国広から正宗、清麿を観る
-平成26年の展覧会からー

所蔵品の鑑賞のページ

平成26年(2014)の春には根津美術館の「清麿展」で新々刀の清麿を、そして秋には永青文庫で「国宝の刀」展で古今伝授の行平、生駒光忠、則重などの名刀に安国寺恵瓊所持の包丁正宗を拝見した。
清麿展では藤代興里氏の講演も聴き、そこで清麿の「本三枚鍛え」のことを知り、自分なりに整理して、このHPの「日本刀の研究ノート」に「本三枚鍛えと清麿の刃文」として取りまとめた。

地鉄は手に取って拝見しないとわかりにくいが、刃文は、照明と刀の置き方を博物館の方で留意してくれたらガラス越しでも、ある程度はわかる(細かい金筋などは無理)。今回、永青文庫で国宝の包丁正宗を拝見した時に、「国広との共通性」を強く意識した。清麿も志津三郎兼氏を写したと言われているように、私の国広(志津写し)と似ている点を見いだせる。

そこで、堀川国広を中心に、270年ほど時代が上がった正宗と、250年ほど時代が下がった清麿の刃文(地鉄は除く)を中心に、気づいたこと、考えたことを記してみたい。

1.国広と包丁正宗(安国寺恵瓊所持)

包丁正宗(永青文庫蔵 国宝 安国寺恵瓊所持)の刃文は、私の国広の刃文によく似ている。これが展観における第一印象であった。

(1)刃文の形状、特に飛び焼き、湯走り、島刃の共通性

押形で比較すると、次の通りである。国広は私の拙い押形、包丁正宗の押形は佐野美術館「正宗-日本刀の天才とその系譜」展において発行されたカタログから転載する。押形の採録は廣井雄一氏である。押形の巧拙は仕方無い。ご寛恕いただきたい。

国広(上:差裏、下:差表) 島刃
包丁正宗(永青文庫蔵 国宝 安国寺恵瓊所持) 押形:廣井氏

改めて、押形を比較すると、そんなには似ていないが、陳列ケースの前での印象は「よく似ている」であった。佐野美術館のカタログにおける包丁正宗の解説には「のたれに矢筈形・互の目・飛焼があり、沸深くつく」とあって島刃(刃の中や、刃に接して飛焼がある状態)のことや、湯走り(飛焼のように輪郭は無いが沸が凝縮している状態)には触れていないが飛焼だけでなく島刃もある。(湯走は地の状態であり、ガラス越しではわからない)

同行されたH氏によると、この包丁正宗は、同種の三振の中では、一番堀川物にも似ているようだ。国広には尖り心の互の目刃があるが、この包丁正宗の中程の刃も同様に尖り心がある。

私は、国広の鑑賞記の中で、「粘りけの少ない地鉄から生まれる沸が、細かい砂のような、一粒ずつを意識させる沸になっているのだと感じます。また、こういう粘り気の少ない地鉄だから”たらしこみ”である島刃などが焼けるのかもしれませんね。何でも「光あれば影あり」です」と記して、堀川物の地鉄と島刃を関連づける想像を膨らませたが、このクラスの刀工にとっては地鉄とは無関係に、このような刃焼けるのだろうか。

(2)水影の共通性

包丁正宗を拝見して、もう一つ印象的だったのは、元の方に水影が立ち、それが映りと一体化して、「爪付き剣」の彫刻の剣先にかけて明瞭に見えることである。映りは棒映りであるが、沸出来の刀の場合は沸映りと称するものである。

この押形では棒映りは明瞭ではないが、今度の展観では明瞭である。ちなみに押形における「爪付き剣」の元の方、水影の上が黒いのは、研ぎ減った「爪」部分の彫刻を採録する為である。実際はきれいである。

私の国広は、磨上げられており、水影はわからないが、水影は国広の特徴であり、この正宗と共通する。

包丁正宗(永青文庫蔵 国宝 安国寺恵瓊所持) 押形:廣井氏


(3)相州物と堀川国広

今回、包丁正宗を拝見することで、堀川国広が慶長一桁年代に、相州正宗をいかに研究したかということが、改めて認識できた。

私は新刀の地鉄と、古刀の地鉄は違うと認識しているのだが、この包丁正宗を拝見していると、堀川国広が、普段使用している肌立ちやすい鉄とは別種の古い、良い鉄を使って、製作したら、このような短刀が出来るのではないかとの不謹慎な思いが浮かんだことも記しておきたい。

H氏は柴田果の短刀で、地鉄が古く見える直刃のものを所持されている。「この柴田果の短刀は入札鑑定に使うと、皆、古い粟田口、新藤五などに入れる」とご自慢のものだ。だから地鉄が古ければ、古く見える刀を造ることは可能だということだ。

「相州物は信心だ」とH氏は言われるが、無銘が大半で、しかも作風の幅(=極めの幅)が広いわけであり、自分で勉強して、自分なりの確信を持てないと、難しいものだと改めて思った。

上記のことはさておき、 国広もそうだが、相州伝の良いものの「沸出来の狂った刃文」は面白いことを再認識をした。

2.国広と清麿の本三枚鍛え


清麿の刃文には、長い独特の金筋が入るものが多い。下の図版では物打ちあたりから下に互の目を切って砂流しのように見えるが、このような断層的刃文が一つの特徴である。

清麿 弘化三年八月日(『源清麿』信濃毎日新聞社の図版16 押形:辻本直男氏か?)

