石黒政常「秋草に小禽」小柄
大森派の旗頭の英秀を紹介したから、今度は石黒派の総帥政常の作品を紹介したい。「刀装具の研究ノート」の「大森派と石黒派」も参考にしていただきたい。また『刀和』の「刀装具の鑑賞06年11月号」の鑑賞文も参考にしていただきたい。
1.作品の解説
「秋草に小禽」という表題は、青山氏が生きていれば許さないだろう。彼は販売目録では「秋草に尾長」と書いたのではなかったかと思う。ただ彼が「伊藤さん、あれは尾長じゃなかった」と言っていたので、寒山箱書にあるように「秋草に小禽」としておきたい。(刀和の刀装具の鑑賞に執筆するにあたり、改めて鳥の名前を調べた。その結果、羽の一部にある白さと、腹の白さから鵲(かささぎ)と考える。3章参照)
地金は四分一の石目地である。それに赤銅と銀で小禽を高彫りし、同じく桔梗を赤銅と中に銀で高彫りしている。他の女郎花(おみなえし)、ススキの秋草は金の高彫りである。この写真ではわからないが、こすれた当たり(傷)があり、彫りの”切れ味の冴え”が損なわれているのが残念である。
この小柄の銘は次ぎのように貴重な長銘が切ってある。小柄の裏面も、傷が多いが、銘は鮮明である。
行年六十二二才寿命政常(花押) | 文政六癸未夏日 |
2.中島明見氏の石黒政常の代別論への反証
尚友会図録「刀装具優品図譜−第四集石黒」に中島明見氏が、「従来寿命政常と彫銘するのが初代、寿長政常が二代とされて来た。また二代政常は、はじめ政守および盛常と銘す、となっている。ところが筆者が現存する正真在銘の作品を調べた結果は、寿命政常こそ、政守、盛常同人であり、二代政常なのである。更に現存する作品を検討すると、寿命政常は、はじめ盛常、次ぎに政守、その後政常を名乗ったと考えざるを得ない。この様に断定する根拠は、各々の作風と銘ぶり、および花押の三点である。」と書いている。
この説は支持されているわけではないので、ことさら反論する必要はないが、この銘は、この説が誤りであることを明確に物語っている。
初代政常は宝暦10年(1760)に生まれ、六十一才の還暦の時から寿命と号し、文政11年(1828)7月に69才で没しているのである。すなわち、この小柄の銘にあるように文政6年は64歳であり、この時、寿命政常と名乗っていたのである。
2.石黒派の良さ、初代政常の良さ
石黒の良さは、今の日本画の多くが題材とする花鳥風月というテーマを追求したことにあると思う。日本人であれば、誰が見ても美しいと感じる題材である。もちろん石黒派は花鳥風月以外にも彫っている。鯉、魚尽くし、などの魚類、笹竹、若松、稲穂、洋犬、鼠、鹿、猿、牛、寿老人、源平武者などがある。しかし、多いのは花鳥風月である。
もっとも、誰もが好む花鳥風月を描いているだけでは芸術ではなくなる。今の日本画に関して、画商が介在しての価格支えや、同じような誰もが好む絵=売り絵の氾濫に対して批判がないわけではない。
石黒派も綺麗な花鳥が多いだけに、今一つものたりないと感じるかもしれない。私も石黒派は綺麗で値段が高いけど、おもしろくないなと感じる時もある。特に、2代政常(政守・盛常)や3代政常や、一門の政明、政美、政広、是常、是美などは、同じような図柄を踏襲しているだけで、高く評価され過ぎているのかもしれない。
ただ石黒政美の千代田城の図縁頭や、田舎家の図縁頭などは、独創を感じるから、これら門流の作品にも、まだまだ芸術的に優れたものが多いは思う。やはり芸術的価値は独創にあると思う。
初代の石黒政常は、これら門流が彫った花鳥の図を最初に彫ったわけであり、当然に独創的である。(もちろん他の日本画などから図柄を転用もしたであらうが、彫金の分野でこのように美しく写実的に花鳥を彫った独創は認めたい。)
さらに猛禽類を彫った初代政常の作品を見ると、綺麗とは別の凄みを感じるものもある。やはり一流工だと思う。
3.所蔵品の「秋草に鵲」図小柄の鑑賞
刀剣では、年紀銘、所持銘など長銘が入っていると入念作と言う。このような観点から見ると、私が所蔵する政常の小柄は、上記のように貴重な長銘が入っていて入念作とも見られるが、絵そのものは猛禽類などの絵には、残念ながら及ばない。石黒政常の本当に良いのは花鳥というより鷹を彫ったものではなかろうか。
しかし、この小柄にも見所はある。鳥の彫口には鋭い、冴えが見られる。この鳥(かささぎ)が留まっている枝のたわみと、カササギが枝に留まっている姿態もよく観てほしい。一瞬の重みが表現されているだろう。そして、しっかりと留まっている足、体重のかけ方を観てほしい。
カササギに、おざなりに秋草(桔梗、女郎花等)を配して絵にしたのではないですぞ。カササギが留まっている秋草をちゃんと描いていることが理解できよう。(カササギには百人一首にも大伴家持の歌として「かささぎのわたせる橋におく霜のしろきをみれば夜ぞふけにける」がある。)
「野鳥観察写真館」HPより転載 |
この図で、初代政常が、もう一つ工夫したことは、地金に四分一を使ったことかもしれない。鳥の姿態の黒を赤銅で強調したかったから、地金は赤銅魚子地以外にしたのだと思う。赤銅魚子地の同図の小柄があれば比較したいが、このようなちょっとしたことでも工夫しているのが一流工なのである。
4.石黒派の魅力
私は、石黒派の魅力は次のような点にあると思う。
「刀装具の研究ノート」の「大森派と石黒派」も参考にしていただきたい。
なお、石黒派の中でも、初代政常のことであるが、稲葉通龍の装剣奇賞が書かれた時には、石黒政常はまだ若年で、評の対象にはなっていない。
桑原羊次郎の『日本装剣金工史』では、「其作行極めて手綺麗なり」と述べている。また同書には、加納夏雄の評を収録してあり、それには、「上手なり。彫方丁寧にして鏨細密に働き研上げ綺麗なり」とあるそうである。
また同書には、加納夏雄の談として「玉川上水にて白玉を冷やしたる気持ちありて、如何にも爽やかなるものなり」という表現も記録されている。
『刀装小道具講座』など最近の書籍での石黒政常の評は、やはり同じようなものである。
私は、石黒政常の魅力は、対象を捉える確かな眼と、それを表現する時の”すっきりした線”ーあたかも日本画の巨匠が引くような線ーにあるとと思う。これが、観る人に「精巧」、「迫真」という感情をひきおこすのだと思う。
そして、私は、石黒派の総帥の初代政常には「緊張感」を感じる。ここで言う「緊張感」は”張りつめて息苦しい”というものではない。大森派と石黒派の中で書いたように、桜の花が我々に散ることを常に意識させるような緊張感である。これは何よって生まれてくるのかはわからない。石黒政常という芸術家の精神から発露されるものなのであろう。
「華麗」、「豊麗」という印象は、図柄の組み合わせにあると思う。鳥と花、これだけで華麗であろう。これについては初代政常でなくても石黒派の各金工は表せている。もちろん、図柄の組み合わせだけでなく、色金の使い方も、「華麗」、「豊麗」のためには必要である。