林藤八:枝折竹(しおりだけ)透かし鐔


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はじめに

 この鐔は、肥後春日派(林家)三代目林藤八と極められているものである。図柄は神吉派の下絵帳と言われる『神吉鐔絵本』に「枝折竹(しおりだけ)」と明記されていることから、こう呼んでいる。「風竹」としている本もある。
 私は初代又七二代重光五代又平の作品を所持しているが、この鐔の鉄味(黒錆の色と光沢)は絶品である。王者又七と称している鐔の鉄味より黒味が強いが遜色は無い。
 去年に購入した後、どこが三代の極所かと考察してきたが、まだわからないのが正直なところである。以下、そんな考察の過程を紹介したい。

「鐔立て」上の所蔵品

1.この鐔の魅力

無銘:林藤八(写真右が表、左が裏)縦77o、横76o「、耳厚5o、切羽台厚5o、切羽台の長さ42o

 図柄の「枝折竹(しおりだけ)」は、肥後春日派(林家)の掟物とも言えるものである。春日派の技術を受け継いだ神吉派も製作している。神吉派の下絵帳である『神吉鐔絵本』にもバリエーションを付けた3種類の同図が所載されている。ちなみに『透鐔』(笹野大行著)には西垣勘四郎と極めている同図の鐔も所載されている。

 (1)よく似た又七の名品に対する評

 だから春日派の代々が製鐔しており、各代の特徴がわかりやすいと考えて、比較をしてみた。
 この鐔とよく似た初代又七の鐔は、笹野大行氏が愛蔵されていて、笹野氏の多くの著作に掲載されている。比較すると次の通りである。

 所蔵品 (三代藤八)縦77o横76o、耳厚5o 初代又七『透鐔』(笹野大行著)、縦76.1o、横75.4o
、厚さ5o(耳、切羽台とも)

 この鐔に対して、笹野氏は次のようにコメントされている。
「この竹幹の円には弾力が感じられ、葉々に清風の起きる風趣があり、精良な地鉄、高尚な図取り、巧妙な鏨が生んだ芸術である。これには襟を正さしめるような品格があり、又七の高潔な人柄が偲ばれる。そして、この君子の風韻は、まさに江戸期の武士道が結晶したものといえる。」(『透鐔』より。なお、この本の解説の横に、鐔を押形で採ったものが掲示されているが、これは同書所載の神吉深信のもので校正ミスである)

 伊藤満氏は笹野門下生の一人だが、『林・神吉』の中で、この鐔を紹介して、次のようなコメントを付している。(氏は「枝折竹」ではなく「手折竹」としている)
「隙のない正しい形と味わいのある透かし、輝きのある地鉄は、この作者が又七であることを証明している。今にも水が器から溢れようとするかのような緊張感のある丸形丸耳で、その中の竹はゆったりと透している。それによって、本来の竹の持つ強靱さとしなやかさを表現している。この対比は又七の意図する所であり一つの世界を作っている。又七の高尚な境地の感じられるすばらしい鐔である。笹野大行氏の旧蔵品で二冊の「透鐔」に載っていて、終生、大切にされた一枚である。」(なお伊藤満氏の本には、この鐔の裏面の写真も掲載されている)

(2)所蔵の藤八の鑑賞

 上掲の写真を比較すると、図柄・デザインは同じであり、造り込みもよく似ている。特に「小柄櫃の上部の枠が葉がかかる関係で、少し広げて作っている小柄櫃の形状」と「切羽台の中心孔にかけて肉を落としている点」などは同作者と思えるほどである。

 逆に
、わかる範囲で、又七との違いを列記すると、@切羽台の形状が藤八の方がわずかに下膨ら加減。A藤八は切羽台上部に切羽台の形状を示す毛彫を入れる。Bその切羽台に接する葉を藤八は、表では隠れるようにし、裏では切羽台の表面に彫って写実感(遠近法の一種)を出している(藤八の裏面写真は上掲所蔵品の右側写真参照)。C藤八は葉の破れ(上部左側の葉と笄櫃横の葉)を誇張していること、D笄櫃の形状が全体に低く押さえられたような感じなどである。