この断層的刃文は、鍛えが本三枚鍛えだと皮金と心金の接点部分で生まれ、その下部(心金部分)で小模様の刃紋、その上部(皮金部分)で大模様の刃紋になりがちなことを藤代興里氏から教わり、その後、各書で勉強した内容をこのHPの「日本刀の研究ノート」に「本三枚鍛えと清麿の刃文」として取りまとめた。

刃の下部が小模様な刃文、その上部が大模様の刃文というのは、私の国広でも観られる。下部は小模様と言うか、かすかにのたれる直刃である。そして、その上部は互の目でも刃文の輪郭が崩れ、互の目全面に沸が付いたり、湯走り、島刃、飛焼きと大暴れである。私は、前述した鑑賞記においては、互の目の中に沸が全面に散らばっている状況を、桃山時代に輪郭を描かずに描いた没骨法を刀剣において国広がやったのだと感心している。

国広(上:差裏、下:差表) 互の目全面
に沸

すなわち、国広も本三枚鍛えではなかろうか。

清麿は本三枚鍛えを駆使することで、”すごみのある金筋の光”(宮入清平刀匠談)、”相州上工の金筋は細く短くキラリと光るのに対して、清麿の金筋はやや長めで太いものですが、独特の光があり、力強いものです”(宮入行平刀匠談)を表した。

私の国広では、本三枚鍛えの境と思われる直刃調の刃に、”非常に匂口の明るい刃”を出現させている。この明るい刃は、沸の粒が凝縮しているからだと思って、何度も何度もルーペで観たのだが、沸の一粒ずつの大きさは、他の部分と大差が無い。また集まり具合も気持ち多く凝縮しているかな感じるが、それほどでもない。こういうことでは説明できないのだ。

これが、清麿の地鉄では長めの金筋を出現させ、国広の地鉄では柔らかく締まりながらも非常に明るい刃を出現させている本三枚鍛えの証左ではあるまいか。

いずれにしても、その上部の互の目における”思い切り、暴れさせた刃部”と対比して、見事である。

おわりに

現代刀匠の中に、相州伝を研究されている方もいると思うが、今の時期は新作刀が売れず非常に厳しい時代である。私は無責任なことを言うが、どうせ売れないのならば、思い切り試行錯誤をしてみたらどうだろうか。あなたの作品は、この先何百年と伝わるのだ。後の世で「これは昭和の志津写しで、個銘はいいですよ」とか「これも平成の福岡一文字写しで、あの時代には流行したんですよ」と判者に片付けられるのは悔しいではないか。

新刀の名工などが行った「卸し鉄(おろしがね)」での鍛えとは、古釘、古錨などの古い鉄も再利用したと聞く。昭和の柴田果ができるのであれば、今の刀匠でも古名刀に迫るものができるのではなかろうか。

絵画でも、時代の選別に耐えて残る作品は、売ることを考えずに、貧窮の中で、自分が画きたいものを画いた作品がほとんどだ。

私の国広など観ていると、棟焼きも多く、破綻の手前みたいなところもある。同時代の鐔工:太字銘信家も、湯だまり(鉄が溶けて崩れたような変化)や地の鍛え割れが見える。鐔の鑑賞家の秋山久作氏は「鍛え割れ、切れ、フクレ破れのある信家には名品が多い」との言を残しているほどだ。怖がらないで思い切ってやって欲しい。

あと、相州伝無銘の古名刀の怖さを改めて感じる。この包丁正宗も尖り心の互の目、矢筈形の刃の部分を取り上げれば、志津と極められてもおかしくないのではなかろうか。

その志津極めも、先年に根津美術館で名物の刀剣の展示があった時に拝見した分部志津、稲葉志津などはメチャクチャな刃文であり、私は認識を改めてしまっている。本当に「相州伝は信心」(怪しいと感じても、在銘が無いからダメだとも言い切れない。世間で通っていれば信じた方が強い)だと思う。

「だから無銘が人気が無くなっている」とH氏がおっしゃるが、刀の世界は刀剣名物帳もそうだが、無銘物をきちんと見極めてきた素晴らしい美術品なのだ。無銘でも鎌倉時代の作者名が極まるというは、個性が作品に出ているからなのだ。「芸術は個性の発露」と言うが、一見、同じような刃物において、個性が見いだせる美術品なんて言うものは他にない素晴らしいものなのだ。
昨今の絵の展覧会で、仰々しい大きな絵を飾っても、これも亜流、あれも亜流では仕方がないのだ。名を出しても、名がないのと同じだ。
無銘を作風の中で、きちんと評価するのが愛刀家なのだ。相州伝無銘は怖いなんて言っている伊藤は、勉強が足らないのである。だけど、勉強は買うこと、買って手元に置いて鑑賞する中でわかることなのだ。鑑定会では限界がある。そして買うのはつらいものがある。

あなたが、若い愛刀家であれば、他分野の美術品にも関心を持ちなさいとアドバイスしたい。国広、信家の同時代の古田織部などは歪みのある焼き物、割って継いだ焼き物に美を見い出しているのだ。私の周りで、目の利く人は、他分野の美術品の話ができる人である。

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