチンとしておかないと、調書などは役に立たないものになる。
肌は、どの肌が美しいと言うことはないし、性質上の長短は無いと思う。ただし幕末に荒試しをした水戸の刀などは柾目肌が多いから、柾目肌は折れ難いのかもしれない。これは本当の木材においても当てはまる。
公鑒兼光の肌は板目肌に杢目肌(年輪状の肌)が交じるものだ。なお世の中に杢目肌がある刀は少ないと思う。ちなみに備前物はこの時代から応永備前にかけて杢目肌が目立つ。
(2)詰んでいるか、肌立つか
そして肌目が目立つか、肌目が目立たずの違いがあって、肌目が目立つ時に「肌立つ」と言う。今の刀剣界において、堀川物が肌立つと「ザングリ」と言うが、これはザングリの本来の意味を取り違えて「ざっくり」と誤用しているのである。
(注)ザングリは茶道具鑑賞上の用語で。大まかで茶味のあることをいう用語である。元は京都の言葉で、やわらかく、ふくらみのあるとか、微妙で繊細な感じとか、自然な感じで風味のある意味、あるいはなにげなく、すっとした感じ、あるいは風雅に垢抜けていて、自然な感じがあることである。これは堀川国広の御刀を手に取って拝見していると実感する。何となく適当に造っている感じがして感じがいいのである。「ざんぐり考」として、まとめてあるから参考にして欲しい。
公鑒兼光の肌は、詰んだ柔らか味を感じる地鉄で鍛接面が目立つようなところはない。特に差裏(本来は太刀だから差表)はよく詰んでいる。感覚的な表現になるが、堀川国広の鉄は粘り気の少ないサラサラしているような鉄と感じ、これが国広の楽しい沸の変化を生むのだと思う。兼光の鉄は粘り気が適度にあって強靱さを高めている感じだ。
肌が荒れたようなところは差裏のハバキ元の箇所にある。これは600年以上の実用の結果だろう。ここは「刃文の鑑賞」においても「ハバキ元に、映りが刃に入り込んで匂崩れて変化した刃文がある。差裏では、この部分だけが染み心のある草の乱れだ。大磨上げだが、この部分がどのあたりまで広がっていたかはわからないが、磨上げた人が、ここの崩れを少なく見せる為に磨上げたのかとも感じる。」と書いたが、地肌が荒れている面もあり、上記のような印象を与えるのかもしれない。
(3)地沸(じにえ)
地沸の言葉も悩ましい。今は、売り物の刀の紹介においては「地沸つく」という言葉がほとんどの刀に記されており、鑑別の言葉の役割を果たしていない。どの刀にも、多かれ、少なかれ地沸があることになっている。
本来は地に溢(こぼ)れた沸で、黒く見えるものだと思う。私の所蔵品では「末広がり元平」に観られるようなものである。
しかし、粟田口派の梨子地肌(なしじはだ)や肥前刀の小糠肌(こぬかはだ)のように、地全体が細かく粒立っているような状態をも「地沸つく」と言われると、否定もしにくい。これが地沸ではないと何と呼ぶかということになる。
このような地肌に黒い沸粒は見えないし、むしろ地全体に細かい銀の粒(これが地沸と言う)を蒔いたように美しい。
刀は鉄だから、磨いた表面は鏡のようになって、自分の顔も映るかと思うと、映らない。これは地に細かい凹凸、すなわち地沸が付いているからとも考えられる。そういう意味では、どのような刀にも地沸が付くと言えるのかもしれない。
こういう意味では公鑒兼光にも地沸が付くが、私はこれを地沸としてしまえば、薩摩の元平にも失礼だし、相州伝上作をお持ちの方に悪いと思うから、言わないようにしているが、よくわからない。
粟田口派、肥前刀の地肌を、特別に梨子地肌、小糠肌として板目肌、柾目肌と同様の肌の一つと定義した為に混乱が生じたのであろうか。
なお、地全体が細かく粒立っているような状態を地沸と言うならば、本来の地に溢(こぼ)れて、黒く見える地沸は「地に星のような沸が散らばる」とでも言うべきであろうか。所蔵品の末広がり元平ならば「あたかも天の川のようだ」となる。
(4)春霞
乱れ映り基調の鮮明な映りが、地鉄全体を白いカーテンを引いたようにしている。この結果、地鉄全体を「備前の春霞」と言われる肌合いにしていると思う。柔らかいが、強靱な感じがして、しかも潤いを感じて、私は好きである。識者の中には春霞を構成する要素に地沸を含めている人もいる。
公鑒兼光の研ぐ前の地刃の写真(藤代興里氏写真) |
<識者の評を読んでの「地沸」「地景」に関するコメント>
もちろん、それぞれの兼光は作風に違いがあると思うが、同じ兼光であり、共通する作風を持っていると思う。その意味で地沸とか地景の言葉の使い方の検証は可能と考えるが、どうであろうか。
批判をするわけではないが、刀剣の調書は、どうしても個人差が出る。重要刀剣証書の記述の中には、上身と「全然違うじゃない」と驚くものもある。
記録を取る個人の鑑識力の差、感性の差、刀の知識の差に加えて、刀剣書によっては解説に字数の制限が加えられていることもあると思う。この場合は観る人にとって、より特徴的な事項に字数を使い、そうでないことは省かれるのだろう。また御刀を拝見する時間によって精粗が出るのも仕方が無い面がある。
結局、自分の所蔵品にして、何度も観ないと本当のところはわからないのだと思う。もっとも、私のように何度も観ても本質を掴んだと言い切れない男もいるのだが、それはそれで長く楽しめると開き直っている。
地鉄の魅力を伝えることの難しさを改めて認識しました。地鉄を表現する言葉(地沸、地景など)も識者間で見解が統一されていない現状にも一因があると感じます。新刀と古刀の大きな違いは地鉄にあるわけで、古刀の魅力は地鉄の魅力なのですが、わかってもらえない。
ちなみに、私の所蔵品の中では家伝の偽銘の国光(本当は応永信国と思う)に、太めの地景が入っている。太いだけに光りは強くはない。
今回、色々と考えていく過程で、光が目立たない地景部分は鯰肌の一種かなとも考えました。鯰肌は指で押したように青黒い斑点のある綺麗な肌で澄肌とも言いますが、地景は細く線状に入った鯰肌のことで、細く線状の故に焼き入れの時に線状の地沸がつき易くて、それが光るという理屈です。鯰肌にもいくつかの説があるようですが、ともかく刀には不思議でわからないことが多いです。そして美しいです。