 まず、今回はこの鐔の欠点から指摘したい。

  1. 鐔の表面上部に彫った竹葉の葉脈が先に行くに従い、広がってしまっている点。これは不自然であるし、失敗だと思う。しかし不思議なのは、こんな葉脈の毛彫などは他の彫技に比して簡単のはずである。現に他の竹葉にはこのような彫はない。だから意図して、このように彫ったのではと思っている。 (笹野氏愛蔵初代又七の鐔の葉脈も下写真のように神経は使っていない)  
  2. その隣の、先端が欠損している竹葉は、割れた先が広がり過ぎていて不自然である。なお、このような欠損している葉は又七の名品でも見られる。又七の意図を敢えて誇張したのではなかろうか。
藤八の葉脈の毛彫(先が開く) 初代の右の小さい葉の葉脈も
上部が広がり不自然

 指摘した欠点は、技術的に難しいから生じたものではない。『肥後金工録』の著者長屋重名の言葉を借りれば「(藤八の)足らざるところは精神なり」から発生したのだろうか。ただ、私は「又七の再来」とも評された藤八の意図を感じる。こんなことを考えながら、寝床で愛玩しているが、まだわからない。

 良い点は、何よりも、この錆色である。本当に真っ黒に輝いている私は自分で王者又七と呼んでいる有名な透し鐔を所持しているが、遜色はない。王者又七の方が青の要素が入る地鉄で深みを感じるが、これは微妙な差である。時代の若さは感じるが、これはこの鐔の健全さにも由来している。
『肥後金工録』では「初代は鉄色黒き中に紫光を帯て深し 二代目はこれに亜くも稍上は色の気味を免かれす 三代目に至て漸赤味を呈す如し」とあるが、赤みはまったくない。(「稍上(しょうじょう)は色の気味を免かれす」の意味は私には不明)
 透かしのデザインは流派の掟物で、初代の写しであるが、感じの良いデザインである。竹葉は幹とは関係の無い箇所から生じて不自然なのであるが、全体に左下に流れる動きを、上段は竹葉の向きで表現し、下段は曲がった幹で表現すると言う2つの流れを作っている。これらが竹の軽やかさ、竹の弾力性を生み出し、風の流れを感じさせる。

 少ない枚数の竹葉での表現であり、軽やかさを強調する結果となっている。

 上部は竹葉だけの流れ、下部は竹幹を絡めた流れであり、「上が軽く、下は重く」の自然の摂理を自ずから感じさせて、安定感を出している。

 なお、私はこの鐔からは爽やかな感じと同時に重厚な感じも受けていることも記しておきたい。それは”伝統の重み”なのだろうか。

 こういう作品を作ったから、三代藤八は、「又七の再来」とも言われたのだと思う。またこのような世間の評価の元で、藤八作の又七の偽物なども生じたのではなかろうか。そういうことで先祖に申し訳なく思って、上記の欠点となるような彫も入れているのだろうか。

 写しものを作れば、先祖に遜色の無いものが造れるのだが、敢えて上述したように欠点を設け、加えて平和な時代の顧客の嗜好を取り入れた結果、『肥後金工録』の著者長屋重名は「此作総て家法を株守す また一代の上手の名を博したるのみならず 一時は二代より勝る如き好評を得るに至るという」と書いた後に「その実二代より劣る 其の象嵌ものを多く造り 時好に適するゆえに此の評ある所以(ゆえん)か」と書く。そして作風ごとに「鐔の式多くは町人好みに入るべき様のものありかちとす 惜しむべし」とも「足らざるところは精神に在り」とか「春日三代目の作はなお末狩野の画と同断というべし 更に酷評するときは 婦女子の好に入るものといわん」と徹底的に酷評している。

藤八の為に弁護すると「鐔の式多くは町人好み」とは小ぶりな鐔が多いことを意味すると思うが、この時代は武士そのものが軟弱となって小ぶりなものを愛好したのである。
「末狩野の画と同断というべし」は、狩野探幽の絵の粉本(お手本を写す)主義となっている絵と同じと言っているのだが、確かにこの図柄などは初代の通りであるが、それが家の伝統なのだ。写し物の中の工夫を見てやるべきと思う。

2.諸書に所載の林派作品との比較

 上記した文章は、この鐔が三代藤八のものだという前提で書いているが、去年に購入した後、どこが三代の極所かと考察してきたが、まだわからないのが正直なところである。以下、そんな考察の過程を紹介したい。

(1)同図の又七の比較

 下の4枚はいずれも又七作と極められているものである。『肥後金工録』所載の3枚には、当時の所蔵者も記したが、松井氏は肥後八代藩主の家柄、伊勢寅彦氏、松本近太郎氏も有名なコレクターである。

初代又七『透鐔』(笹野大行著)、縦76.1o、横75.4o
、厚さ5o(耳、切羽台とも)
初代又七 『肥後金工大鑑』縦81o横79o
耳5.5〜6o 松本近太郎蔵
初代又七 『肥後金工大鑑』縦76o横75o
耳4〜5o
 松井明之蔵
初代又七 『肥後金工大鑑』縦78o横76o
耳5o 伊勢寅彦蔵


 これまで、笹野氏愛蔵の又七と所蔵品の比較をしてきたが、こうして並べると、笹野氏愛蔵の又七だけが趣(おもむき)が違う作品であることが理解できる。
 『肥後金工録』が出版された時代には、この3枚のように竹の幹もごつごつして、野趣のある枝折竹の作品が又七の作品とされていたのである。
戦前に刊行された『刀剣金工名作集』や昭和52年刊行の『鐔鑑賞事典』にも同図の又七が所載されているが、それは上の松本近太郎氏のものである。

 『肥後金工大鑑』所載の松井氏のものや、伊勢氏のものは、私の所蔵品の藤八と同様に、切羽台がやや下膨れであることも注目される。

 笹野氏の作品が初代の名品とされていることで、それと比較して、私の所蔵品を三代と極めるポイントを探してきたが、このように笹野氏の作品が他の初代作品と趣が異なると、笹野氏の作品との比較で良いのかと迷いが出ていることを、ご理解いただきたい。

(2)二代重光と極められている「枝折竹」作品

 次ぎに二代重光と極められている同図の作品を比較したい。『肥後金工大鑑』と『透鐔』(笹野大行著)に掲載されているものである。


二代重光『透鐔』(笹野大行著)、縦78.5o、横77o、
厚さ5.2o(耳、切羽台とも)
二代重光 『肥後金工大鑑』縦79o横77o
耳5.5〜6o 松井明之蔵

 左の鐔に関して、『透鐔』では「又七の枝折竹と比較して、格差があるとしても、伸び伸びとした、二代重光の持味も捨難いものであり、花は紅、柳は緑というべきである」と評している。

 右の鐔に対して、『肥後金工大鑑』の評は「初代に比して、竹の風姿に力が乏しく、櫃孔もこせついている」と酷評である。確かに小柄櫃、笄櫃は締まりが無く、特に右斜め下の竹の葉はだらしがない。

 これらの写真から、共通する二代重光の特徴として、笄櫃の形状は似ていると思うが、他は共通点は見いだし難い。ただし左の鐔は二代重光らしいと感じる。

(3)神吉深信の「枝折竹」作品

 藤八の枝折竹の作品は所蔵している書籍の中からは見つからなかった。この図に蟹がいる作品が三代としてあったのだが、私には五代又平のように思えるから、掲載しない。

 深信の作品は、下図のようにわかりやすい。切羽台の形状からすぐわかるし、地鉄も想像がつく。

神吉深信 『わが愛鐔 透し鐔100選』縦81o横80o、
耳厚5.4o
神吉深信 『透鐔』(笹野大行著)縦76.5o横75.5o
耳厚5o、切羽台厚5.2o

3.未だわからない林派の初、二、三代の区別

 どうだろうか。かように、代別の鑑定は難しい。

 写真の印象(図柄中心になる)からだけだと、私の所蔵品と、笹野大行氏の愛蔵品を、同作者の三代藤八の作品とするのがわかりやすい。

 この枝折竹の図柄では、初代が竹の写実をもとにこのデザインで構図を造り、二代はより賑やかな感じにし、三代は清々しくすっきりとさせ、神吉深信はもっと謹直に仕立てているという流れになる。

 あるいは初代が竹の写実的なデザインと、清々しくすっきりしたデザインの両方を造り、後者の方のデザインを三代(所蔵品)や神吉深信が受け継いだと考えることも可能である。刀でも、長船長光が肩落互の目刃も、直丁字刃も造っているのと同様に、名人は様々な試みをしているものである。

 なお、二代と三代の作風の違いは「林重光「三つ浦」透かし鐔」において以下のようにまとめている。原典は『林・神吉』(伊藤満著)である。上記の二代、三代(所蔵品)の枝折竹透かし鐔に当てはまるところがある。

二代重光 三代藤八
  • 又七にあこがれた謹直な透かしと、味わいのある即興的な作風。
  • 伸びやかな印象でおおらかでゆったり、あるいはおおらかで堂々。
  • 清々しい雰囲気は好ましく、又七に通じるものがある。生真面目な作品が多い。
  • 繊細で明るい雰囲気、まとまりは良いが、やや内向的で優しい雰囲気

